2015年12月31日木曜日

6_131 2015年を振り返る:iMuSCs

 今年もいろいろな科学的な成果がありました。一方、反省すべきこともありました。私たちはまだまだ学びつづける必要があるようです。科学は人がなすものであるが故に、完全ではないからでしょう。

 年末になると、一年を振り返ることが多くなります。しかし、今年起こったことを思い出すのがなかなか難しいものです。それでも、ケプラー衛星の新しい惑星の発見、ニューホライズンズの冥王星接近、ニュートリノの質量発見で梶田隆章さんがノーベル賞受賞、史上最大のエルニーニョなどが、記憶に残っています。また、地質の分野では、阿蘇山の噴火、箱根火山の活発化、そしてアポイの世界ジオパーク認定などが残っています。人によって思い出すニュースは違っているでしょう。ここで上げたものは、私の興味があるので記憶されているのでしょう。
 さて、昨年もエッセイの最後の回で、1年を振り返りました。そのときは、STAP細胞を話題に取り上げました。STAP細胞は、1月には理研の検証実験でも再現できないとの報道がなされました。また、捏造論文の舞台の1つが、科学界では権威のある雑誌「Nature」でしたが、そこに理研のチームがSTAP細胞は存在せず、残された細胞はES細胞に由来すると報告しました。この最終的な結論は、Nature誌電子版に9月24日付で掲載されました。
 ところが、思わぬ報告が、Nature社のScientific Reportsという雑誌に11月27日付で出されました。それは、
”Characterization of an Injury Induced Population of Muscle-Derived Stem Cell-Like Cells”
(傷害誘導性筋肉由来幹細胞様細胞の特徴)
というタイトルの論文でした。
 傷害誘導性筋肉由来幹細胞様細胞は、iMuSCsと略されています。この細胞の意味は、次のようなものです。筋肉を構成していた体細胞が、損傷するような強い刺激を受けとき、初期化された細胞に似たものができた、という内容の論文です。幹細胞とは、自己複製機能を持ち、いくらでも分裂、増殖していける細胞のことです。
 この報告は、二重の意味で注意が必要です。
 ひとつ目は、まだ結果が完全に検証されていないものだということです。幹細胞「様」細胞となっているのは、幹細胞とは確定できてはいない、という意味合いがあります。また、Scientific Reportsは、Nature社が発行している電子版雑誌ですが、完全な検証や精密な査読を受けた報告ではない点です。技術的には問題がないかという基準でのみ、1名の査読者によって判断されたものが掲載されます。短時間で、審査されて成果を公表できるという利点をもった報告の場を提供するためのものです。ですから、科学的に、再現性や論証過程に問題や不備がないかなど、十分な検査は受けていない、という不確かさが伴うことを理解しておくべきでしょう。
 ふたつ目は、細胞の初期化と、STAP細胞のような万能性とは違うということです。幹細胞は、どんな細胞にもなれる万能性(STAP細胞、多能性)を持つものだけでなく、他にもいくつかの種類があります。幹細胞には、全てではないがいくつかの限られた種類の細胞になれるもの(多分化能)、あるいは一種類だが他の幹細胞でない普通の細胞になるもの、幹細胞に分裂できるが一種だけになれるもの(単分化能)、などもが含まれています。この幹細胞「様」細胞が、どれに当たるかは、まだよくわかっていません。
 これらが検証され、再現され、査読も通ったら、この現象は科学的に重要な発見となるでしょう。しかし、私たち、いや科学は慎重であるべきです。科学とは、だれもが納得するまで検証すべきです。
 自然科学の結果は、数学や論理学のように一度証明されたものは完全に正しいもの、というわけではなく、あくまでも現状でもっともよい仮説と考えるべきです。一方、医学は応用性が重視されます。再現性が確認され、効果があるものなら、原因や論理が不確かでも利用できます。自然科学と論理科学、応用科学との違いは意識しておくべきでしょう。
 STAP細胞は、科学の条件や手順を満たしていませんでした。iPS細胞は再現性が保証されていました。たとえ不確かな部分があったとししても、iPS細胞には応用性、実用性が生まれます。
 昨年最後に取り上げたSTAP細胞のエッセイ以来、この一年間いろいろテーマでエッセイを書いてきました。そして今年最後のエッセイが、iMuSCsという細胞の話で終わることになりました。でも、科学の再現性、信頼性を考えるためにはいい機会となりました。

・人がなすもの・
科学の信頼性は、人の感情が入ることなく、
客観性に基づき生み出されるものです。
しかし、信頼性の背景には、
研究者の人となりやその技術に関する
「信頼」が加わっているように思います。
後者の「信頼」は、感情に左右されるものでしょう。
科学とは冷徹なところもある反面
人が行うものなので、そこには感情も生まれます。
これは仕方がないことでもあります。

・よいお年を・
エッセイでも書きましたが、
史上最大のエルニーニョが
現在、起こっているそうです。
日本では暖冬になる可能性がいわれているのですが、
雨が降る暖かい日があったかと思うと、
吹雪いて寒い日もきます。
気象の予報は難しいものです。
実学で、実害の起こるような科学の分野では
いろいろな難しい問題をはらんでいます。
来年は皆様にとって、
穏やかな一年でありますようにお祈りしています。
よいお年をお迎えください。

2015年12月24日木曜日

5_130 新しい天体

 今日は新しい星の話をしましょう。新しい星とはいっても、天体が新たにできたわけではなく、発見されたという報告です。新しい天体、珍しい天体を何度か紹介したこともあるのですが、今回は太陽系内の特別なところにある天体です。

 新しく見つかった天体を紹介をします。新しい天体は、毎年たくさん見つかります。探査衛星ケプラーによって、太陽系外の惑星が多数見つかていることは、以前「5_109 地球型惑星 2:ケプラー」などでも紹介しました。太陽系外惑星ではなく、太陽系内での発見です。太陽系内でも小惑星帯(火星と木星の間)では、多数の惑星が、今でも発見されています。ただし今回は、小惑星帯でもないところから発見された惑星の話しです。
 太陽系内で小惑星帯以外で発見されるのは、カイパーベルト(正確にはエッジワース・カイパーベルト)とよばれている太陽系の一番外の惑星(海王星)より外側にある帯です。カイパーベルトには冥王星のような準惑星と呼べるようなサイズの天体から、小さなものまでたくさんの天体があります。
 太陽系内で、これまで一番遠くで見つかっていた天体は、エリスと呼ばれるもので、太陽から約145億km(97天文単位。1天文単位は太陽と地球の距離である約1.5億kmのこと)離れたところにあります。エリスは、冥王星と同じくらいの大きさがあり、準惑星とされています。
 今年11月13日に新たに報告されたV774104と呼ばれている天体は、エリスよりもっと外側で、太陽系で最も遠いところで見つかったものとなりました。太陽からの距離は、約154億km(103天文単位)とされていますが、その軌道はまだ正確には定まっていませんし、その大きさも500~1000kmと不確かです。ただしその軌道は、冥王星の40天文単位と比べると、3倍以上の遠いところにあることは確かなようです。
 かつて(古典的、あるいは狭義と呼ばれています)カイパーベルトは50天文単位あたりまでとされていたのですが、それより外側にも天体があると考えられていました。そして今回発見されたV774104は、103天文単位の軌道で海王星の影響がおよぶ範囲(50天文単位)よりずっと外側、カイパーベルトのかなりはずれになります。
 カイパーベルトより外側にも多数の天体が存在し、「彗星の巣」となっていると推定されているオールト雲と呼ばれていることろがあります。V774104は、オールト雲の一番内側にあたる「内オールト雲」に位置する天体かもしれないと考えられています。
 今回発見された遠くの天体は、大きさもそれほどではなく、情報も不確かです。しかし、それがそこにあるということが、重要な情報になります。存在が自体が、仮説から実体のあるこを示す証拠となります。肉眼ではみえない星ですが、遠くのかすかな痕跡でも新しい発見の話もいいものですね。

・準惑星の導入・
準惑星エリスは、冥王星を惑星から引き下ろす
きっかけとなった星です。
このエリスの発見した研究者は、
サイズからすると惑星になると命名しようとしたのですが、
惑星の命名の規則がありませんでした。
これまで新たな惑星が発見されるとは
考えられていなかったのです。
今後太陽系内で似た星の発見があったときや、
太陽系外でも惑星らきものが見つかった時
そもそも惑星とは何かという定義が
なされていなかったのです。
そのことにエリスの発見で気づいたのです。
その結果、いろいろな議論を経た後
現状のように準惑星という分類が導入されました。
新しい発見は、時に今までの考え方に
変更を迫ることもあるのです。

・年末は・
大学は23日の祝日は通常通りに講義があり、
あとは年末年始の休講に入ります。
しかし、教職員は講義がなくとも
25日まで仕事があります。
私は、26日も出る予定があります。
年末もどうなるか不明です。
まあ、我が家では、年末年始は
特別なことはあまりしませんので
私がいなくても、いつもとは変わりはないのですが。

2015年12月17日木曜日

2_135 41億年前の生命 4:履歴

 ジャックヒルで見つかったジルコンは、「選ばれし」ものでした。そのジルコンは、複雑な履歴と論理を背景に今回の報告に至ります。分析自体は既存の方法でしたが、それを用いた素材とアイディアが優れていました。

 今回報告に利用された「選ばれしジルコン」は、花崗岩を形成するようなマグマからできた結晶でした。その花崗岩マグマは、堆積岩に水が作用してできた可能性が高いものでした。生物にとって、水は重要な環境を提供し、生存するためにも水は不可欠な素材となります。41億年前、多くの生物活動があったとすれば、その痕跡は堆積物に残されることになるはずです。ですから、マグマとともにあった堆積物や水の痕跡をうまく探れば、生物の痕跡が残っているかもしれません。
 生物の痕跡が、何らかの物質に取り込まれ、現在まで残る可能性が一番高いものは、ジルコンでしょう。41億年前の「選ばれしジルコン」には、多数の包有物が含まれていました。包有物には炭素原子からでているグラファイトもありました。そのグラファイトの炭素同位体組成を調べたところ、生物もっていたと考えられる値が得られました。
 この炭素同位体組成は、古い時代の化学化石には常用される手法です。手法自体は新しくはないのですが、それを適用した対象がなかなか素晴らしいアイディアだったのです。ただし、その対象は1万粒から1粒しかなく、それを選び、測定をしていくということがなされました。それが優れた点です。ジルコンの年代は、41億年前のもので地球最古ではなかったのですが、重要な指摘でした。
 最後に、今回の複雑なジルコンの来歴をまとめておきましょう。報告に用いられたジルコンは、堆積岩が水の関与のもとで溶けて花崗岩のマグマができ、そのマグマが固まる時に晶出しました。
 マグマの材料となった堆積岩のできた時代は不明です。その時代には堆積物となるほどの痕跡が残せるほど生物がいて、マグマができても消えないほどの炭化物があったようです。年代は、マグマの年代の41億年前より古いものになります。
 生物の痕跡をもった花崗岩は、44億年前から38億年まえくらいの大陸の一部となっていました。地球深部で固まった花崗岩は、やがて陸地に顔をだして、浸食を受けて30.6億年前に堆積物になりました。その堆積物が変成作用を受けながらも現在まで残ったのです。
 ジルコンは複雑な履歴を持っていました。そのジルコンの成分から更に過去に遡るのです。今回の報告は、いろいろな紆余曲折、複雑な論理をもった報告であることがおわかりいただけたでしょうか。もしここで出された根拠が正しく、生物の存在が41億年前まで遡れるのであれば、多くの人が認めている最古の化石とされる35億年前より6億年、あるいは最古の堆積岩である38億年前より3億年古い記録となります。
 まだまだ検証やデータも必要になるのでしょうが、重要な報告です。今後の議論が気になります。

・エルニーニョ・
現在、観測史上最大のエルニーニョが発生してようです。
エルニーニョが発生すると、
日本では、暖冬と冷夏になるそうです。
北国の住人は、暖冬はありがたいものです。
除雪や雪の害が少ないので助かります。
大雪があると交通も混乱します。
予報通りなるかどうかは、不明です。
予報と現実がどこまで一致するかは、
その時が来るまでわかりません。
それが予報というものです。

・ジャックヒル・
グリーンランドの39億年前の堆積岩とともに
オーストラリアのジャックヒルの堆積岩中のジルコンも
地質学では重要な報告に何度も登場してきます。
重要な報告が何度もでてくる地域となるには、
そこにしかない特徴あるためです。
単に最古を追いかけるだけであれば、
さらなる最古が見つかると、
以前の最古は忘れられる存在となります。
最古はつぎつぎと塗り替えられるのです。
しかし、そこにしかない特徴があると
何度も学問の歴史を彩る重要な地点として現れます。
ジャックヒルもそんな地点になりつつあるようです。

2015年12月10日木曜日

2_134 41億年前の生命 3:グラファイト

 今回の報告に使われたジルコンは、選りすぐりの一粒でした。その当選確率1万分の1です。宝くじではないので、研究者は一粒ずつ吟味して、この一粒にたどり着いたのです。そこから得られた結果が今回の報告となっています。

 報告された生命の痕跡は、西オーストラリア、ジャックヒルの30.6億年前の堆積岩に含まれていたジルコンの砂粒からでした。もちろんこのジルコンは30.6億年前より古くなります。堆積岩を構成する砂粒ですから、すでにあった岩石が、浸食、運搬されてたまったものです。堆積岩の砕屑物が堆積岩の年代より古いのは、当たり前のことでもあります。ジャックヒルの堆積岩のジルコンの年代は、さまざまなものが見つかっています。そして、一番古い年代が44億年前で、地球最古の物質の記録フォルダーになっています。
 今回、生命の痕跡がみつかったジルコンを見つけるのに、大変な苦労があったことが、論文からうかがえます。ジャックヒルの堆積岩から取り出されたジルコンは、1万個を越える数になっているようです。多数のジルコンから、38億年前より古いものが5%ほどで、今回の研究対象になったのは、1個だけだったそうです。非常に貴重な試料だったのです。
 そのジルコンには、グラファイトとよばれる物質が包有物として取り込まれていました。グラファイトとは、石墨と呼ばれる鉱物で、炭素だけからできています。注意が必要です。なぜなら、ジルコンは、堆積岩から見つかったものです。その堆積岩には炭素物質が含まれていてもいいし、他の鉱物や岩石片からも由来してもいいし、堆積後の変形や変成作用の時に由来する可能性もあります。ですから、このグラファイトがジルコンができるときに取り込まれたことを確かめておかなければなりません。
 割れ目などから炭素物質が入り込むことないジルコンを選ばなければなりません。その包有物のうち、4%にダイヤモンドやグラファイトを含んでいるという報告があったのですが、その中には試料の処理中が汚染されたことがわかってきました。それを注意深く除く必要があります。今回はそのような危惧をなくすために、割れ目がないか注意深くチェックされています。そのようにして選ばれたのが、この一粒だったのです。
 ジャックヒルズの38億年前以前のジルコンには、多くの包有物が含まれており、それらは花崗岩から由来した可能性を示しています。ですから、今回注目されたジルコンも、その一つでした。このジルコンの年代が、41億年前だったのです。ジルコンの包有物であるグラファイトの化学分析をしたところ、生物の痕跡みつかったのです。
 その内容は、前回のエッセイで述べた複雑な履歴と関係があります。次回としましょう。

・根雪?・
週末には大雪の予想がハズレました。
しかしあたり一面、白くはなりました。
週明けには、予報を補うほどではありませんが、
そこそこ降り、さらに積雪が増えました。
積雪量はそれほどではないのですが、
根雪になっていきそうな気配があります。
今年の冬は長くなるのでしょうか。

・卒業研究・
師走のこの頃になると、
卒業研究の添削に追われます。
私の学科は必修なので
学生も卒業がかかっているため大変でしょう。
しっかりの指導すれば、進んでいきます。
ひとりずつペースはばらばらですが、
自分なりの成果を上げていくので、
完成度は上っていきます。
来週が締め切りですので、あとひと頑張りです。
達成感を味わっていただければと思います。

2015年12月3日木曜日

2_133 41億年前の生命 2:ジルコン

 報告では、堆積岩の中にある鉱物の粒から、生命の痕跡が見つかったというのです。実はこの堆積岩は、30.6億年前で形成されたもので、最古のものではありません。少々複雑な履歴が想定されますので、整理しておきましょう。

 今回、最古の生命が報告された岩石は、堆積岩です。ここまでは、堆積岩から化石が見つかったということになり、当たり前のことになります。実はここから、問題があります。
 この堆積岩は、30.6億年前で形成されたもので、最古の岩石でも、最古の堆積岩でもありません。堆積岩の中にあった鉱物の粒から、生命の痕跡が見つかったというのです。ただしその鉱物は古いもので、41億年前の年代もっており、そこに生命の痕跡があったと報告されています。話が複雑になってきました。
 堆積岩の産地は、西オーストラリアのジャックヒルということろです。そこには、かなり古い堆積岩、とはいっても30.6億年前にできたものがあります。ジャックヒルは、地球最古の固体物質、鉱物の産地と有名で、44億年前に形成されたジルコンが見つかっています。その岩石のジルコンが今回の報告の対象でした。ただし、最古の44億年前のジルコンではなかったのですが。
 ジルコンは、火成作用で形成される鉱物です。結晶構造が丈夫なので、一旦形成されると、少々の変成作用でも変化することなく、できた時のままの情報を保存していることが知られています。この堆積岩も変成作用を受けているのですが、頑丈なジルコンには、できたときの情報(化学成分)が残っていました。
 次に火成岩でできた鉱物に、なぜ生命の痕跡が残るのかという問題です。ジルコンという鉱物は、珪酸ジルコニューム(ZrSiO4)という化合物で、火成岩でも、珪酸の多いマグマ(酸性マグマと呼びます)から形成されます。そのような酸性マグマは花崗岩を形成するので、大陸地域で形成されたと考えています。ですから最古のジルコン44億年前が、最古の大陸の形成時代を示しているという報告がされたことがありました。これは以前紹介しました。「1_5 「最古のもの」より古いもの」や「1_6 最古の鉱物のもつ意味」などです。
 さて、花崗岩には、いくつか起源があると考えられてます。マントルで形成された玄武岩質マグマが結晶分化作用でできたタイプや、地殻の玄武岩が熱や高度の変成作用で融けてできたタイプ、堆積岩が溶けてできたタイプなどがあると考えられています。堆積岩が溶けてできるタイプのものは、マグマでありながら、堆積岩との関係が出てきます。
 今回の報告も、堆積岩由来の花崗岩で形成されたジルコンが堆積物の生物の痕跡がみつかったとされているのです。少々複雑な履歴が理解していただけたでしょうか。

・宝石・
ジルコンは鉱物の一種なので
いくつかの特徴がある。
ジルコンは、屈折率が高く、
硬度もそれなりにあります。
よく輝き、無色透明なものもあります。
鉱物の中ではもっとダイヤモンドに似ています。
それにダイヤモンドより頻度が多くでています。
そのため、金額も安いため、
ダイヤモンドの代わりに
使われていることがあります。
色も多様で、人工的に熱処理で色を出すこともされるので
ジルコン自体も宝石となります。
でも、地質学では年代を測定のための素材として
重要な役割を果たしています。

・花崗岩の分類・
上記の分類で、でてきた花崗岩の分類は
ホワイトとチャペル(White and Chappell, 1979)が提唱したものです。
起源をいろいろ細分化したので古い論文ですが
花崗岩を概観するとき、利用されています。
堆積岩由来の花崗岩はSタイプと呼ばれてます。
上では説明しなかったのですが、
非造山帯にでててくるタイプ(Aタイプ)も区分されています。
Sは堆積岩の英語、sedimentaryの略号です。
ほかタイプは、I、Mタイプなどがありますが、
専門家だけの用途ですから、説明はやめておきましょう。

2015年11月26日木曜日

2_132 41億年前の生命 1:化学化石

 生命の起源や最古の生命にかんする最新情報は、多くの人の興味を惹きます。新知見がでてくるたびに、ニュースになります。そのような報告は、研究者の間でも、すぐに真偽のほどが議論となります。最近も最古の生命化石の報告がなされました。

 生命起源にかんして新しい展開がありました。生命の起源が41億年前まで遡れるではないという報告が、2015年10月19日の科学雑誌でなされました。最古の生命探しは、魅力的なテーマですが、論証や検証がなかなか困難な作業となります。そのため、最先端の装置や手法が導入されていることもよくあります。それでも、そこには不確かさが伴っているため、最古の生命の真偽には、賛否両論が起こります。
 そもそも最古の生命の有無は、化石で判断することになります。化石とはいっても、非常に小さな、ささやかな痕跡にすぎません。
 生物の一部や形、成分であっても、誰が見ても生物や生物の一部と納得できる化石がであればいいのです。例えば、骨や歯、貝殻、葉、種などが出てくれば、多くの人が化石といっても納得してくれます。
 最古の生命では、なかなか明瞭な化石は出てきません。初期生物の化石は、単純な構造の単細胞で、生物の痕跡が残っているだけのはずです。決して化石らしくないものでしょう。そんな化石らしくないものを、もとは生物だ、あるいは生物の一部であったことを示さなければなりません。今回の報告にかんしても、今後議論が起こりそうです。
 現在、多くの研究者が認めている最も古い化石は、35億年前ころのものです。この化石は、生物の形が岩石の中に残っています。形がいかにも細胞の形状をしているので化石と認めていい気がします。その化石では、炭化物が細胞の形状に残されているだけで、殻や成分がそのまま残っているものではありません。このような形だけでは根拠が弱いので、他の証拠が必要になります。報告では一部の成分、化合物の化学組成が残されており、それが生物の特徴となっていました。ただし、その分析は繊細で巧妙な着眼によるものでした。
 このような化学組成に基づく化石の認定は、「バイオマーカー」あるいは「化学化石」として利用されています。形がなくでも、化学化石があれば生物がいた証拠になります。ただし、その化学組成によっては、無機的(生物の関与しない化学反応)にもできる可能性もあるので、注意が必要です。
 現在、化学化石として、35億年前より古いものとして、38億年前のものがありますが、これは賛否両論あり、まだ確定はしていません。
 38億年前までの化石探しは、堆積岩が利用されていました。最古の堆積岩が38億年前なので、化石探しができるのは、この時代までです。なぜなら最古の堆積岩が、化石が見つかる最古の時代だからです。
 しかし、地球上では38億年前より古い岩石がありますが、例えば、40億年前の火成岩があります。火成岩は、マグマが固まったものなので、化石は期待できません。もっと古い物質もあります。砕屑性の鉱物であるジルコンと呼ばれるものです。43億8000万年前にできたものです。今回の最古の生命はそこからの発見でした。詳細は次回以降です。

