2008年6月19日木曜日

2_68 想像:コモノート4

 コモノートの新たな手がかりを得たというニュースから、このシリーズをはじめました。シリーズの最後は、コモノート以前に、生物の祖先へ思いをめぐらせます。科学者たちの想像力を見てみましょう。

 前回は、コモノートについての不確実性があるそうな部分について書きました。このシリーズの最後に、より過去への想像について書きましょう。もちろんそこには不確実なことは多々があります。しかし、科学の想像力をご覧下さい。
 コモノートは、未確認の仮説上の生物です。そのような仮説を立てることができるなら、もっと想像力を働かせて、生物の起源により迫っていきましょう。コモノートの提案者である山岸さんの考えを中心に、以下は説明していきます。
 現在のすべての生物の祖先は、コモノートと呼ばれ、古細菌と真正細菌に別れる前の生物です。コモノートの特徴は、海底の超好熱の環境を好む細菌類だったことが分かってきました。
 生命が誕生した海には、当時も多様な環境があります。いつの時代も、生物は、多様な環境に適応していこうとする習性があるはずです。となれば、コモノートが生きていた時代にも、多様なタイプの生物もいたはずです。それらは、常温、低温、極低温、高温などのさまざまな環境に、適応していたタイプがいたと考えられます。
 しかし、現在の生物相をみると、なぜかコモノートだけ生き残ることになったのです。その時期に、多様な生物がほとんど絶滅するほどの異変、例えば隕石の衝突、あるいは酸化などによって、大絶滅があったかもしれません。隕石の衝突は、月のクレータの研究から、今よりずっと頻繁に起こったと考えられます。酸素があった証拠は、38億年前に鉄の酸化沈殿によって縞状鉄鉱層が、一時的ですが形成されています。縞状鉄鉱層は、すでに酸素を出す生物がいたことを意味するのかもしれません。
 これでもかなり大胆は想像です。では、生物の祖先について、そこまでしか想像できないでしょうか。いえいえ、もっと想像できます。
 コモノートのような細菌類は、DNAをもった生き物です。DNAに遺伝情報を蓄え複製していくタイプの生物です。しかし、DNAだけが生物の繁殖手法ではありません。RNAでも遺伝情報を伝えることが可能です。ですから、RNAを遺伝子(ゲノム)として利用していたタイプの生物もいたはずです。しかし、RNAは、DNAと比べると、似ていますが、より単純な物質です。ですから、その共通の祖先は、何らかの核酸をゲノムとして使うタイプの生き物になるはずです。これは、より根源的な祖先となります。
 また、核酸ではない別のものを、遺伝情報を蓄えることができるタイプの生物(非核酸複製生物)がいたかもしれません。そんな生物は、現在のような核酸で複製する生物とは違っているため、より古い時代に枝分かれしたものとなります。
 最終的には、生物らしきものであるプロテイノイド・ミセルに至りると山岸さんは考えました。プロテイノイドとは、アミノ酸を熱によって重合するとタンパク質もどきの物質という意味です。それを水に溶かすとミセルと呼ばれる数μmの大きさの泡ができます。ミセルは、外は水になじみやすい(親水性)のですが、中心部が油となじみやすい疎水性を持ちます。つまり、油性の物質を内部に取り込むことができ、生物の細胞膜のような働きができるものです。
 そのミセルの中に、プロゲノートと呼ばれる「遺伝の仕組みが成立していない」、あるいは「連続したゲノムを有しない分断された遺伝子をもつ」生物ができます。これが、「最初の生物」、あるいは「生物になる直前の物質」ではないかと考えられています。
 このような生物や物質は、現生の生物からも、化石からも、もちろんたどることはできません。ただ、各種の合成実験で、その可能性が指摘されているものです。現実には見ることも実証することもできない、最初の生命、すべての生命の起源の歴史ですが、科学者たちは思いをめぐらせています。単なる空想ではなく、ある程度根拠のある想像をしています。それはもはや、想像ではなく、推定といったほうがいいのかもしれません。

・科学が好き・
コモノートのシリーズは、今回で終わります。
このような最新の科学の成果を
紹介しているといつも思うことがあります。
見えるはずのないようなものにも
科学は、その追及の手を伸ばします。
科学は、つくづく便利なものだと思います。
もちろん、科学は万能ではありませんし、
分からないことだって一杯あります。
しかし、いろいろ智恵を絞って
少しでも多くのことを知り、
考え抜くことで解決策を見出すことが、
科学の営みでもあります。
私は、そんな科学が好きです。

・地震・
2008年6月14日(土曜日)午前8時43分頃、
岩手県内陸南部でマグニチュード7.2の地震がありました。
私はそころ研究室にいましたが、
その日に行われる実習で頭がいっぱいでした。
気象庁は、
「平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震」と
命名しました。
実は、9月に岩手県に行こうと思っていたのですが、
今回の地震で中止にしました。
被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。
そして一日も早い復興を祈っています。