2005年3月17日木曜日

1_43 古生代5:バリスカン造山運動(2005年3月17日)

 前回の地質時代シリーズでは、古生代のカレドニア造山運動について紹介しました。今回は、古生代のもうひとつの大きな造山運動である、バリスカン造山運動について紹介します。

 バリスカン造山運動は、イギリスやフランスではヘルシニアとも呼ばれています。バリスカンという名称は、ドイツに住んでいた民族名バリスケル(Varisker)に由来しています。一方、ヘルシニアンは、ドイツのHarz山地(herzynisch)に由来しています。
 バリスカン造山運動は、カンブリア紀から石炭紀かけての活動で、石炭紀には地層の変形・変成作用、花崗岩の貫入などの変動がおこりました。カレドニア造山運動よりは少し後ですが、時期的には重なります。
 バリスカン造山運動によってできた地帯は、チェコ西部、ドイツ中央部、ベルギー、フランス北部、イギリス南端部に広がります。連続しないのですが(大きく曲がっている)、イベリア半島でも見られます。ドイツ中央部が、典型的な地域(模式的地域)とされています。
 バリスカン造山運動は、オルドビス紀からシルル紀にかけて大陸が分裂して、海が形成されれることから始まりました。できた海は、リーク海と呼ばれ、その後も拡大していきます。カレドニア造山運動によって、それまであったイアペタス海(古大西洋とも呼ばれます)という大きな海が、大陸同士の衝突でシルル紀末に消えました。
 大陸は、北側に旧赤色砂岩大陸(ローレンシアとバルティックの2つの大陸)、南側にゴンドワナ大陸(中央ヨーロッパ大陸とも呼ばれます)に分かれました。
 デボン紀初期には、海洋の地殻は、北側の大陸に沈み込みはじめました。沈み込み帯の周辺には石炭紀後期まで堆積物がたまりました。また一部の海洋地殻は大陸に持ち上げられました、やがて、分かれていた大陸は、石炭紀に再び衝突しました。この大陸が、やがては今度紹介する超大陸パンゲアとなっていきます。
 激しい造山運動は、地球の表層に大きな環境変化をもたらしました。海ができたり、なくなったり、巨大な山脈ができたりするのです。このような運動は、ゆっくりした変化ですが、生物の進化や生態系に大きな影響を与えたはずです。
 大陸の分裂で海ができ、大きな海洋とつながることによって、生物は大きな環境を手に入れることになります。一方、海がなくなるということは、海でしか生きられない生物にとっては、絶滅を意味します。しかし、造山運動は、ゆっくりした変化ですので、進化をする猶予はあったかもしれません。
 カレドニアン造山運動の終わりともいえるイアペタス海の消滅(シルル紀末)は、因果関係が定かではありませんが、化石から生物の進化がいくつも読み取れます。シルル紀に空気呼吸が可能なサソリ類の進化してきます。シルル紀末には、最初の陸上植物(維管束植物)が見つかっています。デボン紀には、最初の森林が形成されます。森林は、ソテツシダ類、シダ類、トクサ類、鱗木類などで構成されていました。また、淡水魚、最初昆虫化石(ライニユラ)、最初の両生類(イクチステガ)など陸上生活に適応した生物が進化してきました。
 バリスカン造山の終わりのリーク海の消滅(石炭紀後期)では、完全な陸上生活ができる原始的ハチュウ類や多様な昆虫類、クモ類、カタツムリ類、サソリ類、ゴキブリ類の出現しました。低湿地帯では巨大樹木の森林(鱗木)や裸子植物である針葉樹の出現しました。
 どうも古生代の2回の造山運動は、生物の進化に大きな影響を与えたようですね。

・春の日差し・
北海道も、めっき春めいてきました。
もちろん朝夕は冷え込みますし、雪も降ります。
しかし、天気のいい日中に、
窓からさしこむ陽射しは、春のものです。
冬の寒さに肩を怒らせていたのが、なんとなく緩みます。
そして春のけだるい眠気が襲いそうです。
日一日と春の気配が強くなります。
でも、雪解けのびちゃびちゃ道を
覚悟をしておく必要がありますが。

・私立大学の生き残り策・
大学の入試は一段落を迎えました。
何処も同じかもしれませんが、学生数の減少によって、
入学者数の低迷が続いています。
わが大学も、予断を許さない状態です。
この逆境ともいえる時期に、
多くの大学は変わる努力するはずです。
しかし、困ったことに、理想と現実、大学側と受験者側、
大学と高校生の父母の思い、なかなか一致はしません。
一致した大学が生き残るのでしょうかね。
そうともいい切れにところがつらいです。
もちろん、大学全部が滅ぶことはありません。
社会にとって大学教育は不可欠ですから。
したがって、いくつかの大学のいくつかの学部学科は存続するはずです。
そのような存続する大学は社会的需要に対して
敏感に対処したからでしょうか。
一部の大学はそうでしょうが、
国公立、一流と呼ばれている大学はそうとは限りません。
弱小私立大学はこの逆境を利用して、
今までの奢った姿勢、今までの組織や人材の不備、過去の栄光など
虚飾をかなぐり捨て、手を入れらるところはすべて手を入れて、
生き残る努力をすべきでしょう。
しかし、成功の保証がないギャンブル的改革を
進めていくのはなかなか大変です。
しかし、そんな局面を多くの私立大学が向えているのでしょう。