2004年11月25日木曜日

3_36 地殻をつくる岩石:サブダクション・ファクトリー1

 大陸の岩石は、日本列島のような火山列島でつくられていることがわかってきました。そのような列島の下でおこっているプロセスをサブダクション・ファクトリーとよび、工場に見立てて解明されてきつつあります。そんな大陸地殻製造工場について見ていきましょう。


 地球の表面は、地殻と呼ばれる岩石からできています。地殻をつくっている岩石は、場所によって違っています。それこそ、さまざまな岩石があります。しかし、大局的に見ていくと、いくつかの特徴的な岩石からできています。
 地殻の岩石は大きく分けて2種類の岩石からできています。海洋地域の岩石と大陸地域の岩石です。それぞれ見ていきましょう。
 海洋地域の岩石は、海洋底をつくっているものです。深海ですので、なかなかその岩石を見ることはできないのですが、深海を掘削する調査船が、世界各地の深海の岩石をボーリングしてくりぬいてきました。その結果、海洋の岩石の様子がわかってきました。
 深海底をつくっている岩石は、表層近くでは玄武岩と呼ばれる岩石からできていることがわかりました。玄武岩とは、火山岩の一種で、黒っぽく緻密な岩石です。日本列島にも玄武岩の火山岩が見つかります。富士山や伊豆大島の火山では、玄武岩を溶岩として噴出しました。
 日本列島の火山岩と海洋底の岩石との違いは、列島の火山がある限られた場所(火山)で玄武岩ができるのに対して、海洋底ではどこを掘ってもすべて玄武岩でできている点です。
 海底で噴出した溶岩ですので、水の中で噴出してきる枕状溶岩とよばれる形をしていますが、すべて玄武岩という種類の岩石からできているのです。それは、海洋底の玄武岩は、中央海嶺というところでの火山活動によって、玄武岩ができます。常に中央海嶺では新しい玄武岩ができています。中央海嶺から離れるにしたがって、玄武岩の年代は、古くなっていきます。そして、一番古い玄武岩は海溝近くにあり、もっと古いものは海溝の奥に潜り込んで消えていきます。ですから、2億年より前にできた玄武岩は、海底にはほとんど残されていません。これは、プレートテクトニクスという考えにつながるものであります。
 海洋底の岩石は、表層近くでは玄武岩ですが、深くなるにつれて、玄武岩の性質が変わってきました。もともとのマグマは玄武岩をつくるもので一緒なのですが、深くなるとともに、よりゆっくりと冷えてできるつくりになっていきます。玄武岩からドレライト、斑レイ岩へとより大きな結晶からなるつくりへと変化していきます。
 さらに深くなると、違ったタイプの岩石になります。マグマ溜まりの中で早くできた結晶の中で、重いものが沈んでできる岩石(沈積岩とよばれます)となります。岩石としては、かんらん岩と呼ばれるものになります。これは、マントルをつくっている岩石と同じもので、このような岩石があらわれると、そこから下はマントルという区分になります。
 つまり、海洋底の岩石は、新しい時代にできた玄武岩の仲間からできているということになります。
 一方、大陸の岩石は、海洋の岩石とはかなり違っています。ひとつは、大陸の岩石が多様であるということです。多様さは、岩石の種類だけでなく、岩石が形成された年代もいろいろであるということです。種類が多様であるというのは、いろいろなでき方をした岩石があるということです。
 中でもいちばん多いのが花崗岩の仲間です。花崗岩はマグマがゆっくりと冷えて固まった深成岩というものです。多様な岩石が砕けて海底で溜まり固まった堆積岩、そして多様な岩石が地下深部で変成作用を受けてできた変成岩などが、多様性をさらにまします。
 大陸地域は多様な岩石でできているのですが、その化学成分を平均化すると、ある岩石に似たものとなります。深成岩の分類ではトーナル岩と呼ばれ、火山岩の分類では安山岩(正確にはカルクアルカリ質安山岩と呼ばれます)というものに似ています。これは、単に似ているだけでなく、そのような岩石が実際にあることも重要です。
 さて、少々長くなりました。続きは次回としましょう。

