2005年4月28日木曜日

6_41 地球と環境

 地球環境問題という言葉をよく耳にします。しかし、私は、この地球環境問題という言葉に、いつも、なにか違和感を感じながら聞いています。なぜ変に思うか紹介しましょう。

 「地球環境問題」という言葉をよく耳にします。この「地球環境問題」という言葉の意味は、私たちは漠然と「地球全体にかかわる環境の問題」と考えています。今回は、この「地球環境問題」について考えていきます。地球環境についての問題を、科学的な立場で考えるのではなく、単に言葉の意味についてみていきます。
 「地球環境問題」という言葉を考える前に、この言葉、「地球」、「環境」そして「問題」という3つの単語が修飾し合いながら構成されています。ここでは、単語の意味を順番にみていきます。
 まず、「環境」について調べていきます。調べるといっても、最初いいいましたように、言葉の意味についてく考えていくので、国語の辞書をひいてみることにします。
 私の持っているの辞書は、岩波国語辞典第2版で、1973年に印刷された古いものですが、言葉の意味を調べるのに支障はありません。その辞書によると、「環境」とは、「あるものをとりまく、まわりの状況。そのものと何らかの関係を持ち、影響を与えるものとしてして見た外界」と書いてあります。
 つまり、「環境」とは、「あるもの」を取り囲んではいるのですが、「あるもの」の「外界」にあるのです。「あるもの」に対して、影響は与えるのですが、「あるもの」は含まれないのです。これが、重要な点です。
 この意味をよく理解して、「地球環境」を考えていきましょう。地球環境を、辞書の「環境」にあてはめていくと、「あるもの」が「地球」に限定されているとみなせます。ですから、「地球環境」の言葉の意味は、「地球と何らかの関係を持ち、影響を与える状況やもの」ということなります。これが、環境本来の意味からでてくる解釈となるはずです。
 しかし、すぐ気づかれたように、これは、私たちが使っている、地球環境という意味とは違います。地球環境とは、地球と地球を取り囲んでいる総合的なものというのが、日ごろ私たちが使っている意味のはずなのです。どうも違った意味合いを持っています。
 もし、原意のままで解釈すると、地球に影響を与える地球外ものが環境となります。地球外空間が地球環境となります。規模からいって、地球に影響を与える外界のものとしては、月や太陽、そして他の惑星が代表的な環境様要素と考えられます。しかし、私たちは「地球環境」に、降り注ぐ太陽光は考慮しますが、太陽や月の運行を地球環境として、考えているわけではないようです。どうも原意のまま適用すると、うまくいきません。
 原意をくんで、今使われている地球環境というものになるように、解釈てみるとどうなるでしょうか。地球とは、岩石からできている固体部分を意味していて、固体より外側は、地球に含まれないという意味だとします。このような固体部分を固体地球と呼ぶことがあります。つまり、海洋や生命圏、大気、そして、柔らかい土壌などは、固体地球からしたら外界にあります。つまり環境です。地球環境とは、固体地球より外側のことを意味していることなります。
 固体地球とそのまわりの環境というのも、どうも、こじつけのような気がしてきます。「地球環境」とは、どうも地球表層の自然そのものを意味しているようです。私たちは、地球の表層部分だけ、それも生命、あるいは「人類に深くかかわりのある自然」だけを、「地球環境」と呼んでいるようです。これは、「地球環境」という言葉の原意とは、明らかに違った意味合いを持ってきます。
 もしかすると、「地球環境」には、「あるもの」が別にあるのかもしれません。たとえば、「自分」、「家族」、「自分の会社」、「わが国」、「人類」などがあるような気がします。もしそうなら、地球環境は「ヒトと深くかかわりのある自然」と読みかえられます。
 話を進めましょう。「地球環境」に「問題」ということが付くと、どうなるでしょうか。「地球環境」という言葉が、もし上で解釈した「ヒトと深くかかわりのある自然」のことだということになると、「地球環境問題」とは、私たちが日ごろ使っている意味とは少々色合いが違ったものになってきます。地球環境問題とは、漠然と地球全体の問題というようなものではなく、「ヒトに深くかかわりのある自然」に関する問題ということになります。他の生命、あるいは大気や海洋、あるいは地球全体にとってより、人類にとっての自然が問題にされているということになります。
 ここまで話を進めてきて、がっくり来ませんでしたか。「地球環境問題」とは、何のことはない、人類が、まずは自分たちに良かれと思えるような解決をしたいという、エゴがみえみえの内容になってきました。
 もし「ヒト」が上で言ったように、「自分」、「家族」、「自分の会社」、「わが国」などに置き換えられるとるすと、企業の倫理や京都議定書、環境保護運動、どれもレベルが違うだけで、どれもエゴになるだけで、所詮人類のエゴにひとくくりにできるようなものに見えてきます。
 今のところ残念ながら、「地球環境」という言葉は、善意ある行動として定着してしいます。でも、これがより広い全地球や自然全体に対して配慮されていくことを祈ります。

