2010年10月28日木曜日

3_90 形成史:丹沢山地 1

 丹沢は奥深い山です。自然がまだまだ残っています。神奈川という大都会抱えた地域に、こんな奥深い自然があろいうことを教えてくれます。そんな丹沢の地質で新しい2つの研究成果が出されました。それらを紹介しましょう。

 神奈川には、箱根と丹沢の二つの山系があります。首都圏の人にとっては、いずれもよく知られている山ですが、丹沢より箱根のほうが馴染みがあるかもしれません。私は神奈川に11年間住んでいました。丹沢山地にも何度かでかけています。ですから丹沢もなじみのある山となっています。
 今年の春から夏にかけて、丹沢山地に関するいくつかの新しい研究成果が報告されました。それを紹介したいと思います。その前に、丹沢とはどんなところかを概観しておきましょう。
 箱根は静岡県にもまたがっていますが、丹沢は山体のほとんどが神奈川にあります。丹沢山地は箱根より大きくなっています。地理的に、神奈川においては、丹沢の方が存在感があります。しかし、箱根は温泉が多数あるので、観光地化しています。一方、丹沢にもいくつか温泉はありますが、鄙びて、観光地としてよりも、ハイキングや登山など、自然の中に浸る場所になっています。
 地質学的にみると丹沢山地の形成史は、次のように考えられていました。
 最初の丹沢山地の岩石は、1700万~1200万年前に形成された海底火山によるものでした(丹沢層群)。その火山活動した海は、サンゴの化石があることから暖かい南の海であることがわかります。そのような海洋島に、石英閃緑岩や斑レイ岩類(現在の丹沢山地の西部にある)のマグマが貫入してきました。そのような海洋島の連なった列島(島弧)が、フィリピン海プレートの北上に伴って移動し、日本列島に衝突します。
 その後もフィリピン海プレートは北上をし、伊豆半島になっている海山が衝突します。その衝突によって、丹沢山地は押し上げられ、山地となっていきました。その上昇は現在も継続してます。その結果、丹沢山地の深部でゆっくり冷え固まって深成岩となったマグマが、今では地表に露出しています。
 丹沢の深成岩類を形成したマグマ活動の年代は、カリウムーアルゴン(K‐Ar)年代測定法によって、700万年前ころであるとされてきました。それが今回の発見で、年代が新たに決定されました。その年代は、このエッセイではもうおなじみになったSHRIMPによるものです。そしてもう一つは、今まで知られていなかった火山活動の発見です。それらを、次回から紹介します。

・祭見学・
先週末は、出歩きました。
土曜日の夜は隣の高知県津野町の
高野農村歌舞伎を見学しました。
日曜日の午後は、地元で七鹿踊りを見学しました。
歌舞伎は有名で多数の人が見学しましたが、
七鹿踊りは外部からの見学は私くらいでした。
いずれもなかなか面白かったです。

・体調不良・
先週、調査から帰ってから
急に冷え込んだせいでしょうか
体調を崩しました。
朝起きるとすっきりしているのでが、
午後になると不調になってきます。
どうも風邪っぽいのですが、
寝込むほどではありません。
まあ、無理しないようにします。

・帰省・
このメールが届く頃、
私は、帰省しています。
定期的に通ってる医者に行くこと、
人間ドックなど医者がよい。
そして子供の学芸会見学です。
まあ、久しぶりに家族の顔を見てきます。

2010年10月21日木曜日

4_95 宇和盆地:西予10月

 宇和盆地は、空の開けた明るいところにあります。ひと山越えれば、海が望めるようところに宇和盆地は位置します。しかし、宇和盆地は、山間の野村を流れた肱川の最上流部で、源流もあります。

