2004年3月25日木曜日

4_43 サンゴ礁の海:沖縄3

 南の島というとサンゴ礁に囲まれた浅瀬のエメラルド・グリーン、深いコバルト・ブルーのきれいな海を想像する人が多いでしょう。なぜ、このような島を想像するかというと、サンゴ礁に囲まれた島が多いからでしょう。そんなサンゴ礁の秘密を見ていきましょう。

 サンゴ礁は、サンゴの小さな個体たくさん集まってつくられたものです。サンゴは動物です。腔腸動物(刺胞動物)というものに分類され、クラゲやイソギンチャクの仲間です。
 サンゴ礁をつくりだすのは造礁サンゴとよばれるイシサンゴの仲間です。イシサンゴは、褐虫藻とよばれる別の小さな生物を体の中にもっています。
 褐虫藻とは、10マイクロメートルほどの小さな単細胞の藻類で、光合成をおこなっています。サンゴは、褐虫藻から炭水化物をもらってエネルギーとして利用しています。サンゴは、褐虫藻に二酸化炭素と窒素やリンを与えています。それらは、光合成をおこなう材料となります。このような密接に生活を共にしている関係を共生といいます。
 褐虫藻の栄養は、光合成によって得ています。ですから、サンゴは、海の中でも浅く太陽の光が届くところで暮らします。
 サンゴ虫は体の外に骨(外骨格といいます)があります。外骨格は、炭酸カルシウム(CaCO3)からできています。このサンゴの外骨格が、たまりたまって、サンゴ礁となります。この仕組みだけで、サンゴ礁のいろいろな地形ができていきます。
 サンゴは、暖かい海に暮らす生物です。ですから、サンゴが暮らすことができる環境さえあれば、サンゴ礁ができていきます。サンゴが暮らせる環境とは、浅い海です。浅い海は、陸や島の周りにあります。大陸の周りに大規模にできる場合もあります。オーストラリアのグレートバリアリーフがその代表的なものものです。
 そのサンゴ礁の仕組みを最初に解明したのは進化論を提唱したチャールズ・ダーウィンでした。ダーウィンはビーグル号の航海で、太平洋の南国のサンゴ礁の島をたくさん見ました。そして、サンゴ礁には、時間と共に変化していくことを示しました。ダーウィンは次のようにサンゴ礁が変化していくと考えました。
 まず、海の真ん中に火山によって島ができたとします。すると、その島の周囲は浅い海ができます。浅い海の岩場に、サンゴの幼虫が海流に乗ってたどり付くと、そこにサンゴ礁ができはじます。島の周りを囲むようにできたサンゴ礁を裾礁(きょしょう)といいます。
 火山は、活動を終えると、岩石自体が冷めて縮むことや侵食によって小さくなってきます。島は小さくなるのですが、サンゴ礁はそのままそこに残されていきます。島とサンゴ礁の間に海が入り込んでいきます(礁湖(しょうこ)、ラグーンといいます)。そのようなものを堡礁(ほしょう)といいます。ラグーンの中は、サンゴやサンゴの壊れた破片の白色と、島自体岩石がでている濃い色とのまだら模様ができます。
 時間と共に火山の島は、ますます小さくなっていきます。やがて島は海面上からなくなってしまいます。このように島がなくなったり、小さくなったりして、サンゴ礁だけが残っている状態を環礁(かんしょう)とよんでいます。
 海底からある深さまでは、サンゴ礁ができていて、その外側は太陽の光が届かないためにサンゴ礁がありません。サンゴ礁の外側に、深い海が急にはじまるのはそのためです。その状態を地上からみると、濃いコバルトブルーの海が外海として広がって色の違いとして見えます。
 このようなダーウィンの考えたサンゴ礁の成因は、いまでも正しいと考えられています。
 沖縄は、南の島ですから、サンゴ礁がいたるところにあります。しかし、かといって他の南国の島のように火山の周りにできたサンゴ礁ではありません。前のエッセイで示したように、日本列島と同じような古い地層が骨格としてあります。ですから、沖縄は、非常に変化に富んだ自然となっているのです。

