2016年9月29日木曜日

4_128 南紀の旅 2:白崎海岸

 交通網や道路網が発達してきて、高速の自動車道や鉄道での移動が主になってきています。そのため、かつての交通路が、現在では不便になってきて、目的がないとなかなか観光客が訪れないところになってきているところも多いのではないでしょうか。そんなところをひとつ紹介しましょう。

 和歌山の海岸線は複雑で、海沿いの道路はくねくねとしていて、場所によっては狭いところもあるので、車での移動で急ぐときには、なかなか大変になります。しかし、近年は高速道路が充実してきて、あっという間に目的地についてしまいます。和歌山では内陸を通っているので、海岸線を見ることはなかなかできなくなっています。でも、海沿いには、いろいろな見所があります。
 和歌山日高郡由良町は、町の中心の近くをJR(紀伊本線)も国道(42号線、別名熊野街道)が通り、町の山側には高速道路(湯浅御坊道路)も通っています。町と外部への交通からすると便利ですが、観光客は目的がないと、なかなか海岸線の道を通ることはなくなったと思います。そのため、海岸沿いにみられる思わぬ景色や名勝を見逃してしまうことがあります。
 由良の町から、県道24号線は、海岸線を通る道になっています。北に向かって進むと海岸に突き出た白い崖の岬がみえてきます。その特徴通り地名で、白崎(しらさき)と呼ばれています。道の駅もあります。私が訪れた時は、台風の影響で道路の補修が何ヶ所があり、白崎から先も交互通行になってますます通行が不便になっていました。
 さて、この白崎ですが、白い色は石灰岩の色です。石灰岩をよく見ると化石を含んでいることがあります。石灰岩からは、紡錘虫やウミユリなどの化石いろいろ見つかります。そのうちいく種類かの紡錘虫によって、時代を決めることができました。このような化石を示準化石と呼んでいます。その時代は、ペルム紀(2億5000万年前)とよばれ、古生代最後の時代になります。かなり古い時代です。
 一方、石灰岩の近くで接してでている泥岩や礫岩からは、別の種類の化石が見つかっています。ウニや貝なのですが、その時代は、中生代最初のジュラ紀(約1億5000万年前)で、石灰岩と比べて、明らかに若い時代のものです。
 これは、非常に不思議なことです。1億年も形成年代の違う岩石が、すぐ近くにあるのです。このような現象は、付加体やメランジュなどの結果だとされています。もともと熱帯付近の海洋の真ん中の海山や海洋島で形成された石灰岩(サンゴ礁のようなもの)が、海洋プレートの移動に伴って海溝まできて、その後海溝で海山が崩れて、泥岩の中に石灰岩の塊として取り込まれたという考えです。
 海で形成された岩石類が、海溝で陸に付加していくものを付加体といいます。付加体の中に取り込まれる時に、もとの構造が残されずに取り込まれ、起源の違った岩塊(ブロック)が混在しているものを、メランジュと呼んでいます。白崎の石灰岩は大きなブロックとして、付加体の中に取り込まれたものです。
 白崎は、周辺の岩石とは全く違っているため、非常に不思議な景観が目に入ってきます。白崎には道の駅も設置されていますので、もし近くに行かれることがあれば、足を伸ばしてみられればと思います。天気が良ければ、石灰岩の白と、海と空の青のコントラストがきれいです。

・昔は・
以前来た時、和歌山の海岸線を通るために、
高速道路を降りて、海岸線を車で進んだことがあります。
そのときは、なかなか目的地につかなくて
慌てたことがあります。
しかし、今ではコースさえ選べば
高速や国道の幹線道路から容易に
足を伸ばして、目的地に到着できるようになりました。
でも、目的地としなければならないのですが。

・コントラスト・
白崎の石灰岩には、昔の採掘跡の穴があいています。
今は、入ることはできませんが、
金網越しに跡を見ることができます。
明治20年代に肥料用として採掘がはじまり、
その後、セメント原料などに使われたそうです。
戦後もかなり採掘されていたようです。
今では、その痕跡だけですが、
昔の栄華を少しだけですが、偲ぶことができます。
私が訪れた日は幸い天気が良くて、
化石や石灰岩の白と海と空の青の
コントラストに魅せられましたが。

