2009年9月24日木曜日

4_88 黒松内:狩場2009年 1

 ブナは、木偏に無という字(残念ながらフォントがありません)を使いますが、近年作られた日本文字です。黒松内では、木偏の貴いと書いてブナと読むことにしているそうです。黒松内でブナ林を見てきました。

 2009年8月初旬、黒松内を訪れました。当初は、半日だけの滞在の予定でしたが、天候が悪るかったのと、黒松内には見るべきところがいくつもあったので、1日半も見学することになりました。予定変更は、天候が悪かったためです。狩場山へ登山をする予定が、雨が降ったりやんだりだったので、諦めて、黒松内を見てまわることにしました。
 川に入ったりすることができませんでした。ただし、ブナ林の散策コースだけは、朝一番の雨が降っていないとき、1時間ほど歩くことができました。有名な歌才(うたさい)のブナの自然林ではなく、添別(そいべつ)のブナ林を見ることにしました。
 添別のブナ林は、70年ほど前に伐採された森で、その後開発されることなく、自然に再生した二次林です。しかし、若いブナの元気さを感じました。キノコがいっぱいで、いろいろな種類のものを見ることができました。一番よく見かけたものは、後でしべたらテングダケという毒キノコでした。また、クマのつけたなまなましい傷後とフンをみることができました。近くで草刈の音がしていたので、歩いていても不安はなかったのですが、ここには自然がまだいっぱい残っています。
 黒松内は、「北限のブナ林」として有名です。歌才のブナ林は、大半がブナ(純林といいます)で、樹齢200年以上の自然林です。そのため、1928(昭和3)年に、国の天然記念物に指定されました。
 ブナは、落葉広葉樹で、温帯では主要な樹種となります。氷河期には、北海道からはブナがなくなりました。その後間氷期になって、ブナは、北進してきました。縄文時代には、暖かさのピークとなり、黒松内までたどり着きました。しかし、縄文時代と比べると現在は平均気温が2℃ほど低いですから、ブナの北進は終わり、後退しているのではないかと考えられます。
 実は、黒松内の添別川では、貝化石がたくさん取れます。特に、河床のある部分に、化石が集まっているところ(化石床といいます)があります。化石床には、びっしりと化石があり、自由に取っていいことになっています。「ブナセンター」というビジターハウスにいけば、代表的な標本が展示されていますし、採取や整理の指導も受けることができます。
 貝化石は、瀬棚層とよばれる地層から産出します。瀬棚層は、170万から70万年前の浅い海でたまった堆積物です。瀬棚層が露出するほかの場所にも、化石床があるそうです。
 海の貝がざくざく取れるのですが、雨で増水していたため、今回は採取しませんでした。子供と一緒だったので、雨の中で動き回るは大変なので、「ブナセンター」に長くいることになりました。
 黒松内は、再び、のんびりと訪れたい町となりました。

・帰省・
昨日まで、私は、京都に里帰りをしていました。
秋の大型連休を利用しての
家族全員での里帰りです。
子供たちは久しぶりの実家です。
母は年に1、2度は北海道に来ていますが
家族で京都に行くのは、交通費がかかるので
北海道に着てから、ほとんどいっていませんでした。
法事などでも、私一人が行くことにしていました。
北海道の夏休みが短いのと京都の夏が暑いので、
春秋しか帰省はできないと思っていました。
しかし、長男が来年から中学生になるので、
家族で行動できる機会が減るはずです。
今回が最後のチャンスになるかもしれないと、
思い切ってこの時期に里帰りすることにしました。

・黒松内層・
黒松内には、黒松内層とよばれるものがあり、
その露頭もみることができます。
大きな崖となっているので、
遠目にもはっきりと地層がみえます。
黒松内層は、瀬棚層より古く
500万から140万年前にたまったものです。
また、瀬棚層は浅い海でしたが、
黒松内層は深い海底です。
黒松内を構成する地層も、
時代とともに、環境変化してきています。

