2015年8月6日木曜日

6_128 新たな地平 3:紆余曲折

 惑星探査機「ニューホライズンズ」の計画がスタートするまで、スタートしてからも、いろいろ困難が場面がありました。それを克服するには苦労があったと想像できます。その末の今回の成果です。関係者の喜びはいかほどのものだったでしょうか。

 惑星探査機「ニューホライズンズ」が冥王星に最接近したのは、2015年7月14日でした。打ち上げられたのは、2006年のことです。もちろん打ち上げるためには、もっと前から計画はスタートしています。探査機打ち上げには莫大な費用や人材も必要になります。ですから、かなり前から計画され、準備が必要になります。
 1990年代末には、NASAは「プルート・カイパー・エクスプレス」という計画で、冥王星の探査を考えていたようです。その計画では、2004年に探査機を打ち上げつもりでしたが、費用が膨大になることがわかり、2000年に諦められました。
 しかし、その後再浮上し、2001年に「ニューホライズンズ」の探査計画があることが公表されました。2001年11月には内定され、2003年4月に正式のゴーサインがでました。そして、多くの人材と時間、約7億ドル(約800億円)の費用をかけ、2006年1月19日の打ち上げに至りました。
 「ニューホライズンズ」の計画には紆余曲折がありました。計画段階でもほかにも、波乱がありました。2003年2月3日にスペースシャトル・コロンビアの事故がありました。1986年のチャレンジャー以来の爆発事故で、この計画にも暗雲が立ち込めました。事故原因解明に多くの予算もさかれました。その後、国際宇宙ステーション(ISS)の費用削減によって「ニューホライズンズ」の計画は回復しました。
 いろいろ難関がありましたが、一番の試練は、打ち上げ直後にありました。
 「ニューホライズンズ」の打ち上げの8ヶ月後、2006年8月24日のことでした。その前からくすぶっていた問題に対する決着が、その日に付けられることになりました。チェコのプラハで開かれていた国際天文学連合(IAU)の総会で、惑星の定義が再検討されました。その結果、冥王星は、惑星ではなく準惑星(dwarf planet)になり。惑星から準惑星への降格でした。太陽系で最後の「新たな地平」であった未知の惑星「冥王星」の探査の予定が、惑星から準惑星にされたのでした。出鼻がくじかれたようなものです。しかし、「ニューホライズンズ」は冥王星に向かって、順調に飛行を続けています。
 降格の経緯は、太陽系の冥王星より外にある天体(太陽系外縁天体と呼ばれる)の観測が進み、大きな天体がいくつも見つかるようになってきました。そして、2005年7月29日、冥王星より大きと推定される天体2003 UB313が発見されました。2003 UB313は2006年9月にエリスと命名されました。
 エリスの発見者は「第10惑星」と呼んで、メディアも「惑星」と報道しました。冥王星より大きな天体ですから、「惑星」と名乗っても問題はないはずです。エリス発見を契機に、惑星の定義にかんする議論が沸き起こりました。今後、もっと多くの大きな惑星が見つかる可能性もあります。
 すでに存在してた冥王星の衛星カロンや小惑星ケレスも、惑星の候補とすべきだという議論もありました。それになんといっても、冥王星の惑星として、離心率や軌道傾斜角が大きいことは、惑星らしくありませんでした。
 それらの議論を考慮された上での準惑星への降格でした。
 地球の騒ぎをよそに、「ニューホライズンズ」は順調に飛行を続けました。観測の結果は、やはり興味深いものとなりました。さて、冥王星はどのような天体だったのでしょうか。次回としましょう。

・定義・
最終的にIAUにおいて、今までの惑星とされていた天体は
惑星、準惑星、太陽系小天体(small Solar system bodies)
に区分されました。
惑星の定義は、
太陽を公転、自己の重力で球形るなるほどの質量、
軌道上の唯一の天体、となりました。
準惑星の定義は、
太陽を公転、自己の重力で球形るなるほどの質量、
は同じですが、
軌道上の他の天体があってもいい、
衛星ではないこと、
となりました。
わかったような、わからないような定義です。
これて一応、一件落着となりました。

・人為分類・
天文学は、自然科学ですから、
事実に基いて、論理的になされるはずのものです。
しかし、ものごとの分類は、
たいていが人為分類になります。
人為分類とは、人が定義していくものです。
そこには、人、研究者の意図や思想が反映されます。
そして、感情も加味されます。
そこが一番難しいところかもしれません。