2007年2月22日木曜日

6_55 天災は忘れたころにくる:諺・慣用句1

 「天災は忘れたころにくる」という有名な警句があります。今回は、この警句について考えていきます。

 「天災は忘れたころにくる」という警句は、誰もが聞いたことがあるはずです。これは、寺田寅彦がいったといわれていますが、彼が書いた文章の中には見つかっていません。ですから、現在のところ、彼がいったものだという証拠はありません。
 1923年(大正12)9月1日11時58分に伊豆大島付近から相模湾にかけて発生した関東地震は、マグニチュード7.9の強烈なものでした。この地震は、関東地方に大きな被害をもたらし、関東大震災と呼ばれています。
 同クラスの地震が、今後、起こると予想されています。例えば、マグニチュード7クラスの神奈川県西部地震には、過去の歴史から73年±0.9年の周期があり、マグニチュード8クラスの東海地震には100年~150年の周期があります。経験的で科学的に根拠は少ないのですが、次回の地震が起こりそうな時期が計算できます。
 次回の神奈川県西部の地震発生は、統計によれば1998.4±3.1年となり、その時期はもう10年近く過ぎています。また、前回の東海地震は1854年に起こった安政東海地震で、すでに144年が経過しています。いずれも、いつ起こってもおかしくない時期ではありません。一方が起これば、それを景気に他方も起こることもありえます。
 1923年の関東地震が起こった当時、寺田寅彦は東京帝国大学の教授でした。同大の地震学の今村明恒教授とともに、震災の調査をおこなっています。その今村が書いた『地震の国』(1929年)の中で「故寺田寅彦博士が、大正の関東大震災後、何かの雑誌に書いた警句であったと記憶している」と述べています。これが、寺田寅彦のいったのいう根拠となっていますが、該当する雑誌は見つかっていません。
 以上が、寺田寅彦が「天災は忘れたころにくる」といったとされている経緯ですが、その警句をそのまま使ったかどうかは、今となっては定かではありません。しかし、寺田寅彦が、類似の警告を発していることは、多くの文書からわかっています。
 人間からすると非常に長いスパンで起こる巨大地震のようなものは、なかなか対処も難しいものです。いくつ来るかわらなかいものに、人間は常に注意を払うことはできません。それに、地震という自然現象をとめることはできません。しかし、その自然現象で起こる災害は小さくすることができます。
 それを寺田寅彦は、1948年の「災難雑考」の中で「『地震の現象』と『地震による災害』とは区別して考えなければならない。現象のほうは人間の力でどうにもならなくても『災害』のほうは注意次第でどんなにでも軽減されうる可能性があるのである」と述べています。
 しかし、1931年の「時事雑感(地震国防)」の中では、「人間も何度同じ災害に会っても決して利口にならぬものであることは歴史が証明する」ともの述べています。もちろん注意を呼びかけているものでしょうが、もしかするとこれは、真理かもしれませんね。

・諺シリーズ・
地質や自然現象に関する諺や警句、格言などを探そうと考えています。
見つかったらそれを題材にする諺シリーズとしたいと考えています。
しかし、なかなか題材が集まらず、とりあえず、
今回の「天災は忘れたころにくる」を取り上げました。
継続できるかどうか分からないのですが、
不定期ですが、気にかけていこうと思います。

・まるごとデジタル記録・
現在、「地層をまるごとデジタル記録するシステム」を考えています。
このシステムの開発は、既存の技術を組み合わせていくことになります。
従来、数が多すぎるために、間引かれて記録されていたものを
間引くことなく、全データを記録していこうと考えています。
そして詳細で膨大な記録と定量化から、
今まで見えてこなかったこと、今まで見過ごしてきたこと、
例えば、時間変遷などを読み取るための手法を開発することを目的とします。
デジタル記録するものは、地層の構造、走向・傾斜、
デジタル画像から層厚、粒形、粒度、色などを読みとる仕組みです。
デジタル画像から読み取るために
撮影カメラのとり方やジグが必要となるでしょう。
それも同時に考えていくことになります。
さてさて上手くいくのでしょうか。今思案中です。

2007年2月15日木曜日

6_54 組織の力

 人は昔から、一人ではできないような巨大なものや、長いもの、高いものなどをつくってきました。そこには、智恵と技術が必要ですが、それ以上に重要なものがあったような気がします。

