2008年10月2日木曜日

4_81 千枚田:能登と飛騨の旅3

 区画整理されていない棚田は、耕作する人には大変なものです。しかし、それを遠目で眺めるものには、郷愁をさそうものです。千枚以上も棚田が連なる千枚田で、考えました。

 能登半島の西海岸を北上中に、輪島から少し北に、白米(しろよね)というところがあります。今回の能登の旅のために地図をみていたら、白米に千枚田と書いてありました。道すがら、そこも見ていこうと思っていました。
 国道249号線をまたいで、小さな多数の段々の田んぼがあります。解説版によると、実際には1004枚の田があるそうです。傾斜に作られた田んぼですから、その形は不揃いで、大きさもさまざまです。一番小さい田は、0.2平方mといいますから、学校の机程度の大きさしかありません。この白米の千枚田は、国指定名勝となっていて有名なところでした。
 不規則な形をした田んぼが斜面に連なっていますから、維持管理はすべて手作業になっていきます。13戸の農家が、この千枚田を、今も守っています。農家の高齢化によって、維持管理がやはり大変になってきるようです。田植えや稲刈りには、ボランティアが全国から200名以上も集まって行われているそうです。昨年から、一枚一枚の田に対してオーナー制度が行われています。100名ほどのオーナがおり、各田んぼに名札がつけられています。
 輪島の市街地からこのあたりまで、地形や地質に詳しい人には、地すべり多数あるところとして知られています。白米の千枚田も地すべりがあったところです。千枚田の後ろにある高州山(こうしゅうさん)の緑の濃い山並みから、耕作地になると急になだらかな斜面が海岸まで続いています。ゆるい斜面は馬蹄形になって海岸に向かっています。典型的な地すべりの地形となっています。
 千枚田だけでなく、私は能登でももうひとつ、飛騨でもひとつ棚田を見ました。能登では、輪島の手前の大笹波にある水田です。そこの棚田は、海岸段丘の上のゆるい斜面を利用した田んぼです。日本の棚田百選に認定されているところです。飛騨は、白鳥市の山間の正ヶ洞にある棚田でした。
 いずれの棚田も、はじめて訪れたのですが、どこか懐かしさを感じさせてくれます。なぜでしょうか。私の実家は農家で、田畑をもっていました。盆地に広がる氾濫原でしたので、広い平野があり、そこに田畑がありました。ですから、私が知っている田んぼは、四角く区画整理されていて、まさに田の字形になっていました。山間の斜面にある棚田は、なぜか郷愁を誘います。名勝や棚田百選などの選定がおこなわれているということは、はやり多くの人が私と同じような郷愁も持つのでしょうかね。

・今年の秋・
北海道は、晴れたり曇ったりのはっきりしない天気が続いています。
朝夕は、めっきり冷え込んできました。
いよいよ秋が深まりつつあります。
山での初冠雪の便りが届いています。
平野でも、木々が色づいてきました
しかし、不順な天候のせいでしょうか。
紅葉がいまひとつきれいではありません。
きれいに紅葉する前で、
散っている葉も多いようです。
こんな秋もあるのでしょう。

・年齢・
知り合いの先生が相次いで亡くなられました。
親しくしていた友人にも、もう死んだ人がいます。
私の母は元気ですが、
父は長男が生まれて5ヶ月ほどして亡くなりました。
最近特に私の恩師の世代の訃報をよく耳にするような気がします。
私の恩師のひとりは、残念ながら数年前に亡くなられたのですが、
そのほかの恩師は存命です。
先生の世代の訃報を耳にするたびに、
自分の人生の残された時間が気になります。
彼らは、それなりのものを研究者として世に残されてきました。
彼らの業績は、人類の知的資産として蓄積されています。
科学者として自分のこれまでの生き方が正しかったのかどうかを
もし世に残る業績が示しているとすると、
私がなしたことが、人類にとってどの程度価値あるものだったのか。
あるいは人間としてまっとうな生き方をしてきただろうか。
さらに、家族たちに接してきた方法はこれでよかったのか。
そんなことを、考えてしまいます。
自分もそんな年齢になってきたためでしょうか。