2009年1月29日木曜日

1_72 年代測定の進歩とともに:大陸の形成4(2009.01.29)

 年代測定の進歩とともに、研究の方法が当然変わってきます。そして、やがては大量のデータを用いることによって偏りのない結果となっていきます。大陸の成長のスピードを決めるための、研究者たちの努力を見ていきましょう。

 大陸は時間とともに増えてきたことを、前回のエッセイで紹介しました。しかし、その増え方が問題です。一様、単調に増えてきたのでしょうか。それとも、ある時期だけ急激に増えるようなことがあったのでしょうか。もしそうなら、その時期はいつなのでしょうか。
 そもそも大陸増加の程度などというものは、どのように調べればいいのでしょうか。大陸の増加の程度を知ることは、なかなか困難です。しかし、科学者たちは、そのなぞにある一定の答えを出そうとしています。そのためには、まずは、年代測定をする技術が必要でした。
 年代測定が確立されて初期のころは、同じマグマからできたいくつかの岩石を集めて年代測定する方法、またある仮定に基づいて一つの鉱物や岩石の分析から年代を決定する方法が主なものでした。当初は精度があまりよくなく、手間もかかりました。ですからデータも少なかったのですが、分析装置の進歩によって、花崗岩の年代測定が精度よくできるようになりました。
 その方法によって、各地の花崗岩の年代測定がおこなわれ、データが公表されました。やがて、大陸の花崗岩から得られた年代のデータを集めて頻度分布が書かれました。その結果のグラフをみると、27億年前、19億年前、10億年前あたりにピークが見えてきました。つまり、花崗岩の公表されたデータから、大陸の花崗岩の形成年代が、一様ではなく、多い時期や少ない時期があることがわかってきたのです。
 ただし、この年代のピークには注意が必要です。研究対象として成果の出やすい地域や岩石が、年代測定がなされていくはずです。ですから、論文の数を反映している年代のピークは、大陸の形成の過多を直接に反映しているとは限りません。そこには、人為的な偏りが含まれている可能性があります。
 その後、技術の進歩により、微量や微小部分の分析が可能となり、多様な岩石での年代測定ができるようになってきました。各地で、多様な岩石の年代データが、多数、公表されるようになってきました。
 1990年代にまとめられた結果をみると、大陸の花崗岩の形成年代は、27~25億年前、20~17億年前、13~10億年前に多いことがわかってきました。分析精度が格段に上がったのですが、やはり、データが少ない時代の見積もりと一致していました。
 また、グリーンストーン帯と呼ばれる地域の岩石データを集めると、27億年前、19億年前、13億年前にピークを持つことがわかってきました。グリーンストーン帯とは、現在の日本列島のように海洋地殻が沈み込む付近を構成していた多様な岩石(海洋底の玄武岩、列島の火山岩、火山灰、堆積岩、花崗岩など)からなる地帯のことです。変質を受けた岩石が緑色になっていることが多いため、グリーンストーン帯という名称がつきました。大陸地殻には、グリーンストーン帯が大きな花崗岩体を区切るように見つかっています。グリーンストーン帯は、大陸の重要な構成要素と考えられています。花崗岩とともに、グリーンストーン帯が形成された年代も似たものとなりました。
 さらに、分析技術が進むと、最古の岩石を決定したような、一粒の結晶で正確な年代測定ができるようになってきました。その技術を利用して、大量の分析を行うことを前提に、大陸の成長を統計的にも十分信頼性のあるデータを得る方法が行われるようになりました。
 それは、大陸を流れる大河の砂を利用して、大陸の岩石の年代を調べようとする試みです。大河は、その流域が広く、大陸の岩石を砂として広く集めます。河口付近の川砂の中から年代測定できる結晶(ジルコンと呼ばれる鉱物)を集めて分析すれば、流域の平均的な年代を求めることができます。現在、その試みが大規模に進められています。その紹介は次回としましょう。