・サブダクション・ファクトリー・
サブダクション・ファクトリーというアイディアを
最初に出されたのは、巽好幸さんです。
それは、沈み込み帯でのマグマの起源を
調べていくうちに生まれてきたものです。
沈み込み帯の典型的な場所として、日本列島があります。
そして日本列島に住む研究者から、
列島の火山について新しいアイディアを出すことは
非常に筋の通ったことです。
しかも、これまでごく当たり前だと思われていたことに、
実は大きな秘密か隠されていたのです。
それを思いついた巽さんが偉いということです。
大陸地殻の平均的な化学組成が海洋底の玄武岩や
マントルのかんらん岩に比べて、
珪酸(SiO2)に富んでいること(SiO2の量で60wt%程度)は、
多くの研究者は知っていました。
しかし、そこから話は深まっていきます。
そのような組成の火山岩は、
沈み込み帯で特有、つまり沈み込み帯によくある
安山岩(カルクアルカリ安山岩)であったことが判明してきました。
同じ成分のものが同じでき方でできるという保障はどこにもありませんが、
あえてそれを前提とすると、
列島の沈み込み帯でのマグマの作用で
大陸地殻の生成が行なわれているのではないかというのが、
巽さんの発想です。
その発想を論証する過程で生まれたのが、
サブダクション・ファクトリーというアイディアでした。
そして、それは、ゼロ・エミッションの工場であるということが
わかり始めてきました。
巽さんの研究は面白そうです。
目が離せません。

・冬は間近・
北海道は寒くなってきています。
北海道の各地のスキー場ではオープンのニュースが出ています。
しかし、私が住む札幌近郊では
まだ雪があまり降りません。
10月下旬に積雪があって以来、
ぱらぱらと降ることがあっても
積もることは、まだありませんでした。
でも、冷え込みが続いています。
そろそろ雪の季節になるでしょう。
いよいよ冬となりました。
風邪がはやっているようです。
私も咳がなかなか抜けません。
皆さんお大事にしてください。