・PCレター・
新しい試みをするのに有効なソフトウェアに出会いました。
PCレターというソフトです。
私は一人でいろいろE-learnigを試みてきました。
でも、一人では限界があることもあります。
動画、音声などは、なかなか使えません。
大学のストリーミングの配信システムを考えても、
これは、大掛かりのものになって、
個人が気軽にできるものではありません。
でも、このPCレターはそれを実現できるような仕組みを持っています。
もちろん価格も安くなっていくでしょう。
しかし、ソフトはまだ未完成のようで、
他の10数名ユーザには問題なく使えるのですが、
なぜか、私だけが、うまく使えません。
大学では3台、自宅では1台のパソコンで試したのですが、
どこもうまくいきません。
原因はよくわかっていません。
作成者と協力していろいろ試しています。
いいソフトであるだけに、
私のところでうまく動かないのが残念でなりません。
このソフトは、北海道の浦河在住の電気屋さんが開発したソフトです。
詳しく言うと長くなりますので、
別の機会にしましょう。
興味のある方は、次のURLをご覧になってください。
http://pcltr.com/blog/

・ゴールデンウィーク・
ゴールデンウィークの予定はどうなっていますか。
休みの日が、前半と後半に分かれています。
一日でも休みが取れる人は、1週間近い休みとなります。
私は、前半の休みを調査に出かけます。
函館、松前のある道南をめぐります。
例によって家族連れです。
天気が心配ですが、28日の午後から出かけます。
後半は、家族でいろいろやろうかなと思っていたのですが、
どうもコンピュータの調子が悪いようなので、
再フォーマットをしなければならないかもしれません。
ソフト、データ、ネットワークの再構築には、
2、3日かかるかもしれません。
また、ダウンロードで購入したソフトは、
もしかするとトラブルを起こすかもしれません。
ですから、再構築後もどうなるかわかりません。
平日は講義がありますので、
講義用サイトの更新、
eメールによるレポートが大量に送信され、
それに対して返事を書かなければなりません。
ですから、もしメインのコンピュータがダウンすると
おおごととなります。
今も不調ですが、まだ、だましだまし使っている状態です。
しばらく格闘が続きそうです。

2005年4月21日木曜日

4_56 恐竜展2:恐竜展2005

 春休みに、東京で2つの恐竜展を見に行きました。2つ目に訪れたのは上野にある国立科学博物館でおこなわれている「恐竜博2005」でした。今回は、「恐竜博2005」を紹介しましょう。

