2016年11月24日木曜日

2_142 三畳紀の大絶滅 5:衝突クレーター

 三畳紀の層状チャートから衝突の証拠が見つかりました。その衝突の記録が陸地のどこにあるかを調べると、似た時代にできたいくつかのクレーターが見つかります。これはいったい何を意味するでしょうか。

 前回まで、層状チャートから見つかった宇宙塵や化学組成の特徴から、隕石の衝突事件が推定できることを紹介しました。三畳紀後半は、繰り返し生物大量絶滅イベントが起こった時代として知られています。その原因のひとつが、この発見で説明できるかもしれません。
 津久井と坂祝で隕石の証拠を発見した佐藤さんらはその成果を2010年から2013年にかけて報告してきました。それら一連の成果をもとに紹介していきましょう。
 これまでのエッセイで、従来の年代の見積もりによれば、時代がずれているようだと紹介しました。しかし、佐藤さんらは、両地域のチャート中の微化石を比較して、津久井と坂祝の化石は一致しているとしました。もし佐藤さんらの指摘のように時代的なズレがないとしたら、同じ衝突の証拠を見ていることになります。もし時代がズレていたら、2度の衝突が起こっていたことになりす。
 小さな隕石の落下は、かなり頻繁に起こっています。宇宙塵も定常的に降ってきていることが明らかになっています。しかし、佐藤さんらは、層状チャートの間にある粘土層から、衝突によってできた特異な鉱物の発見などもされており、化学組成だけでなく、大きな衝突があったことが明らかにされていきました。三畳紀後期の衝突は、層状チャートの形成場あるいは形成メカニズムを考えても、地球全体に及ぶような大きなものだったと考えられます。
 では、その衝突は、いったいどこで起こった、どのようなものだったのでしょうか。それを探っていきましょう。
 衝突の証拠は、直接知るには、その時代にできたクレーターを探すことです。もちろんそれは陸地にできたものしか残っていなのですが、それが見つかれば有力な証拠となります。三畳紀後期には、いくつかの大きなクレータが見つかっています。カナダのマニゴーガン・クレーター(直径100km、2億1400±100万年前)、フランスのロチャエチョウア・クレーター(直径25km、2億1400±800万年前)、カナダのセイント・マーティン・クレーター(直径40km、2億1900±320万年前)などがあります。時代が近いため、連続的に衝突が起こったことになります。その原因はこの際おいておいて、このようないくつかクレーターが存在することが重要です。
 クレーターは衝突イベントの証拠でもありますから、層状チャート中の三畳紀後期の衝突の証拠に、どれが対応するを突き止める必要があります。それぞれに対応する衝突の証拠が、いくつかの別の層準(時代)から見つかっても不思議ではありません。今後、年代の対応を厳密にしていき、衝突がどの時代、どの層準に当たるのかを明らかにしていく必要があります。
 佐藤さんらの報告でのさらなる新知見は、衝突した隕石の大きさが推定されている点です。その方法は、隕石由来の成分が地球の表層に撒き散らされたとした時、ある箇所の地層の成分から、全地球にばらまかれたとして、成分の総量を割り出します。隕石の種類を限定して、既存の隕石の成分比と比較すれば、隕石のサイズが推定できるという方法です。
 K-Pg境界で用いられた成分はイリジウム(Ir)でしただ、佐藤さんたちは、オスミウム(Os)量から、隕石の大きさを推定しました。ただし、海中でのオスニウムの堆積なので、溶けてしまった量などを補正して正確を期しています。その結果、隕石の直径は3.3~7.8kmだったと推定しました。この推定サイズは、K-Pg境界の隕石のサイズ(直径6.6~14km)に次ぐほどの、大きなものだとなります。では、なぜ絶滅と対応しないでしょうか。なかなか難しい謎ですね。

・若い頃の苦労・
佐藤さんは、大学院生のころに
層状チャートを研究されたのですが
大変な苦労をして、化学分析をしてきました。
論文として成果を投稿しましたが、
受理されるまで再度分析をしたりしています。
そんな苦労の末の成果を、
今回利用させていだきました。
彼女が大きな成果を上げるにあたっての
苦労を書いたエッセイもあります。
http://www.geosociety.jp/faq/content0477.html
はじめてのことは何事も大変ですが、
それが二度目、三度目となると
馴れてくることも書かれていました。
状況は違いますが、私も若い頃のことを思い出しました。

