2005年9月29日木曜日

1_51 中生代から新生代へ4:衝突説の影響(2005.09.29)

 K-T境界の事件については、今回が最後です。K-T境界の研究は欧米の科学者たちが中心になって進めてきました。この説が科学的検討に耐え定説化した裏側には、科学者の人間的な営みもあったのです。

 中生代の白亜紀から新生代の古代三紀へ時代境界、K-T境界についての事件のあらましは、前回まで3回にわたって紹介してきました。このK-T境界の論争は、学問的な成果だけでなく、実はいろいろな影響を与えました。その波及効果の2つについて、今回は紹介しましょう。
 ダーウィンの進化論以降、生物の進化を科学的な視点で考えられるようになってきました。欧米においては、生物の進化を採用すということは、宗教からの脱却をも意味しました。かつて欧米では、世の中のあらゆることが、キリスト教あるいは聖書に基づいてました。生物進化を採用することは、「聖書の中の事実」としてノアの洪水のような天変地異の出来事や創造説を否定することでした。
 宗教からの脱却には歴史的な天変地異説と斉一説の大論争がありました。激変説とは、19世紀初めにキュビエが中心になって唱えた説で、地球の歴史では急激な天変地異が何度もあり、そのたびに生物が絶滅し、新しい生物が出現したという考えでした。キリスト教では、激変とは「ノアの洪水」のことでした。斉一説とは、現在も働く地球の定常的な営みによって、過去の出来事もさなれるという考えです。生物の進化もその中に位置づけられました。
 天変地異説と斉一説の大論争の結果、斉一説が勝って現在に至っています。ですから、西洋の科学者にとっては激変説は、過去の苦い歴史で、一種のタブーでもありました。ところが隕石衝突説とは、激変説の再来でもあったのです。
 隕石衝突説は、欧米の人にとっては、科学以前に心理的に抵抗があったようです。科学的に反論するために、隕石衝突説を他の絶滅説でも検証しようとしたのですが、なかなか証拠がそろわないで、現在では負けた状態となっています。
 科学的に隕石衝突説が正しいことがわかってくて、科学者たちがそれを受け入れるようになってくると同時に、天変地異説と斉一説の争いという歴史的呪縛から開放されたのです。
 もう一つ重要な波及効果がありました。それは、この隕石衝突説が提唱された頃にあった「冷戦」という世界情勢と関連していました。
 第二次大戦後、トルーマン大統領のアメリカ合衆国と指導者スターリンのもとのソビエト連邦(当時)との間で始まった対立は、1947年、アメリカのジャーナリストのリップマンが書いた「冷戦」という本によって、一般化した言葉になりました。大戦後から1980年ころまでは、アメリカとソビエトによる軍拡による冷戦の時代でありました。
 1980年のアルヴァレらの論文に刺激をうけたカール・セーガンらは、1983年に「核の冬」という論文をサイエンスという世界的に権威のある雑誌に発表し、世界に衝撃を与えました。
 冷戦による軍拡によって米ソ両国は、大量の核兵器を保持していました。セーガンらのモデルは、両国が使用できる全核弾頭の半数以上を爆発させたいう核戦争をシミュレーションしたものでした。モデル計算をした結果は、次のようなシナリオとなりました。
 核戦争によって上空に持ち上げられた大量の塵や火災による煙によって、北半球の地表は寒く暗くなります。3週間後に陸上の気温が40°Cほど低下します。太陽光を利用する光合成が停止し、植物が壊滅します。それによって食物連鎖が切断されます。さらに光合成によって供給されていた酸素もなくなり、オゾン層が減少します。有害な紫外線は陸上生物にさらにダメージを与えます。
 最終的に、生存する生物は非常に少ないという結果になりました。さらにホモ・サピエンスの絶滅を引き起こすと、結論しました。
 科学者だけでなく心ある人たちは、この論文に衝撃を覚えました。その論文だけのせいではないかもしれませんが、幸いにも全面核戦争は回避されました。冷戦は科学が招いた人類の危機でしたが、その危機を察知して警告を出したのも科学でした。科学は両刃の刃なのです。

