2017年6月29日木曜日

6_144 LIGO 2:干渉計

 LIGOは、現代科学の象徴的な装置ではないでしょうか。巨大な装置でありながら、精密さをもっています。それに加えて、巧みな考えや仕組みが、組み込まれています。

 LIGOは巨大な観測施設ですが、非常に繊細で精密で、巧みな原理を用いた装置でもあります。
 実験装置は、野球のホームベースから1塁線と3塁線に直角に延びているL字型をしています。ただし、L字の一辺は、4kmもある巨大なサイズです。世界の研究者900人以上が参加するので、研究自体も、経費も大規模なものです。
 L字型になっているのは、コンクリートで囲われた空っぽの管です。空っぽというのは、その管の中が何もない超高真空になっているという意味です。真空の管の中を、レーザー光が鏡で反射されて往復します。まあ、空っぽの管の中をレーザー光が通っているという、非常にシンプルな装置です。しかし、その精度は非常に高くなっています。免震装置あり、そこにもいろいろな工夫が凝らされていてます。あの手この手で、精度を上げる工夫がこらされています。
 なぜなら重力波は、10^-21という非常に微小なゆがみしかないからです。この10^-21という精度は、4kmのミラー間隔で、水素の原子核の半径の1000分の1より小さい(10^-18m)ほどひずむを感知しなければならないからです。
 そんな小さなゆがみを検出するためには、装置の精度だけでは達成できません。別のゆがみを見る仕組みも必要になります。その仕組みとは、「干渉」と呼ばれる作用です。
 干渉とは、2つの波を重ねると、打ち消し合ったり、強め合ったりする作用のことです。その作用を利用して観測しようというものです。もともとひとつの光(ここではレーザー光)を2つに分けて、鏡で反射させて長い距離を移動させたのち、2つの光を重ね合わせます。そのとき光路がまったく同じ長さなら、もとと同じ強度の光に戻ります。もし長さにズレが生じていたとすると、光にムラができます。このようなムラを干渉といい、光の場合、干渉による縞模様ができます。干渉縞ができれば、光路に差が生じたことを意味します。その干渉縞を正確に観測すれば、ズレを測ったことになります。
 このような干渉という考えは、古くからあり、実験に用いられてきました。1887年に「マイケルソン・モーリーの実験」として、エーテルの存在を検証するために用いられました。エーテルの存在は否定されたのですが、マイケルソン干渉計は、現在でも利用されています。
 真空の長い距離を通るレーザー光とマイケルソン干渉計によって、重力波を捉える装置なります。LIGOは、巨大ですが、非常に精密な装置で、巧みな検出原理を用いていることになります。
 さらに、工夫がなされています。同じ性能の装置が、離れた2ヶ所に作られています。ひとつは、アメリカ合衆国のルイジアナ州リビングストン(リビングストン観測所)で、もう一つがワシントン州ハンフォード・サイト(ハンフォード観測所)です。両施設の距離は、約3000km離れています。これらは対を成している装置でもあります。
 2つのあるのは、検証のためでもあるのですが、離れたところにあると、重力波の発生位置を特定することができるのです。3000kmも離れていると、光でも約10m秒ほどの到達時間に差ができます。その差を利用して重力波の発生位置を知ることができます。
 このような巨大で精密で巧みな装置、LIGOを用いて、重力波が検出されたのです。次回は、その後の情報を紹介しましょう。

・エーテル・
マイケルソンとモーリーが実験で調べたエーテルとは
化学の用語ではなく、
光を伝える「媒質」に対して用いられた用語です。
宇宙はエーテルで満たされていると
かつては考えられていました。
なぜなら、光が伝わるために
「なにか」媒体が必要だとされていたからです。
そのエーテルの存在を調べる実験が、
マイケルソン・モーリーの実験だったのです。
非常に感度の良い、光のズレを測定する装置として
考案されたものでした。
その結果、エーテルの存在は否定されました。
しかし、エーテル説を用いない
相対性理論が台頭してきました。

・時間の流れを加速・
さてさて6月も終わります。
またもやアッという間の一月でした。
思い起こすと、いろいろな出来事がありました。
しかし、最近はいろいろなことを
深く考え込まずに、
淡々とやり過ごすようになりました。
そのため、いろいろな出来事があっても
アッという間に過ぎてしまうようです。
しかし、それぞれの出来事に思い煩っていると
精神的に持たないからです。
そんな心の持ちようが
さらに時間の流れを加速しているのでしょうかね。

2017年6月22日木曜日

6_143 LIGO 1:幸運な観測?