 ダニエル・デフォーの小説の主人公ロビンソンクルーソーは、無人島で28年間を過ごしました。そこではたった一人で色々工夫しながら生きていきました。これは非常に特別な例です。だから小説のテーマになったのです。
 普通の人は一人では生きていけません。人は集まって生きています。人が集まると、いろいろな集合ができます。しかし、単に集まっただけでは、烏合の衆と同じで、あまり生産的な行動はできません。
 子供たちが教室で、思い思いに好き勝手に遊んでいる時は、何も起こりません。しかし、その教室で誰か一人が、「皆で、かくれんぼうをしようよ」といって、多くの子供がかくれんぼうに興味を示したとたん、烏合の衆から、目的を持った集団へと変わります。このような目的を持った集団は、組織というべきものです。
 かくれる範囲を、教室のある階や、校舎全体、学校全体にするなどの意見が出るでしょう。そのうち、誰かがリーダー役となって意見をまとめ、鬼の決め方、隠れ方などのルールや役割分担を決めていくでしょう。その過程ではいろいろな意見がでるでしょう。足の骨折している子は鬼には選ばないとか、校舎全体を隠れる範囲にするとか、鬼は1000ゆっくりと数えるとかが決まっていきます。このようなことが短時間で決定され、そしてかくれんぼうへと入っていくことでしょう。
 ここで、かくれんぼうという例を出しましたが、これは目的さえ持てば、どのような組織であっても、似たような力を発揮していきます。目的を持った組織は、非常に活発に自発的に意見が出てきて、つぎつぎと重要なことが決まり、そして実行に移されます。
 一人の人間にはできないような内容でも、目的をもった組織では力を合わせることで、成し遂げられることがあります。明確な目的をもった組織では、能力や個性に応じたいろいろな役割分担や仕事内容が自発的に決められていきます。このような組織をつくること、そして目的を達成することは、智恵ある人間だからできることなのかもしれません。
 自然界でも、組織立った行動をする生物がいろいろいます。アリやハチなどは、役割分担がはっきりしてます。しかし、その集団の行動は、目的を意識して、目的を共有して行われているものではありません。生きる、食べる、子孫を残す、縄張りを守るなど、さまざまな行動が一見組織的になされることがあります。しかし、それは本能というものがその動機となっています。ですから、自発性や工夫などは生まれません。同じ条件なら、同じ繰り返しがなされていくはずです。
 人が文明として作り上げてきたものには、一人では決してできないものも多数あります。エジプトのピラミッド、万里の長城、ナスカの地上絵、法隆寺、古墳など、目的はさまざまですが、古くから素晴らしいものが多数つくられてきました。多くの人の智恵と力が、このような巨大で後世に残るようなものを生み出したのです。これは、明確な目標があったためできたことだと思います。

・airpen・
私は、B5のノートをいつも持ち歩いて使っています。
そこにその日にすべきこと、会議のメモ、
アイディアなどなんでも書き込んでいます。
B5のノートにしたのは、どこでも手に入るからです。
そしてノートの裏表紙には、月々の自作のA4カレンダーを半分に折って
予定表を入れてあります。
B5のノート自体はB5の薄いバインダーにはさんでいます。
バインダーにはルーズリーフに打ち出したものがとじられています。
これが、いろいろ試してきてたどり着いた私のノートの方法でした。
これで今まで満足していました。
ただ、欠点が唯一ありました。
それは、デジタルにするときに手間がかかるということです。
あるとき、airpenという装置を見つけました。
(http://www.airpen.jp/index.html)
見つけた瞬間に試してみたいと思いました。
これはアナログとデジタルの融合する装置です。
もちろんスキャナと手書き文字識別ソフトを使えば、
デジタルにできなくはありません。
手書き文字識別ソフトを購入すれば、今すぐにでも実現可能です。
しかし、それはめんどくさいのでしていません。
めんどくさいということは、よほどの必要性がないと
長続きせず、実用的でないといえます。
今回みつけたairpenというものは、その両者の欠点を補っています。
ノートに書いているものをデジタル装置で
常に読み取っていくというハードウェアです。
A5で100枚分の記憶容量、A4で50枚となります。
それをUSB接続でパソコンに送れば、デジタル画像として読み込めます。
さらに手書き文字識別ソフトで、読み取っていくというものです。
現在このAirpenを試しています。
しかし、なかなかまだ使い方がなじまないでいます。
現在いろいろ試行錯誤の段階です。