 いよいよ秋も深まり、四国の高い山々での紅葉の便りが届きはじめました。西予市やその周辺では、稲刈りもほとんど終わり、秋祭りが盛んに行われています。今、秋も盛りとなっています。
 今回は宇和盆地を紹介します。私は西予市の城川町に住んでいます。城川町は市町村合併により、西予市になりました。町の名前は西予市のあとにそのまま残されて、城川なら西予市城川町となりました。
 現在、市の庁舎があるのは、駅前の宇和町です。宇和町にはJRも通っており、道路の幹線というべき国道56号線も通っています。高速道路も宇和を通っています。
 城川から宇和にいくには、隣町の野村町(西予市になっています)の県道を経由していくことになります。バズの便がよくないので、車を使うことになります。城川から野村に向かうときは、肱川の支流を遡り、峠越えをして、肱川の本流のある野村に出ます。
 城川も野村も肱川上流域の山間の町であるという趣がします。一方、宇和町は明るく、盆地を取り囲む山並みも城川や野村のものとは違って、たおやかに感じます。宇和町は、南や西にひと尾根越えれば、海がみえる盆地になっています。海に近い町という印象があります。宇和に向かうということは、海に近づくということでもあります。
 ところが宇和盆地は、肱川最上流になっています。盆地の一番低いところでも、標高200m以上あります。ですから、宇和から海に出る道は、険しい坂道を下り降りることになります。そんな位置に西予市の明浜町や三瓶町があります。
 これは、肱川が非常に不思議な流れ方をしているためです。特に明浜側の急な崖のような斜面になっています。このような地勢をもっているのは、この地域の地質によるものものです。宇和が盆地であるのは、周りに山が形成されるためにです。南の明浜側の急な崖は、仏像構造線という大きな断層によって南側が落ち、北側が持ち上げられているためです。また、宇和町の付近は、秩父帯の砂岩を中心とした地層に層状チャートと呼ばれる硬い岩石をはさんでいます。秩父帯がこのあたりの地質を構成しています。いずれの中生代に形成された古い岩石です。
 秩父帯は、岩質の違いから大きく2つに分けられています。新しい時代の秩父帯は宇和に、古い時代のものは城川・野村のあたりに分布しています。古い秩父帯には、城川に主に分布している黒瀬川帯と呼ばれる、もっと古い火成岩や変成岩も含まれいます。そして四国カルストに続く、石灰岩地帯もあります。ですから、より古く硬い岩石が城川・野村にはあることになります。そんなこともあって、城川・野村地域は険しい山となっているのでしょう。
 宇和は、地形的に持ち上げられていることと、古くて硬い岩石ですが、城川・野村とくわべれは軟らかい岩石であるため、高い標高をもっていますが、開けた盆地となっていると考えられます。
 野村から宇和に向かう道筋は、肱川の上流へと向かいます。海に近い盆地でありなら、冬には雪も降るそうです。上流に向かっているのは確かなのですが、野村から宇和に入ると、山が開けて、明るく感じる平野部の宇和盆地へと入ります。その広さと明るさに、肱川の上流域であるとはこをと忘れ去ります。この錯覚は、何度も宇和に出かけても、ぬぐうことができません。まだまだ住んでいる時間が短いよそ者だからでしょうかね。

・順番の変更・
予定より1週、早いですが、
西予のシリーズをお送りします。
毎回、月の終わりに
お送りするつもりでいたのですが、
次に予定しているエッセイが
何回か続きそうなので
途切れるのはよくないと思い、
順番を入れ替えました。
ご了承ください。

・調査中・
いよいよ秋が深まってきました。
このエッセイが届く頃、
私は、山ではなく、高知の海岸沿いに調査をしています。
18日(月)から21日までの4日間の短めの調査です。
21日は、調査の最終日ですので、
帰途に向かっています。
秋は天気が変わりやすいので、心配ですが、
台風はそれていきそうなので、
とりあえずは一安心です。

2010年10月14日木曜日

1_101 日本最古の鉱物2

 今回見つかった日本最古の年代は、新発見です。新しい発見によって、今までの考えを改めるべきことがでてきました。そしていくつかの疑問も投げかけてきました。その疑問を解くことが、科学の醍醐味でもあります。