2016年9月22日木曜日

4_127 南紀の旅 1:白浜

 和歌山に野外調査に行きました。いくつかの調査ポイントがあったのですが、ほぼ予定通りにこなすことができました。今回はその中から、地質の見どころをいくつか紹介していきましょう。

 しばらく「地球地学紀行」のシリーズを配信していませんでした。8月末から9月上旬にかけて、和歌山に調査に出かけたので、久しぶりにシリーズにして書くことにしました。まずは、有名な観光地である、白浜からはじめましょう。
 白浜は、和歌山県西牟婁(にしむろ)郡にあるのですが、関西からは古くから熊野詣での道中になっているので、道路網や鉄道網ができていました。しかし海岸を走る道路は曲がりくねってなかなか大変な行程だったのですが、最近では、白浜までは高速道路ができているので、比較的アプローチが楽になってきました。
 白浜には、地質によって織りなされている名勝がいつくかあります。白い砂が目に鮮やかな白良浜(しららはま)、ラクダ背のような形の島に丸く穴の空いた円月島、海岸に広がった平らな岩の千畳敷、すごい断崖絶壁の三段の崖などがあります。狭い地域に多様な景観があり、見ごたえがある地です。その上温泉があるので、古くから観光地として多くの人が訪れていました。
 白浜温泉は、熱海温泉と別府温泉と並んで日本三大温泉とも呼ばれ、道後温泉と有馬温泉とともに日本三古湯のひとつに数えられています。かつては、白浜は地域の古い名称である「牟婁(むろ)の湯」と呼ばれていました。
 この有名な白浜温泉ですが、実は、近くに火山がないのです。つまり熱源となものが見当たらないのに、温泉がわいています。ただし、温泉の定義には、温度が低く(20℃以下)でも、定められた成分が一定量以上含まれていれば温泉と名乗れます。しかし、白浜温泉は、78℃という高温の熱湯が湧いていますので、温度においても立派な温泉になっています。紀伊半島には、白浜温泉の他にも、湯の峰温泉(92.5℃)などの高温の温泉が豊富に出ているところがあります。熱源となる火山がないのに温泉がでています。少々不思議な温泉です。
 火山が以外に、どこかに、何らかの熱源となるものがあるはずです。周囲には、中新世に活動した火成活動(熊野酸性岩類と呼ばれています)が起こっているので、そのマグマが熱源ではないかと、かつては考えてられていました。しかし、その因果関係は確かめられたわけではありませんでした。それに、1200万年前のマグマなので、あまりにも古すぎるので、熱源となっているかどうかには疑問もありました。
 近年の地電流の調査から、地下10から15kmに、高温の部分があることがわかってきました。その高温部は、深度30kmに沈み込んているフィリピン海プレートから絞り出された高温の熱水を含んでいる領域であることがわかってきました。地下水が、その高温部分によって温められたものが温泉として出てきているのではないかと考えられるようになってきました。似たような起源として、兵庫県の有馬温泉があります。
 実はそんな理屈を考えることもなく、白浜の温泉につかってきました。

・核燃料開発機構・
ここで示した温泉の起源の成果を出したのは、
核燃料開発機構が2004年に調査報告したことでわかりました。
科学にとっては重要な成果がでたのですが、
その調査の目的はわかりません。
核燃料開発機構は、
さまざまな組織改編を繰り返しています。
原子燃料公社
→動力炉・核燃料開発事業団
→核燃料開発機構
→独立行政法人日本原子力研究開発機構
→国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
・・・・など流転しています。
この変遷は、日本の原子力行政の躊躇や迷いを
表しているような気がするのは、私だけでしょうか。

・後期授業のスタート・
後期の授業がはじまりました。
初日は、めまいがするほど忙しさでした。
夕方、研究室の席についた時は、
ぐったりしていました。
まあ、こんな日もあるのでしょうが、
最初だけにしてほしいものですが
どうなることやら・・・・。
なお今日22日は秋分の日で祝日ですが
我が大学は通常授業をしています。

