2007年6月28日木曜日

5_59 冥王星の分類

 2007年6月22日に冥王星が、どのような天体に分類するのかの決着をみました。「準惑星」という分類が正式な日本名と決まりました。

 冥王星が惑星の分類からはずされたことは、多くのメディアでニュースとなり、多くの方がご存知だと思います。これは、2006年夏、プラハで行われた国際天文学連合(IAU)の総会で決定されたものです。そのときのいきさつは、このメールマガジンでも紹介しました。
 IAUの総会で、冥王星は惑星に分類せず、「dwarf planet」という新たな分類になりました。しかし、その和名は正式には決まっておらず、仮に「矮(わい)惑星」という言葉が用いられてきました。これは、あくまでも仮の名称でした。
 日本では、日本学術会議の中の小委員会(太陽系天体の名称等に関する検討小委員会)が設置され検討されてきました。2007年6月22日に、この委員会から最終報告が提出されました。
 冥王星の名称は、学校の教科書にでているため、もし惑星でないとするなら、どう呼ぶかが、早急に答えが求められていました。4月9日に、「準惑星」という和名とともに、「第一報告:国際天文学連合における惑星の定義及び関連事項の取扱いについて」が公表されました。2007年6月21日の「第二報告:新しい太陽系像について-明らかになってきた太陽系の姿-」では、中学校や高校での教育現場での取り扱いに対する説明や、学生向けの解説、図表も用意されました。
 IAUでは、冥王星を惑星からはずすとともに、惑星の定義が正式になされました。惑星とは、「水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星の8つである。これらの惑星は、ほぼ同じ面内を運動している」となります。その結果、冥王星は惑星ではない、とされました。
 惑星とは、
・太陽のまわりを回っている
・質量が十分大きいため自己の万有引力で強くまとまり、ほぼ球形(流体力学的平衡の形状)になっている
・その軌道の領域で他の天体を力学的に一掃している
のが、条件となり、現在見つかっている8個に限定されるということです。
 準惑星は、太陽系外縁天体である冥王星とエリス、小惑星帯で最大のケレスの3つとなります(2007年4月現在)。太陽系外縁天体(単に外縁天体と呼んでもいいことになっています)とは、海王星よりも遠方に見つかっている「準惑星」以外の多数の天体のことです。エリスは、10番目の惑星として、この騒動の原因となった天体でした。当時は「2003UB313」と呼ばれていましたが、天体名がつけられました。
 仮の訳である「矮惑星」は、「矮」という言葉の持つニュアンスがよくないため推奨しないとされています。ですから、今後、矮惑星という言葉は消えて、「準惑星」が定着していくのでしょう。
 新しい発見によって、学問体系が整理される時、それが市民や教育にかかわりが深いと、今回のような大きな騒動となります。それも学問の進歩のなのでしょうね。

・夏の調査・
いよいよ6月も終わりとなります。
北海道も夏らしくなってきました。
そろそろ夏休みの計画を考える時期になってきました。
皆さんは、夏の計画は立てられたでしょうか。
私は、8月に秋田から青森の海岸沿いを調査する予定です。
夏の一番暑い時期になり、ねぶた祭りもあり、
道中が混雑も予想されます。
旅館もなかなかとれずに苦労しました。
私の調査も、沖縄、九州、四国ときて、
いよいよ本州へと移ってきました。
当初は、5カ年計画でしたが、もう4年近くたちます。
でも、なかなか終わりそうにありません。
じっくりと味わいながら調査していこうと考えています。

・冥王星型天体・
日本学術会議の中の小委員会では、
太陽系外縁天体でもあり準惑星でもある
エリスや冥王星のような天体を「冥王星型天体」と呼ぶことにしました。
IAUの総会でも、この天体の分類はいろいろ提案されていたのですが、
英語の名称が決まっていませんでした。
それに対して、「冥王星型天体」“plutonian object”という名称を
日本が独自の提案することにしたのです。
これが採択されるといいですね。

2007年6月21日木曜日

6_60 科学と国境:諺・慣用句5

 「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」という言葉があります。この言葉は、パスツールが残したものですが、今も活きています。そしてパスツールの挙げた科学的成果も残っています。

