2005年7月28日木曜日

2_40 進化論の進化3:進化の総合説

 ダーウィンの進化論は19世紀後半から20世紀前半にかけての60年ほどの間、さまざなま反論が出されてきました。ダーウィンの進化論は、主流派の考え方でしたので、それらの反論を受けて立つ形で、新たな進化論へと変貌してきました。1930年代から40年代になると、主流派の反撃がはじまります。その概略を見ていきましょう。

 20世紀に入って生物学の進歩と科学技術の進歩によって、多様な生物学に関するデータが出てきました。ダーウィンの進化論も、そのような新しい情報を取り入れた進化論へと展開していきます。
 発展的な進化論とは、ダーウィンの自然選択説を、現代的に再構築したものです。多くの新しいデータ、反論に対する回答、新しい考え方などを取り入れて、成長してきたものです。そのため、進化の総合説と呼ばれています。総合説の考え方は、ネオ・ダーウィン主義と呼ばれることもあります。
 進化の総合説は、現在においても、主流で正統とされている進化論です。正統派ですから、多くの研究者が、この仮説に基づいて研究し、考えています。現在でも、まだ総合化はされ続けています。
 時代順にみていくと、ダーウィンの進化論への批判に対する反撃は、集団遺伝学というものからはじまりました。
 集団遺伝学は、生物測定学という学問から発展してきました。生物統計学とは、あるグループの個体の中にみられる変異を測定して、統計的分析をおこなうことです。その分析を何世代にわたって測定することで、進化の傾向を見ようとする手法です。
 19世紀にはじまったこの生物測定学から、集団遺伝学が発展してきました。変異の測定を、集団の遺伝子の状態としてとらえ、統計的に処理し、検討していきます。その結果、生物には、多数の遺伝子が働いていることが示されました。そして、メンデルがおこなったような実験で見られる突然変異や連続的な変異は、矛盾なく説明できることが示されました。
 いろいろな視点から、他にも反撃がなされました。
 アメリカの遺伝学者ドブジャンスキー(1900~1975)は、ショウジョウバエを使った実験をしました。あるグループの中に伝わる遺伝子には、現在の環境では、役に立っていないものがたくさありました。しかし、種全体としてみたとき、環境に変化が起こったときに、多様な遺伝子を持っている方が、変化する環境に適応できる能力をもっていると考えました。それが自然選択という形に表れるのだという考えです。
 ドイツ出身のアメリカの進化生物学者マイヤ(1904~)は、鳥類の研究をしていました。ある鳥のグループが、地理的に隔離されることによって、新種となることを示しました。これは、異所種分化による新種の誕生という考え方です。隔離という自然選択が、種分化を起こすという実例でした。
 アメリカの古生物学者シンプソン(1902~1984)は、哺乳類の化石、特にウマの化石の研究をしていました。化石の証拠から、ウマが環境に適応しながら進化してきたことを示し、「定向進化説」を否定する証拠を示しました。
 彼らが中心となって、進化の総合説(ネオ・ダーウィニズム)が確立されてきました。総合説という言葉は、シンプソンが1949年に書いた「進化の意味」という本の中で用いたのが最初とされています。
 進化は、あるグループの中に蓄えられている遺伝子の変化として起こるのですが、そのプロセスは、次のようのようなものだと考えられています。
 まず、突然変異や交配の時に遺伝的な組み換えが起こります。それらの遺伝的な変異は、集団の中に蓄えられていきます。遺伝的な変異の頻度は、適応とは関係なく変動したり、自然選択によって適応として変動することもあります。さらに、グループが地理的に隔離されることによって、異なった遺伝子をもった変種と呼ぶべきグループができます。やがて、それは新種へと定着し、種分化が起こります。
 これが現在の進化の総合説の概略です。しかし、総合説は、実はダーウィンの自然選択説といくつかの点で違いが生じてきました。
 ダーウィンの考えた自然選択は、個体単位で起こる現象でした。つまり、生存競争で適応力の強い個体が生き残ることによって進化がおこると考えたのです。一方、総合説では、遺伝子単位で自然選択が起こります。適応している遺伝子が集団中に増えていくことによって進化が起こると考えています。
 個体か遺伝子かに違いがあります。この違いを重視したのが、イギリスの生物学者リチャード・ドーキンスでした。ドーキンスは、その考えを1976年に出版された「利己的な遺伝子」で展開して有名になりました。
 現在では、遺伝子がDNAレベルで解明されてきました。それは総合説には有利に働きました。しかし、そのような分子レベルが進化をコントロールすることに疑問を感じる研究者もいました。進化も新しい局面に入ったのかもしれません。それは次回としましょう。

