2007年5月31日木曜日

6_58 年々歳々:諺・慣用句3

 地球時間の流れを読んだ詩を知りました。それは実は日本人ならよく知っている「年々歳々」という言葉に込められていました。

 北海道では、桜やツツジは終わりましたが、リンゴや八重桜の花が咲いています。もうじき、ヨサコイ祭りやライラック祭りなどの初夏の行事がはじまります。毎年同じ季節に咲く花をみると、「花相似たり」という言葉を思い浮かべます。
 そして、「花相似たり」の前には「年々歳々」ときます。諺・慣用句ではないのですが、「年々歳々」という言葉をきくと、ついつい「花相似たり」や「人同じからず」という言葉が続いて浮かびます。高校の漢文で習ったものですが、その他の部分は、すっかり忘れていました。「年々歳々 花相似たり」を思い出して、調べてみました。その詩は、実は地球時間を詠ったものでした。
 唐詩選の巻2に劉廷芝(りゅうていし)の「代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代る)」という七言古詩があります。その詩に「年々歳々花相似 歳々年々人不同」という一節があります。
 「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」と読みます。「毎年毎年、花は同じように咲く。しかし、毎年毎年、人は変わっていく」という意味です。老人が白髪を悲しんでいることを詠んだ詩です。この詩では、植物は毎年変わることなく花を咲かすのに、人は年々変わり、そして老いてくということをいっています。
 論理的に考えれば、このような比較が必ずしも正しくないことがわかります。まず、比較している対象が、植物の花(桜や桃、松、柏、桑)と動物のヒトを比べています。生物種の違うものを比べて導いた結論が、果たして正しいといえるでしょうか。また、植物とヒトとは、違った時間の流れで一生を送ります。ですから、異質なものを比べて嘆いてもしかたがないはずです。
 どのような種であっても、種一世代で考えれば、植物だって老化し、花は咲くなくなり、枯れて死にます。どのような生物だって、ヒトと同じような老いや死を迎えます。その死の時期やタイプは、生物種によって違ってきますが、死は生物が本来持っている属性であります。死があるからこそ、生が定義できるのです。こう考えると、より普遍的な比較をすれば、共通項が導き出せ、自然の摂理というものいきつきます。
 また、地球に流れる長い時間スケールで見れば、大地は海になり、海に溜まった地層は大地になることだってあります。
 実は、劉廷芝は同じ詩の中で、「已見松柏摧爲薪 更聞桑田變成海」と詠んでいます。「已(すで)に見る松柏の摧(くだ)かれて薪(たきぎ)と為るを 更に聞く桑田の変じて海と成るを」という意味です。
 松や柏だって、くだかれて、たきぎとなり、桑の畑だって、海になることもあるのです。植物や大地も、長い時間の流れで見れば、生命として必然としての死、あるいは大地も海へと移ろうのだといっているのです。これは、地球時間で、大地や生物の移り変わりを見ていたのではないでしょうか。
 こう読んでいくと、この詩もなかなか奥深く感じます。まあしかし、詩というものは、その科学的背景をいちいち問うものではなく、感性で読むものでしょうがね。

・代悲白頭翁・
劉廷芝の代悲白頭翁の全文を
(http://www.geocities.jp/sybrma/29ryuuteishinoshi.htmより
引用させていただきます。

