2014年10月30日木曜日

2_125 恐竜の生痕 2:子育て

 恐竜の多数の足跡が鮮明なので、研究が進むと、これからもいろいろなことがわかってくると思います。期待できます。今回の報告では、種類と大きさ、そしてその統計から、重要なことがわかってきました。

 このシリーズは、恐竜の新しい生態の話でした。アラスカの北極圏で発見された恐竜の足跡化石からわかったことでした。数千個にもおよぶ大量の足跡が見つかっているのですが、いくつかの生物の足跡がありました。鳥や無脊椎動物の這った跡もありましたが、ほとんどが恐竜の足跡でした。
 いずれの足跡も生きている生物が移動した時につけたもので、生痕化石と呼ばれます。生痕化石は、生物の生態を把握するのに有効です。今回みつかった大量の足跡の生痕化石から、形成された時期が夏のものであることがわかりました。大きな恐竜たちが群れている、北極圏の賑やかな夏の様子が目に浮かぶようです。
 足跡の恐竜は、ハドロサウルスという時に体長10mにも達することのある大型の草食恐竜のものでした。足跡化石の保存がよく、その半数は皮膚の模様まで残されていました。ハドロサウルスの足跡を詳しくみると、サイズにはいろいろなものがありました。大きいものは80cmほど、小さいものは10cmほどと、サイズのばらつきが非常に大きなものでした。中でも、10cmの足跡は、非常に小さいものですが、その形からハドロサウルスの同じ種類と考えられています。
 足跡の大きさを計測して、統計的に見ると、4つのグループに分われることがわかってきました。これらのグループは、ハドロサウルスの成長段階の違いを表していると考えられました。小さいものは、子供(幼体と呼ばれています)のグループで、全足跡に占める割合は13%になりました。幼体の大きさは推定で体長1~2mほどです。次は少々大きめのもの(亜成体)が3%ほどありました。亜幼体のグループは、他と比べるとかなり少ない比率です。大きいものは2つのグループがあり、いずれも大人(成体)と考えられ、合わせると84%を占めていました。体長は4~8mになっていたと考えられます。
 この足跡の統計から、重要なことがいくつかわかってきました。成長段階の違う足跡が混じっていることから、ハドロサウルスは成体を主とした群れで、世代の違う個体も集まって行動していたこと、つまり大人と小さな子どもが一緒に群れで暮らしていたことが推定されます。恐竜は卵から生まれます。子どもが成体と一緒に行動していたということは、子育てしていた可能性が大きくなります。
 そして、亜成体が少ないことは、短期間に幼体から成体へと短期間で成長していったことになるとしています。子どもが早く成長できるには、大人が子どもを守り、子育てをしていたことが推定できます。現在の草食動物にみれるものと、似た習性を持っていたことになります。
 そしてさらに重要な事は、この地が北極圏であったことです。夏はいいとして、冬は子どもには過酷な環境です。その話は、次回としましょう。

・ふくらむ想像・
幼体は、非常に小さい足跡なので、
その年に生まれたものだと想像できます。
夏に群れで動きまわるには、
前の秋から冬にかけて、
産卵、抱卵をして、春に誕生となったのかもしれません。
亜成体は前の年に生まれたものでしょう。
成体の2グループにも、なんらかの意味がありそうです。
青年期の成体と大人の差か、
オスとメスの違いを反映しているのかもしれません。
夏の北極圏は、草食恐竜の群れ暮らし、子育てできるような、
たっぷりの食料や過ごしやすい環境があったのでしょう。
科学としては、検証、論証が必要ですが、
想像だけでは次々と膨らみます。

・週末は自宅で・
先週末は北海道では
外は風があるとそれなりの肌寒さはあったのですが、
昼間の室内は異常な暖かさになり
換気口や窓を開けてしまいました。
週末はできるだけ大学の校務はしないようにしています。
そして自宅では、校務と関係のない研究上の作業や
新しいことを調べるなどをするように心がけています。
しかし、最近、平日の学生対応が忙しく、
なかなか校務がこなせなくなってきました。
そのために、週末も校務が自宅に入り込んできました。
校務をこなすなら、大学のほうが集中できて
短時間で済むのですが、
それをすると気分転換ができないので・・・・
悩ましいものです。

2014年10月23日木曜日

2_124 恐竜の生痕 1:新しい生態

 北海道大学の総合博物館で、恐竜の研究をされている小林快次(よしつぐ)准教授が、今年の夏に報告された論文があります。そこでは、恐竜の新しい生態が報告されています。今回は、新しく発見された恐竜の生態を紹介しましょう。

