2012年10月25日木曜日

2_109 ウイルス 1:生物とは

 ウイルスは生物だろうか。それとも生物ではない、他のなにかなのか。これは、結構、悩ましい問題です。それに関する論文が、夏に出ました。発表からしばらくたってしまっているのですが、それを紹介しながら、生物と無生物の境界について考えていきましょう。

 ウイルス(virus)は、ラテン語を由来としていて、「毒液」や「粘液」という意味をもっていました。古代ギリシアの「医学の父」とも呼ばれるヒポクラテスは、病気を引き起こす毒という意味で用いたそうです。かつて、日本では「病毒」と訳されたことがあるそうです。
 ヴィールス(ビールス)とも発音されることがあります。ヴィールスはドイツ語の発音ですので、どちらも間違いではないのですが、今では、ラテン語発音に近い「ウイルス」が採用されています。
 生物としての活動を満たさず、生物らしくもなく、無生物とも呼べない生物らしさもあります。現状の生物の扱いも、高校の生物の図録資料集をみると、「生物と無生物の中間的な存在」と書かれています。無生物ではなく、「非生物」と呼ばれることもあります。
 考え方によって、どちらにでもなるような存在のようです。
 生物は、一つの入れ物の中で、遺伝情報としてDNAに持ち、その情報をRNAが運び、タンパク質を形成します。タンパク質が代謝という生物の営みをします。営みの結果として、自分の分身を生み出し、増殖していくことを目標としています。まれに増殖時に変異がおき、変異の積み重さなることで、元とは違った生物への進化していくことも、生物の営みのひとつに組み込まれています。
 生物の定義を、生物学の用語でいうと、個体、代謝、複製、進化という4つのキーワードに収斂できます。言葉にすると簡潔に述べることができる生物の定義なのですが、現実には、そう単純にはいかないようです。
 階層の違っている概念を生物の定義としていることに、矛盾を生む要因があるのかもしれません。細胞という単位で示される個体は、代謝と複製の場、あるいはその環境を提供するものです。代謝と複写にはDNAやRNAが関与します。進化は、DNAを介在しながら、長期にわたる変化の累積の結果です。
 生物の定義には、時空間において、概念やスケールの違うものが混在しています。階層の違う時空を、DNAが介在しています。そのようなスケールの違いが、混乱を生み出しているのでしょう。
 ウイルスは、DNAあるいはRNAをもち、他の生物の代謝機能を用いて増殖していくという戦略をとっています。自身は、生物としての機能の一部しかもっていません。大きさも最小限にしています。それを生物と呼んでいいのでしょうか。それが今回のテーマです。
 今年の夏に、このテーマに関す論文が発表されました。その内容を紹介しながら、考えていきたいと思っています。

・切り替え・
北海道、札幌では、
教員採用試験の結果がでました。
そこには、悲喜こもごもの思いが渦巻きます。
現役で受かった人は、喜びとともに
今後の自信へのゆらぎあるでしょう。
臨時採用で頑張っていた人は、
喜びとともに
来年の赴任地への思いが飛んでいるでしょうか。
ダメだった人は、
今後の自分の進路の再考をするでしょうか。
気持ちを切り替えて来年の採用試験に向かうでしょう。
出てきた結果は、もう変わりません。
素直に受け入れて、
次のステップに心を向けなければなりません。
そんな、切り替えを期待します。

・冬支度・
北海道では、初雪があちこちの山で観測されました。
先日、通勤時に毎日眺めている手稲の山並みに
白い冠雪がみられました。
自宅でもはじめてストーブをたきました。
例年より遅いか早いのか、わかりません。
今年の夏が、遅くまで暑かったため、
秋の訪れが、早く、短く感じます。
各地の植栽には、冬囲いがはじまりました。
そろそろ冬支度ですね。
しかし、次男はストーブをたいたら
半袖のTシャツになっていました。
まだ、次男の夏は終わっていないのでしょうか

2012年10月18日木曜日

4_108 羽越調査 5:有耶無耶


(2012.10.18)
 9月におこなった調査のシリーズは、今回で終わりにします。今回は、羽前と羽後の国境にある関(せき)の話です。関ができたのは、地形的に険しいところだからです。その険しさは、火山活動でした。シリーズの最後は少々「うやむや」になります。