・すばらしい研究・
研究には、同じ素材、試料であっても、
新しいアイディア、最新の手段があれば、
新知見がでてくことがよくあります。
最新の装置による分析は
研究者の能力や独創性によるものではありません。
研究者より道具がすごいのです。
もちろん、すごい道具とすごいアイディアを
合わせたものもあります。
見通しのたった研究もいいのですが、
予想外、想定外の結果がでてきて、
それをどう考え新しい知見に導くのかにも
研究の醍醐味あると思います。
もちろん高価な最新装置を導入する努力は
大変なものだったのでしょうが、、
それは本来の研究ではありません。
やはり道具による研究よりは、
知恵やアイディアの独創性がすばらしいと思えます。
そんな研究は、既存のデータからでも
導けることもあるかもしれません。
もちろん、それは誰にでもできる研究ではありませんが。

・雪景色・
北海道は、連休明けから
真っ白な雪景色になりました。
週末に雪が降るという予報だったのですが
それが外れたのですが、
2日ずれての雪となりました。
連日の激しい降雪で、
北国は一気に冬模様です。
でも、根雪にはまだまだと思いたいのです。

2015年11月5日木曜日

3_145 地下5kmのダイヤモンド 2:化学気相成長法

 ダイヤモンドは高温高圧の条件でできるのですが、それ以外にもその領域に達する方法があります。そんなちょっと不思議な原理で合成されているダイヤモンドもあります。もし、地球のそのような環境があるとしたら・・・・。

 前回は、古くから宝石として利用されてきたダイヤモンドの話でした。そのダイヤモンドは、キンバーライトとよばれる特殊な火山岩が、地球深部でできたダイヤモンドを高速で地表にまでもってきました。これが宝石としてのダイヤモンドの主な由来でした。
 他にも、高温高圧条件を生み出した変成作用と隕石衝突によるダイヤモンドも発見されるようになってきました。これは、形成条件に着目すれば、そこにダイヤモンドがあっても不思議ではない高温高圧条件があったものの発見でした。
 他にも、予想外の発見もありました。日本列島のような沈み込み帯(以前のエッセイ3_70~3_73)の火山岩や昔の海洋地殻が沈み込んだオフィオライトと呼ばれるもの(3_128~3_132)などから見つかっています。これについては、想定外の発見となりました。
 ダイヤモンドの形成過程にも、いろいろなものがあることがわかります。ダイヤモンドは、人工的に合成されているものもあります。当初は高温高圧条件を発生させて合成されていました。この方法は、高温高圧のコントロールも大変ですし、エネルギーを大量に使うのでコストもかかり、また大型の結晶を合成するのはなかなか大変でした。
 ダイヤモンドは、宝石以外でもいろいろな目的に、特に工業的にも重要な役割をもった素材になっています。そのために、安価に大量に合成する方法が必要になってきました。そのような方法が、現在ではいろいろ開発されています。
 化学気相成長法を呼ばれるものがあります。本来は高真空での合成方法ですが、今ではそれほど真空ではなくても作られるようになりました。管にある物質(基板と呼ばれます)をおいて、管の内部を減圧して、中の気体をプラズマ状態にします。その気相の反応を利用して、ダイヤモンドの合成をおこなうものです。蒸着とも呼ばれている方法です。この化学気相成長法による合成は、他の方法と比べて安価にでき、現在工業用ダイヤモンドとして利用されています。
 ダイヤモンドは、自然では1200~2400℃の高温、5万5000~10万気圧の条件で形成されているのですが、化学気相成長法では、実験室レベルでは500℃、1000気圧の条件での合成が可能になってきています。
 地球の現実の場でこのような条件が出現するのでしょうか。もしあるとすると、どのような場でしょうか。それがわかれば、化学気相成長によるダイヤモンドが見つかるかもしれません。そんな発想のもとに、探し、見つかったのが、今回の報告となっています。

・工業用・
以前、鉱物の展覧会にいったとき
工業用ダイヤモンドの見本をもらって、
それを机の引き出し入れてもっていました。
黄色い色をしたものでしたが
工業用ですから面白い資料でした。。
残念ながら、今では手元にありません。
以前いた博物館にダイヤモンドの展示で使うために
寄贈してきました。

・秋から冬へ・
11月になりました。
北海道は秋から冬に変わろうとしています。
紅葉はかなり進み、
落葉もかなり進みました。
初雪はすでにあったのですが、
冬に着実に進んでいることを感じます。

2015年10月29日木曜日

3_144 地下5kmのダイヤモンド 1:いろいろな産状

 ダイヤモンドについて、これまでたびたび紹介してきましたが、再度取り上げることにします。新しい産状のダイヤモンドが発見されました。今回は、科学的に予測されて見つかったものです。なかなかおもしろいアプローチです。

 このエッセイでは、ダイヤモンドについて何度かシリーズで紹介してきました。一番新しいものとしては、昨年紹介したオフィオライトからダイヤモンドが発見されたという話題でした(3_128~13_132のシリーズ)。そのちょうど1年後にまた、日本人を含む研究グループがダイヤモンドに関する新しい成果を報告しました。それをシリーズで紹介していきます。
 その概要を紹介する前に、ダイヤモンドの形成条件と実際の地球で発見されているものを、まとめておきましょう。
 ダイヤモンドは、宝石の一種で、透明で硬いことが特徴です。炭素が高温高圧条件になったときにダイヤモンドは形成されます。低温低圧(地表の条件)になると、ダイヤモンドではなくなり、炭素からなる別の結晶に変わってしまします。そのため、地表でダイヤモンドで存在するためには、他の結晶に変わる前に、一気に低温低圧(地表)に達する必要があります。深部からダイヤモンドのまま、地表まで上昇するためには、1時間ほどで上昇する必要がありました。それは、時速100kmや200kmなどの非常に高速でなければなりません。
 そのような条件を満たすのは、キンバーライトと呼ばれる火山岩です。そのような火山噴火は、非常に激しいものであったはずです。古い大陸地殻内で活動したもので、幸いながら現在はそのような火山活動は起こっていません。キンバーライトには、大きなサイズのダイヤモンドも含まれ、宝石として利用されています。キンバーライトは古い時代に活動したもので、現在は起こっていない火山活動です。ですから宝石にできるような天然ダイヤモンドも、有限な資源なのです。
 超高圧変成岩と呼ばれるものでも、ダイヤモンドが見つかります。ただしそのダイヤモンドの大きさは0.1mm程度の小さいもので、宝石にはなりそうもありません。大陸同士の衝突によって高温高圧条件が出現したものです。別の鉱物が変成作用を受けることにより、ダイヤモンドができる条件に達します。ただし、圧力は高くなるのですが、温度はそれほどではなかったとされています。変成岩は、変成作用の受けた後、再度地表に上がってくることになります。大地の営みですので、ゆっくりとしたもので、本来であれば上昇するとき別の鉱物に変わるはずです。しかし、変成作用の温度自体が低かったので、別の鉱物に変わるためには、長い時間が必要だったためダイヤモンドのまま上昇できたと考えられます。
 また、高温高圧の発生条件として、隕石の衝突場が考えられます。隕石が衝突すると、瞬間的ですが高温高圧条件が発生します。そのような場を詳しく調べると、高温高圧で形成される各種の鉱物ができていることが知られていました。そこを詳しく調べてダイヤモンドも発見されました。
 このように地質学の進歩によって、いろいろな条件や場所でダイヤモンドができることがわかってきました。他にも予想に反する場所からの発見がありました。以前紹介したものですが、次回はその概要を紹介しましょう。

・初雪・
月初めには、街からみえる山並みが初冠雪でした。
そして、とうとうわが町でも初雪が降りました。
週末に冬型の気圧配置になり、
嵐とともに雪になりました。
アラレだったり雪だったりでしたが、
朝起きたら、道路や畑は白く雪景色でした。
まだ、紅葉が残っているのですが、
今年は、少々早目の初雪でした。

・年賀状の季節・
今年も郵便局から
年賀状の購入紹介のダイレクトメールが届きました。
書店にいったら、年賀状を印刷するソフトとイラスト集が
400円、500円で山積みになっていました。
私のもっているソフトとは違っているのですが、
一番安いものを購入しました。
あまりに安い。
これでいいのでしょうか。
多分商品で並んでいるということは、
これでも成り立つビジネスモデルあるのでしょう。
無理のない経済活動であればいいのですが。

2015年10月22日木曜日

4_126 残念シリーズ 5:横倉山

 このシリーズも今回が最後になります。最後は四国の残念をお送りします。横倉山は、2度の失敗に終わっているところです。そのうちなんとか目的を達成したいと考えているます。いつになるかは未定ですが。

 今まで、このシリーズを、9月に出かけた九州の地で進めてきたのですが、今回は5月にいった四国の話になります。紹介するのは横倉山です。高知県高岡郡越知町にある山です。標高は793mですが、下から見るとけっこう険しい山稜となっています。この山が石灰岩からできている山だからです。
 険しい山なのですが、車で標高600m付近までいけ、登山道もしっかりしているので、登りやすい山でもあります。
 ここには2度訪れ、2度とも途中で調査を断念しています。いずれも横倉山の調査が一番の目的ではなかったためでした。ついでに寄ったり、条件が悪くて、出直す時間もなくて途中で断念してしまったのです。
 一度目は、2010年でした。いの町に向かう途中、はじめて横倉山の近くに来たので、地質学では有名な地なので、立ち寄りました。でも十分な下調べもせず、車で向かう途中で軽く石をみていこうかな、と思っていました。その日は、午前中移動で、午後に付近の石灰岩のカルスト(少々残念でした)、佐川町の佐川地質館、越智町の横倉山自然の森博物館を見た後、横倉山に車で行けるところまで行こうと進んでいました。あわよくば岩石が見ることができればと思っていました。何箇所かで岩石の露頭をみましたが、風化が激しいものでした。
 駐車場に車を停めたのは、午後のかなり遅い時間でした。そこから少し山を歩いてみようと思い、急いで歩き出し杉原神社まで行きました。そこは、静かな落ち着いた場所で、神々しさや荘厳さを感じるところでした。古い杉が林立しているので暗く、日もだいぶ傾いてきたので、急いで撮影だけして、降りることにしました。結局、目的の石灰岩をみることなく、山を降りることになりました。
 2度目は今年の春でした。今年は、層状チャートを見るつもり時間がとっていたのですが、予定が変わったので、横倉山に登ろうと考えました。一番上の駐車場まで車で上がり、そこから登りました。その日は、あいにくの雨でした。傘をさして、杉原神社を過ぎ、さらに上の横倉宮までいきました。宮の周辺では石灰岩の露頭をみることはできました。時折激しく降る雨のために、この時も横倉宮で断念して引き返しました。
 横倉山は、黒瀬川構造帯と呼ばれるもの岩石類がでているところです。黒瀬川構造帯は、九州から四国、紀伊半島まで、点々と分布する地質体で、非常に古い岩石から構成されています。大陸を構成した岩石、火山噴出物、浅海堆積物、熱帯の海で形成された石灰岩などがその構成岩石です。不思議な構成の岩石で、その起源についはまだ決着をみていません。
 横倉山では、古い時代(シルル紀)のサンゴ、三葉虫、層孔虫、腕足類などの化石がでることで有名でした。それを見たいと思っていました。しかし、残念な結果に終わったままです。なかなかチャンスに恵まれないのですが、次回は横倉山を目的に登りたいと考えています。いつになることでしょうかね。

・優先順位・
今回の残念ながら「残念シリーズ」は終わりです。
いろいろ調査にでかけますが、
すべての目的が達成できるとは限りません。
調査では、優先順位をつけています。
今回の横倉山も優先順位が低かったのです。
そのうち、優先順位を上げて、
きっちりと見る日が来ることを願っています。
優先順位は研究テーマと深い関わりがあるので、
研究計画にもとづいて決めています。
今年は、層状チャートが中心になっていました。
近いうちに黒瀬川構造体も重点テーマにする予定もあります。
そのときはぜひ見に来たいと思っています。
いつかは、まだ未定ですが。

・深まる秋・
我が家では、ほぼ毎朝ストーブをたくようになりました。
夜は気温次第でたかない日もありますが。
この1週間ほどで、北海道に一気に秋が深まりました。
紅葉も進み、落葉の一気に進んでいます。
晴れの日があまり続かないので
少々物足りない秋に感じます。
しかし、着実に秋は深まっています。

2015年10月15日木曜日

4_125 残念シリーズ 4:阿蘇山

 9月に阿蘇山が噴火したというニュースは記憶に新しいものです。特に私はその直前に阿蘇山を訪れていのたで複雑でした。ほんの2、3日の差でした。噴火は恐ろしいものですが、地質学者としては、その瞬間に立ち会いたいものでもあります。阿蘇山での残念を紹介します。

 阿蘇山の中岳が、9月14日、9時43分に噴火しました。噴煙が2000mにも達する噴火となりました。阿蘇山は、昨年11月から噴火活動は活発化していたので、警戒レベル2となっており、火口周辺への立ち入りが禁止されていました。9月10、11日にも活発化していて、小規模な噴火が起こっていました。今回の噴火に対しては、それなりの対処がなされていて、なおかつ大きな噴火ではなかったので、事なきを得ました。
 私が阿蘇山を訪れたのは、9月7日と8日でした。その時も噴煙は出ていました。幸い7日は天気もよかったので、たなびく噴煙を見ることができました。噴煙の変化をしばらく眺めながら、かなりの数の撮影もしていました。8日も再度訪れたのですが、朝のうちは雲がかかっていたので、残念ながら噴煙を見ることができませんでした。
 訪れた時すでに噴火警戒レベルが2だったので、火口への有料道路も閉鎖され、ロープウェイも動いていませんでした。しかし、ロープウェイ駅にある施設(阿蘇スーパーリング)は開いていて見学できました。その数日後に、噴火しました。警戒レベルも3になって、火口から4.5kmへの立ち入りが禁止されました。草千里にある阿蘇山火山博物館は見学できますが、そこより先へは進めず、ロープウェイ駅のある山頂近くを経由して阿蘇山をめぐる道は通ることができなくなりました。
 私にとって阿蘇山では2つの残念がありました。ひとつは、カメラの設定ミスをしていたことで、7日の撮影が全滅していたことです。訪れる前日、夜に撮影したので、ASA感度を変更していたのですが、間違って露出を変更したのを気付かずに、翌日も撮影を続けていました。そのため、露出不足の暗い写真しか取れていませんでした。そこで翌日、同じコースを巡って撮影することにしたのですが、雲がかかっていたので噴煙を撮影できませんでした。他の景観は補うことができたのですが、残念でした。
 2つ目の残念は、少々不謹慎かもしれませんが、噴火を見れなかったことです。今回の噴火はそれほど大きなものはなく、被害がほとんどなかったので、落ち着いてみることができたはずです。ほんの少しの差で、噴火に遭遇できなかったことが残念でした。10日にも少し噴煙を上げていました。私がいた時と、ほんの2日の差でした。14日の大きめの噴火があり、噴煙が上がりました。もしその時期に、阿蘇山に滞在してたなら、きっと予定を変更して見ていたはずです。もちろん、近くにいくことは難しいでしょうが、遠くから観察することはできたはずです。噴火に居合わせていなかったのが残念でした。
 規模が大きければそれどころではなかったでしょうが、今回は小さい噴火だったので、比較的近く(草千里などから)からでも、観察できたようです。火山博物館も14日は休館しましたが、15日からは通常通り開館していました。
 阿蘇山は、雄大な火山です。その中央火口の中岳での噴火です。まだ噴火警戒レベル3が継続中のままですから、安心はできないでしょうが、火山国に住んでいることを感じさせる出来事でした。

・雪虫・
北海道は一気に冷え込んできました。
朝夕のストーブは当たり前になってきました。
ただ、天候が不順なので、紅葉の秋を楽しむより、
肌寒さと寂しさを感じる季節になっています。
先日の晴れ間に雪虫を見ました。
雪虫は、北国の冬の訪れを告げます。
ただ、まだ数は少なかったので
もう少し秋が続きそうです。

・感覚・
昨年来でしょうか、
各地で噴火が続いているように思えます。
まあ、これは感覚的なものなので、
本当はきちんと統計を取る必要があります。
人も生きものなので、
どうしても日常生活では
感覚を頼り考えてしまいます。
私のように、通勤で長時間、外を歩くと
寒暖や気候への感覚が
より一層印象付けられます。
今年は天候不順で秋が短い気がしています。
本当はどうでしょうかね。

2015年10月1日木曜日

4_123 残念シリーズ 2:祇園山

 今回は、宮崎の山奥での残念の話です。五ヶ瀬に10年ほど前に一度きたことがあるのですが、その時は、祇園山には来ず、通り過ぎただけででした。今回は、祇園山周辺を見に行きました。

 黒瀬川構造帯という地質体があります。黒瀬川というのは愛媛県西予市城川町にある地名や川の名前に由来しています。この地域に分布する岩石の際立った特徴から、地名を地質学の名称として用いられました。では、そこにどんな特別な岩石が出るのでしょうか。まわりにある岩石とはまったく起源や形成年代の違う岩石が出るのです。それも、日本で一番古い化石が見つかったのが黒瀬川構造帯からでした。その後もっと古いものが見つかっていますが。黒瀬川構造体の重要性は今も健在です。
 黒瀬川構造帯の岩石は、城川町の黒瀬川だけでなく、点々とですが、東は紀伊半島から、西は九州まで断続的に続いています。私は、各地で見るようにしています。四国では何箇所か見て、紀伊半島でも見ています。しかし、九州では、まだ見ていませんでした。それを見たいと思っていました。
 9月に九州に調査に行った時、九州の黒瀬川構造帯を見ようと、半日とりました。分布している場所は、宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬(ごかせ)町にある祇園山(ぎおんやま)というところでした。祇園山の位置はわるのですが、どこでどのような石がでるかは、詳しくはわかっていませんでした。
 岩石としては、石灰岩と酸性凝灰岩が主体です。その石灰岩から、シルル紀のサンゴや三葉虫、貝などの化石が出ることで、古くから有名でした。それを見たいと思っていたのですが、あいにくの雨で、分布地帯の林道を車でうろうろしたのですが、きれいな露頭がないので、諦めました。一箇所で酸性凝灰岩を見たのですが、いかにも新しそうなので、違うもののように見えました。
 他の地域でもそうですが、山の中に出ている古い地層は、一般に黒瀬川構造帯も含めて、露出があまりよくないことが多いのです。古いものは長く侵食を受けているからです。ただし、古くても、石灰岩だけは、露頭として露出することが多いのです。
 石灰岩は、化学的侵食には弱く、機械的、物理的侵食には強いという特徴があります。化学的侵食が起きやすく、成分(炭酸カルシウム)が単調で栄養が少ないので、植生がつきにい岩石です。一方、機械的侵食には耐えるため、雨や川の侵食には強く、リッジ・メーカーと呼ばれ、峰や崖をつくることが多くなります。
 実は、今回も、そんな露頭を期待していたので、急峻な地形を見つければ、そこにあるだろうと思って探したのですが、見つけることができませんでした。場所が違ったのか、川沿いを丹念に歩く必要があったのかもしれませんが、残念な結果に終わってしまいました。別の機会になりそうです。

・先人たちがみた露頭・
祇園山の石灰岩から化石が発見されたのは、1959年のことでした。
前の職場で館長をなされていた浜田氏が、その発見者でした。
露頭は、開発が入ると一気に様相が変わります。
露頭が見やすくなる場合と見れなくなる場合があります。
見やすくなる場合は、道路が新しく拓かれ露頭がきれいになる場合で
見れなくなる場合は、露頭にコンクリートがまかれる場合です。
ただし、あまり開発がはっていないところは、
昔のままの露頭が今もみることできます。
黒瀬川構造帯でいうと、高知県の横倉山がその条件にあたります。
祇園山も同じような条件ですので、先人たちがみた露頭を、
今も見ることができると思ったのですが、残念でした。

・北国の秋・
北海道は、シルバーウィークは変わりやすい天気でした。
昼間は暑いくらいでしたが、突然雨がぱらついたりしました。
ただ、朝夕は秋が感じられる季節になりました。
9月16日にはすでに、旭岳で初雪が観測されています。
例年、札幌では、10月下旬から11月上旬になります。
あと一月もすれば、冬の気配が近づきます。
今は、北国の秋を堪能しましょう。

2015年9月24日木曜日

4_122 残念シリーズ 1:上村

 調査シリーズがしばらく続きます。今回のシリーズは、その地にはいったのだが、所定目的が達成できずに断念したものを紹介します。実はこんあことが何度がありました。そんな残念なシリーズとして、いくつか紹介したいと考えています。

