2009年11月26日木曜日

6_73 バージェス化石発見100周年

 今年は、ダーウィン生誕200周年で祝われています。地質学では、バージェス動物化石群の発見から100周年でもあります。地質学で発見が取りざたされることはあまりないのですが、ことバージェスに関しては、知っている人も多いようです。その逸話は、調査シーズンの最後に、夫人の乗る馬が足を滑らし石をひっくり返したところに、ウォルコットが化石を見つけたというものでした。実態は、どうも違っていたようです。

 ネイチャー(Nature、P952-953)というイギリスの科学雑誌の2009年8月号に、特集記事が載りました。それは、ウォルコット(Charles Doolittle Walcott)が、バージェス頁岩から、カンブリア紀(5億0500万年前)の化石を発見して100年目ということから書かれたものです。その記事とS.J.グールドの「ワンダフル・ライフ バージェス頁岩と生物進化の物語」を元に、ウォルコットとバージェス動物化石群を紹介しましょう。
 バージェス動物化石群は、カナダのロッキー山脈のヨーホー国立公園のバージェス山の山腹にある数メートルほどの小さな露頭から見つかったものです。露頭は小さいのですが、大量の化石が発見されています。私は、以前そこを訪問したことがあります。そのときの様子は、2001年8月23日のエッセイ(4_13 カンブリアの怪物達)で紹介しました。
 バージェス動物化石群の発見者がウォルコットです。ただし、本当の第一発見者はウォルコットではなく、大工でした。大工の発見した化石に、カナダ地質調査所のマッコーネル(Richard MaConnell)は注目しました。そして1886年に、マッコーネルは、スティーブン山で三葉虫を発見しています。しかし、世にバージェス動物化石群の奇妙さを広めたのは、やはりウォルコットとそれを本にして紹介したグールドでしょう。
 ウォルコットは、1879年にアメリカ地質調査所に勤め、1894年には所長になりました。地質調査所長のかたわら、1896年には全米科学アカデミーの会長に選任され、1902年には、カーネギーを説得して、カーネギー研究所を創設させ、その理事長になっています。1907年には、ワシントンDCにあるスミソニアン協会の事務局長にも任命されました。ウォルコットは、地質学以外でも、政治的手腕もあったようです。
 さまざまな管理職をしながらもウォルコットは、1907年から、カナダのロッキー山脈周辺に、毎年のように調査に入っています。その地質学への情熱が、バージェス動物化石群の発見につながります。
 ウォルコットの日記によれば、1909年8月30日に、バージェスで化石を発見したとあります。グールドによれば、日記には婦人たちと合流する前に化石を発見したとの記載があります。またシーズンの最後といわれていますが、ウォルコットは、5日間、調査をして多数の重要な化石を見つけて過しています。また、翌年、転がってきたおおもとの露頭を発見したいわれていますが、1909年にすでには、その露頭を発見していたようです。
 まあ、このような話は尾ひれがついたり、ゆがんで伝わっていくようです。
 露頭は小さいですが、大量の化石が見つかりました。1917年までウォルコットは発掘を続け、6万5000点という大量の化石を発見しました。その後も何度かいくつかの研究機関によって調査されて、やはり多くの化石が発見されています。その露頭は、「ウォルコットの石切り場(Walcott Quarry)」と呼ばれ、現在は世界自然遺産に指定されています。
 ウォルコットは、大量の化石をかかえていたのですが、詳細に検討する時間があまりとれなかったようです。化石の研究では、クリーニングなどの作業と、その後の同定のために詳細な記載が必要です。いくつもの管理職にあったウォルコットには、なかなかその時間が取れなかったようで、予備的な記載論文があいくつかあるだけで、大量の資料を活かしていませんでした。さぞかし残念であったことでしょう。
 大量の化石は、ウォルコットの死後(1927年)、スミソニアン協会の収蔵庫に眠ったままとなっていました。1960年代後半になって、他の研究者が、この化石を調べ始めました。その結果、ウォルコットの記載した分類の多くが誤りであったことがわかっていました。しかし、ウォルコットの功績は、今も伝えられています。ネイチャーの3ページに渡る記事は、彼への敬意の表れです。