 大ニュースであっても時間が過ぎると、後続のニュースは流れてこなくなります。一部の専門家だけで情報が共有されているだけとなります。情報は公開されていても、ニュースにはなりません。今回は、そんな人目に触れにくい話題です。

 LIGOという名前を聞いたことがあるでしょうか。子ども遊ぶブロックのLEGOではありません。LIGOはライゴと読みます。Laser Interferometer Gravitational-Wave Observatoryの頭文字を取ったもので、「レーザー干渉計重力波観測装置」です。重力波を観測する装置で、本エッセイでも「重力波の観測」として5回のシリーズで紹介したことがありました。
 少々ややこしい話なので、まずはちょっと復習をしておきましょう。
 重力波とは、1916年にアインシュタインが一般相対性理論で予言したものです。時空に生じたゆがみが、波動として光速で伝わっていくものです。時空とは重力場を意味しますので、ゆがみが起これば重力波が発生します。重力場がゆがむことは常に起こっているのですが、それは非常に微小な現象にしかなりません。重力波を検出するためには、大きな重力のゆらぎを起こす現象が必要になります。さらに、微細なゆらぎを検出できる、非常に敏感な装置が必要になります。大きな現象と敏感な装置の2つがそろって、はじめて重力波が観測可能になります。
 そのような現象として、ブラックホール、中性子星、白色矮星などの密度が大きく、サイズの小さい天体が連星となっている場合、それらが合体する場合、また超新星爆発で大きな重力波が発生する場合などが考えられています。そのような現象でも、変動は非常に小さく、10^-21というスケールのものです。検出するには、感度が非常に高くなければなりません。
 LIGOは、2005年から2010年まで観測しましたが、検出能力が足りなく失敗に終わりました。装置を改良し2015年から観測が再開されたところ、わずか2日目に、重力波をキャッチしました。その現象は、2つのブラックホールの合体で発生した重力波でした。2つのブラックホールが、ぶつかる時の相対速度は、光速度の半分以上にまで達していました。ブラックホールは、太陽質量の29個分と36個が合体して、62個分になりました。太陽質量の3個分が、重力波として放出されたと考えられました。
 このように重力波が検出できるような現象は、数百年に一度くらいの頻度で起こるものだと考えられていました。そんな稀な現象が、観測早々に発見できたのは幸運でした。さらに、これから重力波天文学が花開くのではないかということも紹介しました。
 今回のシリーズは、LIGOの意義を再度考え、その後の活動と最新情報を紹介していきます。

・視覚の拡張・
最近の研究成果には、
人が直接見ることも感じることができないような
領域のものが多くなってきた気がします。
まあ、考えてみれば当然かもしれません。
それが科学や技術の進歩だからです。
見ることに関していえば、
目で見えるもの(波長)と比べて
検出できる範囲は何桁も広がりました。
肉眼では見れなくても、
見えるようにする技術(デジタル処理)も進んでいます。
また、遠くのものも検出したり(望遠鏡)、
行けるところはいってみること(探査機)も
できるようになりました。
それより、それを理解するための想像力が
追いつけるかどうかの方が、問題かもしれません。

・初夏の風物詩・
わが町では、ヒバリからエゾハルゼミ、
そしてカッコウの鳴き声と鳴き声が変わってきました。
早朝のカッコウの声は、
初夏を感じさせるものです。
北海道では、もう寒く感じる日はなくなりました。
まあ、乾燥しているので、
風があると涼しく感じることもありますが。
あれよあれよという間に、時間は過ぎていきます。
この間、YOSAKOIがあったと思ったら、
もう6月の下旬になっています。
時の過ぎるのは早いですね。

2017年6月15日木曜日

6_142 女性研究者の比率

 今回は、少々、趣の違ったエッセイとなります。女性の社会進出についてです。日本での女性の社会進出が促されてきましたが、研究の世界では、どなっているでしょうか。そしてその原因は?

