2010年11月4日木曜日

3_91 新しい地殻形成:丹沢山地 2

(2010.11.04)
 丹沢の深成岩の年代から、沈み込みよって形成されたのではなく、ほとんどが衝突によって形成されたことがわかってきました。丹沢は、新しい地殻形成の場ではなかいかと考えられてきました。正確な年代値が、またまた従来のモデルを書き換えてきました。

 丹沢の斑レイ岩や花崗閃緑岩(トーナル岩とも呼ばれます)などのマグマが固まり、深成岩が形成されました。その年代が、カリウムーアルゴン(K‐Ar)年代測定法によって、700万年前ころとされていました。このK‐Arによる年代測定の方法によるものは、実はいろいろ含みのある年代となります。
 カリウム40(40K)は放射性元素で、半減期12.5億年で崩壊して、12%が40Arに、残りの88%が40Caになります。Caはもともと岩石にたくさん含まれている元素なので、40Kからできたものか、もともとあったものかが区別しにくいので、40Arだけを用いて年代測定をします。Arは希ガスですので、岩石が高温だと抜けていきます。Arによる年代は、岩石が冷却してArが動かなくなった時を示しています。ですから、マグマが固まっても岩石が地下で高温のままであれば、Arは抜けていって、放射性元素の時計がスタートしたことになりません。実際には丹沢のマグマの固結には、1100万から400万年前くらいまでかかっていると考えれていました。
 一方、SHRIMPによる年代測定では、ジルコンという鉱物が形成されたら時計がスタートします。ジルコンの中に含まれていたウラン(U)が崩壊してPbになるというシステムを利用しますので、K-Arで行ったような元素の出入りの問題はなく、ジルコンが形成された年代、つまりマグマが固まった年代を示しています。
 丹沢の深成岩類の年代は、西の花崗閃緑岩は890万年前(892万、883万年前)古いので、これは別の時期の成因だと考えられます。主体ともいうべき花崗閃緑岩(535、500、468、462、425、402万年前)や斑レイ岩(559、499万年前)は、500万年前ころという年代になりました。かなり幅をもっていますが、丹沢深成岩類の本体のマグマの活動は、560万から400万年前に形成されたことになります。
 前回紹介した丹沢の衝突に続いて起こった、伊豆半島になっている海山(伊豆・小笠原弧と呼ばれています)が本州に衝突したのは、周辺の堆積岩から約700万年前くらいだと考えられています。
 丹沢深成岩類本体の年代は、560万から400万年前に形成されたことがわかりました。この年代が出る前は、衝突によって深成岩マグマが形成されたと考えたら都合がよかったのですが、どうもそうはいかなくなりました。200万から300万年年代が若くなったのです。その結果、いくつか考え直さなければならないことがででてきます。
 今までは、丹沢深成岩類は伊豆・小笠原弧の衝突以前に通常の沈み込みによる活動で形成されており、衝突の結果、深部から隆起し、地表に露出しと考えられていました。しかし、そのような通常の沈み込み活動によってできたのは、西の花崗閃緑岩だけで、丹沢深成岩類の主体は、伊豆・小笠原弧の衝突後の活動となります。
 伊豆・小笠原弧の衝突は一時期のものではなく、プレート運動によるもので、継続しています。継続する衝突作用によって、マグマが形成されたことになります。形成されたのは、花崗岩、つまり大陸地殻です。これは、丹沢山地が、大陸が形成され、成長している現場を見ていることになります。その現場を解き明かすのに、丹沢は便利な地です。
 そこでわかってきたことがいくつかありますので、次回に紹介しましょう。

・北国・
一時帰宅で北海道に戻っています。
千歳から札幌に向かう列車で
まず、感じたことは、
空が広いことです。
愛媛県では山地で暮らしていたので、
北海道の平野部では、
地平の広さに圧倒されます。
やはり、この北国の透明な空気の感じ
そして広さはいいですね。

・帰省・
子供の行事、
自分のいくつかの医者通いをしました。
まあ、それ以外はのんびりとしていたのですが、
後半天気がよくなかったので、
インフルエンザの予防接種の影響か
余り体調がよくなかったので、
あまり出歩けませんでした。
まあ、家族と過ごすのが目的ですが、
少々残念でした。