2008年1月3日木曜日

6_68 石に立つ矢:諺・慣用句6

 明けまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。年頭のエッセイとして、一つの故事をとり挙げましょう。石に立つ矢という故事です。

 「石に立つ矢」という故事があります。この話は、前漢初期に韓嬰(かんえい)が古い文献から集めて書いた『韓詩外伝 六』にあります。この文献では、楚(そ)の熊渠子(ゆうきょし)の話として出てきます。また、司馬遷が書いた『史記』の中では「李広伝」にあります。史記では、漢の李広の話として出ています。
 「石に立つ矢」とは、一心にものごとを行っていけば、不可能なことはないというたとえとして用いられています。ここでは、李広の話として紹介しましょう。
 漢の文帝の時代、李広という弓の名手がいました。李広が生まれた隴西は、北にオルドス砂漠があり、匈奴がすぐそばまでせまっている国境の町でした。李広は、先祖代々武人の家に生まれ、武術の訓練を受けて育ちました。李広は、成長と共に、武術や戦術を身につけていきました。中でも、騎馬戦術と弓には秀でた才能を示しました。
 文帝時代に、匈奴の大軍が攻めてきました。その時、関所には、李広を守備隊長として、わずかな兵しかいませんでした。わずかな手勢しかない守備兵を率いて李広は、匈奴に負けない騎馬戦術と弓で、匈奴軍に応戦しました。
 その噂をききつけた文帝は、今まで匈奴からは何度も痛い目にあっていたのですが、やっと匈奴に一矢を報いたとして、大いに喜びました。李広を、侍従の武官に任命し、都に呼びました。李広は武人として出世の道を歩みだしました。
 ところか李広はそうは思っていませんでした。李広が文帝のお供で狩をしている時、虎が襲ってきました。それを李広は、素手でやっつけました。命拾いをした文帝は、李広の活躍できる戦乱の時代であれば、もっと出世して大国の大名になれたはずなのにと、その武勇の才を惜しみました。しかし、李広は、国境の守備隊長が自分の望みだといいました。李広の本当の望みを聞いた文帝は、それを叶えることにしました。こうして李広は、望みどおり辺境の地の守備隊長となりました。
 ある時、李広は、草原の中にいた虎を矢で撃ちました。よくよく見ると、矢が射たのは、虎ではなく石だったのです。矢は、やじりが隠れるほど深く刺さっていました。それを見た李広は、もう一度その石を矢で射ようとしたのですが、二度と刺さることはなかったという逸話です。これが、「石に立つ矢」とよばれる話の故事のもととなりました。
 前漢末の劉向は、この故事の意味を、「誠意を持って立ち向かえば、金石さえも貫くことができる。ましてや人を射ることなどたやすい。人を説得できないのは、自分の中に不完全な点があるからだ」と説いています。「石に立つ矢」は、「一念巖をも通す」という言葉にもなっています。
 なかなか含蓄のある言葉です。一年のはじまりとして、私から読者への「石に立つ矢」という言葉をお送りします。あなたの「石」は何ですか。その「石」に「矢」を射ていますか。「石」を射抜く努力をしていますか。私も、この言葉を今年の銘として、努力していこうと思います。

・今年の銘・
いよいよ新しい年2008年が始まりました。
2007年はどんな年だったでしょうか。
2008年はどんな年にしたいですか。
これら一年のことに思いをめぐらすのも正月ならではです。
そんな気持ちを私も持っています。
今回は、この故事を自分自身の今年の銘として
皆さんにも紹介しました。
今年一年が皆さんに良い年であることをお祈りしています。

・コントラスト・
年末のあわただしさから一夜明けると、
そこにはのんびりとした正月がまっています。
年末から正月にかけて母が我が家に来ています。
我が家ではそのせいもあって、暮れと正月のあわただしさが際立つのでしょう。
不思議な気分ですが、でも、考えて見ると、毎年同じことを行っています。
正月は毎年来ますし、母も毎年この時期に我が家へ来ます。
ですから、あわただしさとのんびりさは、恒例となっているはずです。
年末と正月という日本では、1年でもっとも特異な区切りだから、
不思議なことに感じてしまうのかもしれません。
これも、日本人として生まれたからには、いたし方ないことなのでしょう。
実は、私は年末のあわただしさと
正月ののんびりさのコントラストは好きなのです。