 9月上旬に、大分県とその周辺に1週間ほど野外調査にでかけました。私の調査は、いくつかの目的を持ってでかけ、それにあったいくつかの露頭を探し、そこをしっかりと見ることにしています。
 一番いい露頭で、見る、記録、撮影することが中心で、実物試料の収集はしません。見て、感じ、考えることを重視しています。ですから、一度で目的が達成できなれば、何度でも日や時間帯を変えていくこともあります。一度の野外調査では、そんな目的をいくつかもって出かけることにしています。
 ちょっと変わった野外調査で、地質調査とも違っています。ですから、人とペースを合わせるにくいので、基本的に一人で出かけることになります。出かける前に下調べはして行くものの、優先順位をつけ、その順に目的を達成しようと努力することになります。優先順位が上でも、ダメなら再度そこを訪れることになります。2度もチャレンジでもダメならどうするか、悩ましいところでもあります。
 今回、紹介する上村(かむら、かみむら、とも)は、2度目でした。優先順位は、今回の調査ではそれほど高くないのですが、以前見れなかったので再度行くことにしました。
 上村には、秩父帯に区分される地層が分布し、ジュラ紀に付加した石灰岩があります。この石灰岩は、当時のたった一つの大きな海洋(パンサラサと呼ばれています)にあった海山の、山頂部の浅い海に溜まったものです。石灰質の破片が集まったもので、大陸からの物質はほとんど含まれていません。ですから、この海山は陸から遠く離れた海洋でできたもの(ハワイのようなところ)と考えられます。上村の石灰岩は、ペルム紀中期と後期をまたいだ(G-L境界と呼ばれている)時代(約2億6000万年前)に形成されたものです。
 さて、ペルム紀と三畳紀の時代境界は、古生代と中生代の境界にもなっており、地球史上最大の絶滅があったことがわかっています。しかし、P-T境界の絶滅は、単独の事件ではなく、その1000万年ほど前にも先行する大絶滅があったことがわかってきました。上村の石灰岩は、G-L境界の異変が記録されているところになるわけです。
 その露頭を見たくてでかけました。一度目は、位置をカーナビでだいたいのころとを指示していったところ、小さいな野良道に入り、場所がわからなくなり、うろうろしてしまい迷い、結局は時間切れで諦めました。今回は、地図と以前の巡検の調査の記録などをざっと読んでいたのですが、いくつかの露頭はみて、試料が多数採取されたのは発見したのですが、境界位置がよくわかりませんでした。雨上がりのヤブの斜面をずぶ濡れになりながらはいったのですが、見つかりませんでした。
 本来であれば、行く前にきっちりと調べておくべきでしたが、いい加減な下調べは無駄足をすることになります。帰ってきてから調べて、他にも別の沢筋や別の道路脇などにも露頭があることがわかってきました。後悔先に立たずでしょうか。しかし、優先順位が低いとそんなこともあります。
 帰ってきてからですが、今ではしっかり調べたので、次回行く機会があれば、きっと目的の露頭は見かるでしょうが、あまり明瞭ではなさそうで、いくかどうはチャンスが巡ってくるかどうかです。

・私のやり方・
上村が優先順位が下だったのは、
他の時代の境界にあたる層状チャートを見ることが
優先順位の最上位にあったためです。
また、午前中に山奥に初めて行くところで
ある種類の岩石を見る予定でした。
そのちらの方が優先順位が上でした。
ところがあいにくの雨でいったのですが
ダメになったのです。
それは次回の紹介します。
まあいろいろあって、
こんな事態になったのです。
案内者がいない地域を一人いくと
このようなハンディがあります。
これもした方がないことです。
でも、このようなやり方を私は選んだのです。

・旅行気分・
調査の目的は果たせなかったのですが、
その夜は高千穂の民宿に宿泊しました。
おかげで得することがありました。
宿のご主人から、夜神楽を毎日やっていること
さらに高千穂の真名井の滝が夏の間ライトアップがされていて
その夜が最終日だという
ことを聞きました。
さらに、宿のご主人が送迎をしてくれるというのです。
調査をした後には晩酌のビールがつきものなのですが、
車だとそれができません。
しかし、送迎していただけるので
一杯やったあとで神楽と夜景を堪能しました。
想定外ですが思わぬ旅行気分を味わえました。
悪いこともいいこともあるのです。

2015年9月17日木曜日

4_121 竜串 4:見残し

 四国の竜串シリーズも今回で終わりとします。竜串は、きれいな地層と構造がいろいろみられるところです。しかし、すぐ近くにも、あまり人目にふれずに地質学的な見どころもあります。そこを紹介しましょう。

 竜串は、国道321号線から、すぐにアプローチできるところにあります。近くには足摺海底館とよばれる海中に伸びた塔があります。海底館を降りると、海底を見学することができます。もちろん、団体さんが気軽に訪れることができるように、道路も整備されています。
 竜串は足摺宇和海国立公園なのですが、このような海底を見せる施設があるのは、国立公園に海中公園が6ヶ所ふくまれているからです。そして竜串も海中公園に指定されています。
 この周辺では、竜串が一番の観光地になっているのですが、実はもうひとつ重要な地質学的な見どころがあります。「見残し」と呼ばれるところです。
 見残しは、竜串の南東にある千尋岬(ちひろみさき)の奥にあります。道はないので、グラスボートで向かうことになります。「見残し」とは不思議な地名ですが、弘法大師がこの地を見残したということで名付けられたと案内されています。本当のところは、明治時代の日本画家の川田小龍が、竜串だけをみて帰る人が多いので、この地を見残しているようだということで「見残しの景」と名付けたそうです。
 さて見残しですが、竜串と同じ地層がでています。ただし、こちらの地層には、きれいな化石漣痕(れんこん)をみることができます。漣痕(ripple mark)とは、堆積物の表面に水や空気の流れによって、規則的な波模様のことです。砂丘や海岸の砂浜に風によって形成される風紋が、その典型です。海底でも流れがあれば、波模様が海底に形成されます。
 それらの表面の模様は、次の流れがあれば消えてしまいます。しかし、地層が上をうまく覆って形成されると、漣痕がそのまま地層の境界に残ることがあります。それが化石漣痕となります。地層境界に繰り返し化石漣痕が多数みられることもあるので、そのような条件はまれなことではなく、よくおこる作用のようです。
 地層境界に残された化石漣痕が、見残しではいろいろと見られるところなのです。見残しの化石漣痕は、学術的にも重要だとされ、「千尋岬の化石漣痕 」として、1953年に国の天然記念物に指定されています。
 グラスボートで見残しまでいって、そこから歩道の遊歩道を歩きながらみることができます。コースは途中でくずれて、すべてを進むことはできませんが、もっと先まで化石漣痕があるようです。時間があればぜひ行ってみたい気がしますが、それは別の機会としましょう。

・阿蘇噴火・
先日、九州の大分を中心に
近くの宮崎と熊本もまわりました。
阿蘇山も、2日間めぐりました。
そこに先日の噴火したというニュースでした。
もともと火山活動が活発化していたので、
噴火の危険性はありました。
今回の噴火は、帰札直後だったので少々驚きました
もし時期が一致していたら、
予定を変更して、いろいろ見て回ったかもしれません。
まあ、校務があるので、
あまり自由に振る舞えはしないのですが。

・河田小龍・
河田小龍は、
ジョン万次郎がアメリカから帰国した時
取り調べにあたりました。
その間、自宅に住まわせ、
一緒に暮らしながら、
役所に出頭させました。
その間、万次郎に日本語の読み書きを教え、
自分は英語を学びました。
そんなやり取りを通じて
友情も芽生えたようです。

2015年9月10日木曜日

4_120 竜串 3:海岸の堆積物

 竜串のシリーズではじめたのですが、実はタイトルだけで竜串は今回がやっと登場となります。竜串のような海岸の堆積物は、堆積場の形成には付加体が関連するのですが、地域性が現れれやすいところでもあります。さらに環境変化も激しいので、なかなか面白い地層がたまるところでもあります。

 さて、前置きが長くなりましたが、やっと竜串の話しになります。
 竜串の海岸には、海に向かってまっすぐに地層がつきだして広がっています。アプローチも便利なので、見学しやすいところです。ただし海岸なので、波の影響を受けるので、見学は天候や干満に注意する必要があります。
 竜串の海岸では、地層の断面を見ることができます。いろいろな地層の構造を見ることができます。前回紹介したタービダイトとは、一味違う地層です。
 竜串の地層は、付加体の上にたまった地層です。下にあるはずの付加体は、漸新世後期(5000万~4000万年前)から中新世(3000万~2000万年前)のものですが、その上にたまった地層は、化石が少なく時代はあまり明らかになっていないようですが、前期中新世の化石が地層の下(基盤といいます)の方からみつかっています。竜串層はもっと新しい時代のもののはずです。
 竜串に分布する地層は、竜串層と呼ばれていますが、三崎層群のもっとも上部になります。三崎層群は非常に厚くたまった地層で、3000m以上もあると考えられています。付加体の上、大陸斜面の海岸付近にまたった地層だと考えられています。堆積物が大量にたまる場だったようです。
 このような環境は、よく形成される環境です。それは、海溝から離れて陸に近いところでは、プレート(竜串ではフィリピン海プレート)に押されて、付加体が盛り上がり、隆起する部分ができるためです。この隆起が堆積物を貯める場(堆積盆といいます)となります。ただし、場所ごとに特徴が形成されやすくなります。
 三崎層群の環境は、上に向かって堆積物が粗いものになっていくことがわかっています。堆積物がたまった堆積場として、海岸の沖で日常的な波浪の影響を受けず台風などの影響でしか受けない浜(沖浜)から、波の影響を受ける海岸近くの浜(外浜)、そして陸域の河口へと変わっていったと考えられています。
 竜串層は、もっとも陸に近い、あるいは陸域の堆積場であったと考えられます。地層は砂岩の多い互層になっています。そして、地層内や境界部(もともとの海底面)には、生物の生活していた跡(生痕化石といいます)がよくみつかります。これが、大きな特徴となっています。
 生痕化石には、パイプ状や表面にコブ状突起をもっている奇妙な形のものがたくさん見られます。これらの生痕は、オフィオモルファ(Ophiomorpha)とよばれるもので、甲殻類の巣穴の跡です。干潟から海岸の砂地(前浜)に住む生物の跡です。
 生痕化石から、竜串層は、蛇行する河川や網状河川などの環境が考えられてきました。ある地層には、楕円型あるいはアーモンド型の生痕化石も、多数見つかるところがあります。こちらは、二枚貝があわてて逃げた跡(逃避痕とよばれます)だと考えられています。これらの生痕化石の研究から、竜串層は、砂がたくさん供給されているところで、網状の河川で、蛇行する川などの場に限定されてきました。
 前に紹介したように、付加体は、多様な起源の岩石が混在させられるメカニズムがありました。また、タービダイトにも、たまる場所なや流れこむ土砂の量、それらの重なりぐあいにより、形成される地層は、多様性が生まれました。そして、付加体の上、あるいは海岸付近でも特徴的な堆積物がたまります。それらが複雑に絡み合っているとことが日本列島なのです。
 さて、竜串の不思議さは、ここだけではありません。少し場所は離れますが、まったく起源の違う岩石を、次回は紹介しましょう。

・竜串が少ない・
このシリーズは、5月に調査にいったときの話を書くため
竜串とタイトルでスタートしました。
竜串周辺の地質の話をしているのですが、
もともと、竜串だけでシリーズを
まとめるつもりではなかったのですが、
付加体やメランジュなど
ついつい興味のあることから書き始めてしまいました。
そのため、前置きが長くなってしまいました。
次回は、竜串というより足摺に近いところの話しになります。
まだ、紹介をしたことのないところなので
書こうと考えています。

・調査中・
実は、前回と、今回のエッセイの発行は、
予約を配信したものでした。
野外調査にでています。
このエッセイの発行する日に帰ってくる予定なのですが、
発行が間に合わないので、予約配信しました。
その調査の話は、近うちにしていきたいと思っています。
今回の調査は、大分から宮崎北部を中心としています。
何度かいっているのですが、
再度調査したいところ、
まだ見ていないところなど
いくつか調べたいポイントがあります。
それを順番に見ていくことになります。
予定通りに見れるかは不明ですが、
天気が心配ですがどうなったいることでしょうか。

2015年9月3日木曜日

4_119 竜串 2:海と陸のもの

 高知の海側は付加体が分布する地域が多いところです。付加体には、グチャグチャになったメランジュや多様な岩石もあります。そのような不思議な産状も、多様な岩石のできかたも、沈み込みで説明できます。

 竜串は、四国の足摺岬の付け根あたりに位置します。足摺岬や内陸の所々に火成岩がでていますが、それ以外のところは、四万十帯と呼ばれる付加体が広く分布している地域です。ただし、竜串の地層自体は、次回紹介しますが、付加体の上に溜まった堆積物です。高知の南半分には、四万十帯が東西に連続しながら広く分布しています。
 四万十帯は、北から白亜紀前期、白亜紀後期、新生代始新世から漸新世前期、漸新世後期から中新世に形成された付加体から構成されています。内陸ほど古く、海側より新しくなっています。これはフィリピン海プレートの沈み込みによって、付加作用が継続していることを反映しています。
 竜串付近は、四万十帯の中でも海側に位置していますから、最も新しい漸新世後期(5000万~4000万年前)から中新世(3000万~2000万年前)に形成された地層となります。付加体は今も形成されているわけですから、海洋プレートに押されてつぎつぎと陸側に付け加わっています。最新の付加体は海溝付近の地下にあり、竜串あたりの付加体は、2000万年かかって海洋プレートの沈み込みによって陸側に移動しながら、持ち上げられたものです。
 タービダイト層は、もともとは整然とした砂岩泥岩の互層の地層として形成されたものです。しかし、付加体に取り込まれるときには、整然とした地層が乱れることもよくあります。平らな地層が、斜めに沈み込むプレートの力を受けることになります。タービダイト層には斜めから力がかかり、地層を切るような断層が形成されます。付加体のタービダイト層には、整然とした地層から、断層が多数ある乱れたもの、ひどい時にはもとの岩石の並び(層序といいます)が、めちゃめちゃに壊されたものまであります。
 断層が規模が大きくなると、タービダイト層の岩石だけでなく、起源の違ういろいろな岩石が混じったものができることもよくあります。このような大規模は断層帯の岩石部は、メランジュと呼ばれていまます。
 大きな断層ができると、付加体の中に、海洋の構成物が取り込まれることがあります。これは、いくつかの段階を追って起こる現象です。
 沈み込み帯では、巨大なプレートの衝突が起こっているところですから、沈み込む側の海洋プレートにも、大きな力がかかっています。海洋プレート上部に力がかかり、地下深部で断層が形成され、付加体の中に断片として取り込まれます。その後付加体の中に形成された大きな断層は、タービダイト層と取り込まれた海洋プレートまで及ぶことがあります。
 海洋底を構成していた岩石のうち、陸に持ち上げられた一連の岩石を、オフィオライトと呼んでいます。海洋プレートの上部は、海洋底に溜まった層状チャートや海洋地殻(玄武岩からできています)からできています。付加体の中には、オフィオライトの断片がよく見られるので、沈み込み帯では普通に起こる現象なのでしょう。
 メランジュには、さまざまな岩石が混在しています。海洋プレートの構成要素、タービダイト層の構成要素が、量比もさまざまに入り乱れたものなります。付加体では、整然としたタービダイト層、オフィオライト、多数の断層ができているもの、メタンジュになっているものまで、多様なものが見られます。しかし、これらの原動力は海洋プレートの沈み込みです。
 オフィオライトには海の情報が記録され、タービダイトには陸の情報が記録されています。付加体は、別々の場所に別々の時期にでできたものが、あるとき両者が混在して、その後長い時間を経て陸地に分布することになったのです。付加体は、なかなか面白い素材ですよね。さて、次回から、いよいよ竜串の地層の話です。

・オフィオライト・
私が地質学を目指した卒業研究のテーマは
北海道のオフィオライトでした。
その後、修士、博士過程の研究素材も
一貫してオフィオライトでした。
オフィオライトは、付加体の重要な構成要素です。
日本列島には各地にオフィオライトが分布しています。
私は、北海道からスタートして
中国から近畿地方にかけての
各地のオフィオライトを調べていました。
それも、今は昔です。
今では、海側の層状チャートと陸側のタービダイトに
興味をもって野外で観察しています。
陸地の調査ですが、過去の海と陸に思いを馳せています。

・変化・
長らく地質関係のエッセイを続けていると思うのですが、
自分の興味の中心が
エッセイのテーマになることが多くなっています。
しかたがないことだとは、思います。
面白いことに、15年以上も続けていると
自分自身の興味が変化していることも見てとれます。
かつては、オフィオライトからスタートし、
同位体組成の分析法の開発にうつりました。
その後、転職してからは、神奈川の地質になりました。
再度の転職で、人工衛星による世界の地質へ、
さらに河川や砂、石ころへと移りました。
最近ではタービダイトや層状チャートなどの堆積岩へと
興味は変わっています。
私は興味が変化するとテーマを変えてきました。
私のように気軽にテーマを変える人もいれば、
一つのテーマを長く研究し続ける人もいます。
いずれも、研究姿勢としてはありうるものでしょう。
どちらをとるかは、
研究をおこなう人の考え方によるのでしょう。

2015年8月27日木曜日

4_118 竜串 1:付加体

 四国へは何度も行っています。ゴールデンウィークにも行きました。たとえ同じところであっても、興味が違ったり、興味が継続しているのであれば、何度いっても楽しめます。そんな楽しみの場所を紹介しましょう。今回は竜串からの話題です。

 私は、遠くて不便でも、気に入った場所(露頭)には、毎年のように通っているところがあります。気に入ったところへは、観光でも何度も行く人も多いでしょうから、そんなに珍しくはないでしょう。愛媛や高知には何度もいっていますが、今回紹介する竜串へは、2度訪れています。ただし、前回は調査だったので、数日滞在して同じルートの露頭を何度も見ていました。新しい地層の記録方法を試すために、この地の地層を選びました。2回目は、典型的な堆積構造の観察記録ために訪れました。
 竜串は、高知県西部の土佐清水市にあります。足摺宇和海国立公園の一部にもなっているところで、珍しい景観があります。このあたりの海岸一帯には、砂岩から泥岩の繰り返しの地層が見られます。同じ岩石の繰り返しを互層(ごそう)といいます。竜串は、互層の露頭が海岸でよく見えるところです。一説によると、龍が寝ているような小山と大きな串に似ている奇岩などがあることから、名付けられたとされています。砂岩泥岩の互層が珍しい景観を生み出しています。
 砂岩泥岩の互層は、実は日本列島、特に太平洋側にはよく見られる堆積岩の様子(産状)です。さらに互層のうちの多くは、付加体という仕組みによって形成されたものです。
 このエッセイでは、付加体はよく登場しますが、まずは概説からはじめましょう。付加体とは、海洋地殻やその上に溜まっていた堆積物が、海洋プレートの沈み込みによって、陸地側に剥ぎ取られていったものです。海洋プレートの沈み込みが継続すれば、つぎつぎと剥ぎ取られた堆積物が集まっていきます。日本列島は、古くは大陸の縁で沈み込み帯となり、約2600万年前頃から日本列島として大陸に離れて行きました。
 付加体に加わる堆積物が互層になっているのには、理由があります。沈み込み帯では、海洋プレートが、大陸プレートや別の海洋プレートの下にもぐりこんでいくことです。日本列島は大陸プレートの一部なので、海側に沈み込み帯よる海溝が常にできていました。陸には川があり、川の運搬作用によって陸から堆積物が河口に運ばれていきます。河口付近に溜まっていた堆積物が、地震や大洪水などをきっかけにして、大陸斜面を流れ下り、斜面のゆるいところや海溝に土砂運ばれることがあります。このような流れは、混濁流(タービダイト)と呼ばれています。
 深海に流れ込んだタービダイトが海底の平らなところにたどり着くと、重く大きな砂は早く沈み、軽く小さく泥はゆっくりとたまっていきます。ひとつのタービダイトが起こるたびに、砂から泥へ連続的に変わる堆積物が、一層できます。タービダイトが繰り返し起こると、砂泥互層が繰り返し形成されていきます。このようなタービダイトの繰り返しによる互層を、タービダイト層と呼びます。
 タービダイトとそれによるタービダイト層が、付加体を構成している砂泥互層の起源と考えられています。話が長くなりましたが、竜串にはタービダイト層が、海岸沿いにきれいに見えることろなのです。その景観が、国立公園の重要な要素でもあります。

・台風一過・
台風が温帯低気圧に変わり
北海道は一気に秋めいてきました。
薄い上着では肌寒いような気がします。
低気圧が過ぎても
涼しいままかどうかはわかりませんが。
少し前から北海道は暑い夏は和らいでいました。
これからは秋に突入でしょうか。

・有朋自遠方来不亦楽・
先日大学の卒業生の同窓会がありました。
数十年ぶりの再会の仲間がほとんどでした。
旧友が会場に姿を表した時
一瞬にして「オー」と懐かしく思い出せる友、
一瞬、記憶をまさぐりながら、思い出す友
いろいろです。
忘れていたのではなく、
その友人の変貌が激しかったからです。
遠くから札幌まで多くの旧友が
駆けつけてくれました。
一夜だけ、数十年前にタイムワープできました。

2015年8月20日木曜日

6_130 新たな地平 5:衛星たち

 ニューホライズンズは、7月14日夜に冥王星を通り過ぎました。今後も、観測やデータの解析が進められていくことになるはずです。ニューホライズンズの成果に加えて、明らかになりつつある冥王星の姿をまとめておきましょう。

 ニューホライズンズは、日本時間の7月14日夜、冥王星に最接近しました。本来であれば、冥王星が目的地なので、その軌道に入りべきでしょうが、そのためには燃料が必要です。そんな燃料を積みこむ余裕がありませんでした。そのため、冥王星でフライバイをして飛び去るコースをとりました。フライバイの最接近の時を中心に観測がおこなわれました。シリーズの最後に、これまで、わかったことをまとめておきましょう。
 冥王星は、小さい惑星ですが、薄いながらも大気があります。ただし、冥王星が太陽に近づいたときにだけ、大気が形成されるようです。冥王星が太陽から離れていくと、大気の成分は凝固して、薄くなっていきます。窒素、メタン、一酸化炭素などがその成分です。地表にある窒素や一酸化炭素の固体が、太陽に温められて気化したものが大気になると考えられています。
 冥王星には、特徴的な衛星があります。それは、一番大きな衛星のカロン(Charon、シャロンとも)です。1978年に発見されました。カロン(直径1208km)は、冥王星(2370km)の半分以上のサイズがあり、衛星と呼ぶには大きすぎます。また、両天体の共通の重心点を回転する動きをしているようなので、二重天体(連星)とも考えられれています。
 ニューホライズンズは、カロンの画像も鮮明に撮影しました。その画像には、南半球には、横に1000kmにも伸びた谷がありました。谷は、7kmから9kmほの非常に深いものだと考えられています。カロンも冥王星と同様にクレーターが少ないことがわかってきました。カロンには大気がなく、H2Oやアンモニアの氷の地表があるようです。画像には、北極付近に暗いところがみえますが、実態解明はこれからです。冥王星は岩石の核があると考えられていますが、カロンにはH2Oの氷と岩石が混じったものになっているようです。冥王星とは違った素材でのテクトニクスが起こってるのかもしれません。
 冥王星には、カロン以外にも衛星が、いくつか発見されています。2005年にはニクス(Nix)とヒドラ(Hydra)が、2011年にはケルベロス(Kerberos)が、2012年にはステュクス(Styx)が発見されました。
 ニューホライズンズが冥王星に最接近する少し前に、これらの4つの衛星が不思議な動きをするという報告が出されました。この報告は、ハッブル宇宙望遠鏡のデータを調べたものです。比較的に大きなニクスとヒドラは、細長い形をしているのですが、それの動きを観察していると、不規則な運動をしていることがわかってきました。カオス的な運動だと予想されています。
 衛星ヒドラは、43×33kmのいびつな形で、表面の明るさが一様ではないこともわかってきました。しかし、ニクス(10km?)、ケルベロス(13~34kmか14~40km)、ステュクス(10~25km)のサイズも実態も、まだまだ不明です。
 ニューホライズンズが得たデータは、今後、解析が進められていくことでしょう。また、2015年8月までは冥王星とその衛星を観測することが予定されいます。今後の成果に期待したものです。
 今回の探査の成功で、太陽系最外部にある準惑星「冥王星」の姿が、鮮明になってきました。これで私たちの知識が、太陽系のより外側まで広がりました。

