2008年9月25日木曜日

4_80 雄島と越前松島:能登と飛騨の旅2

 能登から飛騨への調査の2回目です。今回は、海岸でも溶岩が織り成す岩場の紹介をします。

 9月に出かけた調査は、春に行った調査と連続しています。春は、若狭湾から越前にかけて調査してきました。前回の調査では、福井県の三国町にある東尋坊が最後になりました。東尋坊より少し北にある越前松島を、見なかったのを悔やんでいました。そこで今回は、最後に越前松島の周辺を見ることにしました。
 越前松島は、宮城県にある本家ともいうべき松島に似た景観をもっていることから名づけられています。その景観は、新生代中新世(1200~1300万年前)に活動した火山によって織り成されています。
 溶岩だけでなく、ハイアロクラスタイトと呼ばれる水中の火山砕屑岩の一種も含まれています。ハイアロクラスタイトとは、水中にマグマが噴出して、急激に冷やされたために、砕けたたものです。ですから、自分自身で壊れているので、水中自破砕溶岩とも呼ばれることがあります。
 越前松島の海岸沿いでは、ハイアロクラスタイトが一番下部(より初期に活動した)にあります。ハイアロクラスタイトは、越前松島の西側の水族館前の海岸や、東側の貴船神社の付近に出ています。その上に、安山岩溶岩(正確には玄武岩質安山岩と呼ばれています)があります。溶岩流の違いによって、下部、中部、上部の3つに分けられています。
 この安山岩溶岩に、柱状節理が形成されています。東尋坊の柱状節理は、柱がほぼまっすぐにできていて、そこに水平の割れ目がいくつも入っています。一方、越前松島では、立った柱状節理もありましたが、柱が放射状に並んだもの(放射状節理といいます)なっているもの、斜めになっているものもあります。いろいろな方向の柱状節理を持った溶岩が、越前松島では、小さな島としていくつも点在しているのを見ることができます。
 越前松島と東尋坊の間に、雄島(おしま)とよばれる島があります。今では、雄島橋によって歩いていくことができます。雄島は、外海に面している方(西側と北側)に露岩地帯が3分の1ほどあり、残りの部分は緑に覆われています。緑は、照葉樹林で大湊神社の鎮守の森となっています。
 雄島も溶岩からできています。ただ、東尋坊や越前松島が安山岩溶岩であったのに対し、ここの溶岩は流紋岩と呼ばれているもので、珪酸の多いマグマからできています。珪酸の多いマグマは、温度が低く、粘性が大きくなります。マグマが、地表を流れるときに流れたときにできた縞模様が、そのまま岩石の中に残されることがあります。このような縞模様を、流理構造と呼んでいます。流紋岩というい岩石の名前も、そこから由来しています。
 雄島の流紋岩にも、節理ができています。南の海岸では直立した柱状節理が目立っているのですが、北側に向かうにつれて板状節理と呼ばれるものが目立ってきます。板状節理とは、柱状節理を切るような方向に板を積み重ねたような節理ができているものもをいいます。
 流紋岩の同じ節理を見ているのだけなのですが、溶岩の流れが、北西に向かって下っていくような方向になっています。そのために、南側では、柱状節理の部分がよく見え、北側では板状節理がよくみえるように露出しているのです。同じものを、違った角度で見ていることになります。
 三国周辺では、東尋坊もあわせてみると、柱状節理のいろいろなタイプのものもを見ることができます。その節理が、不思議な景観を作っているのです。それが、今では観光地となっています。

・散策路・
東尋坊から雄島、越前松島にかけては、
自然散策路が整備されています。
要所要所に説明用の看板があるために、
見所がよく説明されています。
通常のこのような自然散策路というのは、
動植物の説明が主となっていますが、
ここでは地質の説明を主とした説明板を
多数見かけました。
非常に珍しい散策ルートのといえます。
でも、私にとっては、非常に面白いルートになっています。
私も、その説明板を見ながら見学しました。

・磁石岩・
雄島の説明板に、面白いものがありました。
それは、磁石岩と呼ばれるものです。
説明板の下に標本もおいてありました。
説明版によると、磁気を帯びた石が
周辺に点在しているとのことでます。
その磁気によって、方位磁針を近づけると、
それに引っ張られて方位磁針があらぬ方向を指します。
たぶん地質学者が調査のときに発見したのではないでしょうか。
地質調査をするとき、岩石や地層の方位と傾きを調べるために、
クリノメーターとよばれる方位磁針を用います。
それが狂ってしまったため、
発見されたのではないでしょうか。
残念ながら、このとき私は、
カメラだけしか持っていませんでした。

2008年9月18日木曜日

4_79 千里浜:能登と飛騨の旅1

 9月5日から11日まで、能登から飛騨をめぐる調査をしました。海岸と河川沿いを主に見てきたのですが、そのときの様子を紹介しましょう。まず最初に紹介するのは、石川県の千里浜です。

