2015年9月24日木曜日

4_122 残念シリーズ 1:上村

 調査シリーズがしばらく続きます。今回のシリーズは、その地にはいったのだが、所定目的が達成できずに断念したものを紹介します。実はこんあことが何度がありました。そんな残念なシリーズとして、いくつか紹介したいと考えています。

 9月上旬に、大分県とその周辺に1週間ほど野外調査にでかけました。私の調査は、いくつかの目的を持ってでかけ、それにあったいくつかの露頭を探し、そこをしっかりと見ることにしています。
 一番いい露頭で、見る、記録、撮影することが中心で、実物試料の収集はしません。見て、感じ、考えることを重視しています。ですから、一度で目的が達成できなれば、何度でも日や時間帯を変えていくこともあります。一度の野外調査では、そんな目的をいくつかもって出かけることにしています。
 ちょっと変わった野外調査で、地質調査とも違っています。ですから、人とペースを合わせるにくいので、基本的に一人で出かけることになります。出かける前に下調べはして行くものの、優先順位をつけ、その順に目的を達成しようと努力することになります。優先順位が上でも、ダメなら再度そこを訪れることになります。2度もチャレンジでもダメならどうするか、悩ましいところでもあります。
 今回、紹介する上村(かむら、かみむら、とも)は、2度目でした。優先順位は、今回の調査ではそれほど高くないのですが、以前見れなかったので再度行くことにしました。
 上村には、秩父帯に区分される地層が分布し、ジュラ紀に付加した石灰岩があります。この石灰岩は、当時のたった一つの大きな海洋(パンサラサと呼ばれています)にあった海山の、山頂部の浅い海に溜まったものです。石灰質の破片が集まったもので、大陸からの物質はほとんど含まれていません。ですから、この海山は陸から遠く離れた海洋でできたもの(ハワイのようなところ)と考えられます。上村の石灰岩は、ペルム紀中期と後期をまたいだ(G-L境界と呼ばれている)時代(約2億6000万年前)に形成されたものです。
 さて、ペルム紀と三畳紀の時代境界は、古生代と中生代の境界にもなっており、地球史上最大の絶滅があったことがわかっています。しかし、P-T境界の絶滅は、単独の事件ではなく、その1000万年ほど前にも先行する大絶滅があったことがわかってきました。上村の石灰岩は、G-L境界の異変が記録されているところになるわけです。
 その露頭を見たくてでかけました。一度目は、位置をカーナビでだいたいのころとを指示していったところ、小さいな野良道に入り、場所がわからなくなり、うろうろしてしまい迷い、結局は時間切れで諦めました。今回は、地図と以前の巡検の調査の記録などをざっと読んでいたのですが、いくつかの露頭はみて、試料が多数採取されたのは発見したのですが、境界位置がよくわかりませんでした。雨上がりのヤブの斜面をずぶ濡れになりながらはいったのですが、見つかりませんでした。
 本来であれば、行く前にきっちりと調べておくべきでしたが、いい加減な下調べは無駄足をすることになります。帰ってきてから調べて、他にも別の沢筋や別の道路脇などにも露頭があることがわかってきました。後悔先に立たずでしょうか。しかし、優先順位が低いとそんなこともあります。
 帰ってきてからですが、今ではしっかり調べたので、次回行く機会があれば、きっと目的の露頭は見かるでしょうが、あまり明瞭ではなさそうで、いくかどうはチャンスが巡ってくるかどうかです。

・私のやり方・
上村が優先順位が下だったのは、
他の時代の境界にあたる層状チャートを見ることが
優先順位の最上位にあったためです。
また、午前中に山奥に初めて行くところで
ある種類の岩石を見る予定でした。
そのちらの方が優先順位が上でした。
ところがあいにくの雨でいったのですが
ダメになったのです。
それは次回の紹介します。
まあいろいろあって、
こんな事態になったのです。
案内者がいない地域を一人いくと
このようなハンディがあります。
これもした方がないことです。
でも、このようなやり方を私は選んだのです。

・旅行気分・
調査の目的は果たせなかったのですが、
その夜は高千穂の民宿に宿泊しました。
おかげで得することがありました。
宿のご主人から、夜神楽を毎日やっていること
さらに高千穂の真名井の滝が夏の間ライトアップがされていて
その夜が最終日だという
ことを聞きました。
さらに、宿のご主人が送迎をしてくれるというのです。
調査をした後には晩酌のビールがつきものなのですが、
車だとそれができません。
しかし、送迎していただけるので
一杯やったあとで神楽と夜景を堪能しました。
想定外ですが思わぬ旅行気分を味わえました。
悪いこともいいこともあるのです。

