2006年5月25日木曜日

6_44 宇宙人1:いるか、いないか

 「宇宙人はいるか」という質問を受けることがあります。そんなとき、私の答えは、「はい、います」です。でも、この答えだけでは誤解を招くことがあるので、説明が必要なのです。

 かつて火星人を想像して描かれたタコのようなイラストが流布していたため、宇宙人のイメージは、タコようなものでした。でも最近では、SF映画の影響で、さまざまな姿かたちの宇宙人を、思い浮かべることができます。
 ここで述べた話は、宇宙人がいるという前提での話です。でも、宇宙人を本当に見た人がいませんし、科学的にその存在が確認されたわけでもありません。なのに、宇宙人の姿を想像するのは、あまりにも飛躍しすぎではないでしょうか。
 街行く人に「宇宙人がいるか、いないか」を質問すれば、多くの人は「いない」と答えると思います。それが常識的な答えでしょう。でも多く人は、「いない」もしくは「科学的そに存在は証明されていない」と思いながらも、「いるかもしれない」とか「宇宙人がいるとしたら」という仮定の上で考えています。そのような仮定である点がはっきりしていたら、宇宙人の話をすることは、何の問題もありません。幽霊や妖精、妖怪などを想像するとの同じレベルです。
 しかし、よく考えると、さらにそこには混乱があることがわかります。
 宇宙人とは、宇宙に住む人のことです。人とは明らかに人間に匹敵、あるいは人間以上の知性をもった生物を意味しています。でも「宇宙人がいるか、いないか」という質問では、その人の中には、地球人類は含まれないとして考えています。
 ところが、宇宙とは、地球も含むすべてのものです。地球も宇宙の一部です。厳密な意味でいえば、地球人も宇宙人の一員なのです。それを忘れてしまっています。
 そもそも宇宙というと、地球を含まない地球の外という意味で使われる場合が多くあります。もし、そのような使い方があるのなら、宇宙には、「地球を含む宇宙」と「地球を含まない宇宙」の2つの使われ方があることになります。そんな2つの意味がある「宇宙」という言葉を、区別することなく使われています。それが混乱を招いているのです。
 科学で用いる宇宙という用語は、「地球を含む宇宙」のことです。それは、地球だけを特別扱いにする理由がないからです。
 私たちは、自分のことは棚に置いて話すことがよくあります。あるいは、無意識に自分たちは別にして、考えていることがよくあります。これは一種の盲点です。そんな盲点に騙されなてはいけません。
 なぜなら、このような無意識の扱いが、「地球は特別だ」、「人類は特別だ」という意識を芽生えさせるのではないでしょうか。そして、地球や人間が、「特別」から「高級」や「高等」、「偉大」、「崇高」などという意識に至ることがあれば、地球や人間以外のものが劣っている存在、自由にしていい存在、助けるべき存在、守るべき存在、という階層性をもった考えが生まれます。その階層の頂上に、地球や人間を置いてしまうことになります。これは、過去に犯した過ちを繰り返すことではないでしょうか。
 宇宙とは、この世のすべてを含むものです。もちろん地球も人間も、宇宙の一部です。ですから、地球人は宇宙人でもあるのです。もし、宇宙人を見たければ、鏡を見ればいいのです。そこには一番身近な宇宙人が映っています。

・草刈・
5月も下旬となりました。
北海道の春も深まり、
遅咲きの桜も終わりを迎えています。
季節はいよいよ初夏へと入っていきます。
北海道の夏の風物である草刈が始まりました。
北海道では、夏になると道端の雑草や芝生が一気に延びます。
ですから、放置していると背丈を越えるほどの草むらができてしまいます。
ですから、夏の間に草刈が何度も行われます。
今年最初の草刈が、ここ数日あちこちではじまりました。
刈ったばかりの芝生の横を歩くと草の匂いが強烈にします。
これもまた夏の香りを運んできます。