 石川県宝達志水町の今浜から羽咋市(はくい)の千里浜町に至る長い海岸があります。長さ約8km、幅50mほどの砂浜です。ここは、千里浜と書いて「ちりはま」と呼ばれています。長い砂浜海岸は、それほど珍しくなりませんが、実は、この海岸では、車が走れる海岸道路として有名なのです。千里浜は、4輪駆動の特別な車でなくても、普通の乗用車でも、観光バスでも走行することが可能です。
 私もレンタカーでこの海岸を走りました。海岸に車を止めて、海や砂浜を眺めているときにも、何台もの乗用車や観光バスが、砂の上を走っていきました。なぜ、重い観光バスまでも、砂に埋もれることなく、走ることができるのでしょうか。
 それは、砂が、車が上に乗ってもくずれることなく、締まっているためです。
 実際には、車が走れるところと、走れないところがあります。波打ち際から近い砂浜はいいのですが、岸から離れていくと、さらさらした砂になります。そちらは、車ではいると、車輪が埋もれてしまいそうです。さらさらした砂は、丘につながっていて、それは砂丘になっています。ちなみにこの砂丘は、全国第4位の規模があります。
 走れるところと走れないところを比べると、走れるところは、砂の色が違います。色が違うのは、砂がしっとりに湿っているためです。たぶん、ここの海岸は、波打ち際からある程度離れても、乾くことなく、常に濡れているのでしょう。あるデータによると、この砂には、90%ほどの含水量があるといわれています。そのため、締まった砂となっているようです。
 その他にも、砂が締まるいくつかの理由があります。地質学定義では、直径2mmから0.0625mmまでが、「砂」に分類されます。「砂」より大きいものを「礫」、小さいものを「シルト」(0.0625~0.004mm)や「泥」(0.004mm以下)といいます。千里浜の砂の構成粒子は、石英・長石・雲母・輝石・貝殻などいろいろなものを含んでいますが、粒の大きさが0.2mm程度(中央粒径0.17mm)と細かくそろっていることが、特徴です。このように粒径がそろっている砂を、「淘汰がいい」あるいは「分級がいい」といいます。
 これらの砂の特徴が、重要な役割を果たしています。湿って粒径がそろっている砂は、剪断力にたいして抵抗力が強くなります。つまり、重いものが上に乗っても崩れにくいという性質を持ちます。
 ではなぜ、粒径のそろったすなが、千里浜にあるのでしょうか。それは、砂の供給源と運搬の仕組みによるものです。砂の粒径を、海岸を南に向かって調べていくと、手取川に向かって粒径が大きくなっていることがわかりました。つまり、千里浜などの能登半島の付け根にある滝崎まで、手取川の砂が、対馬海流によって運ばれているのです。粒径の大きな砂は、手取川の近くに、小さいものは遠くまで運ばれます。もっと小さい粒径のものは、海岸に打ち上げられることなく、遠くの海底まで運ばれていくのです。
 同じような条件の砂浜が、いたるところにあってもいいはずなのですが、そうそうはないようです。日本では、千里浜だけのようです。世界でも米フロリダ州とニュージーランドの海岸に知られているくらいで、珍しいようです。千里浜は、能登半島国定公園に選定され、1996(平成8)年には日本の渚百選にも選ばれています。千里浜は、自然の妙が生み出した海岸なのです。

・人工の浜・
千里浜では、実は、砂の流出が起こっています。
一説によれば、10年で約12mも侵食されているといいます。
そのため、関係機関では、海岸保護のために、
1984年から毎年3000~6000m3の砂を持ち込んで、養浜がなされています。
海岸の浸食は、いまだにとまっていないようです。
その原因は、砂利採取や金沢港の影響も考えらえていますが、
砂の供給源である手取川の
ダムや護岸ではないかと考えられています。
千里浜は、自然の妙が生み出した海岸です。
そこに、人工的に砂を入れるというのは、
自然の妙を消してしまう行為に見えるのは、私だけでしょか。

・塵浜・
千里浜が「ちりはま」というのは、
珍しい読み方です。
もともとは「塵浜」と書いたそうです。
この地域は、「作物ができず、税のかからない土地」
ということから地名が由来したそうです。
塵浜をゴミハマと蔑称する人ともいたため、
1927年に千里浜村と変えられました。

