2006年4月27日木曜日

4_68 登別:活火山であることを忘れずに

 3月下旬の春休みを利用して、登別に出かけました。登別は火山で、現在も活発な噴気が温泉湧出が起こっています。そんな登別の話です。

 登別のある噴火湾は沿岸は、北海道でも暖かいところで、雪もあまり降りません。私は、以前クッタラ湖には行ったことがありましたが、調査をしていませんでした。噴煙を上げている地獄谷があったのですが、横目で見ただけで、通り過ぎてしまいました。今回の目的は、登別の火山をよく見ることでした。
 3月の下旬は、雪の少ない年なら、クッタラ湖までいけたのかもしれませんが、今年は雪が多く、ダメでした。上り口の道路を行ってみたのですが、通行止めで柵がしてありました。しかし、登別の観光地である地獄谷は、一部積雪がありましたが、運動靴でも回ることできました。
 地獄谷には、自噴する各種の温泉があります。温泉ごとに溶けている化学成分が違うため、流れる温泉の沈積物が変わっていき、色の違う川底となり、不思議な色の流れとなっていました。
 地獄谷の中には木道があり、観光客はその木道沿いに歩いていきます。木道の行き止まりには、間欠泉があります。間欠泉とは、温泉が時間をおいて噴出すす現象です。温泉が直径1mほどの池から湧いているのですが、その池の縁が少し盛り上がっています。普段はその縁を温泉はあふれることはないのですが、ある時間になると温泉が湧き出しあふれていきます。あまり激しい噴出ではないので、木道の周りの木枠から間近に覗くことができます。
 しかし、訪れたときは寒い日で、温泉の湯気がすごくカメラやメガネが曇ってよく見えなくなりました。一段の間欠泉の迫力がありました。温泉の池の中には、沈殿物の結晶がきれいに並んでいるのが印象的でした。
 地獄谷からひと尾根越えたところに、大湯沼と奥の湯というやはり温泉の池があります。尾根道には雪があったのですが、踏み跡があったので、行くことにしました。高台から眺めるところがあったので、そこから大湯沼を見たのですが、大きな池から湯気があがるので、なかなか迫力がありました。また大湯沼の背後にそびえる日和山(377m)の山頂からは、水蒸気の噴気が上がっています。
 この登別の火山で、一番最近の噴火活動は、約200年前以降の噴火であることがわかっています。現在30ヶ所以上の温泉の湧き出し口(源泉)がありますが、その活動の名残となります。最新の火山噴火は、かつては火口が1つだと考えられていたのですが、2006年4月24日の北海道新聞によりますと、室蘭工業大学の後藤芳彦さんたちが、昨年から登別市の防災マップをつくるために調査したところ、火口は7ヶ所以上のある大規模な噴火であったことがわかりました。
 日本では火山が観光地になります。噴気も間欠泉も、熱水の涌く泉も、噴気たちの殺伐とした景観は、奇異で珍しいため観光の目玉となります。しかし、火山の登別の周辺の火山活動は、デイサイト質から流紋岩質のマグマの活動によるものです。このようなマグマは、激しい噴火を起こる危険性があります。クッタラ湖は丸形の池ですが、これは火山活動でできたカルデラに水が溜まったものです。日和山は現在も水蒸気の噴火を上げていますが、溶岩が上昇してできた溶岩円頂丘です。
 登別の火山は、どれくらいの頻度で噴火がおこるかは詳しくわかっていません。しかし登別は、現在活動中の活火山であることを、忘れてはいけません。

・遠い接点・
新聞に登場した室蘭工業大学の後藤さんは、私の後輩です。
大学の時の指導教官が一緒でしたから、
同じ研究室にいて、よく知っている間柄でした。
彼は大学院の途中で就職が決まったので、
長い付き合いではありませんでしたが、
山岳部の彼は、卒業論文で知床半島の火山を研究していました。
険しい地域の野外調査をこなし、
研究成果を挙げていた彼の才能は、多くの人が気づくところでした。
大学を離れてからは、彼と私は専門が違っていたので
まったく顔を合わす機会はありませんでした。
彼が所属していたのは火山学会、
私は地球化学学会や地質学学会、あるいは地学教育学会でした。
学会で会う機会もありませんでした。
そして彼も私の職場を転々としてったので、
地理的にも離れていました。
彼は今、登別の近くの室蘭の大学で、私は江別です。
近いようですが、なかなか接点はありません。
現在も、まだ会っていません。
しかし、顔見知りの人だと、その研究成果も
ついつい馴染みあるように感じてしまいます。
でも、現在では、その専門もだいぶ離れてきました。
ますます、接点は遠のくようですね。

