2008年6月12日木曜日

2_67 不確実性:コモノート3

 コモノートは、遺伝子などの分子レベルの解析から考え出されたものです。解析のもっともらしさは、どれくらいのものでしょうか。それについて考えてみました。

 コモノートは、化石からも、現生の生物からも見つけられていません。しかし、その存在を仮定して、研究が進められています。研究の方法は、次のような考えによるものです。
 ある祖先から進化した直系だと考えられるいくつかの子孫の共通点を調べて、それらの共通点が祖先に由来するものとして、今は亡き祖先の特徴を調べるという方法です。これは一般的ないい方をしましたが、注意すべきことがあります。
 まず、生活環境の類似性は、進化の仕組みの収斂によって、まったく違った種からも生まれますから、他の証拠がないとあまり説得力がありません。まあ、傍証にはなるでしょうが。
 また、直系の子孫かどうかをどうして知るかという問題です。祖先も子孫も現在生きている生物であれば、調べることは可能です。あるいは、祖先が絶滅していても、化石などである程度推定をすることができます。しかし、コモノートのように生物の起源に関わるようなものは、実物がないし、古すぎて直系かどうか分かりません。
 現在とられている方法は、分子レベルの解析による系統解析と呼ばれる数学的手法によって、直系の子孫かどうかを確認するものです。もちろん数学的手法ですから、本当の直系を証拠付けるものではありません。統計的に可能性を論じるものである点に注意が必要です。
 前回紹介したように、多くの生物が共通にもつタンパク質のアミノ酸配列や遺伝子の塩基配列(例えば16S rRNAと呼ばれるもの)などを比較することによって、その関連を調べることができます。これを分子系統学と呼んでいます。その結果、すべての生物は、ひとつの系統に収斂することがわかりました。このような一つの根っこから出発する系統樹を、有根系統樹と呼びます。逆のいい方とすると、有根系統樹になるということは、すべての生物に共通する祖先がいたということになります。そのような祖先に対して、コモノートという名称を持つ概念が出てきたのです。
 分子系統学とは、分子配列の共通性や差異から、系統の近縁関係を探るものです。もし、遺伝的に関連がなければ、どんなに形や生活様式が似ていても、系統が離れていることで判定できます。もし、コモノートのように一つの系統から生命が誕生がしたのではなく、いくつもの系統から同時並行的に進化してきたとしたら、根っこのない、あるいは複数の根っこのある系統樹になるはずです。
 以前、メモの欄で書いたことなのですが、生命誕生の条件が整った時を考えましょう。もし、いくつものタイプの生物が生まれ、それらが細胞内共生や、お互いのいい機能を持つタンパク質やより効率的な遺伝子などの取り込み合いなどで、生物同士でつぎつぎと試行錯誤のように組み合わせが起こったらどうなるでしょうか。あるいはいろいろな時期に遺伝子レベルの混合が何度も起こったとしたら、系統解析で正確にたどることができるでしょうか。このようなことが起こったと想定したら、分子系統学が成立するでしょうか。統計的には有根系統樹になってしまうけれども、実は、別々の祖先から進化してきたことがあるかもしれません。
 今のところ、コモノートへのアプローチは、分子系統学に基づき、近縁関係を調べ、両者の生活環境の共通性から、どのような生物であったかを調べようとしています。上で述べたうにそこには、いくつかの危ういものがありそうです。系統解析は、あくまでも可能性が高いのであって、本当かどうかはわからないという不安があることに注意しておく必要があるのではないでしょうか。もしかすると、このようなことは私の杞憂にすぎず、分子系統学では、解決済みのことなのかもしれませんが。

・イベント・
北海道は夏らしい、そして爽やかな日々が続いています。
YOSAKOIも盛況のうち終わりました。
私は、テレビでの観賞でしたが、楽しみました。
他の大学では、学園祭のシーズンとなっています。
我が大学は秋なのですが、
北海道では、春に行われる大学も多数あります。
近所の大学の学園祭へは、家族で参加することが恒例となっています。
北の町では、いろいろとイベントがありますが、
私の周りでは淡々とした日々が続いています。
大学の前期の講義も半分以上終わりました。
いい季節の祭りやイベントは心地よいものです。

・結果の扱い・
統計処理は、複雑になるとコンピュータ上で
解析されることが多くなります。
もちろんその解析用のプログラムは十分吟味されて、ミスはないでしょう。
しかし、入力するデータ、あるいはそのプログラム使う上での前提、
さらに結果への但し書きや、結果の吟味は慎重に行う必要があります。
もしそれらに問題が内在されていても、
研究者は同士では、そのような問題点は了承済みのことでしょう。
ですから、問題点は承知の上で
議論されていることも多々あるはずです。
もしそのような前置き抜きに、結論だけが示されていたとすると、
内実を知らない人は、結果だけを鵜呑みにするかもしれません。
それが、混乱を引き起こすことがあるかもしれません。
実害が出ないと問題が表面化することがないですが、
誤った考えや誤解がいつの間にかできていたら困ったことになります。
結果を出す側も、読み取る側も慎重に必要がありますね。