2004年11月18日木曜日

4_50 支笏湖再訪:樽前山の溶岩ドーム

 10月下旬に支笏湖に出かけました。紅葉真っ盛りでしたが、積雪に見舞われました。

 10月上旬の道北に続いて、支笏へも再訪しました。昨年の11月中旬に訪れた支笏湖は、雪のために、あちこちが閉鎖されていて、残念な思いをしました。ですから、今回は早めにと思い、10月下旬にでかけて、目的を果たしてきました。
 今回の一番の目的は、樽前山の溶岩ドームを近くで見ることでした。札幌あたりからも、樽前山の溶岩ドームの形は目立っているため、すぐに見分けられます。
 この特徴のあるドームを間近に見るには、樽前山の火口の縁まで上がることになります。以前はドームのある中央火口丘の裾野の噴気孔まで行けたのですが、今では火山活動が活発なために、火口内は立ち入り禁止となっています。
 私も火口縁からドームを見るために、登山道を登りました。土・日曜日、1泊で出かけたので、天気のいい日に樽前山に登ることにしていました。1日目は雨で、途中から雪になってきましたので、あきらめて支笏湖の周辺を見学しました。2日目は、初雪で樽前山も真っ白になっていました。でも、天気も良くなってきたので、登ることにしました。同じような思いなのでしょうか、多数の登山客がいました。
 樽前山は登山道がしっかりしているので、登ることにそれほど問題はありません。長靴を履いて、雪の中を出かけました。7合目まで車でいけますので、そこから登山道を2.5kmほど登ると火口縁につきます。天気は晴れていたのですが、風が強く、火口縁でかなり寒い思いをしました。
 溶岩ドームのその異様な形状と存在感には、寒さも忘れて圧倒されました。この溶岩ドームは、直径1.2kmから1.4kmの火口の中にどっしりと存在します。溶岩ドームは、最大直径450m、高さ150m、頂上部が平坦で鏡餅のような形をしてます。1909(明治42)年4月17日夕方から19日夕方にかけて、たった2日でできたドームです。がさがさした安山岩の溶岩(アア溶岩とよばれます)で、中には大きな斜長石の結晶を含んでいます。
 樽前山は支笏火山の一部です。支笏火山は、4万年前に大噴火(破局的噴火とよばれます)によって支笏カルデラができました。樽前山は、風不死(ふっぷし)や恵庭山とともに、支笏カルデラができたあとに活動した火山です。
 樽前山は9000年ほど前から活動をはじめ、何度かの休止期をへたのち、1667(江戸時代の寛文7)年に、樽前山では最大の噴火をします。古文書によれば、その噴火の音は、遠く青森県でも聞こえたそうです。火山噴出物も多く、苫小牧では2mもの厚さになりました。また、1739(元文4)年にも大噴火し、大量の火山噴出物を放出し、現在の火口をつくりました。最近では、1981年に小噴火をしました。その後は噴火をしていませんが、噴気が激しく、火山性地震が頻繁にあるために、噴火の危険性があると考えられています。
 今回の支笏湖周辺では、コケの洞門とオコタンペ湖を訪れました。
 コケの洞門は、1667年の樽前山の噴火によって発生した火砕流が熱いまま堆積し、固まった(溶結凝灰岩とよばれる岩石)ものが、侵食によって沢になり、そこにコケがびっしりと生えたところです。今では落石のために奥まで入れませんが、入り口には見学の台が設けられています。
 オコタンペ湖は、3万年前の恵庭山の火山噴出物が川を堰き止めてできた湖で、支笏湖より300mも高いところにあります。そこから、オコタンペ川として急な滝として支笏湖に流れ込んでいます。
 紅葉と雪の支笏で、火山を見学してきました。火山を間近に見ると、自然とはけっして同じものがずっと維持されているのではなく、変化も自然の中では、重要な役割があることを痛感させられます。

・初登山・
支笏湖へは、いつものように家族で出かけました。
4歳の次男が上まで登れるかどうか心配だったのですが、
休み休み登ったので、なんとか火口縁にたどり着きました。
昨年も樽前山の看板のあるとことまでは登ったのですが、
次男には無理そうなのでそこでやめていました。
でも、今年は何とか上までいってみようと挑戦しました。
周りの登山客は、小さい子供が登っているのでびっくりしていましたが、
山登りは、自分のペースでゆっくりと行けば、
特別難しい山でない限り、登れるはずです。
重要なのは、上にいきたいという気持ちを
上につくまで持続できるかどうかです。
家内は、狭い急な登山道を
長男がちょろちょろしながら登るので気が気でないのと
自分自身が高所恐怖症なので、一番怖がっていました。
火口縁で私が撮影している間、
家族はおやつを食べ、飲み物を飲んで休憩していました。
残念ながら、風が強く、体感温度が下がっていましたので、
火口縁で私は撮影を終え、家族は栄養補給と休息をしたらすぐに降りました。
下りは、皆らくらくと降りてきました。
長男と次男にとっては、これがはじめての登山となりました。
でも、川に出かけているとき、
あちこち野山を上り下りしているので、
子供たちにはあまり登山の感動はなかったようです。
それより、遊べるかどうかの方が、重要だったようです。
子供たちには、オナタンペ川の河口のほうが
遊べたので楽しかったようです。

・自然の営為・
支笏湖も台風の影響で多くの倒木を出しました。
道路沿いは片付いていますが、
それ以外の多くの倒木は、まだ処理しきれずにあります。
少しずつ処理はされているようですが、
あまりに広大な地域に、大量に倒れているので、
いつ片付くのでしょうか。
その量に圧倒されて、心配になります。
夏に、植樹祭も支笏湖周辺で予定されていたのですが、
倒木の被害で中止されました。
自然の営為には、変化も含まれてることを痛感させられます。
そして変化には、災害、被害を伴うことがあります。
私たちは、そんな自然の中に置かれていることを、
理解しておく必要があるのかもしれませんね。

2004年11月11日木曜日

1_35 太古代2:海と大気の形成(2004年11月11日)