・マリンパーク・
春休みでしたの登別へは家族で出かけました。
私は登別の火山を見ることが目的でした。
家族は、温泉に入り、登別マリンパークを見学することを
楽しみにしていました。
マリンパークでは、事前の申し込みで、
アシカとイルカの裏方を見学させてもらえることになっていました。
1日限定5名のツアーでしたが、
運良く家族4名で参加することができました。
子どもは大喜びで、いろいろ事前に調べて質問していました。
裏方を見て、もう一度イルカショウをみると、
その芸をするまでの苦労やかかった時間を感じてしまいます。
そして、さっき上げてもらったステージで
案内し下さった人がショーをしているのを見るのは
なかなか感慨深いものでした。
帰ってからも、そのときの絵を描いて、
し忘れていた質問も一緒に書いて送ったら、
担当の人から丁寧な回答がありました。
子ども限定のツアーで保護者として参加したのですが、
大人も楽しめるものでした。
感謝しています。ありがとうこざいました。

2006年4月20日木曜日

2_47 生物の分類6:分類から進化へ

 生物の分類のシリーズが、今回で終わりです。当初3回ほどの予定をしていたのですが、6回にもなってしまいました。まだ述べ足りない気もしますが・・・。最後は、分類から進化の解明への道をみていきましょう。

 現在、生物の分類では、前回紹介した分子系統学と、もう一つの主流である分岐分類学というものがあります。
 系統学とは、生物間の類縁関係から、進化の道筋を探ろうとする学問です。その主流が生体分子を利用した分子系統学です。分析した分子を比較し、統計処理したものを分かりやすく示したものが、系統樹とよばれるものです。
 もう一つの主流である分岐分類学とは、生物の種は、ひとつの祖先からの分かれたものだとみなして、進化の過程をおいかけるものです。そのために類縁関係を積極的に類推する考え方を用いています。
 分岐分類学で種を比べるときは、共通の特徴を見つけていきます。たくさんの特徴がありますから、どの特徴に注目するかが問題です。そこに研究者ごとに違った主観が入ってはいけません。分岐分類学では、共通する特徴がどれくらい祖先まで遡れるかを目安にします。
 遠い祖先と共通する特徴(共有原始形質)と、祖先にはなく分岐した種だけが共通してもつ特徴(共有派生形質)を見分けていきます。そして、共有派生形質から、分かれた(分岐した)時期を考えていくのが手法となります。
 共有派生形質を持つものは、近いグループになり、その共有派生形質が誕生したときが、祖先から分かれた時となります。そのような作業を多くの種で繰りかえしていくと、枝わかれを図で示すことができます。この図を分岐図と呼んでいます。
 しかし、どれを共有派生形質に選択するかには、主観が入る余地があります。その主観を排除するために、多数の共有派生形質を求め、もっとも矛盾の少ない分岐図をコンピュータに描かせるという方法が取られています。これによって主観が入るという弱点をカバーしています。
 このシリーズで述べてきた生物の分類するために各種の方法を用いて、12カ国の200人におよぶ科学者たちが、5年間にわたる研究をして、1999年8月4日にその成果を発表しました。
 それは植物に関する研究でした。その結果は、植物は1つのグループ(界という分類)ではなく、3つに分けるべきだというものでした。植物は、緑色植物、赤色植物、褐色植物の3つに分けられるというもののです。
 そしてもうひとつ重要な成果がありました。それは、植物の陸上進出への歴史がわかってきたのです。
 以前は、海水に生息する単細胞の緑色植物が陸上へ進出したと考えられてきました。ところが、研究の結果、緑色植物は何度も地上に進出してきたのですが、最終的に現在の地上植物の祖先となったのは、淡水で多細胞生物に進化し、4億5000万年以上前に、地上へとして進出してきたというものです。
 このシリーズでも示してきたように、生物の進化を探る方法は、いろいろ進歩してきました。もちろん、まだまだ進歩の余地もあるでしょう。しかし、生物の進化には、いまだに分からないことがたくさんあります。進化に関する科学は進んでいるので、生物の進化のプロセス(歴史)は着実に解明されていくことでしょう。もちろん、過去の生物の資料は化石に頼るしかありません。化石は気まぐれにしか出てきません。ですから、過去の記録は断片です。それでも、ジグソーパズルを解くように研究は着実に進んでいくことでしょう。