2016年9月15日木曜日

1_149 隕石と大気 4:矛盾

 27億年前に大気上層部で反応した隕石の溶融物が見つかりました。そこから推定された大気組成と、今までの知見とは矛盾しているものでした。その矛盾を解くには、特別なモデルを考える必要がありそうです。そのモデルは納得できるものでしょうか。

 地球の大気は、地表付近が一番濃く、上空に行くにしたがって、大気の密度は小さくなります。対流圏(10数kmまで)はなかり大気がありますが、成層圏(10から50km)はかなり少なく、中間圏(50から80km)より上空では大気は千分の1以下になっていきます。
 そんな薄い大気でも、隕石が大気圏に突入すると、大気との摩擦により高温になっていきます。その時、熱によって隕石が融けます。隕石のサイズにより、溶融部分が表面だけの場合と、全体が融けることもあります。いずれにしても、いったん溶けた隕石の部分は、大気と反応しながら再度固まっていきます。
 今回の報告では、現状の大気の状態だと、砂粒ほどの「微小」な鉄隕石は、75から90kmの上空で溶けたと考えています。かなり薄い大気ですが、摩擦で溶けたようです。これは、現在の隕石の観察から推定されています。
 溶けた部分が固まるとき、周りの大気との反応が起こり、反応物に大気の組成を記録しているというのです。溶融物では急激な冷却があったようで、隕石には急冷によってできた樹枝状や羽毛状の組織があります。このような組織は、マグマが海水などで急冷した時によくみられるものであります。急冷は間違いないものです。
 急冷してできた鉱物は、ウスタイト(FeO)と金属を伴った磁鉄鉱(Fe3O4)でした。もともと隕石は、金属鉄からできていたので、このような酸化状態の鉄は、大気との反応でできたことになります。鉱物の酸化状態から考えると、大気の酸素濃度は、現在ものに近かったと推定されます。酸素と一酸化炭素の比率は、一酸化炭素による酸化よりずっと高い状態であったと考えられます。
 一方、海底の堆積物のイオウの化学組成からは、無酸素状態の環境であるデータが出ています。また一般に地表付近の大気も、まだ酸素が少なかったと考えられるので、今回の報告されたデータは、今までの知見と矛盾することになります。
 現在の考えでは、酸素はストロマトライトを形成したシアノバクテリアのような光合成生物が酸素を一気に形成した(24億年前)とされています。その証拠は多数あります。それ以前(27億年前)には、地表付近には酸素はほとんどなかったとはずですが、大気の上層部だけ大量の酸素があったということになります。
 このような矛盾を解決するひとつのモデルとして、太古代には大気の上層と下層の混合が少なかった、と考えれば解決できそうです。このモデルをどう考えるかは、今後の課題です。謎はすぐには解けそうにありません。

・いよいよ講義が・
今年は、北海道には、何度も台風が上陸し
例年とは違った天候でした。
しかし、この1週間ほどで、秋は着実に進んできました。
朝夕は涼しくなってきました。
朝大学に来る時は上着が必要になります。
そろそろ大学の夏休みも終わります。
来週からは授業がはじまります。
また慌ただしい日々がはじまります。

・外壁の塗装・
現在、自宅の周りに足場が組まれています。
外壁の塗装のためです。
10数年に一度の外装工事です。
先日の日曜日に、屋上を見るチャンスなので
その足場をつたって屋上に上がろうと思いました。
今まで自宅の屋上を見たことがありません。
ところが、3階の足場で足がすくみ、上がれませんでした。
屋根までは階段はなく足場をよじ乗る必要があります。
同じ日に2度チャレンジしましたが、だめでした。
でも、足場のあるうちのなんとか
再チャレンジして、屋根の上に出たいのですが、
どうなるでしょうかね。