 今回報告された花崗岩は、そもそも2つの試料が分析され、そのうちの一方から日本最古の年代が得られました。
 2つの試料の花崗岩の中には、時代の違う2種類のジルコンが含まれていました。花崗岩は、約2億5800万年前にできた岩石を貫入しているので、それより新しい時代であることがわかります。花崗岩の中の角ばっているジルコンは、新しい年代で、その貫入した花崗岩マグマの年代を示していると思われる2億2900から5600万年前(2種類の試料の年代)のものでした。
 ところが、丸みを持ったジルコンは古い年代を示しました。一方の花崗岩からは約19億年前ころの年代、他方からは約35億年前あたりの年代を示しました。一つの試料から複数のジルコンが分離されているので、いくつもの年代が得られます。後者の中で最古のものが37億5000万年前を示しました。
 一つの岩石中で新旧2種類の年代を示すのは、問題です。今回の場合、新しい年代は、花崗岩マグマの形成年代を示しているようです。古いほうの年代は、花崗岩が形成される際、材料物質の溶け残りだと考えられます。花崗岩は、マグマが固まってできる火成岩ですが、堆積岩を起源としてマグマが形成されるものもあります。花崗岩マグマは、一般に、玄武岩マグマと比べると低温で形成されることが知られています。さらに、ジルコンは変成岩の年代測定にも利用できるように、高温状態でもなかなか溶けにくく変化しにくい鉱物です。その堆積岩が変成を受けて変成岩になっていてもジルコンは形成時の年代を肘していることがよくあります。ですから、この古い年代のジルコンは、溶けて花崗岩になった材料の堆積岩(変成を受けているかもしれない)の中にあった砕屑物だったと考えられます。古いジルコンが丸みを帯びていたのも、そのような砕屑性の起源を反映していたのでしょう。
 「飛騨片麻岩」と呼ばれる古い大陸地殻の構成物があり、それが宇奈月周辺の地域の下(基盤といいます)にはあると考えれていました。しかし、いずれの年代も、飛騨片麻岩のものとは一致していませんでした。ですからそのような年代をもった基盤岩石の由来が問題となります。
 このよう基盤岩類の由来を探るとき、対比できるような岩石が近くにないかを探し、見つかったら、地質学的関係を考え、地域の歴史を考えていきます。
 約19億年の年代は、韓国中部の片麻岩や日本の隠岐片麻岩の年代に対比できます。そのような岩石に対比可能なものが基盤として宇奈月の地下にあるのかもしれません。
 ところが、約35億年前の年代が問題なのです。古い時代には日本列島は、大陸の一部で、辺縁域でした。ですから、飛騨片麻岩のように大陸地殻の岩石や大陸沿岸の浅い海でできた堆積岩(南部北上帯の石灰岩や砂岩・泥岩)が見つかります。また、堆積物の中には、20億年前の礫(前回述べた上麻生礫岩)や30億年以前のジルコン(33~34億年前)も大陸への付加体の中に見つかっています。しかし、36億年前より古い年代は、ありませんでした。
 現在ユーラシア大陸の東部は1つの大陸になっていますが、数億年前までは、いくつかの大陸に分かれていました。日本列島は、北中国地塊(現在の中国の北部で、中朝地塊ともいわれます)と南中国地塊(現在の中国南部で、揚子地塊ともいわれます)付近にありました。
 36億年前より古い年代は、朝鮮半島よりもっと西の渤海の奥、黄河河口地域の華北平原の古い岩石地帯の、北中国地塊の北東部のAnshan複合岩体(38億年0400万年前、日本名がわかりません)とQianxi複合岩体(~38億年5100万年前)からしか見つかっていません。年代的にはこれらと対比できます。
 しかし、そのような対比が可能なのでしょうか。それとも何か基盤岩があるのでしょうか。「日本最古のジルコン」は、私たちに新たな謎を投げかけています。このジルコン、何をは語りかけているのでしょうか。これからの研究課題です。

・修正・
前回のエッセイで、
新しい花崗岩の年代の表記で
「2つの花崗岩からジルコンを取り出し
年代測定をしたところ、
それぞれ2億2900±800万年前と
22億5600±200万年前の年代が得られました。」
と書きました。
後者の年代は明らかにミスで
「2億5600±200万年前」
が正しいものです。
ホームページは修正していますが、
メールマガジンは修正できません。
申し訳ありませんでした。