・分ける・
長く続いた生物の分類のシリーズも、今回で終わりです。
もの(ここでは生物)を分けるということは、
人は当たり前のこととしてやってきました。
そして分けたものには名前をつけます。
これも当たり前のこととしてやっています。
分けるときには、似たものがあれば、同じか違うか、
違うにしても何が違い、似ているところはどこか
ということを考えていくはずです。
分けるとは、人に備わった生来的な能力なのかもしれません。
分類学とそこで分けられたものは、そんな能力の結晶ともいえます。
しかし、対象物のによって、その分け方はの流儀は違います。
流儀は違っても分ける方法のよしあしは、
だれでも、いつでも、どこでやっても、同じ分け方になることです。
そんなものを目指して、日夜、人は分け続けているのです。

・フキノトウ・
私の住む町では、雪はほとんど融けました。
もちろん軒下や除雪によってできた雪山は、
まだ雪が残っていますが、道路、畑などはあらかた融けました。
雪が融けるとすぐに、フキノトウが芽吹きます。
その成長スピードは早く、
一日で葉の影から全身が見えるほど伸びます。
最初のかわいいのですが、畑の畦一面に生えていき、
最終的には人の背丈を越える大きさまでに成長します。
そこまで大きくなると、恐ろしさを感じるほどです。
でも、まだかわいいものですし、
春を告げるかのような淡い緑は目に新鮮です。
こんな時、春という季節のありがたさを感じています。

2006年4月13日木曜日

2_46 生物の分類5:分子による分類

 生物の分類に生物を定量的に計測するという思想とが進化という考えが導入されるようになりました。そんな状況をみていきましょう。

 生物の種類を分けるのに、リンネはその種に特徴的な形や他の種と区別しやすい特徴(形質といいます)を選んで分類しました。このような分類方法は人為分類と呼ばれていました。
 人為分類では、選ぶ形質に決まりはなく、研究者が任意に選んでいました。人為分類は、研究者(人間)の都合によって選んだ特徴によるものであって、生物が持っている本来の特徴によるとは限りません。かつては、植物分類するとき、大きく木(木本といいます)か草かという、分け方がありました。木か草かは、人間にとっては見分けやすい特徴でありましたが、植物の本質にかかわる特徴ではありません。
 人為分類は、形質を選ぶ人によって、分類の体系が変わっていきます。ですから、あまり普遍性がありません。そこで、より生物の本質に基づいた自然な分類として、系統分類が必要となってきました。
 系統分類とは、生物が進化してきた道筋にしたがって分けていく方法です。現在の生物学の分類は、この自然分類を目指しています。しかし、まだ完全はありません。なぜなら、系統分類を完成させるには、すべての生物の進化が明らかにならなければなりません。私たちが解明した生物の進化は、ほんの少しです。まだまだ分からないことが多く、系統分類は推定の域を出ません。
 系統分類は、人為分類の主観性という欠点を補っているなずなのですが、研究者によって分類内容は変わってきます。人によって分類内容は変わるという点では、人為分類と変わらないのですが、進化に基づくという考え方は進歩しています。分類の目指すべき目標が生物の進化過程の解明ということも明確になってきました。
 系統分類には、大きく2つの方法があります。数量分類学と分岐分類学と呼ばれるものです。
 一つ目の数量分類学は、人為分類の欠点をなくすために、可能な限り多くの形質を調べて、統計的に類似性を定量化する方法です。コンピューターの発展に伴って、定量化の精度は上がってきています。
 数量分類学から派生して、現在では、分類において非常の重要な研究分野となっている分子系統学があります。
 分子系統学とは、生物の細胞をつくっている分子(生体分子といいます)から、類縁関係を推定する方法です。分子系統学の特徴は、目で見た形質ではなく、生体分子の配列の分析を用いて、非常に客観性、定量性をもった方法であります。
 生体分子には、DNA(デオキシリボ核酸)、RNA(リボ核酸)およびタンパク質などがあります。DNAはミトコンドリアの中にあるアミノ酸配列がよく使われています。タンパク質としては、チトクローム、ヘモグロビン、フィブリノペプチドなどのアミノ酸配列が使われます。
 分子系統学は、生体分子が一定の速度で変化してきたという考え方に基づいています。生体分子の違いが小さければ近い仲間で、違いが大きければ遠いものとされています。
 このような考えかたをつきつめていくと、生物は一つの共通の祖先から誕生してきたことになります。そのような最初の生物を、コモノートと呼んでいます。分子系統学は、コモノートからすべての生物は枝わかれしてきたとする進化の考えかたを前提としています。
 分子系統学にも欠点があります。それは、もちいる生体分子の種類によって、系統関係が違ってくることがあります。正確を期するためには、生体分子も1種類だけでなく、できるだけ多くの種類で比較することが重要になります。そして、それらの比較したものをいろいろな統計的方法で近縁関係を調べていかなくてはありません。
 もうひとつの分岐分類については、次回としましょう。