・奇遇・
沖縄の調査から帰ったところ、
私といっしょに活動している地学クラブの
第一号クラブ員のNakさんからメールをいただきました。
Nakさんは、今年の春大学を卒業します。
そのNakさんは、自転車で沖縄旅行をされました。
時期が私の調査と重なっています。
もし、本当に出会っていたら、奇遇で面白かったのですが、
そこまでうまくはいきませんでした。
そんなNakさんに、卒業し、大学院へ行かれるので、
はなむけの言葉を送りました。

「沖縄の日程は完全にダブっていますね。
私は調査で、川と海岸を主にいきました。
中・北部が中心でした。
「28日は58号線を走って名護市手前の道の駅」
私たちは、28日は8時過ぎに恩納村のホテルをでて、
名護市の道の駅は素通りして、
本部半島の塩川と海洋博記念公園とその中の水族館にいました。
家族サービスの日でした。
どこかですれ違っていた可能性がありますが、
Nakさんらしき人は記憶にありません。
自転車は数人すれ違いましたが、
すべて男性でした。
(中略)
私は若いときは「野望」を持つべきだと思います。
「野望」などといわなくてもいいですが、「夢」でもいいでしょう。
年をとると共に、夢は実現しにくくなります。
若いときは、時間と努力を惜しまず、集中できる時期でもあります。
若いときは、どんな夢も実現できる可能性が一番高いときです。
そんなときに「野望」を持つことは
きっと自分自身を大きくしてくれると思います。
悔いのない人生を歩むためにも
「野望」は大きければ大きいほどいいのです。」

というものでした。

・移動の季節・
移動の季節です。
私も移動します。
現在の研究室から、別の棟の研究室への移動です。
3月26日の金曜日に引越し作業をおこなります。
大学の指示でおこなう引越しです。
ですから、アルバイト4名と大学から手伝いの人2名がきてくれます。
しかし、全員引越しの素人ばかりです。
一日で終わるでしょうか。
また、ネットワーク環境が変わり、
棟が違うのでIPアドレスもかわります。
他のサーバーへの転送の影響が出そうです。
困ったことに、27日はネットワークの保守点検で、
ネットワークを使えない状態です。
ネットワークの構築、修正は、28日の日曜日になりそうです。
さてさて、どうなりますでしょうか。
こればかりはやってみなければわかりません。

2004年3月18日木曜日

4_42 塩川:沖縄2

 沖縄への調査の2回目のエッセイです。前回は、南西諸島は、地質からみると、日本の縮図のようになっていることを紹介しましたが、少し難しかったでしょうか。詳しい地質の話を書こうかと思いましたが、難しそうなのでやめて、今回は、観光地でないのですが、沖縄島でみた面白い自然を一つ紹介しましょう。