・パンサラッサ・
古生代ペルム紀はパンゲアというひとつの超大陸と
ひとつのパンサラッサという超海洋という
単純な陸海の配置にあった時代です。
海は広く深海も単調だったかもしれません。
三畳紀末にはペルム紀にできた
超大陸パンゲアが分裂をはじめます。
パンサラッサのような巨大な海の深海底で
層状チャートはできたのです。
そこには陸地に落ちた隕石の
衝突の証拠があったのです。

2016年11月17日木曜日

2_141 三畳紀の大絶滅 4:層状チャート

 三畳紀の衝突の証拠が見つかったのは、いずれも日本列島の層状チャートからです。その証拠は、目で見えるサイズではないので、実験室で分析して、はじめてわかるものです。そんなところにも日本の研究者の努力が光ります。

 いよいよ三畳紀に起こった隕石の衝突の話です。大分県津久見市の層状チャートから、さらに岐阜県坂祝町にある木曽川の河床の層状チャートからも衝突の証拠が見つかりました。いずれの層状チャートからも、多数の宇宙塵がでてきたことが、発見のきっかけになっていました。
 津久井の層状チャートからは、小さな金属粒(宇宙塵)が300個ほどでてきたということです。またその地層からは、別の隕石の証拠が見つかっています。オスニウム(Os)という鉄隕石に多く含まれている元素が、通常地層と比べて、20倍から5000倍の濃度になっていることがわかってきました。K-Pg境界ではイリジウム(Ir)の濃集が発見のきっかけなりましが、三畳紀中期の地層では、オスニウムでした。
 また、坂祝の層状チャートからも、宇宙塵がみつかりました。泥岩の部分には白金族(platinum group element:PGEの略される)の濃集があったことがわかりました。特に、ルテシウム(Ru)やイリジウム(Ir)に富んでいることが特徴でした。イリジウムは、K-Pg境界を見つけるきっかけになった元素でもありました。
 このような大量の宇宙塵やPGEの濃集などの証拠は、大きな隕石が衝突した事件があったことを表しているとされました。ただし、その場所は、現在分布している岐阜県や大分県ではなく、もともと層状チャートが堆積していた場所になるはずです。
 層状チャートの堆積場は、陸から遠く離れた大洋の深海底になります。層状チャートは、珪質部と境界になっている薄い粘土層からなります。珪質部には大陸起源の砕屑物がまったく含まれていないことから、陸から遠く離れた堆積場であることになります。そして、粘土は陸源の細粒物質ですが、風や海流にのって、少量ですが海洋にもたらされることは知られています。また、珪質部には、放散虫などの化石がよく見つかることから、珪質の殻をもったプランクトンが集まってできたことがわかります。
 このようなことから、層状チャートは陸から遠く離れた大きな海洋の深海底でできたとされています。そんな層状チャートに、衝突の証拠があるということは、地球のどこかで、大きな隕石が落下したことになります。
 ただし、注意が必要なのは、津久井の層状チャートの形成年代は約2億4000万年前で、坂祝の層状チャートは約2億1500万年前です。年代には少々誤差があるようですが、それにしても両地域の層状チャートの形成時代が、なかりずれていることになります。別時代の事件と考えてよさそうです。さらに、注意が必要なのは、この宇宙塵が見つかっている時代に、生物の大絶滅が起こっているわけではないろいうことです。
 では、これらの証拠から、いったい何が考えられるのでしょうか。それは次回としましょう。

・寒波が緩む・
寒波が少し和らいで雨となりました。
しかし、一度寒さのために厚着をすると、
なかなか薄着にもどることができないのは
私だけでしょうか。
日当たりのいい部屋で天気がいいと
暖房がいらないくらいの室温になります。
しかし、もちろん朝夕は冷えるので
暖房なしには過ごせんませんが。
冬も少し足踏みのようです。

・層状チャート・
私は岐阜県の坂祝へは行ったことがありません。
近くの犬山にはいったころがあるのですが。
一方、大分県の津久井には、一度訪れたことがあります。
そして、来年の冬には、再度行く予定をしています。
その時、詳しく見たのですが、
もう一度見てみたいと思っています。
現在、層状チャートについて
いろいろ考察を巡らせています。
その成因論は、多様で複雑で、わかりにくいもので、
現在、奮闘中ですが、なかなか答えはでません。

