2014年12月25日木曜日

6_125 2014年を振り返る:STAP細胞はなんだったのか

 年末のエッセイで、毎年ではありませんが、その年を振り返ることがあります。今回も科学で一番の話題となったであろうSTAP細胞について振り返ります。そこに何があったのでしょうか。教訓として学ぶべきことはなかったのでしょうか。

 1年の振り返りのエッセイは、毎年ではないのですが、思いついた時にまとめています。前回は2011年の年末にまとめました。2011年はなんといっても、3.11の東日本大震災のあった年で、多くの人の記憶に焼き付きました。2011年は、私にとっても思い出深い年でした。2010年4月から2011年3月末まで、研究休暇をとり、四国に滞在していた時期で、その最後に3.11が起こっのでした。思い出深いだけでなく、3.11にどう対処するかを、1年間、いろいろ考え続けてた時期もでありました。
 さて今年はというと、科学において重大な出来事としては、STAP細胞の事件が一番ではないでしょうか。私自身には直接関係がありませんし、分野も全く違ったものですが、いろいろ考えさせられました。
 以前にも科学の世界では、捏造や剽窃などの事件は多数あり、ニュースに大きく取り上げられたこともありました。STAP細胞の成果は発表の当初は、今まで以上に大きなニュースになりました。iPS細胞が華々しく取り上げられる中、もっと有効なSTAP細胞の科学的意義がだれにでも理解できたことが大きかったのでしょう。さらに、業績を上げた研究者が、若い女性研究者であったことで、日本中のメディアが、ワイドショー的、週刊誌的にこぞって取材攻勢をかけました。
その直後に、捏造疑惑だったことがさらに話題性を増しました。メディアの評価の上下動が非常に激しいものでした。告発後も、記者会見や理研を挙げての追試、関係者に自死など、話題が続きました。そして、12月の19日には、本人自身による追試でも再現できないことが、公式に報告されました。
 STAP細胞の事件で考えさせられたのは、科学者の倫理もさることながら、本当に一度もなかった現象なのかという疑問が、今でも残っています。
 最初から悪意をもって科学に取り組む人はいないと思います。科学は、長い修業期間が必要なのと、もともと見返りの少ない職業で、割の合わないことだからです。それでもあえて研究に向かうのは、本人の強い好奇心や満足感が、大きな動機となるはずです。最初から悪意をもって科学に携わる気持ちがあったとは思えないのです。
 善意からスタートしたとすると、小保方さんも、なんらかの漠たる証拠をとらえたのではないでしょうか。誤操作か偶然かはわかりませんが、何か痕跡を得たのだと思います。その後、なかなか再現できず、ついつい捏造に走ったのではないでしょうか。もし、最初の痕跡が本当で、それを捉える試みが、今回の事件でタブーになったら、人類は大きな金脈を見過ごす可能性があります。
 もちろん、その可能性も含めて理研は追試をしたはずです。なぜなら、科学は善意を前提に進められているからです。科学は最終的には、証拠や再現性によって裏付けされます。再現されなかったものは、その存在は否定されたことになります。
 それでも、すべてが虚構だとするには、あまりに大きすぎるネタでもありますが。

・まだまだ終われない・
いよいよ今年最後のエッセイとなりました。
本当に年末までバタバタしています。
大学は22日で定常の講義はおわりますが、
24日は補講日で、午前に一つ補講があり、
午後からは卒業研究の発表の予行演習があります。
そのあとは、4年生と忘年会をします。
その後、25日の夕方に会議があります。
それで校務が終わります。
多分、その後も私はいつものように大学に出る予定です。
やっと自分の研究できる時間がとれるからです。

・スケートリンク・
週末に昼間温かく、夜に冷え込んだので
道路が大変なことになってしまいました。
スケートリンクのようにつるつるでした。
歩くのがおっかないほどで、
坂では、車がスリップスしているのを
あちこち見かけました。
みんなのろのろ運転です。
雪が降れば、少しはましになるのですが。

・別の機会に・
本年度最後のエッセイを、
暗い話題で終わるのはどうかと悩みました。
しかし、あえて私が何度も取り上げる話題でもないし、
今回は、STAP細胞を最後の話題にすることにしました。
今年の嬉しい話題として、
彗星にいったロゼッタも取り上げたかったのですが
単独の話題にしても、長くなりそうなので
今回は見送りました。
ですから今年最後ですが、
一つの話題だけにしました。

2014年12月18日木曜日

1_139 地球の水の起源 5:水のブレンド

 最新のガス捕獲説ですが、これを受け入れたとしても、脱ガス説もレイトベニア説の選択は残るります。なぜなら、ガス捕獲説は、太陽系の誕生する前の分子雲時代の話だからです。

 ガス捕獲説は、アメリカのウッズホール海洋研究所のサラフィン(A. R. Sarafian)たちが、9月26日のScience誌に発表したもので、コンピュータでH2Oに関するシミュレーションをおこなった結果でした。シミュレーションの前提として、原始太陽系円盤内のみでH2Oが作られるものとしてなされました。すると、太陽系にみられる水に特有の性質(重水素の比率D/Hと表記される)が、シミュレーションでは再現できないことがわかってきました。つまり、前提条件が違うということになります。
 シミュレーションによれば、低温で形成されたH2O(D/Hが大きい)を、かなりの量を取り込んでいなければ、太陽系の値にはならないという結果だったのです。現在の太陽系にみられるH2Oのうち、30%から50%が太陽系が形成される前、分子雲の時(低温)に形成されていなければならない、と推定されました。
 これは、H2Oの起源に関する重要な仮説になります。ただし、今までの他の2つの説に先行した時期なので、このシミュレーショを受け入れたとしても、なおかつ脱ガス説かレイトベニア説かという問題は残ります。なかなか複雑な状況になってきました。
 太陽系、あるいは惑星の形成時に、H2Oがすでにできていたとすると、地球の水には、原始太陽系円盤で合成された分子雲のH2Oと、太陽系ができたときの太陽系オリジナルのH2Oがあることになります。2つのH2Oが混合しているというのです。太陽系のH2Oは、ブレンドされているのです。地球軌道ブレンドのH2Oがあったかもしれません。そうなるとH2Oの成分にも、場所によって、いろいろなブレンドがあったかもしないのです。
 脱ガス説であれば、原始地球として成長した後、材料物質の平均的にブレンドの海ができていたでしょう。レイトベニア説ならは、カイパーベルト由来の彗星が、たった一度の衝突によってできた個性的なブレンドのH2Oがもたらされたかもしれません。それぞれのブレンドには、分子雲起源のH2Oを3から5割ほど含まれていたことになります。
 脱ガス説であれば、地球の水の起源や成分には必然性が生じます。ところが、ガス捕獲説やレイトベニア説を採用すると、地球の水は、その組成も起源も、たまたま、偶然の要素がかなりの比率を占めることになります。さてさて、「神はサイコロ遊び」をするのでしょうか。

・偶然・
「神はサイコロを振らない」という言葉は
アインシュタインが、量子力学を批判したとき用いた言葉です。
素粒子などの振る舞いを、確率でしか記述できない
量子力学を皮肉ったものです。
私もその言を引いてエッセイの結びとしました。
自然現象には、確率や偶然による部分があるのは確かです。
しかし、心情的には、アインシュタインのように
地球の水にも何故あるのかという理由に
必然性があったほうが
スッキリするのですが・・・

・新情報・
実は、このエッセイを書いていたら、
別の報告の情報が入ってきました。
レイトベニア説ですが、水の起源が
これまで述べてきた彗星ではなく、
小惑星起源を示唆するという論文でした。
彗星探査機ロゼッタの観測チームが
12月10日に発表したものでした。
最新ですが、この説の説明をしはじめると
さらに話が複雑になりそうなので、
このシリーズは今回で終わりとします。
新たな展開があれば、紹介することにします。

2014年12月11日木曜日

1_138 地球の水の起源 4:ガス捕獲説

 これまで、地球の水の起源に関する2つの説をみてきました。3つ目の説として、ガス捕獲説を紹介します。この説にも根拠はあるのですが、少々立ち位置が違ったものです。

 地球の水の起源として、3つの説があります。かつては脱ガス説が主流でしたが、近年はレイトベニア説が有力視されています。ここまで、紹介してきました。今回からは、最後となった3つ目のガス捕獲説についてみてきましょう。
 ガス捕獲説とは、どのようなものでしょうか。この説には、最近、新たな証拠による論文が報告されました。まだ、受け入れられるかどうかはよくわかりません。ただし、従来の説に対立するものではなさそうです。
 脱ガス説もレイトベニア説も、いずれも、太陽系が形成されたときにあったガスが水の素材となります。2つの説の違いは、水をどのようにして地球にもたらすかと点でした。そもそも水は、太陽系の材料物質中に存在してたところからスタートしています。
 太陽系のガスの成分は、水素、ヘリウムを主として、続いて酸素、炭素という順になっています。水素と酸素が反応すれば、簡単にH2Oが、それも大量にできることになります。ですから、太陽系内では、H2Oは、存在しているものとして考えられていました。
 しかしそこには、実は別の問題が隠されていました。すべての水が本当に太陽系で合成され、材料物質にもたらされたのかという問題です。上で示した太陽系の元素の存在度は、太陽系固有の特別なものではなく、宇宙空間では同様の元素類がごく普通であることがわかっています。つまり、水素も酸素も、宇宙空間にはたくさんあり、H2Oがたくさんできる可能性は、どこにでもあるのです。
 太陽系ができる前、ガスが宇宙空間に集まっているところ(分子雲)で、すでにH2Oができていてもいいわけです。実際の分子雲の観測でも、H2O分子は見つかっています。これまでどのようにH2Oが地球にもたらされたのかが問題とされていたのですが、いつどこでH2Oができたかが見過ごされてきました。
 もし分子雲内ですでにH2Oができていて、それが原始太陽系円盤に取り込まれたとすると、太陽系の材料の中に、すでにH2Oが存在する環境であったことになります。一方、原始太陽系円盤内の形成であれば、H2Oは他の材料物質と同時期にできたのですが、場所ごと(軌道ごと)に、形成されるH2Oの量は違ってくるという問題も生じます。
 いつH2Oができたのかという問題に対して、アメリカのウッズホール海洋研究所のサラフィン(A. R. Sarafian)たちは、分子雲の時にH2Oができていた可能性を示しました。その説明は、次回としましょう。

・研究は人がするもの・
一つの論文が提出されたとします。
その論文には証拠も論理性があったとしても
受け入れられるかどうかはわかりません。
同業者や近縁領域の研究者が
受け入れるか、時間経過、議論経過とともに
判断されていきます。
その判断は、近縁領域の研究者にとっては、
今までの自分の考えや説に反しなければ
わざわざ否定をするような労力を
はらわないかもしれません。
しかし同業者(同領域の研究者)にとっては
大きな問題となり、議論を呼ぶことになります。
今回のように、多くの説の前段階の論文であれば、
その説を受け入れても
自分の考えには影響がないという場合もあるでしょう。
そうなるとあまり議論が起こらないかもしれません。
ということは、その論文に関する審議や検討が
なおざりになることがあるかもしれません。
本当は議論して欲しいのですが、
研究をするのは、人ですからね。

・除雪・
北海道は先週末あたりから
積雪が毎日のようにありました。
冷え込みも厳しいものでした。
昨朝は自宅の前の道路にも除雪が入りました。
今シーズン初めてのことでした。
例年よりは、かなり早い除雪のような気がします。
このまま、根雪になることがないことを願っています。
なりそうな雰囲気なので少々心配ですが。

2014年12月4日木曜日

1_137 地球の水の起源 3:レイトベニア説

 レイトベニア説は、一度唱えられたたのです。否定する観測値があったため、否定されました。しかし、別の観測結果から復活してきました。この復活によって、新たな謎を生むことになりました。

 地球の水の起源として、脱ガス説、レイトベニア説、ガス捕獲説の3つがありました。少し前までは、材料物質のコンドライトに含まれていた揮発成分の脱ガスでできたと考えられていました。
 前回も少し紹介したのですが、水蒸気が隕石に取り込まれにくい難点がありました。太陽系創成期から40億年前まで、水があった場所は太陽系ずっと外側の低温域だけで、地球を形成するような位置には水は存在できなかったという指摘がありました。他にも、惑星の形成時期は表面が非常に熱く、表面に液体の水は存在できず、激しい衝突でガスは宇宙空間に飛び散ってしまう可能性があることも難点でした。
 脱ガス説を支持するために、回避する説明も可能でしたが、その説を強く示す証拠はあまりありませんでした。
 その後、レイトベニア説が有力になりました。考え方は隕石の脱ガス説に似ていますが、衝突の時期が問題で、脱ガス説が地球形成期にあるのに対し、レイトベニア説は原始地球の誕生後の出来事です。
 レイトベニア説は、一度の衝突で海水の量程度は供給できるという利点がありました。現在、地球に存在している海水の量は、重さでみると0.027%にすぎません。この程度の量の水は、微惑星に含まれているH2Oをほんの少し(1/40程度)脱ガスすれば供給できるほどでした。
 レイトベニア説は2011年に、水に含まれる重水素(水素の同位体で質量数が1のHより重い2のもの、D)の比率(D/H比と呼ばれます)の値が調べられて、注目を集めました。ESA(欧州宇宙機関)のハーシェル(Herschel)宇宙望遠鏡で、地球を近くを通過した彗星(ハートレー第2彗星、Hartley 2)の氷を観測し、重水素の比率を測定しました。すると、その値は、地球の水と同じことがわかりました。
 1980年代に、レイトベニア説は、脱ガス説の同時期に提唱されていました。当時も、いくつかの彗星のD/H比が測定されましたが、その値は地球上の水とは大きく違っていることがわかりました。そのため、この説は、支持を失いました。
 天体に存在する水は、ある定まったD/H比を持っていて、その比率は変わらないことが知られています。地球の水のD/H比が、彗星と同じ値であったということは、水の起源がある種の彗星であったという重要な根拠が提示されたことになります。
 ハートレー第2彗星は、カイパーベルト(冥王星から遠く離れた黄道面に小天体が多数存在するゾーン)に起源を持つものでした。一方、異なるD/H比をもつ彗星は、オールトの雲(カイパーベルトより外で太陽系を球状に覆うように存在する小天体のゾーン)に起源を持つものでした。
 太陽系誕生当時は今よりも多数の彗星が巡ってきたはずです。衝突の可能性は今よりずっと大きかったはずです。地球に水をもたらした衝突は、地球誕生後、約800万年に起こったという推定もあります。
 新たな観測データを根拠にして、レイトベニア説が復活しました。この説の有利な点は、一度の衝突で水の起源が説明が可能であるこということです。でも、根拠をもった仮説であって、決定的な説ではありません。
 もし、カイパーベルトとオールトの雲に属する彗星で、化学的性質が違っているのか、それともカイパーベルトの彗星自体に化学的多様性があるのか、これは重要な問題提起になります。いずれにしても、太陽系形成にかんする重要な束縛条件を提示したことになります。今後、さらなるデータや研究が必要になりました。

・師走・
いよいよ12月、師走になりました。
私は、10月からバタバタしています。
学生の論文の添削にかかりきりです。
ですから、10月から師走状態です。
これも教育で一貫で、
学生たちが成長するために必要だと思っているので
やり続けています。
学生たちは大変な思いをしているのでしょう。
このような大変な経験は
将来、きっと役に立つからと、励ましています。

・彗星の巣・
彗星の巣のようなものがあるのが、
彗星の軌道の決定からわかってきました。
ひとつは、惑星と同じ軌道面を巡っている
カイパーベルトと呼ばれるものです。
実際のそこを巡る天体がいくつも見つかっています。
もうひとつは、もっと外側にあり
太陽系全体を覆うようして広がっている
オールトの雲と呼ばれるものです。
二つの彗星の巣で、
彗星の性質に違いがあったということになると
なぜという疑問が湧いてきます。
それは太陽系形成の謎とも直結していくはずです。

2014年11月27日木曜日

1_136 地球の水の起源 2:3つの仮説

 地球の水の起源には、いくつか仮説が提唱されています。時代によっていずれかの説が優勢になりました。少し前までは隕石起源が有力でした。最近新しい考えがいろいろでてきました。水の起源の説を広く概観していきましょう。

 地球の水の由来に関して、いくつもの説が登場し、時期によって支持される説も変わってきました。最近も、新しい報告が出てきていて、勢力図が変わるかもしれません。
 水の由来にかんする説は、大きく3つに分けられます。その3つの説の概要を紹介しましょう。
 まず一つ目は、1980年代に登場した脱ガス説です。脱ガス説は、前回紹介したコンドライトに含まれている揮発成分が、地球の水の起源だと考えるものです。地球の材料にもともと水が含まれていたというものです。地球をつくった材料は、最初は隕石のような小さいものからスタートし、最終的には微惑星と呼ばれるくらいの大きさまで成長した天体でした。
 微惑星が衝突合体して原始の地球に成長していくのですが、衝突の時に発生する高圧高温によって、微惑星からの脱ガスが起こるというものです。微惑星はコンドライト質の物質からできているので、そこには大量の揮発成分が含まれていると考えるわけです。その揮発成分が、地球の水の起源だとするものです。
 しかしこの説には、問題がありました。宇宙空間では気圧が低い(真空に近い)く、太陽からの地球の位置も近く、H2Oは液体の水ではなく水蒸気の状態であると考えられます。水蒸気は固体には取り込まれにくい「相」です。そのため地球軌道付近でできたコンドライトや微惑星には、H2Oの成分を含みにくいという難点があります。その課題は、H2Oの微粒子への吸着などで、少しは取り込めるはずということで解決しようしています。
 2つ目の説は、レイトベニア説と呼はれるものです。地球の水の占める割合は、質量でみると0.02%にすぎません。この程度の量であれば、地球が出来上がってから、水を含んだ炭素質コンドライトでできた微惑星や氷でできた彗星が衝突すれば、供給できるというものです。脱ガス説と似ていますが、時期と規模が違い、一度の衝突で水の起源を解決できるという利点があります。さらにこの仮説は、本来なら核(コア)にあるべき元素(Ru、Rh、Pd、Re、Os、Ir、Pt、Au)が、地球のマントルには多く含まれている、という特徴も説明できるという利点もあります。このような利点から、近年この説が支持されてきています。
 最後の説は、原始地球がガスとして取り込んだというガス捕獲説です。太陽の系形成時期に存在したはずのガスの成分の中に、もともとふんだんにあったH2O、あるいは水素と酸素を大気として原始地球が捕えたというものです。原始地球が月くらいのサイズになると、引力で周辺のガスを集めることが可能になります。そこに水蒸気もしくは水素と酸素があれば、反応してH2Oになり、温度が冷えればやがて海ができると考える説です。
 いずれがもっともらしいかは、まだ議論されているところです。今回、2つの説を支持する報告が相次ぎました。詳しくは次回です。

・レイトベニア・
レイトベニア(late veneer)説とは、
ベニア板の表面にある薄い化粧板のように、
後から少しだけ付け加える
という意味で付けられた名称です。
あまりいい呼び名とも思えませんが、
このような名称は、多くの人が使用すれば定着していきます。
それよりも、この説が受けいられるかどうか方が重要でしょう。

・日が短い・
北海道は雪が降ったり
温かい雨が降ったりと
寒さと温かさが行ったり来たりしながら
冬に向かっています。
11月も下旬になり日が短くなってきたました。
この頃は、4時前に日の入りがあり、
4時過ぎには暗くなってきます。
日の出は、6時半頃です。
日の出前に自宅を出て、
日の入り後に帰るという季節になりました。
冬至まであとひと月足らずです。
ますます日が短くなります。

2014年11月20日木曜日

1_135 地球の水の起源 1:コンドライト

 地球は青い星と呼ばれます。その青は水の色です。地球の水はどこから来たのか。地球の水の起源は、今も説が二転三転しています。今回は地球の水の話題を紹介しましょう。地球の水の起源にかんして、2つの新しい考えが示されました。

 少し前までは、材料物質に水が含まれていて、その水が地球の起源であると考えられていました。材料物質とは、隕石のことで、原始的な隕石は炭素質コンドライト(carbonaceous chondrite)と呼ばれるものです。炭素質コンドライトとは、炭素の成分を多く含む隕石です。炭素は、炭質物や有機物として存在します。
 コンドライトとは、隕石固有の組織で、丸い形の岩石(数mm程度のサイズ)が集まったような構造を持った隕石です。隕石だけにみられる組織で、地球の岩石にはないものです。そのような丸い岩石の粒をコンドリュール(chondrule)といいます。コンドリュールが集まったものがコンドライトです。
 コンドライトは、岩石が溶けていたもの(マグマ)が、冷えて固まり、集まったものです。なぜ丸いかというと、宇宙空間は無重力なので、液体は球状になります。その液が固まると丸い岩石ができます。隕石が無重力の宇宙空間ででき、地球でできたものではない証拠にもなります。
 さらにコンドライトから、太陽系ができたときに岩石がマグマになるほど高温の時期があったこと、温度が下がり固まってからのちは、つくりが消えるような高温になることはあろませんでした。隕石は固まったのち、200℃以上に上がることはなかったと考えられます。なぜなら、コンドライトには、温度が上がると抜けていくような成分が、隕石の中に残っているからです。
 コンドライトは、太陽系初期にあった各種の物質が、高温になりすべて溶けて気体や液体としてブレンドされ、その後冷えて固まりました。その後、高温になることなく、固体物質として太陽系に存在し続けたものです。それが、地球に落下したものがコンドライトなのです。太陽系の初期の素材や材料物質の「化石」ともいえる情報がつまっているはずなのです。
 炭素質コンドライトにも、炭素成分だけでなく、揮発成分もかなり含まれています。揮発成分とは、温度を上げると、固体から気化や昇華と呼ばれる現象を起こし気体になりやすいものです。炭素質コンドライトの中の代表的な揮発成分として、H2Oがあります。
 この揮発成分が、地球の水の起源だと考えられていたのですが、それが本当かどうかが、今回の話題です。

・初積雪・
北海道は、寒い日が何度もありました。
かなりの量の初雪もありました。
通勤や仕事で車を使っている家は、
今年は早くから冬タイヤにしていました。
我が家は天気予報を見て積雪ある前日に交換しました。
この雪も積もっていても昼間には溶け、
日陰に残っているだけです。
根雪ではないですが、
今年は根雪が早そうです。

・卒業研究・
4年生の卒業研究の毎日添削しています。
内容のレベルもさまざまです。
文章力もさまざまです。
彼らは2年もかけて取り組んだ仕事をまとめる、
いう初めての経験になります。
全力を出して取り組むことを期待しています。
もしかするとこのような経験は
最初で最後のチャンスかもしれません。
それぞれのレベルにあわせて、
もっと上を目指すように
緩めることなく指示を出します。
サボらないように指示します。
大変だけといい経験となると思って毎日添削をしています。
逃げることなく取り組んでいくことを望んでいます。

2014年11月13日木曜日

4_117 高知 2014年 2:足摺岬

 秋の四国調査で、足摺岬にいきました。足摺岬ではラパキビ花崗岩という珍しい石を見ることが目的でした。この花崗岩は、いろいろと不思議なことがある火成岩なのです。

 四国の西に、太平洋につきだした足摺半島があり、その先端が足摺岬です。今年の秋の調査では、高知県の西部を訪れました。足摺岬は半島の真ん中を通る足摺スカイライン(県道348号線)が主要な道路となります。住居の多くは海岸沿いにあるのですが、道が狭いので今ではお遍路や生活道となっているようです。今回も足摺半島を調査でウロウロしたので、足摺スカイライン(県道348号線)だけでなく、西の海岸道(県道27号線)も東の海岸道(県道27号線)も通りました。
 足摺岬は、四国の南側の大地はすべて付加体という地質でできているのですが、足摺岬には何故かマグマの活動があります。このマグマは、付加体の構成物を突き抜けている(貫入)ということがわかります。マグマの原因は、まだ十分に解明されていません。
 マグマの成因が不明だけでなく、そのマグマからできた火成岩も珍しいものなのです。火成岩は、アルカリ花崗岩、閃長岩などと呼ばれる、カリ長石に富んだ花崗岩の仲間です。なかでも、もっと珍しいものがあります。
 ラパキビ花崗岩と呼ばれている岩石です。ラパキビ花崗岩は、アルカリ長石(淡い肌色に見える鉱物)の周りを斜長石(白い鉱物)によって取り囲まれているのが特徴です。そのようなラパキビ状の長石は丸み(ピタライトと呼ばれます)を持っています。
 ラパキビ花崗岩というのは変わった名称ですが、ラパキビとは、フィンランド語で、ラパは「もろくて崩れやすい」、キビは「石」という意味だそうです。スカンジナビア半島、ロシア、北アメリカなどの大陸地域に広く分布する岩石で、赤っぽく見栄えのする岩石となっています。日本各地のビルで、石材としてよく利用されています。
 大陸地域のラパキビ花崗岩は、13~17億年前という非常に古い時代に形成されたものです。ところが、足摺岬のラパキビ花崗岩は、1400万年前の新しい時代にできました。できた時期でも非常に珍しい岩石です。
 そもそも、足摺岬の火成岩は、非常に不思議な位置にあります。四国の火山列(火山フロント)は山陰地方の火山群にまで奥まっています。なのに、こんな海側の火成岩類がどうしてあるのか、不思議です。それも次第に明らかにされつつあります。