・はじめてのこと・
隕石衝突説の提唱の一人、ルイス・アルヴァレスは
核とも関係が深い人物でした。
彼は、核兵器による「はじめて」のことに
2度も立ち会ったことのある唯一の科学者でした。
その「はじめて」のこととは、
・最初の原爆実験を上空から観測したこと
・人類にはじめて使用した原爆を広島の上空から観測したこと
というものです。
核に対して重要な「はじめて」の事件に
二度にわたって上空から核爆発に立ち会ってきました。
いってみれば、ルイスは核爆弾を一番知っていたのです。
カール・セイガン以上に核について知ってるはずです。
それを後の論文に反映させなかったのは、なぜだったのでしょうか。
でも、それに関してはもう問うことのできない過去のことです。
いずれにしても、K-T境界の隕石衝突説は、
人間の核戦争への抑止力にもなったのです。

・短い秋・
秋分の日の連休に、大雪山にいってきました。
黒岳に家族で登ってきました。
8合目あたりまで広葉が始まっていました。
広葉どころか、9月21日には、
大雪山の黒岳や旭岳では初雪が観測されました。
麓ではまだ秋の花が咲いているのに、
山では冬が忍び寄っていました。
北海道の短い秋が山から駆け下りてきます。

2005年9月22日木曜日

1_50 中生代から新生代へ3:絶滅のシナリオ(2005.09.22)

 前回は、K-T境界の大絶滅の原因として、隕石衝突説が受け入れられるようになってきた経緯を紹介しました。今回は、隕石衝突説による大絶滅のシナリオを紹介しましょう。

 隕石衝突の一番の証拠は、なんといってもクレータです。ところが肝心のクレータが、実はなかなか見つからなかったのです。もし陸地の造山帯などの変動の激しい地域に落ちていたら、6500万年も前のことですから、すでにクレータの痕跡は造山運動によって消されているかもしれません。また、もし海に落ちていて、その海洋プレートがすでにマントルにもぐりこんでいたら、もはやクレータは見ることはできません。でも、再度多くの研究者がクレータ探しをしました。
 まずは地表の各地のクレータでK-T境界の時代のものがないかが、探されましたが、見つかりませんでした。ということは、まだクレータと認定されていないものを探さなければなりません。被害の一番大きな地域が、クレータに近いはずです。そんな地域を、人工衛星のデータや地表のデータなどから、探されました。
 その結果、メキシコのユカタン半島の隠れている丸い地形が候補に上がりました。ユカタン半島のクレータは、埋まってしまっていて、形がほとんど見えませんでした。
 そのクレータは、半分ほどは陸地にあり、あとの半分は海底にありました。クレータの縁に沿って陸地には池がたくさんありました。メキシコ湾の石油探査やボーリングの結果でも、海底にもクレータの構造があることがわかってきました。このクレータはチュチュルブ・クレータと呼ばれています。こうして、K-T境界の隕石衝突のクレータが確定されました。
 世界各地のK-T境界の地層から、隕石衝突説を支持する証拠が見つかってきました。代表的な証拠を挙げると、イリジウムの濃集はもちろんですが、巨大津波によってできた堆積物、衝突でできた丸い粒(スフェリュールと呼ばれています)、衝突石英(高圧で形成される結晶)、すす、衝突変成でできた鉱物(コーサイト、ダイヤモンドの高圧できる結晶)などがあります。
 これらは、すべて衝突説を支持する証拠と考えられています。したがって、隕石衝突説でが、これらの証拠も一緒に説明できるようなシナリオが必要になってきます。
 まず、隕石の大きさが問題です。K-T境界でのイリジウムの量がわかっているので、それに地球の表面積をかければ、総イリジウムの量がわかります。隕石に含まれているイリジウムの量から、隕石の大きさが見当が付きます。
 グッビオの粘土層のイリジウムからは、直径6.6kmの隕石が推定されて、デンマークの粘土層のイリジウムからは、直径14kmの隕石が衝突したと推定されています。両者の誤差は大きいのですが、どうも10kmほどの直径の隕石が地球に衝突したと考えれます。
 これらの情報から、大絶滅のシナリオが考えられています。
 直径10kmほどの隕石が、25km/秒で衝突すると、1億メガトンのTNT爆弾に匹敵するような膨大なエネルギーが放出されます。衝突地点には大きなクレータができます。とんでもなく激しい衝撃波が周辺を走り、すべてのものを吹き飛ばします。
 その後、超巨大津波や大火災、酸性雨が発生します。衝突や大火災によってちりやすすが成層圏に上がり、長期にわたって太陽光がさえぎられます。太陽光が地表に届かないと、光合成生物が絶滅します。つまり、植物がなくなります。植物をエサとしている草食動物が絶滅します。草食動物をエサとしている肉食動物が絶滅します。
 このような最悪の連鎖によって、大絶滅が起きていきます。これがK-T境界で起きた事件のシナリオです。地質学的には短時間で起こる大絶滅です。しかし、それでも、生き延びた生物たちもいたのです。