・遅い通信速度・
ニューホライズンズが冥王星への最接近をした後
8月後半まで、観測を継続します。
観測データは8Gのメモリに記録されいます。
データの通信速度が800bps弱なので
数ヶ月かけて地球へ送ることになります。
すべてのデータの送信を完了するのは、
2016年4月後半になるそうです。
気の長い話ですが、
省エネルギーでの飛行や装置の作動をしているので
気長に待ちましょう。

・暑い夏・
お盆が過ぎると北海道も少しは涼しくなってきました。
今年の夏は長く、暑かったです。
私は、8月上旬の一番暑い時に京都へ里帰りしたので
少々へばってしまいました。
北海道以外の人には、まだ暑い日々が
続いていることだと思います。
小・中・高校の夏休みも、今週までです。
大学も今週から集中講義がはじまりました。
市民向けの連続講座もはじまります。
私は、今年は夏休みは、ほとんどとれませんでした。
しかし、講義がないときは気持ちが楽なので
こんな時にこそ研究が進められればいいとおもっています。
まあ、校務がいろいろ入ってきますので
なかなか進みませんね。

2015年8月13日木曜日

6_129 新たな地平 4:氷プレートテクトニクス

 「ニューホライズンズ」の送ってきた冥王星とその衛星のカロンの画像は、非常に鮮明でした。一見、どこにもである天体の画像にもみえます。しかし、太陽系のもっとも外に位置する天体で、このような地形があったことが不思議なのです。

 「ニューホライズンズ」の送ってきた冥王星の画像で、最初に目についたのは、下半分に大きなハート模様があることと3500m級の山があることでした。ハート模様の一部分を拡大すると、不思議なハスの葉(あるいは亀甲)のような模様がありました。もっと拡大すると、そこには普通はあるものが、ないことがわかってきました。それは、クレーターです。
 太陽系で硬い地表をもっている天体には、たいていクレーターがあります。クレーターがあるのは、現在でも一定の割合で隕石が衝突するという現象が起こっているためです。惑星の表面にも、衛星にも、彗星にも、小天体にも、すべてにクレーターがあります。したがって、クレーターが少ないということには、重要な意味があるのです。
 クレーターの少ない代表的な天体として、地球が挙げられます。地球の表面は、「最近」形成されたものだからです。もちろん「最近」とはいっても、昨日今日のことではありません。45億年という太陽系の歴史の中でみた時間なので、数百万年や数千万年以降、せいぜい1億年前より新しいものが、「最近」となります。地球の表面は、常に更新(侵食、削剥、堆積、断層、火山噴火などの各種の擾乱)されているため、クレーターが消されていきます。古い岩石も、後の時代に何度も擾乱を受けているため、地形は消えていきます。地球で「最近」形成された山とは、プレートテクトニクスによる造山運動による山脈か火山活動による火山になります。
 冥王星は小さい天体なので、岩石を溶かしてマグマを形成するほどの熱を内部に持っていないはずです。それに、H2Oの氷を主成分としていると考えられるので、地球のように岩石のプレートや岩石の溶けたマグマによる火山はないと考えられます。ですから、地球の岩石のかわりに、H2Oが固体(氷)や液体(水)になって大地の運動(テクトニクス)を起こしていると考えられます、H2Oの水による火山活動が起こり、H2Oの氷がプレートとして振舞っているのかもしれません。冥王星では、氷プレートテクトニクスと呼べるものが起こっているのかもしれません。水ー氷の運動が、ハスの葉状の模様の原因かもしれません。
 氷の表面(地殻)をもつ天体での、表層の更新が起こっていることは、他の天体(いくつかの衛星)でも発見されています。しかし、冥王星のように太陽からも遠く、大きな母星による潮汐力も働かない天体で、どのような熱源によって水マグマができるのでしょうか。この地形の謎の解明は、なかなか面白い研究テーマとなることでしょう。

・未来を考える・
冥王星は現在、地球から48億kmも離れています、
電波でも、4時間半かかる距離です。
ですから、重要な作業は、
定められた時間に定められた手順で
動くプログラムにおこなわれます。
さらに、遠くでの探査では、
自身で判断して進めていく必要があります。
未知の領域での探査は
突発的なことにどう対処するかも重要な課題です。
起こるリスクを数年前に予想して
回避するようにして、送り出さなければなりません。
大変ですが、未来を考える作業は面白いものだと思います。

・猛暑日・
先週後半から10日まで、京都にいました。
連日、猛暑日と熱帯夜を過ごしていました。
北海道の住人にっとては、この暑さには参りました。
住んでいる母もぐったりしていました。
もちろん冷房や扇風機は使っているのですが、
一晩中つけて寝ていると、体調をくずすので途中で切ります。
すると暑くて寝れない。
しかたがないので、扇風機にタイマーをつけて寝る。
タイマーが切れると暑いので
再度タイマーをつける
などということをしていると
日々、寝不足になります。
朝起きた時から、クタクタになっていました。
北海道の夜は湿度は高くても
温度が低いので熟睡できました。
北海道の人になりました。

2015年8月6日木曜日

6_128 新たな地平 3:紆余曲折

 惑星探査機「ニューホライズンズ」の計画がスタートするまで、スタートしてからも、いろいろ困難が場面がありました。それを克服するには苦労があったと想像できます。その末の今回の成果です。関係者の喜びはいかほどのものだったでしょうか。

 惑星探査機「ニューホライズンズ」が冥王星に最接近したのは、2015年7月14日でした。打ち上げられたのは、2006年のことです。もちろん打ち上げるためには、もっと前から計画はスタートしています。探査機打ち上げには莫大な費用や人材も必要になります。ですから、かなり前から計画され、準備が必要になります。
 1990年代末には、NASAは「プルート・カイパー・エクスプレス」という計画で、冥王星の探査を考えていたようです。その計画では、2004年に探査機を打ち上げつもりでしたが、費用が膨大になることがわかり、2000年に諦められました。
 しかし、その後再浮上し、2001年に「ニューホライズンズ」の探査計画があることが公表されました。2001年11月には内定され、2003年4月に正式のゴーサインがでました。そして、多くの人材と時間、約7億ドル(約800億円)の費用をかけ、2006年1月19日の打ち上げに至りました。
 「ニューホライズンズ」の計画には紆余曲折がありました。計画段階でもほかにも、波乱がありました。2003年2月3日にスペースシャトル・コロンビアの事故がありました。1986年のチャレンジャー以来の爆発事故で、この計画にも暗雲が立ち込めました。事故原因解明に多くの予算もさかれました。その後、国際宇宙ステーション(ISS)の費用削減によって「ニューホライズンズ」の計画は回復しました。
 いろいろ難関がありましたが、一番の試練は、打ち上げ直後にありました。
 「ニューホライズンズ」の打ち上げの8ヶ月後、2006年8月24日のことでした。その前からくすぶっていた問題に対する決着が、その日に付けられることになりました。チェコのプラハで開かれていた国際天文学連合(IAU)の総会で、惑星の定義が再検討されました。その結果、冥王星は、惑星ではなく準惑星(dwarf planet)になり。惑星から準惑星への降格でした。太陽系で最後の「新たな地平」であった未知の惑星「冥王星」の探査の予定が、惑星から準惑星にされたのでした。出鼻がくじかれたようなものです。しかし、「ニューホライズンズ」は冥王星に向かって、順調に飛行を続けています。
 降格の経緯は、太陽系の冥王星より外にある天体(太陽系外縁天体と呼ばれる)の観測が進み、大きな天体がいくつも見つかるようになってきました。そして、2005年7月29日、冥王星より大きと推定される天体2003 UB313が発見されました。2003 UB313は2006年9月にエリスと命名されました。
 エリスの発見者は「第10惑星」と呼んで、メディアも「惑星」と報道しました。冥王星より大きな天体ですから、「惑星」と名乗っても問題はないはずです。エリス発見を契機に、惑星の定義にかんする議論が沸き起こりました。今後、もっと多くの大きな惑星が見つかる可能性もあります。
 すでに存在してた冥王星の衛星カロンや小惑星ケレスも、惑星の候補とすべきだという議論もありました。それになんといっても、冥王星の惑星として、離心率や軌道傾斜角が大きいことは、惑星らしくありませんでした。
 それらの議論を考慮された上での準惑星への降格でした。
 地球の騒ぎをよそに、「ニューホライズンズ」は順調に飛行を続けました。観測の結果は、やはり興味深いものとなりました。さて、冥王星はどのような天体だったのでしょうか。次回としましょう。

・定義・
最終的にIAUにおいて、今までの惑星とされていた天体は
惑星、準惑星、太陽系小天体(small Solar system bodies)
に区分されました。
惑星の定義は、
太陽を公転、自己の重力で球形るなるほどの質量、
軌道上の唯一の天体、となりました。
準惑星の定義は、
太陽を公転、自己の重力で球形るなるほどの質量、
は同じですが、
軌道上の他の天体があってもいい、
衛星ではないこと、
となりました。
わかったような、わからないような定義です。
これて一応、一件落着となりました。

・人為分類・
天文学は、自然科学ですから、
事実に基いて、論理的になされるはずのものです。
しかし、ものごとの分類は、
たいていが人為分類になります。
人為分類とは、人が定義していくものです。
そこには、人、研究者の意図や思想が反映されます。
そして、感情も加味されます。
そこが一番難しいところかもしれません。

2015年7月30日木曜日

6_127 新たな地平 2:ニューホライズンズ

 惑星探査機「ニューホライズンズ」からの画像が、最近話題になっています。この探査機は、冥王星を探査するために2006年に打ち上げられたものです、それがやっと冥王星に最接近をして情報を送ってきました。

 ハッブル宇宙望遠鏡が、1990年4月かが現在に至るまで利用されています。ハップル宇宙望遠鏡は地球の大気の影響を受けないので、非常にシャープな画像が撮影できます。そのおかげで、地球にいながら、宇宙での新たな画像を撮影することができます。
 ハッブル以前にも、いろいろなところに探査機を送り込み、惑星や新たな衛星の発見、多数の科学的情報を手に入れてきました。ハッブル宇宙望遠鏡やさまざまな探査機のお陰で、太陽系の惑星や衛星、あるいは宇宙全体の理解を深めていきました。そこには多数の新発見があり、新たな地平が拓かれました。
 惑星の概略がわかると、より詳細な部分が次なるフロンティアとなり。その代表的なものは、それぞれの惑星に多数見つかっている衛星の詳しい情報を知ることでしょう。もちろん、そのいくつか衛星には、探査機が送り込まれて、新しい情報が得られています。
 実は、衛星以外にも太陽系内にも、まだ未知の地平が残されています。皆がよく知っている冥王星です。これまで、海王星までの鮮明な画像はありました。海王星の青い惑星で白い筋が特徴的でした。その画層を見た人も多いでしょう。ところが冥王星は、ハッブル宇宙望遠鏡が撮影したぼんやりとした画像があるだけでした。
 惑星探査機「ニューホライズンズ」のターゲットは、冥王星でした。2006年1月19日に打ち上げられました。打ち上げ後、2006年6月13日に接近することがわかった小惑星(APLと命名)を撮影しました。その他にも、2007年には木星を観察しています。その後は、休眠状態に入り、半年に一度の定期点検のために起動をしては、冥王星に向かいました。
 2014年12月には18回目の休眠から起動して、冥王星の探査を開始しました。そして、情報がぞくぞくと地球に送られてきています。2015年7月14日には最接近して、観察をしました。2015年8月まで冥王星や衛星のカロンなどを観測する予定です。
 その詳細は次回以降としましょう。

・ハッブル・
ハッブル宇宙望遠鏡は、1990年4月に打ち上げられ
その後、不具合が見つかって修理されたり、
いろいろな部品交換も何度もされながらも、
現在も運用されています。
25年以上にもおよぶ運用されています。
後継機が待たれますが、
まだ実現しないようです。

・原子力電池・
ニューホライズンズは、
太陽から多く離れたところを探査するため、
太陽光発電も使えません。
今でも、せいぜい木星軌道あたりまでしか
太陽光発電は機能しません。
そのため、遠くの惑星の探査機は
原子力電池を積んでいます。
原子力電池とは、
半減期の長い放射性元素の崩壊エネルギーを
熱として利用して発電しています。
熱電変換素子を利用して発電されています。
事故があると放射性物質をまき散らす危険性があるので
遠くの惑星を探査するときのみに使われています。

2015年7月23日木曜日

6_126 新たな地平 1:メッセンジャー

 探査機は長い年月をかけて開発がされてきます。そんな状況を踏まえて、最近の惑星探査の状況を紹介します。水星と冥王星を中心に、新たな地平を切り開いた探査機、そして話題になったエピソード、ニュースも紹介していきます。まずは、水星の探査からです。

 今まで未知であったものを調べて、「新たな地平」(ニューホライズン)を切り拓こうという挑戦には、いろいろなものがあります。未知の惑星を調べる探査機などは、まさに未知を切り拓き、新発見をするための装置です。探査機は、新たな地平の開拓には、重要な役割を担っているはずです。
 地球から離れた惑星を調べるのは、難しい作業となります。これまで、一番太陽に近い水星も、よくわかっていない天体でした。えっと思われる方がいるかもしれません。水星の画像はよく見ているし、その存在も古くから知れているはずです。
 ところが、私たちがみている水星の画像は、半分(45%)がカバーされているだけのものでした。その画像も、1974年から1975年に2度にわたって接近したマリナー10号が撮影したもので、その後は探査機による調査がなされませんでした。水星としてよく見ていた画像は、水星の半分の姿しか表していない、40年も前のものだったのです。
 水星は太陽に近いため、太陽からの熱、電磁波の影響を強く受けるので、その対策が必要になります。太陽の重力に負けないで水星軌道に入ること、さらに水星の公転速度が大きいのでその速度に合わせること、などいろいろ接近には困難さが伴います。
 2004年8月3に打ち上げられた「メッセンジャー」という探査機が、2011年3月に水星の周回軌道に入りました。地球と水星は一番近い時は、1億kmほどの距離なのですが、メッセンジャーは、7年の歳月をかけ、80億kmほどの距離を移動しながら、水星に達しました。これも軌道投入の難しさ故でしょう。
 メッセンジャーの探査で、水星の全容の把握、そして新しい情報の追加がなされました。メッセンジャーは、当初1年間の探査予定でしたが、機体、装置の調子がよくて、1年延長、そしてさらに2年の延長がおこなわれ、結局4年間も延長されて運用されました。最終的には2015年5月まで探査を続け、水星表面へ落下してミッションを終了しました。
 探査の結果、水星に氷があったこと、液体の核がありそうなことなどがわかってきました。
 水星に氷は少々不思議です。太陽に近くて暑い場所にあり、大気もないのに氷が存在するはずがありません。ところが、大気がないと、影の部分は冷たくなります。水星の極地にあるクレータには、常に影になるところ(永久影と呼ばれています)があり、そこは-180℃ほどの低温になっていてると考えられました。そこに氷があれば、溶けずに存在しうると推定されました。その推定通りに、氷が存在していることがメッセンジャーによって確認されました。
 水星には磁場があることがマリナー10号で観測されていました。水星は小さいので内部温度も速く冷めてしまうはずなので、磁場の存在は不思議なものでした。磁場は液体の金属(ふつうは鉄)が流動することで発生すると考えられます。メッセンジャーにより、磁場は双極子(NとS極がある)で、自転軸と合っていることも確認されました。マリナーだけでなくメッセンジャーでも観測されたことから、磁場は安定したものだと考えられます。その原因として、液体の核の存在が推定されたのです。
 液体の核ができるためには、核に不純物(イオウや水素など)がまじると鉄の融点が低くなることから、液体の鉄があっても不思議ではないと考えられるようになってきました。
 このような、身近でありながら未知の惑星、水星の様子が、惑星探査機によって明らかになってきました。

・アメリカの実力・
米ソの冷戦時代は、
お互いの技術力や戦術的優位に立つために、
宇宙開発がさかんに行われました。
その一環として、月の探査や惑星探査も含まれていました。
冷戦の終結後、経済状況の悪化もあり、
探査も見直し、小規模化、低予算での遂行が強いられてきました。
それでも米ソ、さらにいえは米が中心の
惑星探査がなされてきました。
その間にヨーロッパ、日本なども実力をつけてきました。
しかし、やなりアメリカが行なう探査は、
今までの経験や実績があるので、
一日の長があるようです。
今回の紹介予定の探査機もアメリカのものです。

・快晴の希少価値・
今年の北海道の気候は、
日照時間が短く、晴れの日でも湿度が高いので
なかなか快適な日が少ないです。
それでもたまに快晴の青空があると、
ありがたく思えます。
北海道の一番いい天候であるはずの
夏のカラリとした快晴の日は
今年は、希少価値になってしまいそうです。

2015年7月16日木曜日

1_143 月の新起源説 4:タングステン

 ある仮説でこれまでわかってきた特徴を説明されてきました。ところが、新しいデータが出てくると、その仮説では説明できなくなることががあります。そこに新たしい仮説が登場します。しかし、その仮説で一応の説明ができたとしても、納得しがたいことも・・・

 月は、地球に火星サイズの天体ティアが、斜めに衝突したことでできたと考えられています。斜めの衝突であったため、地球のマントル成分だけが飛び出し、それが材料となり、月が形成されたと考えられています。ですから、月は、地球ともティアとも少々違った組成ですが、どことなく地球のマントルに似ているところもあるわけです。
 ところが、それだけでは説明できない成分が発見されました。タングステン(元素記号W)という元素の、同位体組成においてみられる違いでした。タングステンには、多数の同位体があります。
 同位体とは、同じ元素で陽子の数は同じなのですが、中性子の数が違うものを指します。タングステンは、陽子数が74(=原子番号)で、中性子の数が106(質量数は180)、107(181)、108(182)、109(183)、110(184)、111(185)そして112(186)までのものがあります。このうち、質量数が、182、183、184、186ものは安定ですが、それ以外のものは不安定な放射性核種で、一定期間を経過すると崩壊します。タングステン180は放射性核種なので、半減期が異常に長く(1.8垓年)で、ほとんど変化がないといえるほどです。他の放射性核種は数ヶ月の半減期となります。
 元素の存在度でいうと、安定な核種が99%を占めます。質量数182のタングステンは26.5%、183は14.3%、184は30.6%、186は28.4%となっています。
 さて、問題は核種は、安定な核種で一番軽いタングステン182です。月の岩石は、地球のものに比べて、タングステン182が少ないことがわかってきました。その差は、0.0025%と非常に小さいものです。このデータは、分析技術の発達のおかげで、有意な差(本当に違っていると断言できる)があることがわかってきました。
 さて、このタングステン182の差を、衝突モデルでどう説明するかが問題なのです。2つの考えが提案されています。
 ひとつは、月が形成された後、別の天体が地球にいくつか衝突したと考えるものです。それは、重いタングステンをもった天体だったので、地球のマントルの同位体組成を変更したというものです。地球はさらなる衝突でタングステンの組成だけを変えたというものです。
 もうひとつの考えは、地球とティアの化学組成は似ていたのですが、タングステンだけは、違っていたとするものです。特別な天体を用意する必要はなく、形成時間に差があればいいという提案がなされています。タングステンは核に分配されやすい元素で、核の成長は形成時間に依存するとされています。ですから、両天体は、同じような組成を持っていたとしても、できからの時間が違えば、タングステンの組成も変わることになります。これでタングステンの同位体組成の違いを説明できるという説です。
 いずれの説も、反論はあります。ですから、まだまだ検討が必要でしょう。このように新しい考えがいくつも提案されることで、注目され、議論が沸き起こり、研究が深まります。今後に進展に期待したいものです。

・気の持ちようで・
今日の朝の講義が終わった出張します。
一泊ですので、用事を済ませたら、すぐに戻ります。
土、日曜日も用事が入っていて、夜は飲み会です。
なかなか休めません。
体の疲れは眠ればとれます。
心の疲れは、気の持ちようで乗り切るしかありません。
出張も用事も楽しいものだという気持ちで望めば
それは気分転換になります。
そんな心の余裕が、重要だ最近強く感じています。

・天候不順・
北海道は天候不順です。
毎週、書いている気がしますが、
ここ最近は本当にそう思える天候です。
一昨日までひどく蒸し暑かったのですが、
昨日は半袖は肌寒いほどです。
朝快晴だと思ったら、午後から曇ったり、
めまぐるしく天気が変わります。
忙しく休みが取れない時で
天候不順ですから、体調だけには、
気を付けなければと思っています。
体調不順にはならいようにしなければ。