・新入生・
いよいよ大学の講義が今週からはじまりました。
新しい学科での専門科目の講義も始まります。
新学科なので、新入生の1年生だけです。
みんな、まじめに講義を受けています。
真剣に取り組んでいるのが、ひしひしと伝わります。
高校生でもない、まだ大学生らしくなく、
ちょうど過渡期のような状態です。
これから、大学という新しい環境で、
彼らは日々変化していき、大学生になっていくことでしょう。
いい変化、悪い変化、いろいろな変化が起こるでしょう。
変化の良い悪いは、外部の人間が判断すべきことではないでしょう。
自分で判断べきでしょう。
自分自信の判断も、その時でなく、後に判断することも多いでしょう。
あのときこうしておけばよかったということだけは、
できれば避けたいですね。
後悔先に立たずです。
こんなことを考えるのも、やはり新入生が入ってきたからでしょうか。

・水泳教室・
我が家の2人の子どもたちが、新しいことをはじめました。
水泳教室に通うようになりました。
昨年の夏に短期間、水泳教室に通いました。
そして夏の間、開放されていた小学校のプールに
毎日のように通い、水泳が好きなったようです。
今年の春休みにも4日間、水泳教室に通ったのですが、
次男が水泳を習いというので、週2回通うことになりました。
長男も次男に泳ぎで負けるのは嫌なようで、
週1回ですが通うことになりました。
先週からはじまったのですが、
冬の間の運動不足のためでしょう、
帰ってくるとかなり疲れているようです。
しかし、子どもは回復が早いので翌日にはけろっとしてます。
北海道で温水プールというのも、あまり地球に優しくないのですが、
子どもにとっては、北海道の野外で泳ぐ機会は非常に少なくなります。
しかし、どこかに出かけたとき、泳げる方が楽しいに決まっています。
それに、泳げないことで嫌な思いをするより、
泳げることで楽しい思いをするほうがいいと思っています。
好奇心をもっていろいろ経験をしてみて、
そこから自分の好きなこと嫌いなことを
判別していけばいいと思っています。
経験してみないことには、好きか嫌いかも分かりません。
そんな経験がたくさんあったほうが、
いろいろなことに対して、自分なりの判断ができるのでしょう。
まあ、いろいろいってはみても、親ばかなのでしょうね。

