2006年8月31日木曜日

5_51 惑星の新定義2

 前回惑星の定義について紹介しました。8月24日に決定しましたので、その結果を紹介します。

 2006年8月24日は、もしかすると天文学の記録に残る日かもしれません。それは、科学と理性の勝利という副題でもつけられるかもしれません。
 ご存知のように惑星の定義が確定して、冥王星を惑星からはずすというものです。メディアが煽ったせいでしょうか、特別なニュースも少なかったせいもあるのでしょうか、惑星の定義に関しては、当初から多くのニュースが報道されていました。
 前回の「地球のささやき」を書いていた段階(8月23日午前)では、惑星の新提案が出されて、その提案が採択されれば、惑星が12個になり、今後も増える可能性があるいうニュースが流れていました。それを紹介しながら、エッセイの最後のコラムで、私としては冥王星を惑星からはずした方がいい、という意見を述べました。
 国際天文学連合(IAU)では、歴史的経緯を重要視していたため、まず、冥王星を惑星のままにしておくという決定をして、その前提のもとに新しい定義が考えられました。ですから、かなり無理のある定義となっていました。それは、私だけでなく、多くの人が感じていたことです。
 その新提案がなされた直後から、多くの議論が起きました。その議論の大半は、定義の合理性のなさを指摘するものでした。
 冥王星は、P・ローウェルによって存在が予測され、1930年2月18日にクライド・トンボーが発見されました。いずれもアメリカの天文学者の仕事でした。冥王星は、遠く小さな天体であったため、大きさも定かでありませんでした。しかし、発見当初から、9番目の惑星として扱われてきました。
 観測が進むに連れて、冥王星の大きさや構成、軌道がわかってきました。大きさは、直径が2,320kmしかなく、月や木星の衛星(イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト)、土星の衛星(タイタン)、海王星の衛星(トリトン)よりも小さいことがわかりました。冥王星は二重惑星とも呼ぶべき大きな衛星カロン(1186km)がありました。他にも小さな衛星が2個(ニクス、ヒドラ)見つかっています。
 また、公転の軌道も極端な楕円軌道で、内側の海王星より太陽に近づくことがあります。最近では1979年から1999年まで、海王星よりも太陽に近かい軌道を回っていました。軌道傾斜角も大きいことから、周囲にたくさん発見されているエッジワース・カイパーベルトの天体と同じような性質、起源ではないかと考えられていました。つまり、惑星としては、ちょっと変わった天体だったのです。
 その冥王星を惑星の仲間にするために、新しい定義がなされたため、かなり無理が生じたのです。
 結局、IAUの総会の採決で、「冥王星は惑星ではない」と採決されました。
 新しい定義によると、惑星とは、太陽を周回する天体であること、自己重力が固体強度を上まわって球形になっていること、軌道の周囲から他の天体を掃き散らしてしまったもの、というものです。
 合体や重力散乱で、自分の軌道の周囲から他の天体をきれいになくすことができなかったという点で、冥王星は、惑星でないとされました。そして惑星に近いが惑星の定義に当てはまらない天体を、dwarf planet(矮惑星という意味)と呼ぶことにしました。ただし、この分類に入れるための条件は、今後IAUが、決めることになりました。冥王星は、dwarf planetにすることが、同じ総会で決定されました。
 上でも書きましたが、海王星より遠くで太陽の周りを回る天体を、今までエッジワース・カイパーベルトという名称を使っていました。しかし、この名称も、今後はトランス・ネプチュニアン天体といういいかたになります。冥王星もトランス・ネプチュニアン天体に属します。
 以上の決定は、非常に合理的で、誰もが納得する定義となりました。確かに歴史的背景は、重要で、無視すべきではありません。歴史的経緯には、文化ともいうべき非合理的なものも含まれていることがあります。しかし、歴史的経緯を知らない後の時代の人にとっては、理解しがたい文化となります。その非合理的な文化でも、行事のようなものであれば、まだ存続しやすくなります。でも、継続性、継承性を考えるなら、できる限り合理的なものの方が、理解しやすく、長続きするものになるはずです。今回の冥王星の騒動から、そのようなことを感じました。