 ティラノサウルス(Tyranosaurus)は、暴君とうい意味のティラノとトカゲとうい意味のサウルスという言葉を合わせてつけられた名前です。1905年に最初に記述されて、今年がちょうど100年目となります。そんな2005年にティラノサウルの中でも、もっと有名な標本である「スー(Sue)」というニックネームでよばれる化石が、日本で展示されることになりました。上野にある国立科学博物館でおこなわれている「恐竜博2005」が、それです。
 恐竜展2005の目玉の展示は、なんといってもティラノサウルス・レックスの「スー(Sue)」です。スーはアメリカ合衆国のシカゴにあるフィールド博物館が、紆余曲折をへて、入手して、展示しているものです。
 実物標本は、門外不出ですが、今回初めて実物標本が、一点(肋骨)だけですが、貸し出されました。また、アメリカではすでに公開されていたのですが、全身骨格の複製も、今回が日本初公開となります。「恐竜博2005」は、遠いせいでしょうか、北海道では宣伝されていませんが、地域によっては、いろいろなメディアで紹介されているのではないでしょうか。
 なぜ、この標本がすごいのかというと、実物化石として見つかった比率のためです。普通多くの動物化石は、断片や破片、よくても一本という形状で見つかるものが大部分です。まれに、いくつかの骨がくっついていることがあります。それは、ごくまれなことです。
 もちろんティラノサウルスの化石も、例外ではありません。一部しか見つからないがの普通です。ところが、この「スー」と呼ばれている標本は、もともとあった骨の90%以上が見つかっているのです。ほとんど丸ごと残っていると言っていいほどの率です。
 この化石の発見によって、新たなティラノサウルス像がいくつも作り上げられました。
 骨をスライスして年齢とともに成長してく様子をみていくと、スーは28歳まで生きてていたことが分かりました。また、10歳から20歳の間には、急速に成長して、最大では1年間で767kgも体重を増やしていたことがわかりました。そして、5トンの体重にまでなっていたことが推定されています。
 頭骨のCTスキャンから、臭いを感じる知覚神経の部分が非常に大きかったことがわかりました。その結果、スーの嗅覚は非常に発達しており、臭いで獲物を探していたと考えられます。
 骨のデータを用いたシミュレーションから、走るスピードが推定されます。時速20km程度であったと考えられています。しかし、体の大きさからすると、非常に敏捷だといえます。
 また、スーは体のあちこちに傷を負ったり、骨折していたところが治ったり、関節炎などの病気になっていたことなどが、骨に残された跡からわかります。これほど、傷を負いながら活きてきたということは、スーはかなりの老齢であったということが、現在の肉食野生動物から推定できます。ということは、ティラノサウルスの平均的な寿命が30歳程度であろうと考えられます。
 この「恐竜展2005」では、スーが目玉ではありましたが、「恐竜から鳥への進化」を最新の情報で紹介することが目的でした。1990年代から2000年代にかけて、多くの羽毛の生えた小型の恐竜化石が発見されました。これらの化石は、それまで考えられていた、恐竜が鳥類へと進化していったという説を証拠付ける重要なものとなってきています。
 科学博物館の展示はオーソドックスです。音声ガイドの貸し出しもありましたが、標本とそれを効果的に見せる演出、そしてパネルとラベルというごく普通に博物館でおこなわれている展示手法です。案内者はいなかったですが、実物の迫力が十分伝わってきました。それは大人だけでなく、子供にとっても同じだと思います。多くの子供が歓声が、それを、物語っています。恐竜は、いつの時代でも、子供たちのヒーローなのですね。

・かはく・
国立科学博物館は、通称「かはく」と呼ばれます。
私は、新館の一部できたときに、一度見学に行っていますが、
新館が全部が完成してからは、初めての見学となります。
実物標本の充実は、さすが国立科学博物館だと思わせるものがあります。
そしてなんと言っても規模が大きく、集客力があります。
古い展示場を知っている私には、いいところや悪いところが、
いろいろ見えました。
でも、新しくなったことによって、
私も常設展が初めての見学となり、楽しめました。

・スー・
ティラノサウルスの「スー」については、
いろいろな事件がありました。
発掘、クリーニングをおこなった民間研究所と
訴えた土地の持ち主、インディアンのスー族、
押収したFBI、いろいろな立場の古生物学者など
さざまな人が入り乱れ、
泥沼のような事件が起こりました。
最終的には、オークションに出されて、
フィールド博物館が競り落としました。
10億円という高値がつきました。
そのような高価なものは、
門外不出にしてもおかしくありません。
それも、やはりスーがあまりにも立派な
標本であったからでしょう。
そのいきさつは、もっとも詳しく、当事者でもある
ピーター・ラーソンとクリスティン・ドナンの著で
「SUE スー 史上最大のティラノサウルス発掘」
(ISBN4022500107)
に書かれています。
私は、現在、読んでいる最中です。