・心地よい疲れ・
先日の土曜日と日曜日の両日、
家の近くの森に家族で出かけました。
天気がよかったせいで、多くの人が出ていました。
しかし、観光地でもありませんし、
人でごった返すようなことはありません。
見渡すとどこかに人影が見えるという程度です。
好天の休日を、野外で快適に過ごすことができました。
しかし、天気のよい日に、日向に長くいると、
あまり動かなくても体力を使います。
昼の早めに帰ってきたのですが、皆結構疲れていました。
しかし、心地よい疲れとなりました。

2006年5月18日木曜日

4_70 納沙布岬の輝石砂:道東の旅2

 道東の旅の2回目は、納沙布岬の話です。納沙布岬で見られる岩石を観察することが、今回の2つ目の目的でもありました。しかし、天気だけはままならず、2つの目的地とも雨にたたられての調査となりました。

 北海道の東には、2つの半島があります。北側に知床半島、南側に根室半島です。知床半島には先端に知床岬があり、根室半島には納沙布(のさっぷ)岬があります。この納沙布岬が、今回の調査の目的地のひとつでもありました。
 知床半島は世界遺産に選ばれて、多くの観光客を集めています。納沙布岬も観光地でもあり、北方四島返還の最前線としても、「北方館」や「平和の塔」などがあり、観光客を集めています。納沙布岬から見ると、歯舞諸島の水晶島はすぐ近くに見えます。北方四島が身近に思えてきます。
 私が、納沙布岬を訪れたときは、小雨が降り、霧が出ているような天気でした。そのせいかゴールデンウィークの中の休日だというのに、思ったほど観光客は来ていませんでした。雨の小降りのときを見計らって、一箇所だけ、岬の浜に降りて、石と砂を見ることができました。
 知床半島は、現活動中の活火山がある火山列ですが、根室半島はもっと前に活動した火山活動です。前回紹介したように、根室半島では、「車石」と呼ばれるような枕状溶岩を形成するようなマグマの活動が、海底でありました。根室半島は、白亜紀後期から古第三紀まで、海底で地層がたまっているところでした。そのような堆積中の地層の中にマグマが活動していった場所です。
 納沙布岬には、大きなマグマの塊が、地層中に入り込み(貫入といいます)、ゆっくりと固まったものが見られます。厚さ150mもある大きな火成岩となっています。
 火成岩の層は、冷えるときに成分を変化しながら固まりました。もともとは車石と同じアルカリ玄武岩のマグマです。マグマの大きな塊がゆっくりと冷えて、結晶を形成し集まって岩石となっていきました。結晶が集まると、残ったマグマは集まった結晶の分だけ、成分が変化していきます。このようなマグマの組成の変化(分化といいます)が、冷却に伴って起こりました。そして、マグマ全体は、組成が変化しながら岩石の層を形成していきます。そのような火成岩を層状分化岩体と呼んでいます。
 層状分化岩体は、地層に接した上下から冷えていきます。上下は、アルカリ玄武岩が固まった粗粒玄武岩で、内側に向かって重力の影響をうけながら結晶は移動して、モンゾニ岩から閃長岩へとなり、黒っぽい岩石から白っぽい岩石へと変化していきます。層状分化岩体は、地下深部で固まるマグマの過程を、地表で見ることができる非常に貴重なものです。
 アルカリ玄武岩のマグマの活動できた層状分化岩体は、根室半島では8ヶ所知られています。しかし、同じマグマの活動は、根室半島より先の歯舞諸島にも連続しているのです。マグマの活動には国境などありません。
 納沙布岬では、層状分化岩体が海岸で観察することができます。さらに、火成岩の主要構成鉱物である輝石や磁鉄鉱などが、波の浸食や風化で海岸の砂にたくさん混じっています。そして、さらに波に作用で、比重の違う暗い緑色の輝石の砂や黒い砂が、白っぽい砂とは区別されている浜があります。それは自然の妙でした。

・霧の岬・
私が納沙布岬を訪れたのは、2回目でした。
最初に訪れたのは、7年ほど前の秋のことでした。
そのときも寒く霧が出ていました。
いずれも冷たく、暗い天気だったので、
どうしても納沙布岬は暗い印象が残っています。
天気いい日に行けば、印象は違ったのでしょうが、
根室半島は冷たく、霧のかかったところの印象が強かったです。
層状分化岩体とじっくり見たかったのですが、
天気に恵まれず、海岸も一箇所しか降りれなくって、
十分な調査ができませんでした。
機会があれば、天気のいい日に、
じっくりと海岸沿いを巡りたいものです。