・グールド・
1989年、S.J.グールドは、
「ワンダフルライフ-バージェス頁岩と生物進化の物語」
という本を書きました。
この本によって、ウォルコットとバージェス動物化石群が
広く一般にも知られることになりました。
グールドは、この本で、現在の動物群に
ほとんど当てはまらないことを紹介しています。
しかし、最新の研究では、新しい門だと考えられていた生物が
既存の門に分類できることがわかってきました。
もう20年も前の本なので、科学進歩していることを示しています。
私も、その本を読んで、
いつかはバージェスにいきたいと思っていました。
その願いは2001年に叶えられました。
再び同じ所にいくには、もう体力がありません。
トレーニングをしてからでないと、いけそうもありません。
しかし、その記憶は、今でも明瞭に残っています。

・示唆・
2009年は、ダーウィン生誕200周年でもあります。
じつは、ウォルコットも1909年に
ダーウィン生誕100周年に関する祝賀として名誉博士号を
ケンブリッジ大学から贈られています。
そのとき、大英自然史博物館を訪れ
当時、そこに学芸員としていた
ウッドワード(H. Woodward)に会っていたそうです。
ウッドワードは、ウォルコットにどうも
カンブリア紀の化石がでるかもしれないと伝えていたようです。
そのため、ウォルコットは、化石に注目したのかもしれません。

2009年11月19日木曜日

1_85 年代の意味:最古の岩石4

 長くなりましたが、いよいよSm-Nd法による年代測定の話になります。年代は、一応得られています。しかし、重要なことは、その年代が何を意味するかを解明することです。その年代の意味と、他の化学成分から導かれる話が、一致しなければなりません。しかし、それがなかなか難しいのです。

 ヌヴアギツク(Nuvvuagittuq)の岩石は、複雑な地質で、なおかつ変形・変成作用を受けているでしたところでした、しかし、この地域では、貫入関係から「偽角閃岩」が一番古い岩石であったことがわかってきました。問題は、どうして年代を決めるかです。ジルコンもみつからず、岩石全体のU-Pb法による年代測定もうまくいきませんでした。
 そこで、いよいよSm-Nd法による年代測定が登場します。「偽角閃岩」のSm-Nd法で測定をしたところ、42.86(+0.96、-3.7)億年前という年代値になりました。変成作用を受けた変斑レイ岩は40.23億年前という年代、ひとつのマグマからできたと考えられる斑レイ岩から超苦鉄質岩は38.40億年前の年代を得ました。トーナル岩と珪長質のバンドは、36億から38億年前の年代を持ちます。
 この地域の岩石には、6億年以上にわたる歴史が記録されていたのです。その歴史を解読しなければなりません。さらに、年代の意味も吟味しなければなりません。
 「偽角閃岩」は、地質関係を裏付けるように、岩石としては、最古の年代となりました。そして、現在のところ地球最古の岩石となっています。ただし、いろいろと考えておくべきこともあるようです。
 まず、「偽角閃岩」の化学的性質は、マントルのカンラン岩から形成されたところまではいいのですが、通常の海洋地殻の岩石(玄武岩や斑レイ岩)と比べて、いくつかの違いがあることを示しています。「偽角閃岩」には、低いカルシウム(Ca)、高いカリウム(K)、高いルビジュウム(Rb)、高い軽い希土類元素(ランタンLa、セリウムCe、Nd、Smなど原子量の小さい希土類元素でLREEと略されています)などの化学的特徴があります。
 これらの特徴のうち、KやRbは、変質や変成作用で移動しやすい元素ですので、もともとマグマが持っていた値を、もはやは示してはいないと考えられます。ですから、変質や変成作用で動きにくい元素に着目して吟味していくことになります。
 高いLREEの濃度という特徴は、マントルからマグマができるときの溶ける(部分溶融)程度が低いことを示しています。しかし、部分溶融程度が低いということは、チタン(Ti)やニオブ(Nb)の少ない含有量とは矛盾しています。高いLREE濃度、少ないTiやNb濃度というのは、列島にみられる火山岩(カルクアルカリ岩)の特徴と似ています。このあたりは、まだ完全に解明されていません。ですから、「偽角閃岩」の年代値の解釈も、はっきりと決着をみていないわけです。
 論文に基づけば、以下のシナリオが描けるとされています。まず、「偽角閃岩」が、冥王代(40億年前以前)に、最古の地殻として形成されます。その地殻は、高いLREE濃度、少ないTiやNb濃度を持つ物質から由来しています。その後38億から40億年前に、斑レイ岩から超苦鉄質岩になるマグマが、現在の海洋地殻をつくったのと同じようなマントルから由来し、「偽角閃岩」に貫入します。36億から38億年前に、「偽角閃岩」の部分溶融に由来すると考えられるトーナル岩と珪長質のバンドが形成されます。
 さて、最古の年代を得ても、なかなか最古ですと名乗りを上げにく状態です。論文を読んでいても、歯切れの口調で書かれていることが気になりました。でも、それは報告している科学者たちが、良識的あることを示しているように思いました。最近の論文は、業績主義が蔓延する中、自己主張をするものが多くなっています。今回の論文も、最古の年代を得られたら、それのみを前面に出し、問題点を見ない振りをすることもありえたわけです。しかし、その問題点を、正面に出し、苦渋しながら、最善の道を探っている姿勢、最古の年代の意味を真摯に追求する姿勢に、私は科学者の良心を見ました。