・衝突エネルギー・
上で、「直径10kmほどの隕石が、25km/秒で衝突すると、
1億メガトンのTNT爆弾に匹敵する」と書きました。
でも、このエネルギーはどれくらいのものか
見当が付かないと思います。
いくつかの換算をしましょう。
このエネルギーは、広島に落ちた原爆が、
13キロトンであったことから、
広島の原爆の70億倍以上のエネルギーを放出したことになります。
冷戦のとき一番たくさん保有されていた
核兵器6万個をすべて爆発させたより
はるかに大きなエネルギーを放出した計算になります。
・世界人口あたり広島原爆1個が爆発
・地球の表面積1000km2あたり1個が爆発
・30km四方に広島原爆1個が爆発
という規模です。
その規模は人類の想像を絶するものであったのです。

・四国から大雪へ・
6日間ほど四国の西予市城川に出かけていました。
したがって、このマガジンは事前に作成して
発行していたものです。
城川には何度も訪れています。
第2の故郷とも言うべき地となっています。
23日から25日の連休は大雪山の方に調査に出かけます。
雪が来る前にいろいろなところの調査を
しておかなければなりません。
土産話は別の機会しましょう。

2005年9月15日木曜日

1_49 中生代から新生代へ2:論争(2005.09.15)

 前回は、K-T境界の隕石衝突説の提唱にまつわる話をしました。今回はその説に関する論争を紹介しましょう。

 中生代と新生代の時代境界(K-T境界)の絶滅は、隕石衝突説によるものだということが唱えられたとき、大論争が起こりました。整理すると、その論点は、絶滅のスタートのタイミングと、絶滅に要した時間の2点になります。
 第1の論点の絶滅のスタートのタイミングとは、生物の絶滅が、K-T境界で起こったのか、それともそれ以前から起こっていたのか、ということです。
 これを検証するには、白亜紀後期にいた生物が、本当にK-T境界直前まで生存していたかを確かめれば、答えがでるはずです。アンモナイト、植物、恐竜などは、多様性があり、研究もたくさんあるので、それらの化石を用いて検証されました。
 衝突説が出てくる前までは、アンモナイトはK-T境界よりかなり前に絶滅していたと考えられました。アンモナイト研究の第一人者のウォードは、「証拠の不在は、不在の証拠ではない」といって、10年間、野外調査を継続しました。その結果、1994年に「最後のアンモナイトはK-T境界粘土層の直下で回収された」と報告しました。
 植物は、ほとんどがK-T境界を生き延びたと考えられていました。それは、植物には、種や根など体の一部が残っていれば、長い時間生活していなくても、生き延びて、次に生活できる環境ができれば、復活できるためです。
 K-T境界を詳しく調べると、被子植物の花粉はほとんど姿を消し、その代わり、シダ植物の胞子が突然出現することがわかりました。このような変化を「シダのスパイク」と呼んでいます。「シダのスパイク」の意味するのは、何かの原因ですべての植物が絶滅したあと、最初に荒廃地に生えた植物がシダ植物であったということです。「シダのスパイク」は、巨大火山などによる絶滅も起こっています。ですから、K-T境界で「シダのスパイク」が発見されたということは、急激な絶滅を意味しているのです。
 恐竜も、かつてはK-T境界の2~8万年前に絶滅していたと考えられていました。恐竜化石の情報は少ないのですが、K-T境界で恐竜化石を含む地層を、徹底的に調べていけば、決着を見るはずです。
 そのような調査が各地でなされました。アメリカのモンタナ州北東部のヘルクリークでは、K-T境界の60cm以内で恐竜化石を発見されました。コロラド州のレートン層では、K-T境界下37cmでハドロサウルスの化石が発見されています。中国ではK-T境界のすぐ近くで発見され、インドのデカンではとうとうK-T境界で恐竜の卵の化石が発見されてました。
