2012年1月26日木曜日

5_98 隕石年代 1:誕生の年代

先日デジタル雑誌で研究成果が出されました。それは、年代の測定精度が高まったという見出しがありました。しかし、精度が高なったのは、手段であって目的ではありませんでした。では、その研究の目指したもの、得たものはなんだったのでしょうか。その論文の内容を紹介していきましょう。

 先日(2012年1月18日付)、「隕石中の炭酸塩の年代測定精度を高める」というニュースが流れました。これは、発表雑誌(Nature Communications)がそのような見出しをつけたためです。しかし、この論文の上げた成果は、その点ではありません。精度を高めたのは研究プロセスの一環に過ぎず、目的や成果は別の所にありました。それを紹介します。
 今回の研究をされたのは、東京大学の大学院生の藤谷渉(わたる)さんを筆頭著者とする、共同研究者5名での論文です。「Evidence for the late formation of hydrous asteroids from young meteoritic carbonates」(若い隕石の炭酸塩から水の存在した小惑星が遅く形成された証拠)という少々難解なタイトルです。残念ながら論文を手に入れられませんでしたので、プレス発表をもとに紹介していきましょう。
 太陽系の誕生は、年代を何らかの物質から直接求めることができません。例えば太陽や惑星の形成年代を直接求めることはできません。太陽は物質を手に入れられませんし、惑星の物質は、少なくとも惑星形成時に改変を受けています。それ以外の手がかりで年代を求める必要があります。
 年代を求めるための素材として、隕石を用います。ある種の隕石(炭素質コンドライト)は、太陽系形成直後に固体物質が集まり形成されたものです。太陽系の材料、太陽系創生期の化石とも見なせるものです。
 隕石が材料物質の化石だったとしても、隕石を調べても、太陽系誕生の直後であることはわかりますが、隕石自体が太陽系と共にできています。ですから、太陽系誕生の瞬間を示しているわけではありません。もし太陽系で固体物質が形成されるのに長い時間がかかっていたとしたら、隕石の年代のうちで、最古の年代をえることはできますが、太陽系誕生の年代を求めることはできません。近づくことはできても、その年代に達することはできません。固体物質を用いる限り、このジレンマは逃れられません。
 しかしうまくしたもので、形成年代を別の視点から狭めることが可能になります。隕石の固体の中には、特殊な成分があります。それはある種の放射性元素(核種と呼ぶほうが正確です)です。その放射性核種には、太陽系に素材を給した、一つ前の太陽の死の記録が残されています。太陽の死の記録とは、超新星爆発です。
 超新星爆発で形成された放射性核種が、隕石の構成物の中から発見されています。超新星爆発では、さまざまな核種の合成が起こり、半減期(放射壊変によってもとの量が半分になる時間)の非常に短いものもあります。隕石の中から、質量数26のアルミニュウム(半減期72万年)や鉄の放射性核種60Fe(半減期150万年)が見つかっています。
 これらの核種の発見が意味するところは、超新星爆発後、200万年ほどで、隕石の固体成分が形成されているということです。非常にあっという間に、太陽系隕石物質はできたことになります。隕石最古の年代より100万年ほど前が、太陽系の誕生の年代となります。約45億6820万年前だと考えられています。
 では、今回の発見は、その中でどのような意味を持つのでしょうか。次回としましょう。

・ネットでの成果・
インターネットが普及し、多様な利用法も開発されてきて
研究者ももちろん重宝しています。
しかし、研究成果の公表が、多様化かつ迅速化してくると、
それを追うのもなかなか大変です。
若い頃は、専門雑誌とNature、Scieceあたりをモニターしていれば、
関連する先端の情報は漏らすことなく、
大学の院生、学生、同僚たちからの情報で補強していれば
情報をほぼ押さえることができました。
今では、専門誌も多様化し、多くの種類もあり、デジタル出版もあります。
デジタル雑誌には、有料化、会員制などの規制を設け、
不特定多数の閲覧を制限しているところもあります。
専門雑誌を出版する会社では、
商的に成立しなければならないので
そのような措置も必要になることは理解できます。
科学の進歩を考えると、人類の知的資産として、
研究成果はオープンに公開されるのが理想なのでしょう。
まあ、これもジレンマでしょうか。