2008年9月11日木曜日

2_69 アーキアワールド

 私たちが知らない世界が、海底にありました。それは、アーキアワールドと呼ばれています。そこには、古細菌というあまり馴染みのない生物が大量にすんでいます。

 深海底は、深く暗いところなので、なかなか目にすることができません。もちろん一部の研究者は、潜水艇でもぐることがありますので、深海をみることがあります。その時の映像を私たちも見ることがあります。しかし、その場所は限られていますし、特別な目的があり、それを満たしてくれる場所になります。映像としてみるのも、特別な目を引くものがあるところになります。
 では、特別ではなく、普通の深海底はどのような場所なのでしょうか。今までは生物のほとんどいない、不毛の世界のように考えられてきました。ところが、その考えを覆す発見が、JAMSTECの研究者によってなされました。
 JAMSTEC(独立行政法人海洋研究開発機構)の稲垣史生さんと諸野祐樹さんは、7月20日の科学雑誌ネイチャー(オンライン版)に、その報告を発表しました。その報告によると、古細菌(アーキア)と呼ばれるタイプの生物が、海底堆積物に大量にいることを発見したのです。古細菌とは、生物のドメインと呼ばれる3つの分類のひとつを占めています。他のドメインは、真核生物(ユーカリア)とバクテリア(真性細菌)です。
 彼らは、世界の16か所の海底から得られた試料を用いて調べました。深さ365mまでボーリングの堆積物から、生物を構成している物質(極性脂質)と遺伝子(DNA)を抽出しました。
 極性脂質とは、バクテリアや古細菌(両者とも原核生物になる)の細胞膜を構成してい物質です。極性脂質の種類ごと量から、原核生物の量や、バクテリアや古細菌の比率を見積もることができます。DNAは、古細菌が持つ特有の遺伝子に注目して分析することで、古細菌の量を調べることが可能です。ところが、DNAの分析は難しく、なかなか精度よく分析することができませんでした。今回はその精度を格段に高めることができたようです。両者から、堆積物中の原核生物と古細菌の量を見積もることが可能になります。
 原核生物の量は、深くなるとともに減ります。しかし、古細菌の比率は深くなると、一気に増加します。1mより深い堆積物では、古細菌の量の比は、平均で87%になります。一方、抽出したDNAに含まれるアーキアの遺伝子の存在比は、まだ完全な精度が得られず、抽出法や分析手法によってばらつきがあり、平均で40%~50%になりました。原理的には一致すべきですが、技術がまだ追いついていないようです。
 極性脂質の量から、極性脂質の量を微生物細胞を構成する炭素の量に換算することが可能です。海底堆積物の全有機炭素量に占める微生物の量は、約0.024%に達することがわかってきました。比率にすると少ないように感じますが、その総量は、膨大なものになります。海水中の微生物が占める炭素量は220億トンを1とすると、陸上の土壌微生物由来の炭素量は12倍(260億トン)、外洋の堆積物には24倍(500億トン)、大陸沿岸には18倍(400億トン)あることにあります。ところが、海底堆積物の微生物炭素量は、41倍(900億トン)もあることがわかってきました。その量は、地球の微生物の中では、もっとも多くの比率となります。
 深海底の堆積物中には、実は生物が大量にすんでいることがわかってきました。地球の生物は量で見れば、深海の堆積物の中の古細菌が主要なものとえいます。まさに、私たちがしらなりアーキアワールドがそこにはあったのです。

・バイオマス・
生物起源の物質の総称をバイオマスと呼んでいます。
バイオマスは、生物の量を、物質の量として表わします。
多くは、質量あるいはエネルギー量で示されています。
このエッセイでの表記は、炭素量になっています。
ですから、紛らわしいのですが、一種のバイオマスともいえます。
ここでは、微生物だけを対象にしましたが、
大型の生物でみるとどうなるでしょうか。
地上生物に含まれる炭素量は約5500億トン、
海洋生物1兆0200億トンになるといわれています。
桁違いの量ですが、エッセイでも示されたように、
今まで生物は住んでいないと思われていたところに、
他の地域の微生物と同じほどいたことがわかったのです。
まさに新世界の発見ではないでしょうか。

・秋・
北海道は、8月下旬には秋の気配が漂っていたのですが、
9月になると蒸し暑い日が訪れています。
少々、ぐったりしていますが、
でも、やはり秋の気配はあります。
この一週間、私は調査に出かけていますので、
北海道にはいません。
ですから、その間の天候は不明です。
旅行中の天候が気になりますが、
心配してもしかたがありません。
ただ、台風だけは来ないことを祈りましょう。

2008年9月4日木曜日

5_76 温室効果はどこへ?:炭素8

 今回で、地表の炭素のシリーズは終わりです。炭素として一番話題になっているのは、地球温暖化問題です。それに対する見方も、長い地球の歴史を見ていくと、本当なのかという疑問も出てきます。最後にその話題を紹介しましょう。