 今回は、恐竜に関する新しく見つかった生態の話です。恐竜の話をするために、いくつか知っておくべき、基礎的な知識が必要となります。
 まずは恐竜自体のことです。恐竜は映画やニュースになどメディアにでることも多く、恐竜の基礎的な知識は持っていることとでしょう。例えば、恐竜には羽があったりとか、巣がみつかったりとか、恐竜のミイラがみつかったりとか、さまざまなニュースが流れ覚えておられる方も多いでしょう。その中に、恒温性をもつ恐竜もいたという情報もありますが、すべての恐竜が持っていたとは限りません。多くは変温性であったのではないかとも考えられますが、まだその実態は、十分明らかにされているわけではなりません。
 次に時代の話しです。恐竜が繁栄していた時代は、中生代です。中生代は、古い方から三畳紀、ジュラ紀、そして白亜紀となります。今回の恐竜の化石がみつかった時代は、白亜紀後期です。白亜紀後期には、大型の草食獣や肉食獣などがいて、恐竜の全盛期でもありました。トリケラトプスやティラノサウルスのように有名な恐竜がいた時代でした。
 当時も地球の自転軸が傾いているため、季節が生じています。北極では、冬は太陽が登らなくなり、夏は白夜となっていました。北極点には今と同じように北極海があり、海を取り囲んでユーラシア大陸と北米大陸がありました。ほぼ今と似た大陸配置でした。ただし、ベーリング海が開いておらず、シベリアとアラスカは陸続きでした。両大陸の生物は行き来が可能でした。それを示す証拠として、両大陸で似た恐竜化石が発見されています。
 今回の化石発見の場所は、北極圏です。そんな極地に、恐竜はどのように暮らしていたのでしょうか。その様子がわかってきたというのが、今回の発見でした。論文は、「Geology」(地質学という意味)の雑誌に報告されました。その論文から発見の概要を見ていきましょう。
 アメリカ合衆国アラスカ州のデナリ国立公園内で、日本とアメリカの共同研究で、化石の調査がなされました。調査の最初の年に、保存のよい恐竜の足跡の化石が発見されました。発見されたのは、50mの幅、長さが100mもある範囲で数千個も大量に見つかりました。足跡化石は、大量な上に非常に保存状態がよく、足の裏の模様まで残されている状態だったそうです。足跡化石から、いろいろな生態がわかってきました。それは次回としました。

・恐竜学者・
かつて日本では、恐竜の化石は発見されておらず、
研究者も少なかったのですが、
最近は恐竜を専門とする研究者も増えました。
その中に海外で経験を積んだ研究者もかなりおられます。
小林さんもその一人です。
現在も海外で野外調査をされて、
今回のような新しい発見をされています。
日本の研究者、研究対象もグローバルになりました。

・秋が深まる・
北海道は一段と秋が深まってきました。
山では何度か積雪があったというニュースが流れました。
紅葉もだいぶ進みました。
風の強い日、雨の日には紅葉した葉が舞います。
北海道の秋は一気に深まり、
通り過ぎていきます。
もう我が家では何度かストーブをたきました。
冬も近くなってきました。

2014年10月9日木曜日

6_124 丸山電気石 4:ダイヤモンド

 丸山電気石という新鉱物は、超高圧変成岩で見つかりました。この鉱物は、ダイヤモンドを中に含んでいました。小さな粒で宝石にはできませんが、地質学的には重要な意味をもっていました。その意味を紹介していきましょう。

 これまで、丸山電気石の発見のいきさつや特徴について、いろいろ述べてきました。最後に、この新鉱物の地質学における意味をみていきましょう。
 丸山電気石は、中央アジアのカザフスタンのコクチェタフ超高圧変成帯の岩石から見つかったことを紹介しました。超高圧とはどのような条件でしょうか。ひとつは日本列島のようなプレートの沈み込み帯で、沈み込んだプレートが大地の営みによって持ち上げられると、その岩石は高圧条件で形成された変成岩となります。しかし、その深度は深くても70km程度です。それより深くなると、マグマが形成される場(火成作用)となっていき、変成岩ではなくなります。70kmは、もちろん、それは沈み込み帯での圧力条件ですが。
 今回見つかった丸山電気石は、数百μmほどの大きさで、なおかつ知られている鉱物の中に、ある部分だけが新鉱物であるという、非常に特異な産状をしていました。そして新鉱物には、中に小さいダイヤモンド(マイクロダイヤモンド)が入っていました。それが新鉱物発見のきっかけともなっていました。電気石とダイヤモンドが一緒に産することも。初めての発見でした、
 ダイヤモンドは、宝石として貴重なものですが、地質学的にはその成因が重要視されています。ダイヤモンドは、超高圧の条件でないと形成されない鉱物だからです。その深さは、120kmより深いところだと考えられています。沈み込み帯の変成岩では考えられない深さでもあります。
 今回の超高圧変成岩は、大陸プレート同士の衝突の場で形成されたものと考えられています。大陸プレート同士の衝突のプロセスは、まず大陸プレート(ユーラシアプレート)に海洋プレート(テチス海プレート)が沈み込みんでいました。大陸同士(ユーラシア大陸とインド大陸)が近づいてくると、陸に近いところにたまった大量の堆積物をともなった地層も衝突をはじめます。やがて大陸同士の衝突になります。
 大陸プレート同士の衝突では、もともと厚い大陸地殻がぶつかって重なっていくため、高い山脈が形成されます。さらに、地下でも深くまで大陸の岩石や地層が押し込まれた重なった状態になります。押し込まれる岩石のなかには、大陸プレートの間にあった地層もありました。
 地表や海底でたまった堆積物には、カリウムや炭素や、ホウ素を比較的多く含む部分もあります。これらの成分が今回の電気石(カリウムとホウ素は主成分のひとつ)やダイヤモンド(炭素のみが主成分)の材料となりました。分厚い山脈の岩石と深くまで潜り込んだ岩石によって、大陸プレートの衝突の地下は、超高圧変成作用の場となります。
 時には120kmよりも深いところまで潜り込む岩石もありました。そのような場でダイヤモンドと丸山電気石が形成されたことになります。そして、衝突の場として激しい変動が継続しながらも、大地の営みで、深部の岩石が地表にもたらされたことになります。
 丸山電気石は、地球深部からもたらされた、地下からの手紙でもあるのでしょう。