 以上のことから、K-T境界で突然多くの生物が絶滅したということがわかってきました。
 K-T境界で突然多くの生物が絶滅があったとしても、巨大火山爆発でも同じような大絶滅を起こすことが可能です。巨大火山爆発説が隕石衝突説の対案として出てきました。火山でも、イリジウムの濃集が可能です。問題は、絶滅が突然か、それともだらだらとか、という第2の論点、つまり絶滅に要した時間に移りました。
 もし、衝突説では起きて、火山説では起きないものがあれば、衝突説を証明できます。イリジウムの濃集は火山からも見つかっているし、巨大な火山なら、イリジウムを地球全体にばら撒くことも可能かもしれません。
 しかし、細かい灰の成分は、火山で広くばら撒けますが、重い元素や鉱物をばらまくことはできません。衝突石英やスフェルールは重くて、地球全体に広がることはできないというのが、火山説の問題点です。
 火山の候補としてインドのデカン・トラップの火山があげられていました。しかしこの火山では、イリジウムの濃集は火山活動の間に見つかっています。また、火山活動はK-T境界より100万年前から始まり、K-T境界以降も100万年は続いています。
 この火山活動の前半100万年にわたって恐竜は生き延びていました。それは上で述べたK-T境界で恐竜の卵の化石のことです。以上のことから、今では火山説より衝突説のほうが有利となっています。
 いろいろ論争を紹介しましたが、今のところK-T境界の大絶滅は、隕石衝突説が一番有力です。多くの議論を経てきましたので、多くの研究者は隕石衝突説を受け入れるようになってきました。

・存在するということ・
アンモナイトの研究者のウォードは、
アンモナイトがたくさんでるスペインのビズケー湾で研究していました。
その後、ビズケー湾に続くフランスの海岸沿いで研究を続けました。
範囲を広げながら、K-T境界付近のアンモナイト探しをしたのです。
10年という歳月をアンモナイト探しの野外調査に費やしたのです。
この誠意、熱意、あるいは執念というものには頭が下がります。
調査の初期には、最後のアンモナイトは、
K-T境界より10mも下であったと発表しました。
しかし、彼は、「証拠の不在は、不在の証拠ではない」といって
10年間を野外調査をしたのでした。
その結果、1994年に
「最後のアンモナイトはK-T境界粘土層の直下で回収された」と報告しました。
この成果は、隕石衝突説に大きな支持を与えました。
そして私は、研究者の誠意と熱意を感じました。

・シニョール・リップス効果・
シニョール・リップス効果というものがあります。
存在することは一つの証拠で十分証明できますが、
存在しないことはすべてを網羅しなければ証明できません。
一般には存在しないことは証明するのは非常に困難です。
シニョール・リップス効果は、それに基づいた考えで提唱した、
2人の研究者の名前から付けられたものです。
それは、次のような考え方です。
・ある化石の出る地層が広ければ、
たくさんの種類が見つかり、
少なければ、化石の多様性が少なく「見える」
・化石の種類数が少ないほど、
絶滅の真の時代をみつけることはできなくなる
というものです。
恐竜やアンモナイトも、本当に数が多ければ
よりK-T境界に近いところまで見つけることができるでしょう。
しかし、実際にはそれほどたくさん見つかるわけではありません。
見つからなかったからといって、
いないということにはなりません。
シニョール・リップス効果が働く限り、
化石から本当の絶滅の時期を調べることは
困難で不確かになります。
この効果をなくすには、
K-T境界の地層をできるだけ広く探していくしかありません。
言うのは簡単ですが、実際にするのは大変です。
ウォードはそれを成し遂げたのです。