・人為的偏り・
年代測定は、当初はデータの得られやすいものから、
そして手近なところからなされます。
たぶん、欧米の研究者が、欧米の試料を用いてなすはずです。
それは、純粋に研究者の興味に基づいてなされることですから、
統計的には、かなりの偏りがあると予想されます。
ところが、人為的な偏りがあるはずとされたものが、
実際には、人為的な偏りがほとんどなかったという結果になりました。
これが意味することは、人間の興味が多様であって、
その多様さには偏りがなかったことを意味していると考えられます。
人間の本性を垣間見るようで、
なかなか興味深い結果ではないでしょうか。

・量が質を・
私は、各地の川砂を集めています。
網羅的に実物を集めることを
今のところ、第一の目的としています。
いずれは、研究素材にするつもりですが、
とりあえずは、量で勝負というところです。
予算もなく、一人でやっていることですから、
そのスピードは遅々たるものですが、
チリも積もれば山となる、
継続は力なり、と考えています。
いずれは、量が質を生むことがあるはずだと考えています。
まずは、現場に行き、その地の自然を感じることが重視しています。

2009年1月22日木曜日

1_71 列島で大陸ができる:大陸の形成3(2009.01.22)

 大陸の形成のプロセスに、私たちの住む日本列島が深いかかわりを持っていることがわかってきました。大陸と列島の関係を見ていきましょう。

 少なくとも40億年前には、大陸の歴史がはじまりました。それ以降、現在に至るまで、大陸は存続してます。では、大陸は、どのようなメカニズムで形成されるのでしょうか。そのなぞを探っていきましょう。
 実は、大陸形成のメカニズムは、まだ完全にわかっていません。しかし、日本のように、火山がたくさんあるような列島(地質学では島弧(とうこ)と呼ばれています)が、重要な役割を果たしていると考えられるようになってきました。
 大陸の岩石の平均化学組成は、花崗岩の一種であるトーナル岩になります。トーナル岩は、火山岩でいえば安山岩と同じようなマグマからできます。現在マグマが盛んに活動している場所で、安山岩質マグマを主とした活動をしている場所は、日本列島のような火山列島です。
 火山列島は、日本列島だけでなく、海溝沿いに似たようなものが世界各地にあります。火山列島の幅はそれほど大きくはないのですが、その長さは非常に長いものとなります。地球的規模といってものです。
 火山列島は海溝沿いに形成されます。海溝とは、海洋地殻が沈み込んでいくところです。沈み込む相手は、列島だったり、大陸だったり、海洋地殻だったりして、多様です。いずれの場合でも、沈み込まれた側では、マグマ活動が起こります。それは、沈み込む海洋地殻に含まれていた水分が、沈み込まれた側のマントルに供給されるためだと考えられます。熱いマントル物質に、水のような揮発成分が付け加わると、岩石の融点が下がり、マグマが形成されます。その結果、沈み込まれた側では、火山ができることになります。
 沈み込む海洋地殻から水がしぼり出されるのは、圧力のためです。圧力はもぐりこんだ深度に比例します。海洋地殻が、同じ角度で沈み込めば、海溝沿いの同じ場所で水が供給され、マグマが発生し、火山ができます。そのような理由で、火山列が海溝に沿ってできます。日本列島の火山帯も、そのメカニズムで説明できます。
 厚い地殻をもっている大陸や列島の地殻下部では、マグマが堆積岩を溶かしたり(花崗岩マグマを形成します)、そのマグマと混じったりしながら、深部で固まることも起きます。深部でマグマが固まれば深成岩になります。安山岩質マグマであればトーナル岩が形成されます。
 現在の列島で安山岩質マグマの活動が起こっていること、その平均値が大陸の岩石と似ていること、地質学的な岩石構成が列島のものと似ていること、などの根拠から、地質学者は列島が大陸地殻が形成している場だと考えています。このような列島をつくる岩石は、マントルより軽いので、一度できてしまえば、マントルに戻ることはなく、地表に存在し続けます。やがて列島は、大陸に衝突合体すれば、大陸の一部となっていきます。
 もし、このメカニズムが正しければ、大陸の岩石構成の複雑さ、そして形成年代の多様さを説明できます。さらに、このメカニズムは、大陸が最初小さく、時間とともに増えてきたことを意味します。そのような大陸形成の時間変化を、どうすれば読み取れるでしょうか。それは、次回としましょう。

