2004年3月4日木曜日

5_29 いろいろな石2:名前をつけるということ

 石をよく見ることが、「いろいろな石」がなぜあるのか、という疑問を解く鍵だと、前回いいました。では、名前をつけることにどんな意味があるのでしょうか。考えていきましょう。

 石は、どんな石でも、ある分類方法によって名前をつけることができます。研究者でも、一般の市民でも、だれでも、名前をつけること、名前を聞くことで満足してまうことがあります。たとえば、この川原にある石は、○○石が50%、××石が30%、△△石が20%です、という説明を専門家から受けたとしましょう。それで、わかったような気がします。その知識が身に付いたと思え、自分がひとつ賢く、あるいは得したような気になります。
 でも、よく考えて見ましょう。その川原で石の説明を聞きながら、「パッと見」でしか石を見ていないかもしれません。「パッと見」だけで、もしかすると、それ以上は石に接しないかもしれません。「パッと見」で石を見ることは、無意識の能力だけで石を見ているに過ぎません。もしかすると、実際に見たという経験、体験は、記憶に残ってないかもしれません。これは問題です。
 石を見るのには、経験も知識もいりません。生まれながらにもっている能力を活用すればいいのです。一生懸命「よく見る」ことです。この「よく見る」ことには、目で見ること、指で感じること、たたいてみること、なめてみること、匂いをかぐことも必要かもしれません。つまり、五感をつかって石を見ていくことが大切です。
 目で見るは、説明するまでもないでしょう。視覚を使うということです。指で感じることによって、石の質感、密度、表面の手触りなどがわかります。ハンマーたたくこと、石同士をこすり合わせることによって、石の硬さがわかります。なめることによって、石が濡れた状態を作りだせます。濡れると石のつくりがよく見えます。また、なめることによって、味や、舌にくっつくような感触を感じることができます。石をこすって匂いをかぐこともできます。するといろいろな匂いがすることがあります。このように五感を使うことによって、「パッと見」では得られない、桁違いに多くの情報を得ることができます。
 それらの情報をもとに、自分の考え方で分類することができます。たとえば、その川原にどれほどの種類の石があるかを調べるとしましょう。石の知識のない10人が、10種類の石を集めたとしましょう。10種類の石を集めるということは、どんなにたくさん似た石があっても、それは1種類にすぎません。石がたくさんある川原にいけば、10種類くらいは、すぐに集めることができるでしょう。10人が集めた、10種類の石をすべて集めると、100種類の石になるでしょうか。
 100個の石の中には、似た石がいくつもあるでしょう。100種類は分けすぎだと、誰もが思うでしょう。では、その100個の石を、10人で相談しながら、10種類に分けることにしましょう。すると、10種類の石にするために、個人の分類方法から全員の分類方法にいたるまでに、分けるための共通の基準が生まれてくるはずです。それは、集める人たちの考え方、経験、年齢などよって、その基準は変わってくるでしょう。しかし、多くの人に共通した何かの基準によって種類分けの方法が決まっていくはずです。
 そこで、便宜的に名前をつければいいのです。それは、学術的でなくてもいいです。知識がなくてもいいです。たとえば、A、B、C・・・でもいいですし、すべすべ石、ごつごつ石、さらざら石・・・でもいいですし、黒い石、白い石、赤い石・・・など石の特徴を表す名前でも、なんでもいいのです。
 分類したものに名前をつけるのは、便宜的なことであって、本当にしたいことは、「なぜ」を解決することのはずです。ここでは、「いろいろな石」がなぜあるのかについて調べることが目的でした。ですから、名前をつけることは終わりを意味してないのです。はじまりなのです。そして、名前をつけるというよりも、よく見ることの途中経過として、分類や名前があるだけなのです。
 よく見みると、同じ名前の石にも、いろいろな色、模様、形があります。ある人は、別の石として集めたものが、ひとつの種類として分けられているかもしれません。
 そんな石の色、模様、形がどうしてできたかに思いを巡らすことが大切です。その小さな石ころの経てきた長い時間が、地球的時間の履歴として、その石には刻まれていることに思い至ります。私は、そんな「地球のささやき」に耳を澄ませたくなります。

・根源的な疑問・
「いろいろな石」はなぜあるのかというテーマを
掲げながら、なかなかその謎に迫らないのではないか
と思われているかもしれません。
しかし、なぜ「いろいろな石」と人はいえるのかという
根源的な疑問を今解いているような気がします。
もしかすると、科学的な理屈で、
小ざかしく解決を図るより、ずっと大切なものが、
このようなアプローチにはあるのかもしれません。
これは、決して言い訳ではありませんよ。
心からそう思っています。

・解き難い矛盾に悩みながら・
このエッセイは、自分への自戒をこめて書いています。
石ころを整理することによって、
自然の神秘を知りたいはずなのに、
ついつい機械的に作業を日々しています。
数をこなすためにしょうがないというのは言い訳でしょう。
知りたいことは、
自然の神秘を科学の光の下に照らし出だすことのです。
そんな大きな目的のためにおこなっている作業が、
機械的になるのは、どうしたことでしょう。
こんな単純ですが、解き難い矛盾に日々悩みながら作業をしています。

・沖縄行・
沖縄に行ってきました。
2月26日から3月2日までです。
沖縄では、桜は終わり、葉桜となっていました。
学生たちでしょうか、団体で海水浴をしている姿も見かけられました。
沖縄は、22℃。
北海道は-6℃。
数時間で、30℃近い気温差を体感しました。
北海道の自宅は冷え切っていました。
帰宅すると室内温度は、5℃。
一晩ストーブを着けっぱなしにしましたが、
朝起きると15℃にしかなっていません。
一度冷えた家はなかなか暖まりません。
日本列島は長いのですね。
次回にその様子を紹介しましょう。