2005年9月8日木曜日

1_48 中生代から新生代へ1:K-T境界(2005.09.08)

 中生代は、温暖で穏やかな時代でした。大繁栄をしていた大型の動物は恐竜の仲間です。しかし、1億8550万年間続いた恐竜の支配した時代も、突然終わりました。そんな終わりの事件を紹介しましょう。

 中生代の終わりの白亜紀と新生代のはじまりの第三紀の名称の頭文字をとったもので、中生代と新生代の時代境界をK-T境界と呼んでいます。K-T境界が他の地質時代の境界とは違って、このような名称で呼ばれているのは、恐竜を含む多くの種類の生物がこの時代境界に絶滅したからです。
 K-T境界で、なぜ大絶滅が起こったのかは、1970年代前半までは、実はよくわかっていませんでした。それがある親子によって思いもよらぬ展開を遂げることになりました。
 1977年、ウォールター・アルヴァレスという地質学者が、イタリアのグッピオと呼ばれる地域で、K-T境界の地層を見つけました。ウォールターの発見したK-T境界の地層は、1cmほどの粘土層で、黒っぽく、ススがたくさん含まれていました。さて、この地層からどんな事件が読み取れるのでしょうか。
 ウォールターの父はルイス・アルヴァレスといい、非常に好奇心旺盛な物理学者でした。ルイスは、1968年に水素泡箱の開発でノーベル物理学賞を受けました。水素泡箱とは、水素のガスの入った容器を過冷却して、ちょっとした刺激で液体が発生する装置です。この装置の中に目には見えない粒子が通過すると、そのときに飛んだ場所にスジができます。そのスジを用いて、当時「亜原子粒子」と呼ばれていた素粒子が多数発見されました。素粒子の研究には不可欠の道具をルイスは発明したのです。
 ルイスは、他にもさまざまな分析装置を工夫していました。そんなひとつに原子炉を使った放射化分析という方法がありました。原子炉の中に試料を入れ、中性子を試料に浴びさせて、原子を放射化します。放射化された原子の多くは放射能を持つようになります。放射能を持つということは、壊れやすい原子(放射性原子)が壊れていくときに、さまざまな電磁波や粒子などを放出することです。その放出される電磁波や粒子を測定することによって、含まれている原子の量を正確に知ることができます。放射化分析は、非常に含有量の少ない成分も測定できる方法でした。
 ルイスは、ウォールターの発見したK-T境界の粘土層とこの上下の地層の試料を放射化分析で調べました。その結果、イリジウム(Ir)とよばれる白金(プラチナ、Pt)の仲間の元素が、K-T境界に濃集していることを発見しました。その量は、まわりの地層の数倍もありました。
 イリジウムという元素は、白金の仲間の元素と同じで地殻をつくる岩石にはほとんど含まれていません。なかでもイリジウムがその差がいちばん大きくなっています。ですから、K-T境界の地層でイリジウムが見つかるということは、当時の地表にイリジウムを濃集させる特別な事件があったはずです。
 その事件を、アルバレスたちは、隕石の衝突と考えました。隕石には、地殻の含有量にくらべて、10万倍もおおくイリジウムが含まれているからです。隕石の濃度を利用すれば、K-T境界の濃集も説明できると考えたのです。
 隕石の衝突は、当時の地質学者たちには思いもよらない原因でした。当時の地質学者たちは、K-T境界に限らず大絶滅の原因は、地球内部の何らかの営みによるものであると考えていました。そのため、隕石衝突説をめぐっては、さまざま論争がなされました。
 中でも地球内部説派と隕石衝突説派とは、次の2つが大きな論点となりました。
 第1の論点は、絶滅のスタートのタイミングです。生物の絶滅が、K-T境界で起こったのか、それともそれ以前から起こっていたのか、ということです。
 第2の論点は、絶滅に要した時間です。瞬時か、それともある程度の時間をもって(じわじわと)起こったかです。
 もちろん隕石衝突説では、絶滅はK-T境界ではじまり、瞬時の事件です。それを証明するか、否定するかが、論争となりました。論争の詳細は、次回としましょう。