・高知へ調査・
10月も半ばとなると秋も深まります。
来週は、高知のほうに4日ほど調査に出かけてきます。
秋の深まった高知の海岸沿いは快適でしょうか。
それとも寒くなっているでしょうか。
春や夏とは違った趣になっていることでしょう。
楽しみにしています。

2010年10月7日木曜日

1_100 日本最古の鉱物

 最古シリーズです。もともとシリーズにするつもりはなかったのですが、たまたまこの夏、最古の報告が連続してありました。そんなシリーズで、今回は日本最古の鉱物です。

 日本最古の鉱物の報告が行われたのは、今年の8月下旬(科博では20日に発表、ニュースでは25日)でした。一番古いデータは、37億5000万年前という年代でした。
 以前紹介しましたが、最古の地層は、茨城県常陸太田市に分布している約5億1100万年前のものでした。最古の岩石は、岐阜県七宗町のジュラ紀の堆積岩の中に含まれている礫です。「上麻生(かみあそう)礫岩」と呼ばれる層には、片麻岩の礫があり、その礫は以前から古いと考えられており、年代測定をした結果、約20億年前のものであることが判明しました。
 そして、今回、富山県の黒部流域から飛騨山脈にかけての宇奈月地域の花崗岩のジルコンの年代でした。手法は、SHRIMPによるU-Pbによる年代測定です。SHRIMPによるU年代測定は、このエッセイでは何度も紹介しているお馴染みのもので、確立された手法です。
 宇奈月地域は、複雑な履歴の岩石が混在している地域で、日本でも古い岩石が産出する地域と考えられていました。古い岩石の多くは、変成作用を受けている岩石のために年代を決めることが難しくなっています。
 今回の報告は、堀江憲路さん(研究当初は学術振興会特別研究員で、現在は国立極地研究所に所属)を中心にして、国立極地研究所と広島大学、国立科学博物館の共同研究によってなされました。試料は、2006年に採取した花崗岩でした。
 今回見つかったジルコンは、新しいと考えられている岩石の中から得られたものでした。この地域には、広く流紋岩質変成岩が分布し、その年代は約2億5800万年前であることがわかっています。それより新しいと考えられている花崗岩があります。それはマグマと周りの岩石との関係からわかります。流紋岩質変成岩を割って入っている(貫入するという)マグマが固まった岩石があれば、その岩石のほうが後からできたことがわかります。今回みつかったのは、そのような新しく貫入した花崗岩でした。貫入した岩石より、貫入された岩石のほうが新しいのです。矛盾した年代となります。
 しかし、この花崗岩がなかなか複雑のなのです。2つの花崗岩からジルコンを取り出し年代測定をしたところ、それぞれ2億2900±800万年前と2億5600±200万年前の年代が得られました。これらは、貫入関係とは矛盾しない年代でした。このような新しい年代を示すジルコンは、角ばった結晶だったのですが、見かけの違った丸いジルコンも、花崗岩には多数含まれていました。このようなジルコンから、古い年代が得られたのです。
 もしこのような年代が、まだ確立されていない手法や、誤差の大きな方法であれば、測定ミスではないかという判断がなされたり、いろいろな議論をわき起こすことになったはずです。しかし、今回の年代は、すでに確立された手法で、だれもが疑うことのないものでした。
 データが正しいとすると、解釈をどう考えるか。つまり、成因です。それは次回としましょう。

・季節を感じる時間・
一週間、愛媛を留守にしていました。
すると秋も深まり、
朝夕はかなり涼しくなっていました。
各地の秋を見に出かけたいものですが、
なかなかそうもできないのがつらいです。
でも、今が一番時間を作れるときなのだから
そんな季節を感じる時間を持ちたいと思います。

・人物写真・
最近写真をとっていても、
景色や露頭、自然だけでなく、
ついつい人物をいれたり、
人物を中心に置いて撮ることもあります。
人の表情はなかなか興味深いものがあります。
視線の向きのちょっとした違いで、
表情が大きく変化します。
ただ、人の写真は、肖像権があり、
表に出すことができないのが残念ですが、
コレクションとしています。
あまり、度が過ぎると危ない人になりそうなので、
ほどほどにしていますが。