2009年9月17日木曜日

5_85 巨大火山:テクトニクス9

 コールド・プルームの反作用のように、マントルの底から暖かいホット・プルームが上昇します。その上昇流がマントル対流のスタートですが、その上昇流がさまざまの火山活動、そしてプレート・テクトニクスの基本となる海嶺の活動をも説明していきます。

 ホット・プルームはマントル物質(カンラン岩)が細い管のような状態で上昇していく流れです。このホット・プルームが、少々不思議な上昇プロセスを取ることが分かってきました。
 物性を調整して小さな水槽の中で、マントルを再現するモデル実験がなされました。すると、上昇流の最上部がキノコのような形状になることが分かってきました。キノコの傘の部分が、くるくると内側に巻き込まれていきます。その規模は、巨大で上昇流の何倍もの大きさになります。そのキノコ状の部分に、温かいマントル物質が溜まることになります。つまり巨大なマントルだまり(マグマだまりでないので注意)になります。そこから、枝分かれしたマントル物質が上昇します。
 もし、そのマントル物質の流れが、直線的な割れ目に入っていけば、中央海嶺になります。太平洋には、非常に古い海洋地殻があるので、その活動時期は少なくとも1億5000万年以上に達するはずです。中央海嶺といえば、海洋プレートの形成の場でもあります。つまり、プレート・テクトニクスのスタート地点でもあります。
 キノコからそのままマントル物質が上昇すれば、活動域が最大1000kmに達するような超巨大火山を形成することもあります。海嶺も巨大火山も、巨大なマントルだまりがあるため、活動期間は数1000万年から数億年におよぶ長いものとなります。非常に息の長い火山活動となります。
 このようなホット・プルームがどのような履歴をもっている物質かを調べたところ、ある見積もりでは、10億年前の海洋プレートに由来するという説もあります。沈み込んだ海洋プレートが、コールド・プルームとして下降し、D"層として長らくマントルの底にあったものが、10億年の時を経て、地表に戻ってきたことになります。
 地球全体で見たとき、ひとつのホット・プルームが上昇してくると、火山活動が活発な時期ができます。実際に地球の歴史で、火山活動の活発な時期をみていくと、数億年に1度の割で、激しい活動が起こってきたことがわかってきました。これが、メガリスの落下、ホット・プルームの上昇などのサイクルに対応していると考えらます。
 以上が、地球全体におよぶテクトニクスとなります。テクトニクスとは、地球の大地の構成をつくりあげるためのモデルのことです。このような、ホット・プルームやコールド・プルームによるテクトニクスを、プルーム・テクトニクスと呼びます。プレート・テクトニクスが地表部分の営みの解説であったの対し、プルーム・テクトニクスは、マントルにまでおよぶ地球全体のテクトニクスといえます。
 プルームは、定常的なマントルの流れを意味するのではなく、間欠的に起こるもので、総体としてみると対流となっています。このプルーム・テクトニクスは、マントル対流を意味し、プレート・テクトニクスもモデルの中に組み込んでいます。現状では、一番多くのことを説明可能なテクトニクスのモデルです。

・科学の流れ・
プルーム・テクトニクスは、丸山茂徳さんが
当時名古屋大学におられた深尾良夫さんが作成された
地震波トモグラフィを始めて見せてもらったとき、
思いつかれたと本人から伺っています。
丸山さんは、地球の各地の地質をたくさんみてきて、
まとめてこられたからこそ、思いついたのでしょう。
しかし、それをモデルとして、多くの人が納得する形に
データや論理を積み重ねていくことが、本当の科学というものです。
それには、多くの研究者の協力が必要になります。
最初は少数派でしょうが、そのモデルがいけるとなると、
だまっていても多くの研究者は研究していきます。
そのような流れを生めるかどうかが重要なのかもしれません。
プルーム・テクトニクスは現在では主流となっています。

・夏休み・
北海道も、いよいよ秋が深まってきました。
大学も来週から後期が始まります。
ですが、私の夏休みはまだ終わっていません。
今度の連休は京都にいきます。
家族で里帰りです。
家族での里帰りは久しぶりです。
墓参りと京都の奈良へもいってみよう思っています。
それが終われば、後期のスタートです。
秋めいてきての夏休みは少々奇異な感じがしますが。
私は、9月が一番、調査できる時期なので、
9月が私の夏休みとなります。

