2004年6月10日木曜日

5_34 過去を見る力1:事実と推定

 過去を調べるときに重要になるのは、何だと思いますか。多くの人は、証拠や科学的分析などを考えるでしょう。でも、それらの扱いには注意が必要です。実は推定なのにあたかも事実かのように思ったり、事実なのにあやふやに思えたりすることもあります。そんな陥りやすいワナを紹介していきましょう。

 ここに恐竜の歯の化石があるとしましょう。この化石は、白亜紀後期の地層から見つかりました。長さは10cmほどあます。歯の先端には細かなぎざぎざがついています。この化石を素材にして少し、考えていきましょう。
 ここまでの記述には、推定と事実がまじっています。どれが推定でどれが事実かわかりますか。推定は、「恐竜の歯の化石」と「白亜紀後期」で、「10cmほど」と「歯の先端には細かなぎざぎざ」が事実です。あれっ、逆だと思われたのではありませんか。科学的に見える「恐竜の歯の化石」と「白亜紀後期」が推定にあたり、「10cmほど」というおおよその数値や、「ぎざぎざ」という感覚的で抽象的な言い方が事実になるとは、すこし意外な感じがします。
 よく考えていきましょう。事実とした「10cmほど」というのは、長さのことです。「ほど」とは、数値の精度を示す表現です。ですから、10cm前後の長さで、1cm程度の誤差を含んでいるという意味です。でも、この数値は計測可能ですから、事実といえます。必要とならば、精度よく計測することもできます。また、「ぎざぎざ」は形を表す言葉です。専門的ではないかもしれませんが、形態という事実を表現しているものです。必要とあれば、細かく記述することも可能です。
 ところが、推定とした「恐竜の歯の化石」は、まず、「化石」かどうかを、判定するためには、論理を用いて考えていかなければなりません。「化石」となれば、それは過去の生物の一部であったことになります。その生物が「恐竜」で、「化石」が「歯」であったかどうかは、似たような多くの類似物の「古生物」や「化石」などから、論理を組み立てることによって得られた推定となります。「白亜紀後期」も、何かの根拠となる「化石」などから論理によって推定されるものです。時代区分自体、人間が人為的につけた時間区切りに過ぎません。ですから、人的区分に実際にあったであろう過去の時間をあてはめるための論理をあらかじめ用意しておき、その論理にあうかどうかの判定の後、時代が推定されていきます。まどろっこしのですが、それが時代を決める論理の手続きとなります。
 化石も時代も、いずれの推定も、科学者たちが長い努力の末たどりついた論理によってです。多くの人がその推定を受け入れているために、あたかも「事実」のように扱われますが、実は、いくつもの論理を積み重ねた「推定」なのです。このような推定を何重にも重ねていくと、その信憑性はだんだんあやふやになっていきます。
 それと比べて、長さや形態は、化石というものさえあれば、誰でも、計測や確認ができるもっともシンプルな事実です。観測の精度をあげたれば、いくらでも詳しいデータを読みとることができます。これが事実と推定の大きな違いです。
 推定と事実は、簡単に見分けられそうに思えますが、じつは、意識をしていないと、ついつい推定を事実も思ったり、事実を推定だと思ったりしてしまうことがあります。今回の例のように、事実と推定が逆転している状態が常識となっていると、思わぬワナにはまってしまうことがあります。注意が必要です。

・動物園・
前日の休日に、旭川の旭山動物園というところに
家族でいってきました。
他の動物園は、伸び悩む中で、
この旭山動物園は、来園者数が伸びていることで有名です。
規模はそれほど大きくないのですが、
あちこちに工夫を凝らしています。
日本で一番北の動物園でという謳い文句で、
時間は短いのですが、冬場も開園しています。
そして、新設の施設は、冬場でも見られるような屋内施設にし、
それも動物を不思議な普段見られないような状態で
見ることができるように工夫されています。
たとえば、白熊の館には、ドームが2つあり、
そのドームが白熊の歩き回っているところに突き出ています。
白熊と鉢合わせすることもあります。
また、白熊のプールがあり、泳いでいるところを
水槽の横から見ることができます。
ひとつひとつはあちこちの動物園や水族館で
おこなわれているテクニックです。
それを、自分たち流にアレンジしています。
そこここに工夫の跡が見られます。
ボランティアでしょうか。
園内には多くの関係者が見受けられます。
手作りですが、いろいろな説明が付けられています。
そんなひとつひとつの関係者の姿と努力が見えるから、
リピーターが多いのでしょう。
さて、次は、札幌の動物園にいきましょうか。

・キャンプ・
動物園は自宅から2時間弱で車でいけます。
ですから、充分日帰り可能なところです。
しかし、我が家は旭川の温泉に泊まりました。
それは、ある目的があったからです。
その目的とは、私の調査を兼ねているのですが、
キャンプ地を探すことでした。
候補地が、事前にありました。
以前調査で一度きていたところでした。
そこは、住んでいる江別から遠く、80kmほど離れています。
今回、私自身は調査をしたのですが、
家族は、しばらく河原で遊んでいました。
家内は読書をしていました。
私は、その河原がキャンプに適しているかどうかを
再確認したかったのです。
石狩川の河原なのですが、ほとんど人が来ることなく、
自然のままの河原があります。
今度、この場所でキャンプをしたいと考えています。
一般のキャンプ場はあまり好きではありません。
なぜなら、どのキャンプ場も人が一杯で
自然を味わえるものではないからです。
多くのキャンプ場は、芝生、電気、水道、トイレが完備されていて、
野外で人里から離れて自然に親しむというものではないように思えます。
私は、先生や先輩から、地質調査の手法を学ぶと共に、
人気のない自然の只中でおこなうキャンプの
醍醐味を教えていただきました。
自然は素晴らしいものであるとの同時に、
怖いものであることも教えられました。
夜には、昼間とまったく違った別の自然があることを、
自然の中でキャンプすることで気づきました。
自分たち以外に人工的なものがない、
夜は真っ暗なこと、そして星や月が明るいこと、
そんな当たり前のことに気づくことが大切だと思います。
子供たちが大きくなったので、
今年の夏はキャンプをしようと思っています。
子供たちにははじめてのキャンプです。
テントを家の中に張って、
子供たちだけで寝かせました。
できれば、最初のキャンプの体験は
本当の自然の中で、怖さと素晴らしさの両方が
味わえるものにしたいと考えています。
なんといってもはじめが肝心ですから。
再来週にでも、天気がよければ
その場所でキャンプをしたいと考えています。