 女性と男性は、性差があり肉体的には明らかに違いがあるので、社会や家庭の役割の違いはあることでしょう。しかし、先進国では、個人の個性、志向、嗜好、信条など多様性を認めていく社会を目指す方向に進んでいます。一方、女性と男性で能力や適正の違いがない分野では、男女の果たす役割は同等であるべきでしょう。それを慣習や「社会常識」として差があるとすれば、修正する必要があるはずです。その修正を社会や組織にまかせていくとなかなか進まいことでしょう。
 日本では。アベノミクスの「成長戦略」の中で、「女性が輝く日本」がとり上げられ、女性の社会進出が重要課題の一つに挙げられました。それに関係した「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律(女性活躍推進法)」が2015年に成立しました。組織内での女性の情報公開(見える化)が、国や地方公共団体、民間企業に義務付けられました。妊娠・出産等に関するハラスメント防止措置義務など、女性の進出を促す政策もだされました。これらいくつかの法律により、女性が個性や能力を発揮できる社会の実現のための方針がだされました。これらがどれほどの効果を持つかは不明ですが、女性の社会進出は、以前から言われていますが、具体的に政策や数値目標が示されたのが一歩前進でしょう。
 研究の世界は、どうなっているでしょうか。研究の能力に男女の差はないはずです。ですから、半々の比率になるのが、理想でしょう。ところが、大学を思い浮かべても、女性が皆無の大学はないと思いますが、女性が占めている比率は少ないように見えます。実態は、どうでしょうか。
 学術出版社のエルゼビアが、論文の著者に関して調査をしました。それによると1996年からの5年間に発表された論文で、日本での女性著者の比率は、15%でした。2011年から5年間の最新の統計では20%になりました。日本では順調に女性の進出が増えているように見えますが、その比率は、調査された12ヵ国の中では、最も低いものでした。
 最新のデータで見ると、ポルトガルとブラジルが49%、オーストラリア44%、カナダ42%、アメリカとイギリス40%、メキシコとチリ38%なっています。いずれも日本より多く、半数近くになりつつあります。それと比べて、日本の比率はかなり低いといえます。そしていずれも国でも以前の調査に比べて増えています。
 研究分野での女性進出促進政策は進められています。「第5期科学技術基本計画」では、新規採用の研究者の女性比率を、30%まで高めるという目標を掲げていますが、どうなるでしょうか。そもそも、研究者の供給源となる大学院の男女の比率が対等になる必要がります。その前の大学の学部でも対等になるべきでしょう。理系の女性比率が対等になる必要があります。そこに原因があり、対策が必要になりそうです。
 ところが、政府は、国公立大学を理系に重点をおき、私立大学に文系をまかせるという考えを見せています。研究者養成である大学の属性に、差をつけようとしているのです。そうなると、養成される研究者の属性が、イビツな比率になっていくのではないでしょうか。研究者のピラミッド全体が、男女の比率で適切になるべきではないでしょうか。どうも政府のやり方に、一貫性が見えないようですね。

・夏へ・
6月も半ばになりました。
北海道も夏が深まっています。
快晴のときは、本当に心地よいですが、
朝夕は冷え込みがあります。
雨の日は、まだ肌寒く感じる日もあります。
季節は着実に夏に向かっています。
北海道の初夏の風物詩になった
5日間に渡るYOSAKOIも先週、終わりました。
いよいよ夏に向かっていきます。

・原因の連鎖・
我が学科では、男女比は日本の平均となり、
多くもなく少なくもなくですが、
半分にはなっていません。
大学全体では、女性比率はもっと少くなくなっています。
多分、多くの大学、研究所の組織で
女性のかなり低い比率をもっていることだと思います。
大学の教員の採用時、性別をつけることなく
業績や実績にて審査がおこなわれます。
大学の女性比率を考えて、性差をつけると、
そこに差別がはいることになります。
ですから、応募者の比率が半々になっているべきでしょう。
そのためには、研究者養成や大学で男女比が
半々になっていくべきでしょう。
どこまで原因の連鎖が続くのでしょうかね。

2017年6月8日木曜日

4_141 山陰の旅 5:城崎裁判

 今回、城崎を訪れた目的は、地質とは全く関係がありませんでした。実は、私が興味をもっている作家の作品が、この地にありました。いつもの地質の旅とは違ったエッセイとなりますが、一興となれば。