・土産物屋・
雨や霧のときには、野外調査はつらいものです。
野外調査だけでなく、観光旅行でもそうでしょう。
雨が降っていれば、外に出て見て回るのが億劫になります。
しかし、チャンスを考えると何度もこれないところなので、
私は、雨でも景色や石の写真が撮れないかと
外をうろうろしています。
観光地では、家内は、もっぱら土産物屋さんをうろうろしています。
実は前回もそうでした。
ですから、家内は、納沙布岬では、
土産物屋さんが一番記憶に残ったところではないでしょうか。
実は、別に霧や雨でなくても、家内にとっては、
土産物屋さんが重要なチェックポイントのようです。
まあ旅行ですから、思い出は、
それぞれの人がそれぞれにやり方で残すものです。
それをとやかく言うつもりはありません。
しかし、私の気づかない間に、どんなに短時間でも、
土産を買っていくテクニックは見上げたものです。

2006年5月11日木曜日

4_69 車石と節理:道東の旅1

 5月3日から7日までの休日を利用して、北海道の東部を調査してきました。その調査の話をしましょう。

 例年では、札幌はゴールデンウィークには桜前線の通過するころです。春の花々が咲きはじめる時期になります。しかし、今年の北海道の春は遅く、雪解けも、桜の開花も、農作業も遅れています。さらに寒い道東では、春はまだ浅く、世界遺産で観光客を集めている知床も、峠が雪のためゴールデンウィーク中は通行できませんでした。それ以外の主な幹線道路の路面には雪はなく、ノーマルタイヤでの通行が可能でした。しかし、朝夕の冷え込んだときには、凍結注意です。
 さて、そんな道東の旅で、今回特に見たかったところが、2ヶ所ありました。いずれも以前一度は訪れているところなのですが、再度じっくりと見ておきたいところでした。そのひとつは、今回紹介する根室にある巨大な車石というものです。
 根室市街の南ににある花崎港の海岸に、「根室車石」と呼ばれる国指定の天然記念物があります。ここは、納沙布岬へ行く道からは少しはずれ、観光地としては孤立しているので、人が訪れにくいところです。特に私がいった日は、霧と雨の降る肌寒い天気でしたので、さらに訪れる人が少なかったのかもしれません。しかし、私にとっては、2度目の訪問ですが、なかなか楽しいものとなりました。
 駐車場から灯台の脇の道を歩いていきます。この灯台は明かりだけでなく、霧笛をならします。根室地方は霧の出やすいところですから、霧笛が必要となります。私が訪れたときも、霧がでていましたので、霧笛が大きな音で鳴らされていました。その音は、耳が痛くなるほどです。
 そんな霧笛を聞きながら、階段を下りて海岸につくと、そこには異様な景観があります。黒いごつごつとした岩場があります。なかでも目を引くのは、ひときわ大きな丸い石です。この丸い巨大な石が車石と呼ばれるもののひとつです。
 見慣れてくると、その周辺にも丸い石があちこにあることが分かります。車石というのは、直径1mから3mほどの丸い石のことで、大きなものでは、7.5mにも達します。丸い石が海岸沿いに広がっています。
 この石は、枕状溶岩と呼ばれるもので、マグマが海底や海底に溜まった地層の間に入り込み、急激に冷やされてできた形です。アルカリ成分をたくさん含む玄武岩質のマグマ(アルカリ・ドレライトという種類のマグマ)で、1000度以上の高温で海底に噴出しました。その時期には根室層群の中の浜中層とよばれる地層が海底に溜まっていました。白亜紀終わり頃の6500万年前にマグマの活動が起こりました。
 車石には、自転車のタイヤのスポークの位置に放射状の割れ目(節理と呼ばれます)が多数できています。ですから、丸さがより強調され、車の車軸のようにみえます。このような丸みと割れ目から、ここの石が車石と呼ばれているのです。
 そして、車石をつくった溶岩は、花崎港の海岸付近まで連続しています。観光客には多分そちらまで足は伸ばさないようなところです。もちろん私はそちらも見に行きました。
 すると、こちらでは、溶岩は大きな塊となり地層に入り込んでいるようです。その溶岩の割れ目は柱状(柱状節理)で、さらに垂直に立った柱を水平方向の小さな割れ目がたくさんできていました。このような割れ目を板状節理あるいは平行節理と呼んでいます。同じマグマの活動なのですが、どのような場所にマグマが噴出し、そのような冷え方をしたのかによって、その見かけが大いに変わっていきます。それも不思議なことですね。
 車石の付近では、白亜紀の海底で起こった火山活動と、そこの溶岩が冷えるときにできたいろいろな節理を見ることもできるのです。