2016年11月10日木曜日

2_140 三畳紀の大絶滅 3:生物の繁栄

 古生代の終わりには、生物史上、最大の絶滅が起こりました。三畳紀から中生代がはじまりますが、大絶滅からの回復が起こるとともに、新しい生物たちの多様化が起こります。しかし、三畳紀末にも再度絶滅が起こります。

 三畳紀末(約1億9960万年前)には、多くの種類が絶滅が起こっていることは、古くから知られていました。三畳紀とは中生代の始まりの年代です。ビック5のもっとも激しい絶滅であるペルム紀末(約2億5100万年前)の大絶滅が起きてから、生物相が回復してきた時代です。
 それまで古生代型と呼ばれる生物が繁栄していたのですが、古生代の主要な生物種は絶滅をして、絶滅を免れた数少ない生物たちが、競争相手がいなくなった新しい環境に生き残った生物たちが一気に繁栄していきます。
 古生代にもサンゴあったのですが三畳紀からは六放サンゴの仲間が繁栄します。これの例をみてもわかるように、大きな絶滅の後には、あらたしいいタイプの生物が多様化が起こります。他にも翼形二枚貝、セラタイト型のアンモナイト、ベレムナイト(矢の形をしたイカの近縁)、ウニ類、ウミユリ(棘皮動物)などが多様化していきます。また、微生物ですが放散虫やコノドント(現在のヤツメウナギなどと類縁)などが大繁栄し多様化を遂げました。
 微生物の多様化により、ある時代に一気に繁栄し、次の時代には別のタイプが発展するというな変遷が微生物では起こります。放散虫やコノドントではこのような多様化が起こり、チャートや石灰岩の中から発見されると、示準化石として年代決定に利用されるようになります。
 大きな絶滅があると、その原因に隕石衝突が起こっていないかが、まずはチェックされるようになりました。それは、白亜紀末(K-Pg境界)の絶滅が、隕石衝突が原因であったため、他でも同じような現象があったのではないかという推測がなされます。しかし、なかなか証拠が揃うことなく、隕石衝突説が証明されいてるのは、K-Pg境界だけなのです。ですから、ビック5の絶滅のうち、K-Pg境界以外で、原因が究明されているのはまだないのです。
 しかし、逆の場合があります。逆とは、ある地層から隕石衝突の証拠が見つかっているのですが、それは絶滅を伴っているような特別な時代境界ではない場合です。地球外からの衝突の痕跡があったので、その時代に何が起こっていたのかを探っていこうというものです。隕石の衝突が、絶滅を起こしていたかどうかは、検討の余地があります。
 三畳紀中期からそのよう証拠がみつかりました。時代は、三畳紀末より1540万年も前の約2億1500万年前のことです。発見の舞台は日本です。詳細は次回としましょう。

・末から中期へ・
今回からシリーズのタイトルが
三畳紀末から三畳紀に変わりました。
これは、三畳紀中期の隕石衝突の発見の話題を
中心にしようと考えていました。
しかし、つい三畳紀末の絶滅から話を始めるつもりだったので
ついそのまま書いてしまいした。
そのことに気づいていたのが
今回のエッセイを書いているときでした。
間違いに気づいたのでシリーズの途中ですが、
今回から修正させていただきます。

・吹雪・
北海道では先週末から吹雪になりました。
今年の冬は、少々早い多くの積雪と吹雪となりました。
我が家の車は、すでに冬タイヤにはしていたのですが、
先週末の日曜日の午後から1泊の出張がありました。
激しい降雪と吹雪で道が心配だったので、昼前に自宅を出ました。
高速も圧雪状態で、急ハンドルは確実にスリップしそうです。
スリップする車も見かけたので、びくびくしながら運転でした。
月曜日の朝には、峠が完全にアイスバーンになっていました。
私の車がスリップましたのですが、見ると、
後ろのトラックもスリップしながら走っていました。
もし対向車がいたなら、事故は免れなかったでしょう。
冷や汗をかきました。
昼前に同じ道を通ったのですが、その時には、氷は解けはじめていて
スリップをすることはありませんでした。
帰りの高速道路も乾いていたので、速度規制も解除されて、
予定通りに自宅に帰り着くことができました。
ただし、交通量の少ない自宅周辺は今も雪道ですが。