・日本の手で・
列島が大陸の岩石の形成場所であることは、
最近、巽好幸さんが唱えられました。
巽さんは、そのシステム全体をサブダクション・ファクトリーと呼び、
全体像の解明を目指されています。
その概要は、本エッセイの
「サブダクション・ファクトリー」のシリーズとして、
3_36から3_39で紹介したころがありました。
現在新たな進展があったようですが、
まだ情報を得ていません。
まだ、解明されていない部分もありますが、
もしサブダクション・ファクトリーが本当なら、
私たちの住む日本列島が、大陸の起源を探るのに
一番最適な地の一つなります。
日本列島は、長年、多くの科学者が調査をしており、
地質学や地震学などのデータがもっともそろっている地域です。
ですから、日本の科学者は、大陸の起源を探るのに
地の利も歴史も一番いいところにいることになります。
そして、日本は、海洋調査船「みらい」や
地球深部探査船「ちきゅう」などを有しています。
海洋における科学調査においても、
日本は世界をリードできる陣容となっています。
なんとか、列島の形成メカニズム、そして大陸の形成メカニズムを
日本の手で明らかにしてもらいたいものです。

・年中行事・
北海道では、雪はよく降るのですが、
ここ数日暖かく、道路の雪がかなり溶けていました。
また降った雪もべちょべちょの重い雪です。
この時期にこんな湿った雪は、めったにないので、暖かい冬に感じます。
そんな中、センター試験も終わり、
いよいよ大学入試も本格的になります。
教員はどたばたをはじめます。
これも年中行事なんですね。

2009年1月15日木曜日

1_70 最古の大陸:大陸の形成2(2009.01.15)

 最初の大陸はいつごろ形成されたのでしょうか。大陸に残された過去の大陸の断片、つまり石ころにその証拠を求めることになります。

 大陸にはいろいろな時代に形成された「もの」があります。一番古い「もの」は、オーストラリアのジャックヒルからみつかった最古の鉱物の粒で、44億0400万年前のものです。カナダのアカスタというところでは、約40億年前の「岩石」が見つかっています。グリーンランドのイスアというところからは、38億年前の最古の「堆積岩」が見つかっています。
 44億0400万年前に形成された最古の鉱物は、岩石としてみつかったのではありません。20億年前の堆積岩の中に含まれているある砂粒が、42億年前に形成されたものでした。たった一つではなく、何個か似た年代の粒がみつかっています。その鉱物はジルコンと呼ばれるもので、花崗岩を形成するようなマグマからできるものです。また、大量の花崗岩のマグマは、水が存在しなければできないと考えられています。ただ、これはいくつも仮定をたてられた上での可能性ですから、確実ではありません。誕生したての頃の地球の表面は、どろどろに溶けた状態(マグマオーシャンと呼ばれています)でしたが、約44億年前には、固い地表を持つまでに冷めてきたことになります。最初の地面、あるいは大地が形成されたのは、約44億年前まで遡ることができそうです。
 40億年前の最古の「岩石」は、マグマが固まってできた火成岩で、トーナル岩と呼ばれています。トーナル岩は、大陸を構成している主要な岩石です。40億年前が最古の大陸の証拠と考えていいわけです。トーナル岩は、水がないと大量のマグマとして形成されませんから、海もあったと推定されます。ただし、直接の海があったことを示しているのではありませんから、海があったと確定したわけではありません。しかし、40億年前のトーナル岩は、大陸地殻が形成されていたことの確実な証拠になります。
 堆積岩ができるためには、水の存在が不可欠です。堆積岩の存在は、海の存在を証拠づけるものです。グリーンランドの堆積岩には、丸く円摩された石ころがたくさん含まれています。このような堆積岩を礫岩と呼びます。礫岩は、河川や海岸で丸くなりますから、川や海岸があった証拠となります。
 38億年前以降も、堆積岩はいろいろな地域、いろいろな時代から見つかっていますから、海が継続的に存在していたことになります。つまり38億年前には、現在と同じような海と陸、川という現在の地表と同じ営みがスタートしており、それが現在まで継続しているということになります。
 地球の歴史は、45.6億年前ころに始まりました。地球誕生から、長くても8億年、短ければ1.6億年で、海と陸という地球の特徴が形成されたことになります。