2006年4月6日木曜日

2_45 生物の分類4:分類の基本

 分類についての話が続いています。今回は、種の名前の付け方についてみていきます。

 生物の分類は、種(しゅ)が最小の単位、基準になっています。種には、地域、国ごとに違った名前が付けられています。日本では和名(正式には標準和名と呼ばれる)も付けられているものもありますが、これは日本独自の呼び方となりますす。
 その種の名前のつけ方(命名といいます)が、研究者によってばらばらだと、混乱を招きます。また、一つの種について、国や地域ごとに違った名前がつけられると、種の比較をすることができません。ですから、世界で統一された命名の方法が必要となります。現在は、命名規約として、国際的に統一されたものが定められています。命名規約に基づいて決められた世界共通の種の名称を、学名と呼んでいます。
 学名は、種の名称と、種より上の分類基準である属の名称をあわせて付けることになっています。順番は属名の次に種名(正式には種小名と呼ばれます)となります。正式には、その後に命名者の氏名と記載した論文の出版年が付けられます。ただし、分類学以外の論文では、命名者や年号などは省略してもいいことになっています。さらに、学名は、ラテン語で表記することになっています。
 このような2つの分類名を用いて名前を付ける方法は、「二命名法」と呼ばれ、スウェーデンの博物学者リンネ(カール・フォン・リンネ、1702年~1778年)が、1758年に「自然の体系(Systema Naturae)」という著書で提唱したものです。その方法が、現在も使われています。
 リンネは、当時知られていた動物と植物について整理して、分類表を完成させました。リンネは、属と種の名称をあわせて用いること、ラテン語を用いることの他にも、重要なことを定めました。それは、分類の階層構造です。種、属の上に、目、綱という分類の階層を設けました。現在では、分類の階層は、下位から、種、属、科、目、綱、門、界の7つとなり、より詳しいものになっています。
 これらの分類の階層の中で、同じところに属するものは、同じ祖先から進化してきたものと考えられています(単系統と呼ばれる考え方)。ただし、このような進化に基づいた考え方は、リンネより後に付け加えられたものです。なぜなら、リンネが生きていたころには、まだ、進化という考えがなかったからです。ダーウィンが進化論を提唱した「種の起源」の出版は、リンネの「自然の体系」より100年後の1859年のことです。
 種を決めるのには、その種についての「記載論文」が報告されなければなりません。それが出版されてはじめて、種が認定されることになります。一度命名された種名は、分類が変更されない限り変更できません。もし、種名の発表時に誤植があっても、そのままの種名が使われることになります。ですから、この「記載論文」は、非常に重要なものとなります。
 さらに重要なのが、その「記載論文」に用いられた生物の標本(模式標本)です。それ以降の種の基準となるものですから、永久保存されることになっています。そして、似たものが同種なのか新種なのかは、模式標本をしらべて結論が出されことになります。
 しかし、人間のやることですから、間違いはあります。同じ種について、別の名前が付けられることがあります。たとえば、同じころに同じ生物の記載を、別々の研究者が発表したり、先人が記載していたのを知らずに新たに新種として記載してしまう、などのような場合が生じます。
 そんな時は、先に発表されたものが、優先されます。これは、先取権の原則と呼ばれています。先に記載されていても、誰も気づくことのなく、後発の学名が広く使われてしまった場合は、学会で審査を受け学名とされることがあります。古い誰も気づかなかった種名を遺失名と呼び、使えない学名はシノニム(同物異名)と呼ばれます。
 種は、現在も新しいものが次々と見つかっています。さすがに大型の哺乳類では、めったに新種は見つかりませんが、昆虫や海洋生物では、毎年、実にたくさんの新種が発見されます。私達の記載してきた種の数は、実は現在生きている生物のほんの一部に過ぎないという見方もあります。まして過去に生きていた生物(古生物)の種の数ともなると、ますます知っている比率は少なくなることは、簡単に予想できます。まあ、どれだけの過去に生物がいて、今どれだけ生物がいるかもわからないのですから、比率を考えること自体が、無駄なことなのかもしれませんが。
 私達が自然について知っていることは、すべてでないこと、いやほんの一部であることを、心しておく必要があるようです。

・L・
二命名法は、実はリンネより200年前に
ボーアン兄弟によって最初に用いられたことが
現在ではわかっています。
しかし、リンネが二命名法を普及させたため、
リンネの業績と考えられています。
学名には記載者の名前がつけられるのですが、
正式な氏名を記さなければなりません。
しかし、記載者でL.と略称で書ける人が一人だけいます。
それはリンネで、L.はCarl von LinneのLなのです。
ただし、種名として、リンネの記載が、
現在も生き残っている場合だけですが。

・進化の考え・
リンネの分類の研究は、最初は植物からはじまり、
動物へと広がっていきました。
リンネは人間を分類学上に組み入れました。
人間は、属名をホモ、種名をホモ・サピエンスと命名されます。
ホモとは人という意味で、ホモ・サピエンスは賢明な人という意味です。
やがてその分類は、鉱物にまで広がりました。
鉱物は、現在ではまったく違った概念で分類されています。
しかし、リンネの時代には、進化という考えはなかったのです。
リンネは、自然界を構成するものを細分していき、
たどり着いた要素に、分類を適用していったのかもしれません。

・新学期・
いよいよわが大学でも、入学式が先日終わりました。
わが校の卒業生であるカーリングの小野寺歩さんがゲストで呼ばれました。
昨年は日本ハムファイターズのヒルマン監督でした。
いずれも夢を持ち、追い続けることの重要性を話されていました。
私も同感であります。
今週は在学生と新入生に対してのガイダンスがあります。
週末には、1泊2日の合宿オリエンテーションがおこなわれます。
あわただしい一週間の後の来週の月曜日からは、
いよいよ新しい学期の講義がはじまります。
私は、新学科で、はじめての講義となります。
準備がなかなか大変ですが、がんばっていくしかありません。