2004年5月20日木曜日

4_45 白亜紀の恐竜:春の道北2

 道北の旅でいくつかの博物館を見ました。博物館の恐竜化石をみて、はやり博物館は面白いところだと思いました。そんな話をしましょう。

 北海道からは、貴重な化石がたくさん見つかっています。アンモナイトは特に有名で、三笠町にはアンモナイトを中心とした博物館があるほどです。アンモナイトは中生代の代表する化石ですが、中生代はなんといっても恐竜の化石が有名です。
 かつて、日本では恐竜はいなかったと考えられていました。ただ一つの例外は、昭和9年(1934年)に、当時日本領だったサハリンから恐竜の化石(カモハシ竜の仲間のニッポノサウルス)が見つかっていただけでした。
 ところが、1978年に岩手県岩泉町茂師(もし)から、恐竜の化石(モシリュウ)が発見されて以降、熊本、群馬、石川、福島、福井、岐阜、福岡、北海道、富山、山口、徳島、長野、三重などで、ぞくぞくと恐竜化石が発見されてきました。今では、日本も、恐竜がたくさん出る国となっています。
 恐竜の化石の産地としては、手取層群が世界的に有名です。手取層群は、富山、石川、福井、岐阜の4県にまたがって分布する地層で、日本の恐竜化石の約90%を占めています。手取層群は、中生代ジュラ紀後期から白亜紀前期にかけで形成された地層す。
 世界の恐竜の化石は、中生代のいろいろな時代から出ているのですが、なぜか白亜紀前期の地層は、それほど多くはありません。ところが日本で発見される恐竜化石の多くは、白亜紀の時代からです。ですから、今まで恐竜の研究でよくわかっていなかった白亜紀前期の恐竜を調べるには、日本が非常に大切な地域となりました。
 北海道の白亜紀の地層としては、空知層群、蝦夷(えぞ)累層群(るいそうぐん)、根室層群などがあります。なかでも蝦夷累層群は、恐竜化石やアンモナイトなどのがたくさん出ることで有名です。蝦夷累層群は、北海道の南北にのびる脊梁山脈周辺に、平行に分布している砂岩と泥岩からできている地層です。白亜紀の前期中ごろから後期中ごろ(1億1000万から7200万年前ころ)に、アジア大陸周辺の大陸斜面に溜まった地層です。時代が新しくなるにつれて、堆積する場所はだんだん浅い海になってきます。そして、浅い海で溜まった地層から恐竜化石が見つかっています。
 今回訪れた博物館のひとつは、中川郡中川町佐久にある中川町エコミュージアムセンターでした。中川町は蝦夷累層群がたくさん分布する地域で、以前からアンモナイトやイノセラムスなどの化石がたくさん出ることで有名です。中川町から首長竜の化石が1991年に発見されました。この首長竜は、ナカガワクビナガリュウと呼ばれ、エラスモサウルスの仲間とされています。ナカガワクビナガリュウは日本では最大の首長竜とされています。このような白亜紀の化石を、博物館ではたくさん見ることができました。
 そして、エコミュージアムでは、ゴールデンウィークには、子供たちを対象にして、いくつものエベントがおこなわれていました。恐竜の模型を使って仲間探しをしたり、恐竜のおもちゃをつかって遊んだり、発掘コーナーで発掘をしたり、化石のレプリカを自分でつくったりするようなイベントをしていました。これらのエベントでは、日本でも恐竜を代表とする化石がたくさんあり、それを子供たちに身近に感じて欲しいという学芸員の心意気が見えました。私は、日本にも恐竜がいたのだということを強く感じました。

・恐竜への熱い心・
中川エコミュージアムは、国道から少し奥まったところにありました。
初めて訪れました。
その建物は、廃校になった中学校を再利用したものでした。
体育館が展示スペースとなり、教室が宿泊型研修室となっていました。
天井も高く広い展示場でしたが、天候のせいで非常に寒かったです。
強力なストーブをたいて暖めていましたが、
なかなか展示場全体は温められてませんでした。
でもストーブの前だけは暖かくなっていました。
親は寒くなると、ときどきストーブの前で暖を取っていました。
ところが、子供たちは、上着を脱いで、腕まくりをして、
化石のレプリカ作りに目を輝かせていました。
また、化石の発掘コーナーでは、
砂の中に埋もれた化石を刷毛で熱心に発掘していました。
この寒い体育館でも、子供たちの化石に対する熱い心は、
肉体をも熱くしていたようです。
化石や恐竜は、子供たちを熱くしてしまうようです。
もちろん大人もその大きさには圧倒されますが、
やはり寒さには勝てませんでした。
子供のような体が熱くなるような情熱を
もうなくしてしなったのでしょうかね。

・周氷河地形・
脊梁山脈とはいいますが、道北では、その山並みは、
南部の脊梁である日高山脈ほど険しくありません。
むしろ、たおやかな感じがします。
それは、氷河によって険しさが均されているせいかもしれません。
道北の先端地域である宗谷地方は
周氷河地形と呼ばれるものができています。
周氷河地形とは、氷河の周辺部にできる地形で、
小さな起伏が連続するなだらかな斜面を発達しています。
このような地形は、日高山脈南部の襟裳岬周辺でもみられるものです。
北海道の北と南で似たような周氷河地形がみられるのは、
北海道の脊梁山脈が中央部の標高が高く、
南北で低くなっているからです。
この性質がそのまま北海道の形に反映されているのです。

・再訪・
中川町は、私が大学3年生の夏に、研修論文作成のために、
学科の3年生全員が、大学の研修施設に泊まり、
夏休みに調査をした地域でした。
いってみれば、私が地質調査と呼ばれるものを
はじめておこなった地域でもあります。
再訪して懐かしかったのですが、
20数年も前のことなので、
町の様子も、道路も、景色もだいぶ変わったようです。
手元には資料がないので、
どこを調査したのかさえも正確には思い出せません。
でも、ここで過ごした夏の思い出の現実が一致しません。
なにか懐かしいようで、もやもやしたような
不思議な気分になりながら、中川の町を後にしました。