・恐竜が残った・
私たちは家族で、「恐竜展2005」に行ったのですが、
春休みなので、混雑がするだろうなと予想して、
平日を選びました。
なおかつ、9時開館なので、8時半頃にはいきましたが、
当日は天気もよく、長い行列ができていました。
午前中に特別展を見終わり、午後からは常設展をみました。
「かはく」の新館は、地下3階から地上3階まであります。
子供が興味をもちそうな階を順に見ていき、
2階は疲れて見ることができませんでした。
前日に見たも一つの恐竜の展示の疲れもあったのか、
この日も、へとへとに疲れてしまいました。
しかし、移動距離が短かったのと、
早めに見終わったので、ホテルで夕食前に一休みできました。
今回は、博物館だけを見ていたので、
疲れたのですが、いろいろな標本が頭にこびりついていました。
また、子供向けに化石のレプリカつくりもできました。
子供たちは、恐竜で頭をいっぱいにして
思い出も一杯にしてきたようです。

2005年4月14日木曜日

4_55 恐竜展1:Dinasur Factory

 春休みに、東京に出かけて、2つの恐竜に関する展示を見てきました。ダイノソア・ファクトリーと恐竜展2005です。今回はダイノソア・ファクトリーを紹介します。

 林原科学博物館は、林原(はやしばら)という民間企業が、モンゴルのゴビで恐竜化石の発掘を長年にわたって続けています。これは営利を目的としない学術調査です。さらに多数の研究者を常勤職員としてやとって、10年以上かけて発掘成果を博物館として展示しようと考えています。林原科学博物館は、岡山駅前にできる予定で、現在準備されています。発掘の成果は上がり、博物館の準備は着実に進んでいます。
 準備の一環として、今回、パナソニックと共同して、東京の有明で、収集された標本がダイノソア・ファクトリーとして展示されてます。聞くところによると、展示のスタッフの研修もかねているようです。
 林原の持っている恐竜の標本と、パナソニックのもっている技術デジタル・ネットワーク技術が連動した展示となっています。
 私は、昨年夏、岡山で学会があったとき、準備中の林原科学博物館を見学することができました。説明では、主な標本はダイノソア・ファクトリーに行っているということでした。まだ化石を掘り出し(クリーニング)中のものがあって、それを見学したのですが、すごい標本がいくつもあったので、そのとき見れなかった標本を見てみたいと思っていました。それが東京に出かけた理由でもありました。
 さて、この展示を見た感想ですが、標本は予想通りに立派なものでした。貴重で、驚き、楽しめる標本がいろいろありました。子供連れで行ったのですが、子供でも楽しめるものでありました。そのひとつにFACTスコープというものがあり、子供は楽しんで使っていました。
 FACTスコープは入る時に渡され、首からかけます。そしてまず使い方の説明を受けます。これは携帯情報端末(PDAと呼ばれる)で、液晶画面と耳につけたヘッドホーンから説明がなされます。FACTスコープは、決められた場所にかざすことによって、その場で必要な情報が読み込まれて、ヘッドホーンからは音声が、FACTスコープの液晶では画像などの情報が示されます。
 これは、ユビキタスと呼ばれるネットワークシステムのひとつです。FACTスコープを利用することで、欲しい情報をネットワークから取り出せるようにすることを目指したものです。
 この最先端のユビキタスを目指したものは、どうも私にはもの足りませんでした。最初のうちは真新しくて、決められた場所に行くたびにFACTスコープを近づけては聞いていました。しかし、あまりにも説明が長く、自分の進むスピードと合わないので、データは読み取るのですが、やがて半分も聞かなくなりました。もちろん興味のあるところは、一生懸命に聞くことになります。でも、後半になって疲れてくると、ついつい聞き逃すことになってしまいます。すると、最初から聞かなくてはならなくなり、つらい時もありました。いっそ、きっちりとした説明パネルがあった方が、私には、もっと早く情報を得られたと思いました。
 でも低年齢の子供には、文章と図だけでは難しいようです。文字はラベルで名前を読むことがせいぜいです。子供にはそれがやっとのようです。ですから、FACTスコープのような道具を使って、子供でもわかりやすい説明が有効だと思います。
 うちの子供だちを眺めていると、このような装置を持ち、扱うことが面白く、最初の2、3箇所では、一生懸命説明を聞いていました。しかし、後になるほど、FACTスコープで情報を読み込み、FACTスコープの液晶画面を操作することに興味が行っていたようです。一種のゲーム感覚になっていくようです。
 子供たちが、最後まで興味を持ち続けたのは、実物標本と案内員との会話でした。道具は所詮脇役です。情報すら脇役で、過剰にあると必要のない、わずらわしいものにもなります。必要なときに、必要なだけ見られる工夫がもう少しあるといいと思います。恐竜を見に来た人には、恐竜を存分に見せること、そして足りない部分は人が補うこと、これに勝る展示手法はないと思いました。
 ダイノソア・ファクトリーにケチをつけたようですが、真意はそうではありません。ここの展示はすばらしく、案内員も親切でした。ですから、いい展示だったと思います。ただ、ほめるばかりが能ではなく、よくなかった点も指摘しておくべきでしょう。ですから上のような感想を書きました。お近くのかた、東京に出かける予定のある方、ぜひご覧になってはいかがでしょうか。すばらしい展示と、先端のIT技術、それらのコラボレーションをお楽しみになっていかがでしょうか。