・卒業する学生に・
わが学科の卒業研究の発表会が先日終わりました。
4年の学生はもちろん、教員も一段落です。
ほっとして学生たちにメールを送りました。

(以下、私のゼミの学生へに送ったメール)
全員、無事、発表を終えることができました。
内容や充実感、達成感は、人それぞれだと思いますが、
卒業研究およびその発表会まででえた経験は
社会に出た時、きっと役に立つと思います。
卒業研究が4年間で最後の大きな試練となりましたが、
諸君らの努力をたたえます。
次回お目にかかるのは、卒業式になると思います。
それまで(その後も)に進路の決定や変化があれば、
メールでいいですからお知らせ下さい。
これは指導教員として最後の指示です。
何かあったら、いつでも連絡をください。
諸君らの母校は、いつでもオープンしています。
連絡、来訪を楽しみにお待ちしています。
本当に4年間お疲れ様でした。
社会で諸君らの健闘を祈っています。
(以上)

2012年1月19日木曜日

2_103 首長竜の赤ちゃん 2:プレシオサウルス

ひとつの化石も、詳しく調べると新たな発見がなされることもあります。これが、実物もっている重要さの一つです。胎児と認定するには、それなりの根拠が必要です。なぜなら化石は骨しかなく、押しつぶされているため、体内になったのかどうかが不明瞭になっているからです。

 陸上の首長竜のプレシオサウルスの体内から胎児の化石が見つかりました。この発見によって、プレシオサウルスが胎生であったことがわかりました。そこに至るプロセスを紹介しましょう。
 実はこのプレシオサウルスの化石は、アマチュアの古生物学者のボナー父子が、1987年にアメリカのカンザス州の北で見つけていたものです。彼らは、頁岩から平らな骨がでているのに気づきました。やがてその化石が、プレシオサウルスの骨盤であることがわかりました。地層の時代は白亜紀後期でした。その後、発掘によって、四つのひれ、肋骨、腰、脊柱と首の骨を発見しました。化石の全長は4.7mあり、大型のイクチオサウルス(魚竜)よりひと周り大きいものでした。
 2008年に、ロサンゼルス自然史博物館の新しい恐竜ホールで紹介する前に、以前からあったこの化石を詳しく調べてみることにしました。調べた結果、その化石の体内から、小さなプレシオサウルスの化石が見つかりました。化石は、重なってでることもあり、胎児かどうかの認定は、慎重におこなわなければなりません。
 まず、骨の形が似ていることは重要な情報です。これによって同じ種類の化石であることがわかります。大人の体内の位置から見つかっていること、そして詳しく見ると、胎児の骨盤が、母親の肩の骨の内側面にかかっている位置であったことが母親の内部で成長していたことを示していました。他にも、胃酸による骨の摩耗がない(食事をした経験がない)ことも根拠とされています。以上の情報から、胎児だと認定されました。その結果が、新発見として、昨年の夏に報告されたのです。
 海に完全に適応したイクチオサウルスやプレシオサウルスは卵を陸上で生むことは不可能です。ですから、海中で子孫を残すために、胎生は持っているべき重要な性質であったのです。イクチオサウルスだけが胎生の証拠があり、他の種については、今まで謎であったのが、この度やっとプレシオサウルスもの証明されたわけです。また、イクチオサウルスは複数の胎児を出産していたのですが、プレシオサウルスは一匹の赤ちゃんを産み落としていました。胎生における多様性も同時に認められたのです。
 胎児の化石は体長が1.5mもあり、非常に大きいものだといえます。親が4.7mですから、大きくなるまで体内で成長させてから出産したことになります。クジラのようにプレシオサウルスも、ある程度成長した子供を生み、それを育てていたことになります。もしかすると、出産後も親が子育てをしたり、群れで育てていたかもしれません。これは、鳥類や哺乳類の子育てと似ています。
 恐竜の仲間の少なくとも一部の目、首長竜目と魚竜目では、胎生であったことがわかりました。では、胎生は恐竜のどの分類までもっていたのか、陸上恐竜で胎生はなかったのかなどが、今後の課題となるでしょう。きっと、新たな化石から答えが見つかることでしょう。

