2007年6月21日木曜日

6_60 科学と国境:諺・慣用句5

 「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」という言葉があります。この言葉は、パスツールが残したものですが、今も活きています。そしてパスツールの挙げた科学的成果も残っています。

 フランスの生物学者ルイ・パスツールは、19世紀を生きた人で、数々の業績を挙げました。なかでも、「白鳥の首」フラスコを用いた実験は有名です。白鳥の首フラスコは、後にパスツール瓶と呼ばれるようになりますが、白鳥の首のように細く長くフラスコの口を伸ばしたものです。このフラスコには、空気は出入りするのですが、チリや微生物が入らないように工夫されたものです。
 この実験以前、生物は、自然発生するものだと考えられていました。生物の自然発生の考えは、キリスト教の影響を受ける前のギリシア時代からあるものでした。近代的科学がはじまった時代でも、自然発生が考えられていました。
 例えば、うじ虫はどこからともなく発生しているように見えます。また、ものが腐るのも、細菌など微生物によってタンパク質などの有機物が分解されていきます。そのような微生物や腐敗にともなう微生物は、栄養源さえあれば、どこからともなくわいてくるようにみえたからです。
 生物の自然発生が本当かどうかを確かめるために、パスツールは白鳥の首フラスコを用いたのです。
 煮沸して殺菌した肉汁を、白鳥の首フラスコ中に放置していても、うじ虫はもちろん、腐敗もしなかったのです。うじ虫が発生したり、腐敗が起こっていたのは、ハエや微生物が空気中から飛んできて、そこで産卵や繁殖したものであることが、この実験によってわかったのです。そして、「生命は、生命から生まれる」という、一見、昔の考えにもどるような状態になりました。
 パスツールは、白鳥の首フラスコでおこなったように、培養の栄養源として液体を使いました。しかし、液体のなかで培養した微生物は、何種類かのものがあると混っていて、分離しにくいものでした。
 パスツールは液体培養でしたが、ドイツのロベルト・コッホは、固体による培養の方法を開発しました。固体であれば、適当に切り分ければ、微生物の種をうまく分けることができます。この点に関しては、コッホが進んでいました。
 パスツールと13歳年下のコッホは、ライバルとして研究を続けていました。パスツールは、低温殺菌法の開発、いくつもの病気のワクチンを発明をしました。一方、コッホは、炭疽菌や結核菌、コレラ菌などの病原菌を発見しました。コッホの発見した炭疽菌によっておこる炭疽病のワクチンをつくりだしたのは、パスツールでした。このようにコッホが細菌類の発見と分類をし、パスツールは予防接種法を生みだしていくようなりました。二人は、細菌類の研究で競い合ったのです。それが、国境もなく、科学を進めることなったのです。これらの業績から、両者とも「近代細菌学の開祖」と呼ばれています。
 パスツールはスイス国境近くのドールというところで生まれました。パスツールの生きていた時代は、フランスとプロシアが対立していた時でもありました。ですから、科学と国というものを、深く考える境遇にあったのだと思います。そのため、「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」という言葉が生まれたのでしょう。

・はしか・
札幌の大学でも「はしか」がはやりだしました。
現在のところ、1つの大学だけですが、
隣の大学なので我が大学のいつ発生するかわからない状態です。
しかし、予防的な措置を我が大学ではとっています。
その措置が、ある学生にとって今までの成果を、
結実できないこともあります。
教員としては、悩ましいところです。
幸い我が大学では、発病者はいまのところいません。
ですから、現状のまま続行することもありえるのですが、
予防と安全のための対処がとられます。
私は、学生の半年間の努力を無にするようで
非常につらい思いをしています。
なんとか結実させてあげたいのですが。
私の一存でできることとできないこともあります。
これはできないことなのでしょうね。

・狂犬病・
パスツールは、1885年に狂犬病ワクチンをつくりました。
そのワクチンが2人目に使用されたのが、
ジョセフ・メイスターという子供でした。
メイスターは、後年、パスツール研究所の
守衛をつとめるようになりました。
1940年、ドイツ軍がパリに侵攻したとき、
パスツール研究所も接収されました。
そのときパスツールの墓を暴こうとしたので、
彼は、鍵を渡すことを拒み、
自ら命を絶ったという逸話があります。
パスツールに助けてもらった命を、
最後にはパスツールにささげたのです。