2016年9月8日木曜日

1_148 隕石と大気 3:27億年前

 隕石と大気、それも過去の大気との関係を調べた報告を紹介します。今回の報告では、27億年前の大気組成を推定したというものです。直接過去の大気組成の測定はできないので、どうしても間接的になりますが、なかなかニュニークな方法です。

 イギリスの科学雑誌「Nature」の5月12日号に、
Ancient micrometeorites suggestive of an oxygen-rich Archaean upper atmosphere
(酸素に富んだ太古代の上部大気を想定させる古い微小隕石)
という表題の論文として、オーストラリアのモナシュ大学のトムキンズと共同研究者たちによって報告されました。
 隕石(宇宙塵)は、オーストラリアのピルバラ地域の27億年前の石灰岩から発見されました。調査した岩石からは、60粒の隕石が見つかりました。隕石の保存状態も良かったようで、落下時の化学組成が残されており、27億年前の情報が読み取ることできました。
 27億年前という時代も、地球の歴史におては重要な意味がありました。というもの、地球に酸素が急激に増えてきたのは、24億年前あたりからで、それ以前は、大気中に酸素はほとんどなく、今とは全く違う大気の組成の時代でした。現在の大気中の酸素と比べると、その量は0.001%以下だったと考えられています。
 そもそも過去の大気組成を、直接分析することは、なかなか困難なことです。残された地層の状況から間接的な情況証拠で示されたり、シミュレーションなどによる推定によるものになっていきます。
 27億年前という時代は、落下した隕石の年代としても最古(これまでの記録より10億年近く遡る)となり、それだけでも価値があります。しかし、報告には、それ以上の意義がありました。隕石から、当時の大気組成を見積もったことです。
 では、どのようにして、過去の隕石から大気組成を見積もることができたのでしょうか。それは、この微小隕石ができる過程に秘密があります。
 もともとは大きな鉄隕石だったものが、地球の大気圏に突入する時、摩擦で溶けて、小さな粒になったというのです。今日と同じような大気の密度であれば、隕石は75から90kmの上空で溶けたと考えられます。溶けた後、冷えて固まった時、大気と反応して、その状態を記録したと考えられるのです。
 その詳細については、次回に。

・野外調査・
和歌山の調査から5日(月)に帰ってきました。
台風の合間の晴れの期間が、調査の日程とピッタリと合いました。
予定していたところは、一通り回ることができました。
非常に幸運でした。
1週間も調査していると、何日かは雨に降られます。
そんな時は、予定通りに、調査は進みません。
重要な場所を見る時は、天気が非常に心配になります。
時には干満の様子も調べていかなければなりません。
干潮でも、海が荒れていたら行けないところもあります。
今回もそんな所があったのですが、
なんとか無事たどり着くことができました。
満足できる調査になりました。

・著書出版・
ライフワークにしている研究のひとつが
この度、成果として実を結びました。
2月から執筆していた著書が、野外調査中に印刷され納品されました。
出勤して、早速、受け取りました。
少部数の印刷ですので、最初は自費出版を考えていたのですが、
公費で賄うことができました。
PDFでも、データを貰う予定ですので、
一般にも配布しようと考えています。
少々、専門的になりますが、
「地質学における分類体系の研究」
というタイトルの本です。
PDFファイルが送られてきたら、アドレスをお知らせします。

2016年9月1日木曜日

1_147 隕石と大気 2:宇宙塵

 隕石の落下は、だれもがどこかであったことを聞いて知っています。映像でみた人も多いでしょう。地球全体とすると、よくある現象に思えます。しかし、地層から見つかる隕石は稀です。この違いは何によるものなのでしょうか。