・季節感・
8月下旬ともなると、北海道は、だいぶ過ごしやすくなります。
空気が乾燥してきて、空が高く感じます。
日がだいぶ短くなりました。
いよいよ今日で8月も終わりです。
夏休みもいよいよ終わり、新学期ですね。
そう別のメールマガジンで書いたら、
9月は学期のはじまりではないというメールを頂きました。
横浜では、2学期制をとっていて、9月から学校が始まりますが、
9月中旬から期末試験があって、
10月に区切りもなく2学期がスタートするそうです。
多くの大学も2学期制ですが、夏休み前に試験を終わらせてしまいます。
ですから、夏休み明けからは、新学期となります。
制度は、地域にあわせたものがあっていいと思います。
夏休みに、固執する気もありません。
しかし、制度の多様性によって、
日本人として共通する季節感というべきものが
薄れないようにしておくべきでしょうね。
しかし、合理性はあったほうが後々のためにはいいと思います。

・城川へ・
私は、9月2日から6日まで、
愛媛県西予市城川に出かけてます。
毎年のように出かけているところです。
第二の故郷のようなものです。
いつも泊まっている瀟洒なロッジに、
帰ってきたというようなほっとした気持ちになります。
開放感というか、安心感というか、なんともいえない、
落ち着きとくつろぎを感じます。
もちろん、しばらく出かけるわけですから、
やるべきことを次々とこなしていかなければなりません。
それが大変ですが、出かける楽しみの前にがんばる気になります。

2006年8月24日木曜日

5_50 惑星の新定義

 最近新聞をにぎわしている惑星の定義について紹介します。

 火星と木星の間には、多数の惑星のある小惑星帯と呼ばれる軌道があります。小惑星帯最大の惑星としてセレスと呼ばれる天体があります。セレスの直径は約950kmありますが、他の惑星と比べると小さく、小惑星と呼ばれていますが、惑星に昇格できませんでした。
 しかし近年、冥王星の外側のカイパーベルトと呼ばれるところでも、大きな天体が多数見つかってきました。中でも、2005年にアメリカの天文学者たちが発見した2003UB313という天体は、月(直径約3400km)よりは小さいですが冥王星(直径約2360km)よりも大きく、直径約2400kmもあるため、「第10惑星」として論文を発表し、話題になりました。
 惑星は古くからあったもので、多くの人にとって当たり前のものでした。ですから、天文学では惑星を定義をしてきませんでした。いちばん最後に見つかった惑星は、1930年に発見された冥王星で、それ以来、惑星が9個であることが、市民に定着してきました。
 もともと、冥王星は月より小さく、公転の軌道も他の惑星とかなりずれていました。惑星らしくない惑星であったのです。そんな冥王星が惑星とされるのであれば、他の天体で、惑星らしいものは惑星にしようという主張です。
 このような新しい大型の天体の発見にともなって、惑星の定義が問題となってきました。国際天文学連合(IAU)では、2年前から、天文学者だけでなく、作家や科学史家など7名で構成されている「惑星定義委員会」で、新定義を検討してきました。多彩なメンバーで議論されているのは、惑星に関する定義が、歴史や文化にも影響を与えると考えられるからです。
 IAUでは、歴史的経緯から、冥王星を惑星のままにすることは決定しました。ですから、冥王星が惑星でいれるような定義を考えることにしました。その結果、
・天体が自ら球状の形を維持できる重力をもつ
・恒星(太陽)を周回している天体で惑星の衛星ではないもの
という2つの条件を満たす天体という新しい定義が提案されました。
 この定義が認められれば、月の約150分の1の質量、月の約4分の1の直径(800km)の天体まで惑星に含まれることになります。「第10惑星」として発表した天体のほか、小惑星帯の最大の天体セレスや冥王星の衛星とされていたカロン(約1200km)は新たな惑星として加わることになります。冥王星とカロンは惑星と衛星の関係ではなく、二重惑星となります。今後も、定義にあてはまる惑星がでてくるはずです。
 これらの新しい惑星は、「プルートン(冥王星型惑星)」という特別なグループに入れられます。冥王星、カロン、第10惑星の3つが、このグループに入ることになります。
 IAUの惑星の新定義には、多くの批判が出ています。そこで修正案が考えられています。現在チェコの首都プラハで開催中のIAU総会では、新しい定義案を、3つに分けて採択されることになっています。
1 惑星は「自己重力で球形を作り、恒星の周りの軌道を回る天体」と定義すること。そこでは、水星から海王星までの8個の惑星を「古典的惑星」としています。
2 冥王星や、新たに惑星に昇格する「2003UB313」などを「プルートン(冥王星族)」とした分類名を変える
3 冥王星の衛星カロンは惑星とする
の3つです。現在もまた修正はされているかもしれません。
 24日朝(日本時間では25日未明)に再度、改定案が提示され、その日の夕方の全体会議で決議される予定となっています。どういう結果になることでしょうか。目が離せません。
 この議決の是非をめぐって、今後も議論されることになるでしょう。新しい決定がなされれば、研究者間だけでなく、各種の本や教科書に反映されていくでしょう。市民に普及するまでには、長い時間がかかることになるでしょうが、これも科学の進歩です。