2016年11月3日木曜日

2_139 三畳紀末の大絶滅 2:ビック5

 今回は、大絶滅の順位付けを、どのように考えてきたのかをみていきます。正確で客観的な順位付けをするには、統計的検討に十分たえるデータが必要になります。そのためには、多数の研究者の地道な努力が不可欠です。

 生物の大絶滅といっていますが、大絶滅の「大」をどのように決めるのでしょうか。時代境界がその「大」に当たっていればわかりやすいのですが、必ずしもそうはなっていません。なぜなら時代境界は地質学が構築され、過去の時代を区分してきた歴史的経緯を反映しているので、大絶滅を根拠にしているとは限らないからです。それに大絶滅を、どのように客観的に示すかも、問題となります。
 客観的に示すには、絶滅した種数が多い順に並べて決めていけばいいわけです。この原理は簡単で、誰もが納得できますが、そのためには長い準備期間と多大な努力、そして科学の普及が必要なります。
 絶滅の頻度を決めるには、信頼性のある大量の化石のデータが必要になります。その量は、統計的に検討して、はっきりの順位付けができる量がなければなりません。つまり古生物学の進展とともに、データの蓄積がなければならないのです。また大絶滅はある地域だけの現象ではないので、全世界的にひろがっているという現象のはずです。これは一部の地質学先進国の研究だけで決定することはできません。世界中の多くの地域、いろいろ時代で研究を進めていく必要があります。そのためには、古生物学が世界的に広がり、古生物学に関わる多くの人材が必要になります。それらの成果が集まって、大絶滅が定量的に客観的に示せるようになるのです。
 セプコフスキー(Sepkowski)が先駆者となって進めました。セプコフスキーは海の動物に関する大量の化石データのデータベースを構築して、時代ごとにグラフにして、どの時代にどの程度の絶滅があったかを、一目瞭然にしてくれました。セプコフスキーの研究によって、客観的に大絶滅を論じることができようになりました。必要であれば、植物、陸上生物などを加えたり、区分して検討することもできる道筋をつけたのです。
 このような検討から、化石を用いた大きな絶滅のうち、ベスト5(ワーストと呼ぶべきでしょうか)が決められるようになりました。時代順にみていくと、オルドビス紀末(約4億4400万年前)、デボン紀後期(約3億7400万年前)、ペルム紀末(約2億5100万年前)、三畳紀末(約1億9960万年前)、白亜期末(6550万年前)になります。絶滅の規模は、研究者や着目する分類群によって違っているのですが、絶滅の大きさの順にみていくと、ペルム紀末、オルドビス紀末、デボン紀後期、三畳紀末、白亜期の順になります。ある基準の数値でいうと、最大の絶滅であるペルム紀末では95%の種の絶滅が起こり、5番目の白亜期末では70%になったとされています。
 白亜紀末の絶滅は、K-Pg境界(かつてはK-T境界)と呼ばれ、恐竜やアンモナイトなどの絶滅があり、非常に大きな絶滅であったと考えてしまうのですが、実は5番目なのです。そして、現在このK-Pg境界の大絶滅は、隕石の衝突が原因であったとされています。でも、他の時代はまだ、絶滅原因は不確かでした。
 今回注目している三畳紀末の大絶滅は、ベスト4になります。次回からの三畳紀末の絶滅の進展を見てきましょう。

・P-T境界・
すべての種の5%しか生き残れないような
P-T境界の絶滅とは、どのようなものか気になります。
しかし、その実態はまだよくわかっていません。
P-T境界の研究は、日本が中心になり進んでいます。
境界のいつかが日本にあること
それを日本の研究者たちが中心になって
発見、調査研究していきたことから
一日の長があります。
今後、その実態が少しずつ明らかにされていくでしょう。
ただし、絶滅の原因となった地質現象が
日本列島にはないことが残念です。
そもそもその時代に日本列島は存在してなかったのですが。

・冬の訪れ・
11月になりました。
北海道は肌寒い日が続いています。
里にも雪が、何度もちらつき、
少し積もることもありました。
でも雪で車が動けなくなようなことはまだありません。
まあ、北海道の人はいち早く冬タイヤにしていますが。
我が家も、先週交換しました。
長距離の出張があり、峠越えの可能性もあったので、
早目に冬タイヤに変えていました。
足回りは、いつ降っても大丈夫なのですが、
はやり冬の訪れは、心が重くなります。