2015年7月9日木曜日

1_142 月の新起源説 3:斜め衝突

 月と地球は化学組成でみると、似ている点と異なる点もあります。両方をうまく説明するのは、少々工夫が必要です。新しい論文では、いくつかのアイディアが紹介されました。

 惑星形成は、太陽系の初期におこったことで、衝突合体を繰り返しながら、大きな天体へと成長してきます。やがて衝突が暴走的に起こり、小さな物体はすべて微惑星と呼ばれる天体に吸収されていきます。軌道上には、成長した微惑星だけになり、やがてそれらも衝突合体を繰り返して、ひとつの惑星、原始地球へとなります。惑星形成の初期には、衝突合体により、地球軌道付近の物体は、すべて地球に集積してしまいました。
 2015年4月Natuer誌に掲載された論文のシミュレーションによると、近くの軌道で形成された天体同士は、衝突しやすく、太陽形成初期の衝突の20%は、似た天体同士のものだとという結果が得られています。軌道上の微惑星の化学組成が似たものがぶつかれば、そこから飛び出した天体(月のようなもの)や、合体した天体も似た組成になることも当然となります。地球軌道に火星サイズの天体が残っていて、最後に衝突したとすると、月の起源も説明可能となります。
 ところが、問題もいくつかあります。地球と月のいろいろな化学組成が似ているということは、衝突説で説明可能ですが、違う点もあります。化学的違いを説明することが、今度は、困難になります。
 また、衝突頻度が20%は、そんなに大きな確率ではないということです。月の形成には、似た組成の天体が衝突が必要なのですが、その確率が低いのは少々問題がありそうです。80%は違う組成の天体で、それが衝突したとすると、今度は月と地球の化学組成の類似性が問題となります。ですから、似た天体の衝突が必要になります。
 そこで考えられたのが、似た組成のティアの衝突はあったのですが、飛び出したのは、主に地球のマントル物質で、それが月の材料となったというものです。そんなに都合よく、ぶつけられた地球のマントル物質だけを飛び出すことが可能なのでしょうか。
 その方法として、ティアの斜めの衝突が考えられました。斜めの衝突によって、飛び出したのは地球のマントル物質で、ティアの物質は地球に加わったとするのです。飛び出した物質は、地球やティアとは少々違った成分を持つことになます。このメカニズムで月が地球とは、似た点と違う点をもつ不思議さを説明しています。
 ところが、似た組成の天体の衝突では、説明できないものもありました。それは、次回としましょう。

・やっと快晴が・
北海道は、天候不順が続いています。
まだ曇りがちの日があったり、
晴れていても雲がすぐにでてきたりと安定しません。
ここ2日ほど、やっと快晴になったのですが、
半袖だと少々寒いくらいの天気です。
涼しいのは、過ごしやすくていいのですが、
寒いくらいだと、農作物について心配になります。

・受け流す・
現在、論文の大詰めにかかっています。
来週が締め切りなので、大変です。
自分の研究のノルマとしているものなので、
なんとか終わらせたいと考えています。
論文にかかりきりになっていると、
他のことがおろそかになっていきます。
それが少々心配で、ストレスにもなっています。
ただ、ストレスを跳ね除ける余力はなく、
ストレスを受け流ようにしています。
受け身ではなく受け流す姿勢です。
そんな姿勢が、いいことなのか、
悪いことなのかはわかりません。
一種の防衛本能のなせる技なのでしょうか。

2015年6月25日木曜日

1_140 月の起源 1:3つの説

 月の起源については、すでに紹介していたと思っていたのですが、どうもまだ一度も紹介したことがなかったようです。4月に月の起源に関する新しい証拠が提示されました。その論文とともに、これまでの月の起源についても紹介していきましょう。

 月は、地球から見える一番身近な天体です。全く見えなない新月から、少しずつ太りだし、明るい満月になり、また少しずつ痩せて新月になるという、非常に規則的な満ち欠けをします。その規則性は、暦としても利用されてきました。規則的で、不思議な形態の変化は、古代の人々に、月に対する神秘さを与えたことでしょう。また、月の表面には不思議な白黒の模様があり、古代の人々は、そこにいろいろなイメージを見出してきました。
 人は古くから、月に不思議さ、神秘性を見出してきました。月にちなむ神話や伝説も多数あります。日本では、かぐや姫(竹取物語)が映画にもされ、最近さらに有名になりました。
 20世紀になると科学技術が進歩してきて、月の実態が明らかになってきます。人工衛星による探査、またアポロによる有人探査もおこなわれ、月は、人類がはじめて降り立った地球外の天体となりました。
 アポロの有人探査により、大量の試料を地球に持ち帰ることができました。その試料を分析することで、地球に次いで詳しく調べられた天体となりました。今まで間接的にしか調べることができなかった地球外の天体が、直接分析などできる対象になったのです。
 さて、月の起源についは、古くからいくつもの説が提唱されてきました。それらの説は、捕獲説、共成長説、分裂説の3つに大別されています。これらの3つの説は、人間関係になぞらえ、捕獲説は他人説、共成長説は兄弟説、分裂説は親子説という呼び方をされることもあります。なかなかわかりやすい命名でもあります。
 捕獲説とは、太陽系の別の場所で形成された天体(小惑星や準惑星と呼ぶべきか)が、何らの原因でそれまでの公転軌道が乱された、地球の引力に捕らわれて、衛星となったと考える説です。太陽系のどこか全く別のところの天体が、たまたま衛星となったことになります。成因や形成時期などが、ばらばらでもかまわないという利点があります。しかし、本当にそんなに都合よく衛星となることができるのかという疑問もあります。力学的はなかなか難しい過程になります。
 共成長説とは、地球と月が現在の軌道上で、同じ条件で同時に形成され、惑星と衛星という関係になったというものです。これだと、地球と月の起源を一緒に考えられ、同時にできたことになるので、比較的解明がしやすくなります。また化学的、物理的共通点の説明がしやすくなります。ただし、地球と月の運動量(角運動量といいます)を合わせると、かなり大きな量になります。もし隕石のような材料物質の集積によって、両者が同時にできたとすると、そのような大きな運動量は説明できないという問題があります。
 分裂説とは、地球が形成され、何らかの原因(自転や遠心力など)で地球の一部がちぎれて飛び出し、その破片が月になったという説です。この説では、地球と月の化学的性質の共通点と相違を説明しやすいという利点があります。ところが、そのような現象を起こすには、かつての地球の自転が非常に速くなければなりません。さらに、月の物質が飛び出したあとは、現在の自転の状態にならなければなりません。そのようは急激な自転の変化を起こすメカニズムは、現在わかっていません。
 このように、どの説も一長一短があり、なかなか合意がえられませんでした。ところが、現在では、衝突説で決着をみています。衝突説は、他人説と親子説の合わさったような説です。この説の説明は、次回としましょう。

・探査計画・
こんなに身近な月なのですが、
アポロ計画をピークにして
その後は有人探査がなされていません。
費用がかかりすぎることと
アポロが十分な成果を挙げたためでしょう。
その後も、無人探査機や周回探査機は
何度か送り込まれており、
日本も探査機「かぐや」を送っています。
その内容は、このエッセイでも紹介しました。
「5_67 かぐやが見たもの:日本の月探査」(2007.11.22)
「5_68 かぐやが描く地図」(2008.07.10)
「かぐや」の後継機の計画があるようですが、
なかなか進展していないようです。
現在、月の探査は一段落しているようです。
注目を惹き大きな予算をとるような
目標設定がなかなかできなからでしょうかね。

・蒸し暑さ・
北海道らしい好天の前後は、
じめじめとした蒸し暑い日がありました。
本州の梅雨と比べると、
湿度や暑さは大したことがないはずです。
しかし、北海道の家の多くは、
暖房はあっても、エアコンがない家も多いです。
もちろん我が家もそうです。
冷房や除湿がないと、
昼間の蒸し暑さなかなか耐え難いものです。
しかし、夜には気温が下がるので
なんと眠ることができますが。

2015年6月18日木曜日

2_131 ハビタブル・トリニティ 5:生命誕生の条件

 シリーズの最後に、第二の地球が存在する可能性ですが、これがなかなか大変かもしれません。丸山さんたちの提示されたハビタブル・トリニティは、いくつかの厳しい条件をクリアしなければ、生命は誕生しないと考えられます。

 さて、このシリーズの最後として、地球の生命から学ぶべきことをまとめておきましょう。丸山さんたちは、初期的な大陸(列島)の地溝帯で火山活動が激しい場を提案しています。地球生命の誕生の場は、これまで深海底の熱水噴出孔が有力だったのですが、ハビタブル・トリニティを考えると、より陸地に近い環境が適していると考えています。地溝帯では固有の火山活動が起こっており、生命誕生や維持に必要な栄養素がそろいやすいと指摘しています。これは、今までにないアイディアです。
 また、現在の太陽系がの惑星探査で見つかっている惑星系には、大きく3つのタイプがあります。巨大ガス惑星が太陽に近いところにある(ホット・ジュピター)、遠いところにある(クール・ジュピター)、ガス惑星のない惑星系(ジュピター・レス)の3つです。
 ホット・ジュピターでは、地球型惑星は氷惑星の位置で形成されたものがハビタブル・ゾーンに移動するので、大量に水を持ってしまいます。大量の水は、ハビタブル・トリニティを満たしにくくなります。ジュミター・レスでは、地球側惑星は太陽に近づきすぎて、ホット・スーパー・アースになっていきます。クール・ジュピター・タイプだけが、ハビタブル・ゾーンに地球型惑星ができます。ただし、その惑星は水の量が少なすぎて生命誕生には適さないようです。ほどよい水の量の惑星は、外側から移動してきたものだと考えてます。それも少しはあるだろうと考えています。かなか難しい条件なので、地球型惑星で地球程度の水は彗星の衝突で水を供給するという可能性も指摘しています。
 生命誕生のためいは、いくつかの厳しい条件をくぐり抜ける必要がありそうです。ハビタブル・ゾーンに、適切な大きさの惑星として、大気を保持し続けて、なおかつ多すぎない水の量をもっていなければなりません。この初期条件を満たすことが、生命の星になる重要な条件になります。こ
 生命誕生にいたる道は、なかなか険しいようです。ただし、その条件さえ満たせば、かなりの可能性をもって生命が誕生しそうです。また、条件を維持することも、それほど難しいことではなさそうです。
 陸地(列島)が形成されれば、生命誕生の場が生じ、誕生することでしょう。陸地が広がると、地球の環境は非常に多様になります。誕生したた生命は、多様な環境で、生物の多様が起こります。
 丸山さんたちは、生命誕生の場が初期地球だけのものでなく、現在の地球にも存在するのではないかと考えています。日本のある場所で、不思議な化学反応をしている生物がいることを発見しています。まだ途上の研究ですが、このような生物が現在生まれている生物だとしたら、私の生命観、進化観は大きく変更が迫られます。丸山さんたちの研究が、今後どのような展開を見せるかなかなか楽しみです。

・初夏なのに・
YOSAKOIも終わりました。
6月も中旬になってきました。
春から6月の初夏にかけても、
晴天の日が少なく思えます。
本来はこの時期は、
雪国ではもっと快適な時期になるはずなのですが、
曇っていたり、風が強かったり
北海道らしい快晴の心地よい日が
あまりに少なく思えます。

・地質学・
地質学の話題のうち、火山、地震、津波、地滑りなど
人の命や財産を危険にさらされるものは、
メディアにも大きく取り上げられます。
それ以外の成果としては、
自然科学の中でも地質学は
かなり地味な取り上げ方しかされないようです。
恐竜の化石などは、花形の分野になっていますが、
しょっちゅう珍しい化石が
発見されるわけでもありません。
化石も、科学的重要性も考えると、
話題として取り上げられる頻度は
そうそう多くはないように思われます。
かといって、地質学が科学的重要度が
低いわけではありません。
今回の論文のようば壮大なテーマと
そのインパクトの強烈さは、
地質学の醍醐味を感じさせて
くれるものではないでしょうか。

2015年6月11日木曜日

2_130 ハビタブル・トリニティ 4:海水の量

 生命の進化には、惑星として満たすべき条件がさらに必要だといいます。海水の量です。海水が多ければ大陸の岩石できたとしても、陸地ができないことになります。生命の進化には絶妙の条件が必要なのかもしれません。

 丸山さんたちの説では、生命は、軌道条件(ハビタブル・ゾーン)と質量条件を満たした惑星で、なおかつ水、大気、岩石の「ハビタブル・トリニティ」から由来する成分が常に供給され続けるところで、誕生したというものでした。
 複雑に進化した生物であれば、これらの成分を蓄えたり、取りに行ったり、集めたりすることができます。動物であれば、水を飲みに水辺にいくことができますし、植物なら根や実、茎などに養分として蓄えることができます。
 生命の誕生や単細胞のような単純な生物であれば、環境として継続される必要があります。さらに、生命の誕生を考える場合、これらの3つの成分が、常に存在し、いろいろな化合物が繰り返し合成されているところでなければ難しいでしょう。
 「ハビタブル・トリニティ」として成分が循環している環境が生命の誕生の場として望ましいところとなります。生命が誕生した後、進化し続けるためには、このような成分が、継続的に循環している環境が存在しなければなりません。
 地球は、「ハビタブル・トリニティ」を有し、すべての条件を満たしていました。これらの条件は、水の惑星であれば、簡単に満たせるように思われますが、そうでもなさそうです。多くの制約条件があり得ることを、丸山さんたちは指摘しています。
 まず、水惑星として水があり、プレートテクトニクスが働けば、大陸を構成する岩石が形成されます。大陸の岩石である花崗岩や安山岩は、プレートテクトニクスによって海洋プレートが沈み込んだ時、列島で形成される岩石(安山岩)が起源となります。だから水さえあれば、花崗岩は形成されるはずです。
 水は不可欠な存在ですが、水の量が重要になります。
 水が多ければ陸地が形成されません。大陸の岩石があったとしても、海面上にでることがなければ、大陸の成分として海に持ち込まれる量は、非常に少なくなります。大陸があると、岩石の中の成分が風化、浸食、運搬によって、大量に海に持ち込まれるからです。大陸の適切な量が必要なのです。
 太古代(約25億年前)まで大陸と呼べるほどの規模のものはなく、列島があちこち散在する状態だと考えられています。そのような陸地の条件であれば、陸からの栄養素の供給量も少なく、また安定した供給が難しく、生命の進化にはあまり適さなかった環境だと考えられます。生命体を構成するには、栄養素として広い陸地、大陸が必要だったと、丸山さんたちは主張しています。
 地球には常に海が存在していました。しかし、その量(あるいは海水面)は、数100mの範囲で変動してきたと考えられています。6億年前くらいから、海水が「マントルへ逆流」しはじめ、海水量は現在も減っていると考えられています。
 生命誕生や初期の進化では、海洋で多くの時間をかけておこなわれていました。海水があまりに少ないと、その環境を維持するのが難しかったかもしれません。大陸と海水の量にも、ある限られた条件が必要だったと考えられます。

・マントルへの逆流・
海水のマントルへの逆流は、
これまた丸山さんが思いつかれたアイディアです。
地球は内部に蓄えたエネルギーが外部へ放出され
地球が冷めていく過程でとみなせます。
それを原動力として、地球のいろいろな営みが起こっています。
沈み込み帯の環境も、昔と現在まで変わってきています。
水(実際にはOH)を含んでいた鉱物は
昔は温度が高かったため、
分解され水が抜けてた鉱物に変わっていました。
ところが、温度低下により、水をもったままの鉱物として、
沈み込めるようになりました。
これは量は少しずつですが、
マントルに水が持ち込まれているということになります。
その量は海水面にして数100mであったと見積もっています。
これを称してマントへの海水の逆流と呼んでいます。
これもなかなか壮大な話です。

・天候不順・
5月下旬から6月上旬にかけて
天候が不順で肌寒い日が続きます。
先日も自宅でストーブを焚いてしまいました。
稀なことではありますが、
このような天候は時々あります。
北海道にいると、天候不順がいつも気になります。
冷夏や日照不足にならなければいいと思ってしまいます。
なんといっても北海道は農業が重要な産業ですから
天候不順は非常に気になるところです。

2015年6月4日木曜日

2_129 ハビタブル・トリニティ 3:ハビダブル・ゾーン

 生命の惑星になるためには、惑星の軌道条件(ハビタブル・ゾーン)に質量条件を満たした惑星で、さらにハビタブル・トリニティをも満たしていなければなりません。生命の誕生にはいろいろクリアすべき条件があります。

 地球は、青い星、水の惑星などと呼ばれ、「水」があることが特徴となっています。水は生命誕生、そして生命維持、進化においても、なくてはならないものです。
 惑星に水が存在するためには、いくつかの天文学的条件を満たさなければなりません。まず、母星である太陽にも条件が課せられます。太陽の明るさと惑星と太陽の距離が適切でなければなりません。近ければ暑くなり、H2Oは気体になり、遠くて寒ければ氷となります。ある限られた軌道にだけ水が存在できます。この惑星の軌道条件は、「ハビダブル・ゾーン」と呼ばれています。
 また、天体として水を保持し続けるだけの十分な質量(あるいはサイズ)が必要です。大きすぎると木星、土星のようなガス惑星になり、水があっても表層環境で軌道条件を活かすことができません。小さすぎると水星、火星のように大気が薄く、水の存在できる表層の環境を、長期間維持できなくなります。惑星は質量条件を満たす必要もあるのです。
 このような軌道条件を満たした場所に、質量条件を満たした惑星があったときのみ、水が存在します。太陽系でこの条件を満たしているのは、地球だけです。
 軌道条件と質量条件の設定は、惑星の表層に海洋(水)の存在でき、維持ができることを限定するものです。ところが丸山さんたちは、水の存在だけでは生命誕生の条件としては足りないといいます。生命の誕生そして維持には、「栄養素」も必要だというのです。その根拠が前回紹介した生命を構成している化学成分になります。
 人間(生命)の化学成分(元素組成)として、多い順に酸素、炭素、水素、窒素、カルシウム、リンとなっていました。これらの化学成分は、3つのグループに分けることができます。水素と酸素、炭素と窒素、カルシウムとリンの3つです。これらの3つのグループは、元素が地球のどこから由来しているかに基いて分けられています。
 水素と酸素は水(H2O)の素材で、地球での分布場所は、海洋です。炭素と窒素は大気中です。炭素は大気中には二酸化炭素(CO2)として存在し、窒素は2つ結びついた分子(N2)として存在します。二酸化炭素は、現在の地球には量が少ないのですが、かつては大気の主成分として、大量に存在していていたことがわかっています。
 カルシウムとリンは、岩石中に含まれている成分です。また生命の維持にはカルシウムとリンの他にカリウムも必要不可欠な元素です。これらの成分は、どの岩石でもそれなりに含まれているのですが、大陸や列島を構成している花崗岩や安山岩に多い成分です。つまり大陸の存在が生命の栄養源として重要な要素だと、丸山さんたちはいいます。
 生命に必要不可欠な3つの成分、水、大気、岩石(大陸)を「ハビタブル・トリニティ」と呼びました。軌道条件(ハビタブル・ゾーン)と質量条件を満たした惑星で、ハビタブル・トリニティを備えた惑星こそが、生命誕生に必要な条件になります。
 丸山さんたちの考察はここで終わりではありません。まだまた広がってきます。

・個人に属するもの・
急な体調不良が続きダウン状態になりました。
こんなとき大学教員は講義や校務の休む手続きと
それを補う手続きが必要になり
大変な思いをします。
何も大学教員だけでなく
社会人全般のことでしょう。
ただ大学教員は、個人に依存する仕事が多いせいでしょう。
以前の博物館や研究者であった時は、
通常の休みは、電話連絡で済ませられ
損失は自分の仕事がその間ストップするだけでした。
大学の講義や校務は、いろいろ複雑で
あとで代替もしなければなりません。
大学は大きな組織ですが、
講義や研究を考えると
個人に属する部分が大きいのです。
まるで個人経営の自転車操業状態です。

・音での季節変化・
北海道は暑く感じる日が
ときどき訪れるようになってきました。
そんな日にはエゾハルゼミの声も聞こえます。
北海道の6月では、
夏の訪れを感じさせるものが
植物の移ろいだけでなく、他にもいろいろあります。
ヒバリのさえずりからカッコウの鳴き声へ。
エゾハルゼミとYOSAKOIの練習する音楽や掛け声。
音でも季節を感じることができます。

2015年5月28日木曜日

2_128 ハビタブル・トリニティ 2:生命とは

 唯一生命が確認されている地球を例にして、生命誕生の条件を考えていくのは正攻法といえます。そのためには、地球で生命が、いつ、どのようにして誕生したか、あるいはその必要条件などを知っておく必要があります。そんなアプローチとして、ハビタブル・トリニティがあります。

 ハビタブル・トリニティ(Habitable Trinity)というのは、生命が存在できるための3条件ということです。最初に考えたのは東京工業大学の丸山さんたちでした。その詳細は、丸山ほか(Maruyama, Ikoma, Genda, Hirose, Yokoyama, Santosh, 2013)やドーム・丸山(Dohm, Maruyama, 2015)で紹介されています。
 これらの論文は、生命の起源に対して、不思議なアプローチをしています。地球生命の一番本質的なものとして、化学組成、あるいは栄養素を考え、それが地球のどのようなところに定常的に供給されているかを概観し、生命の誕生の場や時期、条件を考えています。その時にでてくると考え方として、ハビタブル・トリニティが提案されています。なお、2013年にはハビタブル・トリニティの考えは提示されず、2014年の論文で強く提唱された考えでした。
 丸山ほか(2013)の論文は、
 The naked planet Earth: Most essential pre-requisite for the origin and evolution of life.
(裸の惑星地球:生命の誕生と進化に最も必須の必要条件)
というタイトルです。地球全体の変化や表層環境を総括的にとらえ、地球での生命誕生の条件をみていくものです。そして、地球からの学び(Lesson)として、太陽系外の惑星において、生命や文明のある星を探す方法を提案しています。
 丸山さんらしい非常に壮大な構想の論文です。その内容は後にして、ここでは、ドーム・丸山の論文に基づいて、ハビタブル・トリニティとはどのようなものかを、詳しく見ていきましょう。
 まずは生命の定義からです。一般に生命の定義として、3つの条件が提示されます。
・膜:水などの生体に不可欠な成分が出入りでき、外界と分けるもの
・代謝:取り入れた成分からエネルギーを生み出す一連の化学反応
・自己複製:生命が続くかぎり継続する自己再生
の3つです。
 しかし、丸山さんたちは、これだけでは十分ではないといいます。なぜなら、生命は継続的な化学反応(radical reaction、遊離基反応)がなければならず、そのためには水以外の成分も、恒常的に供給されなければならないからです。
 それらの成分を探るために、ヒトを例に、構成元素をみていくと、多い順に、酸素(重要比で65%)、炭素(18%)、水素(10%)、窒素(3%)、カルシウム(1.5%)、リン(1%)、その他(1.5%)となります。ただし、順番やその量比は生物種によって、少々変わってきます。一番目の酸素と三番目の水素は、水の素材になります。ですから、それ以外の炭素、窒素、カルシウム、リンなどが問題となります。
 では、これらの成分の由来は?ということが、ハビタブル・トリニティの核心につながります。それは、次回としましょう。