 沖縄島の中部に西向かって突き出た丸い形をした半島があります。本部(もとぶ)半島といいます。丸い半島の南西(左下)あたりに、塩川という川があります。
 海のすぐそばに湧き出し口のある川です。ほんの150メートルほど内陸に湧き出し口があり、全長で300メートルもありません。すぐに海に流れ込んでしまう短い川です。海面と比べても、湧き出し口は1メートル数十センチメートル高いだけです。私は、この川を見にいったのです。私が訪れたときは、もちろんだれも見に来ている人はいませんでした。
 川というには、あまりにも小さいものです。なぜ、わざわざこの川を見に行ったのかというと、この川が変わった性質をもっているからです。
 この塩川は、名前のとおり、塩水がいつも流れている川なのです。そんな珍しい川は、この塩川以外に、プエルトリコに1ヶ所だけみつかっているだけです。非常に珍しい川なのです。そのため、1972年に国の天然記念物に指定されています。
 塩川には、2ヶ所に湧き出し口があります。1ヶ所で川に降りられるところがあったので、降りて、川の水をなめてみました。もちろんショッパかったですが、海水のショッパさほどではありませんでした。
 さて、この塩川の水は、どうしてショッパイのでしょうか。海が近いので、普通は海水がなんらの作用で、湧き上がっているのではないかと考えます。しかし、川のなめてみると、海水がそのまま湧き出しているわけではありません。真水の成分が混じっています。
 かつて、この塩川の湧出機構について、調べられたことがあります。沖縄県が文化庁の支援を受けて、1974年から3年がかりで調査がされました。その結果、いくつかの重要なことがわかったようです。塩川にあった説明看板によれば、
・潮位と水位(湧出量)は比例する
・湧出量と塩分濃度は逆比例の関係にある
・海水と陸水が混合したもので岩塩説は全く否定される
ということがわかったそうです。
 少し説明しておきましょう。まず、最後の岩塩説とは、地下に岩塩があり、その中や周辺を地下水が通ってくることによって塩分をもった水ができるという説です。岩塩とは、海水が大量に干上がってできた塩が石となったものです。この説には、大きな岩塩の岩体が地下にないといけませんし、海と関係はないはずです。しかし、塩川では潮位と関係があるので、岩塩説は否定できます。
 上の2つの事実から、海水と地下水(真水)が混じっていることになります。でも、よく考えると少し複雑なメカニズムが働いていることがわかります。
 まず、潮位と湧出量が比例するというのは、普通に考えると、潮位が上がると地下で海水成分の量が増え、全体として湧水量が増えることとなります。しかし、湧水量が増えると塩分濃度が下がるというのは、海水の変動が直接湧き出す水に伝わるのではなく、水を押し上げる圧力となっていることを意味しています。湧出量が増えるときは、地下水が使われているということです。
 このようなメカニズムとして、サイフォン説というものが唱えられています。地下70から100メートルに、海水と地下水が混じった水が溜まるところがあり、そこにたまったややショッパイ水が、潮位の圧力によって、岩の割れ目を通り抜けて、湧き出ているという説です。
 そんな複雑な構造ができているというのも、この本部半島には石灰岩がたくさんあるからだと考えられます。塩川のすぐ近くでも石灰岩の採掘をしてました。石灰岩は、地下水によって溶け、鍾乳洞のような地下水路をよくつくります。多分、この塩川の水源となっている地下にもそんな水路と貯水用の地下の池があり、そこには海水も入りこんでいくのでしょう。そして、その地下の池は、海水の圧力で水を湧き出しているのです。そんな地質環境であったから、この枯れることない塩川ができたと考えられます。
 頭でわかっていたとしても、塩川は、不思議な川です。

・塩川と生活・
塩川は短いので、噴出し口から歩けばすぐに海に達します。
私は、もちろん、塩川の海への注ぎ口の河口も見にいきました。
そして、河口でも水をなめようかと思いました。
しかし、思いとどまりました。
河口から陸側をみると、集落の中を塩川は流れてきます。
そして、民家の排水が塩川に流れているのが見えました。
だから、なめるをやめました。
塩川の湧き出し口と海岸の間には、国道449号線が走っています。
天然記念物は、国道と湧き出し口周辺の地域が指定されています。
ですから、国道より海側は、普通の民有地となっています。
区域外では、下水を流しても問題ではありません。
もちろん、以前から生活をされている方々の集落です。
この地域の人は、塩川を、昔からそして今も大切にしてきたと聞きます。
でも、現実に下水が流れ込んでいるのをみると、ちっと考えさせられました。
これは、通りすがりのものの感想ですから、聞き流してください。

・春の節目・
皆さんの地域の春はどんな春でしょう。
私の住む北国では、春は雪解けからはじまります。
どの地域の春にも共通するのが、卒業と入学です。
我が家でも、長男が幼稚園の卒園と小学校への入園、
次男が幼稚園への入園となります。
そんな感慨を味わっています。
今まで、家内には、いつも、どこへ行くのにも次男が一緒でした。
家内は、これから、一人の時間がもてそうです。
一人の時間ができるのは、うれしくもあり、寂しそうでもあります。
春は、親にとっても節目の季節となります。

