2007年5月10日木曜日

6_57 石に漱ぐ:諺・慣用句2

 ことわざ・慣用句のシリーズです。今回は石と川の流れに関する慣用句から漱石を取り上げましょう。さて漱石にはどのような経緯があるのでしょうか。

 夏目漱石を知らない日本人はいないのではないでしょうか。現在では1000円札は野口英世に代わりましたが、1984(昭和59)年11月1日に発行された1000円札にその肖像が描かれている人といえば、顔も思い出すでしょう。若い人は古い1000円札は知らないかもしれません。しかし、もともとは夏目漱石は、小説家で、彼の作品を読んでない人がいても、名前だけでも知っていることと思います。ですから、夏目漱石は日本を代表する小説家といってもいいでしょう。
 夏目漱石は、本名は夏目金之助といいます。ですから、漱石はペンネームです。では、どうして漱石というペンネームを使っているのでしょうか。Wkipediaによると、「漱石」はもともと、親友の正岡子規が使っていたペンネームの一つだったそうです。それを夏目が、正岡子規から譲り受けて使ったそうです。
 では、子規のペンネームは、どこからきているのでしょうか。漱石は「そうせき」と読みますが、もともとは「石で漱(くちすす)ぐ」という慣用句から由来しています。でも、石で口をすすぐという行為は、できないようなことです。
 中国には、隠遁(いんとん)生活を表す言葉として、「石枕流漱」というものがありました。隠遁生活では、「石に枕(まくら)し、流れに漱(くちすす)ぐ)」という言い方をしたようです。もともとは、流れに口をすすぐという言葉だったのです。確かに、川の流れであれば、口をすすぐこともできます。でも、もともとは石枕流漱だから、漱石では、おかしいことになります。
 なぜ、漱石が生まれたのでしょうか。漱石は、もともと、晋書(しんじょ)という本から由来している慣用句です。晋書の中に書かれた話が由来です。
 孫楚(そんそ)という太守がいました。孫楚は、すぐれた才能や文才があり、性格はさわやかでしたが、他人に負けまいとしたり傲慢であったので評判はよくありませんでした。孫楚は隠遁しようと、友人の王済に話をしている時に、隠遁生活を表す言葉として、「石枕流漱」というべきところを、「石漱流枕」と言い間違えたそうです。王済は、孫楚の言い間違いに気づいて「石枕流漱」だと訂正したのですが、負けすぎらいの孫楚は、間違いを認めませんでした。そして、「流れに枕するというのは、汚れた耳を洗うため、石に漱ぐというのは、自分の歯を磨くためだ」といいはりました。
 このような故事から、負け惜しみが強く、自分が誤っていることを屁理屈をこねて、言い逃れることを「漱石枕流」といいます。
 この話は、晋書に載っているものです。晋書とは、中国の正史と呼ばれるもので、正史は次の王朝が前の王朝の時代のものを作成することになっています。晋の国の正史を作成したのは、東晋が滅亡して、200年後の唐の太宗の時代に、房玄齢(ぼうげんれい)らが作成したものです。そのため、歴史書として、不正確な記述が多いとされています。
 さて、石枕流漱などということが実際にできるのでしょうか。以前私が野外調査をしていとき、昼食後疲れたりすると、たまに昼寝をすることがありました。その時、まさに石を枕に川原でねっころがることがありました。そして目が覚めれば、きれいな水で、顔を洗ったり、流れで漱いだりしました。
 これは私が川原でした短時間の昼寝の話です。それを日常とするのは、なかなかつらい生活でしょう。しかし、昔の人たちは、そのままではないでしょうが、それに近い生活をしていたのかもれません。まして隠遁生活ですから、贅沢などすることなく、質素により自然に近い暮らしをしていたことでしょう。
 現代人は、キャンプなどで自然に接する生活をしますが、やはり灯りや調理には、文明の利器を使っているはずです。ですから、石枕流漱は現代人にはなかなか難しいことかもしれませんね。

・故事・
中国の文人たちは、多くの故事に通じていました。
中には、間違って覚えているものあったということです。
実は、孫楚の言い訳も、故事があるらしいのです。
その故事とは次のようなものです。
中国古代の伝説上の人物に許由(きょうゆう)という人がいました。
当時の帝王が堯(ぎょう)といい、
堯が許由に帝位を譲ろうとしているというのを伝え聞いて、
「耳が汚れた」といって、川で耳を洗ったそうです。
堯の父親の巣父(そうほ)が牛に水を飲ませるために、
川に来たところ、堯の話を聞いて、
そんな汚い水を牛に飲ませられないといって、帰ったそうです。
王になるような人は、許由や巣父のように高潔で無欲でなければならない
という故事があるそうです。
そのために孫楚は、「流枕」が「汚れた耳を洗うため」という
言い訳をしたのだと考えられるそうです。
逆に、その故事があったから、
孫楚も間違って覚えてしまったのかもしれません。
流石(さすが)ですね。
ちなみに流石も、石枕流漱から由来しています。

・教養・
諺・慣用句シリーズの2回目です。
中国の文人は、中国の歴史が長いだけに非常に多くの故事があります。
ですから、すぐれた文人の教養は並大抵ではなかったことでしょう。
また、中国の教養を持った、日本の文人たちも
そのような故事に通じていたのでしょう。
ですから中国の故事とは東洋の一般教養というべきものかもしれません。
日本人も、寺子屋時代には、漢文を素読の教科書として習っていました。
ですから、東洋の一般教養をある程度は身につけていたのでしょう。
しかし、私も含めて現代人は東洋の一般教養は非常に少なくなっています。
欧米の教養もさることながら、日本や東洋の教養を身につけていることが、
これからの国際人として重要ではないでしょうか。
英語を読み書きするのも大切ですが、日本語の読み書きをよくし、
慣用句に通じ、その背景にある故事などを知っているほうが
豊かな教養といえるのでなはないでしょうか。
まずは自分や自分の国の風土、自然、歴史を
よく知ることが重要かもしれませんね。
でも、私くらいの年齢になると、手遅れかもしれませんが。