 城崎は、兵庫県豊岡市にあり、平安時代から知られている有名な温泉です。日本海に流れ込む円山川の支流、大谿川(おおたにがわ)沿いに温泉街ができています。風情のある橋が渡された大谿川の両側には柳などの並木があり、そこに落ち着いた温泉街ができています。狭い地域ですが、昔懐かしい建物から、現在風のものまで、新旧の混在した町並みになっており、日常とは違った情緒を生み出しています。そんな城崎に少し立ち寄りました。
 城崎には、以前にも来たことがあるのですが、温泉には入りませんでした。今回、城崎に来たのは、別の目的地(玄武洞)に向かう途中の通り道で、地質を見るためでもありません。そして温泉に入るためでもありませんでした。まったくの趣味のためでした。
 城崎は、京都から程遠くからず、かといって都の風はないところなのでしょうか、古くから文人墨客も多く訪れるところでした。有名なところでは、志賀直哉の「城の崎にて」があるでしょうか。志賀は、山手線の電車にはね飛ばされ、そのときに負った傷の療養のため、1913年に城崎温泉に滞在しました。その体験をもとにして、一匹の蜂の死骸や、首に串が刺さった鼠、驚かすつもりで投げた石がイモリを死なせてしまったり、生と死が溢れた作品になっています。
 私が以前来たのは、志賀の小説の舞台になっていたので、どんなところかを見たかったためでした。その時も別の地質調査地に向かう途中に寄ったものでした。
 今回、城崎に来たのは、別の小説のためでした。私が好きな作家に、万城目 学(まきめ まなぶ)氏がいます。寡作の作家なのですが、小説はおもしろいものが多く、作品が出れば読んでいました。万城目氏の本を城崎にて、入手することが目的でした。
 万城目氏に温泉街を舞台とする小説書いてもらう依頼をしました。万城目氏は、志賀から100年目の2013年の冬と2014年の初夏、2回に渡って城崎に滞在して、出来上がった作品が「城崎裁判」でした。
 この小説には、いくつか面白い工夫がなされています。これは短編の薄い本ですが、作りが凝っています。ブックカバーがタオルでできています。そのため私は最初本とは思えませんでした。本体は水に濡れても大丈夫なストーンペーパーからできています。温泉に入って読んでくださいとばかりの工夫です。さらにこの本は、城崎でしか販売していないのです。城崎に来なければ入手できません。私は本が欲しいので、城崎に来たのです。おもしろい工夫に、やられてしまった一人となりました。
 この「城崎裁判」は、志賀の「城の崎にて」を前提とした作品です。幻想と現実の狭間の奇譚で、万城目ワールドになっています。内容は買った人だけの楽しみとしましょう。もし、城崎にお立ち寄り際は、温泉と一緒にこの小説も一緒に楽しむ手もあります。

・城崎文芸館・
私が「城崎裁判」を購入したのは、城崎文芸館でした。
温泉街から少し奥まったところにあるのですが、
近代的ですが、風情がある建物でした。
ここに来たのは、「万城目学と城崎温泉」という
企画展がなされているので、
それを見学することも目的でした。
万城目氏のプライベートは
なかなか知ることができないのですが
一部公開されていました。

・本と温泉・
志賀直哉が城崎にきたのは1913年で
2013年が来湯100年になります。
それを契機に、城崎温泉旅館経営研究会が
「本と温泉」という出版レーベルを設立しました。
第一弾が「城の崎にて」とその詳細な「注釈・城の崎にて」
の豆本が2箱入りになった本の出版でした。
第二弾が今回紹介した「城崎裁判」でした。
実は第三弾がすでに出ていて、
湊かなえ「城崎へかえる」というものです。
カニの殻のような素材の箱に、
カニの身をぬくように本が出てきます。
なかなかおもしろい工夫がされています。
私は、第一弾と第二弾を購入して帰りました。

2017年6月1日木曜日

4_140 山陰の旅 4:三朝温泉のビニールシート

 三朝(みささ)温泉は、古くからある温泉街です。そんな町に私は住んでいて、その後20数年ほどたちました。その間、新しい研究所を訪ねたこともあるのですが、久しぶりに通り過ぎました。