 フランスの生物学者ルイ・パスツールは、19世紀を生きた人で、数々の業績を挙げました。なかでも、「白鳥の首」フラスコを用いた実験は有名です。白鳥の首フラスコは、後にパスツール瓶と呼ばれるようになりますが、白鳥の首のように細く長くフラスコの口を伸ばしたものです。このフラスコには、空気は出入りするのですが、チリや微生物が入らないように工夫されたものです。
 この実験以前、生物は、自然発生するものだと考えられていました。生物の自然発生の考えは、キリスト教の影響を受ける前のギリシア時代からあるものでした。近代的科学がはじまった時代でも、自然発生が考えられていました。
 例えば、うじ虫はどこからともなく発生しているように見えます。また、ものが腐るのも、細菌など微生物によってタンパク質などの有機物が分解されていきます。そのような微生物や腐敗にともなう微生物は、栄養源さえあれば、どこからともなくわいてくるようにみえたからです。
 生物の自然発生が本当かどうかを確かめるために、パスツールは白鳥の首フラスコを用いたのです。
 煮沸して殺菌した肉汁を、白鳥の首フラスコ中に放置していても、うじ虫はもちろん、腐敗もしなかったのです。うじ虫が発生したり、腐敗が起こっていたのは、ハエや微生物が空気中から飛んできて、そこで産卵や繁殖したものであることが、この実験によってわかったのです。そして、「生命は、生命から生まれる」という、一見、昔の考えにもどるような状態になりました。
 パスツールは、白鳥の首フラスコでおこなったように、培養の栄養源として液体を使いました。しかし、液体のなかで培養した微生物は、何種類かのものがあると混っていて、分離しにくいものでした。
 パスツールは液体培養でしたが、ドイツのロベルト・コッホは、固体による培養の方法を開発しました。固体であれば、適当に切り分ければ、微生物の種をうまく分けることができます。この点に関しては、コッホが進んでいました。
 パスツールと13歳年下のコッホは、ライバルとして研究を続けていました。パスツールは、低温殺菌法の開発、いくつもの病気のワクチンを発明をしました。一方、コッホは、炭疽菌や結核菌、コレラ菌などの病原菌を発見しました。コッホの発見した炭疽菌によっておこる炭疽病のワクチンをつくりだしたのは、パスツールでした。このようにコッホが細菌類の発見と分類をし、パスツールは予防接種法を生みだしていくようなりました。二人は、細菌類の研究で競い合ったのです。それが、国境もなく、科学を進めることなったのです。これらの業績から、両者とも「近代細菌学の開祖」と呼ばれています。
 パスツールはスイス国境近くのドールというところで生まれました。パスツールの生きていた時代は、フランスとプロシアが対立していた時でもありました。ですから、科学と国というものを、深く考える境遇にあったのだと思います。そのため、「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」という言葉が生まれたのでしょう。

・はしか・
札幌の大学でも「はしか」がはやりだしました。
現在のところ、1つの大学だけですが、
隣の大学なので我が大学のいつ発生するかわからない状態です。
しかし、予防的な措置を我が大学ではとっています。
その措置が、ある学生にとって今までの成果を、
結実できないこともあります。
教員としては、悩ましいところです。
幸い我が大学では、発病者はいまのところいません。
ですから、現状のまま続行することもありえるのですが、
予防と安全のための対処がとられます。
私は、学生の半年間の努力を無にするようで
非常につらい思いをしています。
なんとか結実させてあげたいのですが。
私の一存でできることとできないこともあります。
これはできないことなのでしょうね。

・狂犬病・
パスツールは、1885年に狂犬病ワクチンをつくりました。
そのワクチンが2人目に使用されたのが、
ジョセフ・メイスターという子供でした。
メイスターは、後年、パスツール研究所の
守衛をつとめるようになりました。
1940年、ドイツ軍がパリに侵攻したとき、
パスツール研究所も接収されました。
そのときパスツールの墓を暴こうとしたので、
彼は、鍵を渡すことを拒み、
自ら命を絶ったという逸話があります。
パスツールに助けてもらった命を、
最後にはパスツールにささげたのです。

2007年6月14日木曜日

6_59 三上あるいは三前:諺・慣用句4

 新しいアイディアは、思わぬところで浮かぶことがあります。しかし、それは、本当によくあることでしょうか。少なくとも私がアイディアを思いつくのは、デスクに向かっているときとか、野外調査の最中とか、そのことに集中している時に、一番たくさん思いついています。みなさんは、どうでしょうか。