2004年3月11日木曜日

4_41 ミニ日本列島:沖縄1

 沖縄に調査にいきました。目的は、沖縄の川原の石ころと海の砂の調査、そして代表的な地層の調査です。そんな沖縄のようすを紹介しましょう。まずは、沖縄の地質の概略を見ていきましょう。沖縄を含む南西諸島はミニ日本列島ともいうべき性質を持っています。

 沖縄は、日本の一部です。それは、国としての意味ではなく、地質構造の上からみて、日本の一部となっているという意味です。本州、四国、九州から連続した構造をもった地質が、沖縄にはあります。
 日本列島は、海洋プレートが沈み込む陸側に古くから位置していました。ですから、沈み込むプレートに伴って、付加体とよばれる地質体が常に形成され、くっついている場でありました。
 付加体とは、海洋地殻とその上にたまった遠洋性堆積物(チャートや頁岩)、さらに海溝付近でたまる陸から運んで来られた堆積物からできています。
 付加体を構成する岩石や地層を広域で見ると、大きな時代区分の違いや、大断層(構造線と呼ばれています)ができます。そのような時代や構造の境界を利用して、日本列島の地質構造を区分しています。
 本州、四国、九州などの日本列島の西半分(西南日本とよんでいます)には、日本列島と並行に延びる中央構造線という大きな境界があります。中央構造線を境にして、太平洋側を外帯、日本海側を内帯とよんでいます。外帯の中でも重要な境界として、仏像(ぶつぞう)構造線というものがあります。
 仏像構造線とは、内帯側に傾斜した大きな逆断層で、中央構造線側に古生代後期から中生代中期の付加体(三波川変成帯と秩父帯とよばれる2つの帯があります)があり、海側に中生代後期より新しい付加体(四万十帯とよばれます)があります。
 付加体を貫くようにしてマグマの活動があります。そのようなマグマの活動の記録は、マグマが地下で固まった深成岩や、マグマが地表に噴出した火山岩からみることができます。
 深成岩は、付加体のいろいろなところで見られますが、深部で固まったものです。ですから、現在の地表で見ることができるようになるには、隆起して、上を覆っていた岩石や地層が侵食によって削剥されなければなりません。深成岩が地表に出ているところは、長い時間が経過したところや、隆起と侵食の激しいところとなります。
 火山岩は、海洋プレートのもぐりこみによって火山列として形成されます。まさに火山が、日本列島の伸びている方向に並行して列を成しています。もぐりこむプレートの角度によって、海溝からの最初の火山があらわれる位置までは、地域によって違ってきます。
 日本列島の一番内帯側には、日本海のような縁海とよばれている海が形成されています。
 沖縄を含む南西諸島では、このような日本の主だった構造をみることができます。太平洋側(正確にはフィリピン海)には、沈み込み帯である琉球海溝があります。その内帯側(西側)には、列島があり、縁海にあたる東シナ海(正確には沖縄トラフといます)という構造をもっています。
 また、南西諸島は、3つの構造帯が列をなしています。東シナ海側、つまりいちばん内帯側に、新しい火山島列があります。硫黄島、口永良部島、中之島、諏訪之瀬島、硫黄鳥島などで、現在も活動中の火山がたくさんあります。
 列島の中央は、古い時代の付加体で、奄美大島、沖縄島北部などと、南西諸島の一番南にあたる石垣島、西表島、与那国島も、古い時代の付加体です。ペルム紀とみられる化石が見つかっていますが、多くはジュラ紀から白亜紀にかけての付加体です。本州でいう三波川変成帯と秩父帯に相当するものです。
 最後に、太平洋側、つまり一番外帯側には、白亜紀から第三紀の堆積岩からなる付加体があり、種子島や隆起サンゴ礁の沖永良部島や宮古島など低平な島が多い。本州でいう四万十帯に相当するものです。
 深成岩の活動も見られます。深成岩は主に花崗岩で、すべて第三紀に活動したものです。北から、屋久島、奄美大島、徳之島、沖永良部島、渡名喜島、沖縄島、石垣島などで、規模はさまざまですがみられます。
 このように見ていくと、南西諸島は、狭い範囲に日本列島の外帯を除く地質の要素と同じようなものが、出ていることになります。
 沖縄島については、次回としましょう。