洛陽城東桃李花  洛陽城東 桃李の花
飛來飛去落誰家  飛び来たり飛び去つて誰が家にか落つる 
洛陽女兒惜顔色  洛陽の女児は 顔色を惜しみ
行逢落花長歎息  行くゆく落花に逢ひて長歎息す
今年花落顔色改  今年(こんねん)花落ちて顔色改まり
明年花開復誰在  明年花開いて復た誰(たれ)か在る
已見松柏摧爲薪  已(すで)に見る松柏の摧かれて薪(たきぎ)と為るを
更聞桑田變成海  更に聞く桑田の変じて海と成るを 
古人無復洛城東  古人 復た洛城の東に無く
今人還對落花風  今人 還た対す 落花の風
年年歳歳花相似  年年歳歳 花相似たり
歳歳年年人不同  歳歳年年 人同じからず
寄言全盛紅顔子  言(げん)を寄す 全盛の紅顔子
應憐半死白頭翁  応(まさ)に憐れむべし 半死の白頭翁
此翁白頭眞可憐  此の翁白頭 真に憐れむべし
伊昔紅顔美少年  伊(こ)れ昔 紅顔の美少年
公子王孫芳樹下  公子王孫 芳樹の下(もと)
淸歌妙舞落花前  清歌妙舞す 落花の前
光祿池臺開錦繍  光禄の池台に 錦繍を開き
將軍樓閣畫神仙  将軍の楼閣に 神仙を画(えが)く
一朝臥病無相識  一朝病(やまい)に臥して相(あい)識る無し
三春行樂在誰邊  三春の行楽 誰(た)が辺(ほとり)にか在る
宛轉蛾眉能幾時  宛転たる蛾眉 能く幾時ぞ
須臾鶴髪亂如絲  須臾(しゅゆ)にして 鶴髪乱れて糸の如し
但看古來歌舞地  但(ただ)看る 古来歌舞の地
惟有黄昏鳥雀悲  惟(ただ)黄昏(こうこん)鳥雀の悲しむ有るのみ

自然の摂理を歌ったなかなか含蓄ある詩ですね。

・今年の5月・
北海道は、暖かい日や寒い日が繰り返します。
暖かい日は初夏を思わせ、
寒い日はコートが欲しくなります。
寒い日に半袖のTシャツの学生が寒そうに震えながら、
「こんな天気じゃ風邪をひきそうだ」といってました。
私は、コートを着たり、脱いだりを繰り返しています。
日が出て昼間は暑くても、朝夕は冷え込むことがあります。
今年の5月は、どうも対処の難しい気候でした。

2007年5月24日木曜日

3_55 ストロマトライト:思い出の石ころ4

 私の研究室のロッカーには、板状で縞模様のある石があります。分析装置にかけるために、板状に薄くして、磨いたものです。この石はストロマトライトと呼ばれています。この石にまつわる話をしましょう。


 もうずいぶん前のことになります。1990年夏、私はカナダに調査に行きました。その一番の目的は、博物館の依頼を受けてストロマトライトの採取することでした。当時私は、博物館に勤務する前で、大学の研究所にいました。
 7月15日~8月14日までの長期にわたる調査ですので、私には、別の目的もいくつかありました。しかし、一番の目的は、ストロマトライトと呼ばれる石を博物館に展示するために、大量に採取することでした。
 そもそもストロマトライトとは、どんな石なんでしょうか。私が訪れたカナダのグレートスレイブ湖畔では、ストロマトライト自身が、厚い層をなして、延々と連続していました。ですから、ここにはストロマトライトが、地層として大量にあることになります。
 湖畔の岸では、ストロマトライトの上がよく見える場所があります。そこで見ると、直径40~50センチメートルもあるような丸い形をしたものがぎっしりと集まって面をつくっています。その丸いものの断面が見えるところでは、同心円状のつくりをもつマッシュルーム上の形をしたものであることがわかります。マッシュルームごとの隙間も、石の小さな破片でうめられて、全体が地層となっているのです。非常に不思議な石です。
 ストロマトライトは、英語ではstromatoliteとつづります。1908年にカルコウスキーが名づけた石だとされています。stromatoliteのstromaあるいはstromatは、ラテン語のベッドカバーを意味するものです。そして英語の岩石名につく接尾語のliteをつけたものです。丸いベットカバーのような石という意味でしょうか。
 ストロマトライトは、20世紀にはじめて見つかったわけではなく、古くからこの不思議な石の存在は知られていました。1883年にはホールという地質学者が「クリプトゾーン」と名付けています。
 ストロマトライトは、炭酸塩からできている石です。20億年前ほどの地層から見つかります。その量は大量で、世界各地の同時代の地層から見つかっています。このことから、20億年前ころに大量に形成された堆積岩に一種であることまではわかるのですが、その不思議な石がどうしてきたのか、なにものなのかはわかりませんでした。
 ところが、1960年ごろに、西オーストラリアのシャーク湾のハメリンプールという入り江で、現在も生きているストロマトライトが発見されました。ハメリンプールに、ストロマトライトがあることは、地元の人は知っていたのはずなのですが、この奇妙なマッシュルームのようなものものが、20億年前の地層から見つかるストロマトライトであことに地質学者が気づいたのが1960年代になってからでした。
 その発見によって、20億年前のストロマトライトについて重要なことわかりました。マッシュルームの表面には、シアノバクテリアが群生しています。そのシアノバクテリア自身が、このマッシュルームをつくっているのです。そして、そのシアノバクテリアは光合成をする生物であることです。
 大量のストロマトライトが地層になっているということは、盛んに酸素が形成されたということです。ストロマトライト形成時に酸素が形成されました。それ以前は大量の光合成生物はいませんので、20億年前より以前は地球には酸素がないことになります。20億年前より以降は、光合成生物は進化して、酸素が継続的に形成されてきたことになります。
 ストロマトライトは、地球の酸素形成の歴史を物語る重要な石なのです。