・地学紀行・
これからは、ぽつりぽつりと
地学紀行も書いていくつもりです。
以前はまとめて書いていたのですが、
ついつい新しい話題や
興味をもった話題を追いかけてしまい、
疎かになっていました。
ネタがあるかぎり、
1ヶ月か2ヶ月に一度は書いていきたいと思います。

・落ち着いた色合い・
ラパキビ花崗岩の露頭は崖の下にあるようで、
私は、海岸沿いにある転石をみました。
以前にも来て見たのですが、再訪です。
大陸地域のラパキビ花崗岩のカリ長石は
濃いピンク色なので岩石全体が赤っぽくなります。
日本のものはカリ長石が淡い色なので
赤っぽくはなりません。
でもそこが日本的な
落ち着いた色合いに思えるのは
私だけでしょうか。

2014年11月6日木曜日

2_126 恐竜の生痕 3:越冬

 恐竜の足跡の研究から、ハドロサウルスが群れで子育てしていたらしいことがわってきました。さらに、化石の発見の場所が北極圏であったことが、重要な意味をもってきます。北極圏で、草食恐竜の群れは、どのような生活をしていたのでしょうか。

 前回までで、恐竜の足跡の研究から、ハドロサウルスが群れで子育てしていたらしい根拠を紹介しました。今回の足跡の発見された場所が、北極圏であったことが、次なる重要性をもってくるのです。
 北極圏では、冬は寒さだけでなく、日照時間が短く、太陽がほとんど登らない日が何日も続きます。冬に日が昇らなければ、恐竜は冬をどのように過ごしたのでしょうか。それが大きな問題となります。
 現在の北極圏は雪の覆われ、哺乳動物でも冬眠や冬ごもりでもしないと生きていけない環境です。冬眠や冬ごもりは、食料のない時期を体にためた栄養分で耐え忍ぶという生き残り戦略です。
 幸いなことに、白亜紀は、現在と比べて非常に暖かったことがわかっています。年の平均気温は、10度から12度ほどあり、冬でも2~4度ほどと推定されています。南極でも恐竜化石が見つかっているので、温暖な気候は局所的な現象ではありませんでした。全地球的に温暖期でした。
 寒いときの平均気温が2~4度だとすると、冬の寒い日には雪が降ることもあったはずです。現在の東北地方あたりの気温です。越冬せず過ごせる気温だったかもしれません。
 問題は、日射量が少なく、食物連鎖の基盤となる植物が、非常に限れていたはずです。生産者とも呼ばれる植物が冬場に枯れてしまえば、巨大な草食恐竜は暮らしていけたのでしょうか。そんな環境で恐竜の化石がみつかったというのは、どんな暮らしをしていたのか、非常に興味があるのとこです。
 ひとつは渡りをしていたという可能性です。大型恐竜が半年ごとに渡りをするのは非常に壮観ですが、何千kmもの距離を歩くので効率が悪い気がします。現在の生物、特に鳥類にはそのような習性をもっているものもいますので、鳥類の祖先である恐竜でも、渡りはあったのかもしれません。
 今回の足跡化石から、小さな足跡、つまり子ども(幼体)がいることがわかりました。亜幼体もいたことから、子育てをしながら群れで生活、移動をしていたことになります。亜幼体は前年生まれの子どもかもしれません。
 足跡の比率をみると、多数のその年生まれの子どもがいたことになります。このような多数の小さな子ども連れの群れが長距離を移動できるかは、大きな疑問だと、小林さんたちは考えています。そこから、これらの恐竜は北極圏で越冬していたと推定しています。さらには、雪も降るような環境では、変温性では耐えられないので、恒温性を持っていたのではないかとも考えています。
 新しい恐竜像が提示されました。はたしてこれが受け入れれれるでしょうか。今回の研究に期待されます。

・さらなる疑問へ・
ハドロサウルスが北極圏で越冬し、
恒温性をもっていたとなると、
さらなる疑問が生まれます。
冬の間、どう過ごしていたのかです。
極地での越冬の方法のひとつは、冬ごもり、冬眠ですが、
これは、巨大な恐竜の群れには
あまり適していないように思えます。
冬も活動していたとすると
恒温性を保つには、それなりに食料を採らなければなりません。
肉食ならなんとかなりますが
大型のそれも群れで過ごす草食性動物では、
なかなか難しい問題です。
いくら温かい時代の北極圏でも、
日照のほとんどない地域で、
草食の大型恐竜の群れが
暮らすことが本当にできたでしょうか。
しかし、現世の生物をみると、
想像を超えた暮らしをする生き物は多数います。
カリブやジャコウウシなども極寒の地で生きています。
なにせ今とは環境が大きく違っていたのですから、
人の想像などは簡単に超えてしまうのかもしれませんが。

・百代の過客・
もう11月です。
後期の講義が始まったばかりと思っているうちに、
3分の1が過ぎました。
「月日は百代の過客にして・・・」の心境です。
時間の流れは止めることができないので、
過ぎた時間を嘆くのはやめましょう。
自分の成すことを効率よくして、
時間を少しでも有効利用することに専念すべきなのでしょう。
もしかすると、生きることとは、
時間との勝負をし続けることなのかもしれません。
もう少し、のんびりと生きるすべも
あっていいのかと思うのですが。

2014年10月30日木曜日

2_125 恐竜の生痕 2:子育て

 恐竜の多数の足跡が鮮明なので、研究が進むと、これからもいろいろなことがわかってくると思います。期待できます。今回の報告では、種類と大きさ、そしてその統計から、重要なことがわかってきました。

 このシリーズは、恐竜の新しい生態の話でした。アラスカの北極圏で発見された恐竜の足跡化石からわかったことでした。数千個にもおよぶ大量の足跡が見つかっているのですが、いくつかの生物の足跡がありました。鳥や無脊椎動物の這った跡もありましたが、ほとんどが恐竜の足跡でした。
 いずれの足跡も生きている生物が移動した時につけたもので、生痕化石と呼ばれます。生痕化石は、生物の生態を把握するのに有効です。今回みつかった大量の足跡の生痕化石から、形成された時期が夏のものであることがわかりました。大きな恐竜たちが群れている、北極圏の賑やかな夏の様子が目に浮かぶようです。
 足跡の恐竜は、ハドロサウルスという時に体長10mにも達することのある大型の草食恐竜のものでした。足跡化石の保存がよく、その半数は皮膚の模様まで残されていました。ハドロサウルスの足跡を詳しくみると、サイズにはいろいろなものがありました。大きいものは80cmほど、小さいものは10cmほどと、サイズのばらつきが非常に大きなものでした。中でも、10cmの足跡は、非常に小さいものですが、その形からハドロサウルスの同じ種類と考えられています。
 足跡の大きさを計測して、統計的に見ると、4つのグループに分われることがわかってきました。これらのグループは、ハドロサウルスの成長段階の違いを表していると考えられました。小さいものは、子供(幼体と呼ばれています)のグループで、全足跡に占める割合は13%になりました。幼体の大きさは推定で体長1~2mほどです。次は少々大きめのもの(亜成体)が3%ほどありました。亜幼体のグループは、他と比べるとかなり少ない比率です。大きいものは2つのグループがあり、いずれも大人(成体)と考えられ、合わせると84%を占めていました。体長は4~8mになっていたと考えられます。
 この足跡の統計から、重要なことがいくつかわかってきました。成長段階の違う足跡が混じっていることから、ハドロサウルスは成体を主とした群れで、世代の違う個体も集まって行動していたこと、つまり大人と小さな子どもが一緒に群れで暮らしていたことが推定されます。恐竜は卵から生まれます。子どもが成体と一緒に行動していたということは、子育てしていた可能性が大きくなります。
 そして、亜成体が少ないことは、短期間に幼体から成体へと短期間で成長していったことになるとしています。子どもが早く成長できるには、大人が子どもを守り、子育てをしていたことが推定できます。現在の草食動物にみれるものと、似た習性を持っていたことになります。
 そしてさらに重要な事は、この地が北極圏であったことです。夏はいいとして、冬は子どもには過酷な環境です。その話は、次回としましょう。

・ふくらむ想像・
幼体は、非常に小さい足跡なので、
その年に生まれたものだと想像できます。
夏に群れで動きまわるには、
前の秋から冬にかけて、
産卵、抱卵をして、春に誕生となったのかもしれません。
亜成体は前の年に生まれたものでしょう。
成体の2グループにも、なんらかの意味がありそうです。
青年期の成体と大人の差か、
オスとメスの違いを反映しているのかもしれません。
夏の北極圏は、草食恐竜の群れ暮らし、子育てできるような、
たっぷりの食料や過ごしやすい環境があったのでしょう。
科学としては、検証、論証が必要ですが、
想像だけでは次々と膨らみます。

・週末は自宅で・
先週末は北海道では
外は風があるとそれなりの肌寒さはあったのですが、
昼間の室内は異常な暖かさになり
換気口や窓を開けてしまいました。
週末はできるだけ大学の校務はしないようにしています。
そして自宅では、校務と関係のない研究上の作業や
新しいことを調べるなどをするように心がけています。
しかし、最近、平日の学生対応が忙しく、
なかなか校務がこなせなくなってきました。
そのために、週末も校務が自宅に入り込んできました。
校務をこなすなら、大学のほうが集中できて
短時間で済むのですが、
それをすると気分転換ができないので・・・・
悩ましいものです。

2014年10月23日木曜日

2_124 恐竜の生痕 1:新しい生態

 北海道大学の総合博物館で、恐竜の研究をされている小林快次(よしつぐ)准教授が、今年の夏に報告された論文があります。そこでは、恐竜の新しい生態が報告されています。今回は、新しく発見された恐竜の生態を紹介しましょう。

 今回は、恐竜に関する新しく見つかった生態の話です。恐竜の話をするために、いくつか知っておくべき、基礎的な知識が必要となります。
 まずは恐竜自体のことです。恐竜は映画やニュースになどメディアにでることも多く、恐竜の基礎的な知識は持っていることとでしょう。例えば、恐竜には羽があったりとか、巣がみつかったりとか、恐竜のミイラがみつかったりとか、さまざまなニュースが流れ覚えておられる方も多いでしょう。その中に、恒温性をもつ恐竜もいたという情報もありますが、すべての恐竜が持っていたとは限りません。多くは変温性であったのではないかとも考えられますが、まだその実態は、十分明らかにされているわけではなりません。
 次に時代の話しです。恐竜が繁栄していた時代は、中生代です。中生代は、古い方から三畳紀、ジュラ紀、そして白亜紀となります。今回の恐竜の化石がみつかった時代は、白亜紀後期です。白亜紀後期には、大型の草食獣や肉食獣などがいて、恐竜の全盛期でもありました。トリケラトプスやティラノサウルスのように有名な恐竜がいた時代でした。
 当時も地球の自転軸が傾いているため、季節が生じています。北極では、冬は太陽が登らなくなり、夏は白夜となっていました。北極点には今と同じように北極海があり、海を取り囲んでユーラシア大陸と北米大陸がありました。ほぼ今と似た大陸配置でした。ただし、ベーリング海が開いておらず、シベリアとアラスカは陸続きでした。両大陸の生物は行き来が可能でした。それを示す証拠として、両大陸で似た恐竜化石が発見されています。
 今回の化石発見の場所は、北極圏です。そんな極地に、恐竜はどのように暮らしていたのでしょうか。その様子がわかってきたというのが、今回の発見でした。論文は、「Geology」(地質学という意味)の雑誌に報告されました。その論文から発見の概要を見ていきましょう。
 アメリカ合衆国アラスカ州のデナリ国立公園内で、日本とアメリカの共同研究で、化石の調査がなされました。調査の最初の年に、保存のよい恐竜の足跡の化石が発見されました。発見されたのは、50mの幅、長さが100mもある範囲で数千個も大量に見つかりました。足跡化石は、大量な上に非常に保存状態がよく、足の裏の模様まで残されている状態だったそうです。足跡化石から、いろいろな生態がわかってきました。それは次回としました。

・恐竜学者・
かつて日本では、恐竜の化石は発見されておらず、
研究者も少なかったのですが、
最近は恐竜を専門とする研究者も増えました。
その中に海外で経験を積んだ研究者もかなりおられます。
小林さんもその一人です。
現在も海外で野外調査をされて、
今回のような新しい発見をされています。
日本の研究者、研究対象もグローバルになりました。

・秋が深まる・
北海道は一段と秋が深まってきました。
山では何度か積雪があったというニュースが流れました。
紅葉もだいぶ進みました。
風の強い日、雨の日には紅葉した葉が舞います。
北海道の秋は一気に深まり、
通り過ぎていきます。
もう我が家では何度かストーブをたきました。
冬も近くなってきました。

2014年10月9日木曜日

6_124 丸山電気石 4:ダイヤモンド

 丸山電気石という新鉱物は、超高圧変成岩で見つかりました。この鉱物は、ダイヤモンドを中に含んでいました。小さな粒で宝石にはできませんが、地質学的には重要な意味をもっていました。その意味を紹介していきましょう。

 これまで、丸山電気石の発見のいきさつや特徴について、いろいろ述べてきました。最後に、この新鉱物の地質学における意味をみていきましょう。
 丸山電気石は、中央アジアのカザフスタンのコクチェタフ超高圧変成帯の岩石から見つかったことを紹介しました。超高圧とはどのような条件でしょうか。ひとつは日本列島のようなプレートの沈み込み帯で、沈み込んだプレートが大地の営みによって持ち上げられると、その岩石は高圧条件で形成された変成岩となります。しかし、その深度は深くても70km程度です。それより深くなると、マグマが形成される場(火成作用)となっていき、変成岩ではなくなります。70kmは、もちろん、それは沈み込み帯での圧力条件ですが。
 今回見つかった丸山電気石は、数百μmほどの大きさで、なおかつ知られている鉱物の中に、ある部分だけが新鉱物であるという、非常に特異な産状をしていました。そして新鉱物には、中に小さいダイヤモンド(マイクロダイヤモンド)が入っていました。それが新鉱物発見のきっかけともなっていました。電気石とダイヤモンドが一緒に産することも。初めての発見でした、
 ダイヤモンドは、宝石として貴重なものですが、地質学的にはその成因が重要視されています。ダイヤモンドは、超高圧の条件でないと形成されない鉱物だからです。その深さは、120kmより深いところだと考えられています。沈み込み帯の変成岩では考えられない深さでもあります。
 今回の超高圧変成岩は、大陸プレート同士の衝突の場で形成されたものと考えられています。大陸プレート同士の衝突のプロセスは、まず大陸プレート(ユーラシアプレート)に海洋プレート(テチス海プレート)が沈み込みんでいました。大陸同士(ユーラシア大陸とインド大陸)が近づいてくると、陸に近いところにたまった大量の堆積物をともなった地層も衝突をはじめます。やがて大陸同士の衝突になります。
 大陸プレート同士の衝突では、もともと厚い大陸地殻がぶつかって重なっていくため、高い山脈が形成されます。さらに、地下でも深くまで大陸の岩石や地層が押し込まれた重なった状態になります。押し込まれる岩石のなかには、大陸プレートの間にあった地層もありました。
 地表や海底でたまった堆積物には、カリウムや炭素や、ホウ素を比較的多く含む部分もあります。これらの成分が今回の電気石(カリウムとホウ素は主成分のひとつ)やダイヤモンド(炭素のみが主成分)の材料となりました。分厚い山脈の岩石と深くまで潜り込んだ岩石によって、大陸プレートの衝突の地下は、超高圧変成作用の場となります。
 時には120kmよりも深いところまで潜り込む岩石もありました。そのような場でダイヤモンドと丸山電気石が形成されたことになります。そして、衝突の場として激しい変動が継続しながらも、大地の営みで、深部の岩石が地表にもたらされたことになります。
 丸山電気石は、地球深部からもたらされた、地下からの手紙でもあるのでしょう。

・タイプ標本・
丸山電気石は、記載された後、
タイプ標本は国立科学博物館に保管されています。
タイプ標本とは、生物の新種記載のときに
用いられていた言葉なのですが
鉱物にも転用されています。
新しい鉱物種を定義するために用いた標本のことで
将来、似た鉱物があったとき、比べるときに
その鉱物の示す基準とする標本のことです。

・秋の深まり・
北海道はここ数日、冷え込んできました。
我が家はストーブを炊くところまではいっていませんが、
気の早いところ、寒がりの家庭では、
ストーブをつけたところもあるかもしれません。
先日の朝も、霜が降りていました。
高山での初雪の便りは9月の中頃にありましたが、
里はまだまだのはずです。
9月下旬までは、暑くて上着もいらない日もありました。
しかし、一気に秋が深まりました。
まだ雪虫の飛び交う姿が見ていないので
早すぎる秋の深まりに間に合っていないのかもしれません。

2014年10月2日木曜日

6_123 丸山電気石 3:人名

 鉱物に人名がつけられることは、よくあります。しかし、そこには一定の条件を満たす必要があります。その条件を満たしたので、丸山電気石という名称がつけられました。それは、どのような条件でしょうか。そして、丸山さんとは、どのような人なのでしょうか。

 丸山電気石という新鉱物は、丸山茂徳さん(東京工業大学地球生命研究所)の名前であることは前に紹介しました。鉱物名に人の名前がつくには、それなりの条件があります。
 人名を鉱物名に付ける場合、発見者の名前を使うことはできません。ですから、発見者と縁(ゆかり)のある人、あるいは恩師の名前をつけることになります。ですから、丸山さんは、この鉱物の発見に何からかのかかわりがあったとこになります。
 このエッセイでは丸山さんを何度かとりあげたことがあると思いますが、いくつもの業績があるのですが、世界で最初にプルームテクトニクスを提唱されたり、日本を中心とした沈み込み帯の解明をしてきました。また、大きな研究者グループを率いて、いくつもの研究プロジェクトを実施させてきました。日本を代表する地質学者でもあります。
 丸山さんは、日本の地質学では、非常にスケールの大きな研究プロジェクである「全地球詩解読」を1995年からスタートさせました。そのプロジェクトは、日本人研究者を中心として、地球史において重要な地質学的地域を、日本人が得意とする詳細な地質調査と年代測定、化学分析などを武器に、世界各地の研究者と協力しながら調査研究するプロジェクトでした。
 その中で、大量の試料を採取することも重要な目的でした。まだ完成していない技術、手法、アイディアができたとき、その研究対象とできる試料を、体系的に大量に入手、整備、保管することは重要だと考えたからでした。その施設として、いくつかの大学や博物館が任にあたりました。
 私がいた博物館は、全地球史解読のプロジェクトと密接な関係があり、資料収集、調査研究、試料保管などに関与していました。そして私もそのメンバーでもありました。
 研究プロジェクトのひとつとして、中央アジアのカザフスタンのコクチェタフ超高圧変成帯も調査対象地となっていました。その研究プロジェクトのリーダーを丸山さんがなされていました。日本研究者からなる調査隊は、1997から1999年にかけて、カザフスタン北部の草原地帯にあるコクチェタフ超高圧変成帯を調べました。その時、約9000個の岩石を採取してきました。
 試料のうち、古生代初期(約5億3000万年前)の岩石を、清水さんや小笠原さんら研究されていて、2005年にこれまでに知られていない鉱物を発見されました。ですから、全地球解読プロジェクトの流れを汲み、実物試料の重要性を把握していた丸山さんの先見の明にちなんで、今回の新鉱物が命名されました。

・お詫び・
毎週木曜日に発行するこのエッセイですが、
今回は校務が多忙につき、
予定通りに発行できませんでした。
お詫び申し上げます。
10年近くおこなってきて、
はじめてのことではないと思います。
発行のことも忘れるほどの多忙だったということです。

・先輩・
丸山さんには、いろいろお世話になりました。
前に所属していた博物館への転職は、
丸山さんのプロジェクトにからんでいました。
私の担当するはずの装置がどにゅうされる予定でした。
それを見越しての博物館への転職でした。
まあ、その後はいろいろありましたが・・・。
その後この大学に転職するにあたっても
丸山さんにお世話になりました。
直接の師弟関係はないのですが、
面倒見のいい、先輩でもあります。

2014年9月25日木曜日

6_122 丸山電気石 2:トルマリン

 電気石の性質を紹介します。電気石は、名前の通りの特徴をもっています。丸山電気石は、通常の電気石からははずれた化学的な特徴をもっています。その異常さが、丸山電気石の起源と結びついているようです。

 今回発見された丸山電気石は、電気石(Tourmalin、トルマリンと呼ばれることもあります)の一種です。トルマリンは、宝石としても利用されていて、10月の誕生石になされています。電気石には、多様な色があるので、かつては色が違うものは別の鉱物だと考えられ、それぞれに名前がつけられていたこともありました。宝石名として今も残っているものもあります。
 そもそも電気石とは変わった名称ですが、実は、その名の通り電気を起こすことができる鉱物なのです。電気石は、温度変化があると、結晶の表面に電気が集まります(表面電荷の分極といいます)。このような性質を、焦電効果といいます。電気石は焦電効果を起こすことから命名されました。
 焦電効果をもっている物質の多くは、圧力をかけても電気が発生(圧電効果)することがあります。電気石もその性質をもっています。このような性質は電気石だけでなく、石英やトパーズ(黄玉)も持っています。ライターやガスコンロの電子着火などで利用されています。
 電気石は、ホウ酸とアルミニウムを含む珪酸塩で、陽イオンとしてアルミニウムの他に鉄とナトリウムを含んでいます。ちなみに典型的な鉱物の化学式(構造式といいます)を示すと、
 NaFe3Al6(BO3)3Si6O18(OH)4
となります。うんざりするような式ですね。
 鉄がマグネシウムに、ナトリウムがカルシウムやリチウムに置き換わった種類の違う電気石もあることが知られていました。元素の交換は、価数が一致しなければならないので、いくつかの元素が一緒になって交換(置換といいます)することもあります。構造式の意味がわかってくれば、それなりの仕組みがあり、元素の置換なども理解できます。ここではややこしいからいいでしょう。
 電気石のグループは、他にもいろいろなところで見つかりますが、花崗岩のマグマが主な起源となります。花崗岩は、大陸の地殻を構成している主要な岩石なので、軽い元素(周期律表の上の方)や、金属やマントルの岩石に入りにくい元素(周期律表の左の方)を含む鉱物が多くなっています。花崗岩は軽い元素からできているため、密度も小さく、地球表層にあるのです。電気石もそのような鉱物の仲間です。つまり、花崗岩や電気石は、大陸地殻の形成の一貫として考える必要があるということです。
 今回見つかった丸山電気石は、通常の電気石とは違いカリウムを含むという特徴があります。アルカリ金属として、電気石にはナトリウムやリチウムが入っているのですが、カリウムが入るのは知られていませんでした。それが今回の発見となりました。ちなみに構造式は、
 KMgAl2Al5Mg(BO3)3Si6O18(OH)3O
となっています。
 カリウムは、リチュウムやナトリウムと同じ電荷数なので、化学的には似た挙動をします。しかし、カリウムは、リチュウムやナトリウムと比べてイオン半径が大きく、同じ場所に入りにくい元素となります。それでも強引に入り込むには、結晶構造が緩やかであるが、圧力がかかった場で強引に入ったになります。今回の丸山電気石は、後者の理由でした。詳細は次回にしましょう。

・正式表記・
このエッセイでは、新鉱物を丸山電気石と表記しています。
しかし、鉱物の和名について、日本鉱物学会では
1955年から、石と鉱以外は片仮名で書くことにしています。
石は非金属光沢を持つ鉱物に、
鉱は金属光沢を持つ鉱物に用いるとしました。
現実は、書かれることが多くなっています。
漢字には、それなりの由来が示されており、
パッと見て意味がつかみやすいからです。
私も古くからの漢字で示された鉱物名が
味があっていいと思います。