 前回の陸の形成に続いて、太古代の2回目は、海と大気の形成についてみていきます。

 はじめに太古代の海についてみてきましょう。冥王代で、海の形成については紹介しましたが、今の海は今のものに過ぎず、過去の海は残されていません。ですから、今ある海から過去の海は探ることができません。
 しかし、海が存在していた間接的な証拠はあります。それは堆積岩です。堆積岩とは、土砂が海で溜まって、固まったものです。ですから、海の存在を、間接的ですが知ることができます。堆積岩の存在は、大陸があり、雨が降り、川ができ、土砂が大陸から川によって海に運ばれるということを意味します。堆積岩ができるということは、海と陸と大気があったということです。
 最古の堆積岩は、冥王代でも紹介しましたが、38億年前のグリーンランドのイスアにあります。それ以降、どの時代にも堆積岩が見つかっており、地球ではいつも海と陸があったということになります。
 グリーランドのイスアには、枕状溶岩という岩石があります。枕状溶岩とは、マグマが水の中で噴出して、枕をたくさん並べたような形になって固まったものです。枕状溶岩も、海があった証拠となります。
 グリーンランドの枕状溶岩は、オフィオライトとよばれる一連の岩石の一部です。オフィオライトとは、昔の海洋地殻を構成していた岩石が、陸上に上がり、保存されているものをいいます。オフィオライトには、枕状溶岩のほかにも、岩脈群、班れい岩、かんらん岩など現在の海洋地殻を構成しているのと同じ岩石が含まれています。グリーランドのイスアの岩石は、最古のオフィオライト、つまり海洋地殻があったことを示しています。
 次は太古代の大気です。冥王代には、二酸化炭素(CO2)あるいは一酸化炭素(CO)や、水蒸気(H2O)、窒素(N2)などを主成分とする大気がありました。これは、金星や火星の大気が似ていて、隕石に含まれている揮発性成分とも一致しています。ところが、現在の地球の大気は、窒素と酸素(O2)を主成分で、二酸化炭素は微量成分にすぎません。
 このよう大気の成分の違いは、地球の大気が、変化してきたことを意味します。窒素は変化しなかったのですが、水蒸気と二酸化炭素がなくなり、酸素が新たに加わらないと、現在の大気になりません。そのような変化が地球では起こったことになります。
 水蒸気は、地球が冷めるとともに、液体の水となります。海の誕生です。今も水蒸気は海に液体として蓄えられています。もし、この海をすべて水蒸気にすると、30 MPa(300気圧)ほどになってしまいます。これは、冥王代に起こった大激変と考えられます。
 酸素は、生物がつくったと考えられています。その証拠として、25億年前から6億年前にかけて、ストロマトライトとよばれる岩石が、大量に見つかっています。ストロマトライトは、同心円状の構造をもつ不思議な岩石なのですが、シアノバクテリアが群生して形成される岩石であることがわかってきました。太古代の終わり、約25億年前頃から、シアノバクテリアが大量に酸素を生産しはじめたことになります。現在では、植物が光合成によって酸素を生産しています。
 二酸化炭素は、石灰岩として、地殻に蓄えられていると考えられています。二酸化炭素は、大陸の岩石に含まれているカルシウムイオン(Ca2+)を、雨が溶かし、川が海に運びます。カルシウムイオンは、海で大気から溶けこんだ炭酸イオンと結合して、炭酸カルシウム(CaCO4)として沈殿します。そのままでは、また溶けていくのですが、プレートテクトニクスによって、陸上に上げる作用が起こります。石灰岩として大地に保存されれば、溶けることはありません。現在、岩石には、5~10 MPa(50~100気圧)もの二酸化炭素が固定されていると見積もられています。
 古生代以降、生物が殻や骨(炭酸カルシウムからできいます)をつくるようになってから、サンゴ礁のように大量に集まると、二酸化炭素が固体になる作用が促進され、陸上で石灰岩として保存できます。生物が炭酸カルシウムを作りようになってからは、二酸化炭素の固化が促進されたと考えられます。
 地殻と海洋、生命、プレートテクトニクスの連携によって、大気の変換が絶え間なく続けられていることになります。