・私の定義・
冥王星のカロンは小さい天体です。
それが惑星になるのであれば、
月のような大きな衛星は、不自然な存在になります。
ですから、私は、冥王星を惑星から降格させた方が
すっきりすると思います。
水星程度の4800km以上の直径をもつものに限定して
惑星にしたほうが、分かりやすくなります。
でも、冥王星が惑星とされるには歴史的な経緯があります。
1930年に発見された冥王星は、遠く暗い天体だったので、
当時の観測技術では大きな惑星と考えられていました。
ところが観測が進むにつれ、直径がどんどん小さくなっていき、
ついには最小の惑星であった水星よりも小さいことが判明しました。
その後、カロンという衛星がめぐっていること、
軌道が他の惑星と違って公転面から大きくずれていることなどから、
惑星らしくないということがいわれるようになりました。
しかし、それは天文学者や科学者の間のことであり、
冥王星が惑星であることは、世間では定着していきました。
80年間も惑星とされてきたものを、
いまさら惑星でないとするには、
混乱が大きいというのがIAUの判断です。
でも、その決定のおかげで、
惑星の定義が複雑になってしまいました。
それが今回の騒動のもととなっていると思います。
さてさて、どのような判定が下されることになるのでしょうかね。

・どたばた・
北海道では、小・中・高校も2学期がはじまりました。
私は、大学の紹介をするため、
高校巡回を今週になってやっています。
釧路の方は高校の都合で中止になりました。
1泊2日での巡回になるところだったのですが、
正直なところ、日程があいて助かっています。
9月になるとすぐに、四国と帰りに東京によってきます。
5泊6日の予定で出かけいていきます。
その間不在になるので、
いろいろとやっておかなければならないことがあります。
そんなどたばたが、もうはじまっています。