・心も持ちよう・
8月から9月にかけて、
毎週のように
どこかに出かけています。
私は野外調査なら、すきで行なっていることなので
体力的に辛らくでも
精神的には解放されるので苦にはなりません。
ところが、校務でいくとなると、
それなりにこなすべき業務もあるので、
なかなか精神的にも疲れます。
そこに体力的な疲労もクワクワるとなかなかきつくなります。
まあ、精神的なものは心の持ちようで
なんとかなるのでしょう。
ですから、気持ちを切り替えたて出かけたいのですが、
そうもいかないのが、問題でもあります。

2014年9月18日木曜日

6_121 丸山電気石 1:新鉱物

 「丸山電気石」という鉱物が、新鉱物として認定されました。この鉱物は、海外で発見されたのですが、日本人の名前がついたものとなりました。発見者も日本人です。この新鉱物をめぐる概要とその意義を紹介していきましょう。

 早稲田大学の清水連太郎さんと小笠原義秀教授により、「丸山電気石」という鉱物が発見されました。小笠原さんたちが申請して、2014年2月に新鉱物として承認されました。
 新鉱物とは、今まで見つかっていない鉱物のことです。新鉱物と認定されるには、それなりの手続きが必要となります。また、「丸山」とは、東京工業大学の丸山茂徳さんのことで、鉱物に人の名前がつくには、それなりの条件があります。その辺りの事情を紹介していきましょう。
 新鉱物は、研究者が今まで調べられていない環境や地域に調査をしたり、新しい分析装置が導入されたりすると、多くの新鉱物が見つかることがあります。
 新しい地域としては、極地の調査や月面探査など、人類が今まで行ったことのない地域の試料が入手できるようになった時などです。新しい装置とは、微小、微量の試料で、新鉱物認定の際に必要な分析データがとれるようなもの開発されることです。微小部の化学組成の分析ではEPMA(電子線微小分析機)、質量分析ではSIMS(二次イオン質量分析機)、X線回折ではμXMD(微小部X線回折装置)などが開発された時、新しい鉱物が多数見つかってきました。
 現在では、かなりの鉱物が知られており、肉眼で見えるような大きな新鉱物は少なくなっています。それでも、定常的に新鉱物が見つかっています。ただし、顕微鏡で見なければならないような小さいものが多くなっています。
 岩石を顕微鏡などで調べていくと、今までその種の岩石や、その地域から見つかっていなかった、見慣れない鉱物の存在に気づくことがあります。単に研究者自身が知らない場合もあります。そんな場合、その鉱物を調べていくと、今まで知られていることがわかります。時には、新鉱物の場合もあります。いずれにしても、注意深く岩石を観察し、諦めることなくその鉱物がどんなものかを詳しく調べていく忍耐と労力が必要になります。
 新鉱物の発見は、それなりの科学的データをそろえて、国際鉱物学連合(IMA)に申請して、承認されるという手続きを踏んでいかなければなりません。必要なデータとしては、鉱物の産状記載、化学組成、結晶構造、物理的特性などで、小笠原さんらはカナダ・マニトバ大学のHawthorne教授らと共同で申請を行いました。そして、承認の結果が、2014年6月、Mineralogical Magazine(鉱物学雑誌)に鉱物の内容が報告され、8月には国際鉱物学連合のホームページでも公開8月にプレス発表がありました。

・空騒ぎ・
以前に書いたことがあったのですが、
私も新鉱物を発見したことがあります。
EPMAで分析しているとき、
ある岩石には通常では考えられてない鉱物が見つかりました。
ケイ素(Si)が多く、酸化物ではない組成でした。
SiCという鉱物が候補として考えられました。
玄武岩ではそんな鉱物が存在するはずがありません。
でも、現実にその可能性がありました。
研究所で私が騒いだので、ある人が答えを出してくれました。
それは、研磨剤だというものでした。
岩石を磨く時に使うもので
「カーボランダム」として知られていました。
まあ、空騒ぎで終わりました。

・秋・
北海道は急に秋めいてきました。
晴れると温かいのですが、
曇っていて風でもあると、肌ざむく
上着やヤッケがないと過ごせないほどの気温となりました。
9月も下旬になろうとしてます。
そろそろ紅葉がはじまる季節となりました。

2014年9月11日木曜日

1_134 ファーストスターの痕跡 3:巨大ブラックホール

 モンスター星は、予想を遥かに超える質量をもっていた可能性があります。モンスター星は、巨大ブラックホールになって終わります。このシナリオは、今まで謎とされていた、銀河の中心にある巨大ブラックホール誕生の答えになるかもしれません。

 シミュレーションによるとファーストスターは、太陽質量の40倍程度のものができることが判明してきて、実際の観測とも一致しました。ところが、さらにシミュレーションを詳しくおこなっていくと、ファーストスターの中には、太陽の質量の100倍を超えるような、巨大天体もできることがわかってきました。もちろん、そのようなモンスター星が観測されたこともありませんし、その痕跡も見つかっていませんでした。
 そもそも、星の質量の違いをどう検証するかが問題となります。そこで星の化学組成が重要や役割を果たすことになります。
 太陽質量の40倍の天体では、カルシウムなどより重い元素はほとんと合成されません。ですから、見つかっている第二世代にあたる星は、炭素、マグネシウム、カルシウムを含みますが、鉄はほとんど含んでいませんでした。
 太陽の質量の100倍を超えるようなモンスター星では、星の中や超新星爆発で、カルシウムよりもっと重い元素が合成されて、飛び散ることがわかってきました。シミュレーションでは、そのような天体が存在しうることはわかったのですが、観測ではまだ見つかっていませんでした。
 モンスター星があったのではないかという予想のもと、150個ほどの星の探査がなされました。狙いは地小さいな質量の星、つまり古い星から、モンスター星の痕跡を見つけることです。探査で、調べられた多数の古い星の中から、1つだけ特異なものが見つかりました。それが、青木さんたちが発見した「SDSS J0018-0939」でした。
 鉄が太陽の1/300程度で、炭素やマグネシウムも1/1000以下でした。鉄が比較的多く、その他の元素が非常に少ないことが特徴でした。このような鉄は、太陽の100倍以上の巨大な質量のファーストスターでの元素合成に由来したと推定されます。つまり、シミュレーションで予測されたモンスター星です。
 ただし、問題もありました。それは、鉄のような重い元素を生み出せるようなモンスター星は、質量が300倍、時には1000倍の天体になります。ですからモンスター星の最後は、巨大なブラックホールになる可能性があります。巨大ブラックホールから、元素が大量に放出できるのか、という問題があります。一部の物質が放出される可能性もあるようですが、まだ十分解明されていません。
 今回の発見によって、もしモンスター星で合成された元素による「第二世代の星」だということが確定すると、有利なことがあります。ファーストスターの中でも巨大な質量をもった星は、最終的に巨大ブラックホールとなっていきます。巨大ブラックホールは、現在の銀河の中心に見つかるようなサイズだと予想されます。今まで銀河の巨大ブラックホールの起源はわかっていなかったのですが、その答えを示したことになるかもしれません。
 ただし、ファーストスターにどの程度の頻度でモンスター星ができるのか。その量は銀河の巨大ブラックホールの数(銀河の数)に匹敵するものなのか。さまざまな疑問は湧いてきます。でも、いろいろと想像を掻き立てる報告でした。

・予約発行・
昨日まで調査にでていました。
そのため、この一連のエッセイは、
事前に用意して書いてあったものを、
予約発行していたものです。
旅先でもネットに接続は可能なのですが、
安定した接続をできるかどうかは不明です。
ですから、調査に出る前にはいつも予約発行しています。
帰ってきてからでは、発行は間に合わないので
すべてを準備して、心置きなく調査に向かいました。

・そんな境遇に・
夏休みは私にとっては、全くありませんでした。
校務と研究に勤しんでいるということで
充実した夏ということでしょうか。
出かけることが多かったので、
気分転換にはなったのですが、
体力的にはつらいものがあります。
しかし、そんな境遇になる時期というものでしょう。
なんとかのり切らねばなりませんね

2014年9月4日木曜日

1_133 ファーストスターの痕跡 2:自己抑制

 ビックバン直後には、巨大が質量をもつ星ができると思われていたのですが、シミュレーションをしてみると、それほど大きなものにならなかったことがわかってきました。その時に働くのが、自己抑制と呼ばれているものです。

 ビックバンによってできた最初の元素は、水素とヘリウムだけなので、ファーストスターは、水素とヘリウムだけで形成されていたはずです。質量も大きかったはずで、太陽の質量の数百倍はあったモンスター星だと考えられていました。
 ところが、こんな大きな天体は、現在の宇宙にはみられないものです。ファーストスターがモンスター星だという根拠はありませんでした。さらに、そのような予想と観測とは一致していないという矛盾もありました。前に紹介したような第二世代にあたるような古い天体の化学組成がわかってきたのですが、そこから予想される第一世代の星とは、一致しませんでした。
 その不一致に対して、2011年に京都大学の細川隆史さんたちが、シミュレーションをしたところ、面白いことがいくつかわかってきました。
 細川さんたちのシミュレーションによると、ファーストスターは、ビックバンの3億年くらいあとから形成されてきます。最初は太陽質量の1/100くらいの星の種(原始星)からはじまるのですが、周りにある大量のガスが星に集まってきます。そのまま成長していくと、当初の予想のような太陽の数100倍のモンスター星になるはずなのですが、太陽の20倍くらいの大きさになると、星は激しく輝きだします。そして、太陽の10万倍くらの明るさになります。
 非常に明るい輝きが、周りのガスの集まることを妨げてます。輝きが星の成長にブレーキをかけるのです。細川さんたちは、星が成長するまでの10万年くらいをシミュレーションしてみると、星は多数できるのですが、最終的に太陽質量の40倍くらいの星が残ることがわかってきました。
 このようなメカニズムを、細川さんたちは、「成長の自己抑制機構」が働いたと考えています。この自己抑制の機構によって、モンスター星には至らないことがわかったのです。
 太陽の質量の40倍の天体では、星の内部の核融合やその後の超新星爆発では、炭素、マグネシウム、カルシウムなどの元素が合成されます。鉄のよう重い元素はほとんどできません。そのような条件に相当する天体が、前に「1_130 宇宙の年齢 3:最古の天体」(2014.08.14発行)で紹介した天体でした。そのような天体が、いくつか見つかっていました。
 細川さんたちのシミュレーションによって、観測と理論が一致しました。これで話が終わればよかったのですが、そうはならなかったのです。それが今回紹介している報告へとつながります。

・調査目的・
このエッセイが発行される頃には、
四国に調査にでています。
今回は、高知県の西部を調査しています。
以前でかけたところを、再調査してます。
主たる目的は、専門的になりますが、
 層状チャートの観察
 タービダイト層の構造の計測
 付加体中の序列外スラストの観察
です。
中でも層状チャートは主たる目的になりますので、
少々厳しいルートになりますが、
頑張っていこうと考えています。
可能であれば、日を改めて2度、
たどり着きたいと思っています。
期間が限られていますので、
どこまできるかは不明ですが。

・振り子列車・
北海道各地を巡っています。
列車で北海道をめぐっていると、
北海道の広さを痛感させられます。
身体自体は動かさないのですが、
腰が痛くなり、体がだるくなります。
特に列車だと振り子列車がだめです。
私は、列車にはほとんど寄ったことがないのですが、
振り子列車だけは、長時間乗っていると気持ちが悪くなります。
他にも同じことをいう人が何人もいますので
私だけの理由ではないようです。
どうも振り子の揺れが三半規管を狂わせるようです。

2014年8月28日木曜日

1_132 ファーストスターの痕跡 1:モンスター星

 前回までの「宇宙の年齢」の話をしているとき、最古の星の話題も扱いました。そんな矢先、「ファーストスター」の痕跡の発見というニュースが入ってきました。「地球の歴史」が連続してしまいますが、「ファーストスター」の痕跡について紹介していきましょう。

 前回のエッセイで、「宇宙の年齢」のシリーズは終りました。ところが、終わった直後の8月22日に、このシリーズに関係するニュースが飛び込んできました。そのニュースとは、私たちの銀河の中に「第一世代の星」が見つかったというものです。「第一世代の星」は最初の星のことで、ここではファーストスターと呼ぶことにします。
 国立天文台の青木和光さんたちのグループが、8月21日付のサイエンス誌に報告したものです。この論文がプレス解禁になり、ニュースとなったのです。論文の内容を少し詳しく紹介したいと思います
 前に種族IIの星には、形成年代の古いものがあり、そのうちの一つが「最古の星」であったことを紹介ました(1_130 宇宙の年齢 3:最古の天体 2014.08.14発行)。ファーストスターの根拠は、星からの光を分析してえられる化学組成のデータでした。今回のファーストスターも、同じ方法による化学組成に基づくものでした。
 この報告で注意すべき点がいくつかあります。論文のタイトルは、
 "A chemical signature of first-generation very-massive stars"
 「第一世代の大質量の星の化学的痕跡」
というものですが、ファーストスターを発見したのではなく、「化学的痕跡」を発見したということです。また、大質量ということにどんな意味があるのでしょうか。そのような点に着目して、少々ややこしい話になりますが、できるだけわかりやすく説明していきましょう。
 この観測は、日本が誇るハワイにあるすばる望遠鏡を用いておこなわれました。今回の発見は、「SDSS J0018-0939」と呼ばれる星で、地球から1000光年ほどの距離にあります。ただし、太陽質量の半分程度という非常に小さな質量しかありませんでした。わざわざ小さい星が調べられたのには、それなりの訳がありました。
 星の寿命は、星の質量に反比例するからです。つまり、小さい質量の星ほど寿命がく、質量が大きい星ほど寿命が短いということがわかっています。ですから、小さい質量の星の中には、ファーストスターの痕跡をもった星があるかもしれません。
 そんな背景から、青木さんたちは、小さい質量の星を狙って観測を続けていました。ただし、ファーストスターを狙っていたわけではありません。狙っていたのはファーストスターの痕跡でした。これが、少々ややこしいところです。
 そもそもファーストスターとは、どのよう星だったのでしょうか。
 ビックバンの直後にできたファーストスターは、宇宙の大きさは今よりずっと小さかったときにできました。材料は近くに大量にあったので、星は大きな質量を持っていたはずです。それは、太陽の数百倍の質量を持っていた「モンスター星」ではないかと予想されていました。
 ところが、どうもそうでないことがわかってきました。それは別のグループの研究になるのですが、次回としましょう。

・帯広へ・
8月下旬から9月上旬にかけての
校務による出張が続きます。
体調を壊さないように注意が必要です。
このメールマガジンの発行日には
校務で帯広に出ています。
日帰りで往復します。
帯広は特急列車で2時間余りでいけるところなので
近い気がします。
まあ、往復となる疲れるのですが、
気分転換と思いましょう。

・北見へ・
先週末は、校務で旭川から北見に行きました。
少々雨に降られたのですが、
移動中に雨が降ったのですが、
肝心の用事のときは、雨には降られずに
なんとか校務がこなせました。
北見は何度か来たことがあるのですが、
今回は、久しぶりの訪問となりました。
有名なオホーツクビールの店にいったのですが、
団体の予約があり満席で、
残念ながら味わうことができませんでした。
北見はかつて薄荷(ハッカ)で有名でした。
しかし、今ではほとんどつくられていません。
その辺の事情は、北見ハッカ記念館で知ることができました。
他にも、薄荷蒸溜所とハーブ園をみることできました。
薄荷の花が咲き始めていました。

2014年8月21日木曜日

1_131 宇宙の年齢 4:宇宙背景放射

 宇宙の年齢が、昨年から137億年から138億年になりました。その理由は、用いたデータが、WMAPからPlanckに変わったためです。年齢が変わったというより、精度が上がったためでした。

 前回は、古い天体の年代から宇宙の年齢の下限を決める方法のうち、最新の情報を紹介しました。次に、宇宙の年齢を直接推定するために、観測と理論を結びつける方法を紹介します。
 前に紹介したように、宇宙を構成する物質やエネルギーなどの組成を割り出して、そこから宇宙の膨張率を求めれば、宇宙の年齢をかなり正確に見積もることができます。宇宙の組成を正確に求める方法として、宇宙(マイクロ波)背景放射を観測する方法があります。
 マイクロ波とは、電子レンジで使用されているもので、水分に吸収されやすい性質があります。大気中には水蒸気があるのため、宇宙から届くマイクロ波は地上から観測しづらくなっています。そのため、衛星を打ち上げて、地球の大気の影響を受けないところで観測する方法がとられています。今まで、3度におよぶ衛星観測がなされていきました。
 最初は、COBE(Cosmic Background Explorer)という衛星による1989年から1996年にかけての観測でした。宇宙背景放射と均質性と不均質性(むら)を正確に測定することが目的でした。背景放射の温度である2.73度(絶対温度)の波長(マイクロ波)で測定されました。宇宙は大局的には非常に均質でありながらも、10万分の1のむらがあることがわかりました。この結果によって、ビックバン理論の根拠(均質さ)を示すとともに、ビックバンの様子(むら)を知ることにもつながりました。
 2001年6月打ち上げられたWMAP(Wilkinson Microwave Anisotropy Probe)衛星は、2010年8月まで観測をおこないました。WMAPは、COBEより位置の分解能と感度を上げました。位置の分解能とはより狭い範囲を精度よくはかることで、感度とはより測定精度(有効桁数)を上げて測定することでした。WMAPによって、それまでの宇宙の基本的なデータが、いろいろと書き換えられました。
 宇宙の組成が、バリオン(見えている物質)が4%、ダークマターが23%、ダークエネルギーが73%となり、ハッブル定数(71±4km/s/Mpc)も正確きめられ、宇宙の年齢が137±2億年となりました。この137億年という値が、宇宙の年齢として、広がりました。ただし、±2億年という誤差がつくことなく、137億年がひとり歩きしていきました。
 3機目にあたるPlanck衛星が、2009年5月に打ち上げられ、2013年10月に運用が終了しました。Planck衛星は、宇宙背景放射をより高感度、高分解能で観測するためでした。その結果が、2013年3月21日に公開されました。
 宇宙の組成は、バリオンが4.9%、ダークマターが26.8%、ダークエネルギーが68.3%となりました。そして、ハッブル定数は67.15±1.2km/s/Mpcとなり、宇宙年齢は137.98±0.37億年となりました。これが宇宙の年齢の138億年の根拠となります。
 WMAPと比べるPlanckのデータは、数値としてはほんの少しの変化しか与えませんでした。しかし、その精度は、2桁よくなりました。そしてCOBEやWMAPのデータをより強固なものにし、より高精度になりました。
 今後も観測は続くでしょうが、これらの値は、より下の桁での変動はあるでしょうが、確定されたといえるでしょう。宇宙の年齢も、2013年にだされた138億年で確定となりました。これからは138億年という年齢を研究者が使い、メディアでこの数値が使われるようになります。しばらくすると、この138億年が宇宙の年齢として定着していくでしょう。

・盛夏が終わる・
北海道は涼しくなりだしました。
朝夕は半袖では少々肌寒くなりました。
夜はもちろん窓を閉めきって寝ています。
これからしばらく、雪の降るまでが、
過ごしやすい快適な時期となります。
ただし、私は、後期のはじまる9月下旬まで
毎週末や不定期に雑多な校務があります。
9月になれば1週間だけ調査にでれます。
それだけを楽しみに過ごします。

・人間ドック・
このメールマガジンが発行される日に
私は、人間ドックにいきます。
毎年恒例で、家内とともに1日の人間ドックを受けます。
午後に問診や栄養指導があるのですが、
検診自体は午前中に終わります。
検査後は、所用を済ませて帰るだけとなります。
その所用がいろいろあって少々面倒なのですが。
しかし、人間ドックも私にとっては
休養の一日となります。

2014年8月7日木曜日

1_129 宇宙の年齢 2:膨張を探る

 宇宙の年齢を探るためには、ビックバン理論に基づき、観測から膨張の様子を正確に知ることが重要になります。しかし、そこには、まだ見つかっていない物質やエネルギーがあることがわかってきました。

 宇宙の年齢を観測から探る方法として、古い天体を観測して年齢の下限を求める方法がありました。この方法も観測技術が進んで、かなりいいところまではいっていますが、原則的には宇宙の年齢は求めることはできません。限定することと決定することは違います。
 一方、理論では、ビックバンのモデルに基づいて推定するものがありました。理論なので、概数しか求めることができません。正確に求めるには、観測との融合が必要です。理論と観測が融合したハッブルが行なった観測手法をより高精度におこなわれています。
 その原理は、ビックバン理論にもとづき、膨張の様子を観測でとらえ、計算により年齢を求めるというものです。宇宙は、ビックバンの時の勢いのまま、現在も膨張しているはずだと考えられていました。宇宙の膨張の様子を正確に観測すれば、その勢いから大きさゼロの状態に遡れば、宇宙の年齢が計算できるというものです。現在の膨張の観測から、理論に基づき、始まりの時を求めることになります。このとき、宇宙の年齢の決め手になるのが、ハップル定数です。
 宇宙が一様に膨張しているとすれると、ハッブル定数から、宇宙の年齢が簡単にもとめられると考えられていました。ところが、宇宙の膨張がビックバンの時に比べて減速しているのか、加速しているのかによって、宇宙の年齢の見積もりにおおきなズレが生じます。
 その決め手になるのが、宇宙の物質密度と膨張に関するエネルギーです。宇宙の物質密度とは、宇宙に存在する物質の量によって決まり、宇宙が縮もうとする力、膨張を減速させる力になります。宇宙に物質が多ければ、万有引力によって、宇宙は縮もうとする力が働きます。ですから、宇宙にどの程度の物質があるかによって、現在の膨張からいつ収縮に転換するかが変わってきます。もし、物質量が少なければ、膨張を止めることができないかもしれません。物質量を知ることが重要になります。
 これが、なかなかやっかいで、まだ不明な部分があります。
 私たちが知っている、あるいは見ている物質は、バリオンとよばれる素粒子で構成されています。バリオンが占めている比率は、宇宙全体の物質とエネルギーの全量のうち、約5%程度に過ぎないことがわかってきました。
 見える物質以外にも、見えない物質(ダークマター、暗黒物質などと呼ばれています)が、27%ほどあることがわかってきました。なんと宇宙は、見えている物質より、見えない物質の方が、5倍以上もあることになります。この両者が宇宙の膨張を減速させる働きがあります。このダークマターの量を決定することが宇宙の年齢を決める決め手だと考えられていました。ダークマターの実体はまだよくわかっていません。
 すでに気づかれていると思いますが、バリオンとダークマターを合わせて32%にしかなりません。他の70%ほどは何かというと、見えないエネルギー(ダークエネルギーと呼ばれています)だとされています。かつては、このような存在は知られていませんでした。ですから、宇宙の年齢を決めるには、バリオン以外のダークマター探しが重要だと考えらていました。ところが、このダークエネルギーは、宇宙の膨張を加速する働きがあります。ダークエネルギーを考慮しなければ、宇宙の年齢が求められないことになりました。
 宇宙の膨張を減速させるバリオンとダークマター、そして加速させるダークエネルギーから、宇宙は構成されていることになります。非常にやっかいな存在です。宇宙の膨張の様子だけでなく、宇宙の物質とエネルギーの比率、そしてそれらが膨張に与える効果がわからなければ、宇宙の年齢が正確に決めることができません。また、比率が分かったとして、それぞれの膨張に与える効果が、どれほどかを知らなければ、宇宙の年齢を決定するパラメーターが得られないということになります。
 それを決定するために、いくつかの重要な観測がなされました。それは次回としましょう。

・高湿度・
北海道は8月になり、
遅い台風のせいで蒸し暑い天気が続いています。
台風の影響で北海道では前線がずっとかかり、
湿度の高い、梅雨のような天気となっています。
本州などの梅雨と比べると
気温はそれほど高くはないのでしょうが、
北海道人にはこの蒸し暑さが堪えます。
エアコンのない生活なので、
暑さにはじっと耐えるしかありません。
まあ、夜は比較的気温も下がるので
なんとか寝れるので、暑いのですが
体力的は持っているのですが、
校務が次々とあるのでなかなか大変です。

・コツコツと・
大学は定期試験も終わり、
学生たちは夏休みに入ります。
教員は、採点、集計、入力があります。
また4年生の卒業研究へと対応など
なかなか気の休まる時が来ません。
お盆があければ、少しだけ休めそうですが、
その後は、また校務が目白押しです。
忙しいことに愚痴をいっても楽にはなりません。
自分に与えられた空き時間の中で、
すべきことをコツコツとこなすしかありませんね。

2014年7月31日木曜日

1_128 宇宙の年齢 1:求め方

 宇宙の年齢は、138億年という数字が使われているのですが、ちょっと前ままでは137億年で、もう少し前は150億でした。このような数値はなぜかわってきたのでしょうか。その経緯を探っていきましょう。