 ものごとを思いつくのは、どのような場所でしょうか。私がいちばん多く思いつくのは、机に向かって「さーって、新しいことを考えよう」と気持ちを向けたときです。私にとって思い付きが必要な時は、たいてい机に向かっているときだからです。
 では、野外で調査をしているときは、どうでしょうか。野外調査をしているときは、一人で石を観察しながら、石に関する思いを、ひたすらめぐらしています。いろいろな石が、どのようにできて、どのような関係があるのか。それらを調べるためには、どこの露頭で、どのような試料を採取していけばいいのか。どのような分析や調べた方をすればいいのか。などなど、研究テーマに関わるもろもろのことばかり考え続けています。
 もちろん、自然の景観を楽しみ、自然の変化を見る余裕もあります。そんな時は、まさに心身ともに、自然の中に没入しています。野外調査は、日常の研究室の暮らしとはかけ離れた、野外科学ならではの特殊性があるのかもしれませんが、私は心が洗われる気がして、楽しんでいます。
 それともう一つよく思いつくのは、議論している時です。あるテーマで研究会や会議、ゼミなどで議論している時、いろいろな考えや意見を聞いて、自分も発言している時、いろいろなアイディアが思いつきます。
 私が考えごとをする場合、研究室の机の前でも、野外調査の石の前、会議室の人の前でも、心からそのテーマにのめりこんだ状態でいるときのようです。
 中国の北宋に、政治家でもあり、詩人、文学者でもあった欧陽修(おうようしゅう 1007年-1072年)という人がいました。彼は、『帰田録』の中で「余平生所作文章多在三上、乃馬上、枕上、厠上。盖惟此尤可属思尓」という一文を記しています。これは、「私はふだん文章を作るところは、馬上(ばじょう)、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)の三上でするのが多い。特にものを考えるときは、ほとんどここである」という意味です。
 当時の高官は馬で移動したので、馬上で考えごとをするのが多かったのでしょう。今では乗り物や徒歩でも移動中でしょう。枕上とは、寝ているときですが、寝床の中の寝入りばなのときです。厠上とは、便所で用を足している最中のことです。
 どれも、自分自身に当てはめてみても、そのようなところで考えが浮かんだこともあり、確かに思いあたるところがあります。しかし、どれもなかなか、アイディアをものにできない、あるいは消えてしまう場合が多いように思います。
 三上のような別のことをしているとき、いいアイディアを思いつくというのは、多くの人が経験することでしょう。もちろん、私も経験したことがあります。でも、定常的には、私はそうでありません。多分、多くの人も、三上が多いわけはないと思います。
 私は、研究室のデスクに向かっているときや地質調査をしているとき、ひたすら、そのアイディアを考えています。そして、何とか、アイディアをひねり出していることが大半です。締め切りのあるものは、そのアイディアがいいものであろうと、悪いものであろう、仕上げてしまうわけです。ですから、結果として上手くいく場合も、よくない場合もあります。
 本当はアイディアとは、そのような当たり前の時に生まれることが大部分なのかもしれません。三上のように思わぬところで思いつくというのは、その記憶が強いためかもしれませんね。私の場合は、当たり前ですが、机前(研究室のデスクの前)、石前(野外調査の石の前)、人前(会議室の人の前)の三前が、一番アイディアが浮かぶところです。

・馬上・
馬上は今では、移動中のことですが、
私の日々の通勤は徒歩での移動ですから、
いろいろ考えることができます。
しかし、歩きながら、考えごとをしていても、
それがなかなか覚えていられません。
ICレコーダの使用も考えたのですが、
それを出しているのがもどかしいのです。
現在は、写真を撮ることが
通勤中にすることの一番の仕事となっています。
それにぼんやりと考えていときは、
記録すること、あるいは記憶することすら忘れています。
後で、歩いている時大切なことを思いついたんだけど
それがなんだんったのかがまったく思いだせません。
ほんの数分前のこと
ですから、大半は上に書いたように、
当たり前のところで、私は思いつくのです。

・夏の日差し・
6月になって、北海道は一気に暖かくなりました。
暖かというより、暑くなってきました。
学生もちろんですが、私も、もう半袖になっています。
ほんの1週間ほど前は、朝夕はコートが必要なほどの
涼しさだったのですが、今では、日中は窓を開けっ放しです。
乾燥してすがすがしい風が入りますから、
日影では、なんとか過ごせます。
しかし、太陽の下では、かなりの暑さです。
先日の土曜日は、小学校の運動会で1日外にいました。
もう暑くてたまりませんでした。
私は、少し離れた日影で見ていたのですが、
多くの人は、運動場の炎天下で観覧していました。
さぞかし暑かったろうと思います。
子供たちもぐったりしていました。

