2012年1月12日木曜日

2_102 首長竜の赤ちゃん 1:イクチオサウルス

胎生の首長竜化石が発見されました。昨年の夏のことです。魚竜の胎生は以前から知られていましたが、今回の発見は、新たなタイプです。首長竜の赤ちゃんの化石を紹介しましょう。

 化石は、いろいろな地域のいろいろな時代からみつかります。新たに見つかった化石からは、今まで知られていなかった事実が発見されることがあります。それら多数の事実が積み重ねられて、より確かな生命の歴史が編まれていきます。
 恐竜の新発見についても、このエッセイでも何度か紹介しました。今回は、胎生の恐竜化石の新発見についてです。
 赤ちゃんを産む胎生の恐竜(分類上は恐竜ではありません)がいることは、以前から知られていました。海生の爬虫類には、胎生であることを示す化石がみつかっています。
 胎生の海生爬虫類は、魚竜、イクチオサウルス(Ichthyosaurs)とよばれているものです。手足はヒレになっていてイルカのような体型をしていています。海に完全に適応した生物となっています。爬虫類ですから、もとともは陸上生物であったものが、海で生活するようになり、適応していったものです。このような進化を収斂(しゅうれん)と呼んでいます。
 イクチオサウルスは、2億5千万年前(三畳紀前期)に出現し、9000万年前(白亜紀後期)に絶滅しています。体長は2mから4mほどあり、体重は1トン弱です。ジュラ紀に繁栄し、海では最強の捕食者になっていたと考えられます。イクチオサウルスの化石は、1699年にウェールズから出た化石片から記載されています。大英自然史博物館に非常の保存のよいものが飾られています。
 その後、白亜紀になると、首長竜、プレシオサウルス(Pliosaurus)が、海の生態系の頂点の座をうばったと考えられています。プレシオサウルスは、手足はヒレとなっていますが、首が長いのが特徴です。プレシオサウルスは、三畳紀後期に出現し、白亜紀末まで生きつづけました。
 プレシオサウルスと恐竜は、じつは別のグループです。どちらも、爬虫綱、双弓亜綱に属しているのですが、ペルム紀から別系統して分かれました。恐竜は竜盤目や鳥盤目ですが、首長竜は首長竜目で、お互いに違った分類体系になります。ちなみにイクチオサウルスは魚竜目で、やはり違ったグループになります。爬虫類や双弓亜綱で大くくりにすれば、いずれも同じですが、違った進化をしてきたグループになります。
 プレシオサウルスは、その生態がよくわからなかったのですが、2011年夏、プレシオサウルスの体内から胎児の化石が見つかりました。その詳細については次回としましょう。

・メアリー・アニング・
私は化石が専門ではないのですが、
イクチオサウルスの化石は、
私が以前勤めていた博物館にもありました。
また、大英自然史博物館の有名な化石もみたので
少々馴染み深いものです。
大英自然史博物館の化石は、
1811年にメアリー・アニングが
英国南部の町、ライム・リージスで
発見したといういわれをもったものです。
イクチオサウルスの化石のわきに、
メアリー・アニングの解説が、
写真とともにつけられています。
メアリー・アニングは、化石収集家で
12歳のとき、イクチオサウルスの化石を発見しています。
その後、さらに2体のイクチオサウルスの化石を発見しています。
さらに、今回のエッセイと関係するのですが、
1821年には最初のプレシオサウルスの化石を発見しています。
彼女の化石は、古生物学に多大な貢献しました。

・センター試験・
センター試験がこの週末に行われます。
わが大学も会場になっているので、
大学を挙げて、準備と監督にあたります。
金曜日は、その準備のために、全学休講となっています。
昨年のカンニング事件があって、
より一層、複雑で慎重な手順が組まれています。
教員は、ただただ真摯に手順に則って
遂行していくのみです。
それが受験生のわずらわしさや
負担にならなければいいのですが。