・長い日本列島・
沖縄には、2月26日から3月2日まで、5泊6日の滞在でした。
3月1日に雨に降られました、それ以外は良い天気でした。
雪の北海道から、桜の終わった沖縄へいくと、
これが同じ日本かと思えるほど、その気候は違っていました。
連日20℃を越える日が続いていました。
帰ってきた日には、寒波の襲来で、
千歳空港が-6℃というアナウンスがありました。
そのとおりの寒さでした。
日本列島は長いですね。

・沖縄に帰る人へ・
私のゼミの学生に沖縄からの交換学生が2名いました。
そして逆に沖縄に後期の半年だけ交換留学する学生も一人いました。
そんな沖縄からの交換学生が、
「今日沖縄に帰ります!
北海道での1年間すっごく楽しかったですよ(^▽^)。
今までいろいろお世話になりました、ありがとうございます。
また遊びに来ますねー♪゛」
というメールを残して、先日沖縄に帰っていきました。
私とは、入れ違いでした。
彼らも北海道の冬には、驚きもし、感動もし、苦労もしたようです。
こんな機会を利用できた彼らは幸せだったと思います。
そんな彼らに、私は、次のようなメールを出しました。

「この1年は、素晴らしい思い出となったと思います。
普通の大学生には、味わえない、いい経験になったと思います。
目には見えないでしょうが、
きっと何か変わったこと、成長したことがある思います。
今度は、この経験を活かすために、
そんな成長した自分の活躍の場を見つけてください。

私は、一足先に沖縄を訪れました。
2月26日から3月2日まで、
恩納の「ゆりかしリゾート」に5泊しました。
そこをベースに、レンタカーで北部を中心に見て回りました。
家族は、水族館と海とホテルのプールがよかったようです。
私は、もちろん、地質調査ができたことです。

では、お元気で残りの学生生活を送ってください。」

という返事を書きました。

2004年3月4日木曜日

5_29 いろいろな石2:名前をつけるということ

 石をよく見ることが、「いろいろな石」がなぜあるのか、という疑問を解く鍵だと、前回いいました。では、名前をつけることにどんな意味があるのでしょうか。考えていきましょう。