・退職・
丸山さんは、よく知っている研究者で
何度もお世話にもなりました。
4月に退職の祝賀会がおこなわれました。
私は、校務があったので
出席はできなかったのですが、
記念品代だけはお送りました。
すると、今回紹介している論文でも使用されている
地球史の図がそのままデザインされた
バスタオルが送られてきました。
その他にも、丸山さんの顔の金太郎飴などもありました。
まだまだ現役で研究者を続けられるでしょうが、
これからも壮大なアイディアを
尽きることなく提示して、
学界を刺激していって欲しいものです。

・腰痛再発・
完治したと思った腰痛が、
先日の日曜日に、再発しましました。
重い荷物を持ち上げなければならなくなったときです。
気をつけないと思っていたのですが、
予想通り腰に来ました。
前回ほどひどくはないのですが、
やはり痛くて治療に通いました。
癖にならないように
気をつけなればなりませんね。

2015年5月14日木曜日

5_129 APT 5:意義

 今回の報告は、11名の著者による共同研究です。その対象は、小さな鉱物の部分を針のように尖らせ、ナノメートルのレベルの測定をおこなっています。小さい部分の測定ですが、そこから得られる意義は、大きいものだと考えられます。

 ヴァレリー(John W. Valley)らの研究は、別の研究グループが求めた地球最古の鉱物(ジルコン)の年代を、最新の装置を使って検証することが目的でした。これは、非常に重要な意義があることです。その意義を紹介しましょう。
 ジルコンは、変成作用にも強い鉱物で、多少の熱の受けても成分や構造を保持できます。ただし、ある程度以上の熱を受けると、原子レベルの移動は起こります。しかし、放射性核種であるウランを2種(235Uと238U)を用いて年代測定をする方法であれば、その変化の影響を回避できます。形成後の変成作用の影響は、U-Pbの年代測定(「1_126 最古の認定 3:コンコーディアとディスコーディア」を参照のこと)として利用されているものです。ある時代に起きた熱変性の事件として読み取ることができ、変成作用の年代も求めることができます。
 それでも、年代測定には、誤差がつきものです。鉱物の微小部分の年代測定(SIMSという装置)では、多数の原子を測定して平均化することで誤差を減らすことができます。SIMSでは1000μm^3の範囲の原子を分析します。しかし、APTでは0.02μm^3の体積しかなく、SIMSの10万分の1ほどしか原子の量がありません。APTは、年代測定より原子の分布状況を見ることが主たる目的の装置なのです。
 ただしこの報告の目的は、年代測定の精度を検証することでした。古い年代が得られた試料の同じ部分から6個の針状の試料を削りだして、結晶面を求めて測定に用いています。測定されたのは、直径100nmほどの針状の部分を1μm(1,023nm)の長さに渡って核種(Si、Zr、Y、Yb、Pb、Al)の測定しています。
 結晶の中には、目的の元素である鉛(Pb)が集まっているクラスターがあり、そこには50個ほどの原子ありました。
 注目されたのは、Uが放射性崩壊してできたPbです。質量数の比をみると、そのクラスターは異常に高い207Pb/206Pb比をもっていることわかりました。形成後、熱変成による変化を受けたこと(ディスコーディアを形成するような事件)を示しています。これは、すでに得られていたSIMSの年代と同じ値でした。
 以上のことから、原子レベルで古いジルコンの年代測定は、信頼性があるということを検証したことになります。この試料から得られた地球最古の鉱物年代が、44億0400万年前と確定したことになります。
 同じような検証が、履歴やタイプの違うジルコンでなされ正しいことが判明したら、今後ジルコンにおけるSIMSの年代測定は、すべて信頼できるものであることになります。今回の報告は、鉱物のナノメートルレベルの小さな部分の報告ですが、彼らが目指している目的には大きな意義がありました。

・極小と極大の連結・
小さな部分の最先端の測定ですが、
その検証が目指しているものは、
非常に大きく重要なゴールなのです。
同じようなことが、違う分野でも起こっています。
巨大な実験装置で未知の素粒子を探したり、
大きな天文観測装置でビックバンの名残を探したり、
地下深部の巨大なプールに水を入れたカミオカンデで
陽子の崩壊やニュートリノの素粒子の挙動を観測したり
しています。
そこで得られる成果は、大きな意義を持っています。
このような極小と極大の連結は
それぞ研究の醍醐味といえるものではないでしょうか。

・心残りままに・
ゴールデンウィークは、研究の時間をとるつもりでした。
3日と5日は自宅で家事をいろいろしていましたが、
それ以外は大学に弁当持ちできていたのですが、
研究はあまりできませんでした。
調査の準備と校務が入り込んできました。
このエッセイも予約送信しておくことにしていたので、
その原稿もいくつか書いていました。
Maさんへの返事も書いていません。
考えること、することがいろいろあり
なかなか思ったようにことが進みませんでした。
どうしてでしょうか。
まとまった時間取れるはずだったのに、
少々心残りのまま調査にでました。

2015年5月7日木曜日

5_128 APT 4:装置

 今回からやっと、APTの仕組みを紹介していきます。その原理は比較的わかりやすいのですが、原子ひとつひとつになされる操作なので、そこにはいろいろなアイディアと、極限的な技術が組み込まれています。

 前置きが長くなりましたが、いよいよ本題のAPTという装置についての説明に入りましょう。前にも紹介しましたが、APT(atom-probe tomography)の用語の意味として、アトムとは原子のことで、プローブとは束(たば)で、トモグラフィとは断層撮影のことで、直訳すると原子束断層撮影となります。名称はこれくらいにして、装置の仕組みと原理をみていきましょう。
 APTによる分析は、2つの技術を合体させたものです。電界イオン顕微鏡(Field Ion Microscope:FIMと略されます)と、飛行時間型質量分析器(Time-of-Flight mass spectrometer;TOF、あるいはリフレクトロン;reflectronとも呼ばれることがあります)を組み合わせたものです。
 FIMでの分析は、試料を鉛筆のように尖らすことからはじまります。ただし、鉛筆は比喩で、実際の試料の直径は100 nm(ナノメートル、100 nm=0.1μm)ほどの尖った針のようにします。この技術もいろいろ工夫があるのようなのですが、ここでは略します。この針状の試料を、真空中で高電圧をかけると、先端の原子がイオン化されて飛び出していきます。この現象を電界イオン化と呼びます。ここのいろいろ複雑な技術がありますが、省略します。
 針の先から放出されたイオンが、電極に向かって飛んでいきます。電場によって反対極に向かうのですが、飛び出した原子は放射状に広がります。この広がったイオンをマイクロチャネルプレートとよばれるもので検出します。検出の結果、試料の針の先端の原子を凹凸や分布状態を観測できます。これが電界イオン顕微鏡の原理です。観測するときの倍率は、試料の半径(50 nm)と倍増管までの距離の比によって決まるので、100万倍ほどになります。
 つぎに、マイクロチャンネル・プレートに穴(プローブ・ホールと呼びます)のあけて、イオンの一部を通過させます。プローブ・ホールは2 nmほどです。穴を通りぬけたイオンを、後ろに置いた飛行時間質量分析計に入れて、別の原理での測定に利用します。
 TOFは、原子の種類を質量数を測定することで調べる装置です。試料を飛び出たイオンに一定の電場がかかっていると加速されます。加速されたイオンが、定まった距離を飛ぶのにかかった時間(飛行時間)を測定すれば、イオンの電荷と質量数に応じた値(質量電荷比といいます)が得られます。この値から質量数、核種の判別ができます。
 APTは、FIMとTOFの組み合わせによって、原子レベルの分布状況と同時に一部ですが核種をも決定していきます。この測定を、連続的に時間かけておこなっていくと、試料の針が減っていきます。減っていくということは、試料の針の深さ方向の原子の構造と種類を調べていくことになります。これが、一次元APTと呼ばれる装置になります。
 この方法は、効率の悪いものです。なぜなら大量にでたイオンの大半はマイクロチャンネル・プレートでとらえられますが、原子の種類は判別できません。質量分析されているのは、プローブ・ホールを通り抜けたものだけです。できればすべてのイオンで質量分析したいものですが、この仕組では原理的に無理です。
 技術の進歩が、この困難を解決しました。位置敏感型検出器(position sensitive detector)というものが開発されました。この検出器は、面でイオンを捉えながら、イオンが衝突した位置と飛行時間を同時に決定できるものです。つまり、飛んできたイオンを質量分析する微小装置を平面的に並べたものです。位置敏感型検出器が導入されたとことにより、針から飛び出した全イオンを面的、つまり2次元で測定することが可能になりました。この仕組みで連続的に時間をかけて測定を続けていくと、試料の3次元的な原子の分布が、核種の識別をしながら、測定することが可能となります。
 この分析装置は、原理はわかりやすいのですが、実際に分析をするにはいろいろ困難なことがあります。例えば、試料の準備で、目的の場所をいかに尖らせるか。尖りぐあいが分析の精度を左右していきます。多元素の場合、質量数が同じでも別元素が含まれる可能性もあります。
 それらの困難を克服したのが、ヴァレリー(John W. Valley)らの研究成果でした。彼らの成果には、非常に高度な技術的背景があったのです。

・続く議論・
前回紹介したMaさんとの議論は、じつは、今も続いています。
その前に、メールマガジンでMaさんの略号を
WoやMoなどミスタイプをしていました。
Maが正しい表記でした。
Maさん、申し訳ありませんでした。
Maさんからは、冥王代にシミュレーションと
私の別のエッセイで論じた
「時間」に関する話題へのコメントも頂きました。
冥王代については、私が比較的よく知る内容なので
とりあえず、そのちらの返事は書きました。
別のエッセイで「時間」に関する議論では
私の物理学に関する考え方に対して、
誤解やご指摘いただき、別の見方をご教授頂きました。
物理に関しては、Maさんの方がよくご存じで
いろいろ深い考察をご教示いただきましたが、
それに対してどう答えるかは、まだ考え中です。
連休中か、またはもっと時間がかかるかもしれませんが、
考えていきたいと思っています。
よき読者に感謝します。

・製品化・
この3次元APTは実はもう商品化されています。
Cameca製のLEAP 5000という装置があります。
ヴァレリーらの研究は、
この装置の前のバージョンのLEAP 4000で
おこなわれたものです。

・野外調査・
このメールマガジンが発行される日に
私は野外調査のために高知に向かっています。
11日までの4泊5日です。
移動に時間が必要なので、調査は実質、3日間です。
天候が心配ですが、いつも気にしていますが、
こればかりは心配しても詮無きことです。
楽しんで、リフレッシュしてきます。

2015年4月30日木曜日

5_127 APT 3:回答

 APTの紹介をするつもりで始めたシリーズでしたが、少々話は脇にそれていますが、話題自体はなかなか興味深いものです。前回は、読者からの質問だけを紹介して、回答をあと回しにしたので、少々欲求不満になったかもしれませんが、やっと回答編です。お待たせしました。

 前回は、冥王代のまとめと、そこからでてきた質問まで紹介しました。復習しておきましょう。冥王代のあとに起こった後期隕石重爆撃(LHB)がありました。すると、LHBのエネルギーで地球の表層が何kmにわたって溶けたのではないかという指摘です。そのような状態があったとすれば、それ以前にできていたジルコンもすべて溶けてしまったのではないか、という質問でした。
 今回はその質問への回答です。以下は、基本的には回答メールの内容ですが、エッセイで示しますので、少々修正しています。(Moさんご了承下さい)

(以下回答)
 後期隕石重爆撃(LHB)はご指摘のように、40億年前(41億年前とも)から38億5000万年前の間の事件です。ですから、冥王代が終わってからすぐの事件です。以前の年代区分(38億年前まで)では、冥王代ですが、今ではLHBは太古代の出来事になっています。
質問は、
・LHBによって表層が数kmにわたって溶けたのではないか
・もし溶けたとしたら、それ以前の鉱物がなぜ残っているのか
の2点でした。
 質問に答える前に、私は冥王代には興味を持っているのですが、今では専門に研究していませんので、最新の情報ではない可能性があることを、お断りしておきます。
 一つ目の点ですが、LHBによって地球の表層での全面の大規模な溶融は、起きていなかったと考えています。全面溶融がないとすれば、それ以前の鉱物が残っている可能性が出てきます。
 このことは、月のLHBでも全面溶融していないことからも推定できます。月の海(黒っぽい部分)は、大きなクレータですが、そこは衝突によってマグマが埋めましたが、岩石が溶融したかあるいは深部に残っていたマグマオーシャンに由来しています。溶けたとしても、地殻のクレータ部だけです。月の裏の高地(より古い岩石から構成)は、残っています。やはりLHBでは、あったとしても部分的な溶融だけだと考えられます。
 月の形成(冥王代の初期)は、地球への大きな微惑星の衝突によるものだと考えられています。月をつくった物質が地球の大気圏から飛び出すような大きな衝突でした。そんな衝突後でも数百万年もあれば地球はもとの状態に戻れ、地球形成でも1億年ほどで冷却して固化したというシミュレーション結果もあります。
 ですから、地球のマグマオーシャンの形成は、LHB以上のかなり激しい連続衝突でないとできないと考えられます。惑星形成において、そのような過程は「暴走成長」と呼ばれているもので、惑星形成の初期に起こった事件でした。
 また、今回紹介する44億年前の固体物質が残っていること自体が全面溶融がなかった可能性を支持しています。ただし、地球はサイズ(質量)も大きく、大気の存在もあったことから、月とは条件が違うので、単純に比較はできませんので、それなりの注意は必要ですが。
(以上)

 Woさんからの返事と再度の質問がありました。それは少々長くなるのと、本シリーズとの関係がますます薄くなるので別の機会にします。次回から、本題にもどって、いよいよ分析方法についてです。

・感謝・
今回の回答のメールに対して
Woさんから2度目の質問がありました。
その回答は、今回の質問以上に長いものになりました。
2度目の質問を書いている時、
頭には、今書いている論文の
構想の記憶が蘇ってきました。
今書いている論文はシリーズとなっているもので、
研究動機では、前回の論文からの経緯から今回の論文への継続性、
課題を提示していました。
前の論文で積み残したテーマが2つあり
一方を本論で論じる内容で、
他方は「別稿にて議論する予定である」としたテーマがありました。
質問に答えているうちに、
このシリーズの別稿の論文として
書こうと考えていた内容につながってきました。
さらに、10数年前に関連分野の概要をまとめ、
自分なりの考えを示した論文があるのですが、
回答の文章はそれに関連していることに気づきました。
再度文献を集める必要がありますが、
やはり興味は継続しているのだと思えました。
購読者、そしてWoさんに感謝です。

・サクラサク・
北海道もやっと桜が咲きはじめるころとなりました。
これから一気に春が深まるはずです。
朝夕はまだ寒さを感じますが、
昼間は暖かくなってきました。
桜の薄いピンク色は、北国の青空に映えます。
忙しくなってきて余裕はないですが、
越し春を楽しみましょう。

2015年4月23日木曜日

5_126 APT 2:最古の年代と疑問

 この論文は以前紹介しています。今回の目的は、その技術と装置の説明をするつもりでした。「最古」の話題は、このエッセイでは、何度も取り上げてきました。本題と少しずれるかもしれませんが、「最古」に関してこれまで書いてきたエッセイのまとめと、それに関連する質問を紹介します。

 前回は、APTを用いた論文のタイトルにある術語の説明をしました。この論文は以前にも紹介しているので、地質学的な内容に関する詳細はそちらを参照していただきたいと思います。「最古」については、「地球のささやき」で何度か取り上げてきました。私が興味をもっているテーマでもあるからです。まずは、これまでの「最古」の情報を、まとめておきましょう。
 地球最古の「岩石」は、かつてはカナダの北西準州のアカスタ地域のトーナル岩の約40億年前のもので、私も調査にいきました。しかし現在では、もっと古い岩石が見つかっています。「1_82 最古の岩石 1:ちょっと前の最古」(2009.10.29)のシリーズで紹介したカナダのケベック州北部ウンガバの「偽角閃岩」です。「偽角閃岩」という不思議な名称ですが、斑レイ岩の一種だと思っていください。詳細はエッセイを参照してください。この岩石は、Sm-Nd法によって、42.86億年前という年代がでました。
 最古の「鉱物」に関しては、「1_6 最古の鉱物のもつ意味」(2001年2月8日)や「1_12 最初の固体」(2001年10月4日)などで紹介しています。この鉱物は、西オーストラリアのジャックヒルの約30億年前の堆積岩の中にある鉱物の粒でした。鉱物はジルコンで、44億0400万年前という年代をえています。また、今回紹介する論文も、その鉱物の年代を検証したもので、「1_124 最古の認定 1:最古の信頼性」(2014.05.01)のシリーズで紹介しています。
 最古ではないですが、古い鉱物や岩石の年代としてジルコンを用いて報告されることがあります。これは、ジルコンが頑丈な鉱物であること、年代測定に利用できるウラン(U)が多く含まれていることです。ジルコンは頑丈で少々の変成作用でもジルコンは残ります。また、半減期の長い238U(44.68億年)と短い235U(7.038億年)を組み合わせて年代測定をする方法が利用できます。内部で少々の元素移動は起こっても補正可能です。しかし、マグマができるほどの高温になれば、ジルコンも溶けてしまいますので、存在自体がなくなります。
 古いジルコンの存在に疑問を感じたMoさんから質問を受けました。冥王代のあとに起こった後期隕石重爆撃(LHB)があったとされています。その詳細は「1_105 LHB 1:ないことの意義」(2012.08.09)のシリーズで紹介しています。Moさんの疑問は、LHBのエネルギー(運動エネルギー)よって、地殻が数kmの深さにわたって溶解してしまうのではないか。もしそうなら冥王代のジルコンが残っていることが疑問だという指摘です。
 重要な指摘です。次回、回答を紹介していきます。

・情報・
私は、古い岩石に興味があり、
その情報については、注意を払っていました。
ただ、身近に同業の地質学者がいないので、
なかなか最新情報を入ってこない環境であります。
それがつらいところでもあるのですが、
まあ、いろいろ思うところがあって
この環境にいるので仕方がありません。
自分で選んだ道でもありますから。

・急がずに・
このシリーズの元の論文は、
以前に紹介したものでした。
ですから、今回は、その技術や装置を
紹介しようと考えてスタートしたのですが
どうも脇道にいっているようです。
APTは製品としてもあるのですが、
その分析能力がすごいので、興味がありました。
APTを調べてみたいと思ってテーマにしました。
しかし、なかなか本題にいけないのですが、
まあそんなこともあるでしょう。
急がず、ゆっくりと進みましょう。

2015年4月16日木曜日

5_125 APT 1:術語の意味

 地球初期のできごとを知ることは、なかなか難しいものです。試料も少なく、情報も「かすか」なので、微小な試料から得られたデータの信頼性や再現性などが、なかなか検証できないためです。以前求められた地球最古の年代を、新たに検証する報告が出ました。

 1年以上前の2014年2月に、次のようなタイトルの論文が「Nature Geoscience誌」に掲載されました。
  Hadean age for a post-magma-ocean zircon
  confirmed by atom-probe tomography
 (アトムプローブ・トモグラフィによって確認された
  ポスト・マグマ・オーシャンのジルコンの冥王代の年代)
という論文でした。
 ウィスコンシン大学のヴァレリー(John W. Valley)らの11名による共同研究にです。聞きなれない用語がいくつも出てくる論文ですが、内容もさることながら、私はアトムプローブ・トモグラフィという言葉に興味が惹かれました。アトムプローブ・トモグラフィは、少々長ったらい名称なので、多くの専門書ではAPTと略されているので、ここでもそれを用いることにしましょう。
 本題に入る前に、まずは論文のタイトルを解読していきましょう。
 APTのアトムとは原子のことで、プローブとは束(たば)で、トモグラフィとは断層撮影のことです。APTは、微小部分の原子一粒一粒の分布状況を3次元的に分析をし表示できる装置で、詳細は後で説明します。
 ポスト・マグマ・オーシャンのポストは、接頭語で「それ以後」とか「その次」という意味になります。また、マグマ・オーシャンとは、地球初期にあったと考えられているマグマの海(マグマ・オーシャン)のことです。ですから、ポスト・マグマ・オーシャンとは、マグマの海が終わった時代という意味です。
 太陽が形成されているときは、周辺は高温状態であったと考えられています。太陽が安定して輝き出す頃には、ガスが吹き飛ばされて、冷めてきます。すると惑星空間あたるところでは、温度に応じて、気体から小さい固体ができていきます。
 回転する物質には物理的な効果によって、土星の輪のよう位置(黄道面)に物質が集まりました。太陽系の黄道面に固体物質が集まってくると、そこでは物質密度が大きくなり、衝突、合体が起こり、固体物質は成長し微小天体(微惑星と呼ばれます)にまでなっていきます。同じ軌道上の微惑星も、衝突、合体を繰り返し、やがてひとつの軌道上にはひとつの天体(惑星)ができます。つまり、地球軌道では、地球が選択的に成長していきます。
 地球が成長する間、表面では激しい衝突が起こります。地球には素材に含まれていた気体があったため、大気がありました。大気によって温室効果が働き、衝突で開放されたエネルギーは表層にとどまり、非常に高温状態になったと考えられます。その温度は、岩石も溶けるほどでした。マグマの海が地球を覆っていた状態を、マグマ・オーシャンと呼びます。
 ポスト・マグマ・オーシャンとは、マグマ・オーシャンが終わった時代のことです。地球誕生から、マグマ・オーシャンができ、やがて地球表層が固まって地質現象が起こるまでの時代を、冥王代(45.6億から40億年前まで)と呼んでいます。冥王代の終わりの40億年前という値は、必ずしも定まっていませんが、その時代にできたジルコンという鉱物の年代が、確定されたという報告です。
 タイトルの解説は終わったのですが、まだスッキリしないと思います。ですから次回は、この論文における地質学的な意味を紹介しましょう。