2015年9月17日木曜日

4_121 竜串 4:見残し

 四国の竜串シリーズも今回で終わりとします。竜串は、きれいな地層と構造がいろいろみられるところです。しかし、すぐ近くにも、あまり人目にふれずに地質学的な見どころもあります。そこを紹介しましょう。

 竜串は、国道321号線から、すぐにアプローチできるところにあります。近くには足摺海底館とよばれる海中に伸びた塔があります。海底館を降りると、海底を見学することができます。もちろん、団体さんが気軽に訪れることができるように、道路も整備されています。
 竜串は足摺宇和海国立公園なのですが、このような海底を見せる施設があるのは、国立公園に海中公園が6ヶ所ふくまれているからです。そして竜串も海中公園に指定されています。
 この周辺では、竜串が一番の観光地になっているのですが、実はもうひとつ重要な地質学的な見どころがあります。「見残し」と呼ばれるところです。
 見残しは、竜串の南東にある千尋岬(ちひろみさき)の奥にあります。道はないので、グラスボートで向かうことになります。「見残し」とは不思議な地名ですが、弘法大師がこの地を見残したということで名付けられたと案内されています。本当のところは、明治時代の日本画家の川田小龍が、竜串だけをみて帰る人が多いので、この地を見残しているようだということで「見残しの景」と名付けたそうです。
 さて見残しですが、竜串と同じ地層がでています。ただし、こちらの地層には、きれいな化石漣痕(れんこん)をみることができます。漣痕(ripple mark)とは、堆積物の表面に水や空気の流れによって、規則的な波模様のことです。砂丘や海岸の砂浜に風によって形成される風紋が、その典型です。海底でも流れがあれば、波模様が海底に形成されます。
 それらの表面の模様は、次の流れがあれば消えてしまいます。しかし、地層が上をうまく覆って形成されると、漣痕がそのまま地層の境界に残ることがあります。それが化石漣痕となります。地層境界に繰り返し化石漣痕が多数みられることもあるので、そのような条件はまれなことではなく、よくおこる作用のようです。
 地層境界に残された化石漣痕が、見残しではいろいろと見られるところなのです。見残しの化石漣痕は、学術的にも重要だとされ、「千尋岬の化石漣痕 」として、1953年に国の天然記念物に指定されています。
 グラスボートで見残しまでいって、そこから歩道の遊歩道を歩きながらみることができます。コースは途中でくずれて、すべてを進むことはできませんが、もっと先まで化石漣痕があるようです。時間があればぜひ行ってみたい気がしますが、それは別の機会としましょう。

・阿蘇噴火・
先日、九州の大分を中心に
近くの宮崎と熊本もまわりました。
阿蘇山も、2日間めぐりました。
そこに先日の噴火したというニュースでした。
もともと火山活動が活発化していたので、
噴火の危険性はありました。
今回の噴火は、帰札直後だったので少々驚きました
もし時期が一致していたら、
予定を変更して、いろいろ見て回ったかもしれません。
まあ、校務があるので、
あまり自由に振る舞えはしないのですが。

・河田小龍・
河田小龍は、
ジョン万次郎がアメリカから帰国した時
取り調べにあたりました。
その間、自宅に住まわせ、
一緒に暮らしながら、
役所に出頭させました。
その間、万次郎に日本語の読み書きを教え、
自分は英語を学びました。
そんなやり取りを通じて
友情も芽生えたようです。

2015年9月10日木曜日

4_120 竜串 3:海岸の堆積物

 竜串のシリーズではじめたのですが、実はタイトルだけで竜串は今回がやっと登場となります。竜串のような海岸の堆積物は、堆積場の形成には付加体が関連するのですが、地域性が現れれやすいところでもあります。さらに環境変化も激しいので、なかなか面白い地層がたまるところでもあります。