・夏休み・
夏休みのはじまりました。
北海道の夏は短いのですが、
学校の夏休みも短くなっています。
ところが、わが大学は、今年から夏休みが長くなりました。
昨年までは、9月中ごろから、後期の講義がはじまりました。
しかし、今年から9月一杯夏休みで、10月から後期が始まります。
その分、1月から2月にかけて講義が延びることになります。
そうなると、教員は忙しくなります。
講義の成績評価と共に、入試の判定、卒業の認定などが、
短い期間にこなさなければならなくなるからです。
でも、いい気候の夏に、長い休みが取れるのはありがたいことです。
特に私のように野外調査をしているものにとっては、
調査のチャンスが増えて助かります。
冬は北海道の調査はできないですから。

・台風・
台風が本州に来襲しました。
北海道も雨が激しくなっていきました。
この文章を書いている時点では、まだ、台風は北海道には来ていませんが、
雨が各地で激しく降っているというニュースが流れています。
北海道は台風に弱いところですが、大きな被害が出ないか心配です。
皆さんの所は台風の被害はなかったでしょうか。
こんな雨だというのに我が家の子供たちは、プールに出かけるのでしょう。
もちろん室内の温水プールですが。
どうも最近は危機意識が低下しているのか、
予報の発達、都市の安全対策の徹底によって、
安全が神話となっているのでしょうか。
まあ、今後の様子を見守りましょう。

2005年7月21日木曜日

2_39 進化論の進化2:進化論の歴史

 ダーウィンの進化論が生まれて150年近くたちます。その間、進化論は紆余曲折してきました。現在でも進化論の内容については、いろいろな議論されています。進化論の歴史をザーッと見てきましょう。

 1859年に出版されたダーウィンの「種の起原」では、生物の進化は、自然選択(自然淘汰とも呼ばれる)によって起こるという考えが示されました。この自然選択とは、個体変異と生存競争というものによって進化を説明しています。もう少しわかりやすく述べましょう。
 もともと生物ひとつひとつは、同じ種類でも、大きい小さい、あるいは長い短い、または太い細い、などのいろいろな差があります。このようなひとつひとつの生物(個体といいます)ごとにある差(変異)を、個体変異と呼んでいます。もちろん生まれてくる子供にも、そのような個体変異があります。
 例えば、オス同士でも、強いオス、角の立派なオス、色のきれいなオスがよりメスに気に入られて、多くの子孫を残す可能性があります。子供間にも、競争があります。同じ親から生まれた子供でも、大きい子供、力の強い子供が、親からエサをたくさんもらい、早く成長し大人になるかもしれません。これらは、生存競争とよばれ、ある変異をもつ個体が、生き残りやすく、子孫を残す可能性が高くなるという考えです。
 もし、住んでいる環境でこのような生存競争が起こったとすると、環境からの影響、つまり自然が生き残る個体を選択するかのような効果を持ちます。これが、自然選択の考えです。
 住んでいる環境により適応した性質をもつ個体が生き残る率が高くなり、このプロセスが繰り返し起こることによって、変異がやがてその地の生物全体の性質となり、もとの種とはまったく違った新しい種となっていきます。つまり、種分化が起こるということです。
 ダーウィンの時代には、変異の原因も不明でした。しかし、自然選択説は、生存競争と変異の組み合わせによって、神が介在しなくとも、種が進化するメカニズムが示されたことに重要な意味を持ちました。
 進化論は、「種の起原」が出版後、10年ほどで広く受け入れられました。しかし、自然選択説に対しては、さまざまな反対意見が出されました。
 例えば、オオツノジカの巨大な角や剣歯虎(サーベルタイガー)の長くのびすぎた犬歯などは、あまりにも過度に発達しています。これは、ある方向に向かった進化は必要以上に進むという定向進化という考えで説明すべきで、自然選択説では説明できないとされました。
 アメリカの古生物学者コープ(1840~1897)は、動物の体が大型化する傾向ような生物の進化には一定の方向性があるという「コープの法則」を見つけ、定向進化論を唱えました。アメリカの古生物学者オズボーン(1857~1935)も、コープらの定向進化説を支持しながら、適応放散説を提唱しました。
 オランダの植物学者ド・フリース(1848~1935)は、突然変異によって、新しい種が生まれるという説を発表した。少しの連続的変異が集まって進化していくというダーウィンの自然選択説に、突然変異説で反対したのです。この説は、多くの支持をえました。
 もちろんそれぞれの反論に対しても、いろいろな議論が起こりました。ドブジャンスキー(1900~1975)やマイヤ(1904~)は、種分化には隔離が重要であるとしました。シンプソン(1902~1984)は、定向進化説を実証的に否定しました。
 いずれにしても進化論が誕生して50年ほどの間に、このような混乱した状況が生まれました。そして、自然選択説は、危機に瀕していていました。
 その後進化論は巻き返しが起こりますが、この続きは次回としましょう。