・移行時期・
大学の新学期の講義もスタートして2週目になり、
一年生も少しは慣れてきたようです。
しかし、疲れもたまっているようですので、
ゴールデンウィーク空けまで、目を離せません。
教職員も情報関係が新しいシステムになったのですが、
少しずつ使えるようになってきたましたが、
混乱やバクが、あちこちにあるようです。
本格運用には、まだまだ時間が必要なようです。
年々よくなるのですが、
移行時には、それなりの苦労が伴います。

・春を告げる・
今年は雪解けが早かったため
北海道で春をいち早く告げる
フキノトウ、ヒバリの囀り
などはもう始まりました。
しかし、一番驚いたのは、
ツツジがもう花を咲かせています。
私がいつも見ているツツジは
花の時期が長く、夏が過ぎても咲いています。
しかし、ピンクの目立つ花なので
今年の春は一段と早く感じることができました。

2015年3月26日木曜日

3_141 マントル対流 4:対流の形成

 シミュレーションによっていろいろなことが見てきました。インド大陸の移動速度が非常に早いこと、そして衝突後もまた移動する力が残っていることもわかってきました。それが、マントル対流による海洋プレートの移動という仮説の支持へとつながっています。

 吉田さんと浜野さんのスーパーコンピュータを用いたシミュレーションによると、ゴンドワナ大陸から分離したインド亜大陸は、少々変わった振る舞いをします。その移動速度が地質学的には例外的に速いものでした。通常のプレートの移動速度は年間数cm程度です。ところがインド亜大陸は、年間最大18cmというスピードで移動したと推定されています。通常のプレートの移動速度の2倍ほどになっています。
 これほどの高速のプレートの移動は、海洋プレートの沈み込みによる駆動では説明しづらいものとなります。また、インド亜大陸は、現在ではユーラシア大陸と完全に合体しており、テチス海の海洋プレートの沈み込みの駆動力は止まっています。ところがインド亜大陸は、今もなお北上を続けています。その影響でヒマラヤ山脈は上昇を続けています。このような異常なインド亜大陸の移動と衝突は、なぜ起こるのでしょうか。
 シミュレーションによると、超大陸パンゲアの分裂直後に、テチス海の北方、ローラシア大陸の縁にもともとあったコールドプルームが、急速に成長してコアに向かって落下していきます。
 コールドプレームとは、沈み込んだ海洋プレートが集まったマントル内の冷えて重たい物質が集まったものです。海洋プレートの沈み込み帯のマントルへの延長方向に形成されるものです。ですから、大きな海洋プレートが沈み込むと、巨大なコールドプレートがマントルの中(上部マントルと下部マントルの境界部)に形成され、それがなんらかの刺激によって落下していきます。
 超大陸パンゲアがホットプルームの上昇により分裂しはじめたことが、刺激となったと考えられます。ホットプルームとは、暖かいマントルの巨大な上昇流、つまりマントル対流の上昇流のことで、コールドプルームはマントル対流の下降流に対応するものとなります。超大陸が永きにわたって存在すると、熱の放出口が蓋をされた状態になり(超大陸の熱遮蔽効果と呼んでいます)、やがて核(コア)直上で熱を溜め込んだ最下部マントルの熱い物質が上昇してきます。そのホットプルームに呼応して、コールドプレームの落下が起こります。コールドプルームとホットプルームがタイムラグはあっても呼応して動くということは、マントルが動くこと、つまりマントル対流が起きているということになります。従来の定常的なマントルの対流とは違っているモデルです。ただしこれは、以前から提唱されている仮説です。
 このコールドプルームの動きが、インド亜大陸の移動を高速化させたと考えられています。コールドプルームによるマントルの対流によってインド亜大陸が引っ張られます。
 定説では、沈み込む海洋プレートの引っ張りの力によって、大陸プレートも動くことになり、大陸プレートはブレーキ役になり、海嶺の海洋プレートの広がりを押える働きをします。一方、マントル対流による大陸プレートの移動は、マントル対流のブレーキにはなるのですが、海洋プレートの動きを促すことになります。この大陸プレートの海洋プレートへの作用が、両モデルでの違いとなります。
 同じような現象を見ているはずなのに、解釈によって見解、仮説が大きく変わります。ここまで定説への反論が2つ紹介しました。このまま定説が覆されるのでしょうか。それとも再度定説が修正されて復活するのでしょうか。目が離せませんね。実は定説側から反論が出てきていますが、それは、次回としましょう。

・卒業式・
いよいよ2014年度が終わりました。
卒業式も終わりました。
今年は、ゼミ生も多かったので、
卒業式のあとの最後まで付き合いました。
さすがに3次会ともなるとゼミ生の数も少なくなりました。
それでも20名近くの卒業生がいました。
最後の別れを惜しみました。

・飲み会の教訓・
先週の卒業式に続いて今週は、
教職員の送迎会と歓迎会があります。
別にも学生グループとの打ち上げもあります。
飲み会ですから楽しいものではあるのですが、
やはり続くと体が疲れていきます。
読んだ翌朝、起きて疲れていると、
もう若くはないのだということと
これからは飲み過ぎないようにという
毎度の思いと反省が起こります。
私は、成長しているのでしょうか。

2015年3月19日木曜日

3_140 マントル対流 3:シミュレーション

 プレート運動の駆動力のこれまでの経緯と定説を紹介し、その定説を覆す新説を前のシリーズ「プレートはなぜ動くのか」で紹介してきました。さて次に、最近の報告で、新説を支持するものが出てきたので、その論文を紹介していきます。

 これまで定説として、海洋プレートの駆動力は、海底で冷えて重くなり、下のマントルとのバランスが崩れて、海溝で沈み込むことによっている、というものでした。しかし、最近、それに反する報告があり、さらにその反論を支持する論文がでてきました。
 吉田晶樹さんと浜野洋三さんの論文で、
Pangea breakup and northward drift of the Indian subcontinent reproduced by a numerical model of mantle convection.
(マントル対流の数値モデルによるパンゲアの分裂とインド亜大陸の北上の再現)
というものです。この論文は大陸移動をコンピュータ・シミュレーションで再現したものです。この研究が、なぜ海洋プレートの駆動力の話とつながるのかという疑問が生じますが、紹介していきましょう。
 まずこのシミュレーションをおこなった装置を紹介しましょう。日本のスーパーコンピューターといえば「地球シミュレータ」や「京」が有名です。しかし、最新式のスーパーコンピュータもいろいろと導入されています。今回の報告は、独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)が所有するスーパーコンピューター(SGI ICE XとNEC SX-9Fを中心としたシステム)によるものです。JAMSTECは、「地球シミュレータ」を持っているところです。今回のシステムは、地球科学における計算やデータ解析に主として利用されているものです。その成果の一つが今回の報告でした。今後は、「地球シミュレータ」との連携も考えられているようです。
 さて今回の研究は、地球内のマントル全体を三次元的に、2億年間にわたって計算機シミュレーションしたものです。重要な点は、全球内のマントル対流の再現をしたもので、非常の計算能力が必要なものです。今までも似たシミュレーションはおこなわれていたのですが、この研究では、大陸地殻が力を受けたら自由に変形して移動していくというより複雑な設定にしてあります。この設定により、大陸の挙動を厳密に再現できることになりました。
 計算機シミュレーションの結果と地質学でかなり精密に復元されている大陸移動との照合が可能になりました。つまり、このシミュレーションは、2億年前に計算をスタートしていますが、現在の地球の様子と照らしあわせて、正しさを検証できます。
 2億年前からシミュレーションはスタートしています。2億年前は、超大陸パンゲアがあった時代でした。超大陸とは大陸の大部分が一箇所に集まっている状態になっているものです。パンゲア超大陸が分離して、北にローラシア大陸、南にゴンドワナ大陸ができました。ゴンドワナ大陸から、インド亜大陸が分離して北上していきます。5000万から4000万年前にかけてユーラシア大陸に衝突し、現在に至ります。その様子が、シミュレーションによって再現されています。
 シミュレーションによる結果は、地質学から得られている途中経過の様子とも一致していて、現在の大陸配置と一致しています。したがって、このシミュレーションが正しいとすればと、地球内部のマントルの動きも正しく復元されていると推定できるという論法です。
 少々複雑ですが、このような理屈でこのシミュレーションを読み解いていきます。次回は、結果からわかることを紹介してきます。

・今と昔の変わったもの・
かつて地球が大きく、経過時間が長いため、
シミュレーションは、いかにに計算単位を間引くか、
いかに小さい範囲で現実に近づけたものにできるかが
研究者の腕の見せどころでした。
ところが、現在は、コンピュータの能力が向上してきたので、
全地球や全マントル、全大気圏などを対象にして
シミュレーションできるようになりました。
こうなると、研究者の腕もさることながら、
どのような計算機を、どれくらい使えるかが
成果を大きく左右することなります。
かつてスーパーコンピュータは、
一部の恵まれた、選ばれた研究者の
独占物になることありました。
今では使用のチャンスは公開され、
研究目的さえよければ、
だれでも利用できる環境になっているはずです。
能力があり、やる気があれば、
すべての研究者にチャンスが与えれているわけです。

・今も昔も変わらない・
シミュレーションは、初期条件を設定して、
あとは、あらかじめ用意された計算手順や、方程式にそって
自動的に進められていきます。
ですから、原則的には、だれがやっても、
何度やっても同じ結果が得られるはずです。
ところが、初期条件の微妙な数値の違い、
手順の違い、方程式の選択、
プログラム上の違いなどによって、
結果が変化する場合があります。
変動が激しい時は、研究者の意図が反映した結果が
生じることも起こりえます。
そこで重要なのは、研究者の良心です。
これは、今も昔も変わらないものです。

2015年3月12日木曜日

3_139 マントル対流 2:駆動力

 このシリースでは、プレート運動にかかわるマントル対流に関する最新の研究動向を紹介しています。新しい研究が報告されましたが、いずれも日本の研究者によるものです。そんな研究が現在、ホットな話題になりつつあります。

 1960年代にプレートテクトニクスの考え方が登場してきたとき、従来の考え(地向斜造山運動)を持っていた人たちとの激しい論争が起こりました。地向斜造山運動は、それまで陸域の調査データから構築された大地の営みに関する考え方でした。
 第二次大戦後、海洋域の調査ができるようになりました。国際協力による海洋底の岩石の掘削などもおこなれるようになりました。今までほとんどなかった海域に関するデータが、膨大に付け加わるようになりました。それらがプレートテクトニクスを支持する証拠となり、その結果、地向斜造山運動を支持する人がほとんどいなくなりました。現在では、プレート運動が実測されるようになり、プレートが移動していることは、疑うことのない事実になりました。
 プレートが動いているのは事実だとしても、なぜ動くのかということについては、まだ決着は見ていませんでした。地球内部の熱が外に運ばれる熱運搬のために対流の一環である、という総論は一致していました。
 かつては、海洋プレートの運動は、マントル対流の上昇流の出口である海嶺で海洋プレートが形成され、両側に広がることが、表層のプレート運動における駆動力だと考えられました。
 ところが、実際のマントル物質による対流を考えていくと、対流の上昇部である海嶺、降下部である海嶺の配置が、熱対流を反映した配置になっていないという点が問題となっていました。現在ではこの問題は、プレート表層が冷えることによって対流が生じる、という考えで解決されています。
 地球表層にある海洋プレートは、大気や海洋によって冷やされることにより、密度が大きくなります。冷めた海洋プレートの密度は、プレートの下に位置する流動性をもったアセノスフェアより、わずかですが、大きくなります。その結果、表層の海洋プレートとアセノスフェアに重力的な不安定が生じ、解消するために沈み込みが起こるという考えです。
 この考えは、冷却が対流の原動力だという考え方です。これも地球の熱対流という現象ですが、従来の見方とは違うことになります。熱対流の一番の原因を、従来の地球内部の熱が能動的に外に出ようとする現象ではないというのです。外から冷されるため、内部の熱が受動的に外に運ばれることで対流が起こるという考え方です。熱い地球が冷めていくという見方ではなく、地球が外から冷まされているという見方への転換ともいえます。
 このような見方においては、海洋プレートがマントル対流の重要な役割を果たすことになります。では、そのようなプレート運動において、大陸プレートはどのよう振る舞いをするのでしょうか。大陸プレートはどんなに冷えても、厚くなっても、マントル物質より密度が小さいので、地球表層を移動するだけです。大陸プレートの移動の駆動力も、基本的には海洋プレートの沈み込みによる引っ張りの力によってマントルの上を強制的に移動していくことになります。つまり、大陸プレートは、大陸下のマントルを引きずろうとする力が働き、海洋プレートの運動に抵抗していくことになります。
 これが、これまでの常識的なプレート運動の考え方でした。

・心構え・
校務の出張に出ていました。
この2年間、出張が多かったです。
慣れてしまえば、そんなものかと思えるのですが、
初年度は、忙しさに戸惑いました。
しかし、これは初めてのことばかりなので
心構えが十分できていなかったためでしょう。
また、出張の前後も落ち着かず、
なかなか大変な思いをしました。
2年目はどんな校務があるかの
全体像がわかっているので
心構えができているようで、
肉体的には大変なのですが
気持ちの上では楽でした。
そんな2年の校務でした、
それも3月で終わります。
しかし、またまた大変な校務が続きます。

・想定外・
このエッセイは、この上の文章まで事前に用意していいました。
出張が終わったあと、発行するだけでした。
ところが、全国的な大荒れの天気で、
予定の飛行機が飛ばなくなりなりました。
そのため、陸路で札幌へ向かうことになったのですが、
私だけは青森から函館まで進み、
翌日、函館から札幌に向かうことにしました。
長時間の列車は腰を痛めそうな気がしました。
幸い翌日は校務が入っていなかったので
担当部署の許しを得て、函館に一泊しました。
他の人は6時間以上かかって、
夜遅くに着く列車に乗りました。
しかし、大荒れの天気は今日も続くようなので
無事に帰りつけるかが、心配ですが。

2015年3月5日木曜日

3_138 マントル対流 1:最新情報

 ここ最近、プレート移動の駆動力というマントル対流の本質にかかわることで、大きな議論が起こっています。それをいくつか紹介します。前回に続いて、今回も「地球の仕組み」でのシリーズとなりますが、最新の話題なのでご了承ください。

 前回まで、5回のシリーズで「プレートはなぜ動くのか」を紹介してきました。小平さんたちの北西太平洋での広域の調査にもどついた結果によれば、いくつかの重要な観察事実に基づき、マントルが海洋地殻を引っ張っているという結論を導き出しました。
 その結論は、今までの「定説」に反するものでした。この説は、一つの報告から出された仮説で、まだ少数派の意見でした。
 ところが、先日(2015年2月12日)、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の吉田晶樹さんと浜野洋三さんが、イギリスの科学誌「Scientific Reports」(電子版)に論文を発表されました。マントル対流を計算機シミュレーションによって解いた研究が報告されました。この論文は、小平さんたちの仮説、つまり少数派意見を支持する結果となりました。
 それで話が終われば、一種のパラダイム転換が起こりつつあるように見えるのですが、実はそう簡単にはいかないようです。
 東京大学の小河正基さんが、2015年2月25日発行の「地学雑誌」の総説で反論をだされました。総説(レヴュー、reviewとも呼ばれる)とは、これまで研究を総括的にまとめた論文です。網羅的にこれまでの研究をまとめたものですから、現状の定説にいたる考えが整理されており、多くの研究者に非常に役立つ論文となります。余談ですが、かつて総説はその分野の大御所が書くことが多かったのですが、最近では問題意識をもった若手や中堅クラスの研究者が書くことも多くなりました。基本的に総説は、新しいデータを出して議論するものではく、今までの研究動向を整理するものです。
 小河さんは、地球型惑星の内部構造に関する研究動向をまとめました、そして、論文の一番最後に、わざわざ付録をつけて「マントル対流の性質」として、プレート運動を含むマントル対流についての混乱があるとして、議論されています。その中で小平さんたちの考えに対して反論をされています。もちろん、総説ですから、一般論化されての反論ですが。
 これから、数回のシリーズとして、まずはプレートの運動、特に海洋プレートの沈み込み機構について再度整理し、次に吉田・浜田の論文を紹介し、小河さんの反論も紹介していきたいと思っています。詳細は、次回からとなります。

・決着は・
学問は議論が重要です。
ただし、議論は決着を見る場合と、見ない場合があります。
決着を見る場合は、
正解が見つかる問題が一番わかりやすのですが、
自然科学ではそのような場合は多いわけではありません。
特に地球や自然現象を相手にしている場合は、
結論は出にくい場合が多いです。
それは、背景に、長い時間、大きな対象、
近似値による理論化などがあるためでしょう。
ほかに決着を見る場合もあります。
たとえば、一方が負けを認めた場合、
折衷案があった場合、
両方ともありえると結論できた場合、
すべてを包括できるより広い仮説が出てきた場合
などです。
決着を見ない場合は、時間がたてば、
趨勢がどちらからにいくことになります。
今回は、まだ議論が始まったばかりなので
今後の動向が気になるところです。

・三寒四温・
3月になりました。
北海道は、寒い日、暖かい日が繰り返しています。
三寒四温に入ったのでしょうか。
大学は、今も入試の最中です。
今週末から来週にかけて校務出張が入ります。
今度は青森です。
天気が心配ですが、
こればかりは、今から心配しても仕方がないですね。

2015年2月26日木曜日

3_137 プレートはなぜ動くのか 5:特異か普遍か

 プレートがなぜ動くのか。対流しているマントルが、海洋地殻を引っ張ることによって動く、ということになりました。ただし、これは太平洋プレート北東部という限られた地域で見出された結論です。このモデルはプレートテクトニクス全体に及ぶのでしょうか。

 小平さんたちは、今回の観測結果から、マントルが海洋地殻を引っ張るという現象を示している、という結論を導きました。また、マントルの動きは、地磁気から得られた海洋地殻から移動速度より速いこともわかったそうです。これもマントルが海洋地殻を引っ張っているということを示しています。
 小平さんたちの報告は、太平洋プレート北東部という一つの限定された地域においてなされた観測に基づくものです。さらにその地域は、海嶺の沈み込みという特異な現象を起こしているところでありました。ですから、今回の結果が地域の特異性に由来するのか、それとも普遍的な特徴なのかは、今後の検討を待たなければなりません。
 今回観測されたようなリーデル剪断は、太平洋プレートの他のところでもみつかっているようです。プレート全般でも、今回のようなマントルの海洋地殻の引っ張りが起こっているか、また地震波の方向異方性も見つかるかもチェックする必要もあるでしょう。
 マントルが海洋地殻を引っ張っているというモデルは、今までの主流の考えとは相反するものです。ですから、今回の結果が、プレートテクトニクス全般に拡大できる普遍性をもっているものなか、あるいは海嶺が沈み込むとという特異な現象が起こっている地域での限定的な現象なのか、を見極める必要があります。
 今後、小平さんたち、あるいはJAMSTECは、太平洋プレートの中央にあたるハワイ北方でも、地球深部探査船「ちきゅう」も用いた調査をする予定だそうです。マントル最上部までの掘削することを目指しているようです。そのような掘削を伴う調査には時間がかかりますが、実物試料が手に入るというのは非常に重要なことです。今後も注目していきたいものです。
 今回のこの論文に関する紹介は終わりですが、実は先日、この内容に大きな関わりのある報告がでました。その報告は、やはり従来のプレートテクトニクスの「常識」を覆すもので、今回の結論を支持するものです。続きますが、新しいシリーズとして、紹介していく予定です。

・連続します・
今回のように連続したエッセイ(5回)を書いていると、
連載の期間は、1ヶ月ほどに渡ります。
その間、エッセイの内容に関する報告が
出ることもあります。
もともとこのエッセイは、6つの項目に分かれていて
全体のエッセイの数のバランスを考えながら書いています。
万遍なく項目を書くように心がけています。
しかし、今回は、あまりに近い内容の論文なので
連続して書くことにしました。
次なる「マントル対流」のシリーズとして続けるつもりです。
よろしければ、お読みください。

・人間ですから・
エッセイを連載を書いている時は
その間、内容について興味を維持していることになります。
そんな時に、書いている内容と関連する論文が出てくると
通常より、目につきやすくなっているはずです。
多分、今回の論文もそのような関係によって
目についたものだと思います。
まあ、人間ですから仕方がありません。
興味のあるものへと進みましょう。

2015年2月19日木曜日

3_136 プレートはなぜ動くのか 4:マントル対流

 マントル対流が、表層をに現れると、地表を水平に移動します。移動の原動力はどこに由来するのか。当たり前のことのようですが、なかなか一筋縄でいかないようです。冷めた下降流によるものなのか、上昇流が水平移動に転換されたのか。それが問題なのです。

