2017年6月1日木曜日

4_140 山陰の旅 4:三朝温泉のビニールシート

 三朝(みささ)温泉は、古くからある温泉街です。そんな町に私は住んでいて、その後20数年ほどたちました。その間、新しい研究所を訪ねたこともあるのですが、久しぶりに通り過ぎました。

 春の野外調査では、鳥取から大山を経て岡山に抜けることにしていました。山陰の調査の初日の宿泊地を三朝(みささ)温泉にしました。三朝温泉は、12世紀に発見されとされる古くからある温泉で、大久保左馬之祐(さまのすけ)の救った白狼が夢で楠の老木から湯が湧き出ていることを知らせたそうです。それが今の元湯の「株湯」だとのことです。三朝温泉は、今も豊富な湯量を誇っています。川沿いの露天風呂も健在でした。
 調査の目的地の大山に一気にいっても良かったのですが、三朝町の被害が気になっていたので、通り抜けながら見ておきたかったのです。被害とは、鳥取県中部地震によるものです。鳥取県中部地震は、2016年10月21日、午後2時過ぎに、鳥取県東伯郡三朝町付近を震央としたものでした。震源の深さは11kmほどで、横ずれ断層にともなうマグニチュード6.6の地震でした。直下型の断層による地震なので、倉吉市を中心にして、震度6弱に達する揺れが起こり、多くの被害がでました。負傷者30人ほど出て、家屋の損壊も多く大きな被害となりました。
 この地震によるその後の続報や復興の様子は、北海道ではあまり報道されず現状がよくわかりませんでした。一方、2016年の4月の熊本地震は、被害も大きく犠牲者も多かったためでしょうか、昨年1年間の情報、そして今年の5月には1年がたった時の状況や問題点などを紹介するなど、いくつものドキュメントが放映されました。鳥取地震のことも放送されていたのかもしれませんが、北海道にいる私にはほとんど聞こえてきませんでした。
 私は、三朝町に修士課程時代の2年間、研究生(オーバドクター)時代の1年、特別研究員時代の2年、あわせて5年間住んでいました。三朝町には愛着もあり、被害の状況が気になっていました。ホテルの人に聞いても、揺れが激しかったが、今では通常の営業ができているそうです。発つ日も、温泉街で「御幸行列」の祭りが行われれ、満員となるとのことでした。しかし、ホテルの窓から見ると、温泉街にはビニールシートのかかっている屋根もいくつか見えました。
 泊まった翌日の早朝、散歩して、温泉街のメインストリートを歩きました。この通りには古い温泉街の趣が残っているところでした。すると、いくつかの家の入口には、「被災宅地危険度判定結果」という張り紙がありました。青の張り紙には「調査済宅地INSPECTED」とあり、「被災度は小さと考えられます」という小さい文字がありました。黄色い紙には「要注意LIMITED ENTRY」となり「立ち入る場合には十分注意して下さい」という表記がありました。まだ、復旧ができていない家屋がいくつもあるようです。
 三朝町を発つ時、コンビニエンス・ストアに寄りました。買い物をしたあと、店員のおねいさんにお礼いって「まだビニールシートのかかった家がいくつかありますね」などと復興状況を尋ねました。すると、それまで愛想のよかった笑顔が曇り、「そうですね。まだまだです」と小さな声で答えられました。もしかすると被災された方もしれませんでした。私は、「がんばってください」としかいえませんでした。でも、明るい声で「どうもありがとうございました」という声が帰ってきました。一日も早い復興を願っています。

・昔の町・
三朝町を去る日、車でいくつか脇道に入りました。
道路が整備され、介護施設など新しい建物いくつもあり、
町もいろいろ変わっていました。
でも温泉街で人なでよく飲みにいった店など、
変わらないところもありました。
修士課程時代に、下宿していた家の前にもいきました。
大家さんが住んでいた新しい母屋と
私が借りていた駐車場の上の離れの建物は
昔のまま残っていました。
古い方の母屋は取り壊されていました。
地震のためではないと思いますが。
30数年まえの自分の記憶の中の建物がそのままあり
少々感傷的になりました。

・出張のシーズン・
いよいよ6月です。
出張が多くなりそうです。
でもすべき仕事量が減るわけでないので
出張に出る分、自分自身の時間を奪っていくことになります。
それでも、出張は大変ですが、気持ちを切り替えれば
気分転換となり心をリフレッシュすることができます。
気持ちの持ちようで同じ行為も全く違ったものになります。
そのことは、昨年1年経験してよくわかりました。
ただ、気持ちが張りつめた状態のままなので
体調だけは気をつけなければなりませんが。