2009年9月10日木曜日

5_84 ホット・プルーム:テクトニクス8

 D"層がプレートの墓場ですが、そこはプレートの揺りかごでもあります。核で温められたD"層が、ホット・プルームとして、上昇してきます。これが、上昇するマントル対流となります。これが解明されれば、マントル対流の全貌がわかることがになります。このようなマントル対流全体が、プルーム・テクトニクスと呼ばれています。

 D"層が海洋プレートの墓場だというのを、前回、紹介しました。D"層は、マントルの底に、部分的にしか見つかりません。長年地球はプレート・テクトニクスが働いていたわけですから、海洋プレートは大量に沈んでいったはずです。それが、D"層が全域にないのは、不思議な気がします。D"層がコールド・プルームの到達後、形成されるわけですが、その後が、少々気になるところです。
 D"層は、時間がたてば、核から伝わる熱によって温められることになります。でも、D"層の岩石は、下部マントルのもともとあった岩石(カンラン岩)とは違った経歴で、性質も違った岩石となっています。D"層は、いったん地表を経由した岩石で、なおかつ不均質です。このような物質が温められると、地震波の速度は低下していくので、周囲の下部マントルのカンラン岩と、地震波では見分けがつかなくなります。
 だたし現在では、地震波の解析技術も進み、D"層には、一箇所だけですが、異常なところが見つかっています。カリブ海の下に見つかっているものですが、ここD"層では、海洋プレートの玄武岩の成分が、一部分が溶けているのではないかと考えられています。
 海洋プレートの中で一番解けやすい成分は玄武岩です。溶けた玄武岩は、鉄の成分が多いため、周囲のマントル物質より重くなる可能性があり、マントルと核の境界に溜まってしまうことが考えられます。そのようなマグマが集まれば、異常な低速度層となるはずです。中央太平洋のD"層の底には、マグマが集まっているかのような低速度層が見つかっています。
 このようなD"層の実態は、現在も研究中で、上で紹介した解釈も、今後二転三転する可能性があります。まだ未解決な部分が多々あり、こからの課題です。
 さて、コールド・プルームが発生すると、必然的にホット・プルームが発生します。なぜなら、コールド・プルームとして大量の物質が、マントルの底に向かって降下していけば、その量に見合った物質が上にいかなければ、物質の収支があいません。
 上昇するところは、長年D"層として温められた部分が主力となるはずです。上昇していくマントル物質は、暖かく、メガリスの大きさに見合ったものになるはずで、巨大なマントル上昇流となります。塊としていくより、細い管のような流れとして上昇していくと考えられます。これを、ホット・プルームと呼んでいます。
 この上昇の仕方と規模が特異なのですが、それは次回としましょう。

・プルーム・
ホット・プルームは、最初は、スーパー・ホット・プルームと
呼ばれていました。
少々まどろっこしい用語なのですが、
プルーム・テクトニクスを考えだされた丸山茂徳さんが
そう呼ばれたため、しばらくその名称が使われていました。
ただし、コールド・プルームはそのままです。
当時、プルームといえば、
ハワイなどのプレートの真ん中で活動する、
マグマの由来がはっきりとしないマントル上昇流に対して
ホット・プルームと名称が事前に使われていました。
それとは規模が違うので、スーパーをつけて区別されました。
しかし、ハワイの火山も、実は、D"層から来た
ホット・プルームに由来するものであると考えられています。

・宮崎調査・
このメールマガジンが届く頃には、
私は、宮崎で地質調査をしてます。
4日に宮崎入りをして、11日までいます。
1週間の調査ですが、いくつかの目的があるのですが、
今回は、宮崎層群を調べることが目的です。
調査の様子は、別の機会に紹介しましょう。