・発見のラッシュ・
最古のものを求めるということは、
なかなか大変なことです。
なぜなら石に、直接年代が書かれているわけではなく、
分析してみないとわからないからです。
ところが、見つかる時期には、
次々と古いものが発見されていきます。
1990年前後から2000年代にかけて、
最古の岩石の発見が相次ぎました。
それは、実は年代測定の技術において
革新的な進歩があったためです。
一粒の結晶の数10μmの部分の
年代測定をする装置が開発されました。
それを利用して、今までできなかったサイズの鉱物の
年代測定ができるようになったのです。
古そうだと考えられている岩石があっても、
それまで調べる手段がなかったのが、
あるときから年代測定ができるようになりました。
その結果、古いものが続々と発見されるようになりました。
その後、発見ラッシュは一段落してきました。
その装置は、だいぶ普及して、
年代測定も各地でできるようになりました。

・後期の講義・
大学の講義が正月明け7日から始まりました。
その後すぐに、後期の講義が終わり始めます。
ただ、祝日の関係で再来週まで続く講義があります。
どうも曜日によって、講義の進行が違ってくるのは困りものです。
今度の金曜日には月曜日の振り替えとなります。
月曜日の講義は、同じ週に2回行うことになります。
講義内容によっては、教員も学生も苦労することになります。
振り替え休日、ハッピーマンディなどの制度は、
学校教育ではあまり歓迎できません。
ただ、それを楽しみにしている人もいますから
いまさら変更はしづらいでしょうが。

2009年1月8日木曜日

1_69 海と陸の違い:大陸の形成1(2009.01.08)

 私たちの住んでいる陸地は、海と比べて狭い面積です。そこにあふれんばかりの生命が棲んでいます。その陸の形成過程に、どのような秘密があるのでしょうか。まずは、海と陸の違いから見ていきましょう。

 地球は、表面積で3分の2が海、残りの3分の1が陸となっています。海と陸の大きな違いは、海には水があり、陸は海より高い位置にあり、水に浸かっていないことです。しかし、水の有り無しだけが、海と陸の違いではありません。もっといろいろな、そして本質的な違いがあります。
 その違いを探るために、海と陸のつくりをみていきましょう。
 海になっている地域は、なんといっても陸と比べて、低くなっています。低いがために液体である海水が、たまっているのです。低いところが海ということになります。では、なぜ、海のあるところは低いのでしょうか。たまたまでしょうか。
 それを調べるためには、海水の底(海洋底といいます)の状態を見る必要があります。海の底は、玄武岩というマグマが固まった岩石、火山岩からできています。深くなれば、マグマもゆっくりと固まり、大きな結晶からできている斑レイ岩とよばれる深成岩になります。でも、岩石の化学組成は似ています。ですから、海洋底は玄武岩のマグマからできているといえます。
 玄武岩のマグマは、中央海嶺という海底に長く伸びた山脈の中央部でつくられ、左右に広がりながら、新しい海洋底が形成されていきます。広がる海洋底は、移動して海溝に沈みこみます。
 このようなメカニズム(プレートテクトニクスと呼ばれています)は、常に新しいものができ、古いものは地球内部に戻っていくという「新陳代謝」をしています。そのため、玄武岩の形成年代は、大陸に比べて新しいものばかりになっています。
 一方、陸は、海と比べて高いところになります。高まりをつくっていのは、多様な岩石です。岩石の種類は多様ですが、その平均的な化学組成は火山岩でいえば安山岩、深成岩でいえばトーナル岩(花崗岩の一種)となります。安山岩マグマからできた火成岩が大部分を占めています。しかし、そのような陸をつくっている岩石が、侵食によって海に運ばれたまったものが、やがては固まり堆積岩になります。また、地球の深部にもぐりこんだ岩石は、温度や熱によって変成岩になります。このような作用が継続的に起こることで、非常に多様が岩石からできています。
 それらの多様な岩石の形成時期も、40億年前くらいの古いものから、今現在つくられているものまであります。陸を構成する岩石は、多様で非常に複雑な生い立ちをもっていることが特徴です。
 海洋底は、重い玄武岩が常に更新されながら形成されているので、高まりを作ることなく、低いままであり続けます。トーナル岩は、玄武岩より密度が小さく、海洋底のように沈み込むメカニズムもないため、古いものも地表付近に残っています。そのため、大陸の岩石は、いったんできると変化することはあっても、なくなることなく増え続けます。
 水の有り無しだけが海と陸の違いではなく、岩石の性質やその形成メカニズムが、違いの本質だといえます。このような本質的な違いが、海底を低く、陸を高くしているのです。低いところには水がたまり海となります。
 陸をつくる岩石は、増えるだけの仕組みのようです。では、陸は、昔から今までどのように増えてきたのでしょうか。一様に増えてきたのでしょうか。そもそも、そのような過去にできた陸の量を調べる方法など、あるのでしょうか。それは次回としましょう。