・常識・
恐竜の絶滅は、隕石衝突説の登場の前までは、
さまざまな説がありました。
しかし、多くの地質学者たちは、地球内部の原因による
気候変動をその主たる原因と漠然と考えていました。
しかし、そのメカニズム、シナリオは、よくわかっていませんでした。
誰も、決定的な説を出すことができなかった非常に大きな問題でありました。
ルイス・アルバレスは物理学者でしたが、
前例や地質学の常識に囚われていませんでした。
その結果、隕石衝突説に思い至りました。
隕石の衝突は、考えてみると偶然に支配された説です。
そんな説を採用することに地質学者は抵抗を感じました。
それまで、地質学者たちは地球内部に原因がある考えていました。
地球内部説に基づいて地質学者たちは研究を進めてきていました。
地質学者たちにとって根拠はなかったのですが
地球内部説が常識化していました。
突然の環境変化は想定外でした。
ですから、地質学者たちは反論しました。
いろいろな立場で反対がありました。
感情的なものはさておき、
それまで地球内部説による証拠が反論ために利用されていきました。
多くのデータが、再度検討されたり、集めなおされたりして、
大論争となりました。
でも、それにも今では決着を見ています。
それは次回以降の地質時代シリーズで紹介していきます。

・英気を養う・
子供たちの夏休みも終わり、
9月に入って、自分自身の仕事ができるようになりました。
秋を感じさせる季節となり、いい気候の中で研究をしています。
休日には、行楽や祭りなどのイベントを楽しんでいます。
大学も9月上旬はほとんど開店休業状態です。
会議もほとんどありません。
ですから、じっくりした研究をするのにはチャンスです。
私は、9月中旬から下旬にかけては、
野外調査などで忙しくなりますが、
それまでの2週間ほどは落ち着いて
今までやり残していたことをしています。
この間に英気を養っておきましょうか。