2007年2月8日木曜日

3_52 コマチアイト:思い出の石ころ1

 思い出の石ころシリーズの第一回目はコマチアイトという石です。コマチアイトにはどのような思い出と意味があるのでしょうか。


 地球上には、色々な石があります。石に興味のない人にとっては、単に路傍の石に過ぎません。でも、石の専門家でなくても、あるいは銘石、水石や盆石が好きな人でなくても、心に残る石ころを持っている人もいると思います。
 そんな石ころで、地質学者として興味を持つと、どのようなことを見て、どのようなことを調べていき、どのようなことを考えていくのでしょうか。そんな私の心に残る石ころを紹介していこうと考えています。
 最初に紹介するのは、現在私の研究室のガラス引き戸のロッカーの中にある黒っぽい石です。この石は恩師の遺品です。今エッセイを書くために、久しぶりに取り出し、眺めています。
 この石は、半面は採取したままの状態で風化して黄褐色になっているところや、ハンマーで叩いた割れ目なども残っています。後の半面はきれいに磨かれています。そしてこの石は、半分に切るときか磨いている途中に割れたらしく、接着剤で固めてあります。そして石のある面に、サンプル番号と日付、とった場所が書かれています。
 この石の特徴は、そのつくりにあります。数cmの長さの針状の結晶が放射状にたくさん集まっています。そのつくりは、スピニフェクス組織と呼ばれています。スピニフェクスとは、オーストラリアの乾燥地に生えている鋭い針状の葉をもつ草のことです。その草のようなつくりをもつことが特徴です。
 スピニフェクス組織は風化面でも見ることができますが、磨いた面ではよりよく見えます。この石と同じ種類のものは、南アフリカ共和国バーバトン山地の太古代(38億~25億年前)の露頭から最初に見つかりました。バーバトン山地の南側を流れるコマティ川にちなんで、コマチアイトと呼ばれています。英語ではkomatiiteと書きます。
 コマチアイトは、南アフリカ共和国以外でも、カナダ、オーストラリア、ジンバブエなどでも見つかっていますが、残念ながら日本では見つかっていません。なぜなら、コマチアイトは、太古代から原生代(25億年前~5.6億年前)にしかできなかったもので、日本にはそんな古い岩石がほとんどないからです。
 コマチアイトは、地球の歴史を考える上で非常に重要な意味を持つと考えられています。
 コマチアイトは溶岩が地表に噴出して固まった火山岩です。その化学成分の特徴として、酸化マグネシウム(MgO)を非常にたくさん含んでいることがあげられます。コマチアイトのMgOの含有量は、重量で18%以上あり、マグマからできた火成岩は、特殊な濃集作用の起こっていないものは、10%以下しかありません。これは、コマチアイトがカンラン石を非常にたくさん含んでいるためです。スピニフェクスもカンラン石がマグマが急に冷えたためにできたつくりです。
 このようなMgOの多いマグマは、非常に高温(1650℃以上)の条件で形成されます。これは現在のマグマのできる温度よりかなり高いものです。また、地表近くまでマグマが上がってくると、冷却にともなってカンラン石ができてマグマから取り除かれ、MgOの濃度は下がっていきます。しかし、コマチアイトは溶岩として地表に流れていいます。これは、昔の地球内部が今よりももっと温度が高かったためだと考えらています。コマチアイトのスピニフェクスにはそのような意味があったのです。

・思い出・
今回から月に一度程度の頻度で、石シリーズをお送りしようと考えています。
私が出会った石ころで、思い出深いものや
興味を持って調べてきたものなどを紹介していこうと思います。
このコマチアイトは、私の恩師である
田崎耕市先生の形見としていただいたものです。
私は1982年8月に田崎先生と
この岩石の産地のカナダに一緒に行き、この標本を採ってきたのです。
私の標本は転々と移動している間になくなってしまったのですが、
田崎先生はこのコマチアイトだけは、
大切に自宅に保管され、飾られていました。
お葬式で自宅に行ったとき、飾られていたこの石を見て、
私は非常に懐かしく眺めていました。
すると奥さんがこの石と何冊かの本を持っていくようにいわれました。
この石は、私とって標本以上に意味のある非常に大切な石となりました。
標本メモには
A2-3, Munro Town, Komatiite, Col. Taz. 1982.8
と書かれています。
そのメモは、私にとって重要な意味のある言葉でもあります。