2006年8月17日木曜日

3_47 マントルの水3:水が納まる

 いよいよ、大谷さんたちの研究の成果の核心部になります。マントル深部に、水が存在する可能性を示していきます。


 2006年1月12日号のイギリスの科学雑誌ネイチャーに、「地球上部マントル最下部での含水メルトの安定性」が発表されました。分かりやすくいうと、マントル深部に水を含んだマグマ溜まりが、安定に存在することが、わかったということです。マグマ溜まりとマントルの水とに、どのような関係があるのでしょうか。見ていきましょう。
 今までエッセイで述べてきたように、上部マントルと下部マントルの境界は、遷移層とよばれ、深度400~670kmあたりにあります。遷移層では、地震波による観測から、密度変化による不連続な面があることがわかっています。その密度変化は、岩石の高温高圧実験から、カンラン石がより高密度の結晶に変化するためだと考えられています。
 さらに地震波の観測から、遷移層には、液体状物質がある可能性が示されてきました。
 一方、岩石の高温高圧実験から、新たなことも分かりました。
 カンラン石が遷移層で変わる結晶は、地下410kmでスピネル構造(β相)をもった結晶(ウォズレアイトと呼ばれます)に変わり、520kmaで別のスピネル構造(γ相)の結晶(リングウッダイト)に変わります。
 これらウォズレアイトとリングウッダイトの結晶を詳しく調べていくと、水をたくさん取り込める構造をもっていることがわかってきました。ですから、遷移層に水が持ち込まれれば、水の納まるところはあるのです。遷移層に水があることにあれば、その量は膨大なものとなります。
 注意が必要なのですが、ここでいっている水とは、私たちが普段目にする流れる水があるのではありません。結晶の中に取り込まれた状態もので、H2Oや水酸基(OH)という分子状ものをいいます。ですから、地震波で予想された液体は、H2Oの水ではありません。遷移層に、たとえH2Oがあっても、結晶の中に取り込まれているわけですから、液体にはなりません。では、その液体とは何でしょうか。
 一番の候補として考えられていたのが、岩石が溶けたマグマです。マグマであれば、地球深部にあっても不思議ではありません。では、マグマであることを、どうすれば証明することができるでしょうか。
 証明すべきことは、マグマができること、マグマが遷移層に留まれること、遷移層に水があることです。
 岩石の高温高圧実験から、遷移層の温度圧力で、条件さえ整えれば、マントルの中でマグマを形成することはできることがわかっています。その条件とは水があることです。上でも述べましたように、水は遷移層の結晶に入ることができます。水さえ遷移層にあれば、話は上手くつながります。
 後の証明は、次回としましょう。

・お盆・
お盆が終わりました。
皆さんは、お盆をどうのように過ごされたでしょうか。
北海道も8月上旬の暑さから開放され、
風さえあれば過ごしやすい状態になりました。
私は、相変わらずの日々です。
お盆の間は、大学の生協がしまっているのと、暑いので、
昼前まで研究室で仕事をして、午後は自宅にました。
ただし、13、14日は天気いいので、昼食を森で食べました。
食後はひと時、のんびりしました。
子供は虫取り、家内は読書、私は撮影をしていました。
15日の午前中は、北海道大学の博物館で開催されている
モンゴルの恐竜展を見学に行きました。
17日からは平常どおりの仕事となります。
さて、成績の締め切りが迫ってきました。
急いで整理していきましょう。

・パソコンの不調・
最近自宅で使っているパソコンの調子が悪く、
フォーマットをしなおしました。
するとネットワークにつながりません。
非常に不便をしています。
大学に持ってきてもネットワークにつながらなくなりました。
また、メイラーも新しいもの変えたら、
またこれが不調で、同じメールを永遠に受信します。
どうしたことでしょうか。訳が分かりません。
明日からは、計算機センターも開くので、助っ人を頼みましょう。