 宇宙の年齢は、かつては100億年程度、その後約150億年といわれていました。いつの頃から137億年という数値にかわり、そして少し前から138億年となってきました。宇宙の年齢が変わることはないはずなので、求めている人間側の事情で変わってきたはずです。宇宙の年齢は、どのようにして求め、なぜ変わってきたのでしょうか。
 宇宙の創生時にできた物質が手に入れば、年代測定が可能でしょう。ところが、私たちは太陽系という46億年前にできたところに住んでいます。太陽系も宇宙にある材料でできたものですが、その材料はもっと新しい時代に完全にブレンドされ、年代も書き換えられたものでした。したがって、宇宙創世の材料は、地球や太陽系にいる限り手には入りません。通常の年代測定とは違った方法、考え方で、宇宙の年齢を決めなければならないようです。
 宇宙の年齢を推定するのには、いくつかのアプローチがあります。理論的に決める方法、観測によって決める方法があります。最近では、両者の方法を連携させながら、年齢が決められています。
 観測の一番単純な方法として、宇宙の天体で一番古いものを探すことです。一番古い天体より、宇宙の形成は古くなければならないという単純な理屈に基づくものです。つまり、古い天体を観測することによって、宇宙の年齢の下限を決めるというものでした。
 この方法も、以前は数値に矛盾がありました。一番古い天体の年代より、他の方法で推定された宇宙の年齢の方が若いという、逆転現象があったのです。その後この矛盾は、観測の誤差や見積もった定数がずれていたりということが原因であることがわかり、修正されています。
 望遠鏡の性能向上や観測する電磁波(波長)の広がり、観測手法の革新などにより、遠くの古い天体が観測されるようになってきました。その結果、天体の年齢が精密に測定されながら、下限が下がっていったのです。
 理論的アプローチとしては、ビックバンのモデルに基づくことになります。宇宙がビックバンによって始まり、それ以降膨張しているというモデルです。宇宙の膨張は、ハッブルが観測して以来、いくつかの根拠もあり、多くの人に受け入れられています。
 宇宙の膨張率は、ハッブル定数で定められます。ハッブル定数を用いると膨張がゼロ、あるいは時間がゼロが宇宙の始まりとなり、ハッブル定数から、宇宙の年齢が求められます。今ではハッブル定数は、かなり正確にわかっています。膨張の様子をより正確に遡る方法もわかり、ハッブル定数と宇宙のエネルギー密度、物質とエネルギーの組成から、宇宙の年齢をより正確に推定することができるようになってきました。これは観測と理論の融合となります。
 もうひとつ、宇宙の背景放射と呼ばれるものの観測から、宇宙の年代を求める方法があります。これは、宇宙の膨張の様子と組成を解き明かすことにもなるものですが、次回としましょう。

・4年生の夏休み・
北海道も夏らしい日々が続いています。
日が昇るとセミが激しく鳴き出し、
暑さを演出しています。
午後は暑さが増し、
西向きの研究室は耐えられないほどの気温になります。
卒業研究の目次作りに4年生との面談を
毎日何人とおこなっています。
少しずつ進行しています。
OKとなった人は、なにをすべきか理解して、
それを目次として構成できたことになります。
4年生の夏休みはそれができてからです。

・暑さによる迷い・
年々、夏休みが短く感じます。
以前は、8月下旬から
夏休みをとれた気がしたのですが、
最近は野外調査にでるにも
校務の隙間をぬっていくような気がします。
研究条件も過酷になってきました。
研究は、自分のアイデンティティにかかわるものなので
なにがあっても継続しなければなりません。
そのためには気力が必要なのですが、
それも校務で削がれていきます。
そんなとき、何のために私はここにいるのか
という気分が湧いてきます。
まあ、これも暑さによる心の迷いだと思いますが。

2014年7月24日木曜日

4_115 室戸岬2014 3:枕状溶岩

 室戸岬周辺には、タイプの違うマグマ活動があります。その一つが枕状の形状をした、日沖の火山岩です。周辺のマグマの活動が、解明されているわけではありませんが、少しずつ関係が解き明かされています。

 室戸岬には、付加体でありながら、マグマの活動を起こり、斑れい岩という深成岩ができていることを、前回紹介しました。室戸付近では、他のところでも、マグマの活動を見ることができます。
 室戸岬を東へ周り、徳島方向にすこし向かうと、日沖(ひおき)という小さな港があります。その港の位置は、少々わかりにくく、狭い道ですが、室戸ジオパークのサイトの一つになっています。
 日沖は、防波堤のコンクリートに囲まれた小さな港です。海岸でも見ることができますが、そのコンクリートの上を歩いて行くと、不思議な形の岩を見ることができます。波や風がある日は、少々注意が必要ですが、その不思議な形をした岩は、ついついもっと近寄って眺めてみたくなる存在です。
 丸い形をした岩が、いくつも積み重なっています。港の周辺の磯は、この不思議な岩が含まれています。枕状溶岩と呼ばれています。
 マグマが海底で噴出すると、海水に触れた部分は、すぐに固まってしまいます。外が固まっても、内側ではまだマグマのままで、しかもマグマはあとからも流れてきています。すると、固まった岩石の表面が破れて、マグマが海水中に噴出します。それもすぐ固まるのですが、割れ目から流れでた溶岩は、まるで練り歯磨きをチューブから押し出したように、細長い丸い枕のようになって、固まりながらも、次々とでてきます。これが繰り返されると枕状溶岩ができます。
 日沖周辺には、枕状溶岩と似たマグマの活動による火山岩類があります。貫入岩であるドレライトや火山砕屑岩などがあります。それらの関係は、近年明らかにされてきました。
 海洋地殻は、海嶺でのマグマによって形成されたものです。上部は海底の火山活動で、枕状溶岩からできます。日沖の枕状溶岩も同じような見かけの岩石です。ところが、この枕状溶岩は、海洋地殻の火山活動で形成されたものではなく、海溝付近の付加体の中で活動したマグマによってできたとされています。
 日沖の枕状溶岩と室戸岬の斑れい岩との関係は証明されていませんが、室戸岬の斑れい岩が付加体の堆積岩を貫いたのが海溝付近であったのと似ています。いずれも、列島の付加体の中でおこった不思議なマグマの活動となります。
 詳細は別の機会にしますが、フィリピン海プレートを形成した海嶺が、日本列島に潜り込んだ活動に起因しているものではないかと考えられています。これはプレートテクトニクスという大規模な活動なので、広域に起こった可能性があります。南紀の潮岬、足摺岬にも、付加体の中でマグマの活動が起こっているます。ただし、マグマの性質が少々違っているので、話はますます複雑なのですが。

・夏休み・
いよいよ、小・中学校は夏休みになりました。
大学は、まだ講義の最中のところが多いと思います。
我が大学も、来週はじめまで講義があり、
その後、前期の定期試験があります。
さらに、追・再試がその後にあります。
ですから、大学の夏休みは、8月のお盆前からとなります。
お盆明けには、前期の成績の提出が待っています。
教員は、それまでに採点をしなければなりません。
北海道とはいえ、一番暑い時期に試験や採点という
集中力を使わなければなりません。
学生も教員も大変です。

・熟睡・
北海道も夏らし天気が続いています。
乾燥しているので、過ごしやすいので助かっています。
夜は、窓を閉めなければ寒いほどです。
先日の蒸し暑い夏の日に、母が我が家に来ました。
北海道でも暑いだろうといったのですが、
京都から来た母は、そんなに暑くないといいます。
京都はもっと蒸し暑かったと、いっています。
京都の夏の暑さから開放されて、
ぐっすりと眠れているようです。

2014年7月17日木曜日

4_114 室戸岬2014 2:斑れい岩

 室戸岬のジオパークの面白さは、不思議な岩石がいろいろ見られることです。海岸沿いのきれいな露頭で、だれでも手軽に見ることができます。そんなポイントとして、不思議な斑れい岩があります。

 室戸岬では、付加体の典型的なタービダイトによる地層やその褶曲が見事さでもあるのですが、一番のメリットは、それが簡単に見られることです。タービダイト以外にも、まだまだ見どころがあります。その一つに、不思議なマグマの活動があります。
 海洋地殻が海嶺で形成されるとき、海底での火山活動、さらに下部にはマグマ溜まりがあり、深成岩や沈積岩などの多様な火成岩が形成されます。付加体には、そのうち海洋地殻上部にあたる火山岩の部分が、巻き込まれることがよくあります。
 火山岩より深部の火成岩が、付加体の中に持ち上げられることもあるのですが、そのようなものはオフィオライトと呼ばれます。付加体のオフィオライトは、沈み込む時に地質学的に激しい運動をして、断層として周りの岩石と接することになります。
 通常のマグマの活動では、地下のマグマが上昇した時、上のあった地層などとマグマが接することになります。そんなとき、マグマは冷たい岩石に接して、急冷して火山岩のように固まります。ただし、いったん急冷した岩石ができる、岩石は断熱性がいいので、内側のマグマはゆっくりと冷えていきます。このようにマグマが外の岩石に接したところだけが急に冷えた組織を「急冷縁」とよびます。マグマが、地層に貫入すると、境界部に急冷縁ができるのです。
 付加体のタービダイトによる地層は、沈み込み帯の陸側にたまります。一方、海嶺のマグマの活動場は、海洋プレートが形成されるところですから、ずっと遠くの海底ということになります。付加体では、陸のものと海のものが、激しい大地の営みが起こり、断層活動も盛んになります。ですから、生成場は全く違う火成岩とタービダイトの地層が断層で接していても、不思議なことではありません。
 ところが、室戸岬では、斑れい岩(深成岩)がタービダイトの地層の中に貫入しているのようすが、観察できます。斑れい岩が急冷縁をもっているのです。また、貫入されたタービダイトの地層は、マグマの熱に焼かれて変成岩(フォルンフェルスと呼ばれます)になっています。これは、なにを意味するのでしょうか。
 考えられることは、この斑れい岩のマグマは、タービダイトが形成されている場で活動して、貫入したということです。そこは、沈み込み帯の陸側になります。この活動は、海洋地殻やタービダイトの形成より、ずっと新しい時代のものであるはずです。
 斑れい岩から派生した火成岩(グラノファイヤーと呼ばれる岩石)の形成年代は、1440万年前(中期中新世)で、斑レイ岩もほぼ同じ年代にできたと考えられます。この年代は、まわりの地層の年代(前期中新世)より新しいものです。
 この室戸岬の斑れい岩は、非常に不思議な火成活動です。今までのプレートテクトニクスでは理解されにくいものです。でも事実ですから、認めるしかありません。室戸岬の斑れい岩は、海溝付近のマグマ活動でできたものです。
 問題は、今までのプレートテクトニクスの枠組みで、どのように考えるかということです。特別な仕組みですが、しばしばある活動でもあるようです。それは、別の機会にしましょう。

・台風一過・
北海道は台風の影響で少し雨が振り、
風も強まりましたが、
大きな被害はありませんでした。
その後は、風が少し残りましたが、
通常の夏空が広がりました。
いよいよ夏も盛りとなります。
皆さんも暑さには注意して下さい。
今週は1週間ほど母が来ています。
子どもの学園祭を見にいきます。
チャンスは今年と来年くらいしかなので、
なんとか見てほしいものです。
北海道が暑くなければいいのですが。

・緊急地震速報・
先日はじめて緊急地震速報を受信しました。
私のスマホと家内の携帯が次々との騒がしアラームがなり
緊急地震速報を伝えました。
家内は煮炊きの火をとめて、
私は、テーブルの下に入り、
テレビをニュースにしました。
緊急ニュースはながれ、苫小牧沖での地震だったようですが、
我が家はほほとんど揺れませんでした。
はじめての緊急地震速報でしたが
防災や避難のいい経験となりました。

2014年7月10日木曜日

4_113 室戸岬2014 1:先端の地層

 四国の南東の先端に室戸岬があります。ここは、海と陸が接するところです。そして、その陸は、昔の海のものでした。室戸岬は、海と陸、現在と過去が複雑に交わるところなのかもしれません。

 室戸岬は、四国の南東で太平洋に突き出た岬で、高知県室戸市になります。国道55号線脇にあります。国道55号は、四国のお遍路の道でもあり、室戸岬に背後の山には、24番札所の最御崎寺もあります。お遍路さんも観光客も、一本道国道を、海岸線にそって長々と進むことになります。
 室戸岬には何度かいっていますが、地質学の見どころがいくつもあり、なかなか見飽きないところです。室戸は、2011年には「世界ジオパーク」に加盟が認められています。そのため、地質の見学するためのサインや資料が充実しています。岬の海岸沿いの遊歩道には、いくつもの地質サイトがあるのですが、今回は岬の先端にある「互層」をみれるサイトを紹介しましょう。
 互層とは、砂岩と泥岩が繰り返している地層のことです。砂岩は白っぽく、泥岩は黒っぽい岩石で、それらが繰り返して重なっている、モノトーンの岩石です。砂岩は風化侵食に強いので出っぱり、泥岩は弱いので窪みます。この侵食への強弱が岩石の凹凸を生みます。
 さらに、大地の営みが互層に意匠に満ちた褶曲構造を与えます。
 室戸岬の最先端には曲がりくねった互層が見どころです。乱れた地層は、モダンアートのような天に突き出た形、座布団を重ねたような面白い形、硬い石なのに地層の中で砂岩がちぎれたり、変形したりし、様々な互層の形態を見ることができます。自然の不思議な造形の展示場のようになっています。
 このような地層の乱れは、地層が地下から地上に上がるときにできたものではなく、地下で醸造されたものです。
 もともと互層は、陸から運ばれた土砂が、タービダイトという海底の土石流のような流れで海底でたまってできたものです。タービダイトは、きれいな砂岩と泥岩の互層となります。しかし、そこで形成される互層は整然と平らに堆積した地層となります。それが室戸岬でみられるように乱れるには、それなりの理由があります。地層が列島に押し付けられたためです。
 四国沖には、フィリピン海プレートが沈み込んでいる南海トラフがあります。このトラフはゆるい傾斜の海溝のことで、海洋プレートと列島のプレートが衝突しているところです。海洋プレートはトラフに沈み込み、列島側のプレートは押され引きらずれるような場となります。
 陸からトラフまででたまった互層となっている地層も、もちろん、その影響を受けます。浅いところではそのまま陸に持ち上げられる地層もあるのですが、引きずれ込まれる地層もあります。
 引きずり込まれる度合いにより、地層は少し乱れたものから、グチャグチャになっていものもあります。グチャグチャになったものはメランジュとよばれています。メランジュでは、起源の違うさまざまな石が混在し、もともとの地層や岩石の構造も残っていないほど乱れます。
 室戸の別のところでは、整然と重なった地層が見られるとこもあります。ただし、室戸岬の地層は、少々、乱れた互層です。それが自然の妙を醸し出しているのです。

・暑い夏に・
北海道は夏がきました。
暑い日もありますが、清々しい日もあります。
私は、校務と原稿締め切りが忙しく
ばたばたして落ち着きません。
締め切りがあるのものが優先ですが、
校務もつぎつぎと来るので、
なかなか頭をじっくりと使っている時間がありません。
それでも、すべきことはあります。
やりたいことがあります。
それが、自分の存在証明にもなるのです。

・大変さの数・
いよいよ大学の前期の講義も
終盤になってきました。
この頃になると講義に関しては
だいぶ精神的に負担が軽くなります。
テスト作成、レポートやテスト採点、評価などが
夏休み直前、直後につぎつぎと訪れます。
学生たちも、テストや採用試験の結果なども
気にはなって落ち着かないでしょう。
いずこも大変さを数えあげれば、
キリがない、センがないことなのでしょうね。

2014年7月3日木曜日

3_132 ダイヤモンド 5:仮説

 いよいよオフィオライトの中のダイヤモンドが、どうしてできたかについてです。いろいろと重要な事実はわかってきました。まだ定説はありません。現段階では仮説になりますが、できかたについても考え方を紹介しましょう。

 さて、シリーズの最後になりました。いよいよオフィオライトのダイヤモンドが、どのようにしてできたかの謎解きです。定説はまだないので、報告の中心人物であるヤン(J.-S. Yang)たちの仮説に基づいて紹介していきます。
 これまで、紹介しなかった重要な事実が他にもあります。ダイヤモンドはクロミタイトという岩石のクロマイトという鉱物の中に形成されていることを、紹介しました。似たような産状で、クロマイトの中にカヤナイトやコーサイトとよばれる高温高圧でできる鉱物も見つかっています。他にも、ジルコン、コランダム、ルチルなどオフィオライトには通常ないような鉱物も見つかっています。
 オフィライトの形成場である海嶺という考えは、多くの証拠から多分動かしがたいものと思われます。ということは、これまで海嶺ではできないと思われるような鉱物が、オフィオライトにあったということは、海嶺でこのような鉱物ができる条件があるということになります。ただし、そのような鉱物を産出するオフィオライトは、少々わかった経歴のマントルになります。
 核(コア)の境界からマントル対流の上昇流にあたるプルームが、上部マントルと下部マントルの境界(遷移帯と呼ばれます)付近に上昇してきます。これは、海洋プレートを形成する重要なマントル対流となります。ただし、プルームは深さ、600kmくらいのところにいったん止まります。
 一方、マントルの遷移帯には、沈み込んだ海洋プレートが落ち込んで混じっているところもあります。沈み込んだ海洋プレートには、変質した海洋地殻や砕屑性堆積物、生物源堆積物なども混じっていることがあります。このような遷移層は、地球表層にあるような元素(炭素、あるみ、ケイ素など)によって「汚染」されている部分になります。つまり「肥沃なマントル」の要素があることになります。プルームが、そのような場に上昇してくると、その熱によって選択的に炭素などの多い流体(インコンパティブル元素に富んだもの)が抽出され、ダイヤモンドなどができる環境ができます。
 クロマイトは丈夫な鉱物なので、中にできた鉱物が分解することなく、上部マントル内の上昇流として海嶺の下にたどりつき、マグマだまりのなかでも溶けることなく、そのままクロミタイトとして沈殿していったと考えるのです。
 このような仮説をみると、いくつかの疑問はあります。ただし、可能性としてはあるかもしれないとも思えます。疑問としては、ダイヤモンドが上部マントを移動する時、なぜ低圧で安定な鉱物に変わらないのか。スピードが遅い上昇流なので相転移するはずです。他の高圧鉱物も同じです。
 この仮説を証明するには、現在の海洋プレート内で、ダイヤモンドを発見する必要があります。ところが、現在のボーリング技術では、海洋地殻までは達していますが、マグマだまりの底にあたるカンラン岩までは達していません。またボーリングは、狭い範囲しか見ることができません。見つからないことが無いことにはなりません。
 とりあえずは、地上にある海洋プレートの化石であるオフィオライトで調べるしかありません。日本列島にもオフィオライトは多数見つかっています。そこでダイヤモンド探しをしてもいいのかもしれません。とりあえずは、ヤンたちがやった大量の岩石を処理して、タイヤモンドがあるかどうかチャレンジすると面白いかもしれません。でも、徒労になる可能性もありますが。

・先入観・
今回のエッセイで紹介したダイヤモンドは、
今まであるはずがないと思っていた鉱物が、
見つかったことが発端でした。
先入観は怖いもので、
最初の発見論文も、先入観で否定されたという経緯もあります。
先入観なく研究することは、なかなか難しいものです。
前知識なく調査をするようなもので、
目的も定めず調査をすることになりかねません。
ですから、効率の悪い調査となります。
上で述べた日本のオフィオライトでのダイヤモンド探しは
見つかれば大発見となります。
海洋地殻の形成やマントル深部の構造などに
重要な貢献をするはずです。
でも、見つからないときは、徒労になります。
上記の仮説を、どの程度信じるかにかかってきますね。

・北海道の夏・
北海道は、ここ2、3日、夏めいて
湿度も高く、蒸し暑くなってきました。
夜も窓を開けて寝ました。
でも、暑くて寝れなくなるほどではありませんでした。
7月になり、急激に夏らしくなってきました。
いよいよ大学の前期の講義も終盤になってきました。
暑さに負けないで乗り切りましょう。

2014年6月26日木曜日

3_131 ダイヤモンド 4:疑問点

 オフィオライトからのダイヤモンドは、事実として認めるしかないのですが、研究者かにとっては常識を覆す事実です。なぜ、それがそこにダイヤモンドがあるのか。いろいろ疑問が湧いてきます。

 オフィオライトからダイヤモンドが見つかることを紹介しました。ところが当初これは、オフィオライトの研究者にとっては、信じがたいことでした。最初の発見論文は間違いだと否定されたのも、そのような気持ちを反映していたのではないでしょうか。
 オフィオライトとは、海洋地殻とその下のマントルの岩石が、付加作用や衝突作用によって、陸に持ちあげられたものです。ダイヤモンドが見つかっているのは、海洋地殻の形成しているマグマだまりの底あたりですから、海嶺での地殻の厚さは6kmほどで、厚くてもせいぜい10km程度です。一方、ダイヤモンドが形成される深度は、100km以深であることが、さまざまな検証や合成実験からも知られています。つまり、オフィオライトあるいは海洋地殻やそのマグマだまりのあたりの条件では、ダイヤモンドができるには浅すぎるのです。
 また、ダイヤモンドは炭素からできているので、形成環境として炭素をたくさん含んだ場でなければなりません。ところが海洋地殻の形成は、そのような場でありません。海洋地殻は、「枯渇したマントル」が溶けてマグマが形成されます。
 「枯渇したマントル」とは、地球の材料物質である隕石から考えられる初期的マントル(始原、あるいは初生マントルと呼ばれています)と比べると、一度はマグマを出した経歴をもつマントルのことです。その違いは、微量元素でチェックできます。溶けた経歴をもったマントルは、溶けたとき最初にでていく元素(インコンパティブル元素)が極端に少なくなっています。そのような状態を「枯渇」(delpleted)と表現します。
 「枯渇」に対比される言葉は「富む」、「肥沃」(enriched)という言葉になります。インコンパティブル元素に富んだ物質は大陸地殻を構成している岩石や堆積物です。始原マントルから大陸地殻の成分が抜けて、枯渇したマントルが残ります。炭素はインコンパティブル元素にあたり、大陸地殻や堆積物に富んだ成分となります。
 ダイヤモンは、「肥沃なマントル」の中で形成されます。炭素の供給過程として、沈み込む海洋プレートに伴って堆積物の潜り込んだものや、大陸下部の物質のマントルへの落下、始原マントル内での炭素などのインコンパティブル元素の農集など、肥沃になるための特殊なプロセスが必要になります。
 しかし、オフィオライト、つまり海洋プレートはそのようなプロセスを受ける場とは考えられないのです。ダイヤモンドの形成場として、「枯渇したマントル」由来のオフィオライトではいろいろな難点があります。では、それはどのように解決されるでしょうか。次回としましょう。

・快晴・
北海道は清々しい天気がやっと戻ってきました。
朝少し雲があっても、しばらくすると晴れてきます。
ここ最近の青空は、今までの曇天を取り返すような
素晴らしい快晴です。
心地よい初夏の風が吹いています。
北海道の一番いい季節でもあります。

・教員採用試験・
いよいよ今週末、教員採用試験があります。
学科の多くの学生が受けますが
今までの努力の結果が問われます。
しかし、まずは先生になりたいという
意志が強いかどうかが重要です。
その意志さえあれば、
たとえ採用試験に失敗しても
たとえ何年か臨時教員をしても、
努力を続ければ目標は達成できます。
学科の多くの卒業生たちがそれを証明してくれています。
あとは、その意思を継続するだけです。
そんな心境になってくれればいいのですが。

2014年6月19日木曜日

3_130 ダイヤモンド 3:産状

 オフィオライトからのダイヤモンドは、数千個という数が見つかっています。ダイヤモンドの岩石の中での産状もわかってきました。では、オフィオライトの中でダイヤモンドがどのように形成されるのか、それが問題なのです。