・実物の重要性・
実物はいろいろな意味で重要さがあります。
実物しかない迫力、貴重さがあります。
博物館は実物を永久保存する場でもあります。
そんな保存の場があるからこそ、
再発見もできるのでしょう。
実物を読み取る技術は進みます。
新たな技術やアイディアで読み取るためには、
実物が不可欠です。
今回の発見もその一例でしょう。

・多忙に埋没・
センター試験も終わり、
大学では、後期の講義の終盤となります。
我が大学では、来週で講義が終わり、
その次の週は定期テストです。
そして大学の入試となります。
1月から2月は慌ただしく過ぎています。
正月気分はあっという間に吹き飛んで、
日常の多忙に埋没してしまいます。
そんな毎日が続きます。

2012年1月12日木曜日

2_102 首長竜の赤ちゃん 1:イクチオサウルス

胎生の首長竜化石が発見されました。昨年の夏のことです。魚竜の胎生は以前から知られていましたが、今回の発見は、新たなタイプです。首長竜の赤ちゃんの化石を紹介しましょう。

 化石は、いろいろな地域のいろいろな時代からみつかります。新たに見つかった化石からは、今まで知られていなかった事実が発見されることがあります。それら多数の事実が積み重ねられて、より確かな生命の歴史が編まれていきます。
 恐竜の新発見についても、このエッセイでも何度か紹介しました。今回は、胎生の恐竜化石の新発見についてです。
 赤ちゃんを産む胎生の恐竜(分類上は恐竜ではありません)がいることは、以前から知られていました。海生の爬虫類には、胎生であることを示す化石がみつかっています。
 胎生の海生爬虫類は、魚竜、イクチオサウルス(Ichthyosaurs)とよばれているものです。手足はヒレになっていてイルカのような体型をしていています。海に完全に適応した生物となっています。爬虫類ですから、もとともは陸上生物であったものが、海で生活するようになり、適応していったものです。このような進化を収斂(しゅうれん)と呼んでいます。
 イクチオサウルスは、2億5千万年前(三畳紀前期)に出現し、9000万年前(白亜紀後期)に絶滅しています。体長は2mから4mほどあり、体重は1トン弱です。ジュラ紀に繁栄し、海では最強の捕食者になっていたと考えられます。イクチオサウルスの化石は、1699年にウェールズから出た化石片から記載されています。大英自然史博物館に非常の保存のよいものが飾られています。
 その後、白亜紀になると、首長竜、プレシオサウルス(Pliosaurus)が、海の生態系の頂点の座をうばったと考えられています。プレシオサウルスは、手足はヒレとなっていますが、首が長いのが特徴です。プレシオサウルスは、三畳紀後期に出現し、白亜紀末まで生きつづけました。
 プレシオサウルスと恐竜は、じつは別のグループです。どちらも、爬虫綱、双弓亜綱に属しているのですが、ペルム紀から別系統して分かれました。恐竜は竜盤目や鳥盤目ですが、首長竜は首長竜目で、お互いに違った分類体系になります。ちなみにイクチオサウルスは魚竜目で、やはり違ったグループになります。爬虫類や双弓亜綱で大くくりにすれば、いずれも同じですが、違った進化をしてきたグループになります。
 プレシオサウルスは、その生態がよくわからなかったのですが、2011年夏、プレシオサウルスの体内から胎児の化石が見つかりました。その詳細については次回としましょう。

・メアリー・アニング・
私は化石が専門ではないのですが、
イクチオサウルスの化石は、
私が以前勤めていた博物館にもありました。
また、大英自然史博物館の有名な化石もみたので
少々馴染み深いものです。
大英自然史博物館の化石は、
1811年にメアリー・アニングが
英国南部の町、ライム・リージスで
発見したといういわれをもったものです。
イクチオサウルスの化石のわきに、
メアリー・アニングの解説が、
写真とともにつけられています。
メアリー・アニングは、化石収集家で
12歳のとき、イクチオサウルスの化石を発見しています。
その後、さらに2体のイクチオサウルスの化石を発見しています。
さらに、今回のエッセイと関係するのですが、
1821年には最初のプレシオサウルスの化石を発見しています。
彼女の化石は、古生物学に多大な貢献しました。