2006年8月10日木曜日

4_71 マントルからの眺望:アポイ岳

 アポイ岳に登りました。アポイ岳はマントルの岩石がめくれ上がっているところです。そんなマントルからの眺望を楽しみました。

 2006年8月3日にアポイ岳に登りました。家族連れだったので、露岩がみえ、眺めのよい馬の背までいければいいと思っていました。
 予想に反して、いちばん体力のあるはずの長男が、登りはじめて、すぐに疲れたといい出しました。いつもは一番元気に登っています。実は、長男は夏休みに入る直前に、夏風邪をひいて体調を崩していたのです。しかし、今回の登山に備えて、体調を整えていたのです。プールにも行っても大丈夫でした。ですから、体力は回復していると思っていました。でもまだ、体調不十分だったようです。
 無理せず、いけるところまで行こうと、長男の様子を見ながら休み休み登りました。普通なら1時間ほどで登れるとこを、2時間近くかけて5合目の休息所までたどり着きました。そして、そこから馬の背が見えたら、少し気力が回復したらしく、なんとか7合目の馬の背まで登ってくれました。そこを目的地としていたので、登りはもう終わりです。そこで昼食をとり、ゆっくり休みました。風があったのですが寒くはなく、快適でした。日差しも弱く、爽快な気分で昼食をとりました。それに平日だったので、登山客も少なく、のんびりと眺望を楽しました。
 馬の背で、私は、景色を見て、岩石を見て、写真撮影をしました。子供たちも、景色や、虫を見つけては、一生懸命撮影していました。
 私は、大学の4年生のころにアポイ岳には登っています。そのあと調査で何度かアポイ岳周辺には入っています。アポイ岳の頂上からの眺望は木が茂っていてよくないのを知っていました。ですから、馬の背あたりが岩石も露出し、景色がいいと思っていました。アポイ岳周辺には、近年には2度ほど来ていますので、石も色々見ていました。ですから、今回はアポイ岳に登って、周囲の景観を見ることが、一番の目的でした。
 私は、山の頂上に登ることに、あまり興味がありません。その山で、自分が一番興味のあるところや、一番素晴らしいと思うところを、自分なりに味わえばいいと考えています。ですから、今回も馬の背まで来て、岩石や景色が見れればいいと思っていたのです。
 アポイ岳には、今や花の山として多くの登山客が訪れます。アポイ岳の固有種も多く、高山植物群は国の天然記念物に指定されています。しかし、私にとっては、岩石に興味があります。アポイ岳周辺は、もともとマントルにあった岩石が、めくれ上がって地表に出ているところなのです。ですから、アポイ岳を登るということは、地表を歩きながら、マントルの中を歩いていることになるのです。実際の地球深部、数10kmにあるマントルへの旅行は不可能です。でも、ここアポイ岳なら、歩いてマントル旅行ができるのです。
 アポイ岳は、海岸近くから立ち上がっている山なので、標高が低い(810.6m)割りに、その眺望がよく、登山したという充実感のわく山です。そして、なんといっても、マントルから、地殻、海洋、大気、生物という地球の重要な要素を、眺めることができます。こんな経験は、そうそうできません。今回はそんなマントル旅行を心いくまで楽しみました。

・興味・
下りで、長男は膝がわらって、疲れが足に来たようです。
本当に不調だったようです。
なんとか、駐車場にたどりついたとき、
もう足が疲れて歩けないといって、車の中で座り込んでいました。
しかし、そこに突然、鹿が現れました。
周囲には川遊びする人たちや、車も何台もありました。
そんなところが鹿が出てきたので、皆驚いていました。
長男は、自分が一番に見つけたのだといって、
足ががくがくなのも忘れて、車から飛び出そうとしてました。
追いかけてもダメだとなだめて、車から見るだけにしました。
子供は目先の興味のほうが、肉体より反応するようですね。
大人では自分の体をまず考えてしまうのですが、
それは老いなのでしょうかね。

・キツネ・
アポイ岳の登山の前日、一つ南側の川である幌満川に入っていました。
私は石を見るために、子供たちは水遊びをするためです。
そこで、2組のキツネを見かけました。
一匹目は、幌満川を登り出してしばらく行った道路脇の側溝にいました。
近づくと側溝の中に隠れていました。
まだ子供のキツネでした。
親がどうしたのか心配だったのですが、
下りの時、同じあたりに来ると、親子連れのキツネを見かけました。
多分登っていくときに見た子供のキツネとその親キツネでしょう。
親がエサを捜して行ってる間、その側溝に身を隠していたのでしょう。
もう一組のキツネも上流で見かけました。
車の前に子キツネを見かけたので車を止めて眺めていました。
しばらく眺めていたら、後からもう一匹のキツネが近づいてきました。
多分子キツネを心配している親キツネでしょう。
盛んに小さいですが鋭い警戒の鳴き声を出しています。
でも、子キツネは、車に興味があるようで、車の前から、なかなかどきません。
しばらく見ていたら、やっと道路わきの茂みに入っていきました。
それと共に親も、キツネの子育ても
そろそろ終わりに近づいているのでしょうか。
今回の旅では、こんな野生に接することができました。