 オフィオライトの中からダイヤモンドが見つかるといいましたが、オフィオライトの岩石群の中の、どのようなところから見つかっているのでしょうか。
 ダイヤモンドは、オフィオライトのカンラン岩とクロミタイトと呼ばれる岩石の中から見つかっています。
 カンラン岩とは、マントルを構成している岩石で、オフィオライトではマグマを供給した「出がらし」の(ダナイトやハルツバージャイトと呼ばれる)カンラン岩と、マグマが冷えてできた結晶が沈降してマグマ溜まりの底に層状にたまった(レルゾライトと呼ばれる)カンラン岩があります。ダイヤモンドが見つかるのは、「出がらし」のカンラン岩から多いようです。
 また、クロミタイトとは、クロム(Cr)成分に富んだスピネル(クロムスピネルと呼ばれます)という鉱物を主とする岩石です。クロミタイトは、レルゾライトのさらに下に、つまり最も早期にマグマから沈殿してできた岩石ています。時には、「出がらし」カンラン岩の中に「さや状」や「マユ状」にできることもあります。ダイヤモンドは、「さや状」クロミタイトから見つかっているようです。
 研究の過程で、オフィオライトから数千個のダイヤモンドが見つかっています。見つかる比率は、300から600 kgの岩石から数十個ほどのダイヤモンドが見つかります。サイズは0.2から0.5 mmの直径で、黄色や黄緑色などの色がついています。Ni-Mn-Coの合金の包有物の中に、ダイヤモンドが見つかることが多いようです。これは、キンバーライトのダイヤモンドとは明らかに違った産状です。
 オフィオライトのカンラン岩やクロミタイトでは、多様な金属元素の合金鉱物が見つかっています。通常岩石中では、金属元素は酸化物になっているので、金属のままであるということは酸素がないか強い還元的な環境でなければなりません。ですから、オフィオライトの中に、特殊な還元的環境が出現するような条件があったことは確かです。
 数千個という大量のダイヤモンドは、大量の岩石から分離されたものでした。岩石の中にある状態のダイヤモンドが、6個だけみつかっています。6個のダイヤモンドは、岩石の中での産状がわかるので重要な試料となります。いずれもクロミタイトから見つかっていて、ダイヤモンドのサイズは0.2から0.5 mmの直径があります。クロミタイトはクロマイトという鉱物からできていますが、ダイヤモンドの周囲は、0.5から1 mmほどのマグネシオクロマイトに取り込まれていて、ダイヤモンドの周囲には非晶質の炭素もあります。このようなクロマイトの中だけに還元的な条件が出現した産状となっています。
 オフィオライトのダイヤモンドは、上で述べたような記載からその存在は確認できました。岩石中での産状も把握されてきました。でも、事実としてわかっているのは、ここまです。
 問題は、なぜオフィオライトからダイヤモンドが見つかるのかという成因です。その推定を、次回、紹介しましょう。

・ザクザク・
ダイヤモンドが数千個も見つかっているというのは、
ザクザクありそうですが、
大量の石を処理しているから見つかっているのです。
大量処理は、鉱業的な探し方でもあります。
研究においても目的があれば、大量処理をして
必要な試料を集めることはあります。
私はやったことがありませんが、
論文で時々見かける手法でもあります。
体力勝負の研究で、非常に労力が必要な手法でもあります。
その結果として見つかるダイヤモンドは、
サイズも小さいく、色も付いていることから、
装飾用としては向いていないのかもしれません。
鉱業としては、成立するかどうかは不明です。
ですから、とりあえずは学術的に調べていくことでしょうね。
成因や産状の広がりなどが明らかになってくれば、
鉱業的に採算がとれるかどうかもわかってくるでしょう。

・天候不順・
北海道の天候不順は、ここ1週間ほど継続しています。
天気が悪く、毎日のように
雨が降ったりやんだりしています。
梅雨明けころに、梅雨前線が北に上がって
エゾ梅雨と呼ばれる現象が起こることがあります。
しかし、今回の雨は、気温も低めで、
梅雨前線も太平洋におりているので
エゾ梅雨とは違っています。
まあ、こんな時もあるのでしょうね。

2014年6月12日木曜日

3_129 ダイヤモンド 2:オフィオライト

(2014.06.12)
 オフィオライトからダイヤモンドが見つかっています。オフィオライトのダイヤモンドの認定については、紆余曲折があった後に、今では確認がされています。ただし、まだすべてのオフィオライトから発見されているわけではなく、一部のオフィオライトからだけです。

 キンバーライトという火山岩に伴うものが現在の宝石の供給源で一番多くのダイヤモンドを産出しています。その他のダイヤモンドの産状として、衝突ダイヤモンドも超高圧変成ダイヤモンドを紹介しましたが、量も少なく、大きさも小さいものでした。もう一つの産状として、近年見つかってきた、オフィオライトに伴うダイヤモンドがあります。
 オフィオライトとは、海洋プレートが海溝で沈み込むときに、大陸の縁や島弧に一部が持ち上げられて、大陸に保存されたものです。過去の海洋プレートの「化石」のようなものです。オフィオライトに見られる岩石の並び(層序と呼びます)は、下からマントルの岩石(カンラン岩の一種のハルツバージャイト)、次にマグマだまりの底に沈殿した岩石(いろいろなカンラン岩やクロミタイトなど)、マグマだまりが固まった岩石(斑レイ岩)、噴出するときのマグマの通り道となった岩脈群(ドレライト)、海底に噴出した枕状の溶岩(玄武岩)、その上に海底に沈殿した生物の遺骸(層状チャート)となります。
 1993年には、オフィオライトのカンラン岩からダイヤモンドが見つかったという報告がなされましたが、なんらか(自然か人為)の原因による汚染ではないかと考えられていました。その原因として、岩石を顕微鏡で観察するときに研磨するのですが、研磨剤にダイヤモンドを使うことがありました。そのような人為的にダイヤモンドが紛れ込んだのか、あるいは自然状態であるが、オフィオライトの岩石が形成されるときに同時にできたのではなく、何らかの理由で紛れ込んだのではないかと考えられていました。つまり、オフィオライトの中でダイヤモンドが形成されたのではなく、汚染物質としてダイヤモンドが紛れ込んなのではないかとされてきました。
 ところが2000年代になって、ダイヤモンドの存在は、汚染ではないことがわかってきました。各地のオフィオライトで、何人も研究者がダイヤモンドが検証され、他の高圧鉱物も見つかっていることから、ダイヤモンドの産出は確からしいと考えられてきました。もちろんそれらのダイヤモンドは、大きなも宝石になるようなサイズではなく、1mmに満たいないマイクロダイヤモンドですが。
 ダイヤモンドが見つかっているオフィオライトの多くは、チベットの衝突帯からです。この地域は、インド大陸がユーラシア大陸に衝突したとき、間にあった消えたテチス海を構成していた海洋プレートの断片が、オフィオライトになっています。ダイヤモンドの産地は点在していますが、2000kmの長さにわたって、ダイヤモンドを含むオフィオライトが分布していることになります。現在のところ、チベットでは8箇所のオフィオライトから見つかっています。
 他にも、天山山脈やウラルのオフィオライトからも、マイクロダイヤモンドが見つかっていますが、いずれも大陸の衝突や島弧の衝突でできたオフィオライトのようです。
 マイクロダイヤモンドは、大陸が衝突した地域のオフィオライトだけに見つかるのか、それとも他のタイプのオフィオライトからも見つかるのかは、今後の研究を待たなければなりません。
 さて、オフィオライトの中のダイヤモンドは、どのようなところから見つかるのでしょうか。実際の産状についてですが、それは次回としましょう。

・地質学的フレームワーク・
私は、オフィオライトを研究していました。
研究常識からすると、オフィオライトの中から
ダイヤモンドが発見されるとは考えられません。
オフィオライトとは海洋プレートの最上部にあたります。
まして、ダイヤモンドが見つかっているのは
マグマだりの底ですから、
せいぜい10kmほどの深さしかないはずです。
そこはダイヤモンドができる条件からは、かけ離れています。
不思議としかいえません。
オフィオライトのダイヤモンドの成因を解明は
地質学的フレームワークを変更する必要が
でてくるくらいの重要性を持つかもしれません。
今度、もっと研究されるべきでしょう。

・光陰矢のごとし・
6月は、北海道が一番いい季節になります。
ところが、私にとって、6月はあれよあれよという間に、
過ぎていきそうで焦っています。
やるべきこともできずに時間だけが、
ただただ過ぎていきます。
年々忙しだけが増え、
時間が矢のように過ぎていきます。
これは私だけでないのでしょう。
「光陰矢のごとし」という言葉があるのですから、
昔の人も同じ思いに駆られたのでしょう。
でも、ゆったりとした落ち着いた時間が
流れないでしょうか。
それも心の持ちよう次第なのでしょうかね。

2014年6月5日木曜日

3_128 ダイヤモンド 1:いくつかの産状

 以前、日本でダイヤモンドが発見されたというニュースを、エッセイで紹介したことがあります。そのニュースもなかなか興味深いものでしたが、他にもダイヤモンドが見つかるところがあることがわかってきました。今までにないダイヤモンドの産出状態を紹介しましょう。

 ダイヤモンドは宝石として興味を持つ人も多いのですが、研究者も興味を持っています。それは、非常に高温高圧でないと形成されない鉱物なので、そのでき方を探ることは、自然界でどのようにして高温高圧状態ができるかを知ることになります。
 まずは、ダイヤモンドがどこから見つかるかをみていきましょう。古くから知られているのは、キンバーライトと呼ばれる特殊は火山岩に含まれているものです。鉱山としてして採掘されているダイヤモンドのほほとんどは、キンバーライトに由来するものです。
 キンバーライトは、地球深部、100kmより深いところでできたマグマが、高速で上昇してきて噴出したものです。非常に特殊な火山岩です。キンバーライトの他にもランプロアイトとよばれる特殊な火山岩でも見るつかります。いずれも、アルカリ成分に富むマグマの噴出です。
 2007年に見つかった日本のダイヤモンドも、ランプロアイトの火山岩からでした。ただし、日本列島という特殊な環境で見つかったことは重要な意味があります。それは、1_63や3_70から3_73のエッセイを参照して下さい。
 ダイヤモンドは、炭素からできている鉱物で、炭素が超高温高圧状態にされると形成されます。深部でマントル内で炭素の集まっている条件でダイヤモンドの結晶ができ、さらに低温低圧ではグラファイト(石墨)などの結晶に変わるるので、変わる前に上昇してしまう必要があります。そのような条件を満たすものに、キンバーライトやランプロアイトがありました。
 それ以外にも、いくつかの条件を満たす産出状況があることがわかるようになってきました。
 まず、超高圧変成岩と呼ばれる岩石です。大陸同士の衝突で、深く潜り込んだ方の大陸地殻では、高圧条件が出現します。1990年には、そんな超高圧変成岩の中からダイヤモンドが発見されています。120から150kmより深いところまで潜り込んだと考えられています。その後、地表に露出したことになります。超高圧変成ダイヤモンドは、変成作用でできた鉱物であるガーネットや輝石、白雲母、ジルコンなどの結晶の中や境界部でみつかります。ただし、0.1から0.01mmほどの大きさしかありません。
 もうひとつは、激しい衝突などで、瞬間的に高温高圧条件を生み出されたときにできたものです。自然界では、隕石の衝突で発生する条件が考えられます。1997年には、衝突ダイヤモンドが発見されています。シベリアのポピガイ(Popigai)クレーターが最も大きいものとして知られています。ただし、非常に小さな結晶です。
 衝突ダイヤモンドも超高圧変成ダイヤモンドも、いずれも稀で非常に小さいものしか見つかっていません。
 1993年には、別のタイプのダイヤモンドが見つかっています。そのタイプのダイヤモンドは、量も多く、大きさもかなりのもののようです。それは、次回としましょう。

・エゾハルゼミ・
5月末から急に暖かくなってきました。
30度を越える真夏日にもなりました。
今まで、肌寒い日が続いていたので、
やっと夏になった気がします。
暑くなるをまっていたように
エゾハルゼミが盛んに鳴いています。
そして6月4日からYOSAKOIも始まりました。
北海道の初夏の風物詩がそろってきました。

・教育実習・
初夏を迎えたのですが、
私の忙しさは一段と増してきました。
今年は教育実習生が例年の倍ほどいるので、
担当の教員は出かけることが多くなりました。
6月がピークで、7月まで続き、
9月にも再度ピークがきます。
休講ができないので
その調整がなかなか大変です。
補講をすることでなんとかやりくりしています。

2014年5月29日木曜日

5_120 だいち2号の打ち上げ成功

 先日、テレビで「だいち2号」の打ち上げのニュースが流れました。軌道への投入から観測準備作業へと順調に進んでいるようです。「だいち」の後継機である「だいち2号」は、陸地の凹凸を詳細に観測するためのレーダを備えています。その目的はどのようなものか、確認していきましょう。

 2014年5月24日12時5分14秒、種子島宇宙センターから「だいち2号」が打ち上げがおこなわれました。無事打ち上げが終わり、H-IIAロケットから分離をし、予定通りの軌道に投入されました。観測に向けての準備作業は、順調に進行しているようです。
 少し前のエッセイで「だいち2号」の説明を詳しくしたので、やっと打ち上げがおこなわれたとの感もあります。繰り返しになるかもしれませんが、「だいち2号」の役割を紹介します。
 「だいち2号」は「だいち」の後継機で陸地の観測をする衛星です。「だいち2号」の目的は、陸域のレーダによる正確な地形観測です。「だいち」が陸域の基本的なデータをすでに収集しているので、それをより発展させるかたちでの観測装置となっています。精度を上げることと、一気に広域をカバーすることを目的としています。
 レーダの装置は、合成開口レーダ(SAR)とよばれ、高度628kmから、分解能3mという高精度の測定と、100mの分解能で350kmの幅を一気に観測することができます。ひとつの装置でありながら、高精度と広範囲という一見矛盾するような観測データを収集できます。非常にすぐれたレーダ装置であります。
 詳細かつ広域の地形データは、前に運用されていた「だいち」のデータと比較することで、地球全土の地形変動を、経時的変化として読みとることができます。このようなデータは、災害時に備えての基本的データの収集に加えて、地震や火山などの災害予防、予知に役立つと期待されています。
 災害時だけでなく、平常時でも、日本の地図情報の更新、あるいは各国の国土情報の収集、資源開発や環境保全、環境モニターなどにも利用できると期待されています。
 やっと打ち上げが終わったところですが、その活用に期待が膨らみます。

・ロケットの打ち上げ・
私は、種子島宇宙センターも、
鹿児島県の大隅半島の内之浦も
フロリダ半島のケープカナベラルのケネディ宇宙センターも
見学にいったことがあります。
しかし、残念ながら、ロケットの打ち上げは
直接見たことがありません。
一度は見学したいのですが、
なかなか実現できません。
基地の見学はこちらの都合でできるのですが、
打ち上げは、その日程に合わせていかなくてはいけません。
荒天や装置の不具合によって打ち上げ延長もありえます。
もし行ってそのような事態があれば、
無駄足になりなけません。
そんなリスクを、仕事を持っている身では
なかなかとれません。
しかし、ロケットの打ち上げ見学は
生きているうちに実現したい夢の一つでもあります。

・5mメッシュ・
「だいち」の観測データから作成された
5mメッシュの数値標高データは
大変魅力があります。
ただし、有償なので私には手が出ません。
国土地理院が航空機のレーダ測量などのデータで
都市部などの一部データは公表しつつあるのですが、
日本全域ではそろっていません。
ですから、「だいち」の日本全域のデータは魅力です。
今は、国土地理院の努力に声援を送りたい気持ちが強いです。
でも、人の住まないところの5mメッシュのデータは
作成されないだろうなぁという気もします。

2014年5月21日水曜日

1_126 最古の認定 4:検証終了

 ジルコン内で鉛が移動する可能性があることが指摘されていました。その危惧を回避するためには、古いジルコンで鉛の同位体がどう分布しているかを原子レベルで調べることが一番の確認となります。そんな検証がなされました。

 これまで、ジルコンを用いた年代測定の方法を述べてきました。そこで浮上してきた問題は、ジルコンの中で、形成後も鉛が移動することなく、保存されているかどうかというものでした。ウランやトリウムから放射壊変によって形成されてきた鉛が、長期間、移動することなくジルコンの中に留まっていることが、年代測定の精度を保証する条件となります。もし、鉛の移動があっても、ディスコーディアを形成するような履歴でなくてはなりません。
 ジルコンは、もともと鉛を含まない結晶です。鉱物として鉛が安定に存在する場所がないような結晶構造をしているのです。ですから、放射改変できた鉛が移動すると、年代測定値が変化してしまうことになります。鉛がある場所(収まりやすいところ)に移動しており、たまたまその部分を測定してしまうと、古い年代がでることもありえます。
 これに関する研究が、アメリカのバレリーたちが、2014年2月にNature Geoscienceという雑誌で報告しました。タイトルは、次のようなものでした。

 Hadean age for a post-magma-ocean zircon confirmed by atom-probe
tomography
(アトム・プローブ断層撮影によって確認されたマグマ・オーシャン後のジルコンの冥王代年代)

 アトム・プローブ断層撮影とは、元素の分布を3次元的に調べる装置で、ジルコン中の鉛の原子の収まっている位置を原子一個ごとに調べていくことができる装置です。
 バレリーたちは、このアトム・プローブ断層撮影を用いて、44億年前の年代を示しているジルコンを調べました。結晶内のある部分(クラスターと呼ばれています)の鉛の分布を調べました。範囲は10nm(ナノメートル、10億分1mのこと)で、奥行き10nmから50nmで調べられました。
 そんな微小なクラスターには、50個ほどの鉛原子がありました。クラスターの中では、207Pb/206Pb比が異常に高い比をもっていました。
 206Pbは238U(半減期44.68億年)からできたたもので、207Pbは235U(半減期7.038億年)からのものです。いずれもウランの崩壊で形成されるものです。なのに207Pbが異常に多くなっていました。
 これは、形成後、熱変成による変化を受けたことを示しています。ディスコーディアを形成するような熱変化の事件があったことを示しています。ですから、コンコーディアとの交点での年代は、形成年代をしていることになると考えられます。
 少々ややこしい論理ですが、原子レベルで古いジルコンの年代測定は、信頼性があるということを検証したことになります。今までは、なんとなくジルコンの年代が信じられていたのですが、この報告によって、鉛が動くのではないかという疑問、不安を取り除くことができました。地球最古の鉱物の年代が、44億0400万年前と確定したことになります。

・リラ冷え・
「リラ冷え」という言葉があります。
リラとはライラックのことです。
札幌では、先週末から「ライラック祭り」がはじまりました。
「リラ冷え」とは、ライラックの花が咲くころに、
冷え込みがあるということです。
まさにその通り、週末は寒かったです。
土、日曜日は、自宅ではストーブをたきました。
週明けには晴れて、心地良い春の天気になりました。

・高体連・
北海道では、一気に夏のスポーツの季節がはじまりました。
息子は、高体連で4日間も札幌市内の競技場に通います。
10km近く離れているのですが、自転車で通っています。
公共の交通機関がまだ動いていない時間帯に到着して、
準備するそうです。
以前は家内が送っていたのですが、
今年から自転車で行くことにしたそうです。
5時半に自宅をでるというで、
家内が弁当をつくるために、
私が起きる時間に、ばたばたしています。
朝の私のささやか安息の時間が、慌ただしく過ぎていきます。

2014年5月15日木曜日

1_125 最古の認定 3:コンコーディアとディスコーディア

 ウランとトリウムの年代測定は、いろいろな組み合わせができて、いくつもの年代値が得られます。便利ではあるのすが、それなりの条件を整ったものでないと、正確な年代が求められません。ジルコンは、特別な条件を満たす鉱物で、特別な年代測定ができます。

 UとThの放射性改変を年代測定として利用する場合、同じマグマからできた複数の鉱物の測定をして、アイソクロンを引くことで年代を求めていました。ジルコンの鉱物一個から、年代が求められるという方法があります。少々ややこしいのですが、いくつかの条件を満たしている場合に適用できる方法です。
 まず、放射性核種として、239Uと235Uの2つを用います。これで変数をひとつ減らすことができます。Uに富み、Pbが含まれていないような鉱物であれば、時間がたてば鉱物のPbはすべて放射性核種のU起源であることになります。これで、さらに変数を減らせます。このような条件を満たす鉱物がジルコンです。
 横軸に235Uと放射性改変できた207Pbの比、縦軸に238Uと206Pbの比をとってグラフにすると、原点から上に凸の指数関数が描けます。この曲線をコンコーディア(年代一致曲線)といいます。コンコーディアは、Uの存在量や、238Uと235Uの比に関わりなく、描けるものです。
 岩石(ジルコン)の時間経過とともに、コンコーディアの曲線にそって、値が変化していきます。ですから、現在のジルコン中の207Pb/235Uと206Pb/238Uの2つの同位体比を測定すれば、年代が決定できることになります。
 実際には、古い岩石、鉱物ほど、いろいろな変動や変成作用を受けています。ところが、変成作用でPb量に変化が起こったとしても、同じ鉛の同位体の207Pbと206Pbなので、その時代の比を残したまま変化します。その後の変化はコンコーディアから離れます。抜け方の違うジルコンがいくつかあれば、アイソクロンのように直線をひくことができます。このような直線をディスコーディア(年代不一致曲線)といいます。ただし、変化の条件によっては、曲線になることもありえます。
 ジルコンで、ある時、変成作用によってPbが抜けて、コンコーディアから離れて、ディスコーディアにそって変化していくとします。ディスコーディアとコンコーディアの古い時代の交点は、ジルコンが変成を受けてPbが抜けた事件の時代を示していると考えられます。
 ジルコンの測定値が、ディスコーディアの古い方でコンコーディアとの交点、あるいはコンコーディアに近ければ、それは変成年代や形成年代に近いと考えられます。このようなコンコーディア付近の測定値は、年代とみなせます。これがジルコンによる年代測定の原理です。
 西オーストラリアのジャックヒルのジルコンも他の地域の古い岩石のジルコン年代も、同じ考えで測定され、年代とされてきました。ジャックヒルズのジルコンは、コンコーディアの近くで、もっとも古いものが44億年前にできたと考えられています。ただし、ディスコーディアをつくるような測定値は、35億年くらいに集まっています。
 ディスコーディアをつくるということは、Pbが抜ける事件があったことを示しています。その時、もともとジルコンには、Pbはほどんど含まれない成分なので、古いジルコンの中のPbは、本当にきっちりと保存されているのか。また、Pbの同位体による抜け方に違いはないとされているが、本当に確かなのか。などという不安材料があります。この不安を解消しないと、年代の信頼性が保てないのです。

・百花繚乱・
北海道は春の盛りとなりました。
桜は終わりましたが、
百花繚乱の季節となりました。
新緑も眩しくなりました。
寒さに対して肩を怒らせていたのですが、
やっと肩の力が抜ける季節になります。
これから夏までいい季節になります。

・腰痛・
腰痛になりました。
今、体質改善に取り組んでいます。
これまで毎年体重が増えていました。
通勤で往復7KMあるいていのですが、
単純に歩くだけではだめなようです。
これまで、低血糖にも度々みまわれるので、
糖尿病になる前に、体重を減らすことにしました。
食事制限は大変なので、糖質制限に挑戦しています。
体重も測定しだしてから4kg、
昨年の夏からは10kgほどの減りました。
急激な体質変化で、持病の腰痛がでてきたのでしょうか。
治療を心がけていますが、体質改善が落ち着いてから
対策を考えたいと思っています。
今は対処療法の整体治療です。

2014年5月8日木曜日

1_125 最古の認定 5:UとThの年代測定

 ジルコンの年代測定は、放射性核種のウランやトリウムの放射崩壊を利用するものです。ウランとトリウムの年代は、回帰直線によって決めていきます。では、その年代測定の方法や原理とは、どんなものでしょうか。