・悩みぬく科学者・
このような論文では、
年代値だけが一人歩きすることがままあります
しかし、年代値が正しいという保障はありません。
たとえば、年代を決めるために使った核種が
変質・変成作用で移動していたら
その年代は、「見かけ」のものとなり、
本当の年代を意味しません。
その年代がとんでもない値なら
だれでもそう思うのですが
自分の欲しい年代が得られ、それも最古の年代となれば
その年代だけを前面に出したいところでしょう。
しかし、他の元素の分析をしていれば
それらとの整合性が問われるわけです。
年代測定だけを生業としている研究者は、
そのような整合性をチェックすることなく、
年代だけを報告して終わりとすることも多数あります。
しかし、今回の著者たちは、年代以外の他の元素も分析し、
それらの吟味もきっちりとしていました。
その結果、シナリオは提示したが、
まだ不明瞭な部分があるというのが、今回の報告です。
私は、この科学者の良心と
その良心を認めたうえで掲載したサイエンス誌を
立派だと思います。
ひさびさに悩みぬく科学者の論文を読んだ気がします。

・冬に向かって・
遅れていた息子たちの小学校の学芸会も終わりました。
今年は、12月も餅つき大会が大きな行事となります。
家庭でも、そろそろ冬支度が整ってきました。
ところが、天候は、分かりにくい天候が続いています。
暖かい日があったり、寒い日があったり、
雨が降ったり、雪が降ったしています。
それでも着実に冬に向かっています。

2009年11月12日木曜日

1_84 複雑な地質:最古の岩石3

 最古の岩石が発見されたのは、今まで最古とは無縁の地域でした。非常に複雑な地質の持った地域で、岩石も複雑に入り組んで、激しい変質や変成作用も受けていました。しかし、そんな複雑でやっかいな岩石でしたが、年代を決めることができました。今回は、その複雑は地質を紹介します。