・北海道の春・
東京には、3月30日から4月1日まで滞在しました。
桜のつぼみも少しほころびかけてきた頃でした。
海沿いの有明をうろうろしていたときは、
曇りで、風も強かったので肌寒かったです。
北海道より暖かいだろうと薄着をしてきたので、
少々寒く感じました。
東京は、もう葉桜となっているでしょう。
北海道では、桜はまだまだです。
今は、雪解けの真っ最中です。
ふきのとうが顔を出し始めたばかりです。
でも、太陽さえ出れば、春めいた暖かい日となります。
大学の若者たちは薄着です。
冬でも薄着なのですから、
もうジャンバーの下は、半袖のTシャツ
といういでたちのひとも見かけます。
私は、今でも厚手のジャンバーを着ています。
もちろん厳冬期の一番寒いときのものではないですが、
本州の冬に着ていたものです。
私は朝型の生活をしていますから、
朝6時頃には自宅を自転車で出ます。
曇りで風でもあると寒くなります。
ですから、いまだに厚着をしています。
もしかしたら、加齢によって
寒さに対する抵抗力がなくなったためでしょうか。
もしそうなら、上の言は、すべていいわけですね。

・都会では・
私たちは北海道の町外れに住んで、もう4年目になります。
もうすっかり田舎暮らしが身についてきました。
近頃では、札幌の町さえ大都会に思えます。
今回、東京で3日間、うろうろしました。
小さな子供づれだったので、
余裕を持って行動していたのですが、疲れました。
初日は、札幌-東京の飛行機での移動、
ダイノソア・ファクトリーの見学、
子供たちの大好きなLEGOの店で買い物、
そして上野のホテルへ
という行動でした。
いつもにない行動量となりました。
思っている以上に歩いていることもあるのでしょうが、
やはり人の多さ、あわただしさに、疲れました。
初日、ホテルに着いたときは、
家族全員へとへとになっていました。
食事をとるために、外に出ることもできず、
コンビニへ、私が弁当を買いに行く羽目になりました。
さて、一番の問題は、
子供たちに恐竜が思い出として、
心に残ったのでしょうか。
それとも、疲れた記憶でしょうか。
あるいは、おもちゃのLEGOの記憶でしょうか。
親としては恐竜であって欲しいのですが。