・わかりやすさ・
このエッセイでは、陸と海といういい方をしましたが、
陸は大陸地殻、海は海洋、あるいは海洋地殻
という意味で使っています。
大陸には日本のような列島(正確には島弧という)も入ります。
海洋地殻には、海の中の島や海底の山
(正確には海山や海洋島という)もはいっています。
このエッセイでは、このような流布された表現で
書くことが多くなっています。
ですから、科学的には、あいまいな表現になりますが、
わかりやすさを重視してのことです。
正確な名称は、対象を限定したり、
正確に指し示すために必要です。
しかし、初めての人には、
その用語を毎回説明しなければなりません。
あまりそれが続くと、
読んでいてわずらわしくなる場合があります。
ですから、地球科学に詳しい人には、
不正確に映るかもしれませんが、
わかりやすさを重視したためと思ってご容赦ください。

・連休は・
まだ正月気分が残っているのようですが、
長い休みボケは抜けたでしょうか。
学校も冬休みが終わり、
いよいよ通常の生活に戻ってきます。
私たちの大学は、7日から通常授業がはじまりました。
しかし、北海道の小・中学校は、
19日から3学期がはじまります。
我が家の子供たちは、長い冬休みでのんびりしています。
ただし、雪なのでその遊びをあまりしませんが。
世間は今週末は連休ですが、
我が家は変わりありません。
私も12日はゼミの学生と
施設見学に出かけることになっています。
私の回りには、休みと平日の気分が混在しています。

2009年1月1日木曜日

6_72 ガリレオへの謝罪:世界天文年

 明けましておめでとうございます。今年最初のエッセイとして、今年が世界天文年であることを紹介しながら、宗教とガリレオの科学の関係と、その重要性を考えていきましょう。