 今回最古の岩石が発見された場所は、カナダのケベック州北部ウンガバ(Ungava)というところで、西南にはハドソン湾を臨みます。今まで、最後の岩石は、カナダの北西準州のアカスタというところから見つかっていたのでしたが、今回は、同じカナダでも、まったく違った地質帯から見つかりました。報告したのも、オニールらのカナダのケベック州にある大学の研究者が中心になっています。
 最古の岩石は、ヌヴアギツク(Nuvvuagittuq)グリーンストーン帯と呼ばれるものに属します。ヌヴアギツク帯は、火山岩や変成した堆積岩から主としてできています。この地では一方向に傾むいた(等傾斜と呼ばれます)向斜構造が、後に南に開きながら傾斜している向斜構造になるような造構運動を受けています。周囲は36.6億年前のトーナル岩に囲まれています。まあ、非常に複雑な地質となっています。
 ヌヴアギツク帯を構成する岩石は各種あり、それぞれが違う時代に形成されていると考えられています。年代が決まっているのは、いくつかあり、量は少ないですが珪質長の鉱物からできる岩石のバンドがいくつもあり、そこからジルコンの年代が求まられていて、38.17億年前と37.5億年前の年代が求められています。やはりジルコンは非常に有力な年代測定の手段となっています。
 ヌヴアギツク帯の構成岩石の主体は、「偽角閃岩」、斑レイ岩、超苦鉄質石、玄武岩類の順に多く、量は少ないですが縞状鉄鉱層や珪質岩もあります。主構成岩石となっている角閃岩、斑レイ岩、超苦鉄質、玄武岩からはジルコンが見つかっておらず、年代は決まっていません。そこで、Sm-N法によるd年代測定が有効となってくるわけです。
 この主体となる「偽角閃岩」(faux-amphibolite)は、周囲の一般的な角閃岩とは違った成分の角閃石(カミングトン閃石と呼ばれています)からできています。さらに、角閃石の多いところと黒雲母が多いところが層を成すような複雑な構造をもっている岩石です。
 斑レイ岩には、2種類あります。ひとつは、あまり変成作用を受けていない斑レイ岩(以下「斑レイ岩」と呼びます)と、変成作用を強く受けて片麻状の構造をもった斑レイ岩(以下変斑レイ岩と呼びます)です。超苦鉄質岩は変成を受けていない「斑レイ岩」のグループになります。
 「偽角閃岩」は苦鉄岩ですし、斑レイ岩も苦鉄質岩です。ですから「偽角閃岩」は、斑レイ岩と同じマグマから由来して、火山砕屑岩として噴出し、激しく変質を受けたため、組成の違うものができたのではないかと、従来は考えられてきました。しかし、変質で変化のしにくい化学成分で比べると、同じマグマとは考えられないことがわかってきました。ですから、違う起源の可能性ががあります。
 さらに、「角閃岩」は、「斑レイ岩」と超苦鉄質岩に貫入されているのが、この地域の西端で確認されています。これは非常の重要な産状です。「角閃岩」の方が「斑レイ岩」より以前に形成されたことを意味します。
 さて、いよいよSm-Nd法の登場ですが、それは次回としましょう。

・場所・
今回の最古の岩石が見つかったところを
Google Earthで見てみました。
すると、地質図とそっくりな地形が見えました。
極北の地では、地質がむき出しになっているため、
非常によくわかります。
その画像をホームページに掲載しておきますので、
興味のある方は見てください。

・成果の違い・
私も、似たような岩石を研究していて、
変質や変成作用には、悩まされました。
年代測定もしていたのですが、
Rb-Sr法では、正確な年代が出てきませんでした。
Rb-Sr法は、RbもSrも変質や変成作用によって、
移動しやすい元素だからです。
そこで取った方法は、変質・変成をしていない鉱物として
輝石を選び、それだけを岩石から分離して、測定しました。
一方、Sm-Nd法では、岩石全体を用いて
正確な年代を出すことができました。
今回の論文を読んで、
同じような苦労をしている研究者が
今もいることを感じました。
ただし、彼らの成果は、
最古の岩石の発見に繋がっているのが
私の成果と違う点です。
この違いは、大きいですね。

・いよいよ冬・
北海道のわが町でも、何度か雪が降りました。
木々の葉は、ほとんど落ちてしまいました。
いよいよ冬を迎えます。
あちこちの庭や公園では、
冬の備えて、雪囲いが行われています。
冬を迎える準備が着々と進んでいます。
私も、冬用のジャンバーに変えました。
忘年会の連絡も、はってきました。
いよいよ冬になってきました。

2009年11月5日木曜日

1_83 困難を克服して:最古の岩石2

 地球最古の岩石の発見を紹介しているのですが、今回は、測定に必要な条件について見ていきます。その条件をクリアしたものだけが、年代測定できるわけです。でも、その条件をクリアするのが、実はなかなか大変なのですが。

