2005年2月17日木曜日

4_53 種子島1:海洋底の岩石

 屋久島に行った後、1月8日から11日まで種子島にいきました。実質、2日半見て回ることができました。北部は見ることができませんでしたが、中部から南部を見て回ることができました。種子島の様子を紹介しましょう。

 種子島は屋久島とは近いところにあるのに、だいぶ趣が違っています。屋久島は丸い円錐形をしているのに対して、種子島は細長く南北に伸びた(幅5~12km、長さ72km)のっぺりとした平たい島(最高標高282m)です。
 屋久島は花崗岩の周辺に堆積岩が少ししかないのに対して、種子島はほとんど堆積岩からできています。しかし、両島の堆積岩には、四万十層群に属するものですから、似たような性質の岩石からできています。ただし、屋久島では熊毛層群(古第三紀中期)だけでしたが、種子島では、熊毛層群だけではく、もっと新しい茎永層群(新第三紀中新世)、増田層(鮮新世)、長谷層(以下すべて第四紀)、竹之川層、形之山層やローム層が分布しています。新第三紀終わりから第四紀前半にかけて、海進・海退が繰り返され、段丘地形が形成されています。
 四万十層群の中でも私が面白く思ったのは、枕状溶岩が種子島の西海岸と、屋久島の東海岸に見られることです。枕状溶岩とは、玄武岩のマグマが水中で噴出すると、マグマの表面が急に固まってできたものです。そのようにして固まった溶岩の形が、まるで枕のような形をしているので、枕状溶岩と呼んでいます。急に固まった岩石の中には、マグマがまだ固まらずにあります。マグマが後ろから押されていくと、やがて固まった岩石の殻を押し破って噴出します。それは水中なので、同じようにマグマは固まっていきます。水中での玄武岩のマグマこのような繰り返しをしながら、水中噴火をします。結果として、多くの枕が積み重なったような形状の溶岩となります。
 こんな枕状溶岩が、屋久島と種子島の堆積岩の中にあるのです。それも、枕状溶岩が大きな塊として堆積岩の中に紛れ込むようにしてあります。これは考えると不思議なことが起きていることがわかります。堆積岩とは陸から運ばれた土砂が海底にたまったものです。一方、枕状溶岩は海底の火山でできたものです。海底での火山とは中央海嶺や海山など、陸から遠くのマグマの活動でできたものです。それが、陸近くの堆積岩の中に紛れ込んでいるのです。
 起源の違ったものが、混在しているのは、不思議です。日本列島を構成する基本的な地質構造が、そこにあるのです。
 四万十層群は、陸と海溝の間の大陸棚でできたものです。海溝とは、海洋プレートが沈み込む場所です。沈み込み帯では、海洋プレートに押されて陸から来た堆積物が列島側に押し付けられています。さらに、海溝に沈みこめなっかた海の岩石の破片も、陸側に付け加わることがあります。このようにしてできた堆積物を付加体とよんでいます。
 付加体の中には、海底での地すべりや断層などによって、陸側の地層に海側の岩石が潜り込んだり、押し込まれることがあります。それが、今回見た枕状溶岩の正体だったのです。断層が形成されるときには地震が発生します。ですから、日本列島のように沈み込み帯は地震が多いのです。
 南の島で、古い時代にさらに遠くの海から運ばれてきた石を見ました。そこに、地球の営みの雄大さを見つけました。

・これも種子島・
種子島は、のっぺりとした島でした。
南の島ですから暖かいと思ったのですが、
強い季節風と寒波の影響で
非常に寒い思いしました。
とまった旅館のおばさんも
「もっと暖かいと思ったでしょう」
と同情されていました。
でも、冬ですから、仕方のないことです。
これも、種子島なのです。

・砂鉄・
種子島は堆積岩でできているせいでしょうか、
浜辺ごとに砂の様子が違っています。
砂鉄が波の作用で濃集しているようなところがいくつもありました。
鉄浜(かねはま)海岸という地名があり、
そこでは古くから砂鉄をとっていたため、
このような名前がついているようです。
もちろん今では砂鉄をとるようなことはなくっています。
ですから、たくさんの砂鉄が濃集しています。
鉄浜海岸で、私は砂鉄を採取しました。