2006年8月3日木曜日

3_46 マントルの水2:マントルの中身

 前回は、地球の構造の概略をみました。今回は、その中のマントルの中身を、もう少し詳しく見ていきましょう。


 マントルは、カンラン岩からできていることは、前回紹介しました。マントルは、地球内部で非常に広い範囲(50~2900km)を占めています。地球では、深くなればなるほど、温度や圧力も上がります。マントルの一番深いところでは、温度は1700℃、圧力は140GPa(140万気圧)にもなります。
 地球内部の様子は、地震波で探られています。マントルの中に、地震波の速度に変化が起こっているのが知られています。深度200kmあたりで地震波の速度が遅くなるところ(低速度層と呼ばれています)と、深度400~670kmあたりで地震波の速度が変化するところ(漸移層、あるいは遷移層と呼ばれています)が見つかっています。400kmより浅いところを上部マントル、670kmより深いところを下部マントルと区分して呼んでいます。
 深度200kmあたりの地震波が遅くなる低速度層は、マントルのカンラン岩が少し溶けている状態になっていると考えています。岩石が少し溶けていると、岩石は変形しやすい状態となります。その層より上の部分は硬い変形しない岩石です。硬い岩石は塊あるいは板として振舞いますが、溶けているところでは、変形してすべりやすくなります。低速度層より上の硬い岩石の部分が、板として、すべって動くことができます。これが、プレートテクトニクスのプレートに相当する部分だと考えられています。硬い部分をリソスフェア、溶けている部分をアセノスフェアと呼ぶことがあります。
 深度400~670kmあたりの遷移層では、違う変化が起きます。400kmで急激に地震波速度が速くなり、400kmから670kmでは地震波速度が増えていきます。また670kmでも地震波速度は急に早くなります。圧力の条件で見れば、400kmあたりでは13GPa、670kmあたりでは24GPaになります。低速度層は、プレートテクトニクスの重要な役割を担っています。
 下部マントルのような深部の岩石を手に入れることはできません。ですから実験室で高温高圧条件を生み出して、どのような結晶がありそうかを探る方法がとられています。実験でえられた結果を、地震波速度からえられた密度の情報と照らし合わせて、実験結果で推定された結晶が、深部の鉱物としてふさわしいかどうかが検討されます。そのような検討の結果、深部の岩石の様子もわかってきました。
 カンラン岩を構成している鉱物は、深さ共に温度や圧力が上がると、より密度の大きい、詰まった構造の結晶へと変化していくことが知られています。
 カンラン岩の構成鉱物で一番多いカンラン石は、13GPaでスピネル構造(β相)、17GPaで別のスピネル構造(γ相)、そして23GPaではペロブスカイト構造と岩塩構造の鉱物になります。
 次に多い輝石は、12GPaから16GPaでザクロ石へ、16GPaでメージャライトとよばれる結晶に変わり、22GPaより深くなるとイルメナイ構造やザクロ石構造などいろいろ変化しながら、最終的に26GPaより高い圧力では、ペロブスカイト構造をもつ結晶になります。
 670kmより深部の下部マントルでは、ペロブスカイト構造や岩塩構造をもついく種類かの結晶によって構成されることになります。
 このような地球深部のペロブスカイト構造や岩塩構造をもつ結晶は高密度です。H2Oのような物質が結晶の中に入る余地がありません。ですから、多くの研究者は、マントルには水などないと考えていたのです。しかし、遷移層の中に水がありうるということが、実験からわかったのです。続きは次回です。

・マントルの水・
マントルの水は、いろいろ重要な意味があります。
あるかもしれないないということは可能で、
後で紹介する事件からも
マントルには水がたくさんあるのではないかと
考えられていました。
しかし、肝心のマントルのどこに
水がありうるのかが分かっていませんでした。
ですから、今回の発見は重要な意味を持ちます。
それは、このマントルの水シリーズの後半でのお楽しみです。
もう少しこのシリーズが続きます。

・アポイ岳・
大学は定期試験も終わり、夏休みとなりました。
北海道は夏らしい天気が続いています。
私は、毎日定期試験の採点と
レポートや出席などの整理に追われています。
研究室は午後から暑いのですが、
風さえあれば、まだ過ごしやすく、仕事ができます。
やるべきことが多く、なかなか終わりません。
でも、私は、8月の上旬に、調査に出かけます。
このメールマガジンが届く頃には、
アポイ岳にいっています。
アポイ岳は、今回も紹介したマントルを構成している
カンラン岩からできている山で、
標高は1000mにも満たないのですが、
この山には、自然も固有ものがいろいろあり
不思議な山となっています。
そのために国立公園にもなっています。
詳しくは、別の機会としましょう。