2010年4月29日木曜日

2_82 始祖鳥化石:恐竜から鳥へ1

 「恐竜は、白亜紀末ですべてが絶滅したのではない。子孫が鳥類として生き残っている」という話は、それほど真新しい話題ではありません。この内容が、今ではだいぶ普及して、多くの人が知るようになったようです。でも、なぜそのようなことがいえるのでしょうか。その理由をみていきましょう。

 恐竜の化石が、日本の各地でいくつも見つかるようになり、恐竜は馴染みのある存在になりました。博物館でも、何年かごとに行われる恐竜展でも、実物を目にしことがある非常にポピュラーな存在になりました。恐竜の新情報もメディアに登場することも多くなりました。このように恐竜に関する情報が広く伝わるようになると、正確な情報も広がります。そんな一つに鳥類が恐竜の子孫であるという説があります。今回は、その説についてみていこうと思います。
 現在までに、始祖鳥の化石は、10個発見されていますが、すべてドイツの南部のゾルンホーフェン近郊から見つかっています。そのうち2個は残念ながら行方不明になっています。
 ゾルンホーフェンは、ミュンヘンの北にある町で、古くから石灰岩を建材用に採石をしてる地でした。18世紀になると、石版印刷(リトグラフ)のために、ここの石灰岩が適しているため、たくさん採石されました。始祖鳥の化石は、そんな石灰岩の採石中に見つかりました。
 最初の始祖鳥化石は、1855年にみつかっていたのですが(ハールレム標本と呼ばれています)、その記載は1875年にドイツの古生物学者であるヘルマン・フォン・マイヤー(Hermann von Meyer)によって記載されました。記載されてはじめて化石は世に出ますので、世界中の研究者が引用することができます。ハールレム標本は、発見が一番早かったのですが、記載が遅れてしまいました。
 ハールレム標本の発見から5年ほど遅れて1860年に見つかったものが、1861年に、同じくフォン・マイヤーによって最初に記載されました。この標本が、タイプ標本なりました。タイプ標本とは、新種と定義するための記載の根拠としている標本のことです。現在この化石は、ベルリンのフンボルト自然史博物館に保管されています。
 タイプ標本発見の直後の1861年に、頭部が欠落した始祖鳥がみつかり、イギリスの古生物学者リチャード・オーウェン(Sir Richard Owen)が1863年に記載しました(ロンドン標本)。他にも、1876年(1877年とも)発見のベルリン標本は、頭部までの残っているもっとも保存のよい化石があります。その後始祖鳥の発見は、20世紀中ごろまでとだえます。
 さて、この始祖鳥を産した石灰岩は、中生代のジュラ紀後期キンメリジアン(Kimmeridgian、1億5560万から1億5080万年前)に形成されたものです。始祖鳥以外にも、エビ・魚・カブトガニ・アンモナイト・ウミユリ・トンボ・ナナフシなど、1000種ほどの化石が発見されています。当時のゾルンホーフェンは、サンゴ礁の化石などもあることから、暖かいラグーン(礁湖)のような環境であったと考えられています。
 始祖鳥が発見されたジュラ紀は、恐竜が生きていた時代にです。鳥の祖先の始祖鳥と恐竜は同時期に生きていたことになります。さて、19世紀中ごろの始祖鳥の発見は、学問の上でどのような影響があったのでしょうか。それは次回としましょう。

・天候不順・
今年は、天候不順の春です。
野菜への影響が強く現れています。
今後、稲作への影響も気になります。
不作にならなければいいのですが。
アイスランドの火山噴火による気象への影響も懸念されます。
そんな、不安を抱えたままの春ですが、
さすがに、晴れると心地よい春めいた空になります。
愛媛の山里の空は、北海道の突き抜けるような青空とは違って、
しっとりとした湿度を感じる青空です。
それは、森や山の緑越しに眺めるせいでしょうか。
こんな青空もいいものです。
早く気候が落ち着いてもらいたいものです。

・日本の心・
いよいよゴールデンウィークになりました。
私は、愛媛の山暮らしですが、
地元の行事にでるだけ顔を出すようにしています。
そこには、地域の人々に守られ、継続してされてきた
習慣や風俗が息づいています。
それは形骸化することなく、
あるべきものとして存在しています。
神社や寺はいまだに信仰の対象として祭られ、
実際に利用されています。
ここでは、昔ながらの日本の心が
残されている気がします。
行事に参加するということは、
そんな日本の心に触れることかもしませんね。