2001年4月12日木曜日

6_6 有人宇宙ステーションミール

 ミールはロシアの宇宙ステーションで、2001年3月23日、日本時間で午後3時ころ、南太平洋落下しました。ミールの落下の軌道が、日本に落ちる可能性もあったため、マスコミの大々的に取り上げ、騒がれました。ミールは危険な厄介ものになりましたが、その果たした役割は大きなものがありました。ミールの果たしたことを振り返ってみましょう。

 ミールはロシア語で「平和」や「世界」という意味があります。ミールは、1986年2月20日に打ち上げられました。1986年3月15日には、2名の宇宙飛行士がミールに乗りこんで以来、有人宇宙ステーションとして活躍していました。以来約10年間にわたって常に宇宙飛行士が常駐していました。その後も断続的に宇宙飛行士が滞在して、2000年6月に2名のロシアの宇宙飛行士が帰還して、約15年にわたって活躍してきた有人宇宙ステーションのミールの歴史は終わりました。そして、2000年11月に、ロシア政府は、老朽化と財政難のためにミールの廃業を決定しました。
 ミールは宇宙でさまざなな成果をあげてきました。ミールのコア・モジュールはもともと5年の運用のつもりで設計されたものでした。そのためミールの後半生は、数々のトラブルに見まわれました。1997年2月には船内で火災、1997年6月にはプログレスのドッキングテスト中に衝突事故などがありました。しかし、死傷者はなく、致命的な故障もなかったので運用が続けられました。2000年2月には民営化され、宇宙飛行士も訪れ整備がされました。しかし、資金の調達がうまく行かず運営できない状態となりまし。
 ミールは、約15年以上にわたって科学実験や人体への無重力の影響の調査、宇宙観測などさまざな実績をあげてきました。今までに人類が宇宙で構築した最大の建築物です。最大延長33m、質量140tもありました。ミールは日本とも関係が深く、1990年12月には、秋山豊寛さんが日本で最初に宇宙に滞在しました。
 ヒトは、宇宙に定住できるのか。このような疑問に対する一つの回答がミールにありました。その現状での回答は、短期間であれば人は宇宙で滞在可能であること、現状では長期滞在は困難であることでした。しかし、何らかの工夫をすれば長期滞在も可能であることや、ある種の病気治療が可能であることを明らかにしました。宇宙は危険なところです。そんな危険なところへもヒトは進出しようとしています。これは地球生命が共通に持っている「新しい環境への進出」という性質なのです。