 前回までのエッセイで、小平さんたちの調査の結果、この地域には大きく2つの特徴があることがわかってきました。その特徴は、特異な割れ目があること、地震波の伝わる速さ(伝搬速度)の方向にによって異なっている(方位異方性)というものでした。
 地震波をもちいた探査では、地下の構造に乱れがあると地震波の反射や岩石の密度に変化があると地震波速度の変化として捉えることができます。特に明瞭は不連続な面は、検知しやすくなります。
 今回見つかった構造は、等間隔で形成されている特異な割れ目でした。通常の場合であれば、そこに岩石があれば、地殻もマントルも関係なく、断層が形成されていきます。断層とは、岩石に力がかかり、耐えられなくなり割れるときに、形成されるものです。ですから、割る力と割られるべき岩石があれば、岩石の種類に関係なく、断層は形成されることになります。今回みつかった断層は、地殻から延びているのに、マントルに達することなく境界(モホ面といいます)で止まっています。これは、一般的な形成メカニズムでできた断層ではないことを示しています。
 滑りをおこすような力(剪断応力といいます)を岩石にかけると、力のかかった方向に対して斜めに、一定の間隔で割れ目ができることがあります。このような割れ目のことを、リーデル剪断(Riedel shear)といいます。今回見つかった特異な割れ目は、リーデル剪断に見えるというのです。
 もし太平洋プレートの構造がリーデル剪断であれば、沈み込んでしまった海嶺から離れる方向に引っ張る力が働いていることになります。このような力は、マントルが中央海嶺から離れる方向に流動しており、上に乗っている地殻を動かしていると考えると説明できます。
 もうひとつの特徴である地震波伝搬速度の方位異方性とは、地震波の速度が、マントルの伝わる方向によって違いが生じるということです。マントルを構成している主成分のカンラン石は、1100℃くらいになると流動性を持つようになります。その時流れる方向に結晶が配列するという現象が起こります。結晶は、流動している方向に地震波速度が速くなり、直交する方向では遅くなるという配列ができます。今回の異方性は、海嶺付近のマントルは、プレートの動く方向に流動していることを示しているように見えるのです。
 今回見つかった2つの特徴は、海嶺付近ではマントルが流動することによって、地殻の海嶺から遠ざかる方向に引っ張っていると説明できるというのです。プレートの運動は、マントルの流動(対流)が原動力であるということを示しているというのが、小平さんたちの主張になります。この結論は、今まで海洋プレートが冷えて沈み込み、それが海洋プレートを引っ張っている、というモデルに相反する証拠を突きつけたことになります。
 地質学において、この説はどのような意義があるのでしょうか。それは、次回としましょう。

・異論・
今まで多くの人たちが正しいと思っていたことに
異を唱えることは、なかなか勇気のいることです。
自分のやった調査や観測、実験が
信頼できるものであり、
さらにそれらの事実から導き出される結果を
自分が信じることができれば
常識や主流派に反する考えも
自信を持って提示できるはずです。
ただ、その常識や主流派が大きければ大きいほど
必要な勇気も大きくなります。
今回の異論は、どの程度度でしょうかね。

・平年・
北海道の厳しかった冬もやっと緩んできました。
まだ三寒四温というには早い気がしますが、
暖かい雪解けがおこるような日も挟みながら、
寒さが繰り返されす日が続くように思えます。
ただ、その寒さも2月になると
だいぶ緩んでいるようです。
今年は冬の始まりが早く、
雪も多かったのですが、
1月下旬からは、
厳冬とよべる時期が来る前に
寒さが緩みました。
昨年は2月は寒波が来て冷え込みました。
よく考えると、その年の気象状況を振り返る時
自分の記憶の中の「平年」をもとにしています。
ところが、自分の「平年」が本当かどうかは、怪しいものです。
今では統計で確かめることができるのですが、
そこまでなかなか手間をかけずに
つい思っていしまうのが問題なのかもしれませんが。

2015年2月5日木曜日

3_134 プレートはなぜ動くのか 2:対流

 プレートがなぜ動くのかは、まだ解明されていませんが、プレートが動いていることは、実測されています。大きな原因は地球内部の熱が外に逃げるというものですが。その考え方として、2つのモデルがあります。一方が優勢だったのですが・・・・

 プレートテクトニクスは、地球内部の熱が外にでることであると、前回紹介しました。そのメカニズムを示すまえに、まず熱の伝わり方を見て行きましょう。
 熱の伝わり方には、対流、伝導、放射の3つあります。いずれも程度の差はありますが、固体、液体、気体のさまざまな状態(相)の物資内で起こる現象です。ただし、物質の相の違いによって、その伝わる程度は大きく違っています。
 対流は温かい、あるいは冷たい物質が移動することで伝わります。物質の流れやすさ(粘性)に熱の伝わる程度は依存します。伝導は、物質内の原子の振動として伝わります。物質ごとの伝導率によって伝わり方が違います。放射は電磁波として伝わるもので、物質がない真空中でも伝わります。物質ごとに熱の伝わる程度が大きく違うので、一番伝わりやすい手段で熱が伝わることになります。
 地球内部は岩石と鉄でできています。岩石の熱の伝導率は低く、放射は全く届きません。地球内部にたまった熱は、なかなか外には出てきません。言い換えると、地球は冷めにくいということになります。そのため、45億年もたっても地球内部に熱がまだ蓄えられているのです。
 マントルは岩石からできている固体です。地球内部の熱は、マントル物質の対流によって伝わっていきます。固体の岩石ですが、温度が上がると、流動性をもつようになります。マントルの岩石は、非常にゆっくりとですが、対流を起こします。そのマントルの対流が、表層のプレートを動かしていると考えられています。
 マントル内の温度の違いは、地震波トモグラフィという手法でとらえられてきました。しかしいまだに、対流自体をみることはできていません。それは、マントルの対流が非常にゆっくりとしたものだがからです。
 地球表層のプレートの動きは、いくつもの方法で観測されてきました。海嶺から離れるにしたがって海洋底の岩石の年代が古くなっていることや、海底の地磁気の模様、天体(クェサーという星)を用いたプレート移動の測定(VLBI)、GPSによる測定など、さまざまな方法でプレートの移動が実証、実測されてきました。プレートの動きは、年間数cmから10cm程度であることがわかってきました。
 地球は球で、プレートは球面上を移動しているので、球面幾何学によって記述がされています。プレート運動は、地球の表面には不動点(原点とできるところ)はないで、プレート運動は2つのプレートの相対運動によって示されます。隣り合うプレートに対して、どの方向に、どれくらの速度で移動しているのかという記述です。
 表層の海洋プレートの運動ですが、プレート下のマントルが対流で移動することによって、表層の海洋プレートが引きずれて動くという考えがありました。マントルの運動により、海洋プレートが引っ張れて受動的に動くというモデルですが、あまり支持されていませんでした。
 一方、海洋プレートが長く海底にあると、冷却されて重くなり、やがてマントル内に沈み込みます。この沈み込みによる引っ張りが、プレート運動の原動力と考えるモデルもあります。表層の海洋プレートが能動的に移動し、下にあるマントルを受動的に引っ張られることになります。さまざまな証拠やシミュレーションなどから、海洋プレートの沈み込みモデルが有力だと考えられてきました。
 いずれも今あるプレートの移動を説明するモデルですが、海洋プレートとその下の関係が、どちらが原動力で、どちらが受動的んに動かされているのかということになります。まあいずれにしても、海洋プレート(マントル対流の表層)が冷えてマントルに戻るのですから、対流運動の一環と捉えることができるのですが。
 従来の考え方に対抗して、有力でない方のモデルを支持するデータが示されてきました。それを次回から紹介します。

・それも対流・
沈み込む海洋プレートがない海域では
なぜ海洋フレートが移動するのか。
それは相対運動として記述することで理解できます。
他地域のプレートが沈み込む混むことによって
その海域に引張の力が働くことになり
海嶺には張力が働き
マントルの上昇流の出口にできます。
いずれにしても、表層で地殻物質が冷え
密度が大きくなることで下向きの対流ができることが
原動力になると考えることができます。
一方、上昇流は地球内部の核の熱によって
暖められ、軽くなり上昇していきます。
お風呂を沸かしたり、煮物をするときの
下部で加熱、表層で冷却という
典型的な対流の形成となります。
ただし、そのスピードは非常にゆっくりとですが。

・校務出張・
このメールが届くころには、校務出張をしています。
函館にしばらく出かけます。
校務ですので、天候が気になるところです。
何事もなければ、時間には余裕があるのですが
何かことがあると、いろいろ大変なことが予想されます。
私は、まだそんな事態にあったことはないですが。
今回もそうであることを祈ります。

2015年1月29日木曜日

3_133 プレートはなぜ動くのか 1:熱の移動

 プレート運動において、マントル対流は重要な役割を担っています。ところが、その因果関係については、必ずしも実証されているわけではありません。最近、プレート運動とマントル対流との新たな関係を示す報告がだされました。それに基づいて、プレートテクトニクスについて紹介してきましょう。

 地球の大地の営みの多くは、プレートテクトニクスという考え方で説明されています。大規模なものは海洋底の形成や大陸の移動、巨大山脈の形成から、地震の発生、火山活動、温泉などの小規模なものまで、さまざまな大地の営みが、説明可能です。
 また、プレートテクトニクスは、現在の地球の営みを説明するだけでなく、過去の履歴も解明できます。過去の岩石から、過去の大地の営みをプレートテクトニクスを用いることが解き明かすことができます。うまく利用すれば、未来を予測することも可能です。プレートテクトニクスは、地球の営みや歴史を解明する上で、欠かすことのできないメカニズといえます。
 では、そのプレートテクトニクスのメカニズム自体は、本当に理解されているのでしょうか。表層の大地の運動は実測されるようになってきました。しかし、プレートの運動を大きく左右する、マントルの運動については、実測はされていません。つまりプレートがなぜ動くのかが、まだわかっていないということです。見えるのは「現在の状況」だけです。あまりにも遅い運動はなかなか見えないのです。
 そもそも、プレートはなぜ動くのかという素朴な疑問にどう答えるかです。基本的なメカニズムは、地球の内部の熱がマントル物質を通じて宇宙空間に放出される、という熱の移動によっておこっていると考えられています。簡単に説明しましょう。
 そもそも地球内部に蓄えられている熱の源は、地球が形成にまで遡ります。地球は、膨大な物質が衝突合体しながら形成されました。そのとき、さまざまなエネルギーが大量に、地球に向かて集まってきたのですが、その一部は熱となって地表の岩石を溶かすのに使われたり、宇宙空間に放出されました。また一部は、地球内部に閉じ込められたまま残りました。
 地空内部に蓄えられた熱によって、固体地球の中で岩石より融点の低い鉄が溶けます。鉄は岩石より密度が大きいので、溶けた鉄は地球の内部に落ちていきました。さらに、地球内部の温度が冷めてくると、溶けた鉄が結晶化して固体として沈殿していきます。鉄の結晶化でも熱(潜熱)が発生しました。
 また、物質の成分には放射性元素があり、それが放射壊変することによる熱も加わります。このように地球内部には大量の熱が今も蓄えられていることになります。
 ただし、宇宙空間は冷たいので、熱は外に放出されるようになります。熱の運搬の現れが、マントル対流であり、プレートテクトニクスだと考えられています。その詳細は次回にしましょう。

・1年前のものですが・
このエッセイのもとになる論文は
海洋研究開発機構の小平さんたちが
2014年3月31日に出されたものです。
日進月歩の科学としては、
少々古い情報かもしれませんが、
プレートはなぜ動くのかという疑問に
新たなデータから今までの考えに修正を迫る結果でした。
今回から数回に分けて紹介します。

・冬の雨・
1月下旬は、北海道でも最も雪の降る時期です。
先日、北海道に雨が降りました。
今年は、比較的雪が多い年だと思っていたのですが、
年末と先日の2回の雨には、非常に少々驚かされました。
春ならまだしも、この時期の雨は非常に困ります。
路面がツルツルやベチョベチョになるからです。
それに防寒用の冬靴は防水が充分でないので
水たまりに入ると染みてきます。
足が冷たい思いをします。
春なら、ゆるせるのですが・・・

2015年1月22日木曜日

5_124 ロゼッタ 4:探査

 フィラエは彗星の表面に着陸はしたのですが、2度のバウンドをしてしまいました。幸い、装置は無事でしたが、機体が固定はされていません。また、着陸した地点は、崖の脇の日陰のところでした。困難な状況に陥ったミッションでしたが、まだ希望を持ち続けて、見守りたいものです。

 ロゼッタの着陸探査機のフィラエが、彗星チュリュモフ・ゲラシメンコの表面で2回もバウンドしたことは、前回紹介しました。予想外のバウンドがあったのですが、幸いなことに、フィラエの機能は無事だったようです。
 その後、フィラエ自身が撮影した写真によって、着陸地点の様子がわかりました。なんと、崖の陰なっているところ着陸していたのです。さらに、フィラエは横倒しになっていることもわかりました。
 フィラエの動力源は、ソーラーパネルによる太陽光発電でした。日陰では発電量が十分確保でません。彗星は12時間で一回の自転しているので、太陽の日差しが、かろうじて当たる時間帯があります。ただし、その時間は、自転周期の12時間のうち1時間半、地球の一日に換算すると、3時間ほどの日差しでしか充電できません。太陽光に期待できません。
 探査できるのは、フィラエの事前に充電していたバッテリーが動く間だけです。バッテリーが尽きれば、フィラエのミッションも、ほとんど遂行できないくなります。バッテリーが使えるのは、64時間程度と予測されていました。その間に、可能な限りの観測をすることになります。
 体勢が悪く、機体を固定されていないため、ドリルを使う岩石や氷の調査は断念されました。重力が小さいため、下に力を加えると、反作用で飛び出してしまう危険性があるからです。実は、フィラエの重要な任務としてあったのが、彗星の起源の解明でした。ドリルで地下23cmまで掘って、岩石あるいは氷の試料を機体内に採取して、加熱して気化させ、試料の水素同位体分析をする予定でした。このデータから、彗星の起源を探ろうという目的でした。この重要な任務を断念しざるえませんでした。
 その詳細は学会発表にてなされるはずなので、どういう情報がでてくるかは、今後に期待しましょう。
 ただし、現時点でもいくつかの情報はあります。12月10日の段階で、母船のロゼッタからの観測された彗星の水素中の重水素の比率が、地球も水の値の3倍もあることがわかりました。これは、地球の水とこの彗星の水は、起源は違っていることを示しています。
 彗星は太陽の周りを周回しているので、2015年8月13日に太陽に最も接近します。今後、太陽に接近すれば光が強くなります。そうすれば、フィラエのバッテリが充電できるかもしません。それが起こるとしても、まだまだ先の話でしょうが。
 その後も継続してロゼッタのミッションは継続され、計画では2015年12月31日まで続く予定です。はやぶさのミッションのように、最後まで諦めずに、期待を持って見守りたいものです。

・センター試験・
センター試験が先週末にありました。
我が大学も会場になり、
教職員が総出で対応しました。
雪による公共交通機関のトラブルがあったのですが
受験生の遅刻もなく、
予定通りに試験はスタートできました。
2日間の長丁場の緊張を強いられる受験生ですが、
成功をお祈りしました。
開催側の人間としては、
無事に試験が終わることを祈るしかありませんが。

・今年の冬・
北海道は今年の冬は雪が、結構降っています。
積雪量は思ったほど多くはないですが、
これからどうなるでしょうか。
根雪が早かったり、猛吹雪が何度かありました。
年末に雨が降ったこともあります。
今年の冬は、いろいろ変化に富んでいるようです。

2015年1月15日木曜日

5_123 ロゼッタ 3:着陸

 彗星への着陸は、いろいろな困難があります。小さい天体なので、天体の重力はほとんど利用できません。着陸にスピードがあると、作用・反作用で跳ね返ってしまいます。慎重に着陸しなければなりません。フィラエの着陸の様子を紹介しましょう。

 一般に彗星は、岩石と氷でできていますが、太陽に近づくと氷が溶けて、大量の水蒸気と少し粒子が火山のように吹き出します。水蒸気や粒子(イオンになっていることもあります)が、彗星の尾になっていきます。彗星は、太陽に近づくたびに大量の水蒸気を放出するので、形を変えていきます。チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星は、太陽に近づきつつあり、これから激しい水蒸気の噴出がはじまるはずです。ロゼッタは、その様子を間近に観測しようと計画されています。
 チュリュモフ・ゲラシメンコは小さい彗星ですから、その形態や状態は、近づかないとわかりません。ロゼッタは、フィラエという着陸機を下ろして、表層の探査をしていく予定でした。彗星の形態や表層の様子を調べて、どこに下ろすかを決める必要があります。
 ロゼッタは、彗星の周回軌道を巡りながら、多数の写真を撮影しました。彗星の観測から3Dモデルが作成され、そこに写真が合成され、全体を眺めることができるようになりました。
 観測の結果、彗星はいびつであることがわかりました。大きさの違う2つの玉が棒状のものでつながった形になっています。天体の大きさは、小さな玉が2.5×2.5×2.0km、大きなほうが4.1×3.2×1.3kmで、全体の質量は10^13kgで、密度は0.4g/cm^3になっています。12.4時間の周期で自転していました。この彗星は、私には鉄アレイのような形にみえましたが、ESAの研究者たちは「アヒルに似た形」と表現しています。
 さて、着陸地点の選定です。いくつも候補地があがり、それぞれに一長一短があり、研究者間で議論になりました。最終的にひとつの地点が選ばれ、そこに下ろすことになりました。
 彗星は小さい天体なので、ほとんど重力がありません。近づくのにスピードがあると、作用・反作用の効果が強くて、跳ね返ってしまいます。そのためスピードを極力落として、非常にゆっくりと近づきます。7時間かけて降りることになります。フリーフォールと呼んでいます。
 それほどゆっくり降りても、着地した瞬間に反作用で跳ね返ってしまいます。跳ね返りを防ぐために、スラスターという装置を利用します。スラスターは、フィラエの自重を用いて、足をぐっと下に押し付ける装置が用意されていました。スラスターは故障していることが事前にわかっていました。そこで、ハープーンと呼ばれるヤリを発射して、彗星表面に打ち込み、フィラエを固定することにしていました。
 ところが、ハープーンの発射は失敗に終わりました。フィラエは彗星の表面で跳ねてしまいました。2度もバウンドしましたが、無事着地していたことがわかりました。ただし、その体勢は、非常に危うい状態でした。
 その後にも手に汗握るドキュメントがありました。それは、次回としましょう。

・ブログ・
ロゼッタのスタッフが書いているブロク(英語)があります。
http://blogs.esa.int/rosetta/
スタッフに喜怒哀楽が綴られています。
そこに、最新情報といろいろなコメントが寄られています。
「スタートレック」のカーク船長役の
ウィリアム・シャトナー(William Shatner)からの
コメントも寄せられています。
カナダからESAへのメッセージでもあります。

・卒研発表会・
私の学科では、今週と来週に講義期間中に
卒業研究の発表会があります。
講義期間といっても、午後の講義時間のすべてを使って
学生も教員全員が集まり発表会をします。
卒業研究は3年生のゼミと継続しているため
実質2年かけて作り上げることになります。
3、4年生の必修科目にもなっています。
ゼミごとに熱のいれからはさまざまですが
私のゼミでは、かなり力を入れて取り組みます。
私のゼミの学生は大変な思いをしながら研究に取り組みます。
発表会はその集大成なので、
正装で臨むように希望を出しています。
決して強制はせず、私の希望といっています。
他のゼミの学生は普段着ですが、
私のゼミの学生だけは正装で発表します。
学生たちは一生懸命取り組んだ気概もあるので
素直に正装で発表しています。
達成度は人それぞれですが、達成感は味わっているようです。

2015年1月1日木曜日

5_121 ロゼッタ 1:はやぶさ2

 新年最初の、エッセイは、昨年11月に達成された探査機「ロゼッタ」の偉業からはじめましょう。日本では「はやぶさ2」の話題に押されて、あまり話題になりませんでしたが、重要な成果を挙げたロゼッタを紹介してきましょう。

 昨年暮れの日本では、小惑星探査機「はやぶさ2」の打ち上げの話題が大きく取り上げられました。「はやぶさ2」は、12月3日13時22分、種子島宇宙センターから、H-IIAロケットの26号機で打ち上げられました。当初、12月1日に予定されていたものが、天候不良で延期になり、より一層の期待感が増しました。
 初代の「はやぶさ」は、数々の故障に見舞われながらも、知恵と工夫の末、2010年6月13日22時に、地球にたどり着きました。オーストラリアの大地へサンプルの送り込み、自身は燃え尽きて、その使命を果たしました。その後、「イトカワ」からの持ち帰った多数のサンプルが、公開され研究に用いられています。
 「はやぶさ」の成功は、ニュースだけでなく、関連の書籍や映画にもされ、多くの日本人に感動と希望を与えました。このエッセイでも何度も取り上げ、紹介してきました。そんな初代「はやぶさ」の思い入れも背景にあったためでしょう、「はやぶさ2」への期待は嫌が上にも大きくなります。話題にもなり、飛び立つ前から書籍も次々と出版されていました。
 「はやぶさ2」は、厳しい予算で継続されてきたのに、民主党政権でのさらに予算の縮小もあり、計画の見直しがされ、なかなかすすみませんでした。しかし、「はやぶさ」の帰還により、民主党政権でも称賛を受け、2011年度で開発予算がつき、JAXAは正式に打ち上げプロジェクトがスタートさせました。そして開発段階に入りました。そのような多難にスタート後の2014年12月の打ち上げだったのです。
 日本では「はやぶさ2」の打ち上げのニュースに押されてしまい、あまり大きな話題にはならなかったのですが、実は欧米では宇宙関連で、大きなニュースがありました。欧州宇宙機関(ESA)が打ち上げた「ロゼッタ」という探査機のニュースでした。
 ロゼッタは、「はやぶさ」に勝るとも劣らない、困難で重要な任務を遂行していました。なんと、10年にもおよぶ飛行の末、彗星にたどりつき、着陸機「フィエラ」を下ろしました。そのプロセスやミッションについては、次回としましょう。

・謹賀新年・
明けまして、おめでとうございます。
今年の発行日は、元旦になりました。
多くのメールが行き交う可能性があり、
到着が遅くなったかもしれませんが、
のんびりとお読みください。
昨年の末は、STAP細胞の話題を取り上げ、
少々暗い終わりでしたが、
新年は、明るい話題からスタートしたいと考え
探査機ロゼッタを取り上げました。

・ロゼッタストーン・
「ロゼッタ」の名前は、
有名なロゼッタストーンに由来しています。
またロゼッタから飛び出した着陸機「フィラエ」は
ロゼッタストーンの解読の鍵となった
フィエラ・オベリスクにちなんだものです。
フィエラ・オベリスクとは、
1815年に上エジプトのフィラエ島で発見された
大きな岩石でできた記念碑のことです。
ヒエログリフと古代ギリシア語の
2つの言葉で書かれていたました。
このヒエログリフがロゼッタストーンの解読の
重要なヒントになりました。
彗星の起源を解き明かすために、
ロゼッタストーン、あるいはフィエラ・オベリスクへの
故事を再現する期待をこめてつけられたのす。