2008年11月6日木曜日

1_66 第四紀の定義の変遷:地質時代3(2008.11.06)

 地質時代区分として、第四紀が問題となっています。今回は、その第四紀の定義がどのように変遷してきたかをみていきます。するとその問題の所在がわかってきます。

 地質時代の区分として、第四紀が問題になっているということを、前回のエッセイで紹介しました。そして、第四紀問題は、第四紀の時代区分における定義に由来しているといいました。では、そもそも第四紀の定義はどうなっているのでしょうか。その歴史的背景をみてきましょう。
 第四紀という時代名称は、19世紀前半に、その由来があります。
 1829年、デノアイエ(J. Desnoyers)は、パリ盆地で第三紀の地層の上に重なる海でできた(海成といいます)地層の年代名として第四紀を用いました。「三」の上にある地層なので、「四」という名称が使われました。名称の由来としては、単純ですが、納得がいくものでます。しかし、この定義を他の地域でも使うとなると、どこでも共通するような地層境界にしなければなりません。
 1833年、C.ライエル(C. Lyell)は、地層に含まれている貝化石を調べました。比較的新しい時代の地層には、現在も生きている種(現生種といいます)が含まれていることがあります。ライエルはそこに目をつけて、現生種がどれくらいの割合含まれているかによって決めることにしました。これの方法であれば、境界を定量的に決めることができます。ライエルは、第三紀の一番最後を、現生種を70%以上含む地層の時代を「更新世」(Pleistocene、最新の意味)としました。それより後の時代を「現世」として、人類の遺物を含むのが特徴の地層であるとしました。
 ところが、1846年、フォーブズ(E. Forbes)は、第四紀として更新世を氷河時代にのみに用い、第四紀から更新世を除いたものを現世と提案し、定着しました。1885年の第3回国際地質学会議では、そのように定義された現世を完新世(Holocene)という名称にすることが決定されました。
 1885年以降、第四紀は、氷河時代の更新世と氷期以降の完新世に区分されるようになりました。
 また、1911年にオー(E. Haug)は、新生代の時代区分が哺乳類化石で区分されることが多いので、第三紀と第四紀の境界もそれに従うことが望ましいと考えました。そして、現代型のウシ、ゾウ、ウマの化石が最初に出現するときを、第四紀のはじまりと定義しました。
 しかし、そもそも第四紀とは、新しく出現したヒトが特徴となる時代だったので、ヒトの化石を時代区分の基準とすることが正式なものと考えられてきました。そのため、1920年ころには、第四紀は人類紀(Anthropogene)とも呼ばれていました。ただし、人類化石の資料は不十分なので、「とりあえず」他の動植物化石、火山灰、氷河の痕跡、古地磁気、放射年代などを用いて境界を決めることにされていました。
 「とりあえず」が続くのはあまりよありません。そこで1948年のロンドンでの国際地質学会議で、第四紀の始まりを定義するにあたって、模式地の選定、境界は海生動物群の変化にもとづくこと、さらに第四紀の最下部には、海成のカラブリア層と同時代に陸で堆積した(陸成といいます)ビラフランカ層があり、氷河期のような気候変動がはじまる時期であるはずという推定などが提案され、検討することになりました。そのような最終決定には、イタリアの海成層の分布地域が最適の地域(模式地とよばれます)と考えられていました。
 第四紀は、人類の出現の時期にあたるはずですが、20世紀後半から今世紀にかけて人類の化石の発見や新しい報告が相次ぎ、予想以上に古い時代にまで遡りました。最古の人類(ホモ属のレベル)としては、ホモ・ハビリスが最初のものとなります。ホモ・ハビリスは約240万から140万年前に繁栄していたヒト属の最初の種となります。ホモ・ハビリスは、250万前ころにアウストラロピテクスの一つから種分化したと考えられています。
 この時期が、第四紀の始まりとなります。しかし、ヒトの化石の産出は少なく、限られた地域からしか産出しないため、正確で、どこでも利用できるような時代境界というには、少々難があります。そのため、第四紀のはじまりは、なかなか定まらず、新しい発見があるたびに、年代値が変化してきました。それが、今回の第四紀廃止の原因となっています。
 第四紀の始まりと定義として、どのようなものがふさわしいかは、次回としましょう。

・洪積と沖積・
第四紀は更新世と完新世に区分されます。
日本では、それぞれに洪積世と沖積世という名称が
同じ意味で、現在も使われることがあります。
この洪積世と沖積世は、
1822年マンテル(G. A. Mantell)が最初に使ったものです。
そして、1823年には、イギリスの有名な地質学者である
バックランド(W. Buckland)も使い始めたので、定着しました。
日本語の洪積世はDiluviumを、沖積世はAlluviumを訳したものです。
Diluviumとは、氷河時代の堆積物を
ノアの洪水によってできたものと考えられて使われたものです。
それに対して、Alluviumは、現在の川ぞいの堆積物をいいます。
激変説の名残ともいうべき言葉は、
現在、欧米では地質時代として使われることはなくなりました。

・波紋・
第四紀は、定着した時代名です。
この名称は地質学だけです、
歴史に関する学問では、
重要な時代名称として利用されてきました。
ですから、第四紀の廃止に対しては、
多くの学界に波紋を投げかけ、
反論も多数でてきました。
その一番大きな学界として、
第四紀研究国際連合(INQUA)が公式に利用できるように、
そして、その決着を2008年中につけてほしいと、
IUGS(International Union of Geological Sciences)に
申し入れをしています。
時代区分の作業は、
ICS(The International Commission on Stratigraphy)が
行いっていますので、そこが検討して、
最終的にIUGSが判断するのでしょうが、
Concise版では、第四紀は表記されていますが、
どうなることでしょうか。