 石は、どんな石でも、ある分類方法によって名前をつけることができます。研究者でも、一般の市民でも、だれでも、名前をつけること、名前を聞くことで満足してまうことがあります。たとえば、この川原にある石は、○○石が50%、××石が30%、△△石が20%です、という説明を専門家から受けたとしましょう。それで、わかったような気がします。その知識が身に付いたと思え、自分がひとつ賢く、あるいは得したような気になります。
 でも、よく考えて見ましょう。その川原で石の説明を聞きながら、「パッと見」でしか石を見ていないかもしれません。「パッと見」だけで、もしかすると、それ以上は石に接しないかもしれません。「パッと見」で石を見ることは、無意識の能力だけで石を見ているに過ぎません。もしかすると、実際に見たという経験、体験は、記憶に残ってないかもしれません。これは問題です。
 石を見るのには、経験も知識もいりません。生まれながらにもっている能力を活用すればいいのです。一生懸命「よく見る」ことです。この「よく見る」ことには、目で見ること、指で感じること、たたいてみること、なめてみること、匂いをかぐことも必要かもしれません。つまり、五感をつかって石を見ていくことが大切です。
 目で見るは、説明するまでもないでしょう。視覚を使うということです。指で感じることによって、石の質感、密度、表面の手触りなどがわかります。ハンマーたたくこと、石同士をこすり合わせることによって、石の硬さがわかります。なめることによって、石が濡れた状態を作りだせます。濡れると石のつくりがよく見えます。また、なめることによって、味や、舌にくっつくような感触を感じることができます。石をこすって匂いをかぐこともできます。するといろいろな匂いがすることがあります。このように五感を使うことによって、「パッと見」では得られない、桁違いに多くの情報を得ることができます。
 それらの情報をもとに、自分の考え方で分類することができます。たとえば、その川原にどれほどの種類の石があるかを調べるとしましょう。石の知識のない10人が、10種類の石を集めたとしましょう。10種類の石を集めるということは、どんなにたくさん似た石があっても、それは1種類にすぎません。石がたくさんある川原にいけば、10種類くらいは、すぐに集めることができるでしょう。10人が集めた、10種類の石をすべて集めると、100種類の石になるでしょうか。
 100個の石の中には、似た石がいくつもあるでしょう。100種類は分けすぎだと、誰もが思うでしょう。では、その100個の石を、10人で相談しながら、10種類に分けることにしましょう。すると、10種類の石にするために、個人の分類方法から全員の分類方法にいたるまでに、分けるための共通の基準が生まれてくるはずです。それは、集める人たちの考え方、経験、年齢などよって、その基準は変わってくるでしょう。しかし、多くの人に共通した何かの基準によって種類分けの方法が決まっていくはずです。
 そこで、便宜的に名前をつければいいのです。それは、学術的でなくてもいいです。知識がなくてもいいです。たとえば、A、B、C・・・でもいいですし、すべすべ石、ごつごつ石、さらざら石・・・でもいいですし、黒い石、白い石、赤い石・・・など石の特徴を表す名前でも、なんでもいいのです。
 分類したものに名前をつけるのは、便宜的なことであって、本当にしたいことは、「なぜ」を解決することのはずです。ここでは、「いろいろな石」がなぜあるのかについて調べることが目的でした。ですから、名前をつけることは終わりを意味してないのです。はじまりなのです。そして、名前をつけるというよりも、よく見ることの途中経過として、分類や名前があるだけなのです。
 よく見みると、同じ名前の石にも、いろいろな色、模様、形があります。ある人は、別の石として集めたものが、ひとつの種類として分けられているかもしれません。
 そんな石の色、模様、形がどうしてできたかに思いを巡らすことが大切です。その小さな石ころの経てきた長い時間が、地球的時間の履歴として、その石には刻まれていることに思い至ります。私は、そんな「地球のささやき」に耳を澄ませたくなります。

・根源的な疑問・
「いろいろな石」はなぜあるのかというテーマを
掲げながら、なかなかその謎に迫らないのではないか
と思われているかもしれません。
しかし、なぜ「いろいろな石」と人はいえるのかという
根源的な疑問を今解いているような気がします。
もしかすると、科学的な理屈で、
小ざかしく解決を図るより、ずっと大切なものが、
このようなアプローチにはあるのかもしれません。
これは、決して言い訳ではありませんよ。
心からそう思っています。

・解き難い矛盾に悩みながら・
このエッセイは、自分への自戒をこめて書いています。
石ころを整理することによって、
自然の神秘を知りたいはずなのに、
ついつい機械的に作業を日々しています。
数をこなすためにしょうがないというのは言い訳でしょう。
知りたいことは、
自然の神秘を科学の光の下に照らし出だすことのです。
そんな大きな目的のためにおこなっている作業が、
機械的になるのは、どうしたことでしょう。
こんな単純ですが、解き難い矛盾に日々悩みながら作業をしています。

・沖縄行・
沖縄に行ってきました。
2月26日から3月2日までです。
沖縄では、桜は終わり、葉桜となっていました。
学生たちでしょうか、団体で海水浴をしている姿も見かけられました。
沖縄は、22℃。
北海道は-6℃。
数時間で、30℃近い気温差を体感しました。
北海道の自宅は冷え切っていました。
帰宅すると室内温度は、5℃。
一晩ストーブを着けっぱなしにしましたが、
朝起きると15℃にしかなっていません。
一度冷えた家はなかなか暖まりません。
日本列島は長いのですね。
次回にその様子を紹介しましょう。