2005年6月9日木曜日

1_45 古生代から中生代へ2:絶滅の原因(2005年6月9日)

 古生代の終わりに起こった絶滅の事件は、化石の記録が残っているものの中では最大のものでした。最近、その実態が明らかになってきました。今回はその大絶滅を紹介しましょう。

 古生代と中生代の時代境界は、古生代の最後の時代であるペルム紀(Permian)と、中生代最初の時代である三畳紀(Triassic)の境界なので、P-T境界と呼ばれています。P-T境界の大量絶滅は、現在、わかっている絶滅の中では、最大規模のものでした。この絶滅事件で、海洋域の無脊椎動物の属のレベルで78~74%が絶滅し、種のレベルでは最大で96%が絶滅したといわれています。絶滅は海だけでなく、陸の生物にも及んでいます。
 この大絶滅の原因として、いくつものものが考えられてきましたが、いまだに確定されていません。地球外の原因、特に隕石衝突説は、何度も提唱されてきましたが、その根拠は多くの研究者が認めているものではありません。従って、多くの研究者は、地球内に原因があると考えています。
 原因として、P-T境界の頃に起こった事件が、いくつか候補があります。超大陸の形成と分裂、異常な火山活動、海洋の超酸欠状態という事件があったことが、地質学的証拠から知られています。そしてそれらが、現在最も有力な候補であります。
 古生代末の3億年前ころに、パンゲア超大陸が出現しました。パンゲア超大陸は、北半球にあった北半球の大陸が集合しはじめ、ローラシア大陸となり、南半球にあったゴンドワナ大陸と古生代末に合体してできたものです。パンゲア超大陸は、北極から南極まで長く延びた巨大な大陸でした。パンゲア超大陸の東側には、テチス海とよばれる巨大な湾があり、残りは超海洋パンサラサができました。
 古生代末の地球は、ひとつの大陸とひとつの海という非常に単純で、不思議な構成となっていた時代です。このような超大陸がひとつの状態というのは、顕生代ではパンゲア超大陸の一度だけでの出来事でした。
 中生代の三畳紀(約2億5000万年前)に入ると、パンゲア超大陸が分裂をはじめます。南・北アメリカとヨーロッパ・アフリカ大陸の間に、大西洋ができはじめます。
 超大陸の分裂は、巨大な暖かいマントルの上昇流(スーパープルームといいます)によっておこります。大陸が割れはじめるときには、特別激しい火山活動が起こりました。この火山活動は私たちが知っているどんな火山活動より、激しいものであったと考えれています。その激しい火山活動が、地球規模の環境変化を起こしたのではないかと考えられています。その事件は「プルームの冬」と名づけられて、研究されています。
 日本で見つかったP-T境界は、深海底でたまったチャートと呼ばれる岩石から見つかっています。周辺のチャートは、赤っぽい色をしているのですが、P-T境界の部分だけ黒っぽい色で、見かけの違うチャートとなっています。
 チャートは珪酸(SiO2)からできていますが、珪酸だけのチャートは、無色か透明のものとなります。しかし、少量の不純物が含まれていると、不純物によって色が付くことがあります。赤っぽい色は、赤鉄鉱という鉄の酸化物の色です。一方黒っぽいチャートには、赤鉄鉱がまったく含まれないで、黄鉄鉱(FeS)という鉱物を含まれています。
 赤鉄鉱も黄鉄鉱も鉄を含む鉱物ですが、チャートが溜まる環境によってできる鉱物が違ってきます。赤鉄鉱は酸素が多い環境ででき、黄鉄鉱は酸素がない環境でできます。
 P-T境界のチャートが黒いということは、時代境界のときに深海底付近が酸欠状態になっていたことを意味しています。また、黒っぽいチャートの地層の厚さから、酸欠の期間は、2000万年ほど続いたと考えられます。大変長い期間の酸欠状態であることから、超酸素欠乏事件と呼ばれ、その原因が探られています。
 超大陸の形成と分裂、異常な火山活動、海洋の超酸素欠乏のどれもがP-T境界付近で起こった地球史上における重大な事件です。それぞれが、どこかに因果関係があるのでしょう。しかし、その因果がどのように大絶滅事件に結びついているのかが、まだわからないのです。あまりにも原因の候補が多すぎるためかもしれません。そのために、因果関係が複雑になっているのでしょう。そんな謎に多くの地質学者が取り組んでいます。

・今どきの大学生・
前にTasさんから、最近の学生が勉強しないという話題がありました。
それに対して、私は、次のようなメールを書きました。

「最近の学生は勉強できないという話ですが、
時代が違うので単純に比較できないですが、
私の目から見ても、そう見えます。
本もあまり読まないし、好奇心も少なく、
集中力も少ないように見えます。
しかし、それはあくまでも一般論であった、
個別の個々人に対しては、個性もありますし、
一概には当てはまらないことでもあります。
個々人というところを見るべきでもあると思います。
なによりも、学力のなさを学生当人の責任するのは間違っています。
かつては進学率も低く、勉強のできる子供たち、
勉強の好きな子供たちが、大学に進学し、学び続けていました。
現在は、学びたくない子供は、大学に行かないと意思表示ができています。
その点では、自分の将来を選ぶ、判断力があるともいえます。
大学に来る子供たちには、
学びたい子供たちも、もちろんいますが、
意思表示のできない子供たち、
あるいは何がしたいかもわからない子供たちも含まれています。
以前は大学に来なかった階層も、日本が豊かになったので、
いけるようになりました。
その比率が「全入(進学希望者全員入学)の時代」となって、
多くなったことは確かです。
そのような状況が、大学生の学力低下という評価に
結びついているのだと思います。
このような子供の属性ができたのは、子供の責任ではなく、
時代がそのような子供を生んだのです。
だから、そのような子供が大学に来るのは、
社会状況として仕方がないことです。
大学側はそのような子供をどう教育するかを対処を迫られます。
これは、大学側の問題なのだと思います。
子供の属性を愚痴っていても、生産的でありません。
少しでも、彼が大学に来てよかった、
あるいは今後の人生でなんらかの役に立つことを身に付けて
卒業できるようにしてあげることこそ、大学側の任務だと思います。
それさ押さえれば、いつの時代も、どの教育も、目的は同じとなるはずです。
それを一生懸命やれるかどうかが、そしてできたかどかが、
大学の存在理由であり、存在価値となるのではないでしょうか。」
という返事でした。
皆さんはどうお考えでしょうか。

・ジンギスカン・
本州はそろそろ梅雨の話題でしょうか。
北海道は晴れさえすれば、
すがすがしい、いい季節となっています。
こんないい気候は、外でいろいろ祭りがあります。
大学祭も各地でおこなわれます。
ヨサコイ・ソーラン祭りが、
そろそろたけなわとなってきました。
今週末には最後の審査会があります。
周辺の大学でも一生懸命に練習をしています。
ある大学では、ヨサコイ・ソーランを
授業に組み込んでいることろもあります。
そして、祭りにはジンギスカンがつき物です。
私は、もう外で2回ジンギスカンを食べました。
青空の下で、ジンギスカンもなかなかいいものです。