2005年9月1日木曜日

4_62 玄能石

 北海道の三笠に玄能石というものが見つかります。それを土産物屋で見つて買ってきました。玄能石について紹介しましょう。

 ゲンノウ(玄能と書きます)というものをご存知でしょうか。大工さんが使うカナヅチあるいはハンマーのことです。ハンマーは、小さなものをカナヅチ、大きなものをゲンノウと使い分けることもあるそうです。
 ところで、なぜハンマーのことを玄能というのでしょうか。源翁和尚という僧侶が語源になっているそうです。栃木県那須に殺生石というものがあります。その石が、いろいろな怪奇現象を起こしていたそうです。それを聞いた源翁和尚が、大きなハンマーでこれを割って、悪霊を取り除きました。これ以降、ハンマーを、源翁(ゲンオウ)から転じて、ゲンノウとも呼ぶようになったといわわれています。伝承ですから、本当のところは知りませんが。
 石にも玄能石と呼ばれるものがあります。その名称の由来は、石の形がゲンノウに形が似ているからです。私は、三笠産の玄能石を土産物屋で手に入れました。私が持っているものは、両側がとがっている10cmほどの長さのものです。
 玄能石は、ゲンノウ型以外にも、星型やコンペイトウ型のようなものもありますが、いずれもとがった形をしているのが特徴です。その形から、明治時代の考古学者は、石器だと見誤まっていたこともありました。
 玄能石は、変わった分布をしてます。日本では、フォッサマグナより北の地層から見つかっています。産地としてでは、福島、新潟、秋田、長野、北海道などが知られています。北海道では、三笠が有名です。ロシアやカナダなどの高緯度に位置する国々でも発見されています。つまり、玄能石は寒い地方の地層から見つかっていることになります。同じ地層から見つかった化石によっても、低温の海水域の海底堆積物の中で結晶したことがわかってきました。
 また、玄能石は、不純物を多く含んだ方解石(マグネサイトのこともあるようです)からできています。ところが方解石は、六方晶系というグループの結晶なのですが、玄能石の形は六方晶系の結晶の形とは違っています。
 もともとは別の晶系の鉱物で、その鉱物が何らかの理由で、方解石に置き換わったのではないかと考えられています。このようにある鉱物が別の鉱物に置き換わることはよくあり、仮晶(かしょう)と呼ばれています。
 では、もともとの鉱物は、なんだったのでしょうか。実は長い間、謎でありました。しかし、高緯度の地層から見つかるということが、重要なヒントになります。
 1963年、グリーンランド南西岸のイカ・フィヨルドの海底で炭酸泉の湧き出す周囲で、新鉱物が発見されました。地名からイカ石(Ikaite)と呼ばれます。イカ石は、ゼロ℃近い水から沈殿した含水炭酸カルシウム(CaCO3・6H2O)という成分を持つ結晶です。その後、1982年にも、ドイツの調査船が南極大陸の沿岸海底で、ガラスのように透明なイカ石の自形結晶を発見しました。
 海底から引き上げられた結晶の大きさは、6.5cmほどあったのですが、見ているうちに、透明感がなくなり、ばらばらの方解石と水とに分解したそうです。
 イカ石は、摂氏3℃以上(8℃以上という説もある)になると、水分をすぐになくし、ザラメ状の穴ぼこだらけの方解石に変化するという性質が明らかになってきました。幸いにもドイツの調査では、くずれる前のイカ石の写真がとられていました。イカ石は単斜晶系に属するもので、方解石の六方晶系とは違っていました。
 このようなことから、イカ石は玄能石と同じものであることがわかってきました。
 玄能石とは、冷たい地層の中で、イカ石の原型をとどめたまま、別の鉱物に置き換わりました。それ玄能石を、今、私は手にしているのです。自然の神秘を手にした気がします。そして、その神秘を解き明かした人類の英知も一緒に手にした気がします。

・グレンドン石・
白海に面したロシアのある村の砂浜には、
白っぽい丸石が打ち上がることがあります。
丸石の中に茶色のトゲトゲの石が入っていることがあります。
この石は、鉱物標本業者の間では、
グレンドン石(Glendonite)という名前で呼ばれています。
日本の玄能石と同じ種類のものです。
白海沿岸の海底には、永久凍土が融けずにあるそうです。
そんな冷たい海底でできたイカ石が、
海底から海岸に達するまでの間に方解石に変わっていったようです。
海岸に打ち上げられるグレンドン石にも神秘の歴史があります。

・イカ石の謎・
イカ石にはもうひとつ謎があります。
イカ石は単斜晶系の結晶です。
ところが、グレンドン石と呼ばれるものの中には
どうも違った形(他の晶系に属する)もあるようです。
そうなると、グレンドン石には、
別の起源のものもあるのかもしれません。
その謎はまだ解けていません。

・私の夏休み・
さてさて、とうとう9月になりました。
北海道は暑い日もありますが、
秋のさわやかな気候となってきています。
特に学校に行っている子供たちや子供のいる家庭では、
夏休みも終わり、あわただしい日常が始まっているでしょうか。
ところが北海道の我が家の子供たちは、
8月18日から学校が始まっています。
北海道は夏休みが短く、冬休みが長いのです。
ですから、子供たちは、もう夏休み気分は抜けています。
しかし、私の大学は9月一杯が夏休みです。
私もやっとさまざまな校務が終わり、
じっくりと仕事ができるようになりました。
いってみれば、これからが私の夏休みなのかもしれませんね。