・センター試験・
センター試験がこの週末に行われます。
わが大学も会場になっているので、
大学を挙げて、準備と監督にあたります。
金曜日は、その準備のために、全学休講となっています。
昨年のカンニング事件があって、
より一層、複雑で慎重な手順が組まれています。
教員は、ただただ真摯に手順に則って
遂行していくのみです。
それが受験生のわずらわしさや
負担にならなければいいのですが。

2012年1月5日木曜日

6_96 漱石枕流

明けましておめでとうございます。今年の年明けは、この言葉を使うのも憚(はばか)られる気がします。でも、年のはじめは、やはりこの言葉がふさわしい気がします。最初のエッセイは、地質とは少し離れて、故事からはじめましょう。一年の始まりですから、ゆるいスタートでいいのでないでしょうか。

 「漱石枕流」という言葉をごぞんじでしょうか。夏目漱石(本名は夏目金之助)の「漱石」という号(ごう)も、この言葉からとっています。「漱石枕流」は、なかなか興味深い故事です。石にまつわる「漱石枕流」という故事を紹介しましょう。
 もともと中国には「枕石嗽流」(漢字の順番が違っています)という故事がありました。「石に枕(まくら)す」とは、石を枕にすることで、「流れに嗽(くちすす)ぐ」とは、川のせせらぎで口をすすぐという意味です。読んで字のごとく、自然のままの生活のことで、俗事とはかけ離れた暮らしをするという意味で用いられていました。
 西晋(せいしん)の孫楚(そんそ)は、才能があり、学問も優れていました。楚は、若いとき、隠遁したいという気持ちを持っていました。あるとき、宰相の王済(おうさい)に向かって、その故事を引用して伝えようとしました。ところが、「枕石嗽流」を「漱石枕流」といい間違えてしまいました。
 済がその間違いに気づき、「石では口をすすぐことのできないし、せせらぎは枕にはならではなかいか」とひやかしました。負けず嫌い楚は、自分のいい間違いを正すことなく、いい返しました。「石に嗽ぎ」とは、石で歯を磨くことで、「流れに枕す」とは、俗事を聞いた耳を洗うためだといい返しました。
 この楚の負けず嫌いのこじつけが、故事として残ったのです。言葉の本来の意味とは違ったほうが故事として残ってしまいました。言い間違いの出来事が由来となって、負け惜しみが強いという意味につかれています。中国の人びとも、こんなささやかな言い間違いを故事として残しました。
 夏目漱石の号も、もちろんこの故事に由来しています。彼は、このような性格になりたかったのでしょうか。それともそのような自分の性格を自嘲するつもりで使ったのでしょうか。その理由は知りませんが、ユーモアのセンスと知識に裏付けされた号といえます。
 以前、どこかの国の宰相の間違いもニュースになり、多くの人の心に残りました。いずれは、故事になるのでしょうか。昨年の原発事故の当事者側が用いた言葉には、「漱石枕流」のような言い回しが、至る所でありました。庶民は大いに惑わされました。庶民は、それを中国の故事のように、揶揄していくもの一興でしょう。主流メディアにあまり期待できないのなら、庶民が本来もっているユーモアセンスで、笑い飛ばしてしまいましょう。そして、少しでも世の中を明るくしていきましょう。

・祈り・
北海道も小雪は降っていますが、
穏やかや年明けを迎えました。
いつものように家族と、
いつものような正月を
穏やかに過ごせることの
幸せを、ありがたさをかみしめています。
ひとりでも多くの人に、
こんな当たり前の幸せが
行き渡ることを祈っています。

・今年の決意・
お気づきなったでしょうか。
今までのエッセイとは
少々味付けが変わっています。
気づかなければいいのですが。
気になった方は、その意味を別のエッセイに書きましたので
http://terra.sgu.ac.jp/monolog/2012/120.htm
を御覧ください。
3.11で私も思うとことがありました。
それを少しずつ実行に移すというのが
年頭の決意でもあります。