 岩石の年代は、昔と比べると、技術も道具も進歩してきたので、さまざまな岩石や鉱物で、微量の含有量や微小な部分でも測定できるようになってきました。でも、いまだにどんな岩石でも年代測定ができるわけではありませんし、年代測定には手間がかかります。理想としては、マグマからできた火成岩ならどんな岩質のものでも、簡単にできる年代測定の方法があればいいのですが、なかなかそうはうまくいきません。
 年代測定によく使われる放射性核種(元素といういいかたが馴染みあるのですが、核種の方が適切なのでここでは核種を使います)には、カリウム(K)、ルビジウム(Rb)やサマリウム(Sm)、ウラン(U)など、いろいろなものがあります。それらの放射性核種は、条件によって、年代測定に使える場合と使えない場合があります。
 その条件とは、放射性核種の含有量、崩壊定数、形成後の移動などが重要となります。
 放射性核種の含有量とは、測りたい岩石に放射性核種が充分含まれていなければ、測定できないということです。もともとあった放射性核種(親核種といいます)だけでなく、壊変でできた核種(娘核種と呼びます)も測らなければなりません。親核種の含有量が少なければ少ないほど、測定は困難になっていきます。どんなに技術が進んでも、検出限界を超える微小な部分や微量のものは測定できません。
 また、放射性核種の崩壊定数とは、放射性元素ごとに決まっている壊変のスピードが、目的の岩石の年代に対して適切かどうかです。崩壊定数は、半減期とも呼ばれるものです。最近できたものには、早く崩壊する放射性核種、古いものならゆっくりとした崩壊をする核種を利用しなければなりません。
 さらに、放射性核種の形成後の移動とは、測りたい岩石から放射性核種が移動しては、得られた年代はウソのものになります。目的の岩石が、どこかの時代に変成作用や変質作用などを受け、その時親の放射性核種や娘の核種が岩石から移動していると、年代は正確に記録していないことになります。変成や変質作用を受けていない岩石、あるいは動きにくい核種でなければなりません。
 このような条件を満たす放射性核種はそうそうないのですが、ウラン(U)という放射性核種を含むジルコンという丈夫な結晶で、古い時代の岩石の年代測定するのは理にかなっています。
 しかし、前回も紹介しましたが、珪酸の少ない苦鉄質(mafic)マグマからできた岩石では、ジルコンはほどんど含まれていませんので、ジルコンを用いた年代測定は有効ではありません。ジルコンの代わりに、ウランを含み、なおかつ丈夫な結晶構造をもつ鉱物(モナズ石など)を用いて、苦鉄質から超苦鉄質岩石で年代測定されたことがあります。しかし、大量の岩石を処理して、その中から目的の結晶をみつけるという作業がなされたものです。非常の困難な方法で、だれにでもできる手法ではありません。その証拠に、似たような研究はなかなかでてきません。
 そこで注目されるのがサマリウム(Sm)という放射性核種を用いた年代測定です。サマリウムが崩壊してネオディミウム(Nd)になります。Sm-Nd年代測定と呼ばれています。サマリウムの半減期はウランのものと似ています。ですから古い岩石に利用できます。サマリウムは、苦鉄質岩にも利用でき、変成や変質作用にも強い年代測定です。
 Sm-Nd年代測定は、いいこと尽くめかのように見えますが、そうでもないのです。サマリウムは、珪長質岩や中性岩では、それなりの濃度があるのですが、苦鉄質岩や超苦鉄質岩では、濃度が小さくなります。ですからなかなか難しい場合があります。また、最古の岩石は、変成作用を強く受けているものも含まれていました。そのような岩石の年代は、なかなか正確には決まりません。そのような困難さを克服しての年代測定ができたというのが、今回の論文の意義でした。

・初雪・
いよいよ11月です。
わが町では、初雪が降りました。
例年と比べて3日ほど早い初雪だそうですが
寒波のために、寒さの方がつらいです。
我が家では、先週末に車のタイヤを冬タイヤにしました。
タイヤを交換しておけば、心配することはありません。
間に合ってほっとしました。
実は、冬タイヤでなくても大丈夫なほど
ささやかな初雪だったのですが、
次男は、今シーズン初めての雪かきだといって
喜んで雪の中に出て行きました。
私は、道具だけだして雪かきは、次男に任せました。

・母の滞在・
母が、昨日まで滞在していました。
ちょうと初雪だったのですが、
真冬の寒さは何度も経験しています。
ですから、それほど驚くこともなかったようです。
孫の学芸会を見せるつもりで呼んだのですが、
新型インフルエンザの延期になったので、
せっかく来たのに、お楽しみがないので、
温泉につれてきました。
近所の温泉2箇所と、遠くの温泉1箇所でした。
ころんで痛めた右足が少しでもよくなればと思いましたが、
なかなかすぐにはよくならないようです。