・今年は雪が遅いほうがいい・
北海道では、10月下旬に初雪が降って以来、
暖かい日が続いています。
今年は、誰がなんと言っても、雪が遅いほうがいいのです。
観光やレジャーで雪を待つ人がいるかもしれませんが、
雪は遅ければ遅いほどいいのです。
今年は多くの地域で自然災害がありました。
被災地で、雪はつらいものです。
雪が降れば、復興作業も滞ります。
北海道の台風の復興も徐々に進んでいます。
でも、新潟の余震はまだ続いています。
自分なりにできること、
今までの研究で培ってきたものを活かすにはどうすればいいか。
台風の被災地の積丹、支笏の災害地は、
近いので訪れて地質学者としてみることはできます。
でも、遠いところは、その地の地質学者に任すことになります。
私一人では、あれもこれもできませんが、
新潟の復興のために義捐金を送らせていただきました。
寒いときほど、人の温かさが必要だと思います。

・医療とは・
次男の急性中耳炎はすぐには直らず、
いっきに治すために、強い炎症止めを飲むことなりました。
この薬は、吐き気、下痢、腹痛を伴うもので、
次男は3度ほど吐きました。
月曜日には一応薬を飲まなくていいというお許しができました。
そのときに考えたことがあります。
医療とは、何のため、誰のためなのかということです。
病気の苦痛より治療の苦痛の方が大きいとき、どうすべきでしょうか。
医療とは病気や怪我の苦痛から人を救うものであるはずです。
それを治療のためとはいえ、ひどい苦痛を伴うのは、考えものです。
医学とは難しいものです。
がん治療でも似たようなことがなされます。
これは明らかに間違っていると私は思います。
生を長らえるために、苦痛に耐えることはわかります。
しかし、その先には、やはり、遅かれ早かれ寿命という死があります。
若いうちなら、まだその苦痛に耐えて、次の生を謳歌できるかもしれません。
また、確実に生を保証されているのなら、耐えられるかもしれません。
でも、治癒の可能性が低いのなら、 私は治療を拒否すると思います。
私は40代後半ですが、残りの生を長らえるために、
私はそのような延命治療は望みません。
死の病にかかれば、私は告知されることを望んでいますし、
家族にもその希望は伝えています。
そしてどのような治療を受けるかは、私自身が判断したいと思っています。
たとえ延命できても、頭が働かなくなるような状態なら、私は生を望みません。
苦痛を和らげるだけの治療をして、短い生を望みます。
その残された期間を、私は頭が働く状態で過ごし、死に臨みたいのです。
残された時間で、何をするかはわかりません。
でも、多分、私は淡々と、今と同じ日々を過ごせること望むと思います。
もし毎日を精一杯、目標に向かって進んでいるのであれば、
その生き方を変える必要ないからです。
そんな日々を過ごすことを望んでいるのです。

2004年11月4日木曜日

1_34 太古代1:陸の形成(2004年11月4日)