・地球の時間・
ストロマトライトを採取する時は、
博物館の以来を受けて調査チームとして参加しました。
その時、私はある大学の研究所で研究していました。
しかし、その翌年にその博物館に職を移すことになりました。
不思議な縁を感じました。
現在私がもっている資料は、
私が博物館にいたときに、
ストロマトライトのことをより詳しく知るために、
分析に用いたものです。
博物館には大型のストロマトライトの標本があります。
それはマッシュルーム数個分の大きさがあります。
きれいに磨かれた断面のストロマトライトに触れると、
地球の時の流れの雄大を感じます。
もちろん私の小さいの標本からも
地球の悠久の時間を感じることができます。

・日常と快楽・
北海道でも、桜もツツジも終わり、
いよいよ春が深まってきました。
タンポポがいたるところに咲いています。
半袖のTシャツ姿の学生たちを、何人も見かけます。
私もやっとコートを脱ぎました。
ゴールデンウィークがあけると大学も落ち着いてきます。
祝日も7月までなく、講義が順調に進みます。
単調な日々ですが、これが大学の日常です。
でも、多くの人は、変化を求めます。
いや変化というより、快楽のいったほうがいいかもしれません。
北海道は、これからいろいろな祭りがはじまります。
祭りの快楽にあまり気を取られないようにしなければなりませんね。

2007年5月17日木曜日

3_54 縞状鉄鉱層:思い出の石ころ3

 縞模様は、規則的な繰り返しでできます。ですから、その繰り返しがどのようなものであったかを探れば、縞模様から規則を読みとるとができるかもしれません。今回は縞状の鉄鉱石をみてきましょう。


 BIFと呼ばれる石があります。日本人、いや人類なら、いつもこの石の恩恵に与っています。石自体を見たことのある人は、少ないと思います。しかし、石からできたものは、非常に馴染みあります。
 それは鉄です。BIFとは、Banded Iron Formationの頭文字で、日本語では縞状鉄鉱層と呼ばれています。私のロッカーにも、きれいに磨いた板状のBIFがあります。
 石器時代の終わりとともに、鉄器時代がきます。それは5000年ほど前で、文明の発祥と時を同じくします。鉄が文明を支えてきたともいえます。そして現在の科学技術文明も、鉄が重要な役割を果たしいます。鉄ナシの文明など成り立たないでしょう。
 BIFは、大量にあります。現在の鉄は、BIFを精錬してつくっています。ですから、鉄に関しては資源不足になることはしばらくはなさそうです。
 私は、BIFをオーストラリア、カナダ、アメリカ合衆国、グリーンランドなどでみました。グリーンランドを除くと、BIFを露天掘りをしていました。特に印象的だったのは、1998年秋にいった西オーストラリアのハマスレーというところです。このときはBIFを見ることが目的の一つとしていたので、BIFを詳しく野外で観察できました。その時の標本が磨かれて手元にあります。
 ハマスレーでは、BIFを大規模に露天掘りしていて、採掘が終われば、元の状態にするために埋め戻すことまでされていました。近くには国立公園があり、BIFのガケを詳しく見ることができました。
 日本語の縞状鉄鉱層という言葉が示すとおり、縞状の模様をもっています。私の手元の標本も縞模様がきれいに見えます。BIFは、海底で堆積物としてたまってきたものです。BIFでは、鉄の成分の多いところと少ないところが、縞模様をつくっています。
 地球の大気には、もともと酸素がありませんでした。しかし20億年前ごろに光合成をする生物が進化し、海底で大量発生しました。するとそれまで海水中に溶けていた鉄の成分が、酸素ができることによって沈殿をつくります。ですから、世界のBIFの巨大な産地は20億年前ころのものがほとんどです。海水中に鉄がなくなると、酸素が大気中にでてきます。現在も光合成生物が盛んに酸素を作っています。それが酸素の起源であり、現在も量が一定に保たれている理由です。
 縞模様ができるのは、酸素の作られる量に変動があったためだと考えられます。例えば、季節や雨季乾季などの気候変化が繰り返しあれば、光合成生物の繁殖に大きな影響を与えことになるかもしれません。すると、酸素の生産の多いときには鉄の沈殿が多く、酸素の生産が少ない時は鉄の沈殿も少なくなります。このような生物の活動の変化が、縞模様を形成したと考えられます。
 私は、赤いオーストラリアの大地を深く削りこんだ谷のガケに、そんな悠久の時間と生命と地球の関わりを感じました。BIFの標本を見るたびに、ガケの思いが蘇ります。