 前回紹介した2つの論文は、古い時代できた鉱物が、新しい時代の地層の中にある構成の粒子となったものを分析した年代です。44億0400万年前という年代は、地球で最古のものなので、年代決定の信頼性が問題となります。
 多くの研究者は、その年代が多分正しいと思っています。なぜなら、鉱物のジルコンから年代測定する手法は、多くのところで使われていて、すでに確立されている技術であることと、その年代の精度が他の手法とクロスチェックを受けているので、信頼性に足ると思えるからです。
 ただし、年代測定やジルコンに詳しい研究者には、不安が残されています。理由のひとつは、さまざまな遍歴をした鉱物なのに、年代の確かさが、まだ十分検証されていないということです。さらに、ジルコンで年代測定に用いている成分が、鉱物の中を移動しやすいことが知られているからです。まして、地球最古の鉱物ともなると、40億年以上、地球の表層付近でさまざまな風化や変質、変成を受けていることになります。その間、本当にその成分は、ジルコンに中に安定的に、時間記録を保存しているのでしょうか。そのような不安を、検証によって払拭することが重要です。
 ジルコンに用いられる年代測定は、ウラン-鉛同位体年代測定とよばれるものです。いくつかの放射性の時計が組み合わさった複雑な年代測定です。それをできるだけわかりやすく説明しましょう。
 ジルコンに含まれている成分で年代測定に利用されている成分は、放射性をもつウラン(U)とトリウム(Th)です。ウランとトリウムは化学的に挙動が似ているため、ウランを含む鉱物にはトリウムも含まれていることがよくあります。
 陽子の数が同じウランという元素でも、中性子の数(質量数)が違っている原子(核種といいます)があります。それを同位体と呼びます。
 ジルコンの中の、ウランやトリウムが崩壊して、鉛(Pb)になっていきます。自然界に存在するウランには、質量数が234(234Uと表記されます)、235Uそして238Uという同位体があります。いずれの同位体も放射性を持っています。232Thも放射性をもっています。234Uは、238Uが崩壊するときにできるもので、中間生成物となります。ですから、ここでは取り上げません。
 いずれのウランもトリウムも、崩壊して、いろいろな経路をたどるのですが、最終的に鉛になっていきます。鉛は放射性をもたない、安定した核種となります。
 ジルコンの年代測定に利用できる放射性核種には、次のようなものがあります。
  元の核種   半減期  崩壊核種
   232Th   140.1億年  208Pb
   235U   7.038億年  207Pb
   238U   44.68億年  206Pb
 放射性核種の半減期が違っているので、成分さえ選べば、多様な年代測定に利用できることがわかります。
 年代測定をするには、ウランと鉛、あるいはトリウムと鉛の核種の質量数ごとに測定しなければなりません。壊れる前のもとの核種(親核種といいます)と崩壊でできた核種(娘核種)を測定します。さらに、マグマから同時にできた違う鉱物(親核種の含有量の違うもの)を、複数測定して、グラフ上で直線(回帰直線)を引いて、その傾きから年代を求めることになります。この方法は、アイソクロン法と呼ばれています。省略しますが、その成分抽出から測定は、なかなかやっかいなことになります。
 2つのウランの放射性壊変がありますので、もともとのウランの同位体比がわかっていれば、ウランの2つの系列から(235U→207Pb、238U→206Pb)、鉛の同位体(ただし安定核種の204Pbも)だけを測定をすれば、年代を決めることも可能になります。ウラン2つの崩壊系列を、数学的に一種の連立方程式で解くことになります。ただし、こちらもアイソクロン法なので、複数の鉱物が必要になります。
 いずれの方法も、アイソクロン法なので、ジルコンの年代測定には利用できません。ジルコンは、一つの種類の鉱物だからです。しかし、実際には年代が求められています。そのからくりは、次回としましょう。

・反省・
皆さんは、ゴールデンウィークに予定していたことが
できたでしょうか。
家族や夫婦、友達、ひとりで
なにかする、どこかに出かけるなどの予定が
順調にこなせたでしょうか。
我が家では、行楽も出かける予定はなかったので
淡々と休みを自宅で過ごしました。
私は、自分のやりたいことを考えていました。
私は、仕事ができなかったのが、一番の反省です。

・桜の季節・
ゴールデンウィークも終わり、
北海道もやっと桜が満開になりました。
今年は少々遅くまで寒さがあったので、
桜も少々遅れ気味です。
ゴールデンウィーク中にも肌寒い日があり、
我が家ではストーブを焚いた日もありました。
でも、着実に春は深まっています。

2014年5月1日木曜日

1_124 最古の認定 1:最古の信頼性

 地球で最古の物質の年代が決められて、10年以上が経過しています。ただし、その年代の信憑性が検証されたわけではなく、一応の仮説として存在していることになります。この年代をもう一歩進めるためには、年代の信憑性を示すことが必要です。それができれば、同様の手法のデータへの信頼性も増すはずです。

 地球で最古の岩石は、約40億年前のものです。最古のものが、岩石という形になっていて、岩石自体ができた時代を示しています。ですから、岩石から得られた情報は、その時代の情報であることになります。地球の材料である隕石の年代は、約45.6億年前であることがわかっています。その間、約5.6億年間が、資料がない、調べられない、「ミッシングリンク」となります。
 ところが、間を埋める年代をもつ物質はあります。それは、地球以外の天体である月から採取された岩石です。45億年前のものまであります。これはこれで、重要なデータですが、地球の歴史を調べるには、やはり地球で最古の物質探しは続くでしょう。そして報告はそれなりのニュースで伝えられるでしょう。
 技術の進歩によって、非常に小さな鉱物の粒一個でも年代が測定できるようになりました。20世紀終わり頃に出てきた技術で、21世紀にはいる頃になると、その装置(SHRIMPと呼ばれる装置)は普及して、各地で微小な物質の年代測定がなされました。その一環で、最古ハンターたちも動き出しました。その結果、40億年前後の年代の岩石が、いくつかの地域で見つかるようになりました。
 そんなデータラッシュの中でも、2001年は、地球の歴史を探る上で研究史上のひとつのマイルストーンになる時代でした。
 40億年前よりかなり古い時代を示す物質が発見されました。著者も対象地域が違う2つの論文が、同じ雑誌に報告されました。1編は42.8億年前に海の証拠があったいう論文で、他方は44億年前の鉱物の発見の論文でした。両方とも重大な論文でした。
 もともと西オーストラリアには、古い鉱物を含む堆積岩あることが知られていました。マーチソン地方では、約30億年前の堆積岩の中のジルコンという鉱物が古い年代を示すことが知られていました。それまでは42億7600万年前の年代が知られていました。この論文では、42.8億年前の年代で、少し古くなりました。この論文の重要な指摘は、そのジルコンが堆積岩が溶けてできたマグマに由来するということでした。
 もうひとつの論文では、西オーストラリアのジャックヒルというところで、30.6億年前にたまった堆積岩の礫から、44億0400万年前のジルコンという鉱物が発見されました。かなり古い時代を示しました。さらにこちらの論文では、海の痕跡があるという報告がなされていました。
 堆積岩起源のマグマも海の痕跡も興味があるのですが、その話は以前にも何度か紹介した(「1_5 「最古のもの」より古いもの」や「1_12 最初の固体」などを参照ください)ので、ここでは省きましょう。
 いずれの論文の年代を求めたのは、ジルコンという鉱物でした。ジルコンは、頑丈な鉱物で、一度できると風化や変成作用にも、かなり耐えることが知られています。ですから、10億年も新しい時代の堆積岩の中でも、昔の年代を保存していたと考えられています。その年代は、本当に大丈夫でしょうか。
 隕石のように、宇宙空間で、長年風化や変成作用を受けないような状態で保存され、最近地球の落ちてきたのであれば、年代が変化することなく、保存されていると考えられます。
 しかし、地球の表層の岩石は、いろいろな変動を受けるはずです。それも古くなればなるほど、さまざまな変動を受けているはずです。そもそも堆積岩の中にあった砂粒です。そして堆積岩自体も、30億年間も地球にあり、変動を受けてきたものです。そんな堆積岩の中のジルコンで、その中の年代を表す成分が、変化や移動していないという保証はあるのでしょうか。それは重要な問題です。たとえ年代正しいだろうという気持ちがあって、検証されなければ、正しいといえません。その検証に関する報告が、2014年2月下旬になされました。次回、それを紹介しましょう。

・記載・
年代測定は、地球最古や本邦最古などがつくよう値なら
学会や世間でもニュースになります。
ところが、研究者が調べている年代は、
大部分、ニュースになることのない
当たり前の年代値です。
それでも、調べなくてはならないのです。
だいたいこの年代と推定されていても、
その推定を検証する必要があります。
検証や確認作業の積み重ね、つまり記載が、
科学には不可欠なものになります。
そんな記載の蓄積から、
あるとき大発見が生まれるのです。
最古を追っていた人も、
一度は報われたとしても、
2度も3度もホームランを打てる人はいません。
ですから、誰もが淡々と
当たり前の年代を記載していくことになります。
科学の多くの時間は、
記載や確認に費やされているはずです。

・めまぐるしい天気・
ゴールデンウィークの半ばですが、
皆さんは、何か計画がありますか。
私の大学は暦通りの休日ですから、
週末から4連休になります。
しかし、我が家は、特別な計画はなしです。
子ども達がクラブや試合などで毎日でているため、
家族で出かけることはできません。
まあ、合間をみて、食事に行くくらいでしょうか。
これまで北海道は、いい天気が続いています。
雨がほとんど降らない春の天気でした。
週の初めは寒い日がありました。
昨日当たりから暖かい、いや蒸し暑い天気となっています。
めまぐるしく天気が変化しています。

2014年4月24日木曜日

4_112 春の四国へ 3:互層

 宍喰(ししくい)の海岸には、砂岩泥岩の繰り返す互層(ごそう)あります。互層は、このあたりでは、垂直に立った地層になっていので、なかなか壮観なものとなっています。互層の断面に時間と変動を見ることができます。

 宍喰のリップルマークには、波がつくったみごとな模様が残っていました。リップルマークは、砂岩の表面に残された模様です。リップルマークは、ある時間面をみていることになります。
 一方、地層の重なっている断面は、時間の積み重なりを意味します。リップルマークもいいのですが、整然と重なっている地層の断面も、時間を意識してみると、なかなか見応えがあります。宍喰での目的は、リップルマークの他に、同じ地層の断面を観察することでもありました。
 宍喰のリップルマークの露頭の脇からも断面がみえます。しかし、周辺には、きれいな地層の断面が出ているところがいくつかあります。とりあえず近くでは、リップルマークの東、県道では次のヘアピンカーブにあります。そこには、道路脇に連続する地層の断面がよく見えます。
 もうひとつ、きれいな砂岩泥岩の互層が見られるところがあります。県道309号から少しはずれ、竹ヶ島に向かいます。竹ヶ島は陸に近く、狭い海峡を橋で渡ることができます。橋をわたってすぐ左手に海洋博物館マリンジャムという施設があります。この施設の脇から海岸にでることができます。
 その海岸にきれいな地層がみえます。リップルマークのあった地層とは、連続しています。
 私が訪れた時は夕方で、潮が引いていたので連続的に地層を見ることができました。海岸の地層は、侵食を受けて、海食台を形成しています。ですから、潮が引くと海食台の上を歩きながら、地層をみることができます。
 竹ノ島の海食台と地層の断面は、なかなか壮観です。ここの地層も、ほぼ垂直に立っています。10cm前後の砂岩と数cmの泥岩が繰り返しています。砂岩は、の黄土色で出っぱっています。泥岩は、黒っぽくてちりちりにくだけ、侵食を受けてくぼんでいます。そんな砂岩泥岩が繰り返しています。砂岩と泥岩の繰り返しは、互層(ごそう)とよばれています。
 互層は、繰り返すという規則性はあるのですが、砂岩泥岩の厚さや量比に規則性がありません。個々の地層には、同じものはありません。それぞれが別の時代に、別の条件によってつくられたものです。そして、一つ一つの地層に流れた長い時間があります。多様な相違や変動が、繰り返し起こることが、互層を形成しました。地層から、そんな時間や変動を味わえるので、見飽きることはありません。

・ストリートビュー・
今回の露頭の位置を確認するために、
地図のGoogle Mapでみたら、
ストリートビューがこのコースを走っており、
道路脇の露頭をみることができます。
興味のある方は、ご覧になってはいかがでしょうか。
また竹の島の潮の引いた海食台も
ストリートビューでみることができます。
なんと素晴らしい時代になったのでしょうか。
自宅に居ながらにして
このエッセイの場所にいって
見たような気分を味わうことができます。
ただし、満足感は現地に行くのと比べものになりませんが。

・異臭・
マリンジャムから海岸に降りようとしたら、
異臭が漂ってきました。
海岸の岩場にこげ茶色の大きな丸い物体がありました。
よく見るとアザラシ?の死体でした。
腐敗が少し進んでいましたが、
それほど古いものではなさそうです。
その海岸はテトラポッドを隔てて
海岸に降りるルートのすぐ脇でもあります。
岩場にはあまりいかないとしても、
施設の人も異臭に気づいていたはずです。
なぜ死んだのか、どうしてここに打ち上げられたのか。
そして、今はその死体がどうなっているか、
気になるところです。

2014年4月17日木曜日

4_111 春の四国へ 2:リップルマーク

 春の四国の旅の話は、当初、6つほど連続で紹介する予定でした。そうすると、他の新しい話題がとどこおり、同じ話題ばかり長く続くと、読む側も飽きてくるかと思いました。そこで話題を、3つのグループに分けて、詳しく紹介することにしました。今回は、リップルマークを中心とする話題で3回の連載を予定しています。

 徳島県海陽町宍喰は、徳島県でも最も南にあり高知県に隣接しています。宍喰と書いて「ししくい」と読みます。少々難しい読み方になっています。「宍」は、「しし、にく」などと読み、食用の獣肉という意味です。宍喰は、狩猟によって得た肉をたべるという意味で、鎌倉以降につけられた地名だそうです。
 私は、宍喰には何度も来ています。以前にも2回ほど、今回の調査でも日をあらためて、3回訪れました。なぜ、何度もここに来たかというと、国指定の天然記念物の「化石漣痕」があるからです。「化石漣痕」を詳しく調べたいと思っていました。可能であれば、良い光の条件で撮影もできれば思っていました。
 「化石漣痕」の漣痕とは、リップルマークとも呼ばれ、海底にたまった砂が、水流によって波打った模様ができます。古い時代のものなので「化石」とついていますが、生物とは関係ありません。過去のリップルマークという意味合いで使っているのでしょう。
 砂浜などで風によってできる波模様、風紋も、リップルマークとなります。陸地や海底などで、さまざまな場でリップルはできます。リップルマークは、砂の性質と空気や水の流れの性質によって、いろいろな模様ができます。模様から、流れの様子を復元することもなされています。
 宍喰のリップルマークは、海底で形成されたものです。タービダイトとよばれる海底の土砂流が、斜面を流れ下る混濁流によってできたものです。その時の流れや海底にもともとある底層流などによってリップルマークが形成されます。大陸斜面におこった大きな異変の証拠にもなります。
 国道から県道に入り少し行ったところ、道が大きくカーブする山側の切り立った崖がリップルマークのある露頭です。露頭は、ひとつの地層の面が広く見ることができます。その面のリップルマークがきれいに残されています。壁に向かってリップルマークを眺めると、海底の水流が左下から右上にむかって流れていることを感じることができます。
 このリップルマークは四万十帯と呼ばれる地層にあり、約4000万年前に形成されたものです。リップルマークから読み取った流れの方向を、堆積していた時代の海底にもどすと、東北東から西南西に向かった流れになるようです。この方向は、現在の南海トラフにある大陸斜面と同じでもの、4000万年前から似たようなタービダイトが形成される環境があったことになります。つまり、海洋プレートが沈み込むような海溝とそれに続く大陸斜面があったということです。
 列島と海溝のセット(島弧-海溝系と呼ばれています)、つまり付加体形成の場が、ここには古くから存在していたことになります。そんな太古の時間をリップルマークから感じることができます。何度見ても見飽きません。

・露頭のすごさ・
天然記念物のリップルマークは
国道から少し奥まった県道沿いにあります。
地図にもでているのすぐにわかると思います。
でも人里少ない道路なので、
ここでいいのか少々心配になるようなころ、
その露頭が現れます。
露頭をみれば、その大きさや見事さに
きっと圧倒されることでしょう。
リップルマークのある露頭面だけでなく、
横に回ってみると地層の断面がよく見ます。
すばらしいものです。
もし、時間があれば、足を伸ばして
海岸でも断面が出た地層を見ることができます。
その様子は、次回、紹介します。

・ペンション・
今回の宍喰の調査では、
リップルマークのすぐ下にある
ペンションに泊まりしました。
海岸わきにたつ瀟洒なペンションで、
いくつもの棟があります。
なかなかいいところです。
存在は知っていたのですが、
今回はじめて宿泊しました。
この海岸はペンションのものなので、
プライベートビーチになっています。
食事もオリジナルの珍しいものを
出していただけるので
満足いくものとなるはずです。
もし近くでお泊まりの際はおすすめします。

2014年4月10日木曜日

4_110 春の四国へ 1:付加体

 年度末の3月下旬に、四国へ調査に出かけました。5泊6日の旅でした。千歳を発って、羽田を経由して、高知龍馬空港にいき、そこからレンタカーで出かけました。目的地は四国南東部です。春の四国を巡る調査の様子を紹介しましょう。

 本来は秋に調査に出るつもりでいましたが、忙しくて出れず、延ばし延ばしにしていたのですが、校務の隙間をぬって、3月末にやっと調査に出れました。
 今回の調査で初めて行く地域もあったのですが、ほとんどは何度か行っているところでした。今回の目的は、いくつかの地域を再調査して、データを取りなおすことでした。その地質学的な意味を、何度かに分けて紹介していこうと思います。
 3月下旬、北海道は雪も何度も降っていましたし、まだ雪がたくさん残っていました。同じ日に、高知の太平洋沿岸を走っていると、桜が咲いていました。北海道の雪から四国の桜をみると、日本列島の南北の長さを感じました。
 さて、四国の地質についてです。四国の南部は、四万十帯とよばれる地質が広く分布しているところです。南海トラフと並行して東西に地層が並んでいます。四万十帯は、このエッセイでも何度かでてきました。その時も紹介しましたが、四万十帯は付加体とよばれる地質体です。
 付加体とは、海溝から大陸斜面にかけての列島の地下で形成されるものです。列島に海洋プレートが沈み込む時、海洋プレートの上部の岩石や、その上にたまった堆積物が剥ぎ取られて、列島にくっつきます。それはゆっくりとした動きですが、地球の長い時間のよって営まれる作用なので、大規模で雄大な結果となります。時には大きく激しい変化として、断層の形成や地震を起こします。
 付加体の中には、激しく擾乱をうけたものから規則正しく整った地層まで混在しています。これが付加体の特徴となります。
 剥ぎ取られたものは、非常に多様な岩石の様子やつくり(産状といいます)となります。もとの産状が、きれいに残されたものから、まったくわからなくなるほど乱されたもの(メランジュと呼びます)まで混在しています。
 規則正しく整った地層は、タービダイト層とよばれるものからできています。河川からもたらされた堆積物が河口付近にたまり、洪水や地震などのをきっかけに海底地すべり(重力密度流と呼ばれます)として、大陸斜面を流れ下ります。堆積物の流れ場、傾斜のゆるやかな盆地や海溝付近にたまります。これがタービダイト層となります。海溝付近のタービダイト層は、断層によって、メランジュとして巻き込まれることがよくあります。メランジュには、タービダイトに由来する堆積物が多く含まれているのが観察できます。四国南西部は、付加体がさまざまな様相で分布していることろです。
 春の四国は、付加体を巡る旅となりました。何回かに分けて紹介しましょう。

・大地を眺める・
「地球地学紀行」のコーナーは、
久しぶりの配信となります。
久しぶりになったのには、いくつかの理由があります。
私は、「大地を眺める」という
月刊のメールマガジンを発行しています。
そのエッセイを毎月書いているため、
地学紀行のネタがなくなって、
ついつい間が開いてしまいました。
しかし、今回のように、
以前「大地を眺める」で取り上げた地域であれば、
気にせずにこのエッセイで取り上げることができます。
このシリーズも以前「大地を眺める」で紹介したのですが、
気にせずに紹介してきます。
ご期待いただければと思います。

・1年生・
大学では新学期が始まりました。
1年生は、初々しいく、まじめに授業を受けています。
しかし、2年生以上は馴れて
ちょっとくだけた様子で授業を受けています。
もちろん、1年生でもくだけていたり、
2年生以上でもまじめに受けている学生もいます。
いろいろな個性があるということです。
しかし、まだ大学生活に慣れていない1年生が
まじめに大学生をはじめているのが新学期を感じさせます。
新入生が歩くキャンパスは、春を感じさせてくれます。

2014年4月3日木曜日

5_119 だいち 3:2号機

 「だいち」の後継機が製作されています。「だいち2号」と呼ばれています。当初は2013年度の打ち上げでしたが、少々遅れ、5月に打ち上げられることが先日のJAXAからのニュースがありました。それを紹介して、このシリーズを終わりとしましょう。

 「だいち」の膨大なデータは現在も解析され、利用されているのですが、今後、新しいデータをとることができません。今までの災害や資源管理は、定常的にあるいは緊急時にすぐにモニターできることが必要になります。つまり、観測するための衛星が軌道上にあることが、目的を達成するのに重要になります。後継機として「だいち2号」の開発が進めれていました。その「だいち2号」について、新しいニュースが先日、出されました。
 「だいち2号」は、観測衛星の不在の時期が3年ほどありましたが、2014年5月24日に打ち上げられるとアナウンスされました。種子島宇宙センターから、H-II A ロケット 24号機での打ち上げとなります。
 陸域観測技術衛星「だいち2号」(ALOS-2)は、「だいち」の後継機なので、同じ任務をもった利用がされます。国土の最新の地図情報や災害把握、資源の管理などをしていきます。もちろんその観測は日本だけにとどまらず、地球全域に及びます。
 「だいち2号」は、高度638kmで「極軌道」と呼ばれる北極と南極を通る軌道上をまわります。1日で15回ほど周回して、14日で同じ地点にもどってきます。そのため、2週間毎に地表をもれなく観測することができます。
 もちろん「だいち」と比べれば、打ち上げから8年も時間が経過していますから、より高性能のセンサーを搭載しています。「だいち」には、前回紹介したPRISM(パンクロマティック立体視センサ)以外に、AVNIR-2(高性能可視近赤外放射計2型)、PALSAR(フェーズドアレイ方式Lバンド合成開口レーダ)が搭載されていたました。
 「だいち2号」では、PALSAR-2(フェーズドアレイ方式Lバンド合成開口レーダ)のみになっています。ひとつのセンサーでは能力が落ちたと思われそうですが、実はそうではりません。PALSAR-2の特徴として、レーダを利用していますので、昼夜や天候の影響を受けることなく観測できるます。地表観測では非常に効果を発揮します。
 「だいち2号」のPALSAR-2の通常使用の高分解のモードでは、3~10mとなっています。しかし、PALSAR-2には、新たにスポットライトモードが追加されました。スポットライトモードでは、「だいち」のもの(10m)より精度が高く、1~3mの分解能をもつようになっています。これは、「だいち」のPALSARにはない性能で、「だいち」のPRISMに匹敵する分解能をもっています。
 さらに、「だいち2号」では、左右に30度傾けることで、広い範囲を観測できる機能をもたせました。その結果、観測できる範囲が2320kmと、以前の約3倍も広がりました。ひとつのセンサーですが、以前ものと同等以上の性能や機能を持っているのです。
 「だいち2号」は、「だいち」と以上の性能を、よりシンプルな形で達成します。その結果、衛星の設計寿命も3年から5年へ、寿命の目標も5年から7年へと延びています。
 日本では、基礎データとして5mメッシュの数値標高や位置情報をもっています。そのデータとの違いを観測することに重点がおこなれています。つまり、国土の災害や地殻変動などによる変化の観測することが、重要な目的となっているといえます。
 少し先になりますが、打ち上げの成功を祈っていましょう。

・入学式・
いよいよ新年度です。
我が大学では4月1日に
入学式が行なわれました。
外は春の暖かい快晴の日となりました。
道路の雪も溶けて、スーツ姿の新入生と
ユニホーム姿のグラブの勧誘の学生たちが混在しています。
緊張しながらも、
期待に胸をふくらませている新入生の顔を見るのは
すがすがしくて気持ちいいものです。

・待ち遠しい春・
先週は野外調査に出ていました。
その内容はおいおい紹介するとして、
高知は桜がすでに咲いていて、
変える頃には日本で一番最初に
開花宣言が出されたというニュースも流れました。
北海道なまだまだ雪がたくさん残っています。
でも日に日に暖かくなり、
雪解けも進んでます。
春が待ち遠しいです。

2014年3月27日木曜日

5_118 だいち 2:5m数値標高

 陸域観測技術衛星「だいち」は、2011年5月で運用が停止しました。しかし、「だいち」が得た膨大なデータが残されています。その解析は、現在も進行中です。その概要を紹介しましょう。