 隕石がどの程度の頻度で落下しているのかを考えていきましょう。現在の地球での隕石の落下頻度は、かなり多く思えます。もし人の住んでいるところに隕石が落ちてくれば、ニュースになります。ロシアに落ちた隕石は有名ですし、日本にも人家に落ちた隕石が、ニュースになったことは何度かありました。
 ロシアの隕石のように人が住んでいるところに大きな隕石が落ちれば、今では、どこかでだれかが画像や動画を撮影しています。それをメディアが大々的に流がれる時代になりました。そのような状況が、隕石落下の頻度を実際より多く思わせている感があります。
 ひとつの地域に限れば、隕石落下は稀な現象です。しかし、地球全体でみれば、人の住まないところの方が圧倒的に広くなり、比率を考えると、年間にかなりの数の隕石が落ちてきていると推測されます。多分過去も、同程度の頻度で落下していたはずです。
 地球表層全体として考えれば、隕石の落下は稀なことではなさそうです。しかし、地層中から隕石がみつかることは稀なことです。地層中の隕石など聞いたことがある人は、専門家以外にはいないでしょう。現在の地球に落下している隕石の頻度と地層中に見つかる隕石の頻度には、どちらも隕石の落下ですが、どうも違いがありそうです。
 これは少し考えればわかることなのですが、それは私たちがみている地層面積と、現在情報収集できる地表の面積の違いがあるからです。
 地球表層全体として見ると隕石は、毎年多数落ちていると言えるかもしれません。またすでに落ちているものを見つけることもできます。南極のように隕石の集積メカニズムがあるところや、砂漠のように隕石が見つけやすい場所からは、多数の隕石が発見されています。そのため、最近隕石は市場に多数出まわるようになってきました。このようなことから、隕石は珍しいものではあるのですが、個人でも簡単に手にできるほどの存在になってきました。
 またサイズを問わなければ、チリのようなサイズ(宇宙塵と呼ばれる)のものなら、結構多数落ちてきています。人工衛星の観察によれは、年間4万トンも降り注いでいると見積もられています。特に金属製の宇宙塵は比較的簡単に見つけることができます。しかし、宇宙塵は顕微鏡サイズの隕石です。
 一方、地層から見つける場合はそうもいきません。ある地層のある断面を考えてみましょう。現在見えている地層は、風化、侵食作用によって、ある断面が地表に露出しているものです。ですから、隕石が表面に出ている期間は限られています。また、地層の堆積している場(堆積盆といいます)全体の面積で、ある断面に隕石が見つかるかということです。現在の堆積盆に線を引いて、そこを切ってみた時、その断面に隕石が見つかるかどうかです。断面は露頭の長さです。多分そんなに長い断面ではないはずです。なかなか難しいはずです。可能性は、非常に稀なことだと推定できます。ですから地層断面から見つかる隕石は、非常に稀なものといえます。
 ただし、隕石が小さく、宇宙塵のようになれば、見つかる頻度は大きくなっていきそうです。あまりに小さいと今度は引き出せる情報は限られていきます。まあ、それは実際によみとった事例をみていけばいいのでしょう。
 隕石の痕跡は、どの時代まで見つかっているのでしょうか。長々と述べてきましたが、ここまでが今回のシリーズの前置きです。世界最古の微小隕石の発見と、そこから読み取られた報告を紹介するシリーズです。

・森へ行くと・
本エッセイが発行されているいる時は、
私は、和歌山の方で調査をしています。
このエッセイはの発行は予約をしていたものです。
天候が不安なのですが、こればかりはいつものことで
心配してもしょうがありません。
ただいって、そこで臨機応変に、考えていくしかありません。
野外調査にはいくつもの目的を持ってでかけますが、
自然の中に入り気分転換できることも隠れた重要な目的です。
私は、森の中に入りるとホッとします。
先日も短い調査で、森にはいったのですが、
緑の中の林道を車で走っていると
ホッとした気分になり癒やされます。
今回の調査でも。味わえるでしょうか。

・冪乗則・
小さいものは多く、大きいものは少ないという規則性があります。
このような規則は指数関数になっているため
冪乗則(べきじょうそく)と呼ばれています。
隕石の落下の頻度も冪乗則に従っています。
大きな隕石の落下はめったにありません。
小さくなれば頻度は大きくなり、
宇宙塵のようなものになれば
かなり当たり前のことになります。
地震のマグニチュードの頻度、
生物のスケーリング則(アロメトリー)も冪乗則です。
また自然界だけでなく、所得の分布などのように、
人間界にもこのような規則性が当てはまります。
不思議な規則性ですね。