2004年7月22日木曜日

6_37 未来予測2

 今回は未来予測についての2回目です。前回は、因果関係がはっきりしている未来予測を、生物はごく当たり前にやっているということを示しました。今回は、現在から未来を変化させる方法について考えてみましょう。

 流れる時間の中で私たちが感じることができるのは、「現在」だけです。「過去」も、そして「未来」は感じることができません。私たちに時間をコントロールすることはできませんが、自分はコントロールできます。ただし、自分のコントロールも、できるのは「現在」の自分だけで、「未来」の自分はコントロールできません。なぜなら、私たちは、今、現在に生きているからです。
 この単純な、そして融通のきかない関係なのですが、なんとか自分にとっていい未来をつくることはできないでしょうか。
 前回は、因果関係のはっきりとした未来は予測できるといいました。つまり、因果関係がはっきりした未来が予測できるなら、現在の自分の身の振り方を変えれば、未来の自分を多様に変化させることが可能ではないでしょうか。つまり、私たちには、現在しか扱えないのですが、現在の自分を、自分の望む方向に向けて進めていけば、思い描く未来の自分を手に入れられるかもしれないということです。この方法は、単純ですが、非常に有効だと考えられます。
 難しい言い方をしていますが、これは、ごく普通に私たちが取り組んでいることなのです。夢を目指して、今、努力していくことです。たとえそれが長い時間の継続が必要でも、努力を続ければ、報われる可能性が高くなると考えています。
 努力することの多くは、退屈で単調でつらいことです。繰り返し基礎練習をしたり、基本的な問題を解いたり、何度も繰り返して実験して、いろいろのあ技術や能力を身につけます。こんな努力をすれば、あるレベルまで自分自身を高めることができます。いっぱいやったから、人よりやったからといって、やれば未来を約束してくれるものではありませんが、少なくとも何もしなかった自分より、努力した自分の方が、望む未来に近づきやすいことを、私たちは経験的に知っています。
 望む未来が大きければ大きいほど、多くの努力が必要でしょう。もし、その夢がライバルの多い中を勝ち抜いて得られるものであれば、長くつらい努力を続けた人たちだけが、その未来を手に入れられる最低条件を満たすことになるはずです。努力を続ける「現在」に耐えられた人だけの競争となります。その時点でライバルたちは少なくなっているはずです。もしそうなら、成功への最初のステップは、努力を続けることで、上がれることになります。これで、望む未来への可能性を上げたことになります。
 私たちは、未来のために、現在を犠牲にしてもいいと考えて、行動することがあります。それは、何もしない未来より、努力した未来の方がよくなる可能性が高いからでしょう。
 ここまでは、因果関係のはっきりしていることです。しかし、そこから先の未来は、因果関係がはっきしていません。望む未来になるかどうかは、保証の限りではありません。望む未来への2番目のステップはどうすれば上がれるのでしょう。それは次回としましょう。

・母の滞在・
母が1週間、滞在していました。
会うたびに老けていき、弱っていくように見えます。
ということは、母から見て私も、会うたびに老けてみるのでしょう。
お互い様かもしれません。
京都に住んでいるのですが、
夏の暑さにだいぶ弱っていたようです。
我が家について、涼しいせいでしょう、
昼寝をし、夜も早めに寝床に入ってぐっすりと休んでいました。
1週間の間に、2度温泉に宿泊しました。
温泉宿は暑くて寝苦しかったで、私たちは疲れてしまいました。
でも、母は、なれているせいか、
暑いとは言いながらぐっすり寝ていたようです。
母は、現在、自分用の野菜つくりをしています。
もともと農家ですから、やってもおかしくないのですが、
祖父が中心となっておこなっていたものですから、
母や父は忙しいときだけ農業をしていました。
今では、田んぼは人に頼んで作ってもらっています。
自分は畑の一部を利用して、自分用や近所に分けたりするために
野菜を作っています。
でも、これが健康のためにはいいようです。
以前は足が痛いといっていましたが、
今では、走ることはできず、不自由そうですが、
日常生活には支障はなくやっています。
そんな母をみていると、
もしかすると自分の方の老け方の方が早いのではないか
と思ってしまいます。
日本では、いまだに農業が、
もしかすると一番人間的な生活様式のような気がします。
でも、私にはいまさら農業はできませんがね。

・前期の終了・
大学もそろそろ前期の講義が終わります。
最近では、多くの大学ではセメスター制を採用するようになって、
前期の後に定期試験をして、その後に夏休みに入ります。
以前は、前期は9月上旬まであって、
その後に定期試験がありました。
まじめな学生ほど夏休みは落ち着いて過ごせませんでした。
もちろん私は、まじめな学生ありませんでしたが、
でも、心のどこかに9月の試験のことが頭にあり、
どこか落ち着かない気持ちがありました。
セメスター制では、夏休みは試験の後なっていますので、
のびのびと心置きなく羽を伸ばせます。
そんな学生を横目に、
教員は試験の採点、レポートや出席の整理などに追われます。
これは昔自分が学生だったころ
夏に遊びすぎたツケが回ってきたのでしょうかね。