 富山、長野、新潟、山形、秋田へとたどった野外調査の最後は、鳥海山にしていました。ただし、鳥海山に向かう前に、一箇所いってみたところがありました。ある史跡でした。
 日本海側の昔の国名でいうと羽前(山形県)と羽後(秋田県)の国境(くにざかい)にあり、三崎(みさき)山があります。南の不堂崎から大師崎そして観音崎まので3つの三崎があるので、三崎山と呼ばれています。三崎山は、鳥海山から流れた火山噴出物からできています。海岸は、日本海の荒波で侵食を受け、切り立った断崖になっています。
 海岸は断崖絶壁が連なり険しく、山間を通る三崎峠は、「馬も通れない」ほどの険しい難所とされていました。
 地形的に険しいところは、通れるところが限られるため、交通路の要や戦略的にも重要な地となります。9世紀頃、対立する蝦夷(えぞ)の侵入を防ぐために関がつくられていたようです。
 今回行きたかった史跡は、「有耶無耶(うやむや)の関」と呼ばれているところです。「うやむや」とは、はっきりしない、あいまいな、という意味です。「有耶無耶」の由来は、「うやむや」ではっきりしていないようですが、「有耶無耶」はもともと「有りや無しや」とよんだものを、「うやむや」と音読みしたという説もあります。語源も有耶無耶です。
 実はもうひとつ「有耶無耶の関」とされているところがあります。陸前(宮城県)と羽前(秋田県)の国境であった笹谷(ささや)峠のあたりにあったとされるものです。候補も2つあり、うやむやです。
 今回いったのは、山形県と秋田県の県境、三崎峠付近の関のあとになります。現在は国道脇のパーキングエリアに「奥の細道」や関の跡と示す看板がありました。しかし、それだけで何もありません。
 小高い丘を登る小道があったので、登ってみたのですが、すぐ下ってしまい何もないところでした。そこから少し歩くと、日本海の見える断崖にでました。すぐ脇には展望台もあり、雄大な日本海がみえました。でも、それだけで、なにもないところでした。
 有耶無耶の関があまりになにもないところなので、どこかにあるのだろうか不安になりました。歩いて旅行されている方が、展望台にいました。もしかした知っているかもしれないと思い、彼に聞いたら、ここが有耶無耶の関であるということも、ご存知ありませんでした。どこが有耶無耶の関なのかも、うやむやでした。
 パーキングエリアに看板だけがある史跡で、ほんとうに有耶無耶なところか思ってしいました。帰ってきてから案内図を写した写真をみて、気づいたのですが、旧道をさらにいったところに関のあとがあるようです。それを知らずにいました。
 その時私は、旅の最後が有耶無耶にならないように、最後の目的地である鳥海山に車を向けました。

・入試シーズン・
大学は来年度の入学に向けて
いろいろな動きが活発になってきました。
私立大学は国公立と比べて早めに動きます。
AO入試はすでにはじまっていて、
10月下旬にその合否の結果が発表されます。
11月には推薦入試の募集がスタートします。
そうなるといよいよ入試シーズンが
本格化してきます。
もちろん教員はそれに駆り出されます。

・それぞれの秋・
全国的に今年の夏から秋の暑さは
例年にないものでした。
9月下旬から10月にかけて
北海道では一気に秋が深まってきました。
ひと雨ごとに、朝夕の冷え込みが強くなっていきます。
自宅内でも一枚羽織らなければ肌寒さを感じます。
ストーブの使用もそろそろかもしれません。
紅葉は少々遅れているようですが、
秋の深まりを感じさせる日々が続きます。
しかしなぜか、うちの次男は
Tシャツ一枚で今も過ごしています。
家内からいわれて、
学校への行き帰りはヤッケを羽織っているようですが。
次男の夏はまだ終わっていないようです。

2012年10月11日木曜日

4_107 羽越調査 4:光輪

 秋の調査の最終目的地は、鳥海山でした。鳥海山は大きな山で、いろいろな地質学的見所があるのですが、今回は、ちょっと眺めるだけで、小手調べのようなものです。でも幸運なことに、ほんと束の間、雲が切れて山頂を眺めることができます。そして、もうひとつ、いいことが・・・