 春の野外調査では、鳥取から大山を経て岡山に抜けることにしていました。山陰の調査の初日の宿泊地を三朝(みささ)温泉にしました。三朝温泉は、12世紀に発見されとされる古くからある温泉で、大久保左馬之祐(さまのすけ)の救った白狼が夢で楠の老木から湯が湧き出ていることを知らせたそうです。それが今の元湯の「株湯」だとのことです。三朝温泉は、今も豊富な湯量を誇っています。川沿いの露天風呂も健在でした。
 調査の目的地の大山に一気にいっても良かったのですが、三朝町の被害が気になっていたので、通り抜けながら見ておきたかったのです。被害とは、鳥取県中部地震によるものです。鳥取県中部地震は、2016年10月21日、午後2時過ぎに、鳥取県東伯郡三朝町付近を震央としたものでした。震源の深さは11kmほどで、横ずれ断層にともなうマグニチュード6.6の地震でした。直下型の断層による地震なので、倉吉市を中心にして、震度6弱に達する揺れが起こり、多くの被害がでました。負傷者30人ほど出て、家屋の損壊も多く大きな被害となりました。
 この地震によるその後の続報や復興の様子は、北海道ではあまり報道されず現状がよくわかりませんでした。一方、2016年の4月の熊本地震は、被害も大きく犠牲者も多かったためでしょうか、昨年1年間の情報、そして今年の5月には1年がたった時の状況や問題点などを紹介するなど、いくつものドキュメントが放映されました。鳥取地震のことも放送されていたのかもしれませんが、北海道にいる私にはほとんど聞こえてきませんでした。
 私は、三朝町に修士課程時代の2年間、研究生(オーバドクター)時代の1年、特別研究員時代の2年、あわせて5年間住んでいました。三朝町には愛着もあり、被害の状況が気になっていました。ホテルの人に聞いても、揺れが激しかったが、今では通常の営業ができているそうです。発つ日も、温泉街で「御幸行列」の祭りが行われれ、満員となるとのことでした。しかし、ホテルの窓から見ると、温泉街にはビニールシートのかかっている屋根もいくつか見えました。
 泊まった翌日の早朝、散歩して、温泉街のメインストリートを歩きました。この通りには古い温泉街の趣が残っているところでした。すると、いくつかの家の入口には、「被災宅地危険度判定結果」という張り紙がありました。青の張り紙には「調査済宅地INSPECTED」とあり、「被災度は小さと考えられます」という小さい文字がありました。黄色い紙には「要注意LIMITED ENTRY」となり「立ち入る場合には十分注意して下さい」という表記がありました。まだ、復旧ができていない家屋がいくつもあるようです。
 三朝町を発つ時、コンビニエンス・ストアに寄りました。買い物をしたあと、店員のおねいさんにお礼いって「まだビニールシートのかかった家がいくつかありますね」などと復興状況を尋ねました。すると、それまで愛想のよかった笑顔が曇り、「そうですね。まだまだです」と小さな声で答えられました。もしかすると被災された方もしれませんでした。私は、「がんばってください」としかいえませんでした。でも、明るい声で「どうもありがとうございました」という声が帰ってきました。一日も早い復興を願っています。

・昔の町・
三朝町を去る日、車でいくつか脇道に入りました。
道路が整備され、介護施設など新しい建物いくつもあり、
町もいろいろ変わっていました。
でも温泉街で人なでよく飲みにいった店など、
変わらないところもありました。
修士課程時代に、下宿していた家の前にもいきました。
大家さんが住んでいた新しい母屋と
私が借りていた駐車場の上の離れの建物は
昔のまま残っていました。
古い方の母屋は取り壊されていました。
地震のためではないと思いますが。
30数年まえの自分の記憶の中の建物がそのままあり
少々感傷的になりました。

・出張のシーズン・
いよいよ6月です。
出張が多くなりそうです。
でもすべき仕事量が減るわけでないので
出張に出る分、自分自身の時間を奪っていくことになります。
それでも、出張は大変ですが、気持ちを切り替えれば
気分転換となり心をリフレッシュすることができます。
気持ちの持ちようで同じ行為も全く違ったものになります。
そのことは、昨年1年経験してよくわかりました。
ただ、気持ちが張りつめた状態のままなので
体調だけは気をつけなければなりませんが。