2009年9月3日木曜日

5_83 D"層:テクトニクス7

 今回は、マントルの一番底の話になります。マントルの底には、D"層と呼ばれるものがあります。このD"層は不思議な層で、その実態がよくわなっていなかったのですが、最近ここが、プレートの墓場であることがわかってきました。そして、そこはマントル対流の行き着く先でもありました。

 メガリスの話を前回しましたが、メガリスとは、海洋プレートが遷移層の底で滞留したものでした。しかし、メガリスの形成には、予想外の物理現象がありました。それは、玄武岩が低温の場合、より高い圧力まで、低密度の鉱物が安定であるこということです。低温の玄武岩では相転移が起こりにくく、沈み込みにブレーキかける働きをします。
 メガリスの中に「浮き」の成分ができます。海洋プレートのカンラン岩は、通常の結晶で相転移が進み、「錘」となります。両者の兼ね合いが、メガリスの浮き沈みを決定します。古くて十分冷めた海洋プレートは、「浮き」が大きく、メガリスが遷移層にとどまります。
 この不思議な相転移は、高温高圧発生装置による鉱物合成実験の結果から、わかってきたことです。この実験結果は、当時の相転移の常識に反するものでした。しかし現在では追試もされ、多くの研究者から認められるものとなりました。この不思議な相転移が、メガリスを生むことになります。
 沈み込んだ海洋プレートは冷たいうちは、「浮き」として働き、メガリスとして、遷移層の下部にとどまります。しかし、周辺のマントルは温かいので、メガリスも温まります。すると、玄武岩の結晶の相転移も進みます。温まった玄武岩は「錘」になります。
 このような浮きと錘と釣り合いが、ある一定上の大きさ、一定以上の期間を経過したメガリスでは、バランスがくずれて、重くなり、下部マントルを落下していきます。地震波では、下部マントルでは大きな相転移はみつかっていません。ですからメガリスは、低温で密度が大きいため、下部マントルの底、つまりマントルの核の境界まで落ちていきます。
 さて、マントルと核の境界には、D"(ディー・ダブルプライム)層と呼ばれる不思議なものが、以前から見つかっていました。D"層は、地震波が高速度になるところとして、特徴づけられていました。地震波が高速度とは、低温の物質があることを意味していました。
 D"層は、不思議な存在でした。50kmから400kmほどの厚さもまちまちで、マントル底部に普遍的に存在するものではなく、ないところ(地震波で確認できない)もありました。また、D"層内部を詳細に見ると、非常に不均質であることがわかりました。D"層は、不思議な存在で、なにものなのかがわかりませんでした。
 ところが現在では、メガリスが落ちてきたもの、つまり海洋プレートから由来してきたものだとわかってきました。落ちてきたメガリスだとすれば、低温だし、部分的にしか存在しないし、厚さもさまざまで、中身も不均質になります。今では、D"層は、海洋プレートの「墓場」として理解されています。
 海嶺で形成された海洋プレートがコールド・プールとして、D"層になります。D"層は、数億年ほどかけて暖められ、やがて別の役割を担います。それは次回としましょう。

・サバティカル・
一昨日まで、愛媛県西予市にいってきました。
1泊2日のとんぼ返りの旅行でした。
目的は、来年春からサバティカルで
西予市に1年間滞在することになっています。
サバティカルとは研究のための長期休暇のことで、
わが大学でもこの制度があります。
ただし、再来年から予算の関係でどうなるかは
現在問題となっています。
幸い、私は、1年前に決定してましたので、
予定通りでかけられるようになっています。
そのサバティカルのために、
市長や教育長などの主だった人に挨拶をして、
研究環境を調整するために関係機関との打ち合わせをします。
この町とは、20年ほどの交流があり、
後輩もいるので、なじみのある町です。
そこで1年過ごせるのは幸せなことだと思っています。

・心の師・
玄武岩の相転移の逆転を最初に発見したのは、
岡山大学の伊藤英司さんでした。
現在は退官されていますが、
私もお世話になっていました。
分野が違うので、直接の師弟関係はなかったのですが、
生活や精神の上では大いに世話になり、
現在でも心の師と思っています。