 陸域観測技術衛星「だいち」には、いろいろなセンサーが搭載されているのですが、PRISM(パンクロマチック立体視センサー)とよばれるセンサーがあります。このセンサーは、一度に幅70kmの範囲を、2.5mの高分解能で観測できます。最小の画素が2.5mの範囲になるということです。630km上空から、2.5mのものを識別できる精度となります。地上でこの距離と精度を例えると、東京から高知市内を走る車の色を見分けるほどの能力を持っている、ということになります。
 さらに凄いのは、平面だけでなく、縦方向のデータもとることができます。このセンサーを衛星の前方、直下、後方の3つ方向で独立した撮影できます。3つの画像から、立体視ととともに、地形の標高データも読み取ることができます。その精度は、標高が5mというすごいものです。5m四方の範囲(5mメッシュと呼びます)の平均的標高を5mの精度で表現することになります。全地球の3方向の画像がありますので、陸域の地形データを5mの精度で得ることができるわけです。
 このデータがあると、全地表の精細な3次元的表示が可能になります。実は、日本に関しては、国土地理院がレーザー測量している5mメッシュ標高が、無料で公開されています。ただし、日本の都市部などの限られた地域のみなので、国土を網羅しているわけではありません。ですから今回のデータに、私は非常に期待しています。
 このデータ処理には、ものすごく時間がかかるようです。膨大なデータを処理するのに、高性能のコンピュータ技術と手間がかかります。そこには大きな投資が必要になります。
 JAXAでは、月100枚程度の処理をして、精度の検証や研究などに利用されてきました。(株)NTTデータは、全自動で大量処理をできるシステムの開発をして、月間15万枚を処理できるようにしました。その技術で「デジタル3D地図」を2014年3月から公開をはじめて、2016年3月には全地球のデータが完成するそうです。「デジタル3D地図」のデータは、有償で提供されるようです。1km2あたり200円からだそうです。有料ですから、私には利用できません。
 これまで全世界的に整備された数値標は、2003年にアメリカ合衆国が公開したスペースシャトルの90mメッシュのデータ、アメリカと日本(ERSDAC)が共同で運用した衛星「ASTER」が30mメッシュのデータが2009年に公開されています。いずれも無償で公開されています。私も、利用しています。
 「だいち」のデータも、精度を落とした30mメッシュの標高データが、無償で公開していくそうです。「だいち」のデータのほうが、精度が上がっているはずですので、期待しています。
 30mメッシュであっても、全地球のデータは膨大になるので、入手するのに時間と手間がかかるはずです。でも、日本だけであれば、通常のパソコンでも扱うことができます。公開に期待したいものです。多分あと2年は待つのでしょうが。

・ギャラリー・
「だいち」のギャラリーとして
多数の画像が公開されています。
いろいろな地域の衛星画像があります。
非常に精細なので驚きます。
興味のある方は、
http://www.sapc.jaxa.jp/gallery/
を御覧になられればと思います。

・調査中・
現在、私は、高知に調査にきています。
とはいっても、それ以前にこのエッセイを書いて、
予約送信で配信しています。
本来なら秋に行きたかったのですが、
校務の関係でこの時期にしか時間がとれませんでした。
少なくとも毎年一回は調査に出たいと思っています。
今年は、研究費があたったので、
2度の調査費用が調達できました。
私は、調査ができないと、研究用のデータ収集ができません。
私にとっては、それは非常に痛いものです。
なんといっても、精神的なリフレッシュもできなくなります。
こちらもなかなか深刻な問題です。
来年度も調査に出れることを期待して、
調査を続けることにします。

2014年3月20日木曜日

5_117 だいち 1:陸域を観測

 陸域観測衛星「だいち」は役割を終えて、3年近くがたちました。観測された膨大なデータは、今も分析、解析されています。先日、そのデータが公開されるというアナウンスがありました。「だいち」の役割やデータ、近況を紹介していきます。

 2006年1月24日、H-IIA 8号で打ち上げられた衛星「だいち」(Advanced Land Observing Satellite、ALOSと略されています)は、予定通りの軌道に達しました。
 「だいち」は、陸域を観測するための衛星でした。国内の2万5000分の1の地形図を作成することが、重要な目的でした。高精度の地形図をつくための情報を集めていました。地形変更があれば、すぐに対応できました。ただし、「だいち」は地球を縦にめぐる軌道なので、日本だけに調査を限定することはなく、世界各地で同様に地形データを集めることも可能で、実際に集めていました。そのデータは、アフリカ諸国の地図作成にも利用されていました。
 ほかにも、「だいち」のデータは、災害状況把握、地域観測や資源探査にも利用されていました。環境と調和した開発や地球環境のモニターをしたり、災害状況の把握各国からの要請を受けて、年間100件ほどの大規模災害を観測してきました。新潟県中越沖地震や四川大地震などの災害によるを被害状況も観測してきました。活火山のモニターやハザードマップの作成、不法投棄監視、気候変動の影響監視などさまざまな目的で利用されてきました。ブラジルの熱帯雨林における違法な伐採状況の把握してきました。
 2011年3月11日の東日本大震災には、緊急観測として400シーンの撮影をおこないました。しかし、2011年4月22日午前7時30分頃に、電力が急に低下して、セーフホールドモードに移行し、実質的な観測はできなくなりました。「だいち」は国際貢献として、多くの情報を各国に提供してきました。その貢献のお返しとして、各国から東日本大震災に関する5000シーンの情報が提供されました。
 「だいち」の設計上の寿命は3年以上で、5年を目標としていました。約5年3ヶ月の運用となり、目標は達成できました。東日本大震災の観測を最後として、活動を停止しました。いろいろ修復が試みられたのですが、その甲斐なく全機能が停止しました。2011年5月12日午前10時50分、バッテリーの停止命令を送信して、運用が終了となりました。やがては、大気圏突入して燃え尽きるものと推定されています。
 「だいち」は膨大な陸域の観測をしてきました。650万シーンの撮影をしています。その情報は、今も解析されて、利用できるように加工中です。大量のデータが使用できるアナウンスが先日なされました。それは、次回としましょう。

・数値地図・
私は、数値地図や数値標高などのGISを利用して
データの整理や作図などをおこなっています。
その一環で数値地図などの利用方法に関することも興味をもっています。
以前は高いデータを購入していましたが、
今では、国土地理院やERSDACなどが無料で公開しています。
もともとは国民の税金で収集したデータですから、
無料で公開することは理解できます。
かつては国土情報は非常に重要な軍事秘密でもありました。
しかし、Google Erathのように実際には人工衛星で
地表の様子は軌道上から見ることができます。
秘密は地下に隠すしかありませんが
平和のためには隠しごとはない方がいいでしょうね。

・制度変更・
いよいよ我が大学の卒業式です。
今回は初の試みで、大学のホールを使っての開催となります。
同様に4月1日の入学式もホールに変更になります。
今までの制度を変えると、
賛否両論がわき起こります。
その賛否の議論も重要でしょうが、
もっと重要なことがいろいろ山積しています。
優先順位と重点的に検討するところを
うまく処理しなければなりません。
我が身のこととなると、
ついつい視野が狭くなるのは
戒めるべきことでしょう。
でも、人間ですから、
身近なことに敏感になるのは
しかたがないでしょうね。

2014年3月13日木曜日

1_123 年代区分 2:GSSP

 地層の層序は、常に最新の研究成果を蓄積されて更新されています。研究の結果、時代境界が次々と確定されてきています。時には混乱は起こりますが、確定された時代境界は、合意されたもので特別な手続きを経なければ変えることができないようにされています。

 年代について、いくつか新しいこと決まったので、まとめて紹介しましょう。
 まず、時代境界(時代の始まり、下限)を決めていくことなのですが、現在ICSでは時代境界の定義をしていく作業が進行中です。
 確定された時代は、GSSP(Global Boundary Stratotype Section and Point、国際標準模式層断面および地点)として定義されています。いくつかの条件を満たした野外の地層で、その地点が決められていて、「ゴールデン・スパイク」と呼ばれる青銅製の円盤が打ち込まれています。年代層序表には、確定済のマークが付けらています。
 GSSPは、研究者が勝手に定義をしなおしてはいけないことになっています。再定義しなおすときは、実際の地層に基づいて、GSSPによってのみ変更することになっています。
 さて新生代についてです。新生代は、Paleogene、Neogene、Quaternary(第四紀)の3つ区分されます。
 Paleogeneは、「古第三紀」と名付けられ、はじまりは6600万年前で確定しました。2004年までは6550万年前でしたが、変更になりGSSPとなりました。古第三紀は、暁新世(Paleocne、下限はGSSPで6600万年前)、始新世(Eocene、下限はGSSPで5600万年前)、漸新世(Oligocene、下限はGSSPで3390万年前)に区分されています。
 Neogeneは、「新第三紀」という日本語名が決定され、中新世(Miocene、下限はGSSPで2303万年前)、鮮新世(Pliocene、下限はGSSPで533万3000年前)に区分されています。
 第四紀は、正式な時代名として使うことができます。はじまりは258万8000年前のジェラシアン(Gelasian)からで、GSSPで確定しました。第四紀は、従来通り更新世(Pleistocene、下限はGSSPで258万8000年前)と完新世(Holocene、下限はGSSPで1万1700年前)に分けられます。
 先ほど述べたように、時代境界の定義がされ続けています。それに応じて、層序が変更されていきます。ICSが2013年1月版国際年代層序表が発表したことにともなって、日本語版も2014年1月に修正されました。それが2月の日本地質学会のニュースとして報告さました。
 こまかい年代値が修正されたり、ある時代境界もGSSPになりました。なかでも大きな変更は、ジュラ紀と白亜紀の境界の年代値が、1億4550万年前から1億4500万年前に修正されました。ただし、これは修正であり、GSSPではありません。
 地球の歴史は、研究が進むにつれて、つぎつぎと所定の手続きを踏んで、変更がなされていきます。いつの日にかすべて時代境界でGSSPになるときがくるでしょう。その時、もっとも合理的な地球の歴史の区切りができることになります。それは、遠い日ではないでしょう。
 だたし、カンブリア紀以前は、まだまだ調べていかなくてはなりません。まだGSSPがひつとしかないのですから。

・調査へ・
大学は、最後の入試が進んでいます。
そして、その後は、卒業式となります。
3月下旬はいろいろ大学の行事が多数あり
慌ただしい時期になります。
なのに私は、1週間ほど隙間を縫って調査にでます。
後期のどこかで出かけるつもりが、
忙しくて休みが取れそうにありませんでした。
予算立てしていたので執行しなければなりません。
ですから、ついに切羽詰まって3月下旬に調査をすることになりました。
落ち着いて調査ができるでしょうか。
まあ、出てしまえばなんとかなるはずなのですが。

・春なのに・
北海道は、先週の後半に寒波が過ぎたと思ったら
今度は積雪になりました。
久しぶりに除雪が入りました。
しかし、気温はそれほど低くはありません。
まだ寒さは時々くるでしょうが、
雪は降るかも知れませんが、
春は近くに来ています。

2014年3月6日木曜日

1_122 年代区分 1:境界の決定

 このエッセイでは、何度も新生代の年代区分について取り上げました。第四紀や第三紀の年代区分は、廃止や復活などで混乱し議論がされている状態でした。現在では、それらの問題が決着しましたので、紹介していきます。

 新生代の時代境界にいろいろな問題があったことは、このエッセイでは何度も紹介しました。一番最近の「1_88 第四紀問題3:境界変化」(2009.12.17)では、第四紀の決着がしたことと、第三紀の日本語の正式名称が未定であることを紹介しました。2010年から2012年にかけて、それらの問題も解決してきました。
 まずは、今までの経緯からはじめましょう。
 ことの発端は、国際層序委員会(ICSの)意向を受けてまとめられた"A geological time scale 1989"という本で、第四紀(Quaternary)なくすという方針が示されました。そのときは、あまり問題として顕在化してなかったのですが、2005年春に発行された"A Geological Time Scale 2004"では、第四紀(Quaternary)をなくし新第三紀(Neogene、ネオジン)に併合し、第三紀という区分もなくして、古第三紀(Paleogene、パレオジン)と新第三紀にすると決定をしました。それに伴って、第四紀は学術論文では使えないという方針が、強く打ち出されました。
 確かに第四紀と第三紀の時代境界は不確かなところがありました。そして、もし第四紀をなくすのではあれば、新生代の下の階層は第三紀だけになり、その下位に古第三紀と新第三紀が位置づくという不自然なものとなります。第四紀がなくると第三紀存在の意味も薄れていきます。そんな理由から第四紀と第三紀を廃止するという方向に進んでいました。
 ところが、第四紀の廃止については、国際的、学際的にも大いに議論がわき起こりました。第四紀は、地質学だけでなく、多くの学問分野で定着している術語であり、地質学の分野で廃止をするということは、他の学問分野との整合性がつかなくなります。地質学の関連学会内部でも、いろいろな反対意見がでてきました。
 もし、正式に廃止が決定されると、今後、学術論文では使用できないない術語となります。非常に影響の大きな決定でもありました。
 議論中は、第四紀の廃止については、ペンディングとなり、使用禁止は一時解除され、公式ではないが使用できるという状態になりました。
 最終的に、2009年6月29日のIUGSの理事会は、ICSが提案した第四紀の下限を258万8000年前とすることを承認しました。これによって、第四紀が再定義され、いったん廃止されましたが復活しました。今後の学術論文でも正式名称として使用することができるようになりました。
 第三紀は廃止されたままで、新生代は、パレオジンとネオジン、第四紀という3つの区分になったのです。問題は、日本の正式名称をどうするかということは、まだ未定でした。いくつかの考え、意見はでてきたのですが、2010年1月には日本地質学会が正式な日本名称とともに、第四紀が新しくなり、第三紀は廃止されことが報道されました。
 時代名称について、次回紹介します。

・最新年代層序表・
第四紀と第三紀に関する日本地質学会のニュース記事は
http://www.geosociety.jp/name/content0057.html
に紹介されています。
そして、すべての時代を含めた新しい時代名称は、
2014年1月改訂版は
http://www.geosociety.jp/name/content0062.html
に公開されています。
今後、日本の正式な学術書や教科書類は
この定義に従って表記されることになります。
ただし、2014年版はICSの2013年1月版国際年代層序表
の日本語版となります。

・電子書籍・
私は、知らなかったのですが、
Elsevierから
”The Geologic Time Scale 2012 2-Volume Set, 1st Edition"
という本がでています。
2分冊になっている本です。
先日、早速注文したのですが、
印刷版も電子版も115.00$となっています。
しかし、よくみるとセットで購入すると、割引があり、
138$となっています。
先日注文して、電子版を早速ダンロードしました。
重くもなく場所も取らないので助かります。

2014年2月27日木曜日

3_127 氷期サイクル 3:大陸配置

 氷河期の周期性は、ミランコビッチ・サイクルだけが要因ではありませんでした。現在の大陸配置も重要な役割を果たしていたことが、シミュレーションの結果、わかってきました。

 これまで述べてきたように、繰り返される氷河期の原因として、ミランコビッチ・サイクルが重要な役割を果たしていると考えられています。しかし、ミランコビッチ・サイクルは、最近にはじまったものではなく、地球が天体として運動している限り、いつもあったはずのものです。その周期性は変わるかもしれませんが、あったはずです。氷河期のスタートの問題も重要なものですが、おいておきましょう。氷河期の周期性に、今回は焦点を当てて考えています。
 地球の気候変動の要因として、他にも大陸配置と大気組成が考えられていました。氷河期の周期性を、大気組成や大陸配置に結びつけることは難しく、その位置づけがよくわかっていませんでした。
 地球に温暖化をもたらす二酸化炭素が、周期的に増減するメカニズムは考えにくいものです。大陸の移動速度は年間10cm前後のゆっくりとしたもので、大陸の移動による配置の変化が、周期性を生み出すことも考えられません。
 ただし、現在の配置が、氷河期の周期性を生んでいる可能性はあります。大陸の現在の配置は、氷床を考える上で重要な働きをもっていることは想像できます。なぜなら、極地やその周辺に大きな陸地があれば、寒くなると夏も氷や雪がとけず残っています。やがては大きな氷床となります。南極大陸とグリーンランドにある氷床が蓄えている水の量は、海水面を上下させる大きな要因となります。氷床による海水準の変動幅は、130mにも達すると見積もられています。
 東京大学大気海洋研究所の阿部彩子さんたちのグループは、氷床-気候モデルによるシミュレーションによって、氷河期の周期性と大陸配置の関係をつきとめました。その結果を要約して紹介しましょう。
 シミュレーションによると、ミランコビッチ・サイクルによる日射変化に対して、気候システムが反応していきます。日射量の少しの変化でも、現在の北アメリカ大陸の分布と気候の条件は、大陸の氷床が反応しやすい状態であったそうです。つまり、日射量が少し減っても氷床が広がったり、少し増えても氷床が溶けるという、非常に敏感な反応をする条件をもっているようです。
 大気-氷床-大陸の相互作用によって、ミランコビッチ・サイクルの影響を拡大するという条件を持っていたようです。このような関係が、氷河期の周期性を生んだのではないかというのが、阿部さんたちの報告でした。
 さらに、大気中の二酸化炭素の量は、氷河期の周期にともなって変動しているのですが、気候変動を増幅させる手助けはできるのでは、それは主要因ではないことも判明しました。
 以上のことから、氷河期の周期性は、ミランコビッチ・サイクルと現在大陸の配置によって生み出されたものである、というのが結論になります。将来(もちろん地質学的な時間でみたときですが)、大陸配置が変われば、周期性は消えることもあるでしょう。さらに、過去の氷河期に周期性を考えるときには、大陸配置を考慮しなければならないということになります。
 現状の大陸配置はしばらく続きますから、氷河期の周期性も継続することになります。
 人類は今後の存続するのであれば、10万年ごとに氷河期の危機を乗り越えなければならないことになります。とりあえず、次の氷河期に、化石燃料は多分残っていなのいでしょう。化石燃料がないとすると、その時人類はどのようなエネルギーを手にしているのでしょうか。そのエネルギーは、持続可能なものでしょうか。そのエネルギーは、氷河期を乗り越えるに足るものでしょうか。少々先のことですが、不安でもあります。将来の叡智に期待することになりそうです。

・想定外・
二酸化炭素が氷河期に大きな影響を及ぼしていないのは
重要なことかもしれません。
直前の氷河期は、7万年前にスタートしたので、
約3万年後には再来する可能性があります。
そのころも大陸配置は大きく変わっていないはずですから、
氷河期が訪れる可能性が大きはずです。
そんなとき、人類はどのように対処するでしょうか。
二酸化炭素を増加させて防ぐのでしょう。
あるいはそのようなことで防げるのでしょうか。
シミュレーション結果が気になります。
そんな先のことより、目前の温暖化の方が深刻でしょうか。
いずれにしても、想定外は避けたいものです。

・2月は短い・
2月は、28日という2、3日の短かさ以上に
短く感じるのは私だけでしょうか。
本当に2月は、あっという間に過ぎ去りました。
大学は入試や学期末、卒業などの作業で
バタバタしているのですが、
例年はそれなりに研究時間がとれました。
しかし、今年は、分掌の関係で
いろいろと校務が多く、
落ち着かない時期となりました。
3月も同様に時間があっという間に
過ぎ去っていきそうです。
仕事の優先順位を考えて
こなしていかなければなりませんね。

2014年2月20日木曜日

3_126 氷期サイクル 2:ミランコビッチ

 氷河期の周期性の原因として、3つの要因があり、ミランコビッチ・サイクル、大陸配置や大気組成が挙げられています。まずは、主要因と考えられているミランコビッチ・サイクルを紹介しましょう。

 氷河期は周期的に訪れていることを、前回、紹介ました。その一番の原因として、ミランコビッチ・サイクルが挙げられています。
 ミランコビッチは、セルビアの地球物理学者で、地球に降り注ぐ太陽の光、日射量は、天体の公転軌道の周期的な変化を反映していると考え、その影響を計算しました。ミランコビッチの計算の結果、日射量には、いくつかの周期性が起こりうることがわかってきました。彼の名前をとって、天体運動による気候の周期的変動を、ミランコビッチ・サイクルと呼んでいます。
 天体の運動の周期性は、3つの要因が知られています。自転軸の円運動である歳差運動には、1万9000年、2万2000年、2万4000年の周期があります。地球の自転軸の傾きは変化して、現在は23.4度ですが、22.1度から24.5度の間を変化しています。その周期は4万1000年となっています。地球の公転軌道は楕円なので、太陽からの距離が変化(離心率)しているのですが、その周期は、9万5000年、12万5000年、40万年が知られています。
 これら3つの要因の周期を計算するのは、非常に大変です。ミランコビッチは、コンピュータや計算機のないころの研究者なので、複雑な方程式を、手計算で解いていきました。1920年から1930年ころにかけて、成果を報告しましたが、その周期性が氷河期に対応することを示しました。
 一方、いろいろな地質学的証拠から、氷河期の周期性が明らかになってきました。その結果、ミランコビッチ・サイクルと氷河期の周期性が一致していることがわかってきました。今では、氷河期の周期性の主たる原因は、ミランコビッチ・サイクルだと考えられるようになりました。
 ミランコビッチ・サイクルの他の要因として、大陸配置や大気組成も関係すると考えられています。
 大陸配置は、20億年前ころや7億年前ころにおこった、スノーボール・アースとよばれる、全球凍結するような激しい寒冷化には、重要な要因になっていたと考えられます。
 大気組成で重要なのは、現在問題視されている二酸化炭素ですが、全球凍結のときは重要な役割を果たしていました。全球凍結から回は、大気に大量に蓄積された二酸化炭素が、激しい温暖化を起こしたためであることがわかってきました。
 大陸配置も大気組成も、第四紀の氷河期に、どのような役割を果たしているのかは、実はよくわかっていませんでした。東京大学大気海洋研究所の阿部彩子さんたちのグループが、シミュレーションによる答えを出しました。次回、紹介しましょう。

・2月の大学・
私立大学の前期の入試は2月上旬に終わったのですが、
現在、内部での作業が続いています。
前期入試が終わると、
3月には後期の入試が始まります。
その間、いろいろな校務が発生して、
毎日のように打ち合わせや会議があります。
その合間には、卒業や進級にかかわる判定もあります。
大学は講義がなくても、
夏休みと違って2月、3月はそれなりに忙しくなります。
しかし、講義がない時期は、
講義準備や学生対応も減り、研究する時間がとれます。
こんなときが、忙しくはありますが、
稼ぎどきとなります。
日々研究することにワクワク感がでてきます。

・吹雪・
先週末に本州で大雪を降らした低気圧が発達して
今週はじめから、北海道を襲っていました。
数日、激しい風が吹きました。
地吹雪となって、雪に突っ込む車がありました。
私は歩いて通勤しているので、
吹雪で車から私が見えないと非常に危険ですが、
多くは、車の通らないコースを歩いていのですが、
大学構内を歩いているとき、
時々暴走車がいるので困ります。
注意して歩くしかありませんね。

2014年2月12日水曜日

3_125 氷期サイクル 1:間氷期

 縄文時代は、急激な温暖化が起こった時代でした。温暖化は、縄文文化を起こす重要な条件だったに違いありません。温暖期以前は氷河期でした。氷河期にサイクルがあることは知られているのですが、その原因に新たな説がでてきました。

 縄文時代は、縄(なわ)の文様がある土器が特徴的ですが、他にも磨製石器の使用、農耕と狩猟採集に基づく定住社会などを特徴としています。このような定住文化を生んだのは、気候変動が大きな役割と果たしていると考えられています。
 縄文時代は、ヴィルム氷河期の終わりから、急激に暖かくなってきた約1万5000年前から約3000年前までです。氷河期には陸に氷床ができるため、海水面が低下しています。間氷期になると、氷床が溶けるのと、海水の熱による膨張によって、一気に海面上昇が起こります。海退から海進への移行で、激しいところでは、100mも海面が変動したとされています。
 縄文時代は、日本でも海水面も上昇が調べられていて、縄文海進として知られています。縄文時代の約6000年前ころには、海水面が今より3~4mは高かった(日本では最大で5mほど)とされています。縄文遺跡の貝塚の分布位置から、当時の海岸線を読み取り復元されています。
 縄文時代は、今より2℃ほど平均気温が高かったとされています。氷河期の最も寒い時期と比べて、平均で10℃以上も気温変化があったと見積もられています。そんな寒さから開放されてきた時代に生まれたのが、縄文文化でした。氷河期から間氷期への移行は、短時間(一説では数百年程度)で起こったと考えられています。
 当時の気候変動は、現在心配されている温暖化の比ではなく、非常に激しいものだったのです。しかし、豊かな縄文文化が花開いたということは、古代の人にとって、温暖化は恩恵をもたらしたことになります。
 縄文時代より前の氷河期は、実は、一度きりではなく、何度も繰り返し襲来しています。最後の氷河期のヴュルム氷期(Würm)は7万年から1万5000年前、その前のリス(Riss)氷期は18万年から13万年前、ミンデル氷期(Mindel)は30万年から23万年前、ギュンツ氷期(Günz)は47万年から33万年前、ドナウII氷期(Donau II)は55万年から54万年前、ドナウI氷期(Donau I)は60万年から58.5万年前と名付けられています。それらは、バラつきますが、ほぼ10万年周期に起こっています。
 なぜ、氷河期が、繰り返しが起こるのでしょうか。従来の定説とは違った考えが、最近提唱されました。その紹介は、次回としましょう。