・BIF・
私のロッカーにあるBIFは、分析をするために、
3cm×10cmの板になっています。
表面は、光るほどきれいに磨かれています。
鉄分の多いところは茶色からこげ茶色や赤褐色になり
少ないところは透明(黒っぽく見える)や白っぽくなっています。
縞は、規則的なところや乱れたところがあります。
しかし、全体としては縞模様が明瞭にみえます。
このBIFは、自然が作り出した造形で、
どこでも似たような縞模様ですが、
詳細に見れば一つとして同じところはありません。
不思議なものです。
手のひらに乗るようなものでも
自然の不思議さを感じることができます。

・実体験・
学生たちが実習の中で、子ども達のために実験を企画しています。
その企画を立て、子ども達を集め、実施するという一連の作業を通じて
地域の子ども達との連携をマネジメントすることを学んできます。
4人の教員がついて、今一緒に企画を考えています。
学生も教員も大変ですが、楽しんでいます。
実験が上手くいかなくって悩んでいる学生もいます。
問題点を何とか解決して成功して大喜びをしている学生もいます。
でも、成功も失敗も、実体験が重要だと思います。
初めてのことは何事も大変ですが、
成し遂げた時の喜びはひとしおです。
そんなことを学生と共に味わいつつあります。
こんな経験の積み重ねが、人間教育になるのだと思います。