 秋の調査の終わりに、鳥海山を目指しました。鳥海山は、山形と秋田の県境にある大きな火山です。何度かの噴火の記録があり、1974年3月から5月にかけては噴気を出したことがあるので、活火山に分類されています。
 現在は、無料になった鳥海ブルーラインを使えば、海抜0mの海沿いの国道から、標高1100mまで一気に登ることができます。
 蒸し暑い残暑の残る9月でしたが、平日のせいもあり、交通量の少ないブルーラインを登って、5合目の鉾立(ほこたて)につきました。鉾立で鳥海山を見ることにしたのですが、周辺は晴れているのですが、山頂付近だけ雲がかかっていました。展望台でガスのかかった奈曽渓谷をみていました。それはそれで幻想的ではあったのですが、ブロッケン現象が起きました。
 背後に太陽があり、自分の影が霧などにできることです。そのとき、影の周辺の霧の水滴によって光が散乱され、影の周りに虹の輪ができます。そのような影と虹が織りなす現象を、ブロッケン現象と呼んでいます。日本では、光輪とか御光(ごこう)、御来迎(ごらいごう)などと呼ばれてています。
 ブロッケン現象ができる条件は、太陽と自分と雲が一直線に並ばなければなりません。平地でも、早朝に霧が出ていると、見えることがありますが、なかなか起きない現象です。高山や飛行機に乗ったときに、条件さえ良ければ見ることができます。まあ、現在では飛行機にのったり、高山に車で上がることが簡単にできるようになりましたので、見える機会は増えたはずです。しかし、常に起こる現象でもないので、珍しい現象であることには変わりありません。
 自分の姿を写す影が虹に彩られる現象は、やはり御光や光輪という呼び名がふさわしいように思えます。手を振れば影も周りの虹も手を振ります。不思議な現象です。
 鳥海山ブルーラインを登りはじめたのは、午後3時を過ぎていました。その日は晴れていたのですが、鳥海山の山頂には、雲がいつもかかっている状態でした。ですから、今回の調査では、鳥海山の山頂を見ていませんでした。うまく雲が切れれば山頂が見えるかもしれない、だめでもともとのつもりでブルーラインを進みました。
 交通量が少なく、緑も多かったので、非常に快適なドライブでした。5合目の展望台についてから眺めても、山頂には雲がかかっていました。ブロッケンが起きたあとしばらくしたら、山頂の雲も晴れました。非常に幸運でした。

・虹・
ブロッケン現象でみえる虹色と
本来の虹とは、厳密には違っています。
虹は、水滴によって、光が屈折と内部反射されてできます。
ブロッケン現象は、雨の粒よりもっと小さいな水滴である
霧による散乱でできるものです。
と原理は紹介できますが、
その不思議さはいずれも同じでしょう。
そして見た時の感動も同じようなものです。
ただし、ブロッケン現象は自分が中心になっています。

・不運・
鳥海山についていはのは、
夕方近い時刻だったので、
山頂や周辺を散策する時間はありませんでした。
1000m以上も高いところだった鳥海山5合目は
涼しかったのですが、
当日宿泊予定のにかほ市象潟(きさかた)は、
海沿いにあり蒸し暑かったです。
これは不運でしょうか。
まあ、思い出はいい方だけ残るので
いいのかもしれません。

・いつも忙しい・
大学は大学祭もおわり、
学生たちも落ち着きを取り戻したようです。
1、2年生の学生にとっては、
12月まで大きな行事もなく、淡々と講義が進みます。
ただし、4年生の就職の決まっていない人は就活を
3年生は12月から就活が本格化してきます。
教員採用試験を受けた人は、
これから結果がでてきます。
大学は、AO入試や推薦入試など、
来年度の入試がもうスタートしています。
一見淡々としたようにみえても、
よくよく考えると、慌ただしいことが
水面下では起こっているのです。
まあ、いつも忙しいということでしょうか。

2012年10月4日木曜日

4_106 羽越調査 3:安房峠

 飛騨から信濃に抜ける道は、古くから生活道として使われていました。大正時代からは観光道路として重要性が増し、昭和には峠道が整備されました。平成になってトンネルができました。そんな安房峠とトンネルについて考えました。


