2004年9月30日木曜日

6_39 季節感

 今年の北海道の夏は特別暑く、夏に台風の被害を受けました。このような自然現象は、例外的とみなされ、済まされてしまいます。でも、少し違うのではないかと感じています。

 地球には、さまざまな環境があり、それに応じて多様な生物が暮らしています。そのような環境と生命の織り成す総体を自然と呼ぶのでしょうか。
 自然は、大きな国土を持つ国では多様すぎて、その国の典型的な自然というものは成り立ちません。
 例えばアメリカ合衆国を考えると、首都ある大西洋岸地域の自然を教科書的に示したとしても、その自然観や季節感は、その地域の人だけに通じるものにしか過ぎません。ロッキー山脈の中の人、南部のメキシコ湾岸の人、フロリダの湿地帯の人、大陸の真ん中の大草原の人、太平洋岸の人、アラスカの人、ハワイの人には、まるで異国の自然にしか見えないでしょうか。ですから、アメリカのような大きな国土の国では、これがアメリカの自然だというひとつの典型が示されるのではなく、この地域にはこんな自然が、あの地域にはあんな自然がある、といろいろな自然を記述していくことになります。
 このような多様な自然や季節感は、大国だから起こることです。でも、日本のような小さな国土ではどうでしょうか。小さいのでアメリカ合衆国のような多様性はもちろんありません。学校の理科の教科書に書かれ、俳句の季語になり、詩や小説、歌詞などに利用される典型的な季節感があります。多くの人は、その季節感に基づいて、会話やニュース、音楽、芸術を理解していきます。
 桜といえば春、紫陽花といえば梅雨、セミといえば夏、コスモスといえば秋、雪といえば冬というような季節感が、日本人には定着しています。しかし、こんな狭い日本においても、この季節観に符合しない地域があります。それは本州の関西や関東などでつくられた季節感によるためです。
 この季節感を否定するものではありません。その地域ではそれが当たり前の季節感だからです。しかし、季節感とは、本来、人がその地で暮らす中で生まれ育って感じたことを基礎に成り立っているはずです。その自分の自然体験による季節感が、教科書的な季節感に合わないとき、それは自分の地域が、東北だから、沖縄だから、北海道だから、小笠原だからということで、目をつぶってしまいます。これはよく考えると、主客転倒のような気がします。
 俳句の季語、詩や小説、歌詞なども、本来、人が自然に接したものから抽出されたれ成立したはずです。いつのまにか一人歩きしていき、それらが季節感を定義し、その季節感あわないものは、例外として排除されるようになってきました。私が言いたいことは、現実の自然がもっと尊重されるべきではないかということです。
 沖縄では冬に桜が咲き、北海道では秋や春に雪が降ります。このような季節感でも、その地域に住む人たちの常識的な季節感のはずです。それを小さいとはいえ、多様性のある日本の季節感として認めることが、多様な自然を容認する一歩ではないでしょうか。
 俳句の季語に詳しくありませんが、その地の季節感を反映した季語のようなものがあってのいいのかも知れません。あるいは、その地域の自然史がまとめられ学校で利用されてもいいのではないでしょうか。北海道では、4月に残雪が町中にあり、時には5月にも雪が降ることがあります。夏にコスモスの満開があり、タンポポが春から秋までずっと咲いています。1年の半分近くが冬のような地域の季節感があってもいいはず。
 私が北海道に引っ越してきて、2年半がたちました。いつも感じることは、北海道の季節感と本州の季節感は違っているということです。この季節感のズレは、北海道だからとついつい例外的にみてきました。しかし、北海道の季節感こそ、北海道にすむ人にとって常識的な自然の感覚であるはずです。それを頭でねじ伏せるはよくないことではないでしょうか。今、そんなことを考えています。

・北海道の秋・
北海道は、山では紅葉の真っ盛りです。
紅葉は山を下り、北から南へと下ってきます。
秋は、春とは逆のコースをたどってきます。
ですから北海道から秋が始まります。
9月からもうすでに秋が始まっています。
晴れた日のその澄み具合が、秋のものです。
9月の積丹半島ではサケの遡上を2つの川で見ました。
まわりの木は、葉を落とし始め、
ナナカマドの実も赤く色づいています。
まだストーブをたくことはないですが、
朝夕は上着がないと寒いくらいです。
北海道の短い秋は真っ盛りです。

・秋の調査行・
10月には、北海道の秋を味わうことになりそうです。
春のゴールデンウイークには残雪と雪解け水に阻まれて
調査できなかった道北の再調査を10月の連休におこないます。
また、昨年11月に訪れ、どこも見れなかった支笏湖周辺へ
今年は、閉鎖される前の10月下旬の土・日曜日にでかけます。
季節は出かける日によって決めることができます。
しかし、その日の天候ばかりは予想がつきません。
野外調査の一番のつらさは、その日が雨のときです。
そのかわり快晴の日の爽快感は
何ものにも換えられない満足感があります。
さて、今年の秋の調査はどうなることでしょうか。