 2009年は「世界天文年」とされています。「世界天文年」は、2008年12月11日に国連の総会決議として定められました。国連教育科学文化機関のユネスコや国際天文学連合も共同して、さまざまな活動に取り組まれます。
 「世界天文年」の目的は、「天文学と基礎科学の持続可能な開発にとっての重要性について世論の認識を高め、天文学という学問が生む刺激を通じて、基礎科学の普遍的知識へのアクセスを促進する」というものです。少々わかりにくい表現です。国連の総会決議の表現はもっとわかりにくいものですが、少しはわかりやすくされています。これは、天文学を通じて、多くの人が科学の知識に触れ、地球規模の問題に取り組んでいこうという趣旨です。
 2009年が「世界天文年」に選ばれたのは、1609年にガリレオが天文望遠鏡で観察を始めて400年の節目に当たる年だったからのようです。
 国連の総会決議に呼応するように、12月22日にローマ法王のガリレオにかんする言葉を世界上のメディアが報道しました。ローマ法王ベネディクト16世は、記念行事という場で、信者を前に「彼の研究は(キリスト教の)信仰に反していなかった」と演説しました。これは、ローマ法王が公式の見解として、ガリレオに下された以前の教会側の判断を訂正したことになります。
 1633年、ガリレオは、宗教裁判で彼の地動説が、キリストの教義に反する異端だとして、有罪とされました。ガリレオは、公の席でその説を撤回させられました。ガリレオは、その後フィレンツェの郊外の丘にある村に軟禁されて異端者の汚名を着せられたまま、この世を去りました。
 しかし、誰もが知っているように、ガリレオは、後に科学や技術の進歩するにつれて、世界では英雄となっていきました。本人が死んでしまえば、それで話は終わりとなりなるはずのですが、ガリレオは異端の汚名をままでした。
 この有罪は、逆にキリスト教の過去の過失を示すことになります。遅ればせながら、ローマ法王がガリレイの宗教裁判の結果を撤回したのです。しかし、今回が最初の判決撤回ではありませんでした。前法王ヨハネ・パウロ2世は、1992年、当時のバチカンが下した有罪の決定が非があったことを認め、公式に謝罪しました。
 しかし、現法王ベネディクト16世は、枢機卿という地位にあった1990年当時、自身の演説で、ガリレオへの弾圧を支持する発言をしていました。それ以降、ベネディクト16世は、1992年の前法王の判断を下した時も、2005年4月19日に第265代ローマ法王になっても、公に謝罪をしたことがありませんでした。そのような流れの中で、今回の公式表明となりました。
 その表明の背景に何があったかはわかりません。しかし、世界的な宗教の一つであるキリスト教が、再度、公式にガリレオの判決を取り消しました。これによって科学の流れが変わることはないでしょうが、人々の注目が天文学や科学に集まることになるでしょう。ですから、「世界天文年」にとっては、大きな力を得たことになります。
 ガリレオの望遠鏡は、口径4cmほどでした。その望遠鏡の能力は、今ならば、子供の入門用に使うものにも劣るほどの性能しかありませんでした。それでも、ガリレオは、大発見をし、科学を進めました。科学とは、道具はもちろん必要ですが、それ以上に必要なものをあることを、ガリレオを教えてくれました。ガリレオの偉業を思い起こしながら、「世界天文年」の目的を、再度、かみしめましょう。

・家族だけで・
明けましておめでとうございます。
昨年は本メールマガジン「地球のささやき」の購読をいただき、
ありがとうございました。
本年も引き続きよろしくお願いいしたします。
皆さん、どのような元旦を迎えられたでしょうか。
北海道のわが町は、年末になって何度も雪が降り、
白い正月を迎えました。
例年になく遅い雪でしたが、いつもどおりの白い正月となりました。
今年は、いつもと違って親子4人だけで、
のんびりとした正月を迎えています。
昨年までは、母が我が家に滞在していました。
そして一番すいている正月に母を空港まで送りにいくという
あわただしい正月を迎えていました。
そのわけは、我が家と母の自宅の両方で
母が正月を迎えられるようにするためでした。
しかし、今年は、1週間早く母が滞在して帰りました。
ですから、今の家に住んで初めて
親子だけで年末年始を迎えることになりました。
元旦には初詣に出かける予定です。
今年は、家族の健康を願ってお参りしたいと思っています。
とはいっても、私は神仏には祈りませんが。

・不可知論・
私は、科学と宗教は決して
相容れないものではないと思っています。
日本では宗教的な束縛は少ないのですが、
それでも、科学を貫くことは、
宗教的振る舞いには注意が必要と
感じている人も多いと思います。
私もその一人です。
しかし、一人の人間の中に共存できると考えています。
これは、以前から私が考えていた
感性と理性の融合にもかかわることです。
そのようは問題は、宗教に薄い日本より
西洋の科学者が切実に感じるものだと思います。
ですから、科学者は、無神論か不可知論になることが多いのですが、
私の尊敬する科学者のステファン・ジェイ・グールドは、
「神と科学は共存できるか?」(ISBN978-4-8222-4572-6 C0095)
の中で、相容れないものではなく、
すみわけのできるものであるとしています。
科学と宗教を共存するためには、
NOMA(Non-Overlapping Magisteria)原理で
「密度の濃い対話を伴う非干渉」という立場で
臨もうという提案です。
まあこれも、一種の不可知論的立場ですが。
でも、その境地はなかなか達するのが難しいようです。