2007年5月10日木曜日

6_57 石に漱ぐ:諺・慣用句2

 ことわざ・慣用句のシリーズです。今回は石と川の流れに関する慣用句から漱石を取り上げましょう。さて漱石にはどのような経緯があるのでしょうか。

 夏目漱石を知らない日本人はいないのではないでしょうか。現在では1000円札は野口英世に代わりましたが、1984(昭和59)年11月1日に発行された1000円札にその肖像が描かれている人といえば、顔も思い出すでしょう。若い人は古い1000円札は知らないかもしれません。しかし、もともとは夏目漱石は、小説家で、彼の作品を読んでない人がいても、名前だけでも知っていることと思います。ですから、夏目漱石は日本を代表する小説家といってもいいでしょう。
 夏目漱石は、本名は夏目金之助といいます。ですから、漱石はペンネームです。では、どうして漱石というペンネームを使っているのでしょうか。Wkipediaによると、「漱石」はもともと、親友の正岡子規が使っていたペンネームの一つだったそうです。それを夏目が、正岡子規から譲り受けて使ったそうです。
 では、子規のペンネームは、どこからきているのでしょうか。漱石は「そうせき」と読みますが、もともとは「石で漱(くちすす)ぐ」という慣用句から由来しています。でも、石で口をすすぐという行為は、できないようなことです。
 中国には、隠遁(いんとん)生活を表す言葉として、「石枕流漱」というものがありました。隠遁生活では、「石に枕(まくら)し、流れに漱(くちすす)ぐ)」という言い方をしたようです。もともとは、流れに口をすすぐという言葉だったのです。確かに、川の流れであれば、口をすすぐこともできます。でも、もともとは石枕流漱だから、漱石では、おかしいことになります。
 なぜ、漱石が生まれたのでしょうか。漱石は、もともと、晋書(しんじょ)という本から由来している慣用句です。晋書の中に書かれた話が由来です。
 孫楚(そんそ)という太守がいました。孫楚は、すぐれた才能や文才があり、性格はさわやかでしたが、他人に負けまいとしたり傲慢であったので評判はよくありませんでした。孫楚は隠遁しようと、友人の王済に話をしている時に、隠遁生活を表す言葉として、「石枕流漱」というべきところを、「石漱流枕」と言い間違えたそうです。王済は、孫楚の言い間違いに気づいて「石枕流漱」だと訂正したのですが、負けすぎらいの孫楚は、間違いを認めませんでした。そして、「流れに枕するというのは、汚れた耳を洗うため、石に漱ぐというのは、自分の歯を磨くためだ」といいはりました。
 このような故事から、負け惜しみが強く、自分が誤っていることを屁理屈をこねて、言い逃れることを「漱石枕流」といいます。
 この話は、晋書に載っているものです。晋書とは、中国の正史と呼ばれるもので、正史は次の王朝が前の王朝の時代のものを作成することになっています。晋の国の正史を作成したのは、東晋が滅亡して、200年後の唐の太宗の時代に、房玄齢(ぼうげんれい)らが作成したものです。そのため、歴史書として、不正確な記述が多いとされています。
 さて、石枕流漱などということが実際にできるのでしょうか。以前私が野外調査をしていとき、昼食後疲れたりすると、たまに昼寝をすることがありました。その時、まさに石を枕に川原でねっころがることがありました。そして目が覚めれば、きれいな水で、顔を洗ったり、流れで漱いだりしました。
 これは私が川原でした短時間の昼寝の話です。それを日常とするのは、なかなかつらい生活でしょう。しかし、昔の人たちは、そのままではないでしょうが、それに近い生活をしていたのかもれません。まして隠遁生活ですから、贅沢などすることなく、質素により自然に近い暮らしをしていたことでしょう。
 現代人は、キャンプなどで自然に接する生活をしますが、やはり灯りや調理には、文明の利器を使っているはずです。ですから、石枕流漱は現代人にはなかなか難しいことかもしれませんね。

・故事・
中国の文人たちは、多くの故事に通じていました。
中には、間違って覚えているものあったということです。
実は、孫楚の言い訳も、故事があるらしいのです。
その故事とは次のようなものです。
中国古代の伝説上の人物に許由(きょうゆう)という人がいました。
当時の帝王が堯(ぎょう)といい、
堯が許由に帝位を譲ろうとしているというのを伝え聞いて、
「耳が汚れた」といって、川で耳を洗ったそうです。
堯の父親の巣父(そうほ)が牛に水を飲ませるために、
川に来たところ、堯の話を聞いて、
そんな汚い水を牛に飲ませられないといって、帰ったそうです。
王になるような人は、許由や巣父のように高潔で無欲でなければならない
という故事があるそうです。
そのために孫楚は、「流枕」が「汚れた耳を洗うため」という
言い訳をしたのだと考えられるそうです。
逆に、その故事があったから、
孫楚も間違って覚えてしまったのかもしれません。
流石(さすが)ですね。
ちなみに流石も、石枕流漱から由来しています。

・教養・
諺・慣用句シリーズの2回目です。
中国の文人は、中国の歴史が長いだけに非常に多くの故事があります。
ですから、すぐれた文人の教養は並大抵ではなかったことでしょう。
また、中国の教養を持った、日本の文人たちも
そのような故事に通じていたのでしょう。
ですから中国の故事とは東洋の一般教養というべきものかもしれません。
日本人も、寺子屋時代には、漢文を素読の教科書として習っていました。
ですから、東洋の一般教養をある程度は身につけていたのでしょう。
しかし、私も含めて現代人は東洋の一般教養は非常に少なくなっています。
欧米の教養もさることながら、日本や東洋の教養を身につけていることが、
これからの国際人として重要ではないでしょうか。
英語を読み書きするのも大切ですが、日本語の読み書きをよくし、
慣用句に通じ、その背景にある故事などを知っているほうが
豊かな教養といえるのでなはないでしょうか。
まずは自分や自分の国の風土、自然、歴史を
よく知ることが重要かもしれませんね。
でも、私くらいの年齢になると、手遅れかもしれませんが。

