2012年1月5日木曜日

6_96 漱石枕流

明けましておめでとうございます。今年の年明けは、この言葉を使うのも憚(はばか)られる気がします。でも、年のはじめは、やはりこの言葉がふさわしい気がします。最初のエッセイは、地質とは少し離れて、故事からはじめましょう。一年の始まりですから、ゆるいスタートでいいのでないでしょうか。

 「漱石枕流」という言葉をごぞんじでしょうか。夏目漱石(本名は夏目金之助)の「漱石」という号(ごう)も、この言葉からとっています。「漱石枕流」は、なかなか興味深い故事です。石にまつわる「漱石枕流」という故事を紹介しましょう。
 もともと中国には「枕石嗽流」(漢字の順番が違っています)という故事がありました。「石に枕(まくら)す」とは、石を枕にすることで、「流れに嗽(くちすす)ぐ」とは、川のせせらぎで口をすすぐという意味です。読んで字のごとく、自然のままの生活のことで、俗事とはかけ離れた暮らしをするという意味で用いられていました。
 西晋(せいしん)の孫楚(そんそ)は、才能があり、学問も優れていました。楚は、若いとき、隠遁したいという気持ちを持っていました。あるとき、宰相の王済(おうさい)に向かって、その故事を引用して伝えようとしました。ところが、「枕石嗽流」を「漱石枕流」といい間違えてしまいました。
 済がその間違いに気づき、「石では口をすすぐことのできないし、せせらぎは枕にはならではなかいか」とひやかしました。負けず嫌い楚は、自分のいい間違いを正すことなく、いい返しました。「石に嗽ぎ」とは、石で歯を磨くことで、「流れに枕す」とは、俗事を聞いた耳を洗うためだといい返しました。
 この楚の負けず嫌いのこじつけが、故事として残ったのです。言葉の本来の意味とは違ったほうが故事として残ってしまいました。言い間違いの出来事が由来となって、負け惜しみが強いという意味につかれています。中国の人びとも、こんなささやかな言い間違いを故事として残しました。
 夏目漱石の号も、もちろんこの故事に由来しています。彼は、このような性格になりたかったのでしょうか。それともそのような自分の性格を自嘲するつもりで使ったのでしょうか。その理由は知りませんが、ユーモアのセンスと知識に裏付けされた号といえます。
 以前、どこかの国の宰相の間違いもニュースになり、多くの人の心に残りました。いずれは、故事になるのでしょうか。昨年の原発事故の当事者側が用いた言葉には、「漱石枕流」のような言い回しが、至る所でありました。庶民は大いに惑わされました。庶民は、それを中国の故事のように、揶揄していくもの一興でしょう。主流メディアにあまり期待できないのなら、庶民が本来もっているユーモアセンスで、笑い飛ばしてしまいましょう。そして、少しでも世の中を明るくしていきましょう。

・祈り・
北海道も小雪は降っていますが、
穏やかや年明けを迎えました。
いつものように家族と、
いつものような正月を
穏やかに過ごせることの
幸せを、ありがたさをかみしめています。
ひとりでも多くの人に、
こんな当たり前の幸せが
行き渡ることを祈っています。

・今年の決意・
お気づきなったでしょうか。
今までのエッセイとは
少々味付けが変わっています。
気づかなければいいのですが。
気になった方は、その意味を別のエッセイに書きましたので
http://terra.sgu.ac.jp/monolog/2012/120.htm
を御覧ください。
3.11で私も思うとことがありました。
それを少しずつ実行に移すというのが
年頭の決意でもあります。