・一応順調・
今回の道東の調査の日程では、
一番みたいところを訪れる予定の5日が雨でした。
少々残念でしたが、仕方があません。
天気ばかりは、どうしようもありません。
しかし、道北の時の旅に比べて、
今回の道東の旅では、
同じ時期で、雪の多い寒い冬だったのですが
高い山に入らなかったし、
河川も深い山に源流をもたないので、
雪解けによる増水はそれほどではありませんでした。
ですから、川の調査もできました。
しかし、一応予定通りにコースを進むことができました。

・好き嫌い・
今回の調査も家族連れでした。
海岸沿いの調査でしたので、
海沿いの旅館やホテルなどに泊まりました。
すると、夕食には大抵、魚介類が豊富に出されます。
何度も、ホタテやカニが食べきれないほど出てきました。
残念ながら、我が家の長男は貝とカニ、エビが食べられないのです。
アレルギーではなく、単に嫌いで食べないのですが、
一口くらいは大丈夫なのですが、あとはもうだめです。
ですから、今回の旅行の食生活では、
長男にとってはなかなか大変なものだったようです。
最終日は十勝平野の池田のペンションに泊まりました。
牛肉とカニがメインの夕食で、長男はもちろんステーキを食べました。
聞くところによると市場価格で100g980円もするような
黒毛和牛の肉を使っているようです。
我が家では、安い肉やオージービーフをもっぱら食べていますので、
このような高級な肉はめったにお目にかかれません。
長男は、それがとろけるように軟らかく
非常においしかったらしく、いたく満足してしていました。
好き嫌いがあると旅の楽しみも半減してしまいますね。

2006年5月4日木曜日

6_43 気象と人への影響

 日々の天気は、人に影響を与えます。そんな影響を間違った方向に増幅されると困ったことになります。メディアによる「異常気象」というセンセーショナルなタイトルには、そんな増幅効果が含まれているかもしれません。