 地質時代シリーズです。今回は、冥王代の次の時代、太古代の話です。

 太古代(たいこだい)は、冥王代の終わりである38億年前から、原生代のはじまりの24億5000万年前までの13億5000万年間の時代です。冥王代は断片的な証拠しかない時代なのですが、太古代より後の時代では、連続的な証拠が得られる時代となります。つまり、連続的に時間を扱うことができる時代の始まりが、太古代といえます。
 太古代からいろいろなことが、はじまります。そのいくつかは冥王代から始まったかもしれませんが、確実に継続的にはじまっていく時代が太古代といえます。最初のできこととして、地殻の形成、海の形成、大気の形成、つまり海、陸、空のはじまりがあります。
 地殻は、厚さも、構成している岩石も、化学成分も、できた時代も、多様です。多様さの中でも一番の違いといえるのは、海(海洋地殻)と陸(大陸地殻)の岩石の違いです。
 海洋地殻の岩石は、玄武岩やその仲間で、黒く密度の大きな岩石からできています。大陸地殻と比べて新しい時代の岩石からできています。一方、大陸地殻の岩石は、さまざまな岩石がありますが密度の軽い岩石からできています。新しいものもありますが古い岩石がたくさんあります。このような海洋地殻と大陸地殻の岩石の違いは、地球の仕組みを反映していると考えられます。
 大陸地殻は、さまざまな岩石からできているといいましたが、その化学成分を平均してみると、火成岩のトーナル岩と呼ばれる岩石に似たものとなります。
 トーナル岩は、カリウムに乏しいが火成岩で、石英とナトリウムに富む斜長石からできています。そのような岩石は、列島で活動する安山岩(カルクアルカリ安山岩という)に似た化学成分となっています。詳細は省きますが、大陸地殻はトーナル岩ができており、そのような岩石は列島のマグマの作用で形成されていると考えられてます。
 大陸の岩石の形成時期には、いくつかの急成長したときがあった考えられます。約28億年前、約18億年前、約8億年前で、それぞれの時期に、多くの大陸が合体して、ひとつの超大陸ができた時代だと考えられています。
 また、古生代以降には、地層が厚くたまり、その地層が激しく褶曲や変成作用を受けるような造山運動と呼ばれる大陸の成長期が何度かありました。古生代早期のカレドニアン造山、古生代後期のバリスカン造山、中生代後期~新生代のアルプス造山などがその代表的なものです。
 大陸の岩石は、いったんできると、マントルの岩石に比べて軽い岩石なので、ずっと地表に存在しつづけることになります。大陸地殻が浸食で堆積岩となっても、やはり大陸地殻と同じように軽い岩石なので、地表に存在し続けていきます。大陸地殻は、さまざまな時代に形成されていきますが、古いものも姿を変えながら地表に存在し続けます。
 海洋地殻は、化学的に均質な岩石で、どの時代でも似た岩石で、どの海嶺でも似た岩石、から形成されています。このような海洋地殻の岩石の特徴は、プレートテクトニクスとよばれる作用が現在まで継続的に働いているためだと考えれています。
 中央海嶺にマントルが上昇してきて、海洋地殻が形成されます。中央海嶺で形成された海洋地殻は移動していき、海溝でマントルに沈み込むというサイクルで、海洋地殻は常に更新されていきます。ですから、古い海洋地殻は、海洋地域には残っていません。
 ところがグリーンランドのイスア地方には、38億年前の海洋地殻の断片が大陸地殻の上に持ち上げられて残っています(オフィオライトと呼ばれれています)。いろいろな時代の海洋地殻の断片が残されていることから、海洋地殻を形成するメカニズムであるプレートテクトニクスが、38億年前から現在まで働いていることがわかります。

・漬物・
北海道は、暖かかったり寒かったり、
変わりやすい天気が続いています。
そろそろ漬物用の大根や白菜の
農家での大量の販売も終わります。
我が家でも土付の大根20本を購入して、
漬物に初挑戦することにしました。
前日まで暖かい日だったのですが、
購入した日から急に寒くなり、
土を落とすのを寒い中母と家内がしました。
つくり方を聞きくために京都から母を呼んでいます。
でも、大根は干してから漬けるために、
もう少し漬けるまでに時間がかかりそうです。
お隣さんからいただいた漬物がおいしいので、
お隣さんに聞きながらつけていこうと考えています。

・子供の成長・
母が土・日曜日と連休を利用して我が家に来ているのですが、
こんなときに限って、子供が病気になったりします。
次男が風邪を引いていたのですが、
だいぶよくなっていたのですが、
夜中に突然耳が痛いと言い出しました。
翌日病院に連れて行くと
急性中耳炎と判明し、即、切開しました。
その後痛むことはなくなりましたが、
まだ、体調はよくないようです。
でも、母には病気でおとなしくしているくらいがいいようです。
男の子は動きが激しいので、なかなか大変です。
家内は小学校一年生の長男に先日走る競争をしたら、
とうとう負けてしまいました。
かなりショックだったようです。
私もそのうち負けるのでしょうか、
まだまだ時間が必要なようです。