2004年7月29日木曜日

6_38 未来予測3

 未来予測についての3回目です今回は、因果関係がはっきりしないことについてです。さて、未来予測の最後の回です。どんな予測が可能でしょうか。

 人それぞれで、望む未来が違うでしょう。望む未来の違いによって、それぞれの人の身の振り方は多様になるでしょう。
 第一志望の大学に入りたい。いい企業に就職したい。新しくはじめる事業がうまくいってほしい。一流のスポーツ選手になりたい。などなど、人には、人それぞれの夢があります。そして、そんな夢が将来かなうかどうか知りたいと思っています。あるいは、どうすればそんな未来を迎えられるかを知りたいという気持ちもあるでしょう。
 夢をかなえたいということは、未来を自分の望む方向にしたいと願っているのです。でも、多くの人は、その未来がたやすく望む方向にいかないことを知っています。夢が大きければ大きいほど、実現することが難しいと思っています。それは、実現する可能性が少ないと判断しているからです。
 でも、私たちは、その少ない可能性をあげる方法を良く知っています。たとえ今、どんなに成績が悪くても、勉強すれば、成績を良くすることはできることを知っています。第一志望の大学に入れるかどうかわかりませんが、勉強しないよりした方が入れる可能性が高くなることを知っています。いい企業に就職するためには、大学で一生懸命勉強したり、クラブ活動に打ち込んだり、卒論を一所懸命したりして、就職のための努力をすれば、確実ではありません、しないよい可能背が大きくなることを知っています。一流のスポーツ選手になるためには、日々の練習を怠ることなく、大きな目標をもって継続することが大切なことは知っています。
 つまり、私たちは、目標、つまり夢に向かって努力することが、夢を実現する可能性をあげることだと本能的に知っているのです。その現在の努力が、未来の自分に近づけることだと知っています。
 望む未来には、こうすれば確実に成功するという法則も因果関係の明らかでないものも多いでしょう。それは未来に対する不安が生みます。そんな不安な気持ちのとき、ある人は、手相占いや星占いなどに意見を求めることもあります。ある人は、友達やその道の先輩、専門家に相談するかもしれません。それは、精神的な援助は得られますが、未来を保障してくれません。
 未来の多くは、因果関係がはっきりしないものでしょう。因果関係がはっきりしていても、そうなるとは限らないのが未来です。でも、多くの人は、因果関係がはっきりしなくても、とりあえず望む未来に向かって努力し続けることが重要だということを、知っています。
 この努力し続けることが、泥臭いですが、因果関係がはっきりしない未来への、今ある一番確実な対処法でしょう。努力をしても、未来に向かって可能性をあげるという保障はありません。しかし、望む未来に向かって努力することが、少なくとも自分自身の能力や技術の向上にはなります。すると、来るべき未来に越えるべき障害があったとき、それを努力をしなかったときより、努力した方が越えやすくなっているかもしれません。
 あるいは、一番の効用は、自分が望む未来に向かって努力を続けているという安心感と、常にチャンスがあれば手に入れようと狙っている気持ちが必要なのかもしれません。常に未来に向かって今を生きているという姿勢が、大切なのかもしれません。

・努力の難しさ・
すべての人は、良い未来を望んでいます。
しかし、そのために、現在を犠牲にしなければなりません。
現在をどの程度犠牲にできるかによって、
その未来をどれほど渇望しているかを推し量ることができるかもしれません。
ただし、未来は、努力したから望むものが手に入るわけではありません。
他人から見ると、何の努力もせずに素晴らしい未来を
手に入れていている羨むべき人もいるでしょう。
そこが未来の過酷なところでもあります。
でも、それを嘆いていては、
自分にとってのよい未来を手に入れることはできません。
とりあえず、今、未来に向かって努力することです。
私にも、もちろん望む未来はあります。
そのために自分自身、努力になければなりません。
一人で自分に努力を強いることは大変です。
楽をしたい、怠けたいという自分自身に鞭打って、
未来への努力を強いらなければならないのです。
そのためには、多くの精神力を必要とします。
上で述べたように、未来に向かって努力する必要性を
多くの人は知っています。
しかし、また多く人は、その努力をすることが
大変なことも知っているのです。
もちろん私もその一人で、日々、努力の大変さに悩んでいます。

・暑い北海道の夏・
北海道も暑くなっています。
ここ数日、泳ぎたくなるような天気です。
北海道の短い夏の訪れです。
私が北海道にきて、すでに2回の夏をすごしましたが、
それはいずれも冷夏だったので、
暑い夏を味わうことなく過ごしました。
今年はじめて、例年並みの暑い夏が来ました。
暑さに体がなれていないために、
本州の人からするとたいしたことのない暑さでも、
私には、大変こたえます。
でも、こんな日もないと夏らしくありません。
短いでしょうが、暑い北海道の夏を満喫しましょう。

2004年7月22日木曜日

6_37 未来予測2

 今回は未来予測についての2回目です。前回は、因果関係がはっきりしている未来予測を、生物はごく当たり前にやっているということを示しました。今回は、現在から未来を変化させる方法について考えてみましょう。

 流れる時間の中で私たちが感じることができるのは、「現在」だけです。「過去」も、そして「未来」は感じることができません。私たちに時間をコントロールすることはできませんが、自分はコントロールできます。ただし、自分のコントロールも、できるのは「現在」の自分だけで、「未来」の自分はコントロールできません。なぜなら、私たちは、今、現在に生きているからです。
 この単純な、そして融通のきかない関係なのですが、なんとか自分にとっていい未来をつくることはできないでしょうか。
 前回は、因果関係のはっきりとした未来は予測できるといいました。つまり、因果関係がはっきりした未来が予測できるなら、現在の自分の身の振り方を変えれば、未来の自分を多様に変化させることが可能ではないでしょうか。つまり、私たちには、現在しか扱えないのですが、現在の自分を、自分の望む方向に向けて進めていけば、思い描く未来の自分を手に入れられるかもしれないということです。この方法は、単純ですが、非常に有効だと考えられます。
 難しい言い方をしていますが、これは、ごく普通に私たちが取り組んでいることなのです。夢を目指して、今、努力していくことです。たとえそれが長い時間の継続が必要でも、努力を続ければ、報われる可能性が高くなると考えています。
 努力することの多くは、退屈で単調でつらいことです。繰り返し基礎練習をしたり、基本的な問題を解いたり、何度も繰り返して実験して、いろいろのあ技術や能力を身につけます。こんな努力をすれば、あるレベルまで自分自身を高めることができます。いっぱいやったから、人よりやったからといって、やれば未来を約束してくれるものではありませんが、少なくとも何もしなかった自分より、努力した自分の方が、望む未来に近づきやすいことを、私たちは経験的に知っています。
 望む未来が大きければ大きいほど、多くの努力が必要でしょう。もし、その夢がライバルの多い中を勝ち抜いて得られるものであれば、長くつらい努力を続けた人たちだけが、その未来を手に入れられる最低条件を満たすことになるはずです。努力を続ける「現在」に耐えられた人だけの競争となります。その時点でライバルたちは少なくなっているはずです。もしそうなら、成功への最初のステップは、努力を続けることで、上がれることになります。これで、望む未来への可能性を上げたことになります。
 私たちは、未来のために、現在を犠牲にしてもいいと考えて、行動することがあります。それは、何もしない未来より、努力した未来の方がよくなる可能性が高いからでしょう。
 ここまでは、因果関係のはっきりしていることです。しかし、そこから先の未来は、因果関係がはっきしていません。望む未来になるかどうかは、保証の限りではありません。望む未来への2番目のステップはどうすれば上がれるのでしょう。それは次回としましょう。

・母の滞在・
母が1週間、滞在していました。
会うたびに老けていき、弱っていくように見えます。
ということは、母から見て私も、会うたびに老けてみるのでしょう。
お互い様かもしれません。
京都に住んでいるのですが、
夏の暑さにだいぶ弱っていたようです。
我が家について、涼しいせいでしょう、
昼寝をし、夜も早めに寝床に入ってぐっすりと休んでいました。
1週間の間に、2度温泉に宿泊しました。
温泉宿は暑くて寝苦しかったで、私たちは疲れてしまいました。
でも、母は、なれているせいか、
暑いとは言いながらぐっすり寝ていたようです。
母は、現在、自分用の野菜つくりをしています。
もともと農家ですから、やってもおかしくないのですが、
祖父が中心となっておこなっていたものですから、
母や父は忙しいときだけ農業をしていました。
今では、田んぼは人に頼んで作ってもらっています。
自分は畑の一部を利用して、自分用や近所に分けたりするために
野菜を作っています。
でも、これが健康のためにはいいようです。
以前は足が痛いといっていましたが、
今では、走ることはできず、不自由そうですが、
日常生活には支障はなくやっています。
そんな母をみていると、
もしかすると自分の方の老け方の方が早いのではないか
と思ってしまいます。
日本では、いまだに農業が、
もしかすると一番人間的な生活様式のような気がします。
でも、私にはいまさら農業はできませんがね。

・前期の終了・
大学もそろそろ前期の講義が終わります。
最近では、多くの大学ではセメスター制を採用するようになって、
前期の後に定期試験をして、その後に夏休みに入ります。
以前は、前期は9月上旬まであって、
その後に定期試験がありました。
まじめな学生ほど夏休みは落ち着いて過ごせませんでした。
もちろん私は、まじめな学生ありませんでしたが、
でも、心のどこかに9月の試験のことが頭にあり、
どこか落ち着かない気持ちがありました。
セメスター制では、夏休みは試験の後なっていますので、
のびのびと心置きなく羽を伸ばせます。
そんな学生を横目に、
教員は試験の採点、レポートや出席の整理などに追われます。
これは昔自分が学生だったころ
夏に遊びすぎたツケが回ってきたのでしょうかね。

2004年7月15日木曜日

6_36 未来予測1

 過去について考えたことがありました。今度は、未来について考えていきましょう。未来を、予測することができるのでしょうか。できるとするとどのようなものでしょうか。

 未来という字は、「未(いま)だ、来ない」と書きます。ですから、まだ来ていない時間のことを意味します。そんなまだ来ない時間を、科学で探ることができるのでしょうか。なかなか難しい問題です。今回は、まず生物が未来を予測できるかどうか考えていきましょう。
 時間に関して私たちは非常に鈍感です。私たちが感じることのできる時間は、今、つまり現在だけしかないのです。
 過去でも、記憶や記録に残っているものなら、たどることができます。でも、忘れてしまったものや、記録に残っていないものは、たどることはできません。記憶しているとか、記録に残っているものは、実をいうと、それらが現在まで残っており、現在それらをたどることができるのです。
 記憶や記録を通じて一見過去を見ているように見えますが、現在に残されたものを通じて過去を再現している過ぎないのです。過去を味わうというのは、現在からたどるしかない行為なのです。過ぎ去った現在は、二度と味わうことはできないのです。どんなに似ていようとも、同じではありません。例えば、同じ映画を見ても、一度目と二度目は、感じ方が明らかに違います。
 私たちには、過去をもはや感じることができないのです。もちろん未来を感じることもできません。ですから、私たちは、「現在」という非常に限られた時間の中で生きているのです。そんなつかの間の現在を、私たちはどのようにして生きているでしょうか。
 多くの生物は、今を、少しでも楽しいもの、より快適なもの、少しでもいいものにしたいと考えているはずです。また、少々今がつらくても、より未来を楽しいものにしたいと考えているはずです。そのためには、今、つらくても我慢したり、がんばって努力したりして、よりよい未来を迎えることを望んでいるはずです。
 こうありたいという未来を望んで、私たちは、今を我慢や努力をしているのです。そんな未来を予測して、今を生きているのです。これは、願望や夢といったほうがいいかもしれませんが、今を生きる重要な動機ではないでしょうか。
 未来は、正確に予測することは難しいのですが、どんな生物も、ある程度、予測はしています。
 簡単な例を出しましょう。草原でチーターが向かってくるのを見たトムソンガゼルはどうするでしょうか。もちろん逃げます。じっとしていたり、チーターに向かっていったりすると食われてしまいます。それは、自分の未来を亡くすることになります。だから、トムソンガゼルは、チーターの来ない方に逃げ、追いつかれないように全速力で逃げるでしょう。時には急激な方向転換もするでしょう。これは、自分の未来を瞬間的に予測して、その悲惨な未来を回避する行動をしているのです。これは、明らかに未来予測に基づく行動です。人間でも道路を横切るとき、車とぶつからないタイミングを予測して渡ります。これができないと、いつまでたったも道路を渡れないか、車にひかれてしまいます。
 生物は、なにも、近い未来だけを予測しているのではありません。やがて来たる冬に備えて、食料をためこんだり、食いだめをしたりします。学生が、受験勉強をするのは、しないよりした方が受かる可能性が高くなるからです。このような予測は、数ヶ月や、1年に及ぶような予測に基づいて行われています。
 今はつらいけれど、よりよい未来のために、我慢しているのです。生物は、どうも本能的に未来を予測できるようです。
 でも、もっと先、もっと複雑な因果関係の未来をどのように予測するのでしょうか。これは次回のテーマとしましょう。

・北海道の夏・
ここ数日、北海道でも天気の悪い日が続いていました。
まるで梅雨のように、雨が降ったりやんだりしていました。
北海道にしては湿気の多い日が続いています。
もちろん、本州の梅雨のようにじめじめしている訳ではありません。
気温も20度少しなので、蒸し暑いわけではありません。
でも、快適な夏をいつも味わっている北海道では、
これでも、嫌な天気に感じてしまいます。
一番いい時期を、こんな天気だとつらく感じます。
北海道は冬から開放されて一番いい季節です。
今朝はやっと晴れてきました。
今日は暑くなるでしょうか。
北海道の夏は、すがすがしい暑さです。
そんな季節が戻っていることを願っていましょう。

・大学の休み・
大学では、そろそろ前期の講義が終わりに近づいています。
祝日の配分によって、もう終わった講義から、
あと2回残っている講義もあります。
祝日はいいのですが、大学、とくに授業に関しては、
祝日があると非常にやりにくくなります。
現在のように振り替え休日などの制度があると
月曜日の講義日数がかなかな確保できません。
うちの大学では、月曜日の講義日数が確保できず、
とうとう7月19日は講義日としています。
学生には、休みが多くあります。
大学では世間の祝日を無視してもいいのではないでしょうか。
大学生は、休みの多い生活をしています。
8月、9月の半分、2月、3月は講義がなく、休みです。
なんと3ヶ月半が休みです。
100日ほど休んでいることになります。
だから、せめて講義のある期間ぐらい、
土曜・日曜以外の休みなく
講義をしたらどうでしょうかね。
ちょっと乱暴ですかね。

2004年7月8日木曜日

3_34 石灰岩とチャート2

 石灰岩とチャートはどちらも生物の遺骸からできた岩石なのに、でき方が違っていました。そんなナゾの二回目です。


 石灰岩は、サンゴなどの礁をつくる生物の炭酸塩の遺骸からできています。一方、チャートはプランクトンで珪酸の殻や骨をもつものからできています。
 造礁性サンゴ以外のサンゴの仲間は褐虫藻とは共生していません。ですから、海の条件に関わりなく、いたることに広く住んでいます。プランクトンとして漂って生活しています。このほかにもプランクトンには、石灰藻類やココリスとよばれる炭酸塩の殻や骨を持つものもいます。
 プランクトンには珪酸だけでなく、炭酸塩の殻や骨をもつものもいます。このような石灰質の微生物の遺骸は、マリンスノーとして珪藻に混じっているはずです。だとするとチャートは石灰質(炭酸カルシウム)の成分が含まれているはずなのに、岩石としてできるのはチャートという珪酸を主成分とする岩石です。不思議です。炭酸塩の成分はどこにいったのでしょうか。
 それは、深海では炭酸塩が溶けやすくなる効果があるからです。海の表面の海水は、炭酸塩が目いっぱい溶け込んでいます。ところが、深くなるに連れて、水圧が上がると、炭酸塩の溶け込む程度が大きくなります。つまり深くなるとよりたくさん溶けていきます。深くなればなるほどその効果は強くなっていきます。その他にも、水温、pHの変化などの効果も加わるとされています。
 ところが、炭酸の供給源は大気中の二酸化炭素ですから、表面にだけ炭酸がたくさんできます。したがって、海の深度が深くなるにつれて、炭酸がよりたくさん溶け込める状態になります。そんな状態のところに、炭酸塩のマリンスノーがゆっくりと沈んでいくと、溶けていくのです。
 炭酸塩が溶け始める深度を、炭酸塩補償深度(CCDと略されています)と呼びます。大西洋では、炭酸塩補償深度は4,000から5,000mで、太平洋では1,000から2,000mとされています。これは、海底の深さより、溶けたり溶けなかったりする微妙な深度です。しかし、深海底にたまったプランクトンの遺骸は、最終的には、プレートテクトニクスの営みによって、陸地に上げられます。つまり、海洋底プレートが移動して、海溝に行き着き、陸地に上がる作用となります。海底の堆積物は、少なくとも海溝ではCCDを越えてしまいます。つまり、海洋底の堆積物は、炭酸塩は溶けて、珪酸だけになっていきます。これが、チャートが珪酸だけからできている理由となります。
 堆積岩の内、20%が石灰岩だといわれています。でも、堆積岩はサンゴや層孔虫など誕生する前から石灰岩はあります。ですから、生物に関係なく、石灰岩ができる作用があったはずです。
 浅い海では、今では生物の作用で炭酸塩がつくられているのですが、かつては化学反応によって炭酸塩の沈殿によってつくられたと考えられます。深い海では今と同じように炭酸塩は溶けてしまいますが、浅い海底で溜まった炭酸塩だけが、プレートテクトニクスによって陸に持ち上げられたと考えられます。
 地球の大気と海洋、生物、そしてプレートテクトニクスというさまざまな営みが複雑に関係しあってチャートや石灰岩ができていたのです。

2004年7月1日木曜日

3_33 石灰岩とチャート1

 石灰岩とチャートの違いについて質問がありました。どちらも生物の遺骸からできた岩石なのに、なぜ成分が違っているかというものです。それに答えながら、地球の仕組みを考えていきましょう。


 チャートも石灰岩も、生物の遺骸からできた岩石です。ただし、生物起源ではないチャートや石灰岩もあります。でも、日本でよく目にする多くのチャートや石灰岩は生物起源だと考えていいでしょう。生物起源のチャートは層状になっていることが特徴となっています、
 岩石の成因がどちらも生物起源という点では似ていますが、成分がまったく違います。チャートは、ほとんどが珪酸(SiO2)からできています。一方、石灰岩は、炭酸カルシウム(CaCO3)からできています。このような成分の違いは、やはり成因の違いに由来しています。
 同じ生物でも、珪酸の殻や骨格などをもつものと、炭酸カルシウムの殻や骨格をもつ生物がいます。
 珪酸の殻をもつものは、放散虫や珪藻、海綿などがいます。それらが生物が死んで遺骸となるとマリンスノーとして深海底に溜まります。海底に溜まった珪酸は泥状ですが、上に常に積み重なっていきますから、下に溜まっているものは圧力でだんだん水分が抜け、固い石つまりチャートになっていきます。
 炭酸の殻をもつものは、なんといってもサンゴがよく知られています。サンゴは、動物の仲間です。サンゴの殻の部分ではなく体の部分をいうときには、サンゴ虫といういいかたをすることがあります。サンゴ虫は、石灰質の骨格を持っています。このようなサンゴのうち、礁(しょう)をつくるサンゴを造礁サンゴと呼んでいます。
 造礁サンゴには褐虫藻が体の中に共生していて、骨格形成や石灰化を早めています。褐虫藻の生育には、暖かい海と太陽光が必要です。暖かい海とは、熱帯から亜熱帯の25~29℃が最適な水温です。また、太陽光が必要ですから、100mより浅い海でなければ生きていけません。ですからサンゴ礁は、暖かい浅い海にできるのです。
 サンゴ礁は小さなサンゴ虫と褐虫藻とがつくりだした石灰岩の塊です。もちろんサンゴ礁には、サンゴの破片も含まれます。サンゴ礁をつくる珊瑚は、海洋島のように一つ一つが孤立したものから、オーストラリア東部の沿岸のグレートバリアリーフのように堡礁(ほしょう)とよばれる巨大なものまであります。海洋島のサンゴ礁は、山口県の秋吉台や四国カルストをつくっているものがその例ですし、桂林のようにグレートバリアリーフクラスのすごく大きなものもあります。
 石灰岩もチャートも生物起源のものは、生物が大量にいる時代にしかみられないはずですし、生物の種類によって化石の種類は違ってきます。礁をつくるサンゴでは、イシサンゴ類がそれにあたります。しかし、古い時代(古生代)の造礁性サンゴは、今のサンゴとは違い、層孔虫類(ストロマトポラとよばれています)がその代表だと考えられています。層孔虫類は、サンゴの仲間ではなく、海綿の仲間だと考えられています。現在は絶滅しているものです。
 石灰岩とチャートのナゾは次回に続きます。