2007年5月3日木曜日

3_53 アカスタ片麻岩:思い出の石ころ2

 思い出の石ころシリーズの2回目は片麻岩という石です。今回紹介する片麻岩は一味違った意味があります。


 1990年7月15日から8月14日まで約1カ月、カナダで地質調査をしました。その主たる目的は、アカスタという地域にでる片麻岩の調査でした。
 1989年の科学雑誌に、カナダ北西準州のアカスタ地域から、39.8億年前の岩石が発見されたという論文が発表されました。それまで地球最古のの岩石は、グリーンランドの38億年前のものだったのですが、その記録を一気に2億年もぬりかえたのです。その直後に、私は、アカスタ地域の片麻岩の調査をすることになりました。
 その新記録樹立には、高精度の最新の分析装置(SHRIMPと呼ばれる微小部分の同位体測定装置)が利用されていました。そして、最古の岩石の発見は、アカスタという地域と分析装置のSHRIMPを、一気に世界的に有名にしました。
 片麻岩とは、縞状の模様があり、その縞模様が曲がりくねっている岩石ものです。かなりの高温高圧の変成作用で片麻状の組織ができます。もとの岩石は、堆積岩のこともあるし、火成岩のこともあります。アカスタの最古の片麻岩は、トーナル岩という火成岩が変成作用を受けたものでした。
 発見者である地質学者たちが、その当時、アカスタでまだ調査をしていたので、彼らのキャンプに合流して、調査をすることになりました。アカスタは、湖がいっぱいある広大な露岩地帯です。大きな湖の中の島にキャンプ地がありました。
 私は、アカスタでいろいろが岩石を探すこと目的としてましたが、やはり一番の目的は、当時最古の片麻岩を調査することです。
 カナダの地質学者たちは、広域を踏査して、必要な試料を採取していくという手法でした。一方、私たち日本の地質学者は、詳細な地質調査をすることを身上としていました。もちろん私も日本的なスタイルで、アカスタ片麻岩を中心に地を這うように調査をしました。
 何日か調査していくと、その地域の岩石の構成がわかってきました。火成岩は、マグマが冷え固まったものです。マグマは地下深部できます。マグマが深部から上がってくる時に、上ですでに固まっている岩石を割って上がってきます。このような関係を貫入といいます。ですから、火成岩を調べれば、貫入関係から、形成時期の前後関係を知ることができます。調査の結果、アカスタ地域の貫入関係をまとめることができました。
 私の調査で、最古の年代を出したトーナル岩が貫入している閃緑岩があり、すべてに貫入されている斑れい岩があることがわかりました。年代決定はされていませんが、最古の片麻岩より古い岩石が2種類もあることが明らかになったのです。
 その後、私は所属が変わったので、その研究を続けることはできませんでしたが、そのマグマの貫入関係だけは論文として記録に残していました。その後、その地を調べていた地質学者たちによって、39.8億年前よりさらに古い40億年前の岩石も発見されました。
 私には、はじめての極北の地域での調査でした。大量の虫、そして雄大な野生、自然に圧倒された調査でした。アカスタのトーナル岩質片麻岩は、そんな思いを思いこさせます。今でも私のコレクションとして棚に収められています。

・違う視点で・
アカスタは、極北地域で道などないところです。
そこに行くには飛行機しかありません。
もちろんそのような人跡未踏地に飛行場などありません。
湖が多数あるので、水上飛行を使えば、どこにでも着水できます。
水上飛行でアカスタのキャンプ地まで行きました。
カナダの地質学者たちは、
専属のヘリコプターとそのパイロットを雇っていました。
彼らは、研究費や調査費をふんだんに持っていますので、
そのような夢のような調査ができるのです。
しかし私は、ヘリコプターで目的地に下ろしてもらって、
帰る時間がきたら、予定の地点に迎えに来てもらっていました。
地を這う日本的な詳細な調査をしました。
その結果、同じものをみていても、違う視点でみれば、
違ったものが見えてくるということが実感できた調査でした。

・連休後半・
ゴールデンウィークの後半がはじまりました。
北海道は連休の間の2日間の平日は、天気が悪く、
後半はどうなるか心配です。
天気を心配していのは、
後半の連休に道南の恵山に登る予定をしているからです。
恵山はまだ蒸気を出している火山です。
以前、近くには行っているのですが、
周囲を詳しく見たことがないので、
恵山とその周辺を見ることが今回の目的です。
家族は、温泉と登山が目的です。
遠いので、2泊3日の予定となります。