2005年4月7日木曜日

5_41 時代境界3:大絶滅

 連続して時代境界について考えています。今回は、その最後として、大絶滅について考えていきます。

 現在の地質学は、他の自然科学と同様に、証拠主義です。証拠のない説は、仮の説「仮説」に過ぎず、科学的には完全に認知されません。逆にどんな常識はずれの理論や法則であっても、証拠があれば、理論として成立します。その証拠を説明する他にも理論があるでしょうから、他の理論との競争に勝てば、その理論は普及し、常識となっていくでしょう。
 このような転換は、科学の歴史においていくつかありました。コペルニクスの地動説、アインシュタインの相対性理論、量子力学、プレートテクトニクスなど、従来の常識を覆すものが、いくつか出てきました。そして、それらの非常識な理論は、今や常識となったのです。
 このように「証拠」と「理論」がそろっていれば、科学として認知しやすいのですが、そうではないものも科学にはたくさんあります。たとえば、証拠があるのに、因果関係、規則や論理がよくわからないものもあります。そのような例としてあげられるのが、大絶滅と時代境界ではないでしょうか。
 ある生物種やある地域の生物群が絶滅したということが化石からわかったとしましょう。その場合、ある生物種が絶滅したということは、化石による事実が「証拠」となります。そして絶滅の原因は何かを明らかにすることが「理論」となります。
 その生物が絶滅した原因としては、生存競争、環境変化、病気などいろいろなものが考えられます。ある地域の生物群の絶滅の原因としては、環境変化などが考えられます。もし、その原因として何らかの証拠が地層中から見つかれば、「理論」として原因がわかり、完結します。
 絶滅が全地球的で多様な種に及ぶとき、その原因を考える場合も同じように考えなければなりません。しかし、大絶滅となると、なかなか一筋縄でいかないのが、実態です。それは、証拠が多すぎるためです。
 大絶滅とは、多種多様の生物種が絶滅することです。それが化石で確認されているわけです。そして、それらのうち一部が何故か生き延びて、今日の多様な生物種を構成しています。それらをすべて説明しなければならないのです。
 大絶滅の原因が地球全体の環境変化だとしたら、広い地球ですから、どこかに逃げ延びられる環境が存在するでしょうし、現に一部の生物が生き延びています。そのようなシェルターのような環境、あるいは生き延びるすべも考慮に入れなければなりません。そうなると、いろいろな説が出てきて、どの説もある証拠は説明できるが、他の証拠は説明できないというジレンマになってきます。
 このような中で、白亜紀の第三紀の境界(K-T境界と呼ばれます)の大絶滅だけは、理論として広く認知されています。隕石の衝突によってK-T境界の大絶滅がおこったということは、地質学者だけでのなく、多くの人も知っていると思います。隕石衝突を多くの地質学者が信じているのは、もちろん隕石衝突を示す証拠が多数見つかっているからです。他にも隕石衝突という突発事件に呼応した化石の証拠も見つかっています。
 隕石衝突説は有力です。しかし、K-T境界の大絶滅のすべての証拠を、隕石衝突説で説明しているかというと、必ずしもそうではありません。
 なぜ、爬虫類を中心とした陸上生物だけでなく海洋の生物の多数絶滅したのに、ある種の海洋生物が生き延びたのか、鳥類、哺乳類、一部の爬虫類、被子植物などの陸上生物が生き延びたのか、総合的な説明はなされていません。
 これほど有力な大絶滅ですらこの状態ですから、他の大絶滅については、いろいろな説があり、どれも一長一短を持っています。
 時代境界も、化石の証拠だけでなく、地層の岩石種の変化、積み重なり方の変化という証拠から、時代境界が設定されます。その変化が何によるものかはわからなくても、時代境界は決めることができます。証拠をもとに時代境界が決められますが、その境界がなぜできたのかは、十分解明されてないことがあます。つまり、理論がない仮説だけの状態です。
 時代境界は、まず証拠ありき、の状態で学問が進んでいます。そして、その時代境界に何が起こったのかは、現在、少しずつ解明されています。それらの謎が解明されれば、大絶滅の謎も解けるかもしれません。しかし、全貌の解明には、まだまだ時間は必要なようです。

・自然の複雑さ・
Tomさんの質問に答えなが、この3回のエッセイをまとめました。
なかなか難しい問題であることが、自分自身で確認できました。
時代境界とは、時間の区切りを、
地層という物質でつけようとしています。
そこに化石という生物由来のものを持ち込んでいます。
このように尺度、あるいは次元の違うものが入り組んでいるので
時代境界というものが煩雑になっているのでしょう。
しかし、それが自然の複雑さを反映しているのかもしれません。
もし簡単にわかれば、自然は薄っぺらなものになってしまうかもしれませんね。
まだまだ埋もれている化石はたくさんあり、
恐竜の新しい化石が新聞記事として目にとまります。
これでなくては、面白くありません。
地球は科学者だけでなく、多くの人にも
まだまだ神秘を残しているくれているのでしょう。

・いよいよ4月・
春休みも終わり、4月になりました。
本州では桜の季節でしょうか。
北海道は雪解け中で、桜はまだ先です。
しかし、学校は新入生を迎えて、
あわただしくなってきました。
受け入れる側は、心引き締まる思いをして迎えています。
そんなあわただしさの中で、このエッセイを書きました。