 さて、前置きが長くなりましたが、やっと竜串の話しになります。
 竜串の海岸には、海に向かってまっすぐに地層がつきだして広がっています。アプローチも便利なので、見学しやすいところです。ただし海岸なので、波の影響を受けるので、見学は天候や干満に注意する必要があります。
 竜串の海岸では、地層の断面を見ることができます。いろいろな地層の構造を見ることができます。前回紹介したタービダイトとは、一味違う地層です。
 竜串の地層は、付加体の上にたまった地層です。下にあるはずの付加体は、漸新世後期(5000万~4000万年前)から中新世(3000万~2000万年前)のものですが、その上にたまった地層は、化石が少なく時代はあまり明らかになっていないようですが、前期中新世の化石が地層の下(基盤といいます)の方からみつかっています。竜串層はもっと新しい時代のもののはずです。
 竜串に分布する地層は、竜串層と呼ばれていますが、三崎層群のもっとも上部になります。三崎層群は非常に厚くたまった地層で、3000m以上もあると考えられています。付加体の上、大陸斜面の海岸付近にまたった地層だと考えられています。堆積物が大量にたまる場だったようです。
 このような環境は、よく形成される環境です。それは、海溝から離れて陸に近いところでは、プレート(竜串ではフィリピン海プレート)に押されて、付加体が盛り上がり、隆起する部分ができるためです。この隆起が堆積物を貯める場(堆積盆といいます)となります。ただし、場所ごとに特徴が形成されやすくなります。
 三崎層群の環境は、上に向かって堆積物が粗いものになっていくことがわかっています。堆積物がたまった堆積場として、海岸の沖で日常的な波浪の影響を受けず台風などの影響でしか受けない浜(沖浜)から、波の影響を受ける海岸近くの浜(外浜)、そして陸域の河口へと変わっていったと考えられています。
 竜串層は、もっとも陸に近い、あるいは陸域の堆積場であったと考えられます。地層は砂岩の多い互層になっています。そして、地層内や境界部(もともとの海底面)には、生物の生活していた跡(生痕化石といいます)がよくみつかります。これが、大きな特徴となっています。
 生痕化石には、パイプ状や表面にコブ状突起をもっている奇妙な形のものがたくさん見られます。これらの生痕は、オフィオモルファ(Ophiomorpha)とよばれるもので、甲殻類の巣穴の跡です。干潟から海岸の砂地(前浜)に住む生物の跡です。
 生痕化石から、竜串層は、蛇行する河川や網状河川などの環境が考えられてきました。ある地層には、楕円型あるいはアーモンド型の生痕化石も、多数見つかるところがあります。こちらは、二枚貝があわてて逃げた跡(逃避痕とよばれます)だと考えられています。これらの生痕化石の研究から、竜串層は、砂がたくさん供給されているところで、網状の河川で、蛇行する川などの場に限定されてきました。
 前に紹介したように、付加体は、多様な起源の岩石が混在させられるメカニズムがありました。また、タービダイトにも、たまる場所なや流れこむ土砂の量、それらの重なりぐあいにより、形成される地層は、多様性が生まれました。そして、付加体の上、あるいは海岸付近でも特徴的な堆積物がたまります。それらが複雑に絡み合っているとことが日本列島なのです。
 さて、竜串の不思議さは、ここだけではありません。少し場所は離れますが、まったく起源の違う岩石を、次回は紹介しましょう。

・竜串が少ない・
このシリーズは、5月に調査にいったときの話を書くため
竜串とタイトルでスタートしました。
竜串周辺の地質の話をしているのですが、
もともと、竜串だけでシリーズを
まとめるつもりではなかったのですが、
付加体やメランジュなど
ついつい興味のあることから書き始めてしまいました。
そのため、前置きが長くなってしまいました。
次回は、竜串というより足摺に近いところの話しになります。
まだ、紹介をしたことのないところなので
書こうと考えています。

・調査中・
実は、前回と、今回のエッセイの発行は、
予約を配信したものでした。
野外調査にでています。
このエッセイの発行する日に帰ってくる予定なのですが、
発行が間に合わないので、予約配信しました。
その調査の話は、近うちにしていきたいと思っています。
今回の調査は、大分から宮崎北部を中心としています。
何度かいっているのですが、
再度調査したいところ、
まだ見ていないところなど
いくつか調べたいポイントがあります。
それを順番に見ていくことになります。
予定通りに見れるかは不明ですが、
天気が心配ですがどうなったいることでしょうか。

2015年9月3日木曜日

4_119 竜串 2:海と陸のもの

 高知の海側は付加体が分布する地域が多いところです。付加体には、グチャグチャになったメランジュや多様な岩石もあります。そのような不思議な産状も、多様な岩石のできかたも、沈み込みで説明できます。