 今年の冬は、各地で豪雪がニュースになりました。昨年の冬は、北海道の豪雪がニュースでした。台風の多数の上陸とその被害もありました。このような例年にない気象現象が起こると、異常気象として扱われることがあります。さらに、異常気象と、世界的な話題になっている地球温暖化や地球環境問題と連動させて考えてしまわないでしょうか。科学的根拠があることならいいのですが、どうも感覚的に話題にされていること多いようです。
 そもそも、本当に例年にない異常気象なのでしょうか。
 まず、気象現象は、一定ではなく変動しています。繰り返しの変動もありますし、長期的変動もあるでしょう。その変動のメカニズム、特に長期変動のメカニズムはよく分かっていません。ですから、何をもって異常というのかは、難しいところのはずです。
 また、異常気象とは、めったに起きない気象のことをいうはずです。めったにない気象とは、観測史上例を見ない現象、あるいは観測史上、1、2ほどしかなかったような現象をいうはずです。
 繰り返しているようにみえる気象でも、細かく見る、日々、年々、変動があります。その変動は時に大きなことがあります。めったにないことは、そんなに回数は起きないでしょう。観測史上初めてのことは、それこそ100年に一度しかないような現象でしょう。
 確率として考えれば、確率の非常に小さいものは、めったに起きないし、確率の小さいのものは時々しか起きません。そんな条件を考慮すれば、私たちは、気象のあらゆる状態を観測してきたとはいい難いはずです。気象観測されてきたほんの100年や200年ほどの歴史と比べても、まだまだ大きな変動が起こる可能性があります。
 このようなことは、深く考えなくとも誰でも、わかるはずです。しかし、「ついつい」異常気象だと思ってしまいます。そのような、「ついつい」を本当らしくしてしまうのは、権威あるものからの情報です。特にメディアは、情報に関しては、その権威を象徴ともいうべきものではないでしょうか。
 マスメディアは、「異常気象」のように「感じる」あるいは「思える」ものは、ついついセンセーショナルな見出しや書き方で、読者の注目を集めようとします。
 マスメディアとしての倫理や良識とうい責務と共に、やはり販売部数や視聴率など、企業としての存続、営利も重要な達成目標となります。この公共性(情報伝達)と営利という立場が、衝突しなければ問題はありません。しかし、もし衝突したとき、どちらが優先するでしょうか。公共性が優先している場合ばかりではないようです。
 あるいは、通常の情報収集活動で、他社に負けないために、少なくとも他者が扱う情報は、入手しておく必要があります。どこかがスクープをすれば、それを上回る情報を得て報道しなければ、他社に追いつけません。そんな競争も、切磋琢磨のうちならいいのですが、速報性だけ、センセーションだけを追求して、情報の信憑性、確実さを十分検討せずに、報道されることがないでしょうか。
 権威を持ったものが不確実な情報を流すと、大衆は簡単に意識をコントロールされてしまいます。そんな例はいろいろあります。松本サリン事件(情報源は警察)、モリエモンも寵児扱い(情報源はメディア)、民主党の偽メール事件(情報源は政治家)などなど、最近の話題だけでも実例が色々あります。
 ですから大衆も賢くなければならないのですが、いうのは簡単ですが、なかなか困難です。日常生活をするときは、多くの人(科学者や知識人、政治家でも)は、大衆となります。大衆でいるとき、異常気象の例を出したように、感覚的に判断してしまいがちです。その感覚に合う情報が、しかるべきところから出てくれば、簡単に権威のコントロールを受けてしまいます。
 科学者、政治家、メディア、公官庁は、情報を発信するときは、その届き方にも注意しておく必要があるのかもしれません。そして、間違った伝わり方をしたら、訂正することも発信者としても責任かもしれません。難しいことですが、権威になる可能性のある立場の人は注意が必要ですね。

・道東調査・
ゴールデンウィークに皆さんはどちらかへお出かけでしょうか。
私は、現在、北海道の東部を調査しています。
今年のゴールデンウィークは5連休となりましたので、
私にとっては4泊5日の野外調査旅行ですが、
家族旅行も兼ねています。
しかし、道東は遠く、行くの1日、帰るのに1日かかります。
ですから、実質の調査期間は3日しかありません。
天候に恵まれなければ、調査ができません。
この時期、北海道は比較的安定してるはずなのですが、
今年はなかなか「異常気象」のようで、安定するかどうかはわかりません。
それに、今年の冬は積雪も多かったので、
残雪もありそうです。
多分河川は増水していて川原の調査は大変かもしれません。
こればかりは、どうしようもありません。
ただ行くのみです。

・人が感じること・
野外調査の時は、直接天候に左右されます。
しかし、デスクワークや室内での授業をしている時でも
私には、自宅から職場までの間を徒歩か自転車かでいきます。
その選択が変わります。
授業への学生の出席率などにも影響を受けます。
そんな影響は、農業や漁業に従事する人と比べれば、
ささやかな影響かもしれません。
一見たいしたことのない影響のようですが、
心理的変動として、多くの人に共通の影響を与えます。
春のこの時期だと、雨だと心もうっとうしく、
晴れだとなんだかうきうきします。
多かれ少なかれ、天候は人に影響を与えます。
そんな気候が、平年と違うと、その変化が多くの人に影響を与えます。
それが、上で述べた「人が感じること」というものに現れるのでしょう。
感覚は大切ですが、それ以上に理性との連動も大切ですね。