・海か山か・
北海道も暑い日が来ました。
あまりの暑さに海で泳ぐ人もでてきました。
しかし、海難事故が起こっています。
私は、海よりも山が好きです。
調査も山のことが多いので、
我が家の子供たちは、山のきれいな沢で水遊びをします。
沢では、冷たくて、なかなか泳げませんが、
水遊びをするには、山の中の沢は楽しいものです。
そろそろ子供たちは夏休みが始まります。
北海道の夏休み1ヶ月もなく、短いものです。
でも、近いうち海にも連れて行きますかね。

・十勝岳・
先日、富良野の十勝岳に出かけました。
リフトがあると思っていたのですが、
今はなくなっていました。
昭和火口まで行きたかったのですが、いけませんでした。
家内の母が一緒だったので
リフトがないので無理はできず、
途中までいきました。
しかし、1200m近くまで登りました。
下は暑くてたまりませんでしたが、
涼しい気候と高山植物、残雪、眺望が心地よかったです。
このときの話は、別の機会にしましょう。

2005年7月14日木曜日

2_38 進化論の進化1:進化しているということ

 生物の進化だけでなく、時間と共に変化していくことに対して、進化という言葉が広く使われています。例えば、コンピュータの進化、携帯電話の進化、宇宙の進化、地球の進化、などなど。ここでは、生物の進化について見てきます。