 竜串は、四国の足摺岬の付け根あたりに位置します。足摺岬や内陸の所々に火成岩がでていますが、それ以外のところは、四万十帯と呼ばれる付加体が広く分布している地域です。ただし、竜串の地層自体は、次回紹介しますが、付加体の上に溜まった堆積物です。高知の南半分には、四万十帯が東西に連続しながら広く分布しています。
 四万十帯は、北から白亜紀前期、白亜紀後期、新生代始新世から漸新世前期、漸新世後期から中新世に形成された付加体から構成されています。内陸ほど古く、海側より新しくなっています。これはフィリピン海プレートの沈み込みによって、付加作用が継続していることを反映しています。
 竜串付近は、四万十帯の中でも海側に位置していますから、最も新しい漸新世後期(5000万~4000万年前)から中新世(3000万~2000万年前)に形成された地層となります。付加体は今も形成されているわけですから、海洋プレートに押されてつぎつぎと陸側に付け加わっています。最新の付加体は海溝付近の地下にあり、竜串あたりの付加体は、2000万年かかって海洋プレートの沈み込みによって陸側に移動しながら、持ち上げられたものです。
 タービダイト層は、もともとは整然とした砂岩泥岩の互層の地層として形成されたものです。しかし、付加体に取り込まれるときには、整然とした地層が乱れることもよくあります。平らな地層が、斜めに沈み込むプレートの力を受けることになります。タービダイト層には斜めから力がかかり、地層を切るような断層が形成されます。付加体のタービダイト層には、整然とした地層から、断層が多数ある乱れたもの、ひどい時にはもとの岩石の並び(層序といいます)が、めちゃめちゃに壊されたものまであります。
 断層が規模が大きくなると、タービダイト層の岩石だけでなく、起源の違ういろいろな岩石が混じったものができることもよくあります。このような大規模は断層帯の岩石部は、メランジュと呼ばれていまます。
 大きな断層ができると、付加体の中に、海洋の構成物が取り込まれることがあります。これは、いくつかの段階を追って起こる現象です。
 沈み込み帯では、巨大なプレートの衝突が起こっているところですから、沈み込む側の海洋プレートにも、大きな力がかかっています。海洋プレート上部に力がかかり、地下深部で断層が形成され、付加体の中に断片として取り込まれます。その後付加体の中に形成された大きな断層は、タービダイト層と取り込まれた海洋プレートまで及ぶことがあります。
 海洋底を構成していた岩石のうち、陸に持ち上げられた一連の岩石を、オフィオライトと呼んでいます。海洋プレートの上部は、海洋底に溜まった層状チャートや海洋地殻(玄武岩からできています)からできています。付加体の中には、オフィオライトの断片がよく見られるので、沈み込み帯では普通に起こる現象なのでしょう。
 メランジュには、さまざまな岩石が混在しています。海洋プレートの構成要素、タービダイト層の構成要素が、量比もさまざまに入り乱れたものなります。付加体では、整然としたタービダイト層、オフィオライト、多数の断層ができているもの、メタンジュになっているものまで、多様なものが見られます。しかし、これらの原動力は海洋プレートの沈み込みです。
 オフィオライトには海の情報が記録され、タービダイトには陸の情報が記録されています。付加体は、別々の場所に別々の時期にでできたものが、あるとき両者が混在して、その後長い時間を経て陸地に分布することになったのです。付加体は、なかなか面白い素材ですよね。さて、次回から、いよいよ竜串の地層の話です。

・オフィオライト・
私が地質学を目指した卒業研究のテーマは
北海道のオフィオライトでした。
その後、修士、博士過程の研究素材も
一貫してオフィオライトでした。
オフィオライトは、付加体の重要な構成要素です。
日本列島には各地にオフィオライトが分布しています。
私は、北海道からスタートして
中国から近畿地方にかけての
各地のオフィオライトを調べていました。
それも、今は昔です。
今では、海側の層状チャートと陸側のタービダイトに
興味をもって野外で観察しています。
陸地の調査ですが、過去の海と陸に思いを馳せています。

・変化・
長らく地質関係のエッセイを続けていると思うのですが、
自分の興味の中心が
エッセイのテーマになることが多くなっています。
しかたがないことだとは、思います。
面白いことに、15年以上も続けていると
自分自身の興味が変化していることも見てとれます。
かつては、オフィオライトからスタートし、
同位体組成の分析法の開発にうつりました。
その後、転職してからは、神奈川の地質になりました。
再度の転職で、人工衛星による世界の地質へ、
さらに河川や砂、石ころへと移りました。
最近ではタービダイトや層状チャートなどの堆積岩へと
興味は変わっています。
私は興味が変化するとテーマを変えてきました。
私のように気軽にテーマを変える人もいれば、
一つのテーマを長く研究し続ける人もいます。
いずれも、研究姿勢としてはありうるものでしょう。
どちらをとるかは、
研究をおこなう人の考え方によるのでしょう。