・タイプ標本・
丸山電気石は、記載された後、
タイプ標本は国立科学博物館に保管されています。
タイプ標本とは、生物の新種記載のときに
用いられていた言葉なのですが
鉱物にも転用されています。
新しい鉱物種を定義するために用いた標本のことで
将来、似た鉱物があったとき、比べるときに
その鉱物の示す基準とする標本のことです。

・秋の深まり・
北海道はここ数日、冷え込んできました。
我が家はストーブを炊くところまではいっていませんが、
気の早いところ、寒がりの家庭では、
ストーブをつけたところもあるかもしれません。
先日の朝も、霜が降りていました。
高山での初雪の便りは9月の中頃にありましたが、
里はまだまだのはずです。
9月下旬までは、暑くて上着もいらない日もありました。
しかし、一気に秋が深まりました。
まだ雪虫の飛び交う姿が見ていないので
早すぎる秋の深まりに間に合っていないのかもしれません。

2014年10月2日木曜日

6_123 丸山電気石 3:人名

 鉱物に人名がつけられることは、よくあります。しかし、そこには一定の条件を満たす必要があります。その条件を満たしたので、丸山電気石という名称がつけられました。それは、どのような条件でしょうか。そして、丸山さんとは、どのような人なのでしょうか。

 丸山電気石という新鉱物は、丸山茂徳さん(東京工業大学地球生命研究所)の名前であることは前に紹介しました。鉱物名に人の名前がつくには、それなりの条件があります。
 人名を鉱物名に付ける場合、発見者の名前を使うことはできません。ですから、発見者と縁(ゆかり)のある人、あるいは恩師の名前をつけることになります。ですから、丸山さんは、この鉱物の発見に何からかのかかわりがあったとこになります。
 このエッセイでは丸山さんを何度かとりあげたことがあると思いますが、いくつもの業績があるのですが、世界で最初にプルームテクトニクスを提唱されたり、日本を中心とした沈み込み帯の解明をしてきました。また、大きな研究者グループを率いて、いくつもの研究プロジェクトを実施させてきました。日本を代表する地質学者でもあります。
 丸山さんは、日本の地質学では、非常にスケールの大きな研究プロジェクである「全地球詩解読」を1995年からスタートさせました。そのプロジェクトは、日本人研究者を中心として、地球史において重要な地質学的地域を、日本人が得意とする詳細な地質調査と年代測定、化学分析などを武器に、世界各地の研究者と協力しながら調査研究するプロジェクトでした。
 その中で、大量の試料を採取することも重要な目的でした。まだ完成していない技術、手法、アイディアができたとき、その研究対象とできる試料を、体系的に大量に入手、整備、保管することは重要だと考えたからでした。その施設として、いくつかの大学や博物館が任にあたりました。
 私がいた博物館は、全地球史解読のプロジェクトと密接な関係があり、資料収集、調査研究、試料保管などに関与していました。そして私もそのメンバーでもありました。
 研究プロジェクトのひとつとして、中央アジアのカザフスタンのコクチェタフ超高圧変成帯も調査対象地となっていました。その研究プロジェクトのリーダーを丸山さんがなされていました。日本研究者からなる調査隊は、1997から1999年にかけて、カザフスタン北部の草原地帯にあるコクチェタフ超高圧変成帯を調べました。その時、約9000個の岩石を採取してきました。
 試料のうち、古生代初期(約5億3000万年前)の岩石を、清水さんや小笠原さんら研究されていて、2005年にこれまでに知られていない鉱物を発見されました。ですから、全地球解読プロジェクトの流れを汲み、実物試料の重要性を把握していた丸山さんの先見の明にちなんで、今回の新鉱物が命名されました。

・お詫び・
毎週木曜日に発行するこのエッセイですが、
今回は校務が多忙につき、
予定通りに発行できませんでした。
お詫び申し上げます。
10年近くおこなってきて、
はじめてのことではないと思います。
発行のことも忘れるほどの多忙だったということです。

・先輩・
丸山さんには、いろいろお世話になりました。
前に所属していた博物館への転職は、
丸山さんのプロジェクトにからんでいました。
私の担当するはずの装置がどにゅうされる予定でした。
それを見越しての博物館への転職でした。
まあ、その後はいろいろありましたが・・・。
その後この大学に転職するにあたっても
丸山さんにお世話になりました。
直接の師弟関係はないのですが、
面倒見のいい、先輩でもあります。