 地球の歴史をみていくと、大気中の二酸化炭素は、海を通じてイオンから沈殿し、プレートテクトニクスによって沈殿物を石灰岩として陸地に蓄積されていきました。長い時間、この物理化学的変化を続けてきましたが、生物が、その二酸化炭素の固化システムに加わると、固化のスピードは速くなりました。つまり、古生代以降、大気中の二酸化炭素は、急速に減少していきました。
 ところが、二酸化炭素による温室効果の減少は、それほどではなかったようです。古生代以降をみても、中生代は南極に植物繁茂し、恐竜もいたことがわかっています。この当時も、二酸化炭素の減少は続いていたはずなのに、古生代より、暖かかったのです。
 大気中の二酸化炭素の量は、創世ころは現在の50倍から100倍ほどあったものが、現在では大気の量の0.04%しかないのです。カンブリア紀から現在まで、二酸化炭素の固化は、急速に進んでいるはずです。なのに地球は、極寒の星にならず、15℃ほどを保っています。不思議な気がします。
 大気中の二酸化炭素の量が、5桁から6桁(倍ではなく桁です)少なくなりました。今取りざたされている二酸化炭素の温室効果を考えるなら、過去に遡るほど、地球は灼熱の状態になったはずです。ところが、地球は38億年前から現在まで、海が存在できる条件を持っていました。
 多様な条件が複雑に絡み合っているために、このような恒常性(ホメオスタシスと呼ばれます)を持った環境が維持されてきたのだと思います。
 地球の平均気温は、太陽から放射エネルギーと、地球の大気の温室効果によって決まります。温室効果は時間とともに減少しています。つまり、寒くなろうとしています。しかし、地球の平均気温はどうもある一定の範囲に収まっているらしいのです。これは、なぜでしょう。
 そのためには、温室効果を打ち消す作用が必要です。その一番の候補は、太陽の放射の変化です。太陽では、水素がヘリウムになるという核融合をおこなっています。その核融合エネルギーが放射され、地球を暖めています。太陽の核融合は、時間とともに、水素が減りヘリウムが増えることになります。ヘリウム1個に対して、水素は4個必要になります。つまり、太陽内の原子の数は、見かけ上減ってきます。すると核融合の効率が上がり、時間とともに太陽はより強く輝くことになります。その結果、地球への放射も時間とともに増えていきます。
 時間の経過とともに、太陽が明るくなる(暖かくなる)につれて、地球の大気中の二酸化炭素の減少(冷たくなる)していきます。その両方の効果が、地球の温度を一定にする作用として働いたようです。
 ただし、この太陽の核融合の変化は、数十億年単位のゆっくりとした変化です。ですから、数千万や億年単位の古生代以降の温度変化は、地球環境の独自の変動と見るべきかもしれません。
 最近(地質学的に見たときの)地球の気温変化を大雑把に見ていくと、新生代中期以降、気温は減少を続けています。これこそが、大気の二酸化炭素を固体に変えてきた結果かなのかもしれません。もしそうだとすると、地球は、数千万から数百万年の単位でみると、寒冷化していると見るべきなのかも知れません。このように長い時間スケールでみると、地球の環境も違った見え方になります。そんな視点も重要なのではないでしょうか。

・地球温暖化問題・
炭素の地表での循環を考えるとき、
どうしても地球温暖化問題にたどり着きます。
このシリーズの書き始めも実はその話題にするつもりでした。
私は、地質学を学んだためでしょうか、
ついつい地球の歴史と現在の温暖化問題を比べてしまいます。
すると、地球はたいていの環境変化は
すべて経験済みのことに見えてしまいます。
そして、その理論は本当なのだろうかと考えてしまいます。
もし本当だとしても、それは、人類の内の、
文明人の内の、先進国人たちだけが
困って問題しているのではないかと考えてしまいます。
こんなこというと、異端的な意見になりますが、
以前からそういう気がしてしかたがありません。
最近になって地質学者でも同様の発言をする人もでてきました。
しかし、そんな問題も時間が
やがて結論を出してくれるでしょう。
たぶん私が生きている内に結論が出ると思います。
その日まで、私がこの意見を、持ち続けているかどうかの方が
問題かもしれませんね。

・調査行・
9月5日から1週間、能登から飛騨へ出かけます。
その話を、前回のコラムで書いたら、Kawさんから
逆だけど同じコースを行ったという連絡をいただきました。
確かに、松本から、飛騨、能登へというコースをいかれたようです。
ただ、私は、小松空港から能登、飛騨、岐阜、
そして福井へとめぐるコースです。
たぶん観光バスなら、2泊3日くらいでめぐりそうの旅程です。
行きたいところはいろいろあるのですが、
私のんびりと、そして見たい場所はじっくりと時間をかけるので、
あまり多くのところは回れません。
せいぜい、午前午後に一箇所ずつまわる程度です。
そのため、コースが長いと時間もかかります。
私は、このコースを6泊7日かけてめぐります。