 現在、生きている生物は、その祖先から進化してきました。しかし、進化とはいったいどういうことでしょうか。本当に進化は起こっているのでしょうか。そんな素朴な疑問を考えてみます。
 進化とは、長い時間がかかって、祖先とはまったく違った種類の生物に変わってしまうことです。祖先が今も生きていることもありますし、祖先はいなくなっている場合もあります。そんな進化ですが、生物の歴史を見ていきますと、進化には、スケールの違いによって、2つのものがあります。種分化(小進化とも呼ばれます)と大進化の2つです。
 種分化(小進化)とは、生物が時間とともに変化していき、最終的に異なった種類の生物になることです。上で述べた意味をそのまま反映している変化です。これは、新しい種が誕生することを意味しています。
 一方、大進化とは、種分化と比べて、生物のより大きな変化をいいます。脊椎動物でいえば、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類へと変わるようなものを大進化といいます。生物の分類体系でも大きな、界、門、綱、目などが変化することを大進化と呼んでいます。
 上で述べた例で、動物は界という分類で、脊椎動物とは門で、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類は綱の変化で、体の基本的な構造に違いによって区分されています。
 2つの種分化と大進化は、現在では、根本的に違うものではないとされています。つまり少しの変化(種分化)の積み重ねが、大きな変化(大進化)つくるということです。
 今まで生物が進化していることを前提として話してきましたが、ところで、本当に生物は進化しているのでしょうか。もし進化しているのなら、その証拠は何でしょうか。
 現在、進化の証として、化石、現生生物の分布と相、分子進化学的な証拠などが挙げられています。
 化石の証拠とは、まず、化石を過去の生物とみなすことからはじまります。そして、いろいろな時代の多数の化石を集めて、過去の生物がどう変化してきたかをみよう、という考え方です。しかし、これは、化石を多数集めて、進化という連続をみようという考えです。化石という点を多数集めて進化という線とみなしていきます。実際の化石は、必ずしもすべて連続していないのですが、過去の生物から現在の生物に至るまでの道筋の概略を表しており、進化とみなしています。過去の証拠から進化を探る方法であります。
 生物が現在の地理的な分布や、生物の組み合わせ(生物相といいます)が、そうなっている理由を説明するには、生物が種分化してきた、つまり進化してきたという考えを取り入れなければ説明できないことがあります。これは、現生生物の種分化を、マクロ的な視点でみるアプローチであります。
 分子進化学的な証拠とは、現生生物をミクロ的な視点で見て調べる方法です。細胞や生物関連分子などを調べていくと、そこには進化の痕跡や証拠が見つかるということです。
 以上のような進化の証拠が挙げられていますが、いずれも進化があったということを論理的に、証明しているわけではありません。ですから、進化の考え方には、いろいろな解釈がありえますし、実際にいろいろな進化論があります。しかし、多くの生物学者は、進化があったと信じています。
 もうひとつ、進化の考えには、最初の生物が一つのものから始まったという前提があります。これも実はなかなか難しい問題です。
 生物が生まれ、進化しているという考えは良しとしても、ひとつの生物から進化がスタートしたという保障はありません。
 多数の多様な生物が誕生して、いろいろな種が生まれ、いろいろな進化があってもいいはずです。地球初期の生命誕生の様子を想像すると、多様な生物が生まれ、多様な生物から、多様な進化が起こった、と考えた方が、ありえそうです。
 しかし、現在の生物は、ひとつの種からすべての生物が進化してきたと考えています。そのような最初の生命をコモノートと呼んでいます。もちろんコモノートは、ひとつの考え方、仮説で、そのような生物は見つかっているわけではありません。
 コモノートには、根拠があります。それは、生きている生物には、いろいろな生命活動の方法が可能なのに、共通の仕組みを持つことがわかっているからです。その代表的なものは、セントラル・ドグマ(中心狭義とも呼ばれます)というものです。セントラル・ドグマとは、遺伝情報がDNAに蓄えられ、RNAを使って遺伝情報が運ばれ、タンパク質を合成するというメカニズムです。この方法をすべての生物が用いているのです。いろいろな方法がありうるはずなのに、ひとつの方法しか使っていなのは、一つの祖先コモノートがあり、その祖先はたまたまこの方法を選んだということになります。

・成績・
6月、北海道は暑く、雨がほとんど降りませんでした。
7月になり、北海道にはやっと雨らしい雨が降りました。
そして6月下旬の暑さが嘘のように、
爽快に日々が続いています。
7月ともなれば、大学の学生たちは、
そろそろ試験を見据えた行動をしています。
授業で試験に関する内容が述べられないか、
何とか単位をうまくとる方法がないか
などをあの手この手で模索しています。
教員も、定期テストの準備と成績をつけるために
レポートや出席の整理に追われ始めます。
わが大学の出席は完全にデジタル化しされています。
学生証をカードリーダに通すことによって
出席を取れます。
コンピュータに翌日には集計されて
教員と本人には出席情報は閲覧できます。
ですから、自分が現在何回出席しているのかは
簡単に知ることができます。
しかし、レポートの評価や入力、テストの採点は
やはり、教員が自力しなければなりません。
1400名分の処理が必要となります。
こればかりは、何度やっても気が重いものです。

・共通祖先・
生物の進化について、最近、考えています。
もちろん生物学者ではないので、
地質学者としても立場で考えています。
古生物学も専門が違っていますが
地質学と近い分野なので理解できます。
生物の進化を地質学的に考えていくことは
なかなか面白いテーマでもあります。
今回エッセイで紹介したコモノートは、
エッセイのような内容では、
正確には共通祖先という言葉を使うべきです。
ですが、私がいつも用いているコモノートを使いました。
コモノートとは、東京薬科大学生命科学部の山岸明彦さんが
提唱された考え方です。
「遺伝的仕組みが成立し、環状ゲノムを有していた」生物で、
共通祖先を想定して使われました。
共通祖先に関する呼び方には、他にも、
プロゲノート(遺伝子型と表現型の対応していない生物 )
センアンセスター(曖昧な共通祖先を意味する概念的な生物)
などがあります。
実際のコモノートは化石ではわかりませんが、
現生生物の研究から、
好熱菌で、ゲノムサイズは小さく、遺伝子数は少ない
生物だと考えられています。
さて、いつの日にかコモノートにたどり着けるのでしょうか。
それとも、今は亡き、幻の生物のなのでしょうか。