 今回は安房峠を通ろうかどうか迷いました。地元の人に聞くと、細い道でほとんど車が通らないから現状は知らないといっていました。まあ、通れることできるようなので、予鈴通り通っても良かったのですが、眺めたい山には雲がかかっていたので、眺望はなさそうなので、目的地を上高地に変えました。
その時、峠とトンネルについて考えてました。
 安房峠とは、長野県松本市と岐阜県高山市との間にあり、国道158号が通っています。飛騨山脈の南に位置して、アカンダナ山と安房山の鞍部にあたり、標高は1790mもあります。このような山深いところの峠ですから、冬期間は通行止めになります。
 岐阜県と長野県の交通の要所でもあり、交通量の多い国道だったのですが、ヘアピンカームも多数あり、大型車が通るときは、切り返しが必要になり、交通渋滞を起こしていました。観光客の多い時期には、通過に5時間以上のかかっていたといいます。
 1997年12月、安房峠の下に安房トンネルができ、冬季も通行が可能になり、渋滞も解消されました。安房トンネルを通れば、5分で向こう側に行くことができました。かつての渋滞は嘘のように消え、峠道は静かになりました。
 このトンネルは、焼岳(やきだけ)火山の下を通過します。もちろん、マグマの中を掘るわけではないのですが、高温の部分を通過します。ですから、かなり危険な工事でもありました。細心の注意がはらわれ、トンネル工事は無事終わりました。
 国道への新しい道路の取付工事中に水蒸気爆発が起こり、4名の作業員がなくなっています。またトンネル工事の影響で雪崩や土砂崩れも起こり、ルートの変更や旅館の移転もされました。
 私は岐阜から向かいましたが、その日の宿泊は、松本側の旧道をトンネルから少し戻ったところにある中の湯温泉旅館でした。移転した旅館は、この中の湯温泉旅館でした。安房トンネルも安房峠も通りたいし、安房トンネルは有料なので2度も通るつもりはありません。なかなか難しい選択です。最終的に、トンネルを3度通ることになりました。
 実際には、岐阜の安房トンネルの入り口にあたる平湯温泉の駐車場にレンタカーを止め、そこからバスで上高地に向かいました。バスで上高地を往復することになるので、安房トンネルを2回通ることになりました。
 ご存知のように上高地はマイカーの乗り入れた禁止なので、公共の交通機関で行くしかありません。9月上旬だったので、夏休みも終わり、紅葉にも早い時期だったので、バスも数人乗っているだけで、のんびりと行き来できました。
 上高地で岳沢を見たあと、バスで岐阜側にもどり、レンタカーで自分の運転で安房トンネルを通りました。トンネルは、その掘削には地質の影響を受けるので、地質学者の興味をひきます。しかし、トンネルが出来ると、交通量の多いトンネルはコンクリートしかなく、車の流れに乗っかているだけで、その背景を感じる余裕がありませんでした。少々時間がかかっても、峠道を通ったほうがよかったのかな。後悔先に立たずですね。

・焼岳・
岐阜の新穂高温泉にいき、
長野の中の湯温泉旅館にいったのは、
焼岳を見るためでした。
焼岳は、活火山です。
現在は一部が登山可能ですが、
北峰は登頂はできますが、
南峰は崩落等で危険なため立ち入り禁止になっています。
中の湯温泉旅館は焼岳の登山口にあるので、
止まっている方の何割かは、登山客でした。
泊まった翌日、雨だったのですが、
いけるところまでいくという登山も客いました。
私は、見るだけでいいのです。

・上高地・
上高地にいくのは2度目でした。
最初は上高地に宿泊して、
2日間散策して堪能しました。
でも、もし天気がよくて
峠を通ることになっていたら、
上高地は行かなかったはずです。
天気がもう一つでしたが、
一時期だけ、雲が切れ岳沢がみえました。
やはり大きな山は迫力があります。
その谷あいをぬって流れる梓川もきれいで素晴らしいです。
そのヨーロッパのような景観を持った上高地に
観光客が多いのもうなずけます。
チャンスがあれば、紅葉に時期にいきたいものです。