・新しいコマチアイト・
顕生代にできたコマチアイトも、最近では見つかっています。
例えば、オマーンのオフィオライト(約1億年前)とよばれる岩石群の中や
コロンビアのゴルゴナ島(約9000万年前)などからも見つかっています。
しかし、新しい時代のコマチアイトは、
古い時代のものとは違ったメカニズム、
特殊な条件によってできたと考えられています。
コマチアイトには、地球の不思議が詰まっています。

2007年2月1日木曜日

3_51 地下は暗くない

 思い込みとは恐ろしいものです。間違うはずのない条件が整っていたのに、思い込みで間違いしたことがありました。


 夜は暗いものです。それは太陽光がないからです。太陽があたるところだけが明るく、当たらないところは暗くなります。夜が暗いのは、そのためです。これは、当たり前のことです。
 地下にもぐると、太陽光が当たらなくなり、昼間でも暗くなります。鍾乳洞に入れば、人工の明かりがないと、真っ暗になります。これは、照明のない鍾乳洞に入れば、誰でも体験できます。私は以前、照明のない鍾乳洞に入って、その暗さを経験したことがあります。本当に真っ暗で、明かりがなければ、一歩も歩けませんでした。
 地下深くなっても、太陽光がなく暗いことには変わりません。では、もっともっと深くなったらどうなるでしょうか。
 もちろん太陽光はとどきません。地球内部は熱がありますので、深くなると共に暖かくなります。温度は、深さと共に上昇していきます。このような地球内部へ向かっての温度の上昇率を、地温勾配と呼んでいます。
 深くなるとともに、周囲の岩石の温度は上がります。それは、地球の中心部には、今もエネルギーが蓄えられているためです。そのエネルギーが熱として、地球内部から外に向かって放出しているからです。ただし、マントルは岩石からできているため、熱をなかなか伝えません。ゆっくりとした対流(マントル対流と呼ばれています)によって、その熱が外に向かって放出されています。
 温度は上部マントルの底で1000℃、マントルと核の境界で4600℃、外核と内核の境界で5900℃ほどだと見積もられています。非常に高温です。私は地質学を研究していますから、もちろんこのような温度上昇は、知識として知っています。
 話はかわって空です。明かり元となっている太陽は、なぜ明るいのでしょうか。それは、核融合エネルギーによって膨大なエネルギーを放出しているからです。太陽は1億5000万km離れた地球から見てもまぶしく輝いています。
 太陽から届くエネルギーを地球表面で測定すれば、太陽の放出しているエネルギーを計算できます。もし太陽が理想的な黒体放射(すべての波長を放出できる物体)だとすると、放射は温度のみに依存するという法則があります。ですから、求めたエネルギーから太陽の温度を決めることができます。プランク定数とよばれる物理学の重要な定数も、黒体放射から決められています。ですから、高温のものからは、一定の放射エネルギーがでることも知っていました。
 私は、地下は暗いと信じていました。一方、知識として、地球内部は深くなると温度が上がる、高温のものからは放射エネルギーが出る、ということを知っていました。それらの知識から考えれば、地球深部で高温のところは、温度に見合った放射をする、つまり輝いているということが簡単に推定できるのに、地下は暗いという先入観を消せなかったのです。
 この先入観による思い込みは、私の未熟さを常に思いこさせる教訓となっています。

・暖冬・
北海道は1月31日に雨が降りました。
1月の平均気温が平年よりだいぶ高いという記事ができいましたが、
それを象徴するような雨です。
早朝から雪が融け、そして雨です。
雪が一気に融けていきます。
まるで春ような陽気です。
多分今発生しているエルニーニョによる暖冬だと思いますが、
こんな冬は北海道に来て5年目ですが初めてです。
昨年の大雪とは大違いです。
まあ、まだ2月、3月があるので、寒さは戻ってくると思いますが、
私にとっては暖かい冬は過ごしいいです。

・節分・
いよいよ2月です。
節分ですが、ここ数日、我が家では豆を食べています。
大豆と黒豆、ピーナッツなど食べています。
ピーナッツが食べなれていておいしいのですが、
大豆も噛みしめるとなかなかうまみがあっていいものです。
年の数だけ食べるのだと子供たちに言うともっと食べたたがります。
いくら食べてもいいが、最初は年の数だけ食べてることにしました。
節分には豆まきをしますが、
後のことを考えると殻付のピーナッツが便利で
スーパーでは節分に合わせて売っています。
しかし、もともとは大豆だったでしょうから、
大豆を年の数だけ食べることにしましょう。