2005年7月7日木曜日

1_46 古生代から中生代へ3:生物の変化(2005年7月7日)

 古生代からの中生代にかけての異変は、大きなものでした。生物の絶滅を伴っていたのですが、そこでは生物の型というものの交代劇も劇的に起こっていたのです。

 古生代から中生代にかけての時代境界(P-T境界と呼ばれています)では、確実な原因はまだ特定されていませんが、大絶滅がありました。その絶滅は、化石の証拠がたくさん見つかるようになる顕生代(古生代以降)では、最大のものでした。
 大絶滅があったとしても、生物が全滅していなければ、生き残った生物が、次の時代の新しい環境に適応して、進化を遂げていきます。生き残った生物の多様化への新たな旅立ちとなります。
 絶滅の程度が大きければ大きいほど、新しい生物は独自の多様化、つまり以前とは違ったタイプの生物の進化への道をたどることが可能となります。そんな変化が、P-T境界では起こりました。
 顕生代の生物は、大きく3つに分けられています。化石の資料が豊富な海の動物を基にして分けられたものです。カンブリア型、古生代型、現代型の3つの型があります。「3」といえば、顕生代も古生代、中生代、新生代の「3」つに分けられていますが、それぞれに対応しているのでしょうか。対応していればわかりやすいのですが、型の名前を見てもわかるように、対応していないのです。
 カンブリア型生物とは、カンブリア紀に出現した多様な生物のことです。体に硬い組織を持つ海生無脊椎動物が繁栄しました。特徴的な動物として、三葉虫や古盃動物(礁をつくった生き物)が挙げられます。カンブリア型の生物には、現在知られている無脊椎動物のすべての種類(門(もん)とよばれる分類の基準で)が出そろっています。カンブリア型生物はカンブリア紀に栄えたのですが、オルドビス紀以降になると徐々に勢力を失っていき、古生代の終わりに絶滅しました。
 オルドビス紀には、次の古生代型の生物が出現してきます。その変化は、突然ではなく、カンブリア型生物がいたのですが、徐々に古生代型生物の勢力が優勢になって、入れ替わるように変わっていきました。古生代型生物は、古生代型サンゴや古生代型アンモナイト、フズリナ、三葉虫など、海の生き物を主としたものでしたが、植物は海から陸へ進化していきました。
 現代型生物も、やはりオルドビス紀から出はじめていますが、栄えるのは中生代以降です。現代型生物は、新しいタイプの生物で、現在の生物につながるものです。
 このような3つの生物型の変化は、大きな枠組みの生物の変化ですから、徐々に変わっていくはずなのですが、古生代と中生代の境界(P-T境界)の変化だけが急激に起こっています。カンブリア型生物がいなくなり、古生代型生物生物の勢力が弱まり、現代型生物が主流となります。これは、P-T境界の大絶滅がいかに大きなものであったのかということを示しています。
 カンブリア型や古生代型の生物は、P-T境界で起こった異変を乗り越えるには十分な能力をもっていなかったのです。大異変を乗り越え、そして次の新しい環境に適応できる能力をもっていたのは、現代型生物だったのです。つまり現代型生物以外のライバルは、P-T境界でほとんどいなくなったのです。そして中生代以降現在まで、現代型生物が地表の生物の支配者となっているのです。

・7月の北海道・
7月になりました。
2005年ももう半分過ぎたことになります。
本州はまだ梅雨前線の影響を受けているでしょうか。
北海道の初夏はすがすがしく気持ちがいいです。
6月には蒸し暑くて耐えられない日がありましたが、
晴れの日は乾燥して風でも吹けば爽快に気分になります。
春から初夏にかけてのイベントは終わりました。
大学は前期の終わりに向けて最後の追い込みの時期です。
教員は試験の準備や、今までのレポート、出席などの
整理が必要になってきます。
なんとなく7月は忙しい時期です。

・セプコスキー・
前回、膨大な量の古生物のデータベースをつくった
セプコスキーの話をしたのですが、
今回紹介した3つの生物型は、
セプコスキーとミラーが1985年に提唱した区分です。
エッセイでは、海の動物と書いたのですが、
正確には、海生の底生動物を用いた区分です。
この3つの生物型の考えを用いると、
大陸棚で起こった顕生代の生物の交代劇がうまく説明できました。
しかし、この区分によるタイプ分けは、
P-T境界の大絶滅も示していたのです。