・大学入試・
大学は入試の真っ最中です。
各地で入試会場を設けておこなうため、
スタッフは各地に派遣されます。
地域によって受験生の多い少ないがありますが
受験生の便宜を一義に考えると
しかたがないことでしょう。。
我が大学だけなく、
本州の大学も北海道で試験をおこないます。
我が大学が試験会場にされている時もあります。
少々複雑な気持ちがしますが、
お互い様でしょうか。

・卒業研究・
大学は、入試とともに
4年生の卒業研究の発表会に時期ともなっています。
私の学科は、学期内の授業期間に発表会をしてしまいました。
それは、それでいいのですが、
時間的制約や教員の講義担当の制約もあり
一気に発表時間をつくることがなかなか難しくなります。
講義期間に内にすべて終わるというメリットもあります。
一方、講義に煩わされることなく
じっくりと時間をかけて指導したいという気持ちもあります。
学生は、どちらを選ぶでしょうか。
早く終わる方を選ぶでしょうか。
それとも熱心な指導でない方を選ぶでしょうか。
いずれも講義期間内になるのようですが、
本当のところはどうでしょうかね。

2014年2月6日木曜日

6_120 日本珍菌賞 2:謎が解けた菌

 日本珍菌賞について紹介しています。一位に輝いたのは、謎に満ちた菌の謎を解明したものでした。その解明された謎は、自然の不思議に満ちたものでした。その謎を解いた研究者は、熱心で真面目な人でした。

 日本珍菌賞の選考は、現代的にTwitterを使っておこなわれました。学術雑誌や学会報告された菌に限定して、2013年4月から5月にかけて、Twitterで候補を募りました。期間中に、約100アカウントから300以上のツイートが寄せられました。そこから、34種の候補が選ばれ、順位がつけられました。
 栄えある一位を受賞したのは、「Aenigmatomyces」という菌で筑波大学の出川洋介さんが発見されたものです。菌の珍しさもさることながら、その菌の生態を明らかにする努力と、解き明かされた不思議さも受賞に値するものでした。
 Aenigmato(エニグマト)は「謎(に満ちた)」という意味で、myces(マイセスあるいはミケスとも読みます)は「菌」という意味になります。Aenigmatomycesとは、「謎の菌」という学名を持つ菌なのです。このような学名がつけられたのは、実態がよくわかっていないためでした。
 出川さんは、エニグマトミケスを発見しただけでなく、その生態も解明しました。その生態が非常に不思議なもので、日本珍菌賞に値するものでしょう。
 出川さんが、神奈川県立生命の星・地球博物館の学芸員だったときに、発見しています。1999年の夏、箱根で観察会があった時、森から持って帰った土を培養しました。土のまま培養して、そこからどのような菌が出てくるかを調べていきます。一ヶ月ほどすると、見慣れない菌が発生しているのに、出川さんは気づかれました。かすかな記憶を頼りに論文を探り、それがエニグマトミケスではないかと考えられました。
 エニグマトミケスは、1993年にカナダのオンタリオ州の森で二度だけ見つかっています。ただ、正体が不明だったので、そのままの学名をつけられていたのでした。カナダから記載された標本(タイプ標本といいます)を取り寄せて照合したところ、同じものであることが判明しました。
 出川さんは、この菌を調べ続けました。出てきた菌を、顕微鏡で詳しくみると、精包に寄生していることがわかりました。精包は、トビムシなどの土壌動物が作る構造です。原始的な節足動物であるトビムシは、オスの精子をゼリーでくるみ、枯れ葉の上に柄をつけて立てたものをつくります。これを、精包と呼びます。オスが立てた精包を、そこの通りかかったメスが見つけて体に取り込んで受精します。このように交尾をしない繁殖方法は、間接受精と呼ばれています。
 幸運なことに、培養した土の中に、アヤトビムシ科の一種がいました。ですから、トビムシの精包に寄生する菌である可能性が高くなりました。それを確かめるために、野外でトビムシがたくさん生息している土壌を選んで持ち帰り、培養しました。すると、箱根以外にも入生田、丹沢、鎌倉など神奈川県の各地の土壌から、さらに関西地方の土壌からもエニグマトミケスを見つけることができました。ここまで調べて、やっとエニグマトミケスの「謎」が解けたのです。
 トビムシの生態も奇妙ですが、利用されなかった精包に寄生して、栄養としながら繁殖するのが、エニグマトミケスです。確かに、この奇妙さは、日本珍菌賞に値するものでしょう。
 もっとも不思議なのは、このような生態を調べ上げた出川さんではないでしょうか。ただし彼にとっては、特別なことではなく、ただただ好奇心に燃えて、知らないことを解き明かすということだったのでしょう。その熱意こそが一番の推進剤だったはずです。もちろん、並大抵の努力ではできないでしょう。出川さんが、非常に真面目で、研究熱心な人だったからこそ、このような奇妙な菌の生活史を探り当てることができたのでしょう。
 出川さんは、日本珍菌賞の授賞式で、「珍しいとされる珍菌はちゃんと探せば、実はどこにでもいる。珍菌を珍菌でなくするために研究をしている」とコメントされたそうです。素晴らしい姿勢だと思います。

・さらなる珍菌・
世界には150万種の菌類がいると推定されています。
記載され学名あるのは10万種ほどです。
日本で見つかっているのは、そのうち1万5000種ほどです。
総数は不確かだだとしても、
多数の菌類が、まだ誰にも知られず、
多様な生活を送っているはずです。
エニグマトミケスよりもっと不思議な菌類も
いっぱいいるでしょう。
そんな不思議さを、もっと伝えて欲しいものです。
2位以下の受賞をした菌も
http://www.huffingtonpost.jp/takashi-shirouzu/-_11_b_3432753.html
に紹介されています。
少々刺激的なものもありますが、
興味のある方は、どうぞ覗いてみてください。

・同僚・
出川さんがいた博物館に私もいました。
ですから、出川さんをよく知っています。
非常に真面目で、研究熱心な人でした。
その後、2009年からは筑波大学の施設で菅平にある
菅平高原実験センターに転出されました。
きっと、人里離れた森の実験センターは
出川さんにとっては、天国のようなところでしょう。
つぎつぎと成果も出されていることだと思います。
さらなる珍菌の発見があるかもしませんね。

2014年1月30日木曜日

6_119 日本珍菌賞 1:多様な生物

 人類は、菌類とは古くからから付き合ってきました。あるときは恵みを与えてくれる存在、ある時は危険な存在として、いろいろな側面を持っていました。今もまだ新種、新発見が相次いでいます。菌類に関する情報をほとんど知ることなく過ごしています。昨年「日本珍菌賞」というものができて、注目を浴びるようになりました。

 菌類は、キノコや納豆、醸造酒など、非常に身近な存在で、有用なものでああると思い当たります。菌類の持っている発酵という作用は、パンやチーズ、醤油、酒などの製造では欠かすことのできないものです。一方、腐ったり、カビがはえたり、水虫なと皮膚病の原因になったりと、迷惑な存在でもあることも知っています。ペニシリンのように命を救うものから、アルカロイドの猛毒をもつベニテングダケのようなものもあります。菌類は、非常に多様な側面をもっています。
 人類は、菌類を古くから警戒しながらも、有用として利用してきました。菌類は、胞子を飛ばして繁殖するため、非常に小さい目に見えない存在として振る舞います。そのため、実態がよくわかっていませんでした。酒造りでは、実態が見えないことから、その酒造りの蔵に住み着いた代々の麹菌を用いていたということもありました。
 菌類は、単細胞生物として小さいものから、目に見えるほど大きな多細胞生物もいます。また、無性生殖をするものも、有性生殖をするものもあります。多様です。
 菌類に共通する生き方として、栄養のとり方が、外部の有機物を利用していく「従属栄養」生物であるという点です。生物学で習ったように、植物が光合成をする生産者で、動物が植物などを食べる消費者、菌類が他の生物の分解者という関係になっていました。動物も外部にある有機物を取り込み体内で分解(消化)するのですが、菌類は有機物を細胞の外で分解し、それを細胞の表面から吸収するという仕組みになっています。
 菌類は、地球に存在する種類数が150万種と推定されているようですが、現在知られているのは、その1割にも足りません。私たちは、菌類をまだまだ知らないのです。新しい菌類が、今でも、次々と発見されていきます。
 菌類には、とびきり不思議な生態のものがあります。不思議で珍しい菌類に対して、日本菌学会が2013年6月に「日本珍菌賞」というものをつくり表彰することにしました。栄えある第一回日本珍菌賞の一位に輝いた菌類を、次回、紹介しましょう。

・大雪・
寒波があり、その後、比較的穏やかな日が続いたと思ったら、
次は激しい吹雪になりました。
めまぐるしく変わる天気です。
100年ぶりと言われた昨年の大雪に
今年は次ぐような積雪量になっているようです。
2月、3月にも降るかどうかが
大きな分かれ目になりそうですが・・・。
もう狭い道は雪で通行に支障がでています。
一台しか通れないような道が増えてきました。
広い道でも、車同士がすれ違うのが
恐ろしいようなところが多々あります。

・雪まつり・
いよいよ札幌の雪まつりも近づいてきました。
今年は2月5日から11日までです。
地元の私たちは、会場を歩いていると
知らず知らずに冷えて
風邪を引きそうになっています。
以前風邪をひいてからは、
テレビで見ることが多くなりました。
楽しいイベントがいろいろあり、
寒さも忘れてついつい疲れて
風邪をひきやすくなります。
まあ子供も大きくなったので、
それでもいいのですが。
なんとなく各種のイベントへの参加が
年々減っていくようで寂しくもあります。

2014年1月23日木曜日

2_123 最古の生命 2:決め手

 生命が存在したとされる岩石は、変成岩にみつかった鉱物でした。その鉱物から、生物であるという証拠が、2つ提示されました。さて、その証拠はどのようなものでしょうか。本当に生物はいたのでしょうか。

 最古の生命は、残念ながら見に見える形をもった化石ではありませんでした。生命の痕跡は、変成を受けた堆積岩のグラファイトから見つかりました。変成を受けると、もともとの情報はかなり失われることになります。もちろん生命の痕跡となるべき証拠も消えていくはずです。また、グラファイトも、変成を受けた鉱物なので、生物の情報が残っているのでしょうか。
 グラファイトは、炭素だけからできた鉱物です。グラファイトができるからには、変化を受ける前の物質も炭素の多いものだったはずです。炭素を濃集するメカニズムとして、一番に思いつくのは生物です。生物の体の主要成分は炭素です。石炭、石油も炭素の多いもので、起源は生物です。古い時代の炭素が濃集している地層は、かつては生物の遺骸が多数たまっていた層の可能性があります。ですから、最古の堆積岩で調べるべき地層は、炭素の多い層となります。グラファイトの多いところもその候補となります。
 では、グラファイトの炭素から何を読み取れるのでしょうか。まずは、詳しくみることです。するとナノメートルという非常に小さいサイズですが、現在の生物を構成する炭素が特徴的にもっている組織や外形が見つかりました。私には、写真をみてもよくわかりませんが、これは有力な証拠となるようです。
 そして、もうひとつは、炭素の同位体組成です。炭素の同位体には、炭素12(12Cと表記)、炭素13(13C)、炭素14(14C)の3つがあります。このうち14Cは放射性元素に由来し、量も少ないものです。12Cと13Cは安定しているため、この比は確かな手がかりとなります。生物の体をつくっている12C/13Cの値は、重い13Cが取り込まれにくいため、周囲の大気や海水の値とは違ったものとなります。その僅かな違いを利用して、生物起源の炭素かどうかを判断するという手法があります。大友さんたちは、生物起源と考えられる炭素の同位体比を検出しました。
 以上の2つの証拠から、38億年前の海(地層は海でたまったものだから)にいた生物であったと結論づけられました。
 非常に微細な構造をもった物質と、生物しかもたない化学成分、この2つが決め手です。ただし、そのような構造や成分が、本当に生物以外で生み出されないのか。今後、専門家間での議論によって判定されていくでしょう。

・後期終了・
大学はいよいよ後期の講義が終わります。
来週からは定期テストです。
1月も慌ただしく終わっていきそうです。
そして大学入試の2月になっていきます。
寒さや雪も今年は一段と厳しいようです。

・卒業研究・
先日、学科の卒業研究の発表会がありました。
発表内容は、学生それぞれのレベルとなっています。
努力した人、かろうじて整えた人、
膨大な努力や研究が背景にあることを伺わせる人、
教員や社会に出た時に役に立ちそうな研究、
多様な卒業研究がありました。
私としては、結果より過程を重視したいといつも思っています。
努力は結果と直結しないこともあります。
しかし、努力をした経験はきっと将来活きてくると思います。
人間として、経験の大きさはきっと
将来の人生に、違いを生んでくるでしょう。
いや、もう生まれているのかもしれません。
だから、私のゼミでは最後まで努力を求めます。

2014年1月16日木曜日

2_122 最古の生命 1:変成岩から

 グリーンランドの「堆積岩」から、生命の痕跡が見つかりました。日本の研究者が中心になっての研究成果です。実際に化石が見つかっているわけではありませんが、生命の痕跡としています。どのような根拠に基づくのでしょうか。

 このエッセイでは、生命誕生にかかわる話題として、「生命の起源」や「コモノート」などのシリーズで紹介してきました。生命の起源は、常に興味がそそられる話題です。
 2013年12月に最古の生命の証拠が新たに報告がなされました。その概要を紹介してきましょう。
 最古の生命の舞台のおおくは、グリーンランドのイスア(Isua)です。ここには地球で最古の堆積岩がでているためです。もちろん、今回の報告もイスアの試料を用いています。
 当然のことながら、生命の痕跡探しは、化石がみつかる堆積岩でおこなわれます。他の成因の岩石として火成岩や変成岩があります。火成岩はマグマが固まったもので、マグマの中では生命は存在しません。ですから、火成岩からは化石には見つかるはずがありません。変成岩は、もとの岩石種は問いませんが、高温高圧条件で別の岩石になったものです。もとの岩石が堆積岩で化石を含んでいたとしても、化石の痕跡は消えてしまいます。
 したがって、化石探しは堆積岩でということは、当たり前のことになります。堆積岩のある鉱物に着目して、詳細な分析から生命の痕跡が示されたことがありました。その結果を、多くの地質学者は信じていたのですが、実はその岩石が火成岩であったことが判明しました。その報告は否定されました。他にも、イスアでの最古の生命探しは、何度も発見したという報告があり、その後、証拠や手法などの不備が指摘され、立ち消えになるという繰り返しがありました。
 現在まで、イスアの38億年前の地層からは、化石はまだに発見されていませんでした。そんな状況のもと、今回の報告がなされました。東北大学の大友陽子さんたちのグループがおこなった研究の成果でした。2013年12月8日のNature Geoscience(電子版)に掲載されました。タイトルは
Evidence for biogenic graphite in early Archaean Isua metasedimentary rocks
(初期太古代のイスアの変堆積岩中の生物起源のグラファイトの証拠)
というものでした。
 このタイトルにはいつくか気になる術語があります。「変堆積岩(metasedimentary rocks)」と「生物起源のグラファイト(biogenic graphite)」です。
 まず、「変堆積岩」とは、変成作用をうけた堆積岩です。変成岩と言ってもいいのでしょうが、堆積岩のつくりや特徴をよく残しているのですが、岩石やその構成鉱物は変成を受けて別の鉱物に変わっているものをいいます。さきほど述べた、変成岩からは化石が見つからないという一般論に反しています。今回の報告は、そんな岩石から化石の生命の痕跡を見つけたのです。
 次の「生物起源のグラファイト」ですが、グラファイトとは炭素からできている鉱物で石墨とも呼ばれています。鉛筆の芯に使われていものと同じです。炭素だけからできている鉱物なので、その中には化石はありません。炭素は、生物にとって必要不可欠な主要成分です。生物がいたとして、化石が埋まっていたとしても、グラファイトになっていのですから化石は消えてしまっているはずです。しかし、そのグラファイトが生物起源だと認定できるということです。
 それらの詳細は次回としましょう。

・大雪・
週末から連休にかけて、
わが町は大量の雪が降りました。
成人式の参加者は
大変な思いをされたのではないでしょうか。
岩見沢の方の積雪はもっと大変だったようです。
今では、道が通常の半分ほどの幅しかなく
車も人も非常に危ない思いを通行しています。
12月までは雪が少ないと思っていたのですが、
帳尻を合わすように、
暮れから度々大雪が降っています。
今では、例年にない積雪量となっているようです。

・センター試験・
大学は、正月明けから1週分の講義があり、
通常モードにもどりました。
次には定期テストが控えているので、
学生たちには緊張感があるようです。
大学全体では、週末のセンター試験の準備で
なんとなく落ち着かなくなっています。
センター試験は教職員総出での体制となっています。
受験生は、もっと緊迫した気持ちで
今を過ごしているのでしょう。
健闘を祈ります。

2014年1月9日木曜日

3_124 本源マグマ 5:特異か普遍か

 2つの本源マグマの発見は、沈み込み帯で起こる火山活動全般に再考を迫る可能性があります。発見された2つの本源マグマが、特異な背景を持つものなのか、それとも普遍的なものかによって、地質学の進展においては大きな違いとなります。

 田村さんたちが報告した本源マグマ自体が珍しいものであるうえに、2種類も見つかったことも驚きです。非常に貴重な発見だといえます。そして、もっとも重要なことは、沈み込み帯におけるマグマ形成のメカニズムに、再考を迫ったことでした。
 列島のマグマ形成は以下のメカニズムだと考えられています。海溝で列島の下に沈み込む海洋プレートは、深くなるにつれて水分などの成分が絞り出されます。それらの成分が、列島下のマントルにつけ加わると、岩石を溶かす効果が起こります。絞り出された成分は、多くは水分ですが、海洋プレートの上層にあった堆積物が、高温高圧のために少し溶けたもの(メルトと呼ばれています)も、マントルに供給されます。水分とメルトが混じったものが、マントルの岩石を溶かしマグマをつくります。そのようなマグマが、列島の火山の起源となると考えられていました。
 沈み込む海洋プレートから絞り出された水とメルトは、量や比率は変化しますが、両者が混じってマントルを溶かすために使われていると考えられていました。それらの成分は、マグマの中に混っていることになります。
 ところが、今回、本源マグマとして、つまりマントルが溶けたものとして、水分の多いマグマとメルトが多いものとが見つかったのです。さらに、同じ火山体に、同時期に2つ、本源マグマとして存在したことになります。このような事実をどう考えればいいのでしょうか。少なくとも今までの考えでは、地表には出てくるはずのないマグマです。
 実際の試料やデータ、さらには状況証拠から、沈み込んだプレートから水分とメルトが絞り出されるのですが、それらが混じることのない状態(イミッシブル、不混和)のまま移動し、別々にマントルを溶かして、異なる本源マグマをつくったと考えられるのです。これが、田村さんたちのいう「ミッション・イミッシブル仮説」です。
 「ミッション・イミッシブル仮説」が、この地域、この火山だけに起こった特異な現象なのか、それとも普遍的に見られる現象なのかを、今後、解明していく必要があります。
 もし局所的な現象であれば、なぜ本源マグマが2つも形成されたのか、その地域性や特異性を説明してく必要があります。もし普遍的現象であるのなら、他の列島の火山でも、このようなイミッシブル現象が起こっていなかったかを検証していく必要があります。「ミッション・イミッシブル仮説」が起こっていたとなると、列島のマグマ形成メカニズムに大きな変更を迫ることになります。今度の研究に期待したいものです。

・利器のありがたさ・
明けましておめでとうございます。
穏やかな正月を迎えられたでしょうか。
我が家は、30日の夜に給湯器が、突然、故障しました。
そのため、風呂に入れなくなりました。
サービスセンターにいろいろ業者に手を回していただき
1月4日には新しい設備が入手でき
取り付けられることになりました。
そのため風呂は、大晦日と正月は、
毎日、スーパー銭湯や温泉に通うことになりました。
正月なのでいいことだともいえますが、
毎日のことだと少々疲れます。
大雪でも出かけなければなりません。
4日の午前中には給湯器をつけていただき、
お湯のある生活、自宅で風呂に入れる生活に戻れました。
お湯が出ることが当たり前の生活に馴れると
そのありがたさを忘れてしまいます。
今年の正月は利器のありがたさを
再確認することができました。

・授業再開・
大学が授業が再開しました。
息子たちは、今週一杯冬休みです。
まあ、クラブで学校にはでていますが。
4年生は卒業研究の発表の準備。
3年生以下は、定期試験の準備。
教員はセンター試験と定期試験の準備。
正月明けから3月までは、
なにかと慌ただしい日々が続きます。

2014年1月2日木曜日

3_123 本源マグマ 4:2つの本源

 火山全体を形成するマグマの本体が、本源マグマだと考えられています。本来、ひとつのマグマから多様性を形成するという思想で考えられたのが、本源マグマでした。ところが、今回発見された本源マグマは、2種類ありました。この2つの本源マグマは、いったい、何を意味しているのでしょうか。

 独立行政法人海洋研究開発機構の田村芳彦さんたちは、マリアナ諸島の中央に位置する、パガン島から本源マグマを発見しました。その経緯を紹介します。
 パガン島は、マリアナ諸島の中央部に位置し、現在も活動するもっとも大きな火山島で、標高540mあります。火山ですが、深度3000mの海底にそびえ、本体の多くは海面下にあります。今回発見された本源マグマは、パガン島の北の海底のからみつかりました。
 海洋研究開発機構の無人探査機ハイパードルフィンで、2010年に調査されました。ハイパードルフィンの#11147の潜航によって、23個の溶岩が採取されました。溶岩のうち、R1からR14(COB1)と、R15からR21(COB2)、そしてR22-R23は、性質が違っていました。
 採取された試料のうち、重要な意味を持つのは、COB1とCOB2の2つタイプでした。COB1は深度1700mに、COB2は深度1500mに位置する海底の高まりで、溶岩噴出で小山になっているようです。火山岩の産状は、枕状溶岩で、風化はなく、表面に堆積物が積もっていないので、非常に新しいものでした。
 採取されたCOB1もCOB2も、その化学組成は、マントルのカンラン岩ができてほとんど結晶を出していない(未分化といいます)、本源マグマの特徴を満たしているものであることがわかりました。COB1とCOB2は、いずれも本源マグマとしていいものでありながら、化学的な性質が違っていました。
 これは、従来の本源マグマの考えに反するものです。従来の考えとは、起源物質が溶けて、一つのマグマがその系列の始まり、本源としてスタートするというものです。
 今回発見された2つの本源マグマは、化学的に未分化なマグマであることが一番の根拠ですが、大きな一つの火山体の脇から噴出していること、活動中の本体の火山と同じく最近噴出していることなどから、現在の火山活動をしているマグマと深く関連していると考えられます。つまり、いずれも、現在の火山活動をしている本源マグマと考えられるということです。
 本源マグマが海底に噴出したのは、特別な経緯をたどったためだと考えられます。通常、本源マグマは、マグマ溜まりに一旦入ります。マグマ溜まりでは、前に述べたように、結晶の晶出がはじまるため、結晶分化が起こります。したがって、本源マグマは地表には現れないということになります。
 しかし、今回発見された本源マグマは、特別な経路をたどったことになります。マントルが溶融して上昇中の本源マグマが、マグマ溜まりに達する前に、途中にできた割れ目から、噴出したものだと考えざるえません。そのため、結晶分化作用を受けることなく噴出したことになります。
 この2つの本源マグマの発見が、田村さんたちの、「ミッション・イミッシブル」仮説の発端となっています。

・謹賀新年・
明けまして、おめでとうございます。
多くの購読者のおかげで、昨年1年を滞りなく、
発行することができました。
本年も、できれば、今までの同じように
エッセイを発行していければと願っています。
本メールマガジンは、地質学、地球科学という
非常にマイナーな分野のエッセイです。
私は、このエッセイの他にも、
月刊メールマガジン「地球のつぶやき Terra Incognita」(毎月1日発行)、
月刊メールマガジン「大地の眺める」(毎月15日発行)
を発行しています。
2つとも、私が専門としている
地質学を題材にしたエッセイですが、
長年継続しているものです。
いずれのエッセイも、この週刊メールマガジン
「地球のささやき Sound of The Earth」
を母体として誕生したものです。
ですから、私としては、このエッセイを
大切に守り、そして継続していこうと考えています。
そのためには、皆様の購読が一番の励みとなります。
今年もよろしくお願いします。

・継続を選択・
年のはじめに、どのようなエッセイを書こうか考えました。
特別な内容のエッセイを書くかともと考えました。
しかし、このエッセイは淡々と地質学の話題を提供するを
旨として発行してきました。
ですから、特別な記事を書くことなく、
昨年から継続中のエッセイを淡々と書くことにしました。
前回のエッセイで、何を書くか迷っていると書きましたが、
継続の話題を書くことにしました。
ご了承ください。