2007年6月7日木曜日

3_56 人工石:思い出の石ころ5

 石は自然界で、自然の力によってつくられたものです。しかし人間も似たような条件を再現したら石のようなものができます。今回は、そんな石のようなものの話です。


 不思議な石があります。それは、灰色としていうのですがテカテカした石です。磨いたわけでも、ニスを塗ったわけでもあります。その石の中には、灰色の地の部分に、白い結晶がたくさん見えます。見かけは石に似ています。しかし、自然の石とは違って、見慣れないものです。
 石というのは、もともと自然のものですが、私が持っているこの石は、実は自然のものではありません。人工のものということになります。でも、意図して造られたものではなく、製品とも違います。
 回りくどい言い方をしましたが、これは、焼却炉でゴミを焼いた灰に、ガラスを混ぜてできたものです。焼却灰を固化するために、実験的に行われたものです。しかし、融けた焼却灰を取り出す予定が、出口に詰まってしまったため、実験は失敗に終わりました。そのため、高価な焼却炉が壊れました。
 実験の失敗の原因を究明するために、焼却炉を解体されました。詰まっていたものが取り出されました。それは石のようなものでした。その石がどのようなものかを調べるために、私のところに持ってこられました。鑑定してほしいという依頼でした。
 私は、その石に興味を持ちました。それは、今まで見たこともないものですが、石に見えました。その石を調べれば、どのような経歴を持っているかを知ることができると、その時思ったからです。
 私は石のでき方、そしてそのでき方を調べる方法を知っています。
 その石は、焼却灰にガラスの成分が加えられて、融けてできたものです。融けたものは、マグマとみなすことができます。マグマの成分は、石をそのまま分析すれば知ることができます。石の中にどのような結晶があるかは、顕微鏡を使えばわかります。また、結晶の成分は、分析装置を使えば調べられます。そのような情報があれば、どのような条件でその石ができたかを知ることができます。
 調べると多少の変動はありますが、一般の焼却灰は、ある一定の成分を持っていることがわかりました。そこにガラスの成分を加え、炉をある条件にすると、焼却灰は融けはじめます。その融けた焼却灰がマグマとみなせます。あるスピードで冷やせば、マグマからいくつかの結晶が、条件にしたがって出てきます。その過程は、私が調べてわかりました。
 この成果を、学会で発表しました。しかし、私が属している学会ではそのような研究分野はありません。廃棄物学会というのに急遽入会し、学会発表と論文発表をしました。
 焼却灰も石になれば、コンパクトに、そして安全に処理できます。まして、製品になれば、社会的にも重要な貢献となります。そのような展望も論文には書きました。いいこと尽くめなんですが、その後、その石の話がどう進展したかは、連絡ないのでわかりませんが。
 この研究は、私にとって本業ではなかったのですが、非常に面白い経験でした。まったくタイプの違う学会での発表も楽しみました。そんな経験をさせてくれた石は、今も私のロッカーの中にあります。

・はしか・
6月になりました。
北海道ではいろいろヨサコイ祭りはじまりました。
ただ心配は麻疹です。
ご存知のことと思いますが、
麻疹と書いて「はしか」と読みます。
本州の多数の大学で発生し、休講措置がとられています。
北海道でも、すでに4名の発病者がいるようです。
わが大学でも非常に緊張して、いろいろな告知がされています。
もし大学関係で、3名の発病者がでれば、休講になるようです。
ヨサコイ祭りのように多くの人が日本全国から集まると、
伝染病は広まりやすくなります。
予防接種も今、在庫不足のようです。
今年は素直に祭りを楽しめないようです。

・イベント続き・
ヨサコイ祭りの話をしましたが、
北海道は今行事がいろいろ行われています。
北海道には梅雨がなく、一番いい季節なので、
行事がつぎつぎと行われます。
子供たちの小学校では、今週末に運動会があります。
大学の学部の1年生の体育大会もあります。
学科の子供向けの行事もあります。
隣の大学では、我が家が毎年行っている大学祭があります。
地区のジンギスカンパーティがあります。
子供祭りもあります。
イベント続きで楽しいのですが、
体調だけには注意が必要ですね。