2016年10月27日木曜日

2_138 三畳紀末の大絶滅 1:大絶滅とは

 生物の大絶滅は何度も起こっています。その原因の究明はなかなか困難なようです。研究者の努力によって、K-Pg境界のように原因が明らかにされてきたものあります。今回、新たな時代での原因が、明らかになりつつあります。そんな成果を紹介します。

 ワシントン条約や絶滅危惧種、レッドデータブックなど、生物の絶滅にかかわるニュースを時々耳にすることがあります。絶滅原因が人間の営みが関係していることを、それを暗に陽に問題としている語り口のニュースが多いと思います。
 生物の絶滅は、ある生物種が絶滅することです。このような絶滅は現在もニュースになっていますが、いつの時代にも起こっていたことです。なぜなら、生物は進化していることは、化石から明らかだからです。現在は存在しない多様な種(化石種といいます)が見つかっています。化石種から現在種までの過程が解明されているものがあり、それが進化実在の有力な根拠となります。存在の証明はたったひつとの証拠でいいのです。
 絶滅がある時代に集中的に起こることがあり、そのような現象を大絶滅といいます。大絶滅は相対的なものです。生物誕生以来、さまざまな程度の大絶滅があったはずですが、地球上の生物がすべていなくなるような規模のものは、地球史ではなかったことになります。なぜなら、生物が長い時間かけてきて、進化してきたことが証拠のひとつです。
 生物の絶滅は、本来、進化論とも関係しているもので、その原因は生物間の生存競争や、自然環境の変遷などの自然の営みとして起こっているもののはずでした。しかし人間の営みが他の生物や自然環境に大きな影響を与えることになってきて、問題が顕在化してきました。たとえば、人間による乱獲、過度の伐採、開発で生物の生存領域の減少や消滅、人間によって持ち込まれた帰化生物による今までにない競争が起こりました。環境問題といわれている温暖化や海水準変動など、環境変化による生物の絶滅も起こっているのかもしれません。環境問題のからの生物大絶滅が起こるかどうかは、将来の話となります。
 では過去の絶滅、それも大絶滅と呼ばれるものは、原因はどのようなものだったのでしょうか。人類がまだ種として誕生していない時のことですから、現在のような人間活動の影響はありません。ですから、自然現象の中に絶滅の原因を求めなければなりません。ただし、大絶滅ですから全地球的な変化でなければなりません。
 これまで多様な絶滅原因が考えられてきました。氷河期や砂漠化のような気候変動、海水変動、山脈や海の形成などの地形変化、新しいタイプの生物の出現による激しい生存競争、巨大火山活動など地球内部の現象、隕石や彗星の衝突などの地球外部の現象・・・。いろいろな原因が唱えられています。どれも一長一短があります。
 研究が進むつれて、すべての大絶滅がひとつ原因で説明できないことがわかってきました。それぞれの大絶滅について、固有の原因があるようです。それぞれの時代の大絶滅に関しての個別の原因究明が、現在進行中です。K-Pg境界のように(かつてはK-T境界と呼ばれた恐竜絶滅の時代)原因がある程度確定されたものもありますが、多くは未だに不明です。今回のエッセイはそれに関するものです。
 少々長い前置きになりましたが、今回は、絶滅の原因を考えていきます。それも三畳紀末の絶滅原因に関する話題です。その前に、三畳紀末がどの程度の大絶滅があったかが気になるところですが、それは次回としましょう。

・絶滅の認定・
絶滅の原因を見極めるのは困難です。
それは、生物の絶滅が、
時代境界で、多数の生物種の消滅し、新たな生物の出現を
化石からみていくことになります。
ある時期に絶滅が一気におこれば、
化石の違いがわかりやすくなります。
隕石や火山のような急激な現象であれば、
地層にその痕跡もくっきりと残る可能性があります。
それ以外の原因の場合、
特に長い時間がかかって起こるものは
地層に証拠が残りにくくなります。
このような絶滅の認定自体の困難さも、
原因究明が困難につながっているのかもしれませんね。

・出張が続く・
今週は校務での出張が何度あります。
卒業研究の添削で忙し時期でもあるのですが、
校務ですので、仕方がありません。
気持ちを切り替えて、対応することになります。
気持の切り替えには。慣れています。
こんな時は、気分転換だと思って出かけることにしています。
だた研究時間が減り、進まなくなるのが問題なのですが。

2016年10月20日木曜日

4_131 南紀の旅 5:橋杭岩

 南紀の旅シリーズも、最後になります。今回は、奇岩の紹介です。大地の景観や名勝の多くは、地質学的背景と現在至るまでの自然現象によって造形されます。今回の奇岩も、マグマと津波によってできた景観でした。

 南紀の先端は、本州最南端でもある潮岬(しおのみさき)です。潮岬は、台風などが来ると中継によくでてくるところです。潮岬の東側には大島があり、橋が渡されていて、今では簡単にアプローチできるようになっています。
 潮岬の付け根に、不思議な岩が乱立しているところがあります。橋杭岩(はしくいいわ)と呼ばれているものです。岩石の柱が、何本も海(大島の方)に向かって、一直線に並んでいます。非常の不思議な光景です。
 柱の東側は深い海になっているのですが、西側は浅くなっており、柱がくずれたと思しき残骸の岩が多数ころがっています。杭のような岩の柱が、橋桁のように連なっているところから、橋杭岩とよばれたそうです。25の岩には、形に基づいてすべてに名称がつけられています。国指定の名勝天然記念物に指定されており、ジオパークのジオサイトにもなっています。
 橋杭岩は、幅15m長さ900mにわたって岩石が直線状に並んでいます。周辺の岩石は泥岩とよばれる黒っぽい堆積岩なのですが、橋杭岩は火成岩からできています。石英の斑晶が多数入っている閃緑岩(石英斑岩とも呼ばれます)という火成岩で、このような大きな斑晶と粒の粗い石基が混在している岩石は、マグマが上昇してきた時に、地表付近の割れ目に添って形成されたもので、岩脈とよばれています。マグマが上昇してくるときは、地層の割れ目(断層)があればそこが一番通りやすいので、断層にそって貫入ることよくあります。ですから、火成岩が直線的で板状になっているのです。
 南紀にはこのようなマグマの活動が、1400万年前ころにかなり広域に渡って起こり、「熊野酸性火成岩類」と呼ばれています。前回紹介した那智の滝をつくっている岩石も、同じ起源のものでした。
 さて時代が進み、このあたりの地層が上昇して地表に顔をだすると、侵食を受け、柔らかい泥岩が削られていきます。一方、硬い火成岩は、柱状のまま残っていきます。現在の地形は、岩脈の東側は少し深くなっており、西側が浅くなっています。ですから崩れた岩が西側だけに残って見えます。
 西側に海岸に散らばった岩を詳しく見ていくと、柱に近い所で岩が非常に大きく、離れていくとだんだんと小さくなっているように見えます。まあ、壊れた近くに大きなもの、離れれば小さくなるの当たり前のように思われますが、ここは平らな海岸です。斜面ではありません。それに小さいとはいっても一抱えもある岩です。通常の波や台風なの高波では動きそうもないサイズでもあります。このような岩の配置は、津波によってなされたものだと考えられています。
 橋杭岩は、今では駐車場や観光施設も整備され、多くの観光客が訪れるところとなりました。以前は潮が引いている海岸へ、多数の人が歩いて見学にいったのですが、今では海沿いの施設から見学するようになっています。海岸に入っていいかどうかわからなくなっていました。本当は入っていきたかったのですが、多数の観光客がいるので、入ることは遠慮しました。残念。

・人目を気にして・
自然景観を売りしている観光地は、
そこまでのアプローチがよく、
駐車場や解説板やトイレ、歩道などの施設
地質や地形を観察するのに適しています。
特にジオパークのあるところでは、
地質を観察する時が便利になりました。
ただし、前回も書いたのですが、人目が多いと、
たとえ許されていたとしても
コースから外れて石を見たり、
詳細を確認するために
露頭に近づいたりすることが
はばかれることがあります。
今回もそうでした。

・霜の降りる日・
北海道の山では、かなり早くに初冠雪の便りを聞き
数日前の快晴の日の冷え込みでは、
里でも霜の降りるような日が続きました。
そのためでしょうか、一気に周辺の紅葉が進みました。
でも、また暖かい日がくるという
気温変化の激しい気候が続きます。
冷え込みのせいで、秋が一気に深まりましたが、
このまま冬になるのでしょうか。
里の初雪まだまだ先だと思いますが。

2016年10月13日木曜日

4_130 南紀の旅 4:那智の滝

 南紀の旅は、前回の天鳥褶曲は知る人ぞ知る地質ポイントでしたが、今回は白浜、白崎に続いて、まただれもが訪れる観光地です。観光地ならではのよさもありますが、不都合な部分もあります。地質学者側の都合を紹介します。

 和歌山の海岸からは山に入るのですが、那智勝浦町には、有名な那智の滝(那智滝と表記することあるようです)があります。幅13m、落差133mの圧倒されるようなサイズの滝です。落差が日本1位だそうで、日本三名瀑としても有名でもあります。もともと宗教の場でもあったのですが、観光地としても有名なところです。
 私は、今回2度目の訪問となります。那智の滝は、周辺が熊野那智大社の社有林でもあり、滝自体は飛瀧神社のご神体となります。さらに周辺は、「那智原始林」と呼ばれて、古くから(1928年より)国の天然記念物に指定されています。そして2004年には、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」が決まり、那智の滝はそのひとつに加えられています。そのため、より観光客が多くなっているようです。
 人が多く訪れる観光地なので、狭く険しい山沿い場所なですが、周辺は整備されていて、滝を見るまでの道も整っていて、足下を気にすることになく見学ができます。ただし長い石の階段があるので、足腰の弱い人、足の不自由な方には、少々大変かもしれません。ただ多くの観光客が訪れているところなので、アクセスは非常にいいところだと思います。
 ところが、整備された観光地や通路は、地質学者にとっては、あまりありがたいことではありません。なぜなら、通路以外への立入禁止、石を詳しく見るため叩くこともできません。石の表面には風化、植生があって、本来の色や組織などの特徴が見づらくなっていることが多いです。「本当の地質学者」は、石を叩いて新鮮な面を出したいのですが、叩けないと観察に困ります。さらに保護されているところからは、石を採取したくてもできないので困ることになります。地質調査をするには、特別な許可が必要になります。
 しかし、私は「変な(偽の?)地質学者」なので、石や露頭は「みる」ことを中心にしています。記録を残すために、「とる」のは写真だけにしています。ですから、観光地でアプローチが良くなっているのは歓迎です。でも、石の新鮮な面が見えないは少々困りますが、まあなんとか石が見れれば、諦めがつきます。
 那智の滝に来たのは、石を見るためでした。ここには熊野酸性岩類が出ています。地質についての詳細は、別のエッセイである
http://geo.sgu.ac.jp/geo_essay/2009/53.html
を参照いただければと思います。
 那智の滝を構成している石には、近づけないのはわかっていました。ですから、ただ「みて」、自然や景観を「感じる」ことが目的でした。その目的は達成できました。

・本当と偽・
「本当の地質学者」であっても、
保護されていないところでも
やたらと石を叩いて割ったりするのは
控えるべきでしょう。
景観だけでなく、重要な露頭を損ねるような
試料採取は他の地質学者、後世の地質学者に対して
チャンスを減らしてしまうからです。
今では強くそう思うようになりました。
以前の私の姿がそうだったからです。
同業の地質学者の案内で
珍しい石の見学にいくと、
その度に試料を採取していました。
多くの地質学者にも同じような経験があると思います。
採取された試料の内どれくらいが、
その地質学者の研究材料になったのでしょうか。
なったとしたらそれは問題ないと思います。
私も博物館時代は、博物館の標本として
展示に使えるように採取しことはありました。
しかし、博物館以前は、研究材料としてというより
見聞を広げるため、土産代わり、
皆が採るからなどという、
今思えは無駄な、無謀な試料採取をしていたと思います。
もちろんいくつは薄片にして顕微鏡で観察し
研究に使用したものもあります。
しかし、多くの試料は死蔵されていました。
その石も、転居、転職によってどこかにいきました。
今思えば、貴重なもの、珍しいもの、
少ししかないものもありました。
いずれも「欲しい」という気持ちで採取していました。
反省しています。

・同じ画像なのですが・
観光地には、人を惹きつける何かがあります。
私は、観光地で石や地質がよく見られるところで
撮影することが多いです。
以前は人がいない瞬間までまって
シャッターチャンスを狙っていました。
最近では、人も景観の一部だと思うようにして、
対象物が隠れない限り、
人の存在をあまり気にしなくなってきました。
私自身が自然体になってきたのでしょうか。
それともよりよいものを目指す気力が
衰えてきたのでしょうか。
結果としては同じ撮影なのですが、
前者であることを願っています。