2004年5月13日木曜日

4_44 2つの列島:春の道北1

 みなさんはゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか。私は北海道の北部(道北)を調査で巡りました。そのときに感じたことを紹介しましょう。まずは、北海道全体の地質の話からです。

 北海道では、脊梁山脈と呼ばれる山並みは、南北に走ります。南から北に向かって、襟裳岬から日高山脈、そして北海道の中央に十勝岳や大雪山の大きな山体があり、宗谷岬まで続き、その北方延長は宗谷岬から間宮海峡を越えて、サハリンまで続いています。もちろん、これらの山並みつくっている基本的な地質も続くことになります。
 北海道には、連続性は少ないのですが、もう一つの山並みがあります。それは、千島列島から知床半島、斜里岳、屈斜路、阿寒、大雪山、十勝岳、少し間があいて、支笏、登別、洞爺、羊蹄山、駒ケ岳、恵山へと点々と続く山並みです。これらの山並みは、道東では東西方向に並び、大雪山から十勝岳で湾曲して道南にかけては南北に並びます。こちらの山並みは、もうお気づきかもしれませんが、火山がつくる山並みです。
 2つの山並みは、並びの方向だけででなく、活動した時代、現在の岩石や地層のようすはまったく違ったものです。でも、そこには重要は共通点がありました。
 北海道がもともと一つのものではなく、2つの地質帯が衝突した結果できたものであると考えらています。2つの地質帯の間には、今はなくなってしまった海があったと考えられています。その証拠となるのが、脊梁山脈にみられるさまざまな地層や岩石です。
 海があったのですから、海でたまった地層があります。そして、海底でたまった地層には、化石が含まれていることがあります。中生代の海で生きていたアンモナイトやイノセラムス、首長竜などもみつかっています。また、サンゴ礁からできた石灰岩あり、現在は鍾乳洞をつくっているところもあります。海底で活動した火山岩もあります。枕状溶岩やその枕状溶岩がくずれた火山性の砕屑岩(ハイアロクラスタイトとよばれる)などが見つかります。こんな海の証拠が脊梁山脈やその周辺から見つかります。
 海がなくなるというのは、プレートテクトニクスでは、プレートが沈み込むことによって起こります。沈み込み帯の地下深部では、変成作用がおこります。冷たいプレートが沈み込ますから、圧力は高いのですが、温度がそれほど高くない変成作用が起こります。そのような条件では、片岩とよばれる変成岩がたくさんできます。神居古潭変成岩とよばれる地帯がそれにあります。
 沈み込みがおこれば、陸側では沈み込むプレートから供給された水分によって、マグマ活動がおこります。深部では、マグマがゆっくり冷え固まった深成岩ができます。日高深成岩類とよばれるものです。深部では、温度の高く、圧力も高い状態での変成作用が起こります。そのような条件では、片麻岩などの変成岩がたくさんできます。このような岩石は日高変成岩類とよばれます。
 北海道の脊梁山脈は、2つの地質帯がくっついたときにできたものです。それは、今は活動はやめてしまった列島がつくった山脈だったのです。激しい上昇をとなう活動だったのでしょう。列島の表層を覆っていたであろう地層や火山などは、ほとんどは削剥されてなくなってしまいました。
 そして、衝突が終わって北海道の原型ができた後に、次の列島の活動がはじまったのです。それが、脊梁山脈を横切るもうひとつの火山の織り成す山並みです。つまり、北海道では2度にわたって列島を作る作用がおこっていたのです。そして、2度目の列島を作る作用は現在進行中の営みなのです。
 いずれも列島をつくる営みによってできたも山並みなのです。時代や方向は違いますが、2つの地質帯がぶつかり合っている場にできたものなのです。
 今回の調査では、私が北海道でも今まで見たことのない脊梁山脈の北方延長となる道北でいろいろな石をみることができました。

・ラッシュ・
今年のゴールデンウィーは大型連休なので、
4泊5日の休日となり、出かけた方も多いでしょう。
我が家では、調査を兼ねて、道北を巡りました。
北海道でも大型連休ともなると混雑します。
でも、車が渋滞するということはなく、
車が連なって走るというのが混雑するといいます。
北海道では普通は何台も車が連なって走るということは
大都市周辺の幹線道路以外ではそうそうありません。
高速道路も、一般国道も、都市や観光地の周辺はこのような状態だったので、
さすがの北海道も人が一杯出かけているということを感じました。
本州のラッシュと比べれば穏やかですが、
北海道の人間には、これでもラッシュなのです。

・卒業論文・
私が卒業論文で調査をしたのは、
日高山脈の西縁にあたる地域です。
静内川の中流から上流に当たるところです。
その地域は、海底の火山活動できた枕状溶岩からできていました。
ダム工事の最中のもっとも岩石が良く見える状態での調査となりました。
しかし、現在は、残念ながら、
その調査地域の主要なルートなるところは、
コンクリートで覆われたり、ダム湖の中に水没しました。
そのダム建設中に卒業論文の野外調査をおこなっていました。
ダム工事の作業員たちが宿泊する飯場に
3ヶ月間ほど厄介になって調査をしていました。
この3ヶ月は北海道の自然や地質に深